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続折々の記 2021③
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】04/28~
【 02 】04/29~
【 03 】04/29~
【 04 】04/29~
【 05 】04/30~
【 06 】04/30~
【 07 】05/01~
【 08 】05/01~
【 09 】05/01~
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【 03 】04/29
マハティールと日本
マハティールの述懐
アンテナは高くしてグローバルなニュースを手に入れて概略判断をしていかなくてはならない。 ちょうど、トインビーの判断やピケティの判断のように。 こうして私たちは、日本人としての立場に立って日本文化を伝承し、 “おもてなしの心” を広めることを基本にしていきたい。
私自身、この国はどうやって行ったらいいのか、その自信が薄らいでいた。 けれども自分の死を目前にして、こんな心がけで死んでいいのかという思いに突き上げられている。 ‘ルックイースト’ を標榜して国民を一つの方向に導いたマハティール首相、 彼はみずからの良心の赴くまま結果として望ましい国への歩みを続けた。 そして、世界のニュースとしてもまれな変化を遂げることにつながったのである。
政治家に頼るとは情けない心がけであり、自分で考えることをもっと頼りにして、軌道修正を進めたほうがいい。
マハティール氏の歩みを「マハティールと日本」という検索語で調べてみた。
「マハティール と日本」
【「マハティール と日本」のGoogle検索】
検索結果 約 114,000 件 (0.46 秒)
① マハティール・ビン・モハマド - Wikipedia
日本について に移動 - マハティールは、英領マラヤに生まれており、日本軍のマレー半島侵攻が始まった時、高校生であった。少年マハティールはイギリスの圧倒的な国力を知り、長年のイギリス支配により「白人は無敵」との白人に対する劣等感があっ ...
② 崩れた「白人は無敵」…マハティール・元マレーシア首相 89 : まとめ読み ...
2015/08/06 - 広島に1945年8月6日、「巨大爆弾」が投下されたことは間もなく知った。当時、マレー半島南部は日本軍に占領され、報道統制下だった。だが、住民の一部はラジオを隠し持ち、海外放送を聞いていた。「爆弾投下」は口づてで広まった【まとめ ...
③ 日本なかりせば: かつて日本は美しかった
2013/01/07 - マハティール首相は「ルック・イースト」政策(日本を見習え)を実施し、東アジア経済会議(EAEC)を提唱しており、この「日本なかりせば」演説はアメリカをを警戒させました。クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」 ...
④ JOG(198) マハティール首相~アジアの言挙げ - Biglobe
その村山首相 をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出し た。 日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解でき ない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進 むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために 国連 ...
⑤ 意外と知られていない「親日国・マレーシア」 - NAVER まとめ
2013/03/28 - 1981年に首相に就任したマハティール氏は日本をお手本とする「ルック・イースト政策」で国の発展を図ると宣言した. 出典マレーシアは「ルック・イースト政策」で発展してきた親日家|安全、物価安、資産形成にも有利な親日国マレーシアに ...
⑥ マハティールとは - コトバンク
大前研一著『アジア人と日本人 マハティールマレーシア首相との対話』(1994・小学館) ▽マハティール・モハマド著、加藤暁子訳『アジアから日本への伝言』(2000・毎日新聞社) ▽林田裕章著『マハティールのジレンマ 発展と混迷のマレーシア現代史』(2001・ ...
⑦ マハティール首相「もし日本なかりせば」演説と「日本もはや反面教師」発言
これほど日本に敬意を払い続けた他国のリーダーの演説に対して政府もマスコミも沈黙したままであったのみならず、マハティール首相の提唱したEAEC(East Asia Economic Caucus=東アジア経済協議体)構想に当時の河野外相は泥を塗るような行為をした ...
⑧ マハティール元首相からの手紙 : 震災特別寄稿 日本の友人たちへ - 47News
マハティール・モハマド元首相が、東日本大震災被害と福島第1原発事故に取り組む恩人、日本人を激励する文章を寄せた。東日本大震災特別寄稿。
⑨ 外務省: マレーシア~東方政策30周年を迎えて深まる絆
2012/09/28 - 今回は,日本の経済発展から学ぶ「東方政策」を開始して2012年で30年目を迎えるマレーシアと,王室を通じた日本との深い .... マハティール首相(当時)が1981年に提唱した東方政策(ルック・イースト・ポリシー)は,日本や韓国の労働倫理や ...
⑩ アジア人と日本人―マハティールマレーシア首相との対話 | 大前 研一 |本 ..
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③ 日本なかりせば : かつて日本は美しかった
日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
昭和30年(1955年)、アジア・アフリカ二十九カ国が集まり、バンドン会議が開催されました。日本は招待されました。敗戦後間もない日本でしたから慎重論が多かったのですが、高崎達之助経済審議庁長官や外務省参与の加瀬俊一氏らが出席しました。加瀬氏は日本はいいこともしたけど、わるいことをしなかったわけじゃないので、あまり気が進まなかったと回想しています。ところが、日本は大歓迎を受けました。
「よくきてくれた!」
「日本のおかげだ!」
「日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった!」
「大東亜共同宣言がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた」
「アジア民族のために日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く」
平成17年(2005年)、バンドン会議50周年を記念して開かれたアジア・アフリカ会議・小泉首相(当時)は次のように演説しました。
「わが国はかつて植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」・・・まったく的外れな演説をしたものです。
平成4年(1992年)10/14 香港にて マレーシア マハティール首相のスピーチの一部
「東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功を遂げた。東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし、日本なかりせば、世界はまったく違う様相を呈していたであろう。富める国はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の言い値で売り続けていたであろう」
このマハティール首相の演説は暗に大東亜戦争のことも含まれています。この演説を聞いた白人は怒って席を立ち会場を出て行った人もいたといいます。
マハティール首相は「ルック・イースト」政策(日本を見習え)を実施し、東アジア経済会議(EAEC)を提唱しており、この「日本なかりせば」演説はアメリカをを警戒させました。クリントンの圧力によって河野洋平が走り回り、「白人も華僑も入れよ」などとほざきました。
平成6年(1994年)にマレーシアに訪問した村山富市首相(当時)、土井たか子衆院議長(当時)は型どおり謝罪するとマハティール首相はこう述べました。
「日本が五十年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ」
「日本に対して今さら戦後賠償を求めるようなことは、わがマレーシア国民にはさせない」
このマハティール首相の言葉に村山総理は何の言葉も返せませんでした。しかも村山総理はシンガポールで華僑ゲリラの慰霊碑に謝罪を述べています。死者に対して慰霊するのは構いませんが、違法であるゲリラに謝罪するなどキチガイ行為です。東南アジアは華僑を追い出すのに多大な苦労してきており、ゴキブリのように侵入してくる華僑をブロックしたい思いがあります。
マハティール氏
「日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けるのか。そして、若者は何を目指せばいいのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」
麻生元総理は日本がリーダーシップをとる「自由と繁栄の弧」を主張しました。ところが、3年前半の政権交代で鳩山総理(当時)はシナ様を盟主とする東アジア共同体構想を出してきました。小沢幹事長(当時)が人民解放軍野戦司令官になるというのですって???
「ルック・イースト」政策から30年。もはやマレーシアでは日本から学ぶものは「先端技術」のみであるという声さえ聞かれます。昨年末、新政権が誕生し、日本は新たな門出を迎えました。再び立ち上げれ、ニッポン!
参考文献
桜の花出版「アジアが今あるのは 日本のお陰です」桜の花出版編集部(編)
WAC「自らの身は顧みず」田母神俊雄(著)
小学館「アジア人と日本人」大前研一(著)
オークラ出版「反日マスコミの真実2010」『誰のための東アジア共同体か』高山正之
WAC「渡部昇一の昭和史」渡部昇一(著)
読売新聞10月31日朝刊「マレーシア『日本流』岐路」
「日本なかりせば」演説
http://homepage2.nifty.com/tanimurasakaei/maha.htm
WikiPedia「マハティール・ビン・モハマド」
【下平記】
マハティールが首相になってから ‘Look East’ 政策を打ち出し③のような経過となった。 彼の主張は独立国としての気概に基づくものに違いなかった。 日本を見習うというルックイーストは一応成果を収め、日本があまりにもアメリカの意向に追従する姿勢を見てから、標語の旗は降ろして独自の国の方向を模索してきました。 彼の独自性を今度は日本が見習わなくてはならない番になっている。 その思いがあって「マハティール と日本」を見ておきたかった。
⑦ マハティール首相「もし日本なかりせば」演説と「日本もはや反面教師」発言
www.carlos.sakura.ne.jp/essay-j/mahathir-jp.html
大前研一氏の著書「ドットコム・ショック」によると、日本の新聞でこの記事が載ったのは朝日新聞の船橋洋一氏のレポートのみだったらしい。 これほど日本に敬意を払い続けた他国のリーダーの演説に対して政府もマスコミも沈黙したままであったのみならず、マハティール首相の提唱したEAEC(East Asia Economic Caucus=東アジア経済協議体)構想に当時の河野外相は泥を塗るような行為をしたという。 アングロサクソン国家の国益となる、APEC(Asia Pacific Economic Cooperation=アジア太平洋経済協力会議)と利害が対立するEAEC構想を米国が潰そうとしたのに対し、その尻馬に乗ったのが当時の外相だったのだ。
マレーシアに行ったらとても発展途上国とは思えないことにめぐり合える。
最大のものは、水道水が飲めることだが、これがどんなに凄いことか海外旅行をした人はわかるだろう。
そして、生水が飲める国は私が行った国の中ではシンガポールとマレーシアぐらいだ。
そのマハティール首相は不況で苦境に立った日本の小渕首相に助言すらしてくれた。
英語の諺に「繁栄は友人を作り、逆境は友人を試す。(Prosperity makes friends, adversity tries them.)というのがある。
ここまで言えば、誰が日本の数少ない味方であるかわかると同時に、国民の敵が日本政府じゃないかとも気付くだろう。
それを取り替えられるのも続けさせるのも国民だということも・・・
そして、このときから10年後、ついにマハティール首相は、「日本はもはや反面教師でしかない」と講演したと、2002年12月1日付けの読売新聞は報じている。。
政治が悪いと批判するのは簡単だ。
しかし、選んでいる国民が知名度が高いかどうかだけで、あるいは組織ぐるみ選挙などというおよそ民主主義とかけはなれたところでしか政治家を選んで来なかったツケが回ってきていると言えないか?
いくら志の立派な候補者がいたとしても彼らが当選した可能性というのは、こういった選挙風土の中では著しく低かったにちがいない。
そして、一定得票数に達しない候補者は公職選挙法の規定で供託金を没収される。
彼らは金持ちではないだろう。
そういった候補者は選挙に再び立候補したであろうか?
2002年12月12日、そのマハティール首相は日本で講演(Speech by Prime Minister Dato Seri Dr. Maharhir Bin Mohamad at The Seminar on 20th Anniversary of The Look East Policy, Tokyo, Japan on 12 December 2002)した。
題して、"Look East Policy - The Challenges for Japan in a Globalised World" (グローバル社会の中における日本の難関)、この耳の痛い話を報じた日本のメディアはあっただろうか?
私は思う。「真の友人からの忠告を聞き入れるだけの度量もない国に明日はない」と・・・
(付記)日本での講演
東方政策20周年記念セミナーにおける
マハディール首相の基調講演(要旨)
平成14年12月12日 於:ホテルオークラ
【東方政策の起源】
○ 東アジアの人々は、マレーシアが東方政策を実施する以前から東方を見てきた。日本が明治時代に近代化を始めた時、侵略的な欧米の自由貿易主義者に貿易を開放するよう迫られていた東アジアの人々は、日本がこの問題に如何に対処するかを見ていた。
○ 日本は、行政システムの採用と経済の商業化により、欧米の覇権を防ぐことに成功し、非常に速い速度で欧米人と同程度の商工業力を得た。日露戦争の勝利により、日本を植民地化しようとする欧米人の考えは粉砕された。それ以来、日本は東アジアの人々から尊敬された。
○ 東アジアの人々は日本の近代化を見習ってきた。"Look East"は新しいことではない。日本が西側を見ていた時ですら、東アジアの人々は日本を見てきた。日本の成功は彼らに希望を与え、彼らは日本と同じくらいに成功すると信じていた。
○ 日本は戦争に敗れはしたものの、戦後、世界で二番目の経済大国に発展した。東アジアの人々はより日本を見るようになり、マレーシアは積極的に日本からインスピレーションと手引きを得るべく努めた。マレーシアにおけるこの20年間における最も急速な発展の時期と東方政策の時期とは一致している。マレーシアは自由貿易を基礎に成長を果たしてきた。
【グローバリゼーションの進展】
○ 自由貿易は欧米人によって常に叫ばれ続けてきた。19世紀には、自由貿易の名の下に、武力で開国を迫り、最終的には多くの国を植民地化してきた。今日、我々は再び同様の危険にさらされている。
○ ある国は、提案された条件や用語を受け入れるまで、自由に貿易することが許されない。WTOはルールに基づいた貿易を確保するために設立されたものであるが、それを超えて、一国内の行政と商慣行は、WTOを通じ、強国によって作られた特定のシステムに合致していることが求められている。
○ そうしたシステムに合致させるため、或いはそれに従わせるために、膨大な圧力がこれらの国々にかけられる。政治的・経済的圧力はかつての戦艦以上に脅威的で、かつ効果的である。
○ 変動相場制では、いわゆる自由貿易主義者は商品ではなく、通貨を取り引きする。通貨は売買の対象となるのみならず投機の対象となる。しかも、それは実在の通貨ではなく、数字上の架空の通貨である。彼らは投機を繰り返して莫大な利益を得る。貨幣の取引は世界の総貿易の何倍もの大きさである。ヘッジファンドは世界のいずれの国家もなし得ないような巨額の資金を調達することができる。その活動は巨大で、活動如何では裕福な国や世界全体の金融状況すら破壊してしまう。
○ 小国にとっての懸念は、通貨の自由貿易がその経済を一夜にして破壊し得るということである。そして「国際」機関が、アドバイスと資金の貸与のために入ってくるのである。しかし、彼らのアドバイスは状況を悪くするだけであり、彼らの資金を借りた途端に、経済的植民地化が始まる。彼らは、その国の金融をどのように管理すべきかを決めるだけでなく、彼らの政治的信条を押しつけようとする。特定の「改革」がなされない限り、資金を実際に借りられない。借りられたとしても、それは対外債務の返済に用いられる。その国は、国際機関の債務者となり、債務負担は時として永久に続く。
○ その間に、その国は、豊かな国が管理する国際機関によって管理されることになる。それは正に植民地化でしかない。昔は軍艦が貿易のための開国に用いられたが、今や国際機関がいわゆる「自由貿易」のために用いられる。一度、門戸を開けば、巨大な企業と銀行が入ってくる。その国の企業や銀行はひとたまりもなく呑み込まれる。
○ 我々はグローバリゼーションに賛成である。しかし、それは豊かな自由貿易主義者だけの利益であってはならず、国家の利益も考慮されなければならない。しかし、不幸なことに、現時点では、WTOや他の機関は小国の利益に然るべき考慮を払っていない。
【日本への期待】
○ 日本は10年以上に亘って悪い状況にある。日本は自らが置かれている苦境から脱せずにいる。多くの人々が日本に助言をし、日本は多くの手段を試したが、結果は見られない。
○ 日本がかつて奇跡を達成したことは疑いようもない。そして、日本はそれを他の指導を受けることなく、自分自身の方法で成し遂げた。日本が欧米のシステムに変革したがっていることは理解する。しかし、システムを急速に変えれば、深刻な混乱に至る。これまでうまく機能してきたシステムを継続する方がはるかによい。日本のシステムは日本人にとってこれまで非常にうまく機能してきた。もし、変えなければならないのであれば、それは混乱を避けるためにゆっくりと変えなければならない。
○ アジアの人々は東方を、そして日本を見ている。我々は日本の失敗ではなく、成功から学びたいと考える。日本人は目覚めて、今直面している惨事は自らが作り出したものであることを認めなければならない。戦後の復興を自らのやり方でなし得たように、正に今、自らの方法で立ち直ることができよう。
○ 今は非常に重要な時期である。グローバリゼーションは適切に管理されなければならない。東アジアの人々は結束していない。彼らは共に歩む必要があり、そのためのリーダーシップが必要なのである。日本にとっての課題はリーダーシップを取ることである。日本は国力も技術もある。東アジアは、そして世界は日本を必要としている。
○ 我々は恐怖の時代に生きている。テロリストに怯え、盲目的に反応している。我々は怒り、怒りの中で理性を失ってきている。テロリズムはその根源が消滅するまで決してなくならないことは歴史が示している。労働者の搾取や植民主義者の抑圧はテロを産む。それは抑圧された人々による抑圧者に対する闘争である。抑圧をより加えても、闘争は止められない。
○ 世界は真に路を失った。テロリストの怒りは存在するし、存在し続ける。しかし、我々は自分の怒りをコントロールすることができるし、理性的でいることができる。理性だけが我々をテロリストとの闘いにおける勝利に導くことができる。
○ 日本はテロの標的ではないし、怒りに満たされることもない。日本は世界をその良識に戻すことができる。日本は世界の経済を立ち直らせることができる。日本は、従うのではなく自らが先導する決心をすれば、多くのことがなし得る。先導されることではなく、先導することが、正にグローバル化した世界における日本の課題である。
(付記)「もし日本なかりせば」
「もし日本なかりせば」
欧州・東アジア経済フォーラム 1992(平成4)年10月14日香港にて
マハティール・モハマド
過去のヨーロッパ中心の世界では、東アジアとはすなわち極東だった。
そして極東は、異国情緒あふれる中国と竜のイメージ、お茶、アヘン、高級シルク、風変わりな習慣を持った珍しい人々など、奇妙で神秘的な印象を思い起こさせる場所だった。
いまや極東は東アジアになり、気の毒だがヨーロッパのロマンチストの興味の対象は減った。
その代わりに政治家、エコノミストの関心の的になっている。
ヨーロッパがアジアに対して懸念を抱いている事実は、この地域が、すでに今世紀前半の日本軍国主義以上に深刻な脅威になっていることを示唆している。
こうした見方の底流には、不信感と恐怖がある。
その理由は、東アジアの人々が自分たちとほ異なっている、つまりヨ一ロッパ人ではないという点にある。
そのため、策2次大戦後の枢軸国であったヨーロッパのドイツとイタリアが平和国家となって復興、繁栄するのは応援、歓迎されたのに、同じように平和国家となった日本と極東の「小さな日本」の経済発展はあまり歓迎されないように見える。
それどころか、ヨーロッパとヨーロッパ社会を移植したアメリカはともに、さまざまな手段を使って東アジア諸国の成長を抑え込もうとしてきた。西側の民主主義モデルの押しつけにとどまらず、あかろさまに東アジア諸国の経済の競争力を削ごうとしてきた。
これは不幸なことである。東アジアの開発アプローチから世界は多くのことを学んできた。
日本は、軍国主義が非生産的であることを理解し、その高い技術とエネルギーを、貧者も金持ちも同じように快適に暮らせる社会の建設に注いできた。
質を落とすことなくコストを削減することに成功し、かつては贅沢品だったものを誰でも利用できるようにしたのは日本人である。
まさに魔法も使わずに、奇跡とも言える成果を創り出したのだ。
日本の存在しない世界を想像してみたらよい。
もし日本なかりせば、ヨーロッパとアメリカが世界の工業国を支配していただろう。
欧米が基準と価格を決め、欧米だけにしか作れない製品を買うために、世界中の国はその価格を押しつけられていただろう。
自国民の生活水準を常に高めようとする欧米諸国は、競争相手がいないため、コスト上昇分を価格引き上げで賄おうとする可能性が高い。
社会主義と平等主義の考えに基づいて労働組合が妥当だと考える賃金を、いくらでも支払うだろう。
ヨーロッパ人は労組側の要求をすべて認め、その経果、経営側の妥当な要求は無視される。
仕事量は減り、賃金は増えるのでコストは上昇する。
貧しい南側諸国から輸出される原材料品の価格は、買い手が北側のヨーロッパ諸国しかないので最低水準に固定される。
その結果、市場における南側諸国の立場は弱まる。
輸出品の価格を引き上げる代わりに、融資と援助が与えられる。
通商条件は常に南側諸国に不利になっているため、貧しい国はますます貧しくなり、独立性はいっそう損なわれていく。
さらに厳しい融資条件を課せられて"債務奴隷"の状態に陥る。
北側のヨーロッパのあらゆる製品価格は、おそらく現在の3倍にもなるため、貧しい南側諸国はテレビやラジオも、今では当たり前の家電製品も買えず、小規模農家はピックアップトラックや小型自動車も買えないだろう。
一般的に、南側諸国は今より相当低い生活水準を強いられることになるだろう。
南側のいくつかの国の経済開発も、東アジアの強力な工業国家の誕生もありえなかっただろう。
多国籍企業が安い労働力を求めて南側の国々に投資したのは、日本と競争せざるをえなくなったからにほかならない。
日本との競争がなければ、開発途上国への投資はなかった。
日本からの投資もないから、成長を刺激する外国からの投資は期待できないことになる。
また、日本と日本のサクセス・ストーリーがなければ、東アジア諸周は模範にすべきものがなかっただろう。
ヨーロッパが開発・完成させた産業分野では、自分たちは太刀打ちできないと信じ続けただろう。
東アジアでは高度な産業は無理だった。
せいぜい質の劣る模造品を作るのが開の山だった。
したがって西側が懸念するような「虎」も「竜」も、すなわち急成長を遂げたアジアの新興工業経済地域(NIES=Newly Industrializing Economies: Hong Kong, South Korea, Singapore and Taiwan)も存在しなかっただろう。
東アジア諸国でも立派にやっていけることを証明したのは日本である。
そして他の東アジア諸国はあえて挑戦し、自分たちも他の世界各国も驚くような成功をとげた。
東アジア人は、もはや劣等感にさいなまれることはなくなった。
いまや日本の、そして自分たちの力を信じているし、実際にそれを証明してみせた。
もし日本なかりせば、世界は全く違う様相を呈していただろう。
富める北側はますます富み、貧しい南側はますます貧しくなっていたと言っても過言ではない。
北側のヨーロッパは、永遠に世界を支配したことだろう。
マレーシアのような国は、ゴムを育て、スズを掘り、それを富める工業国の顧客の言い値で売り続けていただろう。
このシナリオには異論もあるかもしれない。
だが、十分ありうる話である。
日本がヨーロッパとアメリカに投資せず、資金をすべて国内に保有していたらどうなるかを想像すれば、その結果は公平なものになるのではないだろうか。
ヨーロッパ人は自国産の製品に高い価格を支払わねばならず、高級なライフスタイルを送る余裕がなくなるだろう。
(中略)
実のところ、ヨーロッパは身分不相応に暮らしている。
ヨーロッパ人は仕事量が非常に少ないにもかかわらず、あまりにも多額の賃金を受け取っている。
ヨーロッパは、世界の他の国々がこの浪費を支持してくれると期待することなどできない。
ヨーロッパ諸国は、国民のために高い生活水準とより健康的な環境を求めているが、犠牲を払おうとはしない。
「ヨーロッパはもっと低い生活水準を受け入れ、環境を維持すべきだ」と提案された時、ヨーロッパ諸国は激しい不快感を示した。
だが、ヨーロッパは北側諸国の環境維持に必要だという理由で、貧しい国々に国内の天然資源を開発しないよう求めている。
それは要するに、「貧困国は富裕国のために犠牲になれ」ということである。
しかし、豊かな国々は何の犠牲も払おうとしない。
アジア諸国が「ルック・ウエスト」で欧米に指導やモデルを仰いだ時期があった。
いまやヨーロッパが逆に「ルック・イースト」でアジアにそれらを求める時期が来ているのかもしれない。みなさんが私を東アジア人とみなすか、東南アジア人とみなすかは分からない。
どちらであれ、私は自分の見解が「私は東南アジア人であるだけでなく、発展途上国の出身でもある」という事実に影響を受けていることを認めなければならない。
マレーシアは、ある野心を抱いている。
私たちはいつの日か先進国になりたいと考えており、不必要に妨害されて不満を感じている。
しかし、私たちは自由貿易と公正競争の妥当性を信じている。
ASEAN(Association of Southeast Asian Nations=東南アジア諸国連合)の経験によって、友好的な競争と互いに学び合おうという意志があれば、経済成長を促進することができるとわかった。
東アジア諸国が競争しながら学ぼうという意志を持っていれば、同じ結果を達成できるだろう。
ヨーロッパ・東アジア間の公正競争と協力を発展させれば、すべての国々が繁栄するうえで役立つだろう。
たとえヨーロッパやアメリカが保護主義を採用しても、東アジアは保護主義に頼らないだろう。
東アジアには競争力があり、そのことをはっきけと証明している。
たとえば1960年には、東アジア全体のGDPはEC(現EU=欧州連合)の42%、アメリカの23%、NAFTA(North America Free Trade Agreement=北米自由貿易協定)の21%だった。
1990年には、それがECの67%、西ヨーロッパの47%、アメリカの73%、NAFTAの64%に達した。
東アジアの域内貿易も、絶対額と世界貿易に占める割合の両方で成長している。
東アジアは保護主義に頼ることなく、しかも多くの障害をものともせず、これを達成したのである。
その課程で東アジア諸国は、自国民だけでなく世界中の貧困者の生活の質を高めた。
東アジア諸国の成功は魔法のおかげではない。
日本が成し遂げたことを、東アジアの他の国々も程度の差こそあれ達成することができたのである。
同様に、ヨーロッパ諸国もそうすることができる。
この成功の主な要因は、高い生活水準を維持する余裕のない時期には低い生活水準を受け入れようとする意志である。
東アジア諸国は進んでそうしている。
無理して高い生活水準を維持すれば、競争力を失ってしまう。
むしろヨーロッパ人のほうが、自分たちのやり方が賢明なものかどうか自問し、現実を受け入れなければならない。
そうすれば、ヨーロッパと東アジアは相互の利益のために協力することができる。
ただし、どのような事情があっても、東アジアの成長を止めることはできない。
東アジアには発展する権利があるのだ。
それから10年後
(付記)マレーシア・ルック・イースト20年「日本もはや反面教師」
マレーシア・ルック・イースト20年「日本もはや反面教師」
読売新聞(2002.12.1)ワールド・インサイド (クアラルプール: 深沢淳一氏)
マレーシアが、日本の経済システムなどを吸収して自国の発展につなげる「ルック・イースト」政策を採用してから20年を迎えたが、この政策を提唱したマハティール首相が最近、日本に対する失望感を強く示している。
長期の経済低迷から抜け出せない日本よりも、韓国や中国から学ぶ姿勢を見せており、日本は「反面教師」としてしか、参考にならないとの見方さえある。
日本のまねしない
「経済を低迷させた失敗を日本から学び、同じ過ちを繰り返さないようにしたい」、「最近はアジア通貨危機から急速に回復した韓国の成功に注目している」。
マハティール首相は11月中旬の記者会見で、経済危機を克服した韓国と対比しながら、日本の経済運営の迷走ぶりを批判した。
マレーシアでは、8月下旬にルック・イースト20周年の記念式典が催されたが、首相は、この式典の講演(Speech by Dato' Seri Dr Mahathir Mohamad at the Dinner in Commemoration of the 20th Anniversary of the Look East Policy, Palace of the Golden Horses, 28 August 2002 see also The Ministry of Foreign Affairs)でも、ルック・イースト政策がマレーシアの成長に大きく貢献したと評価しながらも「今後は日本が進めている誤った政策や失敗も学ぶ。我々が何をすべきでないかが分かるからだ」と発言した。
その意図をマレーシア政府高官は「変化に柔軟に対応できない日本のまねはしないということだ」と解説する。
魅力は先端技術だけ
マハティール首相が、ルック・イースト政策を進めたのは、日本のサラリーマンの勤勉さや忠誠心、集団の利益を重視する姿勢に着目したためで、こうしたモデルを自国民に浸透させ、意識改革を促す狙いがあった。
首相は導入時の1983年に来日した際、「日本を見習ってマレーシア株式会社を目指す」と日本経済を絶賛していた。
ルック・イーストで親日国としての印象が浸透したこともあり、日本の進出企業は家電や電子関係を中心に約1400社に増え、雇用や輸出を支えているのも事実だ。
こうした効果もあり、マレーシアの1人あたり国民総生産(GNP)は約3600ドルと20年前から倍増、急成長を遂げた。
だが、首相は最近、日本に関しては、経済に限らず、社会や教育を含めて不満を抱いている模様で、別の講演では、髪を金髪に染める日本の若者をやり玉にあげ、誤った「西洋崇拝」が日本の倫理や価値観を低下させたとも指摘した。
今後は不可欠な日本の先端技術は吸収していくが、経済や倫理などに関しては見習うべき点はないという考え方を鮮明にしている。
アジア勢の意識象徴
一方で、首相は10月に「新たなモデルとしての韓国(Speech by Prime Minister The Hon. Dato Seri Dr. Mahathir Bin Mohamad at The National Conference "Learning from Korea - Sustaining Growth in a Dynamic Environment" at Pyramid 2, 10th floor, Sunway Convention Centre Bandar Sunway, Kuala Lumpur, 10 October 2002 see also Dr. Mahathir Speeches on the National Ecnomic Action Council)」と称して講演、韓国の勤労ぶりや、経済改革を高く評価した。
また中国との経済シンポジウムでは、高成長を続ける中国を新たにルック・イーストの対象に加える考え方を示した。
こうしたルック・イーストに関する路線転換は、アジア各国の日本に対する期待感の薄さを象徴している。
アジアは、地域の経済成長を持続する前提として、アメリカの力強い景気回復を望んでいるが、日本については「10年余に及ぶ景気低迷は織り込み済みだ」(シンガポール政府高官)などと、冷ややかな見方が増えている。
⑧ マハティール元首相からの手紙 : 震災特別寄稿 日本の友人たちへ
マハティール・モハメド氏の略歴
25年生まれ。エドワード7世医科大卒。統一マレー国民組織結成に参加。64年、下院議員。
81~03年の22年間、首相として長期政権維持。ルックイースト政策などで知られる。
学んだ日本を今度は激励
「日本に学べ」というルック・イースト(東方)政策でマレーシアを高度成長に導いたマハティール・モハマド元首相が、東日本大震災被害と福島第1原発事故に取り組む恩人、日本人を激励する文章を寄せた。
恩人ニッポン、試練越えよ 核の苦難、悲しいが学ぼう
被災者の皆さん、日本の皆さん。
大津波に襲われた東北地方の方々に降りかかった災いに、お悔やみを申し上げます。悲しみの思いは言い尽くせません。
大津波で命を失った人々が、その時に抱いた恐怖感。生き残った人々が、家族や友人、隣人を失ったと知ったときの悲痛。大災害など思ってもみず暮らしていた人々が、あっという間に自分たちの町や村が破壊し尽くされるのを見て抱いたおののき。これらは新聞の写真やテレビ映像では表し切れないでしょう。
犠牲者や行方不明者の正確な数はまだ知れません。悲しい思いのみです。犠牲者は、どうか安らかにお眠りください。ご家族にお悔やみを申し上げます。不明者には、生きて見つかるようにと祈ります。この未曽有の被災に対しマレーシア人すべてが等しく悲しみを抱いています。
日本は自然災害の多い国です。日本人はその悲劇を耐え忍んできました。その忍耐力は有名です。でも、今回の大震災は堪え難いだろうと思います。しかし、やがて日本人は悲しみを乗り越えて、破壊された町を、村を、立て直していく。そう信じています。世界中が日本に共感し、日本を応援しています。この試練の時、マレーシア国民も日本人と悲しみを分かち合っています。
地震と津波だけでなく、今回は原子力発電所事故も脅威となっています。各国で原発建設計画が進む中、原子力平和利用のパイオニアに悲劇が訪れてしまいました。
核兵器が使われた唯一の国で、この苦難が起きているということを思い起こさずにはいられません。
もちろん、この二つには何のつながりもないのですが、日本人が核利用の危険を再び世界に知らせることになったのは、悲しいことです。核分裂物質を損傷したり、漏えいしたりすると、有害な放射能が出てしまいます。でもそうした物質を安全に扱うための知識はまだ足りないのです。原子力の扱い方について、必ずや知識は増えていくでしょう。しかし、こんな悲惨な経験をしなければ、原発の危険、正しい原発立地について学べないのは悲しいことです。
事故現場から離れた地にいる日本人にまで放射能被害が及ばないように祈っています。
マレーシア国民は日本と日本人から多くの恩を受けています。この悲劇と試練の時に当たって、私たちは仙台をはじめとした東北太平洋岸の被災者の方々を思いやらずにはいられません。マレーシア政府が救助隊派遣を申し出たのはうれしいことです。
家族や友人、家を失った人々は支援を得て、必ずや生活を再建するでしょう。その方々に、二度とこんな恐怖が訪れないようにと祈ります。
最後に、家族を亡くされた方々にお悔やみを申し上げるとともに、偉大な国家の偉大な国民である日本人が、試練と苦難を乗り越えて、再び立ち上がりますように。
マレーシアより、マハティール・モハマド
(共同通信)