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続折々の記 2021③
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】04/28~     【 02 】04/29~     【 03 】04/29~
【 04 】04/29~     【 05 】04/30~     【 06 】04/30~
【 07 】05/01~     【 08 】05/01~     【 09 】05/01~
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【 01 】04/28
  だれでも知っておきたい幼児期の養育  宿業教育
  僧侶が取り組むSDGsのお話   地球全体の活動目標だった
  SDGs(持続可能な開発目標)とは?   国連サミットで採択
  変異ウイルスの猛威に向かっての対策   鈴木貴博氏に耳を傾けよう
  赤ちゃん時代の「大脳開発」   ※検証‘北海道の教育’
  宿業教育   誰にとっても一番大事な課題

 04 28 (水) だれでも知っておきたい幼児期の養育     宿業教育

赤ちゃんを養い育てるには、どうすればいいのか?

ちょうど今日は次男が生まれた日で、それはもう61年前のことです。 私は子供にとやかく言う齢(トシ)ではありません。 ただ、齢を取ってのだれでも知っておきたい心構えをまとめたいことを願っているのです。

たまたま戦争体験と学ぶことの大切さを若い時に体験したので、子供たちの指導という仕事をとおして思ったことや考えたことをホームページにまとめました。

別刷りのものを見て分かりますが、ここにはホームページの顔になる表紙と「折々の記」というあれこれ書き残したものを刷ってあります。 ですから、「0歳教育」のページの目次にある折々の記以外の項目はそこを開いてみないとわかりません。

もともとホームページの立ち上げの願いは、青い文字とその下の書いたことでした。 ですからここでまとめようとしているものは、その願いの出発にあたる部分ということになります。

ちょうど二週間前の折々の記には、僧侶が取り組むSDGsの新聞記事がありました。 この記事を見て、私が取り組もうとしている世界的な位置づけがはっきりしていたのでその記事から手始めに取り上げます。



 04 14 (水) 僧侶が取り組むSDGsのお話     地球全体の活動目標だった

何日か前の放映で、仏教とSDGsの取り組みについてのお話がありました。
調べてみるとこんな解説があります。
SDGsとは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称で、国際社会が2016年から2030年までに達成すべき17の目標です。 SDGsの報道に力を入れてきたハフポスト日本版が、「SDGsとは何か? 」「SDGsバッジ」「日本企業の取り組み」「ESG投資」など、わかりやすく解説します。
SDGsとは何か? 次に概略をとりあげます。
SDGs(持続可能な開発目標)とは?
SDGs(エスディージーズ)とは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称です。2030年までに世界が達成する目標として、2015年9月の国連サミットで採択されました。17の目標・169のターゲット(具体目標)から構成され、地球上の「誰一人取り残さない(leave no one behind)」を理念として掲げています。
SDGsの前身は、2015年を達成期限としていた「MDGs(ミレニアム開発目標)」です。MDGsは一定の効果があったものの未達成の項目も多く、それらはSDGsへと引き継がれました。MDGsが「極度の貧困と飢餓の撲滅」や「幼児死亡率の引き下げ」など先進国による開発途上国の支援を中心とする内容だったのに対し、SDGsは先進国と開発途上国が一丸となって達成すべき目標で構成されているのが特徴です。
ここからは実際に、SDGsの17の目標について詳しく見ていきましょう。貧困や飢餓といった問題から、ジェンダージェンダー(生物学的な性別に対して、社会的・文化的につくられる性別のことをいいます)、働きがいやまちづくり、気候変動など、多岐にわたる課題が挙げられているのが分かります。

【SDGs 17の目標・169のターゲット】
No
目   標
No
目   標
01 貧困をなくそう 02 飢餓をゼロ
03 すべての人に健康と福祉を 04 質の高い教育をみんなに
05 ジェンダー平等を実現しよう 06 安全な水とトイレを世界中に
07 エネルギーをみんなに そしてクリーンに 08 働きがいも経済成長も
09 産業と技術革新の基盤をつくろう 10 人や国の不平等をなくそう
11 住み続けられるまちづくりを 12 つくる責任 つかう責任
13 気候変動に具体的な対策を 14 海の豊かさを守ろう
15 陸の豊かさも守ろう 16 平和と公正をすべての人に
17 パートナーシップで目標を達成しよう -- --

SDGs 169のターゲットについて
17の目標について、それぞれ細かい項目を挙げています。 ここには挙げきれないので、つぎのURLを開いてみてください。
   https://imacocollabo.or.jp/about-sdgs/17goals/
※ 私が大事にしている SDGs 17の目標goals ですので、つぎの目標・ターゲットは引用しておきます。
目標四番目の 4.質の高い教育をみんなに それと目標四番目の【ターゲット】である すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する を次に挙げます。
4.質の高い教育をみんなに の目標とターゲット
 すべての人々に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する
目標
ターゲット
4.12030年までに、全ての子供が男女の区別なく、適切かつ効果的な学習成果をもたらす、無償かつ公正で質の高い初等教育及び中等教育を修了できるようにする。
4.22030年までに、全ての子供が男女の区別なく、質の高い乳幼児の発達・ケア及び就学前教育にアクセスすることにより、初等教育を受ける準備が整うようにする。
4.32030年までに、全ての人々が男女の区別なく、手の届く質の高い技術教育・職業教育及び大学を含む高等教育への平等なアクセスを得られるようにする。
4.42030年までに、技術的・職業的スキルなど、雇用、働きがいのある人間らしい仕事及び起業に必要な技能を備えた若者と成人の割合を大幅に増加させる。
4.52030年までに、教育におけるジェンダー格差を無くし、障害者、先住民及び脆弱な立場にある子供など、脆弱層があらゆるレベルの教育や職業訓練に平等にアクセスできるようにする。
4.62030年までに、全ての若者及び大多数(男女ともに)の成人が、読み書き能力及び基本的計算能力を身に付けられるようにする。
4.72030年までに、持続可能な開発のための教育及び持続可能なライフスタイル、人権、男女の平等、平和及び非暴力的文化の推進、グローバル・シチズンシップ、文化多様性と文化の持続可能な開発への貢献の理解の教育を通して、全ての学習者が、持続可能な開発を促進するために必要な知識及び技能を習得できるようにする。
4.a子供、障害及びジェンダーに配慮した教育施設を構築・改良し、全ての人々に安全で非暴力的、包摂的、効果的な学習環境を提供できるようにする。
4.b2020年までに、開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国、並びにアフリカ諸国を対象とした、職業訓練、情報通信技術(ICT)、技術・工学・科学プログラムなど、先進国及びその他の開発途上国における高等教育の奨学金の件数を全世界で大幅に増加させる。
4.c2030年までに、開発途上国、特に後発開発途上国及び小島嶼開発途上国における教員研修のための国際協力などを通じて、質の高い教員の数を大幅に増加させる。

MDGsの願いは、人の生活すべてにわたる課題として取り組む企画です。 すべて賛成ですが、私は自分の流れを大事にして幼児の宿業教育を目指した提案なり実践方法なり考えるようにしたい。 私には、取り組む時間の枠が少ないのです。
このことと共に、昨日のニュースによると変異ウイルスが猛然として襲ってきていると感じているので、これについても声を大にして警鐘しなければならないのです。
私には、この二つが課題なのです。 まずは緊急問題から ……

鈴木貴博氏に共鳴して
変異ウイルスの猛威に向かっての対策
新型ウイルスに続いきより感染力が強い変異ウイルスが急速に広がってきました。 罹患者のグラフを見て愕然としたのは私一人ではないはずです。
台湾現地報告によると、3月30日現在、【類型感染者】1032人、【死亡者】10人【回復者】979人【治療中】43人という。 日本の大阪市4月中旬一日感染者数1200人のニュース、もう何とも言えません。
今朝(15日)早く起きてコロナ第4波について調べ始めました。 そして長年企業コンサルタントをしているという鈴木貴博氏の記事に出会ったのです。
氏は日本の今の考え方による対策では、手に負えなくなると明言しています。 この引用記事( https://diamond.jp/articls/-/267919 )を「コピー・ドラッグではなく、スペル順に打ち込むこと」をぜひ開いて読んでほしい。 接触を減らさなければコロナの蔓延は抑えられない」この原則に対して自粛という生ぬるい言葉しか使われていないのです
私は以前から罹患者を公表してその罹患原因を、ほかの人たちに明確に周知させなければ未知の伝染病を防ぐことができないと、家内に言っていたのです。 家内に言っただけではだめだ、と思うでしよう。
だが、ことの真実は誰でも認めなければならないということは、私にとっては生きていくうえで又教育の世界で最も重要で大事な心構えだと確信しているようになっていたのです。
罹患者の公表は、罹患者やその家族への非難中傷がおこり無謀なことだと言います。 その通りだろうと思いますが、ことはそんなことではなく罹患伝染が人の死を招くことにつながることですから、行政サイドとしてはその方法に沿うような判断をして国民全体に徹底した理解をはかるべきでしょう。
現状の変異ウイルス伝染に対する行政方針では、ウイルス伝染を防げないのです。 大阪市の罹患者は1日1000人を超えるようになりました。 10日たてば10000人にもなるのです
腹構えとしては真実を中核に据えていないと、ゴマ化されるのです。 今度のアメリカ大統領は自分本位の癖がありそうで、中国を目のかたきにしたやりくちが目につきます。 平和へ向かう路線は全く見えてきません。 アメリカの新聞も同様な目先に走るように思えます。
菅総理は大丈夫だろうか。 そんなことまで気にかかるです。 以上でウイルス対策については終りにします。



次に教育の中で一番大事だといってもいい宿業教育の概要をまとめます。

このまとめは、今まで書いたもののダブリとなることが多いのです。 時計の振り子のように、あちこち同じことも出てくると思います。(実は、パソコンがダメになったので今流の中古品を購入してみたら、文字のタイプや大きさその他いろいろ違うので、今度のパソコンに合わせる方法をとらざるを得なかったのです)

そこで、まず始めのものは、今から10年余も前の 【2010】⑧12/23~ から始めます。


折々の記 2010⑧【01】12 26
 
 12 26 (日) 北海道発 ※検証‘北海道の教育’ 赤ちゃん時代の「大脳開発」

  一、 http://www.asahi.com/edu/tokuho/TKY201012200089.html
      <asahi.com(朝日新聞社):国際学習到達度調査(PISA)に揺れる各国 シンポで報告 - 教育>

  二、 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1263447647981_02/index.htm
      <検証 北海道の教育 企画・連載 北海道発 YOMIURI ONLINE(読売新聞)>

朝日com と Yomiuri Online を調べてみると、上記のようなデータが手に入ります。

12月7日公表された PISAについては、‘折々の記 2010⑦ 【 09 】12/10~’で取り上げました。 その後の様子はどうか気になっていたので調べてみたのです。

朝日では「日本の教育はPISAとどう向き合うか」をテーマにして、日韓豪の研究者が討議した様子を取り上げていました。

読売は前から教育には重点をおいて記事を取り上げてきていたので、調べてみたのです。 そうしたら、さすが読売は今年の年度当初から「検証 北海道の教育」という企画で連載してきていました。 その記事は注目すべき価値を持っています。

「検証 北海道の教育」の本紙世論調査に対する、陰山英男・立命館大教授、立命館小学校副校長は次のように述べています。
学力低下の原因はどこにあるかという質問に対し、意外にも学校ではなく、家庭だと考える人が最も多かった。 しかも、子育てを現在 している人々でさえ多い。 ところが、どうすればいいかを考え始めると、途端に教師、教育委員会、教職員組合などの責任を問うようになる。 特に、子供が小学生から高校生になるにつれ、つまり進路問題が現実化してくるにつれ、教師不信は募ってくる。 「原因は家庭にあるが、その解決は学校」という他力本願のような体質が感じられる。 (2010年1月12日 読売新聞)


学力低下の原因は基本的には家庭にあります。 その原因の大部分は赤ちゃん時代の「大脳開発の放りっぱなし」にあります。

この「大脳開発の放りっぱなし」こそ、学力程度を左右する最大原因です。

ほんとのことを述べなければならないのは学者の責務です。 知者の責務なのです。

日本の学力を高めることは日本の大きな基本課題であるとするならば、この「大脳開発の放りっぱなし」を直すことから始めなければなりません。 

「大脳開発の放りっぱなし」からかけ離れた議論は、将に紆余曲折の議論に過ぎません。


赤ちゃん時代の「大脳開発」こそ、

人の豊かな知徳体を築き上げていくバックボーンになるのです。

ですから、大脳内部のあらゆるデータを思索の材料にし、

熟慮百遍してほしい。



※ 次は 折々の記 2010 ⑧【 01 】 の続きです。
続きとしては10年後でおかしいのですが内容から見て、
2021②【02】04/14 宿業教育 誰にとっても一番大事な課題
になるのです。
ですからこの頁で言えば、変異ウイルスの猛威に向かっての対策にも続いているのです。


次に教育の中で一番大事だといっても間違いではない宿業教育の概要をまとめます。

 宿 業 教 育 
     折々の記 2010 ⑧【 01 】赤ちゃん時代の大脳開発の続き
宿業教育というのは宿業時代の幼児教育のことです。
ルソーが初めとはいえないにしても現代教育が論理的な考えを打ち出したのは、私が知る限りではカール・ビッテではないかと思っています。 日本では慶應義塾を始めた福沢諭吉が「学問のすすめ」によって、教育が、学ぶことが如何に大事なことであるのかを出版し国民の一般認識をはかろうとしました。 そうでなくとも封建時代と言われる時代においても、全国の藩校では優れた教育があちこちで行われてきていました。

こうした学びを重要視する考えは、昔からあったのです。 江戸時代になっては、農民も幼少時代には「寺子屋」があり「まなび」を大事にしてきました。

教育の歴史は別として教育にかかわる私が集めてきたデータは、ホームページの随所で取り上げてきました。 ホームページ設定そのものが、「まなび」を中核とした考え方によったものです。 それは名称を「0歳教育」とし、目次のAは主要内容であり、Bは私の思考の断面であり、Fは雑多な中にも「まなび」を大事にしたものがあります。

私は教職を終えての感想として、「親は、見られてもいい、聞かれてもいい、真似されてもいい、そのことが一番大事なこと」だと書いたことがあります。 わが子が大きくなってから「困った子だと思うなら」、それはもう取返しはつかないと覚悟しなければなりません。 それとは逆に子供の育て方を学んで素直に明るく強く生きてきているなら、わが子はよりよく育っている筈なのです。

対人関係の態度から人へのやさしい思いやりに始まり学習にしても健康にしても努力の継続にしても、親に似た子供が育っている筈なのです。

このことは、ごく簡単に「親に似ぬ子は鬼子」といい、どの子も親に似ているのあり鬼子などいる筈がありません。 自分で年寄りになってみて、親に似ているなと思うようになってきたのです。 いい面も改めたい面もすべは親の思いが自分ではわからないほど心の奥深くに流れていることに気づいたのです。 人の個性だと片つける風習がはびこっていますけれど、個性で始末するほど表面的なものではありません。 自分と兄のすべてを見てみても、自分と姉のすべてを見てきてみても、人柄の深い部分には親譲りのものが流れていると思います。

現代化はいいのですけれど、親子の関係は昔の藩校とか寺子屋制度とかそうしたもとでの親子関係と今の親子関係とをよく考えてみますと、だいぶ中身が変わってきているのです。

親子のミトコンドリアの中のDNAという遺伝子は変わってはいないのですが、どこかで変わっているのです。

何故なのか? なんだもんでか?

直ぐ目につくのは昔の親子は5~6才まではほとんど同じ屋根の下で常時暮らしていたのに対し、今の親のほとんどは仕事に出ていて一緒に暮らしている形が変わってきているのです。

ここで取り上げているのは、形の上での見方です。 言わんとしていることは、分かりますか。 それで、問題となるのは昔の形をとるだけではなく、もっと根源になる課題があるのです。

私の見方は親子生活のすべてにおける一人の人として独立した「人間すべての伝承」をどのようにらしているのか、という課題なのです。

ここでの課題は、「どのようにしているのか」への答えがバラバラになっていることなのです。

後姿による教育伝承、それは大事な感覚としてきました。 だが、それだけでは人間教育としてのスタートは十分ではないことに気づきました。 これだけ生活環境が目まぐるしいほどの急変化に出会うと、今までにない教育システムをみんなで作り上げないと、世界の変化に応じることができないからと思うのです。

政治も経済も社会システムも地球温暖化にしてもウイルス変化にしても、すべては人為的な原因によるものであり、さらに意見の対立が戦争手段に託されそれも核爆発という殺戮(サツリク)兵器を廃止するどころか地球規模の大仕掛けの対立となり、平和の手段は権力にねじ伏せられる論理にまでなっている気風なのです。

親子の願い、命の願い、どこ吹く風かという始末です。 憂慮にたえません。 世界中の普通の人の思いなど全く受け止めの気風が無くなってきています。 困ったことです。 人の品性どころではないのです。 世界中の普通の人たちが困っているのです。


どうしたらこのような大きな課題を受けて生きていけばいいのでしょうか。 みんなが合理的判断をして意思を表明しまとまって自分たちの要求を訴える以外に方法がありません。 どうしたらいいのでしょうか。

私は世界中の人たちがみんなで変わっていかなければならないと考えています。 どう変わったらいいのでしょうか。 私たちの思いをバトンタッチする次の世代の人たちへ確実に伝えるほかにないと考えるようになりました。

それは、乳幼児期の赤ちゃんの頃から保育園にお世話になるまでの間の親子の「素晴らしい教え育てる課題」があることに気づかなければならないのです。

それはどう考えていくのか、概略を書きだしてみようと思っているのです。


親子のDNA遺伝子そのものは変わらないのですが、赤ちゃんはほかの動物と違って、未熟児として生まれてくるのです。
赤ちゃんが「自立するまでの期間」それを私は宿業時代と名づけるのですが、その宿業時代の環境が決定的に人の資質を形成することが判ってきたのです。

このことは真実か? なんだもんで、そんなことが言えるんだ?

この説明は合理的でなければなりません。 そして実証されなければならないのです。 こんな風に表現している人はないからです。


1. 宿業とは何でしょうか

宿業を博文館の漢和大辞典辞書で調べますと、「(仏)前世のむくい。(業は今の結果を生ずべき原因となる所業)」の解釈です。

この宿業という言葉は、いつから使われてきたのでしょうか。

宿業の語源(― Microsoft Bing)を開いてみると、あるある。 漢和大辞典どころではなく、合理的な解説となっています。

そのままを再現してみると、次の通りです。


グローバル Web アイコンヒンドゥー教 - Wikipedia
   https://ja.wikipedia.org/wiki/ヒンドゥー教
宿業思想に発展し、一種の運命論となった。中国、日本の思想にも影響を与えている。
業はインドにおいて、古い時代から重要視された。ヴェーダ時代からウパニシャッド
時代にかけて輪廻思想と結びついて展開し、紀元前10世紀から4世紀

グローバル Web アイコン業 - Wikipedia
   https://ja.wikipedia.org/wiki/業
業 (ごう)とは、 カルマ ( 梵: कर्मन् karman )に由来し、 行為 、所作、 意志
による 身 心 の活動、意志による身心の生活を意味する語 。. 原義においては単な
る行為(action)という意味であり、「良い」「悪い」といった色はなく、特に暗い
ニュアンスはない 。. 仏教 および インド の多くの 宗教 の説では、 善 または
悪 の業を作ると、 因果 の ...

サンスクリット語: karma, (Dev: कर्मन्)
  パーリ語: kamma
  チベット語: ལས།, (Wylie: las;, THL: lé;)
  日本語: 業 or ごう
  グローバル Web アイコン宿命(しゅくみょう) - 意味類語辞典
     https://all-guide.com/宿命(しゅくみょう)

2019/03/16 · 宿命(しゅくみょう)の意味・類語….
【宿命の意味】.
   ① 仏語。前世における善悪苦楽などの状態。. ② ⇒ 宿命(しゅくめい)。

【宿命の類語】
  ① 前業/先業/宿業/宿徳/宿罪/宿善/宿悪.
  ② 宿命(しゅくめい) /宿運/ 運命 / フォーチュン / 運 / ラック
    / 運勢 /運気/ 命運 /命数/暦数/天数/数/ 天運 / 天命 /定命
    /巡り合わせ ...

グローバル Web アイコン縁の意味と英語|語源からも学び正しく理解する
   buddhism-lifehack.com/engi-meaning-english
2016/10/19 · 代表的なのが、「運命・宿命・宿業」などとも訳される 「fate」
でしょうか。 「fate」 には 「成り行き・結末」 という意味もあり、縁による
事による成り行きや結末、という解釈をすれば、確かに英語で表現出来る気もします。

グローバル Web アイコン業(ごう)の意味 - goo国語辞書
   https://dictionary.goo.ne.jp/word/業_(ごう)
2020/12/21 · 1 仏語。. 人間の身・口・意によって行われる善悪の行為
2 前世の善悪の行為によって現世で受ける報い
「業が深い」「業をさらす」「業を滅する」
3 理性によって制御できない心の働き

グローバル Web アイコン宿命とは - コトバンク
   https://kotobank.jp/word/宿命-528314
宿命 仏教用語でいうところの因縁因果であり、生まれながらに定められた変
えることのできない資質のこと
。 出生時間や性別、環境など、個人では選べない種類
のものともいえる。
※往生要集(984‐985)大文二「無量宿命之事、如 二 今日所 一レ 聞、六道衆生之心、如 二 明鏡所 レ 見像 一

グローバル Web アイコン業とは - コトバンク
   https://kotobank.jp/word/業
サンスクリット語で,本来の 意 味は行為であるが, 仏教 では特に身,口,意
が行なった行為ならびにその行為が存続して 果報 をもたらす力という意味に用
いられる。. また身体と口と心によって行なった行為を身口意の 三業 (さん ご
う) と 呼び ,さらに個人の業である不共業 (ふぐうごう) ,社会全体の業であ
る共業 (ぐうごう) をも説いている。. 出典 ブリタニカ ...

グローバル Web アイコン境内(けいだい)の意味 - goo国語辞書
   https://dictionary.goo.ne.jp/word/境内
2020/12/20 · 境内(けいだい)とは。意味や解説、類語。1 境界の内側。区域
内。2 特に、神社・寺院の敷地内。 - goo国語辞書は30万3千件語以上を収録。
政治・経済・医学・ITなど、最新用語の追加も定期的に行っています。

グローバル Web アイコン「宿命」と「運命」 - 違いがわかる事典
   https://chigai-allguide.com/宿命と運命
宿命の「宿」は「宿る」ではなく、「前世からの」という意味で、前世から定
まっている運命のこと。. 運命の「運」は「運ぶ」ではなく、「巡り合わせ」
という意味で、人間の意志に関係なく巡ってくる幸、不幸のことである。. 宿
命は生まれる前から決まっているものなので、変えることのできないもの。.
運命は人間の意志によって幸、不幸を左右することはでき ...

グローバル Web アイコン業(カルマ)の本当の意味とは? | 仏教の教えと 瞑想〜原始 ...

   https://www.bukkyouoshie.com/karuma/karuma.html
2012/06/05 · 輪廻転生について昨日から(※1,2,3)書いていますが、輪廻転
生と関連するのが「業」。 カルマですね。 業(カルマ)はご存じでしょう。
ですが、最初にお断りしておきたいのは、近年使用されている意味と、本来の
意味は違うということです。

宿業の語源 に関連する検索
  宿業とは
  宿業転換
  宿業の病
  宿業 意味
  宿業 親鸞
  宿業 類語
  創価学会 宿業
  川田洋一 宿業


このように宿業の語源を調べてみますといろいろと解説しています。

これとは別によくよく新聞に繰り返し紹介している「歎異抄」を調べてみるとこれまたいろいろと解説しています。 だが西田幾多郎の言葉をそのまま使って、すべての本のうち一番最後の手元に持っていたいのは「歎異抄」だとアピールしています。
 高森 顕徹 (著)「歎異抄をひらく」2008/3/3版 \1760
評価はいろいろとあります。


そもそも『歎異抄』とは?
   https://www.10000nen.com/lp/tannisho_sp_2008/?yclid=YSS.1000407269.EAIaIQobChMI2La-3qiG8AIVA1VgCh2rhgDfEAAYASAAEgIcRvD_BwE

「異なる」を「嘆く」と書いて『歎異抄』。 では何を嘆いているのか?

それは2600年前にインドで説かれたお釈迦様の教え、つまり仏教のことです。 日本に伝わった仏教は鎌倉時代当時、本当の仏教にはない、誤った教えが広まっていました。 その誤りを嘆き、正すために書かれたのが、『歎異抄』なのです。

本当の仏教とは?

今⽇でも、本当の仏教を知っている人はほとんどいないのが実情です。 仏教と聞くと、ほとんどの人はこんなイメージを持ちますが、実はこのようなことは本当の仏教ではないのです。

では本当の仏教とはどんな教えなのか?

それは葬式や法事、この世を穏やかに生きる方法を教えたものではなく、私たち⼈間が
  ・何のために生まれてきたのか
  ・何のために生きているのか
  ・どんなに苦しくてもなぜ生きねばならないのか
という、「なぜ生きる」の答えを明らかにしたのが、本当の仏教なのです。

「なぜ生きる」の答え、あなたは知っていますか? 「人はなぜ生きるのか?」こう問われたら、あなたなら何と答えるでしょう。

色々な声が聞こえてきそうですが、本当にそれは「人生の目的」と言えるものでしょうか?

「生まれてきたのはこのためだった!」と言えるものが「なぜ生きる」の答え、「私が生まれてきたのはこのためだった!」「これでいつ死んでも悔い無し」と言えるものが、本当の「なぜ生きる」の答えです。

そしてその答えとはズバリ、「摂取不捨の利益」を獲ることだと『歎異抄』に明言されているのです。

世界の哲学者も、その深い内容に驚嘆しています。

哲学者|マルティン・ハイデガー
もし十年前にこんな素晴らしい聖者が東洋にあったことを知ったら、自分はギリシャ・ラテン語の勉強もしなかった。日本語を学び聖者の話を聞いて、世界中にひろめることを生きがいにしたであろう。遅かった。
(中外日報 昭和38年8月6日)

哲学者|西田幾多郎
(空襲の火災を前に)ほかの書物が燃え尽くしても『歎異抄』だけ残ればいい。
(日経新聞2007年12月29日)

作家|司馬遼太郎
死んだらどうなるかが、わかりませんでした。~ 中略 ~(歎異抄は)非常にわかりやすい文章で、読んでみると真実のにおいがするのですね。人の話でも本を読んでも、空気が漏れているような感じがして、何かうそだなと思うことがあります。『歎異抄』にはそれがありませんでした。
(『司馬遼太郎全講演第1巻』)

難解な書物「歎異抄」をここまでわかりやすく解説!

正しい知識が無いまま読むと、読み間違いするところが多いため「カミソリ聖教」と言われることもある『歎異抄』。『歎異抄をひらく』では歎異抄の原文・意訳に加えて、さらに詳細な解説も掲載。もう間違えのないように「なぜ生きる」の答えを明らかにしています。


こうして宿業の中身を調べていて、仏教での考え方に出会うことになりました。
これは「運命」と「宿命」・「宿業」についてという名前がついています。
   ここをクリックすると頁が開きます。


「運命」と「宿命」・「宿業」について
質問:
宗教に深い【S】さんにお伺いします。 人間には、運命と宿命とあるそうなんですが、それは、変えられないのですか?

昨日、知人より↑の様なメールを頂き、まいったなぁ~。 私は、今、宗教から一番遠ざかっている人間なんだけどなぁ~。 ただ、考え方を仏教的に持っていっているってだけって。。。と、言っても無理だろうなぁ。

運命と宿命。ん~っと、「人生の目的・五木寛之・幻冬社」より、52頁より。

  〈運命〉は全てのものが背負う共通のものだ。
  〈宿命〉とは個人のものである。

一口に言うと↑の様に書かれてあります。 全てのものが背負うとは・・・52頁より。

  人間として生まれたと言う運命。この地球に生まれ、現代に
  生きているという運命。 モンゴロイド系の東洋人として黄
  色い肌と黒い髪を与えられているという運命。
   地球自身も、太陽も、銀河系も生まれ、おとろえ、消滅す
  る。 宇宙もその運命を背負っている。天体の運行などとい
  う言葉があるのも 天地も一つの運命に従って動いていると
  読めなくもない。 人類の運命とか、一国の運命とか、とに
  もかくにも私達個人の枠を越えた 共通の流れ、それを運命
  とみるのはどうだろうか。

↑の様に書かれてあります。これは、幾ら私達個人があがいてして・もがいてしても 変え様がないのではないでしょうか。この個人の力で変え様のない事を 運命と考えるのは、如何でしょうか。

 個人のものとは、そうだなぁ。【K】が私のような親の下に生まれたのも 〔宿命〕といえるのでしょうか。世の中には、大金持ち・貧困・様々な 生活レベルがあるけれども、その中に生まれ、生活をするのも 在る意味では、〔宿命〕と言えるのでしょうか。

 その様に考えると、運命は、自分の力ではどうしょうもないけれど、 宿命は、自分の心の持ち方。生活の仕方。様々な自分の努力によって 変えていく事は、出来ると思います。だからこそ、私は、いろんな 自分の不遇を、人の責任、社会の責任にしている人をみると、 許せぬ気持ちが時として起こります。

↑の様な返信をしたのですが、私の解釈に誤りがあるでしょうか。

【編集者注: 掲載にあたり文中の個人名はイニシャルにしました。また知人の方にも許可を取ってあります】

返答:
 解釈に誤りも正解もないと思いますが、 ただ言葉の問題は、はっきりさせておかねばなりません。 世界には様々な文化、宗教がありますので、 「運命」や「宿命」の定義も異なってきます。

◆ 運命と宿業について

 仏教の立場でいいますと、「変えられない運命」という考え方はしません。 仏教は「運命は変えられる」という信念で、我と相手と世界の変革に励むことを説きます。

 ただし「運命」というのは、西洋の思想を前提にした考えですので、仏教の思想とは微妙に理解のずれがあります。もし「運命」に近いイメージが仏教にあるとすれば、それは「宿業」でしょう。 「宿」は文字通り「宿す」、つまり「過去」を表し、 「業」とは、「身・口・意」の「三業」、身=行為・口=言葉・意=心や考え、 +連鎖する原因結果の因縁――ということで、 物事には必ず原因があり、 またそれを連鎖していく縁が幾度も絡み合って、 結果として今現在の私たちがあるわけです。

 歴史的社会的に業が巨大である時は、 私たち個人の業は相対的に小さくなり、 そうした力に飲み込まれてしまいます。 例えば悪業の最たるものとして言えば、 戦争状態を思い浮かべてみると分かりやすいでしょう。 こういう状態の時は、運命絶対論的な考えに偏りがちですし、 その方が迷わずに人を殺すことができるわけです。

 しかし、それでも個人個人が強い意思を持ち、 悪業に屈服せず、善業を継続して展開していけば、 圧倒的と思える悪の業にも、正しい方向性を与えうるわけですし、 悪業を善に転じていく機会も生まれてきます。
 もし「予定的な運命」という考えに縛られてしまっていては、 そうした機会も逃してしまうことになります。

 もう一度いいますが、 物事は必ず因(内的直接原因)と縁(外的間接原因)が絡みあって成り立っていますので、逆に言えば、今の私たちには、別の因縁を展開する機会が与えられているわけです。
 このように仏教では人間の自由意思を最大に認め、 自らの人生を創造していく「覚り」の生き方を勧めています。

 お釈迦様が覚りを開かれた後になされた布教とは、 まさにこのことの実現、展開に他なりません。 当時のインドは群雄割拠の戦国時代で、 その宿業を転じていくため、自らが善の展開者となり、 共に歩む仲間を増やし、教団を組織し、 自分たちで決めた戒律 に従って生活し、 その中で自由意志による自律した人生を歩む出家者を育て、 在家の人々にその功徳を振り向けられたのです。 (仏教の戒律は与えられたものではなく、 現実の生活の中から問題に応じて制定された)

 釈尊滅後もその運動は継続し、教団は発展するのですが、 インドで仏教が国教になってから、しばらくすると、 教団が内向きになり、社会への善の展開に消極的になってしまいました。

 そのため、その批判の中から大乗仏教運動がおこり、 特に巨大な善のはたらきである「浄土」の思想が中心となり、 生ける者一切すべてに浄土の功徳を施し、 仏と同じ「菩提心」、「常に覚りを求める心」を起こさせ、 人生の成就を社会的に展開していきます。
 その後、様々な紆余曲折はありますが、 現在の様々な仏教教団も、その延長線上に存在しているわけです。

◆ 宿命について

 次に「宿命」についてですが、仏教では「シュクミョウ」と読みまして、 「過去の生涯」という意味になります。
 ですから社会通念としての「シュクメイ」とは意味が違います。 (社会通念では「前世から定まっている運命」とか 「逃れることのできない決定的な運命」という意)
 仏教では一般的な意味の「シュクメイ」は否定(もうしくは打破)します。

 信心を得た人に具わる「六神通」の中に「宿命通」というのがありまして、 「過去のいのちのありかたを知る」という功徳が説かれています。 これはどういうことか諸先生方に聞いてみますと――

 ややもすると、とりかえしのつかない過去にしばられ、 後悔し、苦しみ悩む私たちです。しかし、過去はもうやり直しがききません。 その意味では、私たちは過去から逃げることができません。 その過去から逃げ回っていてはいつまでたっても苦悩の解決はつきません。 過去から救われる道はただ一つです。 自分の過去を明らかに知り、反省すべきは反省し、 どうにもならないことはどうにもならないと如来におまかせすることです。 私たちは、如来におまかせすることによって、 はじめて過去から本当に自由になるのです。
[藤田轍文著 『人となれ佛となれ』1巻10章より]

われわれはただ、自分はこういう目に遭うわけはない、 と目の前のことで考えるから、煩悩が起こるのであります。 こういうふうにならなければならないいわれがあってこうなったのである、 と、内感することができるようになれば、 われわれは煩悩を除くことができるのであります。
[金子大榮著『四十八願講義』より]

ひとりの人の一挙手一投足が、全世界を動かすとか、三千大千世界が、わずか芥子粒の中に宿っているといっています。個々の人の言動によって社会は創られ、社会の土壌によって個人は造られるのです。
<中略>
仏教でいう「宿命」とは、前世があるかないか、そういうこととは一切関係なしに、頭で考えるのではない。まごころの智慧をもって、現在只今の事実をさとるのです。 あきらめるのではない。引き受けるのです。
<中略>
この願は「宿命を識る」とは、たんに自分一人の宿命だけでなく、 相手の宿命と、さらに自己が置かれているわが家とか、わが故郷とか、 わが国とか、世界全体の宿命が識られるように、ということだと思われます。
[島田幸昭著『仏教開眼四十八願』より]

 こうした意味で「宿命」を識れば、 自分の生きる大地・社会にしっかりと足を踏まえ、 他人を呪ったり、恨んだり、劣等感をもつことなく、 正しい人生観を確立する第一歩となるわけです。

合掌

 当ホームページはリンクフリーであり、他サイトや論文等で引用・利用されることは一向に差し支えありませんが、当方からの転載であることは明記して下さい。
 なおこのページの内容は、以前 [YBA_Tokai](※現在は閉鎖)に掲載していた文章を、自坊の当サイトにアップし直したものです。
浄土の風だより(浄土真宗寺院 広報サイト)


さてこれまで宿業が何を意味するのか、あれこれと解釈を見てきました。 皆さんは読んできて、どれも合理的考えとして受け止められましたか?

もとはと言えば、仏教語として使われましたが、お釈迦様が苦行を重ねていた頃インドは紀元前10世紀から4世紀の長いあいだ輪廻思想と結びついて (この中の輪廻の項目を下に提示)展開していた世界だったことが判ります。

ヒンドゥー教では、輪廻を教義の根幹とし、信心と業(カルマ、karman)によって次の輪廻(来世)の宿命が定まるとする。具体的には、カースト(ヴァルナ)の位階が定まるなどである。生き物は、行為を超越する段階に達しないかぎり、永遠に生まれ変わり、来世は前世の業(行為)によって決定される。これが、因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)であり、輪廻の思想と結びついて高度に理論化されて一部のインド人の死生観・世界観を形成してきた。
この考えを離れて、お釈迦さまは苦行されたのでしょう。 般若心経については多少なり聞いたことがあるでしょう。 五蘊皆空という言葉も聞いたでしょう。 祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きありも聞いたでしょう。 諸業無常 是生滅法 法滅滅己 寂滅為楽も、色即是空も聞いたことがあるでしょう。

こうした言葉の中に、現在の自分は前世の行為(業)によって決まるという、匂いも気配も感じ取れないでしょう。

宿業の解釈はお釈迦様の考える中にはありません

では、この言い方は間違いでしょうか? 間違いではないが、実態を表すには合理的な表現だとは言えないのです。
何故合理的ではないのか。 実は赤ちゃんはほかの動物と違って、未熟児として生まれてくるのです。

なんだもんでか。 それは、他の動物と違って人間の大脳は素晴らしく進化して大きくなったから、自立するまでお腹の中にいるとお母さんが赤ちゃんの頭が大きくなりすぎて産めなくなってしまうからなのです。 だから早く赤ちゃんは生まれるようになったのです。

その結果として、生後少なくとも三年前後は大脳の発育はぐんぐん進められているのです。 しかも、いいも悪いも区別なく自分を取り巻く環境にどんどん順応して自己構築をめざして発達するのです。

目を覚ましているときは自分を取巻く環境から、見たもの聞いたもの感じたもの動きの様子すべて、記憶細胞に確実に定着されて大脳活動はとめどなく働き記憶細胞の連絡連携がどんどん進められ作り上げられるのです。 日本語も英語も数学も音楽も芸術も運動も、それぞれの能力は猛烈な勢いで高まっていくのです。

見たように書きたてましたけれど、すべては具体的事実として実証されてきているのです。 この能力は人間の長い間の進化を一年未満で母親から伝承されてきているのです。 この仕組みは驚くなかれ母親からの半分の染色体と父親からの半分の染色体が、一つの細胞になった途端にどんどん細胞分裂して一年足らずで一人の人として完成されるように仕組まれているからです。

そう言われれば、ほんとにそうだとわかるでしょう。 赤ちゃんは素晴らしい能力をもって生まれてくるのです。 この一連のプログラムは大脳の旧皮質が担当していると、昔教えられました。

生まれてから二年もすれば、周りの人の話はほとんど理解できるし自分でもいろいろしゃべれるようになっているのです。 私など英語の勉強を何年も経験していたにもかかわらず、一向に聞いていてもわからないし、しゃべることなどとてもできることもできません。 それなのに、日本人なら誰でもこの難しい日本語をなんなく身に着けてしまうのです。 これは驚くべき才能なんです。 誰でもみんな持っている才能なのです。


バイオリン教育で知られていた鈴木先生は、誰でも日本語をしゃべれるようになっているのだから、小さければ小さいほどバイオリンの練習をすれば立派なバイオリニストになれると言って活動したのです。

ちょっと長しゃべりになりましたが、これらは間違いありません。 まちがっていますか。 間違いないでしょう。

ですから、宿業という考え方ははっきり言って合理的ではないのです。 宿業を含めた新しい解釈とすれば次のように言えばいいでしょう。

赤ちゃんのハイハイ時代からヨチヨチ時代を含め、父母のDNAが一つの細胞となってから人間としての30億年の進化の過程を自立できるまでの期間を宿業時代と言えば、合理的と言えば合理的なまとめ方といえるのです。 私たちは誰にしても、この素晴らしい長い歴史をもって生まれてきているのです。

私は最近になって宿業教育という言葉を使うようになりました。 この宿業時代に周囲の者が幼児教育の重要性を深く考え手を抜くことの無いように育て上げないと、命を全うするという大目標がうすれてしまう気がするのです。


赤ちゃんはどの動物にせよ生まれた直後から、いのちのプログラムに即し周囲の環境に敏感に反応しながら自分を築き上げるようになっているのです。 サルの例ですが生まれたばかりの赤ちゃんの親が死んでしまい、動物園の飼育係に育てられたサルが妊娠し赤ちゃんを産むことになった。 無事赤ちゃんを産んだのだが、そのサルは我が子が生まれたことに驚き跳ね上がって高い網によじ登り、泣き叫びながら網を激しくゆすりたてました。 飼育員も驚いたそうです

やがて分かったことは普通、動物たちは野生にせよ飼育しているにせよ、親はわが子を出産してから愛情をもってわが子の世話をします。 ふつうは、生まれた赤ちゃんはちゃんと親がしてくれたことを憶えていて出産後の世話をするのです。 動物でさえ、親のしていたことを後々まで憶えているのです。

※ そして続いているのが、次に書いた内容なのです。


        続・宿業教育
                誰にとっても一番大事な課題

 04 20 (火) 続・宿業教育     誰にとっても一番大事な課題

続折々の記 2019⑪【 03 】時事news の中の 2019 12 04(水)
 学習到達度調査(PISAピザ)低落ショック なるべくしてなった。 があり、更に

続折々の記 2021②【 01 】 の中の 12 26(日)
 「北海道発 ※検証‘北海道の教育’ 赤ちゃん時代の「大脳開発」 の中で、学力低下の問題に関して「原因は家庭にある」という陰山英男さんの記事がありました。

 私は陰山さんの見解そのままに同感したのです。 そして次のような記事を書いていたのです。

「大脳開発の放りっぱなし」からかけ離れた議論は、将に紆余曲折の議論に過ぎません。

赤ちゃん時代の「大脳開発」こそ、

人の豊かな知徳体を築き上げていくバックボーンになるのです。

ですから、大脳内部のあらゆるデータを思索の材料にし、

熟慮百遍してほしい。


     続折々の記 2021②【 01 】04/09 の記事を再掲

私は 「学力低下の原因は基本的には家庭にあります。 その原因の大部分は赤ちゃん時代の「大脳開発の放りっぱなし」にあります」 と考えていました。

ちなみに朝日新聞は http://www.asahi.com/edu/tokuho/TKY201012200089.html で接続しましたが、読売新聞は著作権法により拒否されて接続できません。 朝日だけでもひらいて
  国際学習到達度調査(PISA)に揺れる各国 シンポで報告 2010年12月20日
この記事を読めば、PISAの結果に対する議論の一部が判ります。

国際間でも子供たちの成長結果を統計に取り始めているのです。
また別の角度から子供たちの様子が教育機関の中でも起きてきました。 戦後の教育を見てきますと、日本でオリンピックが初めて開かれた昭和28年を過ぎてから、教育界の動きは文部行政の管理変化によって変わり始めています。 日本の経済は活気を持ち始め生活意識も変わり始めました。 ことに進学と就職による子供たちの精神的変化は、学習成績による優越感と劣等感が微妙に表れ始めたのではないかと思われるのです。

こうした心の内部動揺が、学内暴力として表れ始め、さらに進んでいじめの問題が教育界の中で大きな課題になってきました。 こうして変化に並行して多くなってきたのが青少年り自殺問題です。

校内暴力、いじめの問題、青少年の自殺の増加、表現は違ってはいるが、じぶんの命に係わるような深くてすぐには目に見えない流れが生まれてきたと言えるのではないかと私はまとめるのです。

もちろん子供を取り巻く家庭生活の在り方の変化に応じているという見方もあるといえましょう。 生活における経済格差の変化ともいえるのでしょうか。 質素倹約という古来の品性に代わって、物質潤沢による価値観の変化もかかわっているとも言えるでしょう。 それは格差社会という言葉で表現され、フランス人トマ・ピケティ「21世紀の資本」で明らかにされ、富の集中はさらに「パナマ文書」「パラダイス文書」で暴露され、田中宇「金融世界大戦」は‘第三次大戦はすでに始まっている’と論評しています。

こうした世界の変化を誰しも敏感に受け止めているから、成人になった人々はどうにもならない閉塞感を感じ取っておりこれもまた子供たちへも伝わっていくのだろうと案じられてならないのです。

私が指摘する宿業時代というのは、すでに能力逓減の曲線図としてあらわされており、たとえば絶対音感という感覚受容識別能力の限界は4~5才で終わるとされ、英語のLとRの微妙な識別能力も聴力としても発音としても4~5才のバリア(障壁)があると言われています。 東北地方の方言として理解されているサシスセソの発音にしても言語バリアを越してしまうと、そのまま定着してしまうので、早苗をスナエと発音したり東をシガシと発音してみたりしてしまうのです。

方言の癖は、東北の人に限らず下伊那地方にしても、その地方で使われていた方言がなかなか抜けないのです。 それほどに、幼児期に記憶しインプットされた記憶細胞の反応は簡単に消しゴムで消すようなわけにはいきません。 こうした例を挙げていけば、ほんとにそうだァ、と分かります。

幼児期に記憶細胞に入力した言葉の記憶にしても、目したものや耳にしたものや触ったもの味わったものや五感とか六感とか言われる認識機関の大脳への記憶は間違いなく身についてしまうのです。

幼児期にお話をたくさん聞いたり、草花の名前を聞いたり、お母さんだけでなく身近の人の歌を聴いたり、素敵な書画を見たり、いろいろ物を作ったり、書いたり、しゃべったり、運動したり、遊んだり、そうしたすべての経験をいくらでも取り入れる能力を宿業時代の幼児期は誰でもそなえているのです。


私がこうしたわけではありません。 私は普通の母親と父親のもとで育ちました。 ぼやァッとして大きくなり、予科練の日課も面白く過ごしてきました。
昭和20年の6月10日、死ぬことと大怪我で生死もわからないという、生きる死ぬという初めての体験が後になって自分の生きざまの中の大事な要素になってきました。 そして貧しい暮らしの中で幸運にも恵まれ長野で三年間学ぶことで自分を築くことができました。 その後子供の指導の任についてからの体験など合わせて、ホームページを残したのです。 その最後の私の願いとして、宿業時代の教育こそ「いのちを育てるこやしになる」と思って「折々の記」の締めくくりにしたいのです。 そんなわけで、長たらしく書いてきました。
読んでくれた人は、役に立つと思うことがあれば取り込んでもらえば私にとっては幸甚なのです。


ではやっと、宿業時代の教育についてまとめをします。 宿業教育です。

教育というのはもともと子供が真似たいという要求をもっているから、子どもの興味関心を引くような言葉がけや行動を教育する側で作り上げることが基本になっております。

その意味では「真似び」は学びの原型なのです。 子供だけではなく、知識や技術も同じで興味や関心のあるものに惹(ヒ)かれ、それを正確に模倣し、自分の中に定着していく。 それは子供に限ったことではないと思います。

孔子の教えをまとめた弟子たちが「学而第一」とし「真似び」を根底としています。
論語の一番初めの「学而第一」は、次の表現になっているのです。 まず理解しておきましょう。
原文
子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎

読み方
子曰く、学びて時に之を習う。亦説ばしからずや。朋有り、遠方より来たる。亦楽しからずや。人知らずして慍おらず、亦君子ならずや。

語釈
子 … 先生。男子の尊称。ここでは孔子を指す。
曰 … 「曰いわく」と読む。
学 … 学問すること。 而 … 接続詞の働きをする置き字。「~して」「~て」と、直前の語に続けて読み、訓読しないことが多い。
時 … やれる時はいつでもの意。「ときどき」の意ではない。
不亦説乎 … 「またよろこばしからずや」と読む。「不亦~乎」は、「また~ずや」と読み、「なんと~ではないか」と訳す。詠嘆の形。
亦 … 語調をゆるやかにする語。「~もまた」の意ではない。「亦また」のどちらでもよい。
説 … 「悦」と同じ。「よろこぶ」と読む。
有朋自遠方来 …「朋有り、遠方より来たる」と読む。
朋 … 学問について志を同じくする友人。
自 … 「より」と読み、「~から」と訳す。返読文字。時間・場所などの起点を示す。
不亦楽乎 … 「またたのしからずや」と読む。詠嘆の句形。
人不知而 … 「ひとしらずして」と読む。人が自分の学徳を認めてくれないこと。
不慍 … 腹を立てない、不平不満をいだかないこと。「いからず」と読む。
不亦君子乎 … 「またくんしならずや」と読む。「なんと君子ではないか」と訳す。
君子 … 徳の高いりっぱな人。人格者。反対は小しょう人じん。
昔教えられた時には、習うの漢字は羽の下は自の文字で、鳥は自分で羽ばたいて飛ぶことを練習したことにより、羽の下に自の文字が使われ後になって今の漢字になったと説明されたのです。 その真偽はわかりませんが、自分で何回も習って練習しなければ親のようには飛ぶことを憶えられません。 文字変化の解説は理屈に合っていました。

子供が興味関心をもてるようにするには、自分が興味関心をもって誘う気持ちがないと子供も興味関心をもつことができません。 ロボットの言葉では子供は動きません。 これは大事な心掛けなのです。


もう一つ、宿業教育の対象となる赤ちゃんとか幼児のものすごい受け入れ能力には、自分で一人前の判断をして言葉を発し行動するまで時期はいろいろと考えられています。 一般的には学齢期を最終時期として考えられてきましたが、その切り替え時期はまず3~4才頃と考えたほうが良いと思われます。 マジカル・チャイルドの著者チルトン・ピアスは、成長期をほぼ4年とし、生命発生から4年の満3才を乳幼児期とし、 「才能逓減」の検索から、

才能逓減(ていげん)の法則、というのをご存知ですか?
簡単に言えば「人が持っている才能は年齢が高くなれば高くなるほど、
引き出しにくくなる
」という法則です。

これは、人間の脳の発達が関係しています。下の「脳の成長グラフ」をみれば
幼児期の脳は爆発的な発達が一目で分かります。

才能逓減の法則グラフ

(引用画像 http://www.onerest.net/kosodate/soukiedu.html

人間の脳は3歳までに飛躍的な成長を遂げ、
基礎はほぼできあがってしまいます。

3歳を過ぎると脳の成長はゆるやかになります。
だからこそ教育を始めるのは早いほうがいい、というのがこの法則です。

逆に言えば「3歳までの育て方次第で、生まれも遺伝も関係なく、
どの子でも無限の才能を開花させることができる」
のです。

脳は放っておいても伸びない?|早期教育の重要性

脳科学の発達で、3歳までの脳が飛躍的な成長をすることがわかり、
従来の「子どもは放っておいても育つ」という考えではいけないのだ、
と言われるようになりました。

子どもの脳は早い時期からどんどん刺激を与えて回線をつなげていかないと、
才能を十分に引き出すことはできません

早期教育論者のあいだでは始める時期は早ければ早いほどいい、
というのが一般的で、胎児の頃からの教育がもっとも天才児を生み出す
可能性が高いという説もあります。

才能を引き出すための環境は?|たくさん話しかける

乳幼児の頃はとにかく愛情たっぷりで育ててあげましょう。
子どもは親からの愛情をたくさんもらって安心感を得ることで、
自信につながるのです。

安心感という土台があってこそ、いろんなことに興味を持ち始めるのです。
まずは親の愛情が一番です。

まずは、たくさん話しかけましょう。
お腹の中にいる赤ちゃんも聴力は十分に発達しているので
周囲の音を聞き分けることができます。
リラックスできる音楽や話しかけは脳への刺激となります

誕生してからも話しかけは、ずっと行いましょう。
赤ちゃんだからわからない、と決めつけて話しかけないでいると
脳への刺激が少なくなってしまいます。

そして幼児の成長の段階に合った知育教材でまずは遊ばせてみてください。
興味を持ったことはどんどん与えてあげてください。

それぞれの子どもで、興味も示す内容が変わってきます。
そのためにも親はたくさんのきっかけを作ってあげることが重要です。

親と子が一緒になって楽しめる環境を整えることで 、
お子さんの才能を引き出す可能性がぐんと上がります。
以上終り