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折々の記 2010 A

【心に浮かぶよしなしごと】

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  02 08 太陰暦での月名
  02 10 時々刻々、変わりゆくニュース

 02 08 (月)  太陰暦での月名

【太陰暦での月名】
月名
旧暦の日付
第一規則
第二規則
追加規則
1
旧暦日
-
-
二日月
2
旧暦日
-
-
既朔
2
旧暦日
-
-
三日月
3
旧暦日
-
-
眉月
3
-
-
月の形状
上弦の月
7
旧暦日
-
-
弓張月
7
-
-
月の形状
夕月
1-7
-
見える時間帯
-
九夜月
9
旧暦日
-
-
十三夜月
13
旧暦日
-
-
小望月
14
旧暦日
-
-
宵待月
14
旧暦日
-
-
宵月
14-22
-
見える時間帯
-
十五夜
15
旧暦日
-
-
望月
16
-
-
月の形状
十六夜月
17
旧暦日
-
-
立待月
18
旧暦日
-
-
居待月
19
旧暦日
-
-
寝待月
20
旧暦日
-
-
更待月
20
旧暦日
-
-
下弦の月
23
旧暦日
-
-
弓張月
23
-
-
月の形状
二十六夜月
26
旧暦日
-
-
眉月
26
-
-
月の形状
有明月
23-28
-
見える時間帯
-
暁月
29-30
-
見える時間帯
-
晦日月
30
旧暦日
-
-
 三日月、上弦の月、弓張月、宵待月、寝待月 …… 等々、
 なんと優雅な月の名前をつけたのでしょうか !!

 【お月様の満ち欠けと呼び名(月の名前)】

月は日毎に満ち欠けして、その姿を変えます。満ち欠けによって変わった姿を現すものには月齢がありますが、味気ない数字の月齢とは別にもう少し風情のある名前も付いています。

新月(しんげつ)  1日頃 朔のこと。月が見えない時期のため、昔は三日月から逆に遡って、朔の日付を求めた。新月の呼び名は英語の「New Moon」からだそうなので、そんなに古い呼び名ではないみたい。

繊月(せんげつ)  2日頃 二日月(ふつかづき)とも言う。日没後1時間前後のまだ明るい空に、繊維の様に細い月が見えることがある。

三日月(みかづき)  3日頃 通常、新月後最初に出る月であったので、「朏(みかづき・ひ)」という文字で表されることもある。三日月には異称が多く、初月(ういづき)・若月(わかづき)・眉月(まゆづき)など(・・他多数)とも呼ばれる。異称の多くは最初に見える月だということや、その形からの連想ですね。もっとも印象深い月かもしれません。

上弦の月(じょうげんのつき)  7日頃 夕方西の空に見え、西側が明るく輝いている。夕方の空にかかる姿を弓の形になぞらえると、弦を張った側(欠けぎわの側)が上に見えるからこの名前。

十日夜の月(とおかんやのつき)  10日頃 上弦の月より幾分ぷっくりとふくらんだ月。旧暦の十月の十日には、「十日夜」と呼ばれる行事があり、観月の慣習もあった。

十三夜月(じゅうさんやづき)  13日頃 古来、満月に次いで美しい月とされたらしく、月見の宴などが行われていたようです。美しさについては個人の好みの問題だ。

小望月(こもちづき)  14日頃 満月(望月)の前夜。幾望(きぼう)ともいう。幾は「近い」の意味だそうだ。

満月(まんげつ)  15日頃 異称として、望月(もちづき)・十五夜(じゅうごや)などがある。満月も英語の「Full Moon」から。 市民天文台などでは、満月に「観望会」など開いて望遠鏡で月を覗くが、望遠鏡で見るには「最低の月」。お月見は肉眼でしましょう。

十六夜(いざよい)  16日頃 他に、既望(きぼう)・不知夜月(いざよいづき)などともいう。既望は望月を過ぎた月、不知夜月は一晩中月が出ているので「夜を知らない」の意か。「いざよい」はためらうという意味のある「いさよう」から出たとか。望月より月の出が遅れるのでそれを「月の出をためらう月」と考えたのか。

立待月(たちまちづき)  17日頃 夕方、月の出を「いまかいまかと立って待つうちに月が出る」くらいの月。月の出は日没からだいたい1時間40分後なので、あんまり早くから待つと疲れるぞ。

居待月(いまちづき)  18日頃 居は「座る」の意味で、立って待つには長すぎるので「座って月の出を待つ月」。座ってても疲れるかも。

寝待月(ねまちづき)  19日頃 別名、臥待月(ふしまちづき)。いずれにしても横になって待たないとならないくらい月の出は遅い。横になっているうちに熟睡してしまうと夢の中の月見となるので注意。

更待月(ふけまちづき)  20日頃 夜更けに昇るのでこの名前。だいたい午後10時頃に月の出となる。

下弦の月(かげんのつき)  23日頃 月を弓に見立てての名前。だが暗いうち(東の空から昇るとき)に見える月の弦は下にはならないので誤解の無いように。古くは二十三夜講などの風習があった。

有明月(ありあけづき)  26日頃 夜明けの空(有明の空)に昇る月。本来は十六夜以降の月の総称。この時期に限定すれば「暁月」の方が正確か。古くは二十六夜講などの風習があった。

三十日月(みそかづき)  30日頃 新月頃。30日なので「みそか」。月末を「晦日(みそか)」というのはこのため。また「晦日(つごもり)」ともいう(大晦日を「おおつごもり」なんていいますね)。ちなみに「つごもり」は「つきこもり」が転じたもので、月が姿を見せないのでこう呼ばれた。



天文学的名称 天文学的な名称は、新月・半月(上弦)・満月・半月(下弦)の4種類です。
太陽と月の黄経差が0度・90度・180度・270度の状態についてこの名が付いています。まあ、他にも付けられないことはないでしょうが、細かに付けてもそれに何か意味があるとも思えないので、この4種類程度が妥当でしょう。
HomePageの今月の月や月齢カレンダーに表示している満月等の月の名前はこの天文学的名前です。

旧暦日的名称 
三日月・十五夜の月・十六夜月といった旧暦の日付に密接に関係した呼び名をこう呼びます(私の勝手な命名です)。旧暦の日付を関した呼び名なのでこのように名付けました。

例えば、伝統的に旧暦の15日の月は「十五夜の月」と呼ばれ、満月だとして扱われて来ましたが既述した現代の定義での満月がこの日となるとは限りません。いやそれどころか十五夜が満月で無いことの方が若干ですが多く、1〜2日ずれることがかなりあります。このため、「満月」と「十五夜」が別の日になる場合があります。

実際の満月から1〜2日程度ずれたとしても、肉眼で見て「月が欠けている」とすぐに解るほどの違いはありませんから、真ん丸に見える実際の満月より、ほんのわずかに欠けていたとしてもこの「十五夜の月」を仮の満月と考えた方がよい場合があります。たとえば中秋の名月は、実際の満月と異なる日であってもやはり旧暦の八月十五日に行うのが相応しいように。

同様に、十五夜があれば翌日は十六夜、翌々日は立待月・・・というように長く人々に親しまれた伝統的な呼び名を使います。こうした使い方からすると旧暦日的名称というより伝統的名称とでも呼んだ方が良いのかもしれません。

見える時間帯による名称 
夕月・宵月・有明月・暁月などがこれに当たります。
その名前を見れば見当がつきますが、夕方見える月、夜(宵)更けに見える月といった意味。このためある日1日だけの呼び名というわけではなく、幅があります。
また、いつからいつが「夕」で「宵」かといった区別は困難ですので、こよみのページでこの名称を使う場合は、旧暦の日付を月齢に近い意味合いで使って、或る範囲の旧暦日の間の月をその名称で呼びます。このため、他の方式での月の呼び名と重複する場合がありますが、その場合は個別の名称(前述、旧暦日による名称)を優先しています。

月の形状による名称 
おそらく、この方式の呼び方が最も原初的な呼び名だと思います。
繊月・眉月・弓張月・望月などの名が該当します。
今ではあまり使われ無くなりましたが、王朝文学などには度々登場する名前ですので、文学的な表現としては生き残っているかもしれません。



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■ 単語解説

スキャン  とは何か
  スキャン 【scan】 細かく調べること。走査。

アーカイブ   とは何か
  アーカイブ 【archive】
    〔古文書,公文書館の意〕
    (1)大規模な記録や資料のコレクション。デジタル-データ化しての保存と世界的な相互利用が図られている。
    (2)デジタル化されたデータを圧縮する技術や方法。より少ない情報量でデータの転送・保存を行うことができる。
  アーカイブ
    複数のファイルを一つのファイルにまとめること。そのためのソフトウェアをアーカイバという。
    関連するファイルをひとまとめにすることで、ネットワークを通じた送受信の手間を軽減したり、
    ディスクの管理を容易にしたりできる。最近ではファイルをまとめる際に圧縮を施すのが一般的になりつつある。

 02 10 (水)  時々刻々、変わりゆくニュース

何がほんとのことなのか? それぞれ勝手なことを言っている。 ただただ、後になれば真っ当なことがどれなのか判るだろう。

それぞれに粉飾も張ったりもあるだろうし、情報がどの程度まで信頼できるものなのかによっても意見も違ってくるだろうと思う。

今日の主なものを取り上げてみます。



NHK主要ニュース

米有力議員 移設問題で訪日へ
2月10日 7時40分

沖縄のアメリカ軍普天間基地の移設問題をめぐって、アメリカの有力な上院議員が日本とグアムを訪問し、政府関係者や地元住民と意見を交わして問題解決の道筋を探ることになりました。

アメリカ議会の与党民主党の上院議員で、外交委員会のアジア太平洋小委員長を務めるウェブ氏は9日、今月13日から20日にかけて、東京と沖縄、それにグアムを訪問すると発表しました。ウェブ氏は、去年9月に鳩山政権が発足して以来、初めて日本を訪問するもので、東京では日本政府の閣僚や与野党の幹部と会談し、日米間の懸案となっている普天間基地の移設問題について、日本側から説明を受ける予定です。また、沖縄では地元の住民の代表らと会談し、普天間基地の移設先について住民側の要望を聞きたいとしています。さらに、ウェブ氏は、普天間基地の移設を条件に沖縄の海兵隊8000人が移転することになっているグアムを訪れ、ここでも地元の意向を聞くことにしています。ウェブ氏としては、一連の訪問で普天間基地の移設問題をめぐる現状を把握したうえで、オバマ政権に働きかけ、問題解決の道筋を探りたい考えです。

首相“事業仕分けで指揮を”
02月10日 10時08分

鳩山総理大臣は、行政刷新担当大臣に民主党の枝野幸男元政策調査会長を起用することについて、「民主党に対する信頼を再び回復して高めるためにも、枝野氏には事業仕分けを陣頭指揮してもらいたい」と述べました。

鳩山総理大臣は、藤井前財務大臣の辞任に伴って、仙谷大臣に国家戦略担当と行政刷新担当を兼務させてきましたが、鳩山政権の重要ポストを兼務するのは負担が大きいとして、仙谷氏には国家戦略担当大臣に専念させ、新しい行政刷新担当大臣に枝野氏を起用することにし、10日朝の持ち回りの閣議で正式に決めました。鳩山総理大臣は10日朝、記者団に対し、枝野氏を起用した理由について、「枝野氏はたいへん優秀で、去年の事業仕分けでは中心になってやってもらった。事業仕分けの第2弾をできるだけ早く行って、国民の民主党に対する信頼を再び回復して高めていくためにも、できるだけ早く枝野氏には陣頭指揮してもらいたいという思いがあった」と述べました。また、鳩山総理大臣は「おとといの民主党の小沢幹事長との会談でその話をして、まったく異論はない、しっかりやろうという話だった」と述べました。これに先立って、兼務が解消された仙谷国家戦略担当大臣は記者団に対し、「鳩山総理大臣の思い切ったリーダーシップだ。枝野氏は国民の期待に沿うような活躍をしてくれると思っているし、わたしは国家戦略の方に全面的にエネルギーを割くことができる。具体的な施策をやっていく体制ができたということを国民に理解していただければ、内閣への支持も徐々に反転し、信頼を回復していけるのではないか」と述べました。枝野氏は午前中に皇居での認証式を経て、行政刷新担当大臣に正式に就任することになります。



いかりや爆氏の毒独日記
http://blog.goo.ne.jp/ikariyax

週間ポスト、「小沢抹殺」黒幕は「小泉だ!」

2010-02-09 19:02:43 | 日記 昨日の日記の最後で、”週間ポスト、「小沢抹殺」黒幕は「小泉だ!」の中身が凄い。” と書きましたが、ネットの情報で、既に知られてことも多く含まれている。それでも、一般の人には、目新しいものに映ったかもしれません。

 小沢幹事長は「嫌疑不十分」で不起訴。石川知祐議員、大久保秘書、池田元秘書ら三人を逮捕拘留して、検察は「虚偽記載」で起訴とした。いずれ裁判で明確になるはずですが、果たして今回の「虚偽記載」は罪に問えるほどのものかどうかも極めて怪しい。小沢氏は、形式上「嫌疑不十分」で不起訴ということになったものの、検察はあれだけ徹底したガサ入れをしても不正な金はみつからなかったのだから、嫌疑さえもなかったというのが、真実ではなかったかと思われる。

 実質的に戦後初となる画期的な政権交代が実現してこれからというときに、政権交代を具現させた党の実力者の足を引っ張る役割を演じたのが検察です。多くの国民がその日の生活にも苦しんでいるとき、国会は国民生活に直結する重要な予算審議となるべきところを、国会を停滞させ、政策論争どころか空疎な疑惑追及一色です。

 検察は国民から選ばれた人たちではない。その検察官僚が何千何百万の国民が選んで成立させた政権を揺るがせること自体が極めて不見識である。
 検察の存立意義は「政治的中立」が大原則、政権の中枢をターゲットにして「巨悪を追求」するのであれば、よほど動かぬ「証拠と裏づけ」を持って「起訴」しなければおかしい。巨額の国民の税金を遣って空振りした検察の責任は誰がとるのだろうか。検察は、秘書の「虚偽記載」ごとき微罪で、お茶を濁すことで許されるべきではない。結局検察は、行き掛かり上自分たちの面子をたもつために、三人を起訴しただけと思われる。

 もし、検察が民主党政権の官僚改革を阻止するために、実力者小沢氏を貶めるための策謀、もしくは参院選に向けた民主党弱体化を画策するグループ(国内、国外を含めて)に乗せられて行動したとすれば、時代が時代なら国家反逆罪に問われても仕方ない。

 以下は、週間ポストからの転載と筆者の要約です。

 なぜ、小沢氏と検察の戦いがここまで広がったのか。その鍵を握るのが、「小泉純一郎・元首相」の存在である。
 政界を引退した小泉氏は自民党が大敗した昨年の総選挙でもほとんど応援に立たなかったが、特捜部が小沢氏本人に事情聴取を要請して捜査が ”ヤマ場”を迎えていた今年1月中旬からにわかに ”自民党の大御所”として積極的な政治的発言をするようになった。まず・・・・。

 ネット情報では既に知られていることですが、小泉内閣発足当初発覚した検察の裏金と人事問題に絡んで、当時の小泉首相は検察に貸しをつくった。
「検察は内部調査で裏金の実態を明らかにして自浄能力を発揮すべきでした。それなのに政権と取引をして疑惑をもみ消してもらったために小泉首相に大きな借りを作った。(当時三井環(たまき)・大阪高検公安部長が本件を訴えようとした矢先に、逆に逮捕起訴されて、最終的に懲役1年8か月の刑を受け、今年1月18日静岡刑務所出所。)

 小沢氏と小泉氏は同い年でともに慶応大学経済学部出身。小沢氏は田中角栄の秘蔵っ子、小泉氏は”角福戦争”を戦った福田赳夫・元首相の書生だったからライバル心が強い。・・・”第2の角福戦争”を繰り広げたと言っていい。・・・郵政問題、かんぽの宿売却問題をはじめ、郵政の資産は民営化を推進した小泉人脈に食い物にされてきた。民主党は野党時代に彼らを告発したのに、検察は動かなかった。

 鳩山政権がストップさせた普天間基地の辺野古移転計画も小泉政権時代の沖縄利権と密接に絡んでいる。・・・・小泉派官僚の守屋武昌・元防衛事務次官(汚職事件で公判中)は陸上ではなく沖を埋め立てるについて、・・・利権の発想があったと思う(『中央公論』2010年1月号)と基地建設利権の存在を指摘した。当時、環境相兼沖縄担当相だった小池百合子氏も、小泉首相に環境への影響が小さくなる独自案を提案したときのことを本誌インタビューでこう語っていた。

(私が説明すると、「そんなんじゃダメなんだよっ!」と、烈火のごとく怒りだした。こちらの話は全くうけっつけないという感じで、青筋をたてて怒られた)(06年10月6日号)

 鳩山政権が日米合意を白紙撤回してまで「辺野古沖埋め立て計画」の見直しに取り組む理由は、”沖縄に基地はいらない”という理念だけではない。郵政同様、小泉時代の基地建設に絡む自民党の巨大利権を叩き壊すという狙いもあるのだ。
そうした民主党の攻勢に対して、政界引退後の小泉氏には焦りがあったのかもしれない。

・・・だからこそ、自民党は普天間基地移転見直しを一斉に批判し、権力を握った小沢氏のやり方に脅威を感じた小泉氏と小泉人脈の官僚たちは、検察の力を借り、「権力の裏システム」をフル稼働させて小沢氏を政治的に”抹殺”しようと動いたのではないか〜。

 今後は小沢氏の”大逆襲”により、郵政も沖縄基地問題も再び正面衝突することは避けられない。”怨念の第2ラウンド”の火ぶたが切って落とされる。

 だが、その前に「小沢さんは身内の裏切り者に目を向ける」と小沢側近議員はいう。
以下省略。



インターネット新聞JanJan
市民の市民による市民のためのメディア
http://www.janjannews.jp/


JanJanとは

インターネット新聞JanJanは、「Japan Alternative News for Justices and New Cultures」(さまざまな正義と新しい文化のために日本から発信するもう一つのニュース)の略称で、社会に警鐘を鳴らす半鐘の音を表しています。 JanJan宣言

『JanJan』は、これまでのメディアの発想を一新する「市民の、市民による、市民のためのメディア」です。そのことを明確にするため、次の〈宣言〉をします。

1.多くの人々が市民記者になって生活や仕事、ボランティア活動の現場からニュースを送ります。
2.市民のボランティア活動とカンパが編集作業を支えます。 3.既存マス・メディアのニュース価値にかかわりなく市民の視点に立って良質な言論を創り上げます。
4.正義と自由、公正を大切にする市民社会の創造を目指し、市民主権と地域自治を確立する制度改革に取り組みます。
5.国境を越える情報交流による異文化の相互理解を進めます。

市民記者

『JanJan』をつくるのは、プロのジャーナリストだけではありません。だれでも市民記者になれます。あなたも記者になって、マスコミが拾いきれないニュースを伝えてください。「記者」というと難しい仕事のように思われるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。『JanJan』は「すべての市民は記者である」ということに気づいたことから誕生しました。自然のこと、地域のこと、日本のこと、世界のこと、どんなことでも、あなたがみんなに知らせたいと思うことはニュースです。新聞や雑誌の真似をして記事を書く必要はありません。友だちに話す要領で気軽に書いてください。
市民記者は、『JanJan』を利用するにあたり、以下の<市民記者規約>を守ってください。


     http://www.janjannews.jp/archives/2579446.html
     <JanJanニュース>

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大手マスコミはなぜ謎の市民団体の実態を報道しないのか?
オムニバス山崎康彦
2010年02月10日

 小沢民主党幹事長の「陸山会土地購入資金」をめぐる東京地検特捜部による強制捜査の口火を切ったのは、「世論を正す会」と「真実を求める会」という市民団体が東京地検特捜部に提出した刑事告発でした。

 ▲ 小沢民主党幹事長への二度の刑事告発と強制捜査

 最初は、2009年11月4日に小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」が2004年に約3億4000万円で土地を購入したにもかかわらず土地の所有権移転登記をした2005年の政治資金収支報告書に記載していた問題で、「世論を正す会」という市民団体が、陸山会の事務担当だった小沢氏の元秘書の民主党石川知裕衆院議員と陸山会の元会計責任者で小沢氏の公設第1秘書大久保隆規被告らを東京地検特捜部に刑事告発したことでした。

 2度目は、2010年1月21日に小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」が土地の購入原資4億円を政治資金収支報告書に記載しなかった件で、「真実を求める会」という市民団体が、小沢氏と秘書らに対する政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑などで東京地検特捜部に刑事告発したことです。

 どちらも「記載忘れ」「記載ミス」で「訂正」すれば済むことをあたかも「政治資金規正法虚偽記載」の重大犯罪のようにでっちあげて刑事告発したのです。

 ▲ 鳩山首相への刑事告発と強制捜査

 また鳩山民主党代表(当時)の「個人献金虚偽記載」問題で東京地検特捜部による強制捜査の口火を切ったのも「鳩山由紀夫を告訴する会」という市民団体が東京地検特捜部に提出した刑事告発でした。

 「鳩山由紀夫を告訴する会」という市民団体が、2009年7月3日に民主党鳩山代表の政治資金管理団体の収支報告書に、故人や献金していない人の名義が記載されていた問題で、鳩山代表と会計責任者らを政治資金規正法違反(虚偽記載など)容疑で告発状を東京地検特捜部に提出してからです。

 不思議なのは、部外者である市民団体が内部情報である「故人や献金していない人の名義が記載されていた」事実を何故詳細に知っていたのかです。

 鳩山首相側近に内部通報者がいて検察・警察に情報を上げ、検察がこの市民団体にリークしたとしか思えないような事態です。

 大手マスコミはこの辺のからくりも十分知っていても報道しないのでしょう。

 ▲ 正体不明の市民団体

 さらに不思議なことは、刑事告発した3つの市民団体に関して代表者名も団体設立の目的も事務所の住所も活動経歴も一切公表も報道もされていないことです。

 実績のある普通の市民団体であれば、ホームページなどで代表者名や事務所住所や活動内容を公開しているはずですが、これら3つの市民団体はホームページもなく正体不明の「謎の市民団体」なのです。

 これだけ大きな事件に発展したのに告発した当事者の市民団体が正体不明とはいったいどうなっているのでしょうか?

 大手マスコミは当然ながら市民団体の正体を知っていますが、検察と市民団体側双方から「公表厳禁」を言い渡されていて、もしも報道したら「あらゆる手段で報復する」と脅かされて恐怖のあまり報道しないのでしょう。

 日本の大手マスコミのレベルはその程度なのです。

 ▲ 同じ日に告発した自民党政治家への違法献金容疑はボツ

 「鳩山由紀夫を告訴する会」が刑事告発した同じ日2009年7月3日に、作家の宮崎学氏は西松建設がダミーの政治団体経由で自民党の林幹雄国家公安委員長が代表を務める政党支部と藤井孝男元運輸相の資金管理団体に各100万円の寄付をしたとして、西松建設元社長国沢幹雄被告を政治資金法違反(第三者名義寄付)容疑で東京地検特捜部に告発しています。

 鳩山首相への告発は即刻受理されて強制捜査を開始したのに、同じ日に同じ自民党政治家への違法献金容疑で告発した件は未だ強制捜査に乗り出す気配もなく完全にボツにされています。

 この差は一体どこからくるのでしょうか?

 ▲ 市民団体と在特会との関係

 Twitterで重要な情報が届きました。

 (以下引用です)

 小沢一郎を告発した市民団体と、在特会の桜井誠氏、「博士の独り言」の島津義広氏が検察審査会へ小沢氏不起訴不当の審査申し立てをしたそうです。

 (引用終わり)

 もしもこの情報が事実であれば、これまでバラバラだった断片が一本の糸でつながっていることがわかります。

 1つは、3つの謎の市民団体と桜井誠氏(在特会代表)との関係です。

 小沢一郎幹事長を告発した市民団体「真実を求める会」と桜井誠氏(在特会代表)が検察審査会に「不起訴」不服申立てを一緒に行ったのですから、「真実を求める会」と桜井誠氏は「特別な関係」があることが分かります。

 3つの市民団体「鳩山由紀夫を告訴する会」「世論を正す会」「真実を求める会」はそれぞれ鳩山民主党代表(当時)と小沢民主党幹事長をターゲットにして東京地検特捜部に刑事告発しており、告発はすぐに受理されてその後の強制捜査の口火を切っています。

 3つの市民団体の基本情報が一切公開されず報道もされず一切不明である点、及び名称が非常に似ている点から考えますと、これら3つの市民団体は東京地検特捜部に刑事告発するためだけに促成に作られた運動実績のない「偽装市民団体」だということが推測されます。

 「真実を求める会」と桜井誠氏が「特別な関係」である以上、3つの市民団体と桜井誠氏及び「在特会」との間には特別な関係があることは容易に推測されます。

 おそらく3つの市民団体を仕切っているのは桜井誠氏だと推測されます。

 2つ目は「在特会」と検察・警察との関係です。

 「在特会」はここ1年程排外主義をむき出しにして全国で暴力的な直接行動を繰り広げていますが、検察・警察が彼らの暴力行為を取り締まったことはありません。  「在特会」は市民団体が開催する従軍慰安婦問題の展示会場に押しかけ無理やり中止に追い込んだり(東京都三鷹市)、ネットジャーナリストのリチャード・コシミズ氏の池袋の事務所と自宅にデモで攻撃したり(2009年10月1日)、京都の朝鮮初級学校に押しかけて「在日特権粉砕」などとマイクでがなり立てて生徒・教員・保護者に脅迫・脅しを繰り返しました(2009年12月4日)。  これら一連の「在特会」の暴力行為に対し、検察・警察は傍観して彼らのするままに任せて暴力行為や脅迫罪や威力妨害罪容疑で逮捕も強制捜査も訴追もしていません。  このことは「在特会」と検察・検察とのあいだに「特別な関係」があることが推測されます。

 3つ目は、検察と「在特会」桜井誠氏との関係です。

 「在特会」の暴力的な排外主義運動を容認して取り締まらない検察・警察は当然ながら在特会代表の桜井誠氏を「特別扱い」にしています。

 検察は「在特会」の排外主義右翼運動を容認する代わりに、鳩山民主党政権転覆のための偽装市民団体を作らせて捜査情報をリークして鳩山首相の「献金問題」と小沢幹事長の「西松建設不正献金」問題と「越山会土地購入資金」問題をでっちあげて刑事告発をさせ強制捜査の口実づくりをさせたのだと推測されます。

 今回の一連の検察と大手マスコミの異常な行動は政権転覆を目的とした「司法クーデター」だと思っていましたが、実は検察と大手マスコミに「在特会」が加わった、より大掛かりな「クーデター」だったことが分かります。

 おそらく、検察と「在特会」と大手マスコミの背後には、自民党清和会、公明党・創価学会、特権官僚、財界、統一教会、右翼・暴力団と米国支配層・CIAが深く関与してものと推測されます。

◇記者の「ブログ」「ホームページ」など 杉並からの情報発信です

    http://blog.goo.ne.jp/yampr7
    <杉並からの情報発信です

【オムニバス】大手マスコミはなぜ謎の市民団体の実態を報道しないのか?
【オムニバス】外国人参政権 “基本的に”大賛成だ
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【オムニバス】「検察vs小沢」:この構図では「政治とカネ」の問題を歪曲化しないか
【オムニバス】不公平な戦い−小沢VS検察
【オムニバス】人口の増減に地方の疲弊を見た



     http://tanakanews.com/100207afghan.php
     <ドイツ・後悔のアフガン>

ドイツ・後悔のアフガン
田中 宇
2010年2月7日

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 アフガニスタンに駐留するドイツ軍は、ほとんど基地から出ていけない状態が続いている。米英は、911事件直後の2001年10月にアフガニスタン侵攻し、タリバンを政権から追い出し、代わりに傀儡的なカルザイ政権を打ち立ててアフガン占領を開始したが安定を実現できず、アフガン人は反米傾向を強め、タリバンへの支持が再拡大した。窮した米英は06年、ドイツやカナダ、オランダなどのNATO諸国に支援を頼んだ。ドイツは約2500人を派兵し、米英に次ぐ駐留兵力数となった。

 しかし、その後もアフガンの不安定化は続き、タリバンの支配地域が拡大し、NATOは不利になった。ドイツやカナダは、米英から「すでにタリバンを抑え込んであり、今後は経済建て直しなどの国家再建の時期に入るので手伝ってほしい」と言われ、平和維持活動にたずさわるつもりで派兵した。しかし実際には、タリバンは抑え込まれておらず、ドイツやカナダの軍は、タリバンとの戦闘に直面した。(アフガンで潰れゆくNATO)

 ドイツ軍は、他のNATO諸国と異なる状況におかれている。ドイツは日本と同様、第二次大戦の敗戦国だからである。戦後のドイツは、いったん軍隊のない状態にされた後、冷戦が始まって西ドイツが東西対立の最前線となった1950年代に、米英の方針転換で西ドイツ軍(Bundeswehr)が再建され、徴兵制が敷かれ、NATOに加盟した。西ドイツ軍の任務は、憲法で「防衛」に限定されていたが、冷戦は実際の戦闘にならなかったので、西ドイツ軍の行動は事実上、災害復旧に限られていた。(Federal Defence Forces of Germany Bundeswehr From Wikipedia)

 冷戦終結後、西ドイツ軍は東ドイツ軍を吸収し(東欧諸国や英仏がドイツの軍事再台頭を恐れたため、吸収にあたって大量の兵器を東欧に売却させられた)、94年に憲法裁判所で、軍の任務である「防衛」の解釈が拡大された。それまでドイツ国内が軍事侵攻された場合のみに限定されていたのが、国外での紛争予防策を含む幅広いドイツの安全保障行為に改訂された。

▼防衛限定をタリバンに突かれて窮した独軍

 その後ドイツ軍は、NATO軍やEU、国連軍の一員として、ボスニア(EUFOR)、コソボ(KFOR)、ソマリアなどの平和維持活動に参加し始めた。ボスニアやコソボといった旧ユーゴは、かつてドイツの影響圏であり、ドイツ経済の後背地になりうるため、積極的な平和維持活動が行われた。

 ドイツは冷戦後、任務を平和維持活動に限定しつつ、国際機関の一員としてのドイツ軍の海外派兵を繰り返し、慎重に国際影響力の拡大を図った。ドイツは、米国が単独独覇権主義を掲げて行ったイラク侵攻とその後の占領は、国際機関によるものでなかったため参加せず、同様の理由でアフガン戦争にも行かなかった。だが、米国の依頼を受けてNATOが組織的にアフガン再建(占領)に協力することになったため、ドイツも4500人の枠を設定してアフガン派兵に踏み切った。この派兵枠は、コソボ派兵(2000人)の二倍以上で、冷戦後のドイツの海外派兵として突出した最大規模になった。

 前述のように、ドイツは憲法で軍隊の任務を「防衛」に限定しているため、なるべく戦闘をせずにすむ地域への駐屯を希望し、アフガンの中でも比較的タリバンが少なく安定していた北部地域に駐留した。しかし駐留開始後、アフガン全土でタリバンの反撃が強まり、北部でもタリバンがドイツ軍に対し、爆弾設置や自爆テロを含む攻撃を仕掛けてくるようになった。

 ドイツ軍司令官は、自軍の行動が防衛の範囲を超えることを恐れ、できる限りタリバンとの戦闘を避けた。かつてイラクのサマワに派兵された日本の自衛隊がとった態度と同じである。ドイツ軍は、できるだけ基地にこもり、基地の外にパトロールに出る時には、装甲車を連ねて走るだけで、基地外で兵士が装甲車から降りて歩くことはほとんどなかった。米軍幹部は「われわれはアフガンの村人と一緒に飯を食い、村人をタリバンから守るが、ドイツ人は怖くてそれができない」と揶揄した。

 ドイツ軍に戦意がないと見たタリバンは09年に入り、積極的に北部地域での攻撃を拡大した。北部の治安が悪化していくのを見て、北部地域のアフガン人の行政官は、ドイツではなく別の国の軍隊に来てほしいとNATOに要請した。米軍筋は「ドイツ軍は基地でビールを飲んでいるだけの役立たずだ」とマスコミに語るようになった。これは、日本の自衛隊がイラク駐留に固執したり、アフガニスタンに駐留したりしていたら、陥ったであろう事態でもある。

▼クンドゥス空爆事件は米軍にはめられた?

 ドイツにとって決定的な事態は、09年9月4日に起きた。この日、中央アジアのウズベキスタンから首都カブールに向けてNATO軍用のガソリンを運んでいた2台のタンクローリーが、ドイツ軍の守備範囲であるクンドゥス市内でタリバンに乗っ取られた。NATOの主要な補給路は、もとともパキスタンからカブールへの経路だったが、その経路が頻繁にタリバンに襲撃され、代わりの補給路としてウズベクからの道路が使われるようになったが、タリバンはそちらも襲うようになっていた。(Target Germany: A Second Front in Afghanistan?)

 乗っ取りの目的は、NATOの補給路を絶つことだったと考えられるが、ドイツ軍の現場司令官のところには地元諜報筋から「タリバンは、タンクローリーをドイツ軍基地に突っ込ませて爆破するテロを計画している」という情報が入っていた。装甲車から出られず、独自に情報収集ができない独軍司令官は、この情報に振り回され、基地に突っ込まれる前にタンクローリーを捕獲するか破壊せねばならないと考えた。

 米軍戦闘機の偵察により、ローリーは、クンドゥス郊外の川を渡ろうとして河床に車輪がはまり、立ち往生したことがわかった。現場は独軍基地から5キロしか離れておらず、のちに米軍司令官は「米軍なら現場に地上軍を派遣し、ローリーを奪回していたはずだ」と語ったが、ドイツ軍は戦闘を恐れ、タリバンがいる場所に歩兵を派遣することを躊躇した。すでに夜だったが、米軍機が撮った不鮮明なビデオ映像を米独で解析したところ、ローリーの周囲にはタリバン兵士がいるだけで、一般市民はいないとの結論になった。そこで独司令官は、米軍に頼んで戦闘機を出してもらい、ミサイルを発射してローリーを爆破した。(Kunduz: Did German Defense Minister Know More Than He Let On?)

 しかし実際には、タリバン兵は、ローリーが動けなくなったので、近隣の村に呼びかけ、ローリーの積み荷であるガソリンを人々に無料で配っているところだった。ポリタンクなどを持ったおおぜいの村人がローリーの脇に集まっているところに、米軍機が攻撃を加えて大爆発が起こり、一瞬にして150人近くが殺された。のちの調査で、このうち40人ほどが一般の村人とわかった。

 この事件の後、ドイツは国を挙げて激しい呵責の念に襲われた。戦後のドイツは、二度と戦争の人殺しをしないことを誓い、冷戦後の派兵は国際貢献のはずだった。アフガンに駐留しても、できるだけタリバン兵を戦闘で殺さないようにしていた。それなのに、独軍は米軍機に依頼して、タリバンを殺すよりもっと悪い、一般市民に対する虐殺行為をしてしまった。ドイツでは、アフガンからの撤退を求める世論が一気に強まった。(End of Innocence in Afghanistan 'The German Air Strike Has Changed Everything')

 私はこの事件について、ドイツ軍は米軍にはめられたのではないかとの疑いを持っている。米軍は、戦場のどさくさにまぎれて、同盟国の軍隊を困らせる策略を行ってきたふしがある。米軍は、独軍が情報不足なのを見越して、不鮮明な映像を示し、タリバンしかいないようだと示唆して、独軍が米軍に空爆を要請するように仕向けた疑いがある。イラクでは03年11月、米国に貢献する気持ちの強い外交官だった奥参事官らが自動車で走行中に射殺されたが、米軍が殺したという説が強い(日本のマスコミの一部は、奥を殺したのは米軍だと報じたが、外務省自身は国内の反米感情をあおることを恐れ、もみ消した)。

 米軍は、ベトナムでもイラクでもアフガンでも、初めから失敗が予測されている戦略を展開し、自滅的に失敗している。アフガンでは、タリバンを撲滅しようとする米軍の戦略が、逆にタリバンをアフガン社会の人気者にしている。米国の自滅策は、自国の覇権を自ら解体しようとする「隠れ多極主義」と考えられるが、その一環として米軍などは、英国が先導する同盟諸国による米国支援によって覇権解体がくい止められることに対する破壊行為をも行っている。その例が、ドイツ軍を窮地に陥れたローリー空爆であり、イラクでの日本外務省の積極性を大幅にそいだ奥殺害だったと考えられる。(Going 'deep', not 'big', in Afghanistan - Gareth Porter)

▼カルザイの不正をめぐる駆け引き

 09年夏、ローリー空爆と前後して、イタリア軍がタリバンにお金を払いって戦闘を回避していたことや、英国軍がタリバンとの戦闘を避けるための賄賂行為として、タリバン兵士群をアフガン南部から北部にヘリコプターで空輸していた(英軍は、タリバンの独軍攻撃を助長した)ことなどが発覚し、おまけに英軍のタリバン空輸の証拠写真を入手したニューヨークタイムスの現地スタッフが英軍の「誤射」によって射殺される事件も起きた。NATO加盟国相互の不信感と、世論の厭戦機運が強まった。(Has Italy Been Paying Off the Taliban?)(UK army 'providing' Taliban with air transport)

 米国は、911の「犯人」とされる「テロ組織」アルカイダが多く潜んでいると言ってアフガン占領を開始したが、米軍のマクリスタル司令官は昨年9月、アフガンにアルカイダがほとんどいないことを認めた。米軍は、占領を続ける意味がないことを自ら認めたことになるが、同時にマクリスタルは4万人の米軍増派をオバマに申請し、大筋で認められている。(Obama's Secret: Only 100 al-Qaeda in Afghanistan)(International Terrorism Does Not Exist)

 昨年8月にはアフガンの大統領選挙で、カルザイ陣営が大規模な不正を行っていることが発覚した。だが、11月のやり直し的な決選投票を行う直前に、対立候補が立候補を取り下げ、なし崩し的にカルザイの勝ちになった。これは、カルザイの政治信頼性を低下させた。カルザイは04年の選挙でも不正を指摘されたが、カルザイは米国が据えた傀儡なのだから、選挙不正は米中枢が了承(黙認)していたはずだ。(アフガニスタン民主化の茶番)

 何とか政権を維持したカルザイは、アフガン人の反米感情の高まりの中で、米国と自分との対立をことさらに見せることで、人気の保持を図った。アフガン占領の失敗がしだいに決定的になる中で、米政府内では国務省などに「カルザイの腐敗」を口実にアフガンからの米軍撤退を進めようとする勢力も出てきた。米政界では、米国の覇権を自滅させようとする勢力と、自滅策を途中で転換して覇権を維持しようとする勢力が暗闘しており、自滅を防止したい勢力が、アフガンからの撤退を模索したようだ。(Is the White House Signaling an Afghan Exit Strategy?)

 駐アフガン米大使のエイケンベリーは昨年10月「カルザイは米国にとって適切な伴侶ではないので、米軍はアフガンに増派すべきでない」とする報告書を、二度にわたってオバマ大統領に打電した。この提案をめぐり、政権中枢で激論があったが、結局オバマは3万人の増派を決めた。(Obama Ignores Key Afghan Warning)

 昨年10月にはアフガン南部で、英軍と交戦中にタリバンが民家に入ったため、オランダ空軍機がその民家を空爆し、住んでいた一般市民を殺してしまう事件が起きた。オランダでは連立与党内でアフガン駐留を続けるかどうかで激論が続き、結局2011年にアフガンから自国軍を撤退させることを決めた。カナダとニュージーランドも同様の決定を行った。(Dutch jet accidentally bombs Afghan civilians)(Canadian Forces Prepare for Afghan Withdrawal)

 アフガンは冬に厳寒となるので、戦闘は主に夏に行われる。昨年夏の戦闘はNATOが負け、タリバンの優勢が進んだ。タリバンは今や、夜間に国土の8割を支配している。昼間はNATO軍が戦闘機を出せるので、タリバンは隠れているが、夜は事態が逆転する。NATOがおさえているのは首都カブール周辺のみだ。歴史を見ると、かつてアフガンを支配した英国もロシアも、しだいに支配が失敗してカブールのみの占領となり、撤退に至っている。(Taliban Claims to Control 80% of Afghanistan)

 カブールでは、米大使館の警備などをする米軍傘下の傭兵団が、夜になるとタリバンの格好で武装して市内に出ていき「無許可の軍事行動」を行っていると報じられている。イラクでも、米傭兵団による市民殺害など不法行為が問題になった。こうした行為の放置が、どんな戦略に基づくのか不明だ。市民の反米感情をあおる自滅行為に見える。(US Embassy Guards Dress as Afghans, Go on Military Ops at Night)(米イラク統治の崩壊)

▼足抜けできないドイツ

 NATOは、アフガン人を訓練してアフガン政府軍と警察組織を創設し、治安維持任務を委譲して占領を終わらせる計画だが、これは成功しそうもない。訓練中の軍や警察の中に、タリバンの回し者が無数におり、アフガン政府の作戦内容はタリバンに筒抜けだ。戦闘になると寝返りが続出する。米国は、イラク人を訓練した時にも全く同じ問題に直面して失敗したのだが、全く懲りずに失敗を繰り返している。米政府は「アフガン軍を編成できなければ占領は失敗だ」と言うが、失敗はすでに決定的といえる。(Afghan Police Penetrated by Taliban at `Every Level')(Afghanistan's Sham Army)

 オランダやカナダが撤退するなら、ドイツも撤退できなくはないが、撤退すると「ドイツのせいでアフガン再建が失敗した」と米英などからいわれる。古くから英米の同盟国であるオランダやカナダは、英米の軍事行動に協力し、世論を説得できたら派兵し、厭戦機運が強まると撤退することを繰り返してきたが、ドイツは「敗戦国」の縛りを解除されてから日が浅い。アフガン撤退は、冷戦後のドイツが欧米内で築いた安全保障面の信用を崩し、国内的にも、海外派兵はもうごめんだという機運を作ってしまう。

 ドイツ政界の左派は、欧州から遠いアフガンに派兵すべきでないと前から言っていた。だが、ブッシュ政権時代の米国が、単独覇権主義や拷問容認など、欧州人に受け入れられない方針を採り、欧米関係が分裂してしまった後、何とか欧米関係を元に戻したいという考えがドイツ政界の右派にあったので、米国からアフガン再建を手伝ってほしい要請された時、ドイツ政府は断りたくなかった。

 結局、ドイツはアフガン撤退に踏み切れないが、米軍のように積極的な軍事行動をする気になったわけでもなく、中途半端に駐留を続けている。米軍は、アフガン北部に2500人を派兵する構えを見せ、使いものにならない独軍ではなく米軍が北部に駐留した方が良いと言わんばかりの行動をとっている。(Berlin Reluctant to Follow American Lead on Afghanistan)

 米国は、こうした意地悪をする一方で昨年末、ドイツ軍に2500人の増派を求めた。増派どころか撤退を求める世論が強いので、ドイツの国防相は昨年末「民主主義は、アフガニスタンにふさわしい政治形態ではない」と発言し、増派を断る姿勢を見せた。しかし、米国との関係を悪化させたくないドイツ政府は結局、800人の増派に応じた。ドイツ軍は不本意ながら、無意味と知りつつも、失敗色を強めるアフガンに駐留し続けねばならない。(Afghan Planning Faces Grim Realities)(German Defense Minister: Afghanistan Not Suited for Democracy)

 米国は、兵力増派による戦力強化によってタリバンに勝ち、アフガンを安定化すると言っているが、ドイツ政府は、その戦略は失敗すると考え、むしろタリバンとの交渉を望んでいる。ドイツに撤退されるとNATOが解体しかねないと恐れる英国は、米独の間を取り持ち、アフガン占領を立て直すため、1月末にロンドンに60カ国の代表を集め、アフガン関連諸国会議を開いた。(Is London Conference Becoming a Taliban Fundraiser?)

 この会議では「タリバンの下っ端の兵士たちは生活に困って兵士として雇われている」との分析から、日独などに金を出させ、下っ端の兵士たちを雇う失業対策事業を盛んにして、タリバンの軍事力をそぐ作戦の実行が決まった。しかし、この作戦もアフガンの社会構造を誤認しており、成功しそうにない。アフガンは前近代の部族社会が生きており、人々は個人の意志や生活事情から兵士になっているのではなく、部族や地域社会の大きな利害関係の中でタリバンに協力したり、敵対したりしている。タリバンの下っ端に渡した金は、部族連合体であるタリバンに上納され、敵を利するだけだ。(Spirits up as allies prepare Afghan offensive)

 このタリバン買収策と並行して、米軍主導のNATOはタリバンへの攻撃を再開する予定だが、NATOに攻撃されるほど、タリバンの部族連合は結束し、買収用にあげた金はNATOにとって良い効果を何ももたらさない無駄金となる。買収策をやるなら、戦闘をやめた上で行わねばならない。タリバン側は「外国軍が撤退しない限り、買収策など成功しない」と発表したが、これは正しい。(Taliban: Buyout Futile Without Foreign Pullout)

▼アフガンに必要な多極型解決

 NATOのアフガン占領は失敗に向かっている。タリバンは勢力を強め、NATOは陸路の補給路を断たれつつある。物資のすべてを空輸せざるを得なくなり、戦費がかさむ。すでにNATO軍がアフガンで使う燃料は、1リットルあたり10から100ドルの輸送費がかかっている。米軍は1日一人当たり80リットルの燃料を使う。オバマは財政緊縮策を発表したが、軍事費は対象外だ。金をケチりだしたらアフガン占領は続かないが、占領を継続する限り、米政府は米本土での教育費や社会保障費をいくら削っても、財政難は終わらない。(Afghanistan: 22 Gallons of Fuel Per GI Per Day; At $300-400 Per Gallon)

 財政難になっても米政府はアフガンで軍事行動をやめにくい。支持率が落ちているオバマは弱腰と批判されたくない。だが、武力に頼る限り、タリバンの優勢が進み、いずれ核保有国である隣国パキスタンの政権も反米イスラム主義に乗っ取られ、米軍との戦場になっていく。関係各国は、この最悪の事態を何とか防ぎたいが、流れを変えることはできていない。

 とはいえ、最近になって新たな動きが出てきた。一つは、中国が少しずつ関与を強めていることだ。2月初めにドイツのミュンヘンで、毎年恒例の「ミュンヘン安全保障会議」が開かれ、そこに史上初めて中国の高官(楊潔チ外相)が招かれ、開会式で演説を行い、米国やドイツなどの閣僚と相次いで会談した。今年のミュンヘン会議の主要テーマの一つはアフガン問題だった。(Chinese debut sets scene for Munich security talks)(台頭する中国の内と外(2))

 今年のミュンヘン会議には、インド、パキスタン、アフガニスタンも招待され、インドがパキスタンに高官協議の再開を提案した。印パ間の協議は08年のムンバイテロ事件以来止まっていた。同時にインドは、アフガン問題に関して、イランとの協調関係も強化している。アフガンをめぐっては従来、タリバンがパキスタン系で、その敵の北部同盟(タジク系など)がインド、イラン、ロシアに支援されていた。米国は1998年ごろを境にタリバン敵視に転じ、北部同盟と組んだが、同時に米国はイランを敵視し、ロシアをも警戒していたので、関係は複雑になった。(US welcomes Indian offer of talks with Pakistan)

 イランは近年、インド、中国、ロシアとの関係を強めており、印中露の3カ国はBRICとして協調している。アフガン占領が失敗色を強めるほど、NATOは中露やイランなど、これまで味方でなかった国々の協力を得ることが不可欠となる。その一例が、ミュンヘン会議への中国招致だったといえる。米国がイラン敵視をやめるかどうかは、イスラエルとの関係もあって不透明で、むしろイラン・イスラエル戦争の懸念も色濃いが、全体として、イラン、中国、ロシアといった非米諸国が入ってくると、アフガン問題は新たな解決の方に向かう可能性が強くなる。

 米軍はイラクから撤退する過程にあるが、米軍撤退後のイラクは、イラン、トルコ、シリアといった近隣諸国の協力を得て統一を維持する新たな国際体制が確定しつつある。同様にアフガニスタンも最終的には、印パ、中国、ロシア(中央アジア諸国)、イラン、サウジアラビアといった、近隣と周辺の諸国の協力によって、アフガンの統一と安定が維持される体制になると予測される。欧米も引き続き関与するだろうが、欧米と中露イランは、対等な立場でアフガンに関与するようになる。

 その事態に至るまでには、少なくともあと1−2年、米軍が軍事行動を拡大し、失敗していく過程が続くだろう。だが、いずれ米国は軍事力に依存する今のアフガン政策をあきらめ、中露イランの協力を得る新たな多極型の政策に転換する。その際に、国際政治全体の多極化が進むことになる。米軍司令官は最近「アフガンの戦争は今後1年半が正念場で、この戦争の結果は、今後数十年間の世界の安全保障体制を決定する」と語っている。この発言は、米軍が失敗した場合の世界体制の多極化を容認しているように見え、興味深い。(Next 18 Months Vital to Afghan War)

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以 上