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続折々の記 2018⑧
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学而第一 大脳活動の根本
人間の頭はコンピユーター
コンピューター能力は0歳に近いほど高い
三種類の記憶
神経回路の開き方
【 03 】08/15~
08 15 (水) 学而第一 大脳活動の根本
今年の気象は異常も異常 !!! これほどの気象変化は経験したことはない。 人為による大気圏での温暖化の結果生じたと言ってもいい。
それなのに、八月の三日夜、チィチチチチッ チィチチチチッ とか弱いながら虫の声が聞こえてきた。 例年七夕前後には秋を知らせる虫の鳴き声がしていた。 今年のこの暑さでさえ、小さな虫は泣き始めたのだ。 彼らはどのようにして季節の到来を認知しているのだろうか?
一昨日は小諸の親子が来てくれた。 孫は大きくなって立派な娘になった。 老生は心から嬉しかった。
青春真っただ中の孫に、大脳の働きについてやさしい語り口で分かり易く、いつも話ができるとは限らないので話をしてあげた。
中核としたのは論語冒頭の学而第一でした。
学而第一 (検索結果)
約 381,000,000 件 (0.30 秒)
① 論語 学而第一 16文の漢文と現代訳 | 論語(ろんご) 20編、512文 ...
http://lunyu.lightswitch.jp/?eid=2
論語 学而第一(がくじ) 16文の漢文と現代訳. 論語全文(漢文、訳) : 2014.08.28 Thursday. ここでは論語の第一編 学而第一(がくじ)の漢文、読み仮名、現代語訳を紹介します。
② 学而第一 001
http://www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/s-01-001.htm
習慣は第二の天性と云われます。習慣には「思いの習慣・意(い)」、「言葉の習慣・口(く)」、「行いの習慣・身(しん)」の3種類がありますが、習慣のこわい所は、良きにつけ悪しきにつけ、知らず知らずいつの間にか本人の一部になってしまうことではないでしょうか。
③ 学而第一
www.niigata-ogawaya.co.jp/rongo3/m-001_2.htm
学而第一 .... これらを実行してまだ余力があったら、古典を学んで豊かな教養を身につけなさい!」と。 【解説】 孔子は、何が何でも勉強しろ!教養を身につけろ! ... 一つは、分け隔てなく人々を愛して、愛情深い人をお手本とする。 ここを抑えた上で豊かな教養を ...
④ 学而 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%A6%E8%80%8C
学而(がくじ)とは、『論語』の第1番目の編(章)。順序を表す「第一」を加えて学而第一(がくじだいいち)とも言う。 目次. 1 構成; 2 内容; 3 脚注・出典; 4 関連項目. 構成[編集]. 以下の16の節から成る。 子曰:「學而時習之,不亦說乎?有朋自遠方來,不亦樂乎?
⑤ 論語:学而第一:1 子曰學而時習之章(現代語訳・書き下し文・原文) - Web ...
https://kanbun.info/keibu/rongo0101.html
このページは『論語』「学而第一:1 子曰學而時習之章」の現代語訳・書き下し文・白文(原文)・注釈を掲載しています。
⑥ 論語:学而第一(001~016)(現代語訳・書き下し文・原文) - Web漢文大系
https://kanbun.info/keibu/rongo01.html
このページを訳すこのページは『論語』「学而第一(001~016)」の目次を掲載しています。
⑦ 論語『学而時習之(学びて時に之を習ふ)』解説・書き下し文・口語訳 / 漢文 ...
manapedia.jp/text/1854
中国の思想家孔子が述べたものを弟子たちがまとめたもの、それが論語です。ここでは、論語の第1章「学而第一」の中の「学びて時に之を習ふ」の解説をしています。論語の中でもとても有名な一説です。 白文 子曰。 「学而時習之。不亦説乎。 有朋自遠方来。
⑧ 論語 学而第一 1~2 / 漢文 by 春樹 |マナペディア|
manapedia.jp/text/127
論語 学而第一の第1-2の現代訳です。 【原文】 1:子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。 2:有子曰。其爲人也孝弟。而好犯上者。鮮矣。不好犯上。而好作亂者。未之有也。君子務本。本立而道生。孝弟也者。
⑨ 論語 学而第一『子曰。學而時習之。(学びて時に之を習ふ)~』の書き下し文 ...
manapedia.jp/text/1794
このテキストでは、孔子の教えをまとめた書論語の中の一説、『子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。』の書き下し文と現代語訳についてみていきます。学而第一の最初に記されているものです。 「学びて時に之を ...
⑩ 論語・学而 第一(白文・書き下し文・現代語訳) - 学ぶ・教える.COM
www.manabu-oshieru.com › 大学受験 › 漢文 › 論語
論語、学而 第一の白文、書き下し文及び現代語訳のページです。論語を分かりやすい現代語訳で紹介していますので、授業の予習・復習や受験勉強、自己啓発などにお役立てください。
※ 学而第一に関連する検索キーワード
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Google で学而第一を検索すると上記のようなサイトが出てきます。
また「学」の語源を調べていると、次のことがわかりました。
漢字の語源「学」 https://ameblo.jp/happy2525tkg/entry-11337886003.html
学のもとの字は「學」と書きます。
古代文字(金文)で書くと「漢字の語源を一緒に学ぼう♪-120825_2125~01.jpg 」と書きます。
左上と右上のフォークのような形は、左手と右手を表しています。 真ん中の♯(シャープ)のような形は、爻は「カフ」という音を表して読まれていましたが現代は「ガク」とよまれるようになりました。意味は、「マネをする」という意味です。
子は、昔、男の子を表していたそうです。 {例:聖徳太子・ おのの妹子}
学とは、屋根のある建物の中で手取り足取り教わり、五感をフルに使ってマネをすることだったそうです。
古代中国の孔子の時代では、体を使って「礼」と「詩」を学んでいたそうです。 具体的には、舞や謡(うたい)のようなものを学んでいたようです。 学の語源を調べて、五感をフル活用してマネをするということを知りました。
「まねる」という意味を調べていて、次のことに出会いました。
真似る 意味
ま‐ねる【真似る】 《下一他》ほかのものに似せてする。 模倣する。 みならう。 「ピカソの絵を―」
大辞林 第三版の解説 まねる【真似る】 ( 動ナ下一 ) [文] ナ下二 ま・ぬ 行動・様子などが他の人や物と同じになるようにする。 模倣する。 まねをする。 「話し方を-・ねる」 「文体を-・ねてかく」
おぼえる方法を検索してみると、こんなことも出ています。
「覚えたいことを、覚えたいときに、覚えたいだけ」記憶するコツとは (私は記憶するというときは「憶える」を使い、五感でわかるときを「覚える」を使っている)
https://next.rikunabi.com/journal/20171106_m/
ふつう学習というときの習はならうと読み、同じことを繰り返すことが正しい理解です。 長い解説をしているので、開いて読むとよい。
初めて論語を学んだ時、学習の学は「まなんでならう」ことで「学ぶ」というのは「まねる」ことが元になった言葉だと教わりました。 「習う」とは羽の下に自と書いた文字が元で、小鳥が巣立つときには誰の手も借りることはできないから自分で羽をバタバタして大空を飛べるように繰り返したことが、その意味だと教わりました。 その時はただ「フゥーン」と聞き流していたのだが、教職についてからこの意味を理解することができるようになったのです。 まだ20代の時「100点を取る方法を教えてやろう」と話しかけたことがある。 「いいか、知りたいか」という誘導に乗っかって「ウン、ウン」と中学生は若い先生に注目したのです。 「それはなぁ、教わったことをそっくり真似をして答えればいいんだ」、「ナーンダ」生徒はその答にこう反応したのです。 ふつうは話を聞き流すのです。 「ナーンダ、あたりまえじゃないか」 確かにあたりまえで嘘ではない。 「そんなことは分かっておるわ」と反応する。
「論語読みの論語知らず」という言葉がある。 まさに「100点をとる方法」そのものではないか。
生徒を揶揄 しての話しかけではなかった。 そのあとの談義は、至極簡単であった。 「それを実現したかったら、真似を繰り返せばいいんだ」これが自分では生徒に実行してほしい願いだった。
今になって思えば、これだけをポツンと話して願っただけでは足りないことに気づき申し訳ない、と言い訳がましい思いがしている。 繰り返しだけの言葉ではなく、その方法とか条件とか具体事例とか「繰り返し」を成功させるための一つ一つを説明してわかってもらわなければならなかった。
学ぶということが、自分の考えの世界を築くためには大事な要素になっていたことが分かってきたから、論語を引っ張り出したのです。
少し理屈っぽくなりますが、幼児が自分の人生を築きていく学びについて、母親や家の者はどう対処していったらいいかをまとめようと思います。
長いこと教壇に立っていると、「親に似ぬ子は鬼子」という諺がそのまま実感として確信されます。 パソコンで検索するとあるわあるわ。 自分で見てください。
やがて結婚して子育てしてみると「子を持って知る親の恩」、さらに親がなくなると「孝行のしたい時分に親はなし」「(さればとて)石に布団は着せられず」 という諺の一言ひとことが身に迫ってきます。 諺はウソも誇張もなく長年の風雪に耐え抜いて伝わった庶民感覚伝承の珠玉だと思います。
Weblio辞書(https://www.weblio.jp/)を開いて
試しにWeblio辞書を開き、「親に似ぬ子は鬼子」を見て ‘親に似ぬ子は鬼子の意味 鬼に関連することわざ - Weblio辞書’ へジャンプすると、解説のほかに ‘» 親’ がある。 今度はそれをクリックすると、
親の心子知らず 親の因果が子に報う 親は無くとも子は育つ 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない 親と月夜はいつもよい 親思う心にまさる親心 親の光は七光 親の臑を嚙る 親の顔が見たい 親に似ぬ子は鬼子 親の欲目
と出ており、さらに「親に似ぬ子は鬼子」に関するほかの成句」を開いてみると、
親の心子知らず 親の因果が子に報う 親は無くとも子は育つ 親の意見と茄子の花は千に一つも無駄はない 親と月夜はいつもよい 親思う心にまさる親心 親の光は七光 親の臑を嚙る 親の顔が見たい 親に似ぬ子は鬼子 親の欲目
という諺も出ています。
これらの諺に目を通していて、吉田松陰の辞世の句を思い出してみると、
親思う心にまさる親心 けふのおとずれ何ときくらん
この句はそのまま松陰の心の内を物語る真情だったことがよくわかります。
また、人が一番気をつけなければならないことの一つに、親の言うことを聞きなさいとかウソを言ってはいけないとか自分がしてほしいことを相手にせよということがあります。
この訓戒は世界中の金言として知られている大切な心掛けなのです。 これは黄金律と言われています。
このことについて思い出すのは、TV放映です。 それは、とある旅館を舞台としてでしたが、玄関から入ったとこで目につく扁額に「来者如帰」という言葉がありました。 なじみになった客が女将に尋ねる場面が出ていました。 それで女将は「お客様が来てくれた時には、自分の家に帰ったようにくつろいでほしい」そう願ってかかげてあるのです」こんな風な説明でした。 TVを見ていて心の奥にしみるようなもてなしの心があふれていたのです。
検索で出ているかなと思って「来者如帰」を調べてみると、次のことが分かりました。
柊家
来者如帰
玄関に掲げられた額に書かれたこの言葉。我が家に帰って来られたように、くつろいでいただきたい。私ども柊家は、創業以来、この心を大切に守り伝えて参りました。
旅のひとときをお過ごしいただく場所ではございますが、京都を訪れる人々に、安らぎの時をお過ごしいただくように今も昔も変わらぬおもてなしの心と共に、皆様をお迎えいたします。
柊家の由来と歴史
時は幕末文政元年(1818)、福井から青雲の志を抱き京に上った先祖がこの地を構え、運送業、海産物商を始めたのが柊家のはじまりです。その名の由来は下鴨神社の境内にある比良木神社。邪気を祓う柊の木が自生するこの神社に先祖は深く帰依し、それになぞらえ屋号を「柊家」と致しました。その後二代目定次郎は本業より柊家政貫と号するまでに鍔目貫の技に長じ、そのため請われるままに提供していた宿を文久元年(1864)に本業と致しました。幕末の志士達、明治時代からの皇族方、文人墨客の方々をはじめ、戦後は国際観光の進展に伴い海外のお客様もお迎えし、二百年近い伝統を大切に、京の宿として今日に至っております。
川端氏寄稿文
京都ではいつも柊家に泊まって
あの柊の葉の模様の夜具にもなじみが深い。
京に着いた夜、染分けのやはらかい柊模様の掛布団に女中さんが白い清潔なおほいをかけるのを見てゐると、なじみの宿に安心する。遠い旅の帰りに京へ立寄った時はなほさらである。柊の模様は夜具やゆかたばかりでなく、湯呑や飯茶碗などの瀬戸物にもみだれ箱や屑入れなどにも、ついてゐるのだが、ひの柊は目立たない。またそれらの調度は、十年、二十年、戦時も戦後も変らない。ずいぶん多く用意してあったとみへる。
この目立たないことヽ変らないことは、古い都の柊家のいヽところだ。昔から格はあっても、ものものしくはなかった。京都は昔から宿屋がよくて、旅客を親しく落ちつかせたものだが、それも変りつつある。
柊家の万事控目が珍しく思へるほどだ。
京のしぐれのころ、また梅雨どきにも、柊家に座って雨を見たり聞いたりしてゐると、なつかしい日本の静けさがある。私の家内なども柊家の清潔な槙の湯船をよくなつかしがる。私は旅が好きだし、宿屋で書きものをする慣はしだが、柊家ほど思ひ出の多い宿はない。
京の名所や古美術なども、この宿を根にして見歩いた。浦上五堂の「凍雲篩雪」を入手したのも、この宿でめぐりあってだ。政治家や財界人ばかりではなく、画家や学者や文学者にも、昔から親しまれた宿として、柊家は古都のひとつの象徴であろう。私は京阪の他の宿で泊まった後でも柊家へ落ち着きにゆき、中国九州の旅の行き帰りにも柊家に寄って休む。玄関に入ると「来者如帰」の額が目につくが、私にはさうである。
川端康成
柊家について長いこと取り上げましたが、「来者如帰」の中身はいろいろ含まれていることに気づきます。
この言葉が意味する中身というのは、これは宿に限らず元になっているのは誰もが生まれ育った家の中の在り方にあるということでした。
黄金律をいろいろとみていると、人を大事にすることが中核になっていることに間違いはありませんでした。
それは将 に母親が赤ちゃんを育てる姿そのものだということだった。
母こそが人の鏡、すべての中核は子育ての母親の心だと言ってもよい。
このように考えてきた筋道は、孔子の話の中にも出てきます。 孔子は自己をおさえて、自然にルールに従うようになれば最高の共同生活ができるのだとお話をし、また一生守りたい心がけは 人が嫌がることをしないことだよ と話しています。 儒教ではこれを仁といい、恕と言っています。
家族、友人関係、同郷の人、そして会社の同僚、国を構成している人びとはどうしたら共同生活を円満に営むことができるかという共通の命題を持っています。 「まず許し合うことだ、そして自分のいやだと思うことは、人に対してもやらないことだ」というのです。 人に嫌な思いをさせないように心掛ければ、きっと自分にとっても暮らしやすい世の中になるというのです。
子育ての母は赤ちゃんに嫌な思いをさせず気持ちよい笑顔にさせることが、自分にとっても最高の喜びになるのです。
2000年も昔の人たちは、集団生活の中の大事な教えとして、母親が赤ちゃんを育て上げる心がけこそ最重要の約束事にしたかったのだと私は思います。
赤ちゃんは自分のすべてのことを築こうとするもの凄い能力をもって生まれてきます。 赤ちゃんがすべてを学べる豊かな質とできる限りの量を用意してあげることは、家庭の大きい責任なのです。
子育てには母親がいかに大事なのか考えを進めてきますと、心の持ち方だけではなく赤ちゃんをどのように育て上げていったらいいかが大事な課題になってきます。 具体的な内容としてはどんなことを身につけさせていったらいいのかということになります。 これも手抜きするわけにはいきません。
漢字の単語で言えば、人としての品格、正義、礼儀、知識、信用という区分の仕方があります。 だがこんな領域で分けても手のつけようはありません。 第一には元気に育つように授乳に関することや着物の整え方やおむつの取り換えに関することや、ご機嫌がよくないと思える場合の対処の仕方や、言葉がけとかあやし方とか最低の育児に関する知識や、教え受ける方法とかいろいろのことが毎日の連続になってきます。 赤ちゃんのむずかり声を聞けば眠くても起きて対処しなければなりません。
この無限の対処の仕方が赤ちゃんを育て上げるのには必須なことなんです。 自分が親になって初めて母親の無償の温かい愛情がジワッーッと分かってくるのです。 自分が分かってくると共に母親は自分が産んだ子はいつまで経っても子供の頃と同じ愛情を持っているのです。 男親としての私はそう感じています。
さて、細かいことまで書きたてましたが、情報網の発達によって知徳体食各分野にわたり多くのガイド書籍が出版され手に入れることができるようになりました。 こうした資料を参考にして、学校へ行くまでの子育て計画を立てていきましょう。
人間の頭はコンピユーター
幼児の直感像認識はものすごい。瞬時にしてドッツが幾つあるか認識し、インプットできる。 私には、理解しようがないし、不思議でならない。例えば、
290-5265÷45+1848÷7+63=
100-6×[{70-2×(45-30)}÷8+9]=
こんな問題を五つも出されたら、我々大人は一分以内にできるだろうか。 恐らく普通の人では誰一人としてできるものはあるまい。 ところが何と、問題を読む時間を別にして、二歳六ヶ月の子供が、僅か二十秒もかからず正解を言えるという事実。 一体これは、どういうことなんだろうか。(ドッツ法による数の認識より)
人間の頭脳は、原理的にはコンピューターと同じです(ノバート・ウィーナーの人脳コンピューターHBC理論)。この人脳コンピューターが働くには、大別して三つの大変重要な領域があります。その三つが互いにうまく機能しあって、脳の働きを生じます。ところで、いろいろな機能がうまく絡みあって、成果をだしていく仕組みを、システムと言います。では、人脳コンピューター・システムは、どのようになっているのでしょうか。その解明が、ねらいです。
まず人間の頭脳にある三つの重要な領域とは何でしょう。それは脳幹と古い皮質と新しい皮質の三つの領域です。その構造を簡単に説明しますと、脊髄に続いて頭の芯にあたる部分に脳幹があります。その脳幹をとりまいて旧皮質があり、その外側に新しい皮質があるのです。
それぞれの領域は、コンピューターとしての機能を分かちあう重要な働きを分担しています。まず、中心の脳幹は、脳のコンピューターとしての機能をまとめる中心部です。ここが言わば心臓部です。次の古い皮質を代表する働きは、記憶装置の部分としての働きです。古い皮質の働きは海馬(ピポカンパス)が代表しています。古い皮質は、記憶の宝庫と覚えて頂いて結構です。次に一番外測の新しい皮質の部分は、大脳新皮質と呼ばれる部分で、左脳と右脳に分かれ、左脳は論理的思考を、右脳は非論理的感性の働きを担当しています。
以上三つの領域が、バランスよく機能しあって、秀れた大脳の働きを生み出しているのです。幼児教育においては、このバランスのとれた発達を考えることが最も重要なことです。
ところで、この三つの領域の発達には順序性があり、ソ連の心理学者ビゴツキーの言葉を借りて表現しますと、次のようになります。「生まれたばかりの赤ちゃんの脳は、始め下から上へ、そしてやがて上から下へと発達する。この発達は非可逆的である。生まれた赤ちゃんの頭脳の内部において、下のシステムに支えられながら展開し、分化してきた上のシステムが、やがては下を支配し始め、上下の階層関係を作っていく。そして個体発生では一番遅くできたシステムが、系統発生的、個体発生的に古いシステムを支配し始める。つまり下から上への支配関係から、逆に上から下への体系にかわる」
ここが大変重要なところです。上からの発達は三歳からはじまり、上(新しい皮質)の発達が進むと下(古い皮質)の発達はおさえられて十分に働くことが望めなくなります。これが脳のシステムの特徴なのです。つまり、高度なコンピューターの働きをする下のシステムに対する働きかけが、三歳になると、二歳時代のようには、うまくいかなくなってくるのです。だからこそ、三歳までの教育が、非常に重要な意味をもってくるのです。あとからでは、秀れた頭脳に作りかえられないという点に、教育の適期の問題があります。
コンピューター能力は0歳に近いほど高い
人間の脳の秀れたコンピューター能力は、出産時に近いほど高いのです。その時期に働きかけられるほど、高い能力となって姿を現し、働きかけがないと、急速に消えていきます。
赤ちゃんはこのコンピューター能力で言葉を覚えていくのであって、頭の出来上がった大人が、単なる記憶で覚えていくのとはまるで違った覚えかたをしていくのです。赤ちゃんはこのコンピューター能力で身の廻りに五カ国語あれば、何の混同も起こすことなく、五カ国語を身につける、という離れ技さえやってのけます。
コンピューター能力のまだ非常に高い一歳、二歳の頃に、ドッツ方式て算数を教えますと、二歳、三歳の時には、たす・ひく・かける・わるの四則の混合算を瞬時にやってのけるという、算数のコンピューター能力を発揮します。
真に秀れたコンピューター能力は三歳までですが、六歳まではまだコンピューター能力があり、四歳、五歳から始めても、カレンダーの曜日を瞬時に言い当てたり、六歳で将棋や碁が初段になり、大人をコロコロ負かすような子供が育ちます。
こうして六歳までに育てられたコンピューター能力が、その子供がそれ以後学習し、能力を発揮する根幹になります。このコンピューター能力は、三歳を過ぎてから習得するのは難しく、上の働き(大脳皮質の働き)がほとんど完成する六歳を過ぎてからではほぼ不可能になってしまいます。
三種類の記憶
人間の記憶には三種類あります。生まれるとすぐ働き始める生命レベルの記憶と、イメージ記憶、言葉の記憶の三種です。
生命レベルの記憶は、人間が生まれながらにして持っている脳の神経細胞に、遺伝子として組み込まれている記憶で、種族の記憶といわれるものです。猫が鼠を追いかけ、鶏は泳がない、あひるは泳ぐ、人間は立って歩くなど、種族としての記憶です。赤ちゃんはこの生命レベルの記憶で、生まれるとすぐ母親のおっぱいを探し、吸いつき乳を飲みます。種族の記憶は生命保持に大切な生命レベルの記憶です。
この記憶は海馬の組織のDNA(デオキシリボ核酸)と呼ばれる記憶分子(遣伝子)の働きで、生まれつき脳細胞に含まれているものです。この記憶分子DNAには「三歳までに見たり聞いたりしたことを、貴重なデータとしてストックせよ」と生まれながらの指示が組み込まれています。人生初期の三歳までに取り入れられたデータは、その人の性格、思考、態度の基本型を作ってしまいます。「三つ子の魂百まで」という諺は、これを良く言い当てています。遺伝子にはその他、大脳の働きによりデータを収集せよ、基本回路のシナプス作りをせよ、という指示が組み込まれているのです。
記憶を司どる海馬の組織には、DNAのほかにRNA (リボ核酸) という遣伝子を含まない空白の記憶分子があります。(F[ぱるす出版「頭脳の鍛え方」)DNAの司令により、生まれると同時に取り込まれるイメージ記憶が、このRNAの空白部に組み込まれ、データづくりを行なっています。
イメージ記憶は、言葉によらない直感による記億で、パターン記憶とも呼ばれます。同じことを何度も繰り返すと、それがパターン化され記憶されてしまうのです。犬や猫がもっている記憶は、このレベルまでの記憶で、犬は主人のにこやかな顔色を見て、尾を振って喜んでじゃれついてきたり、棒を持ったけわしい主人の顔を見た時には、過去のイメージが記憶によみがえって、たたかれる前にいち早くしっぽを巻いて逃げ出します。
この記憶は深く、直感、コンピューター能力と結びついています。こどもの直感力、コンピューター能力を高めるのに、このパターン記憶の訓練は非常に重要です。
第三の記憶は、言葉による記憶です。この記憶は人間だけのもので、人間が自分の意思で、覚えようとして覚える記憶です。この記憶が盛んになるのは、三歳を過ぎてからで、人間の思考力、技術力と大きく結びついています。
幼児教育は、以上の三種の記憶の発達にそった働きかけを、行なわなくてはなりません。
三種の記憶の発達の順序を示しておきます。
生命レベルの記憶 誕生時に始まる
受容能力最高・感覚の発達期
イメージ記憶 生後六ヶ月より
直感・想像力の発達期
ことば記憶 三歳より
思考技術の発達期
神経回路の開き方
生まれたばかりの赤ちゃんの脳細胞は、まだお互いにつながりがなく、つながりがないからシステムとしての働きがありません。ところが生まれたその時点から、外界の見聞きしたことが刺激となって、個々の神経細胞から芽を出し合い、互いに近くの細胞と結びあって非常に複雑な回路を開いていきます。こうして出来た神経回路(ネットワーク)を流れる電気信号(インパルス)の伝わり方が、頭の良さを決定します。できる子、できない子の差といってよろしいでしょう。そこで問題は、ネットワークがどのように作られていくかを知ることです。
今、脳の働きの善し悪しは、ネットワーク(神経回路)の差だと言いましたが、中でも基本回路の働きが問題です。特に基本回路は三歳までに出来上がってしまい、それまでに得た知識、体験により、脳幹・海馬・大脳この三つの間に基本回路を開き、それ以後の神経繊維のシナプス作りは、この基本回路を元にして行なわれるので、三歳までに秀れた基本回路作りをしておく必要があるのです。
この時までに秀れた基本回路を開いておくと、後からできる回路は非常に働きやすくなり、従って知的な面でも、創造的な面でも脳が働きやすくなるのです。
脳幹・海馬・大脳の働きが、高度にバランスがとれている程、直感力や創造性の高い子どもが育ちます。
この三つのうち、脳幹、海馬の働きを高度なものに高め得るのは、大脳が働き始める三歳前で、それまでの働きかけにより、脳幹は秀れたコンピューター能力、情報処理能力を身につけ、海馬は秀れた記憶の能力を身につけます。大脳が働き始め、大脳の支配が始まると、抑止力が働き、もはや脳幹、海馬を秀れたものにする働きかけが、殆ど不可能になります。
さてそこで、その神経回路の開け方です。脳細胞は、赤ちゃんが生まれ、見聞きしたことが刺激となって、脳の神経細胞から神経繊維が伸びて、互いに隣の神経繊維と結びあって連結部をつくり、回路が開けていきます。この神経繊維の結び目、連結部をシナプスといい、新しい回路を複雑に開いていきます。
こうしてできていく回路に、実は個別回路と一周回路の二つがあるのです。日常の生活体験で開けていくのは個別回路です。生活回路ともいいます。この生活回路からやがて一周回路が誕生し、これが脳幹、海馬を結ぶ一周回路、すなわち基本回路を開いていきます。
これらの回路はどちらも同じ体験をくり返すほど、回路同士の連結を強め、それ自身伝達のより太い回路に成長し、脳幹、海馬、大脳をバランスよく働かせるほど、一周回路は太くなり、機能のよい基本回路がひらけます。(ぱるす出版「頭脳の鍛え方」)