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折々の記 2009 C

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】03/11〜        【 02 】03/20〜
【 03 】03/25〜        【 04 】04/01〜
【 05 】04/08〜        【 06 】04/24〜



【 02 】03/20

  03 20 春のお彼岸
  03 22 阿波の須知さん、活躍を祈る!
  03 23 須知からのメール連絡
  03 24 直江兼続の漢詩 ・ WBC優勝

03 20(金) 春のお彼岸

「こよみのページ」を開くと、日の出 05時45分:日の入 17時53分 と出てきます。 一日に一分余日の出が早くなっています。 朝夕めっきり暖かくなってきて、年寄りの気持ちとしてはやっと春が来たなと感ずる。

17日には春野菜の種を蒔いた。

 なす、 とまと、 かぼちゃ、 キャベツ、 ねぎ

家内は畑を起こすといって小型の管理機をしいれた。 畝間の除草ができそうです。

気温が上昇してきて、仙台や会津で真夏日の25度にもなった。 桜の開花は例年に比べて一週間くらい早まっています。 天竜峡も開花宣言しました。 近くの桜はまだまだです。

デジカメの充電用バッテリーが二つとも寿命がきてだめになったので、カメラ屋さんに注文してあるがまだ来ていない。 四月上旬には恵那市岩村の日本三大山城の一つだといわれる岩村城を、桜を背景にして撮影したいと思っている。 この前尋ねた折には写真が取れなかったので、岩村が生んだ佐藤一斉さんの町中の石碑、明治大正の女傑下田歌子の学問所跡、その他の遺蹟の映像がないからです。

四月下旬には、大河ドラマで紹介されている仙桃院や景勝、兼続の板戸城、謙信の春日山城、お船の栃尾城など、新潟県の今の姿をデジカメに収めたい。

また今年のたびとして六月下旬、兼続が遺した学問の伝統、藩政への情熱に接するために山形県の米沢市へ行きたいと予定しています。

マツダのボンゴを廃車にしたから、山形へは鉄道を利用したい。 恵那市や新潟へは普段使っている軽トラで行くつもりです。 高速料金が安くなるそうなのでボンゴのETCを軽トラへとりつけて走ります。

03 22(日) 阿波の須知さん、活躍を祈る!

幼児教育へむけて、ひたむきに活躍されている四国の須知さん!  ご活躍を願っています。

次のメールは老生から須知さんへ連絡したメールです。 (記録のため)


    03/02 の近況報告拝見しました。

    87歳の大事なお母さんを亡くされたとのこと、
    お悔やみ申上げます。

    少年の頃、青年の頃、親になってから、
    それぞれの年代の母親に対する感覚は
    だんだんと変わってくるものです。
    年をとりますと益々、母親の愛情が
    いとおしくなります。

    人にとって、最も恩愛を受けたのは
    母親であったことが身に沁みてくるものです。

    ご霊前にいつも近況を報告してください。
    愛に報いるのは感謝の心を深めるほかありません。

    さて、老生の方からメール差し上げることになっていたのですが、
    よろずに遅鈍になっていき、失礼しています。

    幼児教育の実践の様子、感心なことです。
    いつでも応援しています。

    メールでは細かいことまでかけませんので、
    老生の考えを最近つづっていますので、
    HP「折々の記」を参考にしてください。

    「折々の記」で、参考になるものがあれば、
    コピーしてご利用ください。

    以前の経験から思いますのは、結婚している若夫婦が、
    その気になって、幼児教育へのめりこんでくれるかどうか、
    それが最大の課題でした。

    その課題の中身をほぐしていき、
    どんな段取り順序で理解を深めてもらうか、
    そして、お金より、わが子の能力開発が
    どれほど大事な親の責務であるか、
    その気になってもらうかが課題なんです。

    多少の貧しさを乗り越える覚悟を作り、
    ドップリ幼児教育を実践していれば、
    素晴らしい未来をわが子にやくそくできます。
    母親にとって、こんなすばらしい事業は他にはありません。
    しかも、数年間で90%終えてしまうのです。

    ジツコ・スセディックさんが、胎内教育から
    わが子の教育を実践したのは、
    ご主人の熱心な意向を納得して、
    自分でその気になって実践したからですね。

    市の保健婦さんや、市の役職にあって幼児教育に理解をもっている方、
    こうした方々の強力な賛同があると
    組織的な方法が見つかるだろうと思います。

    何人かの人たちの心に幼児教育の必要性が
    しっかりし燃え始めることができるならば
    希望の道は開けるのです。

    そこまでの考え方がいいのかどうか、わかりませんが、
    なんとかグループができることを願っています。

    あせらず、本当のことを大事にして、心からの理解者を
    一人一人、増やしていくことが、
    須知さんの明るい未来の道になります。

    そんなふうに、私は思っています。

    下平好上   ではまた

      2009/03/18
      395-1107 長野県下伊那郡喬木村 5975
      http://park6.wakwak.com/~y_shimo/
      y_shimo@cd.wakwak.com



03 23(月) 須知からのメール連絡

続いて今日メールが届いていたので、参考のために載せておきます。
                                                       2009/03/23

     下平好上様

    須知晃一です。

       |ご霊前にいつも近況を報告してください。
       |愛に報いるのは感謝の心を深めるほかありません。

    心のこもったお言葉ありがとうございます。
    いつも母親の霊が自分と共にあるような気がします。

    いつも母親に近況を報告しています。
    母親だったらどんな行動をするだろうといつも考えています。

       |幼児教育の実践の様子、感心なことです。
       |いつでも応援しています。

    有難うございます。

       |メールでは細かいことまでかけませんので、
       |老生の考えを最近つづっていますので、
       |HP「折々の記」を参考にしてください。

       |「折々の記」で、参考になるものがあれば、
       |コピーしてご利用ください。

    さっそく色々と読んでまいりました。
    ご旅行のこととかためになるこがおおく、参考にさせていただきます。

       |以前の経験から思いますのは、結婚している若夫婦が、
       |その気になって、幼児教育へのめりこんでくれるかどうか、
       |それが最大の課題でした。

       |その課題の中身をほぐしていき、
       |どんな段取り順序で理解を深めてもらうか、
       |そして、お金より、わが子の能力開発が
       |どれほど大事な親の責務であるか、
       |その気になってもらうかが課題なんです。

       |多少の貧しさを乗り越える覚悟を作り、
       |ドップリ幼児教育を実践していれば、
       |素晴らしい未来をわが子にやくそくできます。
       |母親にとって、こんなすばらしい事業は他にはありません。
       |しかも、数年間で90%終えてしまうのです。

       |ジツコ・スセディックさんが、胎内教育から
       |わが子の教育を実践したのは、
       |ご主人の熱心な意向を納得して、
       |自分でその気になって実践したからですね。

    ジツコ・スセディックさんの本は読みました。
    まったく同感です。

    ジツコさんのような人と結婚できるといいと考えています。

    ある方から早教育であれば、まず実例として4人ぐらい自分の子供の
    実例をつくるべきであるとアドバイスをうけました。
    まさにヴィッテの父親としての自覚が自分にも芽生えつつあります。

       |市の保健婦さんや、市の役職にあって幼児教育に理解をもっている方、
       |こうした方々の強力な賛同があると
       |組織的な方法が見つかるだろうと思います。

    徳島市の子育て支援課のボランティアで紙芝居のボランティアができそうです。

    ケーナや笛の楽器演奏で子供の関心をひきつけてから、
    自作の漢字紙芝居で早教育を実践しながら早教育や胎教の重要性を
    3歳ぐらいの子供をもつ親御様に実演をみせれそうです。

    これらの経験をふまえつつ保健婦さんや
    市の役職にあるかたにも語りかけていきます。

    できる範囲で徐々に輪を広げていきます。

       |何人かの人たちの心に幼児教育の必要性が
       |しっかりし燃え始めることができるならば
       |希望の道は開けるのです。

       |そこまでの考え方がいいのかどうか、わかりませんが、
       |なんとかグループができることを願っています。

       |あせらず、本当のことを大事にして、心からの理解者を
       |一人一人、増やしていくことが、
       |須知さんの明るい未来の道になります。

       |そんなふうに、私は思っています。

    有難うございます。がんばります。

    何事もまず自分が出来るということを信じる必要があると思っています。
    信念をもつということでしょうか。

    あらゆることが一つにつながっているようにおもいます。
    考えたことが実現するからプラス思考をするようにしています。

    言葉の力を信じて言葉を大切にします。
    過去から引き継いだ言葉に自分の言葉を加えて世間にむけて広げていこうと思います。

    受験だけに特化する早教育は思春期になって弊害があらわれそうです。
    オールラウンドな円満な早教育を目指しています。

    身体づくりや音楽や料理や学習やジツコさんのいっていたことが正解のようにおもいます。
    知育だけではなくてあらゆる能力に早教育の可能性があるという考えです。

    世界はジグソーパズルのように一人一人が重要で、
    色々な能力をもった人々によって世界という絵がえがかれているように思います。

    HPにある「折々の記」のようにあらゆることに関心をもてたらいいなあと考えています。
    時間がありましたら最近のも更新してくださいませ。
    楽しみにして読むようにいたします。

    今後とも何卒宜しくお願いいたします。

    喪主をつとめて色々な方のお世話になりました。
    まさに人間とは人の和であると知りました。

    ジョン・デューイ(John Dewey)のような実用主義・経験的民主主義も
    教育には必要な観点ではかいかとも考えています。
    問題解決を教育の主眼とするような考えです。

    770-0863 徳島市安宅 1-7-18
    須知晃一 088-653-1713

    kouichisuchi@ce.tokushima-u.ac.jp


礼儀正しい方で感心します。

参考のため「私製本 0歳教育」二冊郵送。

03 24(火) 直江兼続の漢詩 ・ WBC優勝

今年の習字は次の二人の言葉を選んで練習し、文化祭に出品する予定。 

   岐阜県恵那市岩村佐藤一斉の対句……各自出品

       以 春 風 接 人    春風を以って人に接し
       以 秋 霜 自 粛    秋霜を以って自らを粛む (粛=ツツシム)

   「天地人」直江兼続の漢詩七篇……各自で漢詩七篇の内の一篇を出品

          元旦                   元日  がんじつ

       楊 柳 其 賓 花 主 人     楊柳は其の賓 花は主人  ようりゅうはそのひん はなはしゅじん
       屠 蘇 挙 盞 祝 元 辰     屠蘇盞を挙げて 元辰を祝す  とそさかずきをあげて げんしんをしゅくす
       迎 新 送 旧 換 桃 符     新を迎え旧を送って 桃符を換う  しんをむかえきゅうをおくって どうふをかう
       万 戸 千 門 一 様 春     万戸千門 一様の春  ばんこせんもん いちようのはる

          螢入簾                 蛍 簾に入る  ほたる、すだれにいる

       涼 螢 度 竹 影 横 斜     涼蛍竹影を度って 横斜す  りょうけいちくえいをわたって おうしゃす
       忽 入 疎 簾 夜 色 加     忽ち疎簾に入って 夜色加わる  たちまちそれんにはいって やしょくくわわる
       応 是 客 星 侵 帝 座     応に是れ 客星の帝座を侵すもの  まさにこれ きゃくせいのていざをおかすもの
       丹 良 一 点 映 窓 紗     丹良一点 窓紗に映す  たんりょういってん そうさにうつす

          菊花                   菊花  きくか

       菊 逢 秋 日 露 香 奇     菊は秋日に逢うて 露香奇なり  きくはしゅうじつにおうて ろかきなり
       白 々 紅 々 華 満 枝     白々紅々 華枝に満つ  はくはくこうこう はなえだにみつ
       好 把 西 施 旧 脂 粉     好し 西施が旧脂粉を把って  よし せいしがきゅうしふんをとって
       淡 粧 濃 抹 上 東 ■     淡粧濃抹して 東■に上さん  たんしょうのうまつして とうりにのぼさん
                               ■=くさかんむりに「離」

          松雪                   松雪  しょうせつ

       孤 松 吹 雪 倚 岩 檐     孤松吹雪して 岩檐に倚り  こしょうふぶきして がんえんにより
       一 夜 枝 頭 白 髪 添     一夜 枝頭白髪添う  いちや しとうはくはつそう
       睡 起 朝 来 開 箔 見     睡起朝来 箔を開いて見れば  すいきちょうらい すだれをひらいてみれば
       ■ 橋 詩 思 在 蒼 髯     ■橋の詩思は 蒼髯に在り  はきょうのししは そうぜんにあり
                               ■=さんずいに「覇」

          逢恋                   逢恋  ほうれん

       風 花 雪 月 不 関 情     風花雪月 情に 関せず  ふうかせつげつ じょうに かんせず
       邂 逅 相 逢 慰 此 生     邂逅し相逢うて この生を慰む  かいこうしあいおうて このせいをなぐさむ
       私 語 今 宵 別 無 事     私語して今宵 別れて事なし  しごしてこよい わかれてことなし
       共 修 河 誓 又 山 盟     共に 河誓又山盟を修す  ともに かせんまたさんめいをしゅうす

          山家                   山家  さんが

       盤 石 垂 ■ 避 世 塵     盤石■を垂らして 世塵を避く  ばんじゃくらをたらして せじんをさく
       山 中 旧 宅 独 容 身     山中の旧宅に 独り身を容る  さんちゅうのきゅうたくに ひとりみをいる
       白 雲 深 処 行 人 少     白雲深き処 行人少なし  はくうんふかきところ こうじんすくなし
       峭 壁 ■ 峯 蓋 四 隣     峭壁■峯 四隣を蓋う  しょうへきさんぽう しりんをおおう
                               ■=くさかんむりに「縵」
                               ■=てへんに、右は「先」を2つ並べ下に「貝」

          暁鐘                   暁鐘  ぎょうしょう

       支 枕 幽 斎 夢 不 成     枕を支えて幽斎 夢成らず  まくらをささえてゆうさい ゆめならず
       疏 鐘 報 暁 太 多 情     疏鐘暁を報じて 太だ多情なり  そしょうあかつきをほうじて はなはだたじょうなり
       豊 山 霜 白 一 声 裏     豊山霜白し 一声の裏  ほうざんしもしろし  いっせいのうち
       月 落 烏 啼 三 五 更     月落ち烏啼いて 三五更  つきおちからすないて  さんごこう




■ WBC(=World Baseball Classic)……Classic=伝統的(に有名な)行事

<WBC連覇>イチロー どん底抜け会心の笑み  3月24日22時10分配信 毎日新聞

 【韓国・日本】

 トロフィーを手に笑顔のイチロー選手=米カリフォルニア州ロサンゼルスのドジャースタジアムで
 2009年3月23日、木葉健二撮影

 【ロサンゼルス村田隆和】

 満面に笑みを浮かべたイチロー選手(35)=マリナーズ=が右翼からマウンドに駆け寄ってきた。右手でガッツポーズを繰り返しながら−−。23日(日本時間24日)に当地のドジャースタジアムで行われた野球の国・地域別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝戦、日本−韓国戦。大会中、不振に苦しんだイチロー選手が、優勝を呼び込む決勝打を放った。チームリーダーであるはずの男が、役割を果たせずにいた苦しみの分だけ、喜びは膨れ上がった。

 延長十回2死一、三塁。本来は無の境地でいたいイチロー選手が、自らを実況中継しながら打席に入った。「めちゃくちゃいろんなことを考えてましたね。ここで打ったら『おれ(運を)持っているな』とか。そういう時は打てないものだけど、今日は打てた」

 勝負のあやがあった。2球目に一塁走者が二塁へ走り、一塁が空いた。ここで韓国ベンチは、イチロー選手を敬遠で歩かせるよう指示したが、なぜかバッテリーには伝わらなかった。ファウルで粘って8球目。はじき返した白球は中前へ抜けた。

 チーム結成の日ともいえる宮崎合宿集合日の2月15日。前回の日本代表監督、王貞治氏(68)から声を掛けられた。「頼むぞ」。短い言葉で、すべてが通じた。「今回の代表は、チームとしての厳しさが前面に出るようなことはないでしょう。みんな意識の高い選手ばかりだから」と王氏は語ったが、イチロー選手への信頼はひときわ厚かった。

 ところが、なかなか調子が上がらない。合宿中の練習試合では「3番」に座ったが、大会が開幕するころには「1番」に。「慣れ親しんだ位置でやってもらう」という、原辰徳監督(50)の温情だったが、準決勝までの打率はわずか2割1分1厘。「苦しいところから始まり、つらさ、心の痛みになった」とイチロー選手。原監督と目を合わすことすらできなくなっていた。

 この日の決勝打は、そんなどん底を通り抜けた末に放った一打だった。しかし塁上で、イチロー選手は表情一つ変えなかった。まだ試合は終わっていない。「普段と変わらない自分でいることが僕の支え。この支えを崩すと、タフな試合の中では、自分を支えきれなくなってしまう」という矜持(きょうじ)からだった。

 試合終了後のセレモニー。原監督から優勝トロフィーを渡された時、イチロー選手は心から笑った。監督と目を合わすことに、もうためらいはなかった。
 最終更新:3月24日23時47分



【WBC連覇】侍、賞金310万ドルをゲット!  3月24日22時15分配信 産経新聞

 第2回WBCの優勝賞金は270万ドル(約2億6460万円)。連覇を達成した侍ジャパンは、これに加えて2次ラウンドを1位通過したボーナス40万ドル(約3920万円)も獲得しており、計310万ドル(約3億380万円)をゲットした。

以下略