折々の記へ

折々の記 2010 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】02/13〜        【 02 】02/13〜        【 03 】02/13〜
【 04 】02/13〜        【 05 】02/13〜        【 06 】02/13〜
【 07 】02/13〜        【 08 】02/13〜        【 09 】02/13〜
【 10 】02/13〜        【 11 】02/13〜        【 12 】02/13〜


<田中宇の国際ニュース解説>をクリックすること

【 07 】02/13

  02 13 田中宇の国際ニュース解説 F (2003年の記事一覧)

 02 13 (土)  田中宇の国際ニュース解説 F (2003年の記事一覧)

今までの国際ニュース解説の「冒頭のまえがき」を年代毎にさかのぼって載せて便利なものにしておきたい。

田中宇の国際ニュース解説 F (2003年の記事一覧)
世界はどう動いているか


フリーの国際情勢解説者、田中 宇(たなか・さかい)が、独自の視点で世界を斬る時事問題の分析記事。
新聞やテレビを見ても分からないニュースの背景を説明します。原則週1回の無料配信記事と、
もっといろいろ詳しく知りたい方のための会員制の配信記事「田中宇プラス」
(購読料は6カ月で3000円)があります。以下の記事リストのうち
◆がついたものは会員のみ閲覧できます。
有料配信「田中宇プラス」ぜひ登録を。


ボーイングの凋落と日本の可能性
 【2003年12月31日】 今後、世界で最も航空機需要が伸びるのは、中国を中心とするアジア地域である。そして、これまでアジアを支配してきたアメリカに、航空機メーカーがなくなる可能性がある。ボーイングがなくなったら、日本はエアバスの下請けをするのか。それだけが選択肢ではない。日本と中国、韓国などの重工メーカーが組み、かつて欧州諸国がエアバスを作ったように、アジアの航空機メーカーを立ち上げることも可能なはずだ。

帰ってきたブードゥー経済学
 【2003年12月27日】 今のアメリカ経済の苦境は、クリントン時代にふくらんだ経済バブルの尻ぬぐいをブッシュがさせられている部分がある。だが、悪化原因はそれだけではない。かつてブッシュの父親が「ブードゥー経済学」と呼んで批判した、減税政策と財政の積極赤字化策を組み合わせたレーガン時代のやり方を復活したことが状況を悪化させている。

アメリカの戦略としてのフセイン拘束
 【2003年12月16日】 今年5月以降、米軍がサダム捕獲に消極的なのを見て、イラクでは「ブッシュは自分の選挙のために役立つように、サダムを捕まえるタイミングを考えているのだろう」という噂が立っていた。米軍はサダムの動向をかなり前から知っており、戦略的な観点から捕獲をこの時期に決めた可能性がある。なぜこの時期なのかを考えると、アメリカがイラク占領の泥沼から抜け出るための手助けを独仏やロシア、アラブ諸国などに頼みに行ったジェームス・ベーカーの訪欧作戦との関係が気になってくる。

ネオコンの表と裏(上)
 【2003年12月14日】「CIAの分析は間違っている」「敵はもっと手強い。軍事費の積み増しが必要だ」と主張する軍産複合体(タカ派)は、折に触れて脅威を誇張するための「Bチーム」の手法をとった。最近の例は昨年、ネオコンが何とかしてイラク戦争を始めるために都合の良い諜報データだけをつなげる作業をした「特殊計画室」(OSP)である。ネオコンやタカ派は、冷戦時代から現在まで一貫して、危機を誇張してアメリカの外交政策を強硬的な方向に動かし続けてきた。

ネオコンの表と裏(下)
 【2003年12月19日】 2000年の大統領選挙が近づくにつれ、ネオコンとタカ派はもう一つの目標を実現させるために動き出した。それは「アメリカがイラクに侵攻してフセイン政権を潰す」ということだった。「単独覇権」と「先制攻撃」は軍事費の増大につながり、軍産複合体にとってプラスである一方「イラク侵攻」は、イスラエルのために働くネオコンが希求していた。ウォルフォウィッツらは、冷戦後の軍産複合体の利権のための理論を打ち立てた見返りに、イラク侵攻という果実を得た。

せめて帝国になってほしいアメリカ
 【2003年12月2日】 アメリカは、あと数カ月かけて西欧諸国を説得すれば、国連と西欧を傘下に置いたままイラク侵攻できたかもしれない。覇権維持のために戦争するなら、そうすべきだった。今回のようなやり方のイラク侵攻は、アメリカにとってやってはいけない愚かな戦争だった。それは開戦前から明白だった。ファーグソンは、第一次大戦へのイギリスの参戦は、自滅につながる全くの愚行だったと分析するが、同様にイラク開戦は、アメリカにとってあまりに愚かな行為だった。

世界大戦の予感
 【2003年11月27日】 戦争とは外交によって国際問題が解決できなくなったときに勃発することを考えると、アメリカがイラクに侵攻することで、中東地域で保たれていた微妙なバランスをうかつにも(もしくはわざと)壊してしまった以上、中東の問題は以前よりはるかに大きくなり、イラクから中東全域に戦争が拡大していく可能性が高まっている。

イスラエル化する米軍
 【2003年11月25日】 イスラエルの占領ノウハウは、パレスチナ人を怒らせ、テロを増やすノウハウであると感じられる。アメリカ軍がイラク占領の手法をイスラエルから学んでいることは、イラクでもテロが増え、民主的なイラクを作る方向から遠ざかっていることを意味している。ネオコンがイラク戦争を起こしたのは、イスラエルに占領ノウハウを頼らざるを得ない状況を作り、アメリカがイスラエルから離れられない状態にしたかったのではないか。

イスラエルは大丈夫か
 【2003年11月19日】 パレスチナ人は、いずれ多数派になった時点で、自前の国家を持つより、選挙権を獲得してイスラエルを政治的に乗っ取ろうとするだろう。イスラエルがそれを弾圧すれば、アパルトヘイト時代の南アフリカと同様、国際的に非難され、譲歩させられて、パレスチナ人の勝利に終わるだろう。ユダヤ人の国として作られたイスラエルは、その時点で消滅してしまう・・・

罠にはまったアメリカ
 【2003年11月11日】 米軍による統治が始まって数カ月たつと、しだいにイラク側からのゲリラ攻撃は巧妙になった。まるで、駐留米軍が十分にイラク国民に嫌われ、米軍兵士がかなり疲弊し、米国内で厭戦気運が高まるのを待っていたかのように、攻撃が強化洗練されている。これは、フセイン政権が最初から考えていたゲリラ戦の戦法だったのかもしれない。イラク戦争は終わっていないどころか、アメリカ側がどんどん不利になっている。

イスラエル右派を訪ねて(上)
 【2003年11月7日】 エルサレムから西岸の入植地アロンシャブートに移ってきたビデルボ夫妻は、入植地のラビと面接して信仰心が十分にあると認められ、引っ越してきた。「エルサレムに住む人々は冷たいが、入植地の人々は親切で信仰心にもあつく、とても住みやすい」と夫妻は言う。

マハティールとユダヤ人
 【2003年11月3日】 欧米から非難されても懲りないマハティールは、タイの新聞のインタビューの中で「世界の多くの新聞はユダヤ人が所有している。世界のマスコミが『イスラム教徒は全員がテロリストで、遅れたおかしな奴らだ』という間違ったイメージをばらまき、世界の多くの人々がそれを軽信してしまっているという現状の裏側にユダヤ人がいると考えることは、不自然なことではない」と反論した・・・

テロリスト裁判で見える戦争の裏側
 【2003年10月28日】 ムサウイは本来「次のテロ計画」を企てた罪で裁かれ、計画の実態が裁判を通じて世界の人々に対して明らかになるのが望ましい展開だった。そうすれば、アメリカの戦争に対して世界の人々が抱いている不信感を払拭することもできた。だが現実はその逆で、ムサウイは無罪になりそうなのだが、ここに落とし穴がある・・・

ガザ訪問記(上)
 【2003年10月20日】 ガザのパレスチナ人は、自分たちの現状を見に来てくれた外国人客に対し、非常に親切にしてくれる。町を歩いただけで、あちこちから声をかけられ「お茶を飲んでいかないか」などと誘われた。彼らは旅行者に対して喜んで市内を案内し、自宅に招いてくれる。そしてパレスチナ問題について、カタコトの英語で説明しようとする。

ガザ訪問記(下)
 【2003年10月20日】 ハンユニスの3日間で私が実感したことは、イスラム教というのは「コミュニティの宗教」だということだった。みんなで同じものを食べ、モスクに集まり、断食などの戒律を一緒に行うことにより、人々の中に一体感が生まれる。イデオロギーではなく衣食住に基づくだけに一体感は強い。宗教を個人的な問題にする政教分離をやると、この強さが失われる。そのため、イスラム教の指導者たちは、欧米型の政教分離や個人主義を嫌うのだと思われた。

柔らかくなった北京の表情
 【2003年10月16日】 北京の人々の表情からはぎすぎすした感じが抜け、生活に余裕が感じられるようになった。人々が最低限の生活を強いられ政治闘争も続いた文化大革命が終わった後、経済発展の時代が始まり、人々の表情から刺々しさが抜けていったのだと思われる。今の中国は「拝金主義」だという批判があるが、北京市民の表情から読み取る限りでは、社会主義より拝金主義の方がましなのだろう。

タリバンの復活
 【2003年10月1日】 タリバンを復活させてカルザイと連立を組ませようとする動きと、戦国大名にカネを渡して群雄割拠の不安定さを維持しようとする動き、ビンラディンを逮捕せずに放置しておく決定など、アメリカの中枢からは、アフガニスタンを安定させようとする方向の戦略と、不安定にしておこうとする戦略の両方が出ていると感じられる。

WTOの絶望と希望
 【2003年9月22日】 WTOで先進国の農業保護政策がやり玉に挙がるのは、先進国が農産物市場を開放すれば、その分だけ途上国が輸出を増やし、不当な南北格差を減らせるという理屈に基づいているが、これは正しくない。たとえば、韓国や日本がコメ市場を開放すると、まず入ってくるのはアメリカとオーストラリアのコメである。これでは途上国を助けるどころか、日韓が安全保障だけでなく食糧面でもアメリカの属国になる傾向を強めるだけだ。

人民元切り上げ問題にみる米中新時代
 【2003年9月16日】 ブッシュ政権は9月上旬、財務長官を中国に派遣し、中国政府に人民元を切り上げるよう圧力をかけるそぶりを見せた。ところがこれは「そぶり」だけだった。ブッシュを支持するアメリカの大企業の多くは、中国を生産拠点として活用しており、人民元が安いことが儲けを増やしていたため、ブッシュに「中国に圧力をかけるな」と求めた。

911事件と空港セキュリティ
 【2003年9月14日】 911事件のハイジャック犯が拳銃や爆弾を機内に持ち込んだということと、空港に出入りする職員や業者の検査が甘いということを合わせて考えると、犯人たちは業者になりすまして空港に入り、機内に入り込んだ可能性もある。アメリカの空港には、以前から麻薬を旅客機に乗せて運ぶ犯罪組織が巣くっていると指摘されてきた。問題は、このような麻薬取引組織に対し、捜査当局が見て見ぬふりをしてきたということである。

北朝鮮とミサイル防衛システムの裏側
 【2003年9月5日】 アメリカのミサイル防衛システムは迎撃能力に対する疑問が多く、テスト結果も思わしくないため、ブッシュ政権はシステムの拡大を思うように進められずにいる。そのため、本国で使えないパトリオットを日本などに売り込もうとしている。北朝鮮を「悪の枢軸」に入れたのも、そうすればミサイル防衛システムを米国内や日韓などに売り込むことができると考えてのことだったのかもしれない。

北朝鮮問題で始まる東アジアの再編
 【2003年9月3日】 北朝鮮の核兵器開発宣言は、戦争を誘発しなかった。むしろアメリカはその後、自ら北朝鮮と交渉することを避け、交渉の主導権を中国に与えた。中国は朝鮮半島に大きな影響力を持つことになった。中韓が協力して北朝鮮をなだめ、問題を解決できたら、中韓朝3カ国は親密な同盟体になるだろう。そのとき、アメリカは東アジアに対する影響力を失っている。北朝鮮問題を中国にやらせることは、汚れ仕事を下請けに押しつけるようなものではなく、逆にアメリカが東アジア支配から手を引く第一歩となる可能性が大きい。

バグダッド国連爆破テロの深層
 【2003年8月27日】 イラクの旧秘密警察ムカバラトは国連事務所の爆破テロに関して容疑を持たれて当然だ。だがテロ事件後、アメリカがとった対策は、予想とは正反対のことだった。テロから数日後「米軍やCIAだけではイラクで勃興するテロを撲滅できない」という理由で、米軍占領政府がムカバラトの旧職員を数百人雇い始めた、という報道が出た。これはまるで、警察が人手不足なので容疑者に犯罪捜査を任せる、というようなものである。

米軍の裏金と永遠のテロ戦争
 【2003年8月25日】 アメリカ国防総省が作った120兆円という裏金の額は、日本の国家予算総額の1・5倍だ。外部の誰にも知られずに「影の政府」を運営しているようなものだ。国防総省の予算増額は「テロ戦争」を背景としており、テロが盛んになるほど予算が増える。裏金を使ってテロリストを養成し、さらに国防予算を増やすという「永遠のテロ戦争」も不可能ではない。

戦争民営化のなれの果て
 【2003年8月23日】 イラク駐留米軍がひどい待遇に置かれていることには、はっきりした理由がある。国防総省は、イラク現地での米兵宿舎の準備から宿舎の掃除、兵士向けの物資や郵便などの配達、戦後のイラク国内の飛行場や港湾の整備まで、戦争の後方支援の一式を民間に委託したが、それがうまく機能せず全滅状態にある。その事業を請け負ったのは、チェイニー副大統領がかつて経営していた会社だった。

アメリカで大規模な選挙不正が行われている?
 【2003年8月19日】 アメリカでは選挙の投票が自動化され、有権者がコンピューターのスクリーンに触れる方法で投票が行われている地域が多いが、その投票マシンのプログラムに重大な欠陥があることが分かった。全米に普及している投票マシンで、すでに選挙不正が行われている可能性もある。

イラクの治安を悪化させる特殊部隊
 【2003年8月11日】 もし米軍の行動の一部がイラク人をわざと反米に傾けようとする意図で行われているとしたら、その目的は何か。そこで私が気づくことは、国防総省が主導するブッシュ政権が世界に対してとっている戦略が世界中の人々に反米感情を抱かせようとする「一強主義」であり、その小型版としてイラク人に反米感情を抱かせようとする戦略があるのではないか、ということである。

イラク駐留米軍の泥沼
 【2003年8月6日】 今後さらに治安が悪くなりそうだと考えると、イラクの治安維持に必要な兵力は、1000人あたり10−20人、総勢23万−46万人ぐらいだと考えられるが、今のアメリカには、それだけの兵力をイラクに駐留させる兵力と資金力がない。アメリカは国連に協力を仰がざるを得ない状況になっているが、国連に頼むのはブッシュ大統領にとって屈辱的なことだ。

戦争のボリュームコントロール
 【2003年8月1日】 911とともにアメリカが始めた「テロ戦争」は、人類を破滅させる総力戦ではなく、かといって平和な状態でもないという「とろ火の戦争」(低強度戦争)を冷戦のように長く続かせることを目的に開始された。だがブッシュ政権内のタカ派は、戦争装置のボリュームをもっと上げて「悪の枢軸」を次々と潰す大戦争を展開すべきだと主張し、低強度戦争を目指した中道派(かつての主流派)と対立した結果、アメリカの戦争相手は見えないテロ組織ではなく、アフガニスタンとイラクという国家にすり替えられた。

アメリカの属国になったイギリス
 【2003年7月29日】 訪米したブレアは議会で演説し「正義と民主主義を愛するアメリカ」を絶賛し、議員たちから拍手喝采を浴びた。だがその一方で、ブッシュに頼み込んだ軍事機密の供与は断られ「一強主義より多極主義がよい」「イラク復興は国連中心でやるべきだ」といったアドバイスも拒絶された。拍手のほかにブレアが受け取ったのは「俺たちと組みたいのなら偉そうにするな」という、アメリカのタカ派からのメッセージだった。

歴史は繰り返す? 湾岸戦争とイラク戦争
 【2003年7月22日】・・・ホワイトハウスの会議に出たパウエルは、パパブッシュ大統領が何としても戦争をやりたがっているのをみて、停戦案に再修正を加えた。それは、イラク軍の撤退完了までの期限を2日間に短縮することだった。こんな短期間ではイラク側が撤退できず、地上戦に突入せざるを得なかった。停戦案は地上戦を防ぐための案から、地上戦を行うための案に変身した。米軍の現地司令官たちを無視したこの変身によって、パウエルは「現実派」としてブッシュ家に重宝されるようになった。

静かに進むアジアの統合
 【2003年7月18日】 アメリカ市場が飽和状態なら「アジアが作った工業製品をアメリカが買う。アメリカの金融商品をアジアが買う」という相互依存は将来性がない。そのためアメリカは、アジアの経済統合を認める代わりに、アジアがアメリカ市場に頼らなくても経済成長していけるようにした上、その一方で為替を今よりかなりドル安に持っていき、アメリカの製品がアジアやヨーロッパでも売れるようにしてアメリカ経済を救う、というシナリオかもしれない。

「良きライバル」を求めるアメリカの多極主義
 【2003年7月15日】 911事件後のアメリカでは、一強主義を批判することは「愛国的でない」と攻撃され、論争が許されない状況があった。だが最近、イラク開戦前に英米がフセイン政権の軍事的脅威に関してウソの発表をしていたことが問題にされ、一強主義者に対する風当たりが強くなり、アメリカ政治の風向きが変わった。多極主義を主張する論争が復活したことは、フォーリン・アフェアーズやハーバード大学といった多極主義を信奉してきた機関が復権し、アメリカの政治が大政翼賛的な危険さから脱し始めた兆候と感じられる。

ミャンマー民主化をめぐる駆け引き
 【2003年7月8日】 ミャンマーの軍事政権は北朝鮮と同様、このままでは経済難から体制が崩壊するという恐怖感を持っており、アメリカから政権として承認されれば、世界から資金援助を得て政権を維持できると考え、アメリカとの対話を望んでいる。軍事政権は窮しているため、いずれミャンマーで再びスーチー女史と民主化をめぐる交渉が再開される可能性は高い。

チベットは見捨てられるのか
 【2003年7月1日】 チベット難民に対するネパールの政策が中国寄りになったり、インド(アメリカ)寄りになったりするのは、中国に対するアメリカの政策が揺れている結果であろう。チベット人は中国の圧政下で不幸な生活を送ってきたが、その一方で、圧政から逃れるためにはアメリカの世界支配の道具になることが必要だった。

カシミールでも始まるロードマップ
 【2003年6月24日】 アメリカがパレスチナ問題に続き、インドとパキスタンが対立するカシミール問題に関しても、和平の枠組みを示す「ロードマップ」を作って和平交渉を後押ししているふしがある。イスラム教徒が多い地域はパキスタン領に、ヒンドゥ教徒や仏教徒が多い地域はインド領にするという「チェナブ方式」と呼ばれる地域再編を行い、それが成功した暁にはパキスタンは核兵器やミサイルの開発を中止し、タリバンやカシミールのイスラム過激派を支援してきたパキスタン軍も縮小するという。

米中関係とネオコンの行方
 【2003年6月17日】 ブッシュ政権中枢の内部抗争は、ネオコンがイラク侵攻を戦勝に導いた時点で「ネオコン勝利」で終わったはずだ。だが、その後の現実は逆の方向に進んでいる。むしろパウエルら中道派は今もアメリカの外交政策を主導しているか、もしくは政権内での抗争はまだ続き、折衷的な外交政策がとられている。その一つの例が、6月1日の胡錦涛会談と、それに続くPNAC(ネオコン系シンクタンク)のブッシュ批判に表れている。

地下資源が煽るコンゴの内戦
 【2003年6月2日】 鉱山地帯を誰が抑えるかによって、コンゴで戦う各派閥の資金力のバランスが変化し、そのたびに中小の地元の武装勢力の間に寝返りが頻発し、内戦に決着がつかない状態が続いた。武装諸派は盗掘だけでなく、無政府状態が続いているコンゴ各地の村々で略奪を繰り返し、無抵抗の村人たちが虐殺されることが相次ぎ、死者が激増した。

ドル安ユーロ高とアジア
 【2003年5月28日】 日本や中国は、アメリカとの経済的な関係が国の繁栄の土台となっているので、イラク侵攻にも反対できなかった代わりに、アメリカが北朝鮮を武力侵攻する可能性も少ないことになる。北朝鮮と戦争すれば、日中や韓国の経済基盤が大打撃を受け、アメリカの金融市場を支えるアジアからの資金も失われてしまうからである。

キルクークの悲劇(2)
 【2003年5月20日】 イラク戦争によって、20年以上続いた不自由さから一気に解放されたクルド人たちは、適当な空き地を見つけるや、急いで家を建て始めた。今後、イラクが安定して新しい秩序が回復したら、勝手に家を建てることなどできなくなってしまう。それまでに家を完成させて住み始めれば、その家が公有地に違法に建てられたものであっても、新政府はそれを認めざるを得ないという考えが根底にあるのだろう。

キルクークの悲劇(1)
 【2003年5月16日】・・・ところがラザックが買ったその土地は、以前に政府がクルド人一家を立ち退かせて接収したものだった。フセイン政権による「アラブ化政策」によって、その一家はスレイマニヤに強制移住させられた。1991年、イラクが湾岸戦争に破れ、フセイン政権の終わりが近いと思われた時期のある深夜、武装したクルド人の男たち数人がラザックの家を訪れ、この土地は自分たちのものだから出ていけ、と迫った・・・

クルドの町スレイマニヤ
 【2003年5月12日】 クルド人の通訳バルザン氏は「わたしは古い世代なので、役所や学校の建物の上にPUKやKDP(という党組織)の旗ではなく、クルドの国旗が掲げられることを、ずっと夢見てきました。これからの若い人は、そんな夢を見ず、もっと現実的に対応するのかもしれません。でも私には、夢を見ることぐらいは許されると思うのです」と語った。

戦争を乗り切ったバグダッドの病院
 【2003年5月10日】 バグダッド市内に米軍が入ってきた4月6−7日には、米軍戦車が病院の3階部分に対して砲撃を加えた。米軍は、イラク側の無線交信などから、3階に共和国防衛隊の部隊がいることを察知したらしいが、部隊は直前に逃げ出して被害を免れた。砲撃を受け、職員は患者たちを屋外の空き地に避難させた。砲撃で自家発電装置も破壊されたため、病院は完全に停電してしまい、集中治療室に不可欠な人工呼吸器などが止まった。これによって、何人かの患者が死亡した。

「8月15日」状態のバグダッド
 【2003年5月8日】 学生の1人は「あまりに急にフセイン政権が崩壊したので、まだ夢の中にいるようで、何だか実感がない」と言った。民主主義だとかシャリアだとか、学生らが言っているいろいろなことを聞いた私が、今一つ現実感を感じなかった理由はそこにあると思われた。私は、これはもしかすると1945年の8月15日に日本人が体験したことと似たものを、今のイラク人は体験しているのかもしれない、と思った。

2世指導者たちの中東和平
 【2003年5月5日】 パレスチナ問題を解決することができれば、シリアのアサド大統領もヨルダンのアブドラ国王も、若葉マークを脱し、父親の時代とまったく違う新しい国際関係を達成した頼もしい指導者として見られるだろう。それは、もう一人の「2世」であるブッシュ大統領にとっても同じことである。

動き出すパレスチナ和平と外交
 【2003年4月29日】 穏健派であるパレスチナ側のアブ・マーゼン新首相は、現実的な選択として、東エルサレムも放棄し、イスラエルが作った防護壁の存在も容認し、西岸内部の入植地の存在も容認するかもしれない。そうなれば、ロードマップが破綻せずに進むことになるが、その場合、ハマスやイスラム同胞団といった過激派が武力に訴えずに終るかどうか。

動き出すイラクの宗教と政治
 【2003年4月22日】 イラクでシーア派の政権ができても、それがイランのような反米のイスラム主義になるとは言い切れず、むしろこれまで権力の中枢にいたバース党の勢力が行政技能を武器に再び台頭してくるのを防ぐため、シーア派はアメリカや国連を必要としている点を考えると、反米になりにくいのではないか。

北朝鮮に譲歩するアメリカ
 【2003年4月19日】 北朝鮮がすでに核弾頭を持っているかどうか、日米韓ははっきりした結論を出していない。これは、わざと結論を明確にしないことで、北朝鮮をとりあえず交渉の場に引っぱり出そうとする意図がありそうだ。すでにアメリカも韓国も日本も、たとえ北朝鮮が核弾頭を持ってしまっても容認せざるを得ない、という態度を表明している。

ブッシュの「粗暴」なパレスチナ解決策
 【2003年4月16日】イラクに侵攻するときのブッシュの粗野な単純さは世界の人々を怒らせ、絶望させたが、パレスチナ問題に対してもブッシュは新しい和平案「ロードマップ」をぶち上げ、同じような粗野で単純な解決策を目指そうとしている。ブッシュがこの方向で突進し続ければ、世界の人々のかなりの部分が一転してブッシュを支持し、彼の粗暴さを愛するようになり、彼が2005年にロードマップを完成してパレスチナ国家を無事に成立させることができるよう、来年の選挙で彼が大統領に再選されることを望むようになるかもしれない。

消えたイラク政府
 【2003年4月11日】・・・郊外からキルクーク市内に向かう道路は、武装勢力と、それに続く一般のクルド人たちの車の列ができ、大渋滞になった。反対車線には市内から撤退するイラク軍の車が延々と続いていた。市内に入る手前にイラク軍が作った原油の堀があった。これは米軍が迫ってきたときに点火して黒煙を発生させ、米軍の進軍を妨げようとする軍事施設だったが、イラク軍はこの堀に点火しないままキルクークを去った。結局、市内で戦闘は全く行われなかった。

諜報戦争の闇
 【2003年4月8日】イラクがニジェールからウランを買った根拠とされた偽造文書を誰が作ったのかということは謎だったが、それ以上に謎だったのは、諜報のプロではないIAEAが数時間で見破れた偽造に、米英政府の諜報機関がまったく気づかなかったのはなぜか、ということだった。米英高官の中に、根拠となる文書が偽造だと知りながらブッシュやブレアにウラン問題を語らせた者がいるのではないか、という疑惑が湧き出した。

イラク戦争とブッシュ大統領の信仰
 【2003年4月5日】 私の予測で間違っていた点は「ブッシュ大統領が合理的な判断をするはずだ」と考えていたことだと思われる。ニューヨークタイムスのクリストフは、ブッシュがどうしてもフセインを倒さねばならないと考えている理由は、ブッシュが大人になってからキリスト教の信仰に目覚めたことと関係しているのではないかと書いている。ブッシュが「自分が大統領になれたのは、神が自分に悪の化身フセインを倒し、中東の人々を救う役割を与えたからに違いない」と信じ込んでいたのなら、中道派が大統領を説得しても無駄なことだ。

見えてきた911事件の深層
 【2003年3月27日】 インドとパキスタンのいくつかの新聞は「ISIのマフムード長官の指示で、911事件の実行犯のモハマド・アッタに10万ドルが送金されたことが分かった」と書いている。パキスタン当局であるISIは、もともと組織的にタリバンを支援しており、タリバンとアルカイダは一心同体であったが、ISIはタリバンやアルカイダを支援していただけでなく、911事件の黒幕でもあったことになる。

イラク侵攻のリスク
 【2003年3月18日】 中道派は、フセインの首を絞めて殺そうとするしぐさをしながら、実際には手に力を入れていなかった。そこにタカ派がやってきて、俺も手伝うよと言いながら、本気でフセインの首を絞め出し、大統領もそれに乗ってしまった。中道派の方は、いまさら「本気で殺す気ではない」などと言えないので、いろいろ抵抗したが、最後には開戦に方針に従わざるを得なくなった、というのが私の仮説だ。

ビンラディン逮捕劇の怪しさ
 【2003年3月15日】 ブッシュ政権は今、イラク侵攻することも撤退することもできない袋小路に入っている。そこから脱するための突破口として「ビンラディンの逮捕もしくは死亡確認」というニュースが使われる可能性がある。

イラク侵攻とドル暴落の潜在危機
 【2003年3月11日】 アメリカに背を向けたドイツ、フランス、ロシア、中国、韓国などの国々は、アメリカを外した「新国際社会」を作ることへと移行するかもしれない。アメリカに無視された国連は、アメリカ抜きの新国際社会の要となるかもしれない。その場合、その基軸通貨は「ドル」ではなく「ユーロ」であろう。

反戦に動き出したマスコミ
 【2003年3月5日】 ・・・もしオブザーバーの記事が真実を突いていて、しかも今後1−2カ月のうちにブッシュ政権がイラクに侵攻できなかったら、ウォルフォウィッツらが仕掛けた巨大な「悪事」が次々と暴露されていき、911事件の真相も公表されていくかもしれない。迷宮入りしたエンロン事件も再び吹き出してくるだろう。ブッシュ政権は退陣に追い込まれるかもしれない。ブッシュがそれを防げる方法はただ一つ。イラクに侵攻することである。

暗雲たれこめる東アジア
 【2003年2月24日】 在韓米軍の縮小は、以前から取りざたされていたものだが、中道派的な縮小と、タカ派的な縮小は、中身が180度違う。中道派による在韓米軍縮小は、北朝鮮に対する宥和策と抱き合わせで少しずつ行うもので、北朝鮮の警戒を解き、朝鮮半島を安定させるためのものだ。タカ派による在韓米軍縮小は、北朝鮮を煽りつつ、韓国側が対立を煽る米タカ派に文句をつけてきたところで一気に米軍を韓国から引き揚げ、北朝鮮をさらに煽って「第2朝鮮戦争」の瀬戸際まで東アジアを持っていこうとする戦略だ。

立ち上がるヨーロッパ
 【2003年2月17日】 ドイツとフランスは、今後政治統合の強化する予定だが、その動きはアメリカによる欧州分断作戦を受けたことで加速しそうだ。アメリカが理不尽な強硬姿勢に出る以上、欧州側は急いで団結せざるを得ない、とはっきり言うことができるからだ。アメリカは、警戒すべき欧州統合をわざわざ進めてしまい、墓穴を掘っていることになる。

イラク侵攻をめぐる迷い
 【2003年2月10日】 パウエル国務長官に対する「失望」が広がったのは2月5日、イラクがまだ大量破壊兵器を隠し持っているとアメリカが主張する根拠となる「証拠」について、国連で演説したときだった。だが、パウエルの主張はあまりに稚拙だったので、私は逆に勘ぐった。パウエルはわざとアメリカに対する信頼を損ない、世界の反戦運動を煽って、ネオコン主導で進められてきた開戦準備を止め、戦争を回避したいのではないか、という仮説が私の中に生まれた。

イラク日記(7)劣化ウラン弾の町
 【2003年2月4日】 バスラ周辺では、劣化ウラン弾が原因とみられる白血病やガンに冒された子供たちが毎日亡くなり、子供用の墓地に埋められる。今日は墓地の土の上で元気に遊んでいる子供たちも、いつ冷たくなって土の下に埋まる状態になるかもしれない。そんな状態なのに、子供たちは明るく全力で遊んでいる。それは衝撃的という表現を超え、不思議な光景だった。

イラク日記(6)庶民生活
 【2003年1月28日】 イラク政府は全国民に対し、毎月9キロの小麦粉のほか、コメ、植物油、砂糖、塩などを配給している。それらを加味しても、月給5万ディナールでは、食べるだけがやっとだろう。「公務員の月給だけでは、安い野菜は買えても、肉を全く口にできない」とガイドのフセインが言っていた。1ディナール1円の物価水準で計算しても、肉は100グラム450ディナールだから、日本の3−5倍の値段ということになる。

イラク日記(5)シーア派の聖地
 【2003年1月24日】 バクダッドのカズミヤ廟モスクは、建物はイスラム様式で、日本の寺社とは全く違う。だが、人々の信仰形態の雰囲気の中に「浅草」や「善光寺」が感じ取れ、さらにシーア派の聖者「イマーム」と「弥勒菩薩」の源流が同じと分かったとき、日本の古代信仰とペルシャの古代信仰はつながっていて、それがシーア派の中に息づいているのだと感じられる。

イラク日記(4)バクダッドの秋葉原
 【2003年1月17日】 経済制裁で新品の部品が輸入できないため、イラクではジャンク市場(中古部品市場)が発達し、人々は知恵を駆使してパソコンや自動車を修理している。パソコンショップの若い店長は「経済制裁は私たちを苦しめているが、その一方で制裁は、私たちの対処能力や実用的な技術力を向上させている。私たちを潰したいアメリカの制裁が、実は私たちを鍛えて強くしてくれているんですよ」と言って笑った。

イラク日記(3)表敬訪問
 【2003年1月12日】 最前列のベールをかぶった子はクラスの優等生らしく、先生の示唆に従って上手に発言し、クラスをリードしていく役を担っていた。この子の発言のあと、堰を切ったようにあちこちから手が上がり、フセイン大統領がいかに立派に国をまとめているか、ブッシュがいかに血に飢えているか、アメリカがイラクを占領したいのは石油を奪いたいからだ、など「親サダム・反米」の方向で次々に生徒たちが発言した・・・

イラク日記(2)バクダッドへの道
 【2003年1月10日】 ヨルダン国境から3時間ほど入ると、ユーフラテス川の流域に入り、景色は荒野から農村に変わった。高い椰子の木が茂り、畑や牧草地が連なっていた。イラクは一定の食糧を自国内で確保できる国なのだった。その点は、ほとんど砂漠だけのヨルダンやサウジアラビアと違う有利さだ。石油も食糧もあるとなれば、強国を作ることができる。中東を分割支配したいアメリカがイラクを警戒する理由がここにある、と思った。

イラク日記(1)大使館訪問
 【2003年1月6日】 イラクは世界の石油埋蔵量の11%を保有している。採掘して運び出すだけで、全国民が新品の日用品を十分に買えるようになるはずだ。それなのに現実には、ビザをとりにきた日本人に、書記官が中古の品々を詰めたかばんを託している。アメリカは「サダム・フセインが悪いからそうなるんだ」と公言し、その言葉を信じた「善良な」日本人が「フセインに鉄槌を」とばかり、嫌がらせ書記官室の電話を鳴り響かせている。私には、何かおかしいと感じられた。

------------------------------------------------------------------------------------------------------

これより前の記事(2002年の記事)

【はじめに戻る】