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続折々の記 2021④
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【 08 】05/23
       対中政策を安倍前総理はどう考えているのか   
       関連紙面掲載記事   
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2021/05/24
対中政策を安倍前総理はどう考えているのか

昨日の新聞に載っている記事は次の通りです。

(未完の最長政権)第3部:1 書き換えられた、対中親書
 一通の首相親書が、日中関係の軌道を大きく変えていった。2012年に首相の座に返り咲いた安倍晋三は当初「対中牽制(けんせい)」を強調したが、徐々に「競争」から「協力」へ軸足を移す。その転機となったのが「習近平(シーチンピン)国家主席に宛てた安倍首相親書の書き換えだった」。複数の政府関係者はそう証言する。
 親書は17年5月、中国とのパイプを重視する自民党幹事長の二階俊博が中国が掲げるシルクロード経済圏構想「一帯一路」に関する北京での国際会議に参加した際、安倍が習主席宛てに託したものだった。
 訪中には経済産業省出身で、安倍側近の首相秘書官、今井尚哉が同行。習と対面した二階は「ここで読んでください」と笑顔で親書を手渡したという。親書には、中国の一帯一路を評価する内容が記されていた。
 中国に渡った親書の内容を知った国家安全保障局長の谷内(やち)正太郎は愕然(がくぜん)とした。自らまとめた原案から大幅に書き換えられていたからだ。安倍に面会を求め、詰め寄った。
 「行政のシステムとして4大臣会合で了承された基本方針と全く異なる内容の親書が、私の知らないところで秘書官の一存で発出されたのはどういうことか。自分としては承服しがたい」
 谷内はそれまで、集団的自衛権の行使容認など、安倍の外交・安保戦略の指南役を務め、安倍が創設した、日本の外交・安全保障戦略の司令塔「国家安全保障会議(NSC)」を束ねる初代の国家安全保障局長に抜擢(ばってき)された人物だ
 中国の一帯一路に対抗すべく、谷内らが「自由で開かれたインド太平洋戦略」を練り上げ、安倍は16年8月のアフリカ訪問で、この新戦略を日本外交の方針として世界に発信していた。
 二階訪中はその翌年。谷内らが手がけた親書原案は「日本は一帯一路に慎重に対応していく」方針で作成され、安倍、副総理の麻生太郎、官房長官の菅義偉らの了承も取り付けていた。だが、中国側に渡った親書は、その方針と正反対の内容となっていた。
 政府関係者によれば、谷内に抗議された安倍は「僕もどうかなと思ったんだけどね」と語ったという。谷内は麻生や菅にも訴えたが、「(書き換えは)黙認された」(政府関係者)。
 親書の詳しい内容はいまも明かされていない。だが、今井は後に月刊誌「文芸春秋」のインタビューで「(原案には)一帯一路についてあまりにも後ろ向きな内容しか書かれていない。こんな恥ずかしい親書を二階幹事長に持たせるわけにはいかないと、相当修正を加えた」と認め、「『一帯一路についても可能であれば協力関係を築いていきたい』との文言を入れた」と告白している。<
 安倍は「親書書き換え」の翌18年に訪中し、日中首脳会談で、両国は「競争」から「協力のパートナー」へ移行すると宣言した
 安倍外交の継承を掲げながらも、首相になった菅は4月の日米首脳会談で「中国の行動について懸念を共有」し、「競争」へと軸足を戻しつつあるように見える。その動向を中国も注視している。(敬称略。肩書は当時)
 ◇よりすぐりのニュースを紙面とデジタルで伝える「プレミアムA」。歴代最長となった安倍政権を検証する連載「未完の最長政権」第3部では、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」を掲げた安倍外交の内実に迫ります。
 ◆キーワード
 <親書> 政府首脳が署名入りで相手国の首脳に宛てた文書。外交ツールの一つとして、相手への謝意やお見舞いのほか、自国の政策意図などを説明することに使われるが、公開はされない。
 (2面に続く)

(未完の最長政権)第3部:1 競争と協力、狂わせた「さじ加減」
 (1面から続く)
 ■プレミアムA (意味=景品。おまけ。また,賞品や賞金)
 「親書書き換え」の約半年前の2016年11月、東海道新幹線の車中。安倍は、来日したインド首相のモディと向き合っていた。
 「この地図を見てほしい」。モディを東京駅で出迎え、一緒に新幹線に乗り込むと、安倍は身を乗り出して熱心に語りかけた。
 国家安全保障局(NSS)などが作成した地図には、スリランカ南部のハンバントタ港やギリシャのピレウス港といった世界各地の港湾などで中国が経済協力をうたい文句に軍事拠点化を進める様子が描かれていた。
 中国と国境を接し、対中牽制(けんせい)の「日米豪印」の枠組み構築に必ずしも積極的でないインドに、「足並みをそろえるよう強く促すこと」(政府関係者)が、当時の安倍の意図だった。
 12年に政権に返り咲いた安倍は、「対中牽制」に軸足を置いていた。
 「日本が屈すれば、南シナ海における中国の要塞(ようさい)化が進む」。安倍は首相就任翌日、自らの外交戦略を「安全保障ダイヤモンド構想」と名付け、国際NPO団体のホームページに英字論文を発表。南シナ海を「北京の湖になりつつある」とし、尖閣諸島周辺での中国の動向に強い懸念を示し、日本単独の「点」ではなく、日米豪印が連携する、ひし形の「面」で対中牽制網を構築する必要があると説いた。
 日米豪印の連携はその後、4カ国を意味する「クアッド(Quad)」と呼ばれ、16年に安倍がアフリカで打ち出した「自由で開かれたインド太平洋」戦略につながった。
 安倍は新戦略発表の演説で「アジアとアフリカの交わりを力や威圧と無縁で、自由と、法の支配、市場経済を重んじる場として育てたい」。名指しを避けつつ、念頭に置いたのは、南シナ海や東シナ海などで力で威圧する中国だった。
 この筋書きを主導したのは外務省だった。「中国とどう付き合うのかが、日本にとって今世紀最大の課題だ」。外務次官時代から谷内はそう考え、その考えは安倍とも共有していた
 谷内は「中国封じ込め」を意図していたわけではない。健全な隣国関係を築くため、中国に力による威圧をやめさせ、法の支配など国際社会のルールを守らせることで、日中の対話の「土台」を作りたいと考えていた、と周辺は語る
 尖閣諸島周辺での中国公船の活動や、安倍の靖国神社参拝などで日中関係は冷え込みながらも、14年11月に北京で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際の安倍訪中で、日中首脳会談は2年半ぶりに再開。日中はその後も対話を重ね、双方が硬軟織り交ぜながら、関係改善の糸口を探っていた。
     *
 冷戦時代のロシアと違い、経済で密接に結びつく中国を完全に敵視するのは現実的ではない。一方、尖閣諸島周辺や南シナ海での日本や他国への威圧的な行動は見過ごせない――。
 日中関係には「競争」と「協力」の微妙なさじ加減が求められる。安倍自身、退任後に雑誌「外交」のインタビューで、「一帯一路については、具体的なプロジェクトごとに判断すべきもので、頭から否定したり、反対に全面的に賛成するというものではない」と語っている。
 だが、そんな「さじ加減」を狂わせたのが「親書書き換え」だった。首相側近として発言力を増した秘書官の今井は外交にも強い関心を示すようになる。
 中国はトランプ米政権との関係悪化とは対照的に、対日姿勢を軟化。それは、中国との経済協力を重視する今井にとっても追い風となり、日中の「協力」機運を後押しした。
 「親書書き換え」を境に今井は、谷内ら「外交・安保」派と首相官邸で対立を深めていく。
 政府関係者によると、国家安全保障会議の場で、外務省出身の官房副長官補、兼原信克が中国の一帯一路の問題点を指摘。「一帯一路は純粋に空港や港湾などのインフラ整備で他国に協力しているのではなく、軍事戦略の一環と見るべきだ」と説明すると、今井は「こんな会議、やるんじゃないよ」と言って退室したこともあったという。
 「首相は徐々に今井氏寄りになった」。政府関係者はそう語る。「書き換え」翌年の18年10月、日本の首相として国際会議を除いて7年ぶりに北京を訪れた安倍は、中国首相の李克強との会談で「競争から協調へ、日中関係を新たな時代に押し上げていきたい」と述べた。
 安倍訪中には日本の財界トップらも同行。経済産業省が主導し、日中の第三国市場協力として、インフラや物流、ITなど、日中の政府・企業・経済団体の間で交わされた協力の覚書は50件を超え、「日中協力」を強く印象づけた。
 なぜ、今井は対中協力を進めたのか。政府内には二つの見方がある。一つは「経産省出身の今井が、巨大な中国市場に期待を寄せる経済界の意をくみ、対中協力を優先させた」(政府関係者)との見方だ。
 今井は、周囲に「日米同盟が最重要だが、全て対米追従で、他の選択肢を考えない姿勢は問題だ。日本企業の中国進出を考えれば、一帯一路が持つ連結性は魅力的だ」と語っていた。
 もう一つは、今井が麻生、菅に加え、政権の柱である親中派の二階に配慮したとの見方だ。外務省関係者は「彼の使命は政権基盤を固め、長期安定政権を作ること。外交もそのツールと見ていた」と批判的に見る。
 官邸内の対立は、北方領土返還をめぐる対ロ交渉などでも露呈する。
 政府関係者は「谷内、今井双方の主張はそれぞれ理屈がある。それを束ねるのが首相の役目」と語る。外交・安保政策の指南役だった谷内を遠ざけ、内政で首相を支えた今井のラインに安倍はなぜ乗ったのか。
 元政府高官はこんな解説をする。
 「官邸の政策決定には、『表階段』のほか、側近用で首相に直結する『裏階段』がある。太陽系に例えれば、谷内がいくら大きな木星でも、地球に近い金星には勝てない。外交でも『宮中政治』が行われた」(敬称略。肩書は当時)
     ◇
 2012年に首相の座に返り咲いた安倍晋三前首相は「外交の安倍」と呼ばれ、訪問国は80カ国・地域を数える。「未完の最長政権」第3部では、安倍外交を検証する。
 ◇紙面の連載は25日付の朝刊に続きます。


以上の記事を読んでみると、今井と谷内(やち)双方の考え方はそれなりに理解できる。 トインビーはどう考えるだろうか、そんなことが脳内を走る。 トインビーの基本的な歴史の方向は、「安定した家族の考えのようになっていく」というのが私の結論だった。

ではどうなるのか?
アメリカの強引な政治手法からは距離を置くようにしたい。 言いかえれば日米安全保障条約は破棄されなくてはならない。 それと共に近所とは仲良くならなければならない。 この二つが基本的な歴史の方向であろう。 トインビーの結論も多分それに突き当たる。

21世紀は、世界大変革の時代に直面している。

  1 世界規模での地球温暖化
  2 武力による覇権争いへの世界中の拒否感情の終焉問題
  3 大きい壁になった金融システムを変化させる問題
  4 世界中の一般庶民の平和生活の渇望問題
  5 国家支配という組織から新しい世界組織への移行


私は、21世紀の大問題としてこのようなことに皆で協力して取組む必要があると思っているのです。
安倍旧総理なり小沢一郎なり、取組みの旗手になってほしい。 余生短いにせよ、こうした変化に目をつけていきたい。
関連記事が32件もあったことに気もつかずだったから、参考にしたい記事を見ても行きたい。

ともあれ谷内(やち)にしても今井にしてもやはり官僚の考え方の大筋は、そう間違いはない。 政治家のご都合主義のような派閥とか人脈とかに振り回されるることのないような、明治初期の政治担当者のような気概を欲しいものです。


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(未完の最長政権)「課長を飛ばしたよ」(2021/01/23)有料会員記事
 ■プレミアムA 「OBが人事を決めている省もある。総務省の人事はどういうふうに決まるんだ? OBはどのぐらい力があるんだ?」 第2次安倍政権で官房長官を務めた菅義偉は2006年9月、第1次政権で総務相に就いた。着任早々、総務省幹部にこう尋ねたという。 幹部が「うちはOBは決めていません」と答えると、菅は即座に続けた。「人事権を持っているのは誰だ?」。幹部が「大臣です」と答えると菅は「そうだよな
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(未完の最長政権)「前例」「慣例」人事、嫌った菅(2021/01/21)有料会員記事
 ■プレミアムA 2012年12月の第2次安倍政権発足以降、「前例」「慣例」という言葉は首相官邸では禁句になっていたという。 それは特に人事で顕著だった。官房長官の菅義偉に加え、政権発足当時の官房副長官だった加藤勝信、世耕弘成、杉田和博は、官邸スタッフが「これまではこうやってきた」と前例踏襲の人事案を説明すると、「これまでのことは関係ない」などと一喝することもしばしばだった。なかでもとりわけ前例
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(未完の最長政権)「使える」官僚、異例の重用(2021/01/20)有料会員記事
 ■プレミアムA 昨春、新型コロナウイルスの感染拡大の対策で、首相官邸に頻繁に出入りしていた官庁幹部は周囲に漏らした。「首相や秘書官たちが和気あいあいとしてアットホーム過ぎる。ある秘書官が新しい対策を打ち出すと、別の秘書官が『いいね』と盛り上がる。間違っていると思っても外からは異論を挟みにくい」 集団的自衛権の解釈変更を実現するため内閣法制局長官を代える人事権を振るった首相の安倍晋三は、自らの方
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(未完の最長政権)異例人事、官僚は姿勢を一変した(2021/01/19)有料会員記事
 ■プレミアムA 2013年8月、安倍内閣は内閣法制局長官に、駐仏大使の小松一郎を充てる人事を閣議決定した。憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使容認を成し遂げたい首相、安倍晋三の強い意志が示されたと受け止められた。小松が元々、行使を認める考えだったことに加え、元外務官僚の小松を充てることが前例を覆す異例の人事だったからだ。 内閣法制局は1952年の発足以来、総務(自治)、財務(大蔵)、経済産業(
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(未完の最長政権)解釈変更「神様が人間になった」(2021/01/16)有料会員記事  ■プレミアムA 2014年12月下旬、防衛省内で内閣法制局の「変化」が話題になった。「彼らは当事者性がなくなったよな」「そうそう。法制局の参事官も部長も次長も、みんな三人称でしか語らなくなった。『これは合憲らしいです』『これは大丈夫らしいです』って。『らしい』って言われてもねえ」 その変化は、安全保障法制の法案についての協議の場で起きていた。翌15年の通常国会に向けて、どう条文を作るか、連日の
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(未完の最長政権)平成政治の頂、官邸主導の光と影(2021/01/12)有料会員記事
 (1面から続く) ■プレミアムA ■首相の黒衣、視線は国益か、それとも K9(ケーナイン)。そんな呼び名で霞が関で語られる官邸主導の成功例がある。 史上初めて震度7を連続記録した2016年4月の熊本地震。現地に各府省の幹部が集まって連日会議を開いた。K9は熊本の頭文字Kと、幹部の人数を組み合わせた呼び名だ。 初動対応は多岐にわたる。道路の復旧、避難所の設置、水やガスなど生活インフラの復旧、救援
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(未完の最長政権)「強すぎる官邸」、黙る霞が関(2021/01/12)有料会員記事
 ■プレミアムA 昨年2月、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で新型コロナウイルスの感染者が急拡大していた際のこと。沖縄の那覇港を出発した別のクルーズ船が感染者がいる可能性があるとして台湾に寄港を拒否され、沖縄に戻ろうとしていた。 「おいおい、あと2時間で沖縄に着くぞ」。官邸で首相秘書官らが見ていたのは、船舶の位置を確認できるインターネットの民間サイト。官邸関係者によると、国土交通省から連絡が


2021年5月26日 (未完の最長政権)第3部:3 
対中協力路線、尖閣では効果見えず <

写真・図版 【写真】尖閣諸島の(手前から)南小島、北小島、魚釣島=2013年、沖縄県石垣市、本社機から

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 首相の菅義偉が初めて臨んだ4月16日の日米首脳会談。その共同声明には「日米両政府は、自由で開かれたインド太平洋の実現に向けた我々の政策を調整・実施するためのものを含め、あらゆるレベルで意思疎通することを継続する」との方針が盛り込まれた。

 「自由で開かれたインド太平洋(FOIP)」とは、2016年に安倍晋三が、米国に先駆けて提唱した外交方針だ。当初は、軍事と経済の両面で台頭し、中国の一帯一路に対抗しようと打ち出したものだった。貿易問題で対中強硬路線をとる大統領のトランプが、そのFOIPを米国のアジア政策として追認。バイデン政権もこれを継承している。

 だが、日本のFOIPは、いま一つ軸足が定まらない。政府は当初、「インド太平洋戦略」と呼んでいた。しかし、中国の一帯一路構想に協力する意向を書き込んだ「親書書き換え」以降、「インド太平洋構想」と呼び方を変えた。政府関係者は「官邸内で中国を刺激する『戦略』という言葉は避けるべきだとの議論があった」と明かす。

 一帯一路への対抗軸だったはずのインド太平洋「戦略」は、いつしか一帯一路との接点を探る「構想」に読み替えられた。

 安倍側近の首相秘書官、今井尚哉が主導した「対中協力」路線は成果も生んだ

 日本は中国が海外で展開する事業について、事業の透明性や、中国の過剰融資で対象国が財政難に陥ることがないようにすることなどを条件に掲げ、協力する方針を打ち出し、中国に国際的規範の順守を促した。

 これに中国も呼応し、国家主席の習近平(シーチンピン)は「国際的な規範を尊重する」と表明。経済産業省幹部は「日本の働きかけが中国の行動を抑制するのに一役買った」。

 だが、ある政府関係者は手厳しい。「一帯一路への協力姿勢を示して中国を動かすのはよいが、同時に尖閣諸島周辺での挑発行動をやめさせるとか、日本が何を得たのかは見えない。尖閣で譲歩せずとも日本と関係改善できると中国に錯覚させてしまった」

 実際、中国は「競争から協調へ」を強調した18年の安倍訪中の際も、昨年11月に中国外相の王毅(ワンイー)が首相になった菅と面会した日も、中国公船を尖閣諸島周辺の接続水域に侵入させている。

 外務省幹部はこう懸念を漏らす「中国は、日本政府内で経済重視の対中融和派と、安保重視の対中牽制(けんせい)派の対立を見透かし、その政府内の分断を狙って行動しているのではないか」
(敬称略。肩書は当時)