【目次へ】
続折々の記へ
続折々の記 2021③
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】04/28~
【 02 】04/29~
【 03 】04/29~
【 04 】04/29~
【 05 】04/30~
【 06 】04/30~
【 07 】05/01~
【 08 】05/01~
【 09 】05/01~
――――――――――――――――――――――――――――――
【 07 】05/01
人間は教育によって人間になる 和戸川純 essay6より
天才を育てる楽しみ 和戸川純 Essay 28より
既に 「世界は日本化する」 「世界が日本人に注目している」 「時代の谷間で苦悩する小沢一郎」 を拝借したが、まだ多くの見解を教えてもらいたい。
エッセイ評論要約<https://essay-hyoron.com/index.html>または<https://essay-hyoron.com/content.html#ESSEI6>を開き、必要ならばURLへEssay番号を入力して索引していけば、いろいろのエッセイに出会えるはずです。
私は教育分野の essay6<人間は教育によって人間になる> と essay28<天才を育てる楽しみ> を今日は取り上げて解説に接するつもりです。
https://essay-hyoron.com/essay6.html
ニックネイム<和戸川 純>より
2008年12月3日(修正2016年8月6日)
◆ 人間だけにできる教育とは
学ぶことは、下等動物にもできる。一度敵に遭遇すれば、敵が現れる前のにおいや音を記憶する。次は、そのにおいや音に反応して、敵が現れる前に逃げる。 食べ物を手に入れた時は、植物の繁茂状況を覚えていて、そのような植生のところを探すようになる。
このような学習によって、より環境に適した生活行動を取るようになる。しかし、ここに述べた学習は、個体の経験の範囲内に限定される。
教育とは、1つの個体が、自分の経験を他の個体に教えること、と定義できる。教育によって、学ぶ者の学習の範囲が大きく広げられる。1個体の経験の枠を越えられるので、教育を受けた個体は、まだ遭遇していない多様な環境にも、それらが現実化した時に、確実に対応できるようになる。
* * * * * * * *
サルは子育てを母から学ぶ。小さい時から人間に育てられると、自分が母になっても子育てができなくなる。ライオンのような肉食獣は、子は狩りを大人から学ぶ。こうして、より良く生きるための複雑な生活行動が、可能になる。
動物の教育は、親から子というように家族内に限定される。サルやオオカミなどの集団性動物は、グループ内での教育が可能になる。けれども、毎日を生きるための生活の知恵が、子あるいはグループ内のメンバーにしか、伝えられない。
* * * * * * * *
人間の教育は、動物の教育とは質的に異なる。
教育によって空間と時間が超えられる。地球上のどこか別のところで、人類の祖先が積み上げた知識。それを受け継いでさらに改善し、空間的にも時間的にも異なるところに住んでいる、他の人たちに伝える。
こうした積み重ねによって、人間の文明は今まで発展してきた。教育によって、人間のみが文明を構築できた。
* * * * * * * *
文字がない時代でも、人間は豊富な言葉を使って、先祖代々の経験を子孫に語り継いだ。壁画によって、祖先の経験が子孫に受け継がれた。
文字が発明されてから、人間の知識はさらに急速かつ広く、他の人々に受け継がれるようになった。文字が、時間と空間の壁を軽々と越える、知識伝達のための手段になった。
学校という教育システムを作り上げた人間は、教育の高度な効率化を図ることもできた。
* * * * * * * *
教育は、文明社会を構築した人間が人間であるために、人間に不可欠なものだ。
◆ 教育によってはオオカミになる
人の能力と性格は、遺伝子によっては30%しか決定されないという。残りの70%は、生後の環境との関わりによって形成される。ここで、教育が重要な役割を果たす。
* * * * * * * *
昔、インドでオオカミ少年が発見された。
この少年は、産まれてすぐに、メス・オオカミによって連れ去られた。大きくなるまでオオカミによって育てられた。この少年は、人間社会へ連れ戻されたが、4足で歩き、オオカミの吠え声でコミュニケートするやり方を、死ぬまで変えることができなかった。人格形成期における教育の重要性が、この例から分かる。似たような事例(オオカミ少女)は、他でも報告されている。
環境との関わりという、広義の教育で変わる70%の部分が、遺伝子は人間だが、行動パターンはオオカミという「動物」を作ってしまったのだ。
* * * * * * * *
このオオカミ少年の例は、教育をただ単に善として受け入れるのは、危険なことを示している。
教育のやり方によっては、人間はオオカミになってしまう。 オオカミを作らないために、教育は注意深く実施されなければならない。
◆ 解剖学も裏づける教育の重要性
教育によって行動と生き方が決まる人間。出生後の教育の重要性は、解剖学的によっても裏づけられる。
* * * * * * * *
大脳皮質は3層から成る。最内層に古皮質がある。大脳皮質の中では最も古い構造だ。5億年前に魚類が誕生した時に形成された(エッセイ2「絶滅をバネに進化する生物」を参照)。
人間にもこの構造が存在する。生存に直接関係する、原始的な記憶や嗅覚などは、この古皮質によって担われている。
その外側に、両生類に進化した時にできた、大脳旧皮質がある。脳のこの部分は、情動や欲求などの本能、そして自分の意思ではコントロールできない、自律神経系の生体機能を受け持っている。
大脳皮質の最外層に、哺乳類で初めて出現する新皮質がある。知覚、思考、推理、記憶、自分の意思でコントロールできる随意運動など、脳の高次機能を担っている。
この新皮質が人間では特に大きい。 学習効果によって、新皮質それ自体の機能が変えられるばかりではない。さらに下層の古い皮質の機能にも、影響が出る。すなわち、私たちが本能と呼ぶ、知的思考ではコントロールできないと考えられている、脳の活動も、教育によって大きな影響を受ける。オオカミ少年の例を思い出したい。
◆ 保守と創造の対立する作業
人間を人間たらしめるために、大脳の新皮質が知的活動の中心になっている。文明の伝達と発展を考える時に、新皮質の機能を大きく2つに分けられる。
* * * * * * * *
1つ目は、祖先から伝えられてきた知識を、そのまま次の世代へ伝える作業をする機能。記憶の伝達が行われる。
日本の伝統的な家元制度が、この典型的な例になる。ここでは、伝えられる知識を、加工したり修正したりすることは許されない。
伝えられた知識と全く異なることをやれば、ゼロからの出発になってしまう。文明は既に確立された知識の上に、さらに新しい知識が積み重ねられて進むという、根本のところが崩れてしまう。世代から世代への知識の伝達という、根本のところが崩れるのだ。
2つ目は、こうして獲得した既存の知識の上に、今までの世代が想像もしなかったような知識を、新しく創造し積み上げていく作業をする機能。 文明を発展させるために、この作業が必要になる。
* * * * * * * *
上の2つの作業は、同時に進められなければならない。しかしながら、保守と創造という、互いに相反する作業をこなすことには、困難がある。この困難をどう乗り越えるかが、教育に課せられた重要な課題だ。
◆ 他文明の吸収・伝達には成功した日本人
日本の教育は、過去の知識を次世代に伝えるという点では、非常に成功した。これは、日本的な文化の伝達だけに限定されなかった。古くは中国文明、朝鮮文明を積極艇に吸収して、伝達した。そして、新しくは西欧文明の吸収・伝達だ。
日本人は、ここまで西欧化されていながら、今までに作り上げられた伝統的な文化や精神を、失ってはいない。これは言葉を変えて言えば、その起源がどこであろうと、日本人は異質な文明を上手に吸収し、今まで伝えられてきた知識や技術の上に、新しく付け加えてきたことを意味する。
対立軸を中心にして回転する、西欧文明を作り上げた欧米の人間にとって、この無節操に近い日本人の柔軟性は、驚くべきことだ。日本人以外に、ここまでうまく、文化と精神の吸収・伝達を成し遂げた民族はいない。
* * * * * * * *
既存の知識の学習ということでは、成功した日本人。では、既存の知識の上に、自分たちが創造した知識を、さらに上乗せするようなことはできるのだろうか?
世界から隔離されていた江戸時代に、独自の文化を発展させた。他からの影響がない時には、創造力を発揮できることは間違いない。では、全てが混じりあう現代のグローバル化された世界で、独自の知識を創造し、世界に影響を与えることはできるのだろうか?
できると思いたい。自己主張が特徴的な個人主義と、自分を殺す、自己滅却の精神を両立させなければならないが、教育でそれができる日本人を育成できる、と思いたい。
けれども、日本の教育は、余りにも一方にかたよった教育になってしまっている。まるで、知識を伝達するだけのための教育の芸術だ。創造的な自己主張が、入り込む余地はない。
典型的な例は受験教育。ただ進学するだけのために、学校で塾で、膨大な量のエネルギーと時間が使われている。受験教育が見事にシステム化されている。
* * * * * * * *
この頃は改善されてきたとはいえ、私が大学生の頃は、大学は教育と研究のためだけの機関になっていた。いわゆる「象牙の塔」化していた。大学は、社会から切り離されて存在しているのが理想、とされていた。企業と連携して仕事をしようとする教授は、「産学共同を進める悪魔」というような言い方をされた。
* * * * * * * *
教育は、全ての人間が、社会的にも、経済的にも、心理的にも、道徳的にも、人間らしく生きることができるように手助けする。さらに、より良い社会を作るための手段になる。
教育のための教育が至るところで行われると、壮大な無駄使いになるだけではない。良くても文明の進歩を遅くし、悪くすれば文明を停滞させてしまう。
教育の根本的な視点は、常に人間の社会を見据えたところに、置かなければならない。社会を改善し、進歩させるために存在する教育。文明の発展に貢献する教育。 そうでなければ、教育は本来果たすべき役割を果たせなくなる。
◆ 発揮できる能力を限定してしまう教育
話を抽象論から、もう少し具体的なほうへ持っていくことにしよう。
* * * * * * * *
少し前まで、学校は学級崩壊で騒然としていた。いじめも、至るところで問題になっていた。
「授業中に騒いではいけない」、「友だちをいじめてはいけない」と簡単に割り切って、生徒をしかることは容易にできる。けれども、こんなスローガンをかかげて表面的な対策を立てても、教育の根本的なところにある問題は、残ったままになる。こんなことで満足していたのでは、教育が本来目指している人間を育てることはできない。
社会に出れば、1人ひとりが、苛烈な生存競争に立ち向かわなければならない。国内の競争だけではなく、現在のグローバル化された世界には、国際的な情け容赦のない競争がある。そんな社会で生きのび、さらに社会を改善できるような大人の存在が、必要になる。子供たちを教育して、このような大人にしなければならない。
* * * * * * * *
そのためには、既存の知識を持った人間を育てることだけでは、極めて片手落ちだ。受け身の能力だけを発揮できても、社会を進歩させられない。
どのような環境下に置かれても、自ら考えて行動し、問題を発見し、その問題に柔軟に対応できる人間。問題の解決法を割り出すことができる人間。そのような、たくましく生きることができる人間を、教育で作らなければならない。
日本の教育は、それとは反対の方向へ動いているのではないだろうか?
日本の社会では、何かがあると、すぐに大人が子供たちの間に入りこんでくる。大人の価値判断で、問題を解決しようとする。子供たちは、自己の確立などはとてもできない。
学校で、何かというとすぐにキレル生徒。少しでもいじめに会うと、世界の終末が来たとでもいうように、落ちこんでしまう生徒。
ストレスに耐え、それをはね返す人間にするための教育が、なされていないのだ。他人とぶつかりあった時に、自ら判断して、ベストではなくても、ベターな方向で解決するだけの、気力と柔軟性を持った人間を、社会は育てていない。
* * * * * * * *
何か事があるたびに、規制だ、規則だ、法律だ、校則だとやっている日本。子供たちばかりではなく、教師までもが完璧に管理される体制ができてしまった。
もっとも、このような傾向は、今に始まったことではなく、日本人の精神における前からの問題だった。
以前、M&Aやリストラが大規模に進められた時、想定外の不遇に遭遇した多くの会社員が、ストレスを感じた。そして、自殺者が大勢出た。金融危機真っ盛りの現在も、似たような状況になってきた。
一般庶民は言うにおよばず、エリート官僚や経済人も、ちょっとした挫折によってすぐに自殺をしてしまう。
もろい。精神的にとてももろい。自分が、今いる枠の中からはずれなければならなくなると、それだけで自殺をしてしまう。
今まで生きてきた小さな世界。そこから1人で飛び出し、全く違う世界を自ら切り開いていこう、などと考える強い意志を持っていない。
◆ 大人をはるかに超える子供の能力の柔軟性
大脳新皮質の機能が、まだ形成過程にある子供。いろいろな面で、大人よりも、もっと大きな能力を持っている。知識を吸収する力だけではなく、自分を変える能力も、大人よりもけたはずれに大きい。
子供を過保護に扱う大人は、子供を大事にしているように見える。けれども、実際には子供の能力を軽視している、と言っても差し支えがない。
こんな大人は、問題があるように見えると、すぐに口を出す。そうやって、問題を解決する能力を、子供自らが発揮できないようにして、成長を妨げているのと同じ結果をもたらす。
* * * * * * * *
子供の能力の高さは、知識の吸収力だけを見てもよく分かる。あれほどたくさんの漢字をすぐに覚えてしまい、複雑な算数・数学を短時間のうちに学ぶことができる。
子供たちが学ぶべきことを減らすという方向で、教育の問題の解決法を探すのは、明らかに見当違いだ。
学校の授業時間数を減らすゆとり教育は、間違っていた。これは、子供たちの能力が大人と同じ程度のものと考えなければ、出てこない考えだった。
知識を吸収することによって、大人になるまでの間に、機能までも変わってしまう大きな大脳新皮質を持っている、人間の子供たち。幼少期にもともと持っている、驚くべき知識吸収能力を軽視して、子供たちの成長を小さく押さえてしまうのが、ゆとり教育だった。大脳新皮質の発展を極大化させるのとは、逆方向の教育になってしまった。
こんなことをやっていれば、最も人間的な営みである教育に力を入れたおかげで、ここまでやってきた日本が、今後は衰退することになる。
* * * * * * * *
世界的に見ても学力が落ちてきたということで、ゆとり教育は見直されている。ゆとり教育を見直すとすれば、どうすればいいのか?
教える知識の量を増やすことは当然だが、教え方を変えるという方向へ持っていくことは、さらに重要だ。
自分を変えることについても、子供には大きな能力がある。たった1冊の本を読んで、子供は、自分を大きく変えることができる。それだけで、一生の人格が決定されるようなことが起こりえる。
小学校や中学校の先生のひとことが、自分の人生を左右するほど大きな意味を持った、という経験をした大人が少なからずいる。
1を聞いて、100も200もの問題を解決する能力を持っている、と言い換えることができる。こんな子供の融通無限さを、大人は直視し受け入れなければならない。子供の大きな能力をどう開花させるかが、教育改革の重要なポイントになる。
◆ 教育が未来を作る
やがて大人になって社会に出る子供たち。この子たちが人間の未来を作り上げる。 教育には、未来を作る人間を育成するという、重要な側面がある。
どうやって、教育が持つこの重要な役割を、現実化できるのか?ここを大人たちがよく分かっていないのが、今の日本の大きな問題だ。
* * * * * * * *
高度経済成長期には、努力をすれば自分も国もより豊かになるという希望が、夢ではなく現実のものであることを、誰もが実感していた。豊かな人生を可能にする教育。迷いはなかった。
高度成長が終わった頃から、日本人の人生目標が不明確になってきた。 未来の夢がなくなれば、未来を作る人間をどう育てるのかという、教育の方法論も失われる。大人が混乱すれば、教育を受ける子供たちも混乱し、意欲を失なってしまう。
* * * * * * * *
大人たちは、今の子供たちが大人になった時に、どのような社会を作ってほしいのか?大人たちは、どのような理想を掲げて、次の世代を教育するのか?
これらの質問にきちんと答えることが、とても大事だ。次の世代にどのような進歩を期待しているのかを、はっきりと示す。これが私たちの世代の務めだ。
子供たちは、どのような社会の中で、どのような人間になることを期待されているのかを、知らなければならない。そうやって、子供たちは、自分がどのような夢を持つことができるのかを、自ら考えるようになる。自らの夢を現実のものにするために、労働と新しいものを創造する知的活動に、労を惜しまなくなる。
人間の過去の知識の蓄積の上に、次の世代が新しい知識を創造していくという、教育が本来持っている役割が、ここで果されることになる。
◆ 未来像を明確に描くこと
大人たちが、社会の未来像を明確に描くことができなければ、子供たちのやる気を引き出すことは難しい。目的もなく、訳も分からずに学び続けることは、誰にとってもとても難しい。
未来を見つめた教育。それをやらなければ、次の時代を作る自覚を持っている人間を育てることは、困難になる。
* * * * * * * *
たとえば、情報化でより自由で豊かな社会を作る、という目標を掲げる。
独創的な仕事を支える、基礎的な知識と技術を習得することが、まず必要になる。その仕事にふさわしい心理を兼ねそなえることも、大事だ。技術の発展を、人間の自由な精神活動の発露に役立てるためには、自由を主張するだけではなく、責任感と義務感を持った世代を育てなければならない。
以上のことを成し遂げるための自覚を、大人たちが共有し、未来への道筋を子供たちに示す。そうやって、子供たちは、未来を見通すことができるようになる。未来の社会の中にいる自分の姿を、想像できるようになる。その夢へ向かって努力をすることに、個人的にも社会的にも、大きな意味のあることが分かってくる。前の世代の夢を現実化し、さらにその先の夢を現実化できる大人が誕生する。
未来は、今の子供たちのものになる。
* * * * * * * *
現在の教育の問題は、教育の明確な理想像を描けない大人たちの問題だ。教育とは、前の世代が次の世代を育成することなのだから、それは当然だ。
◆ 異質を認める教育の必要性
日本の学校で、ワルが何人か集まって1人をいじめると、全員がそれに荷担をする。積極的に加担をしなくても、見て見ぬふりをする。
ワルに対峙して、いじめられる生徒の側に立つ友だちは、まず出てこない。 子供だけではない。大人の世界でも、大勢に流されることを好む者が多い。正しいと思うことを、1人になっても主張し続ける日本人は、余りいない。 会社にもしばしばある大人のいじめ。ここでも、弱いほうの味方をする人は出てこない。
こんなことがしばしば起こる日本。
* * * * * * * *
同質性を望む人間の画一化は、今までの歴史を見ただけでも、とても危険なことが分かる。社会全体としてバランスが取れなくなる。 社会がワッと間違った方向へ走り始めると、止める人間は1人も出てこない。誰もが、いっせいに崩壊へ向かってつっ走る。 第2次世界大戦がそうだった。
多くの日本人には、個の確立ができていないように見える。と言うよりも、個が確立されないように、積極的に教育がなされてきた、と言ったほうがいいかも知れない。
全員が同じように行動するのをベストと考え、違う行動をする者を排除する。同質性が絶対で、異質性が拒否される。
こんな人間を作る教育は、もう止めたほうがいい。グローバル化された世界では、異質な人間たちが身近に住んでいる。遠くに離れて住んでいても、緊密に連携して仕事をしなければならない。そんな世界で、日本人は誰とでも協力しあって、生きていかなければならない。 異質な人間に自分を認めてもらうと同時に、自分も異質な人間を認めなければならない。異質が多様性を生み出し、多様性が大きなチャンスを生み出すことを、明確に自覚することが必要になる。
* * * * * * * *
日本では今、教育を含めて、社会の至るところが行きづまっている。しかし、これは大きなチャンスだ。全てがうまくいっていると、誰も現状を変えるような改革を考えない。未来へ向かって日本を変えるための大きなチャンスを、逃がさないようにしたい。
<和戸川 純>
https://essay-hyoron.com/essay28.html
ニックネイム<和戸川 純>より
2012年7月25日
◆ 過去への旅
少しでも時間があると、その時点でやっていることとは無関係なことを、ふと想ってしまう。それが私の楽しみ(のうちの一つ)になっている。
ただし、誰かと話をしているときにこんなことをやると、失敗をする。相手の言っていることが聞こえなくなってしまうのだ。私の目が、どこか遠くを見つめているのに気づいた相手は、一瞬けげんな顔をする。
* * * * * * * *
けれども、目の前の相手がコンピューターならば、何も心配することはない。
というわけで、オーストラリアから日本へ帰国してからのことだが、コンピューターでとても現実的な作業(投資に関係したアナリシス)をやりながら、突然に昔のことを想いはじめてしまった。現実的な作業を続けるのが困難になり、作業を中断して、その思い出に集中することにした。
◆ 『あのフィル』を発見
過去へさかのぼる旅は、オーストラリアへ行き着いた。 オーストラリアにおける二番目の職場は、W大学のScience Faculty(理学部ではない。理学部よりも専攻領域が広い。科学部とでも訳せばピッタリ)だった。主任研究員として仕事をした。バリバリの若手研究者といえた。
そこで、学生のフィルに出会った。
* * * * * * * *
「あのフィルは、今何をしているのだろうか?ありとあらゆる情報が詰め込まれている、インターネット。調べれば、フィルが今どこで何をやっているのか、分かるかもしれない」
フィルのフル・ネームを使って、検索エンジンで検索をしてみた。あらためて感動。インターネットはすごい!すぐにフィルが見つかった。
運がよかった。フィルは、自分のページに顔写真を載せていたのだ。写真がなければ、同姓同名の他人の可能性が高い、と思わなければならなかった。何しろ、フル・ネームのフィリップ・ホジキンは、英語圏ではとても一般的な名前なのだ。フィリップ・ホジキンは掃いて捨てるほどにいる。
さらに運がよかったこと。50才に近いフィルの顔が、学生の頃とほとんど変わっていなかったのだ。太ってはいたが、写真を見た途端に、間違いなく『あのフィル』を見つけたことを知った。
◆ 世界でトップ・クラスの研究者になったフィル
フィルは、メルボルンにある、Walter and Eliza Hall Instituteという基礎医学の研究所で、免疫の研究をしていた。大金持ちの夫婦の寄付によって作られた、免疫学研究では世界でトップ・クラスの研究所だ。
「クローン選択説」という理論で、免疫学分野で世界で初めてノーベル賞を受賞した、バーネットがこの研究所で仕事をしていた。免疫系で中心的な役割を担っているT細胞が、ここで発見された。抗体を産生するB細胞に関する発見や、コロニー刺激因子、それに臓器移植で問題になるMHCなどの発見もあった。
押しも押されもしない業績を上げ続けた、ノーベル賞受賞者を何人も輩出した研究所だ。
フィルは、この研究所の中心になる、免疫学部門の部門長をやっていた。メルボルン大学の教授も兼任していた。オーストラリア免疫学会の学会長でもあった。
* * * * * * * *
この研究所のフィルのメール・アドレスへメールを送ると、すぐに返事がきた。
フィルが学生だったときに、私が研究の指導をした。学生だったフィルに、私が与えた研究テーマの延長線上で、フィルはずっと研究を続けていたのだ。 そのテーマに対する最終的な答が、もうすぐ出る予定だという、自信ありげなメールの内容。 私にそんなメールを書くことが、フィルにはとてもうれしかったはずだ。
私が、免疫学を一生の仕事にするきっかけをフィルに作った。一生涯の研究テーマを与えた私のことを、フィルはとてもよく覚えていた。フィルが卒業するときに、私がフィルに贈った一こま漫画を今でも持っている、ということまでメールに書かれていた。
* * * * * * * *
私は研究者としてのフィルに、大きな影響を与えることができた。それ以上に、これから書くように、一人の人間としてのフィルの人生に、決定的な影響を与えたのだ。
フィルも、私にとても大きな影響を与えた。私はフィルのことを、昨日会った人のようにはっきりと覚えている。それは彼が、天才的な能力の持ち主だったからだ。一生に一人でも会えれば運がいい、といえる天才。
◆ 私が出会った二人の天才
私が今までに出会った、天才といえる人は二人。フィルと上述のバーネットだ。
* * * * * * * *
バーネットの「クローン選択説」をもとに、現代免疫学が発展した。バーネットは、免疫学のアインシュタインのような人だ。
私が渡豪して最初に勤めたのはメルボルン大学。そこで、駆け出しの研究者として仕事をした。同じ建物の中に、名誉教授だったバーネットがオフィスを持っていた。
その当時のバーネットには、研究や教育の義務はなかった。余生を送っている、全てを悟りきった、とても穏やかな熟年の紳士としか見えなかった。学生時代のフィルのような、抜き身の刀を思わせる危険な天才の雰囲気を、漂わせてはいなかった。
全くえらぶらず、若い日本人の研究者である私と、いつでも雑談をしてくれた。
他のスタッフは、高名なバーネットを煙たがって、明らかに距離を置いていた。バーネットが身近にいてうれしい私は、気遣いをしなかった。そんな向こう見ずな私を、バーネットは喜んでくれているように見えた。けれども、私の英会話も駆け出しだったので、会話中にいらいらしたことがあったと思う。
「なるほど、本物の天才とはこんな人なのだな」、と妙に感動したことを覚えている。
フィルとは違って、バーネットと私の間には広くて深い溝があった。私などよりも、ずっと高いところにいるバーネット。
◆ 最悪の評価を受けていた学生時代のフィル
オーストラリアの大学には教養課程がなく、1年目から専門コースへ入る。Science Facultyの4年目はHonors Courseと呼ばれ、日本の修士課程と同じことをする。このコースの学生は各研究室に配属され、与えられた研究テーマのもとに実験をして、卒業論文を書かなければならない。
* * * * * * * *
フィルは私が指導することになった。これはフィルの希望があったためだ。
オーストラリア人の学生が、自分からわざわざ名指しをして、日本人を指導教員に選ぶのは珍しい。 日本語学科ならば、日本人教員を名指しにするのは、不思議でも何でもない。けれども、私が仕事をしていたのは、日本とは何の関係もないScience Facultyだった。
* * * * * * * *
フィルが、有力教員ではない外国人の私を選んだ理由の一つに、権威者に対する反発の気持があった。 彼は反逆者だった。
人生経験がなく立場の弱い学生に、権威を示すのを楽しむ教員は、どこの国の大学にもいる。こういう教員は、学生を自分の指示通りに動かすことに、喜びを感じる。試験の解答、セミナーでの議論、レポートの内容などの全てを、自分が教えた通りにやることしか、学生には認めない。
普通の学生をこういう状況に置いても、特に問題は発生しない。なぜならば、与えられた教育内容をマスターし、試験で良い点数を取ることが大学でやること、と割り切っているからだ。
ところが、フィルのような学生には、こんな教え方は通用しない。ありきたりの知識と教え方に、全く興味を持っていないのだ。天才的な頭脳には、全てが分かりきっていておもしろくない。
* * * * * * * *
そこで、フィルは当時こんなふうにやっていた。
試験では、低い点数だが、落第しないだけのぎりぎりの点数を取る。レポートも、わざと、クラスで最低の評価を受けるように書く。でも、落第点はつかないようにする。
こんなことができるというその事実だけを取っても、フィルに感心しなければならなかった。成績はクラスでビリだが、落第しないだけの点数はちゃんと取っている。こんな調整を思うようにできるということ自体が、フィルにとんでもない能力のあることを、示していた。
* * * * * * * *
そうはいっても、 教授や准教授の評価では、フィルは箸にも棒にもかからない、全くダメな学生。何かというと反論をし、反抗的な態度を取り、しかも成績が最低なフィル。
それで、フィルが私を指導教員に選んだとき、フィルをダメ学生と評価していた教授、准教授は、きっと喜んだと思う。やっかい者の面倒を、見なくて済んだのだ。やっかい者は日本人に押しつけておけばいい。
私の研究室に、おしゃべりなオーストラリア人の女子大学院生がいた。彼女は、あちらこちらでいろいろな情報を収集してきては、私に教えてくれた。フィルはダメ学生という情報も、ちゃんと集めてきた。
「ジュン、本当にあんな学生を引き受けるの?とってもひどい学生だって、先生が言ってるわよ」
◆ 最初の面接で直感したフィルの才能
研究室に入り口から入ると、右側に、4畳半ほどの広さの三方がガラス張りの小部屋がある。これが実験室を眺めわたせるオフィスだ。
このオフィスにフィルを呼び、指導する側とされる側の、意志の最終確認をすることになった。この面接で、両者が納得をすることが配属のための条件になる。
* * * * * * * *
フィルと初めて話をしたとき、私はとても驚ろいた。フィルの感受性が、ずば抜けて高いことがすぐに分かったのだ。私の言い分を、完璧に理解しただけではなかった。自分が考えていることを、私が間違いなく理解できるように、とても的確に説明した。
私が一つを話せば十を理解する。しかもこの十の中には、私が考えてもいなかったような意見が含まれる。
「これはタダの学生ではない」、と私にはピンときた。そして、タダの教員がこんな学生を前にすると、教員の立場から、自分の言い分を高圧的に押しつけてしまう状況を、はっきりと想像できた。 その結果、本人をだめにしてしまう。そんなこともすぐに理解できた。
こういう学生に、誰もが知っているようなことをやらせようとしても、全く興味を持つことはない。
◆ 私が与えた最も困難な研究テーマ
次の日に、フィルに研究テーマを与えることにした。
テーマを考えるとき、私はフィルを学生とは考えなかった。 世界中の最先端の専門家が興味を持っている、大部分が未知の分野の研究テーマを与えることにした。
それは、私自身がとても興味を持っていたテーマだった。しかし、私がオーストラリア政府の医学研究基金から得ていた研究費で、カバーできる範囲の仕事ではなかった。免疫反応の中心に存在する液性因子が、免疫ネットワークにどのような作用を及ぼしているのかを、明らかにしようとする研究テーマだった。
この分野は、現在ではかなり明らかになっている。けれども、当時はほとんど闇の中。こんな研究テーマを、学部の最終学年の学生に与えたのだ。指導教員である、私にも指導できないような研究テーマ。
それを知った他の教員、特に免疫学が専門の准教授は、私を厳しく批判した。 経験のあるトップ・レベルの研究者でさえも、とても苦労しながら取り組んでいるテーマ。それを、よりによって学生、しかもダメ学生のフィルにやらせるというのだ。その准教授が、驚いたりあきれたりするのは、当然といえば当然だった。
「馬鹿日本人が、馬鹿学生に馬鹿げたテーマを与えたって、xxが言ってたわよ」、と上記の女子学生が私に教えてくれた。
* * * * * * * *
他の教員が学生に与えたテーマは、授業としてやった実験室での実験を、延長したようなものだった。必ず答が出るという研究テーマ。それも、指導教員が知っている範囲の答が。
◆ 無謀な挑戦に喜ぶフィル
研究テーマを示したときに、私はフィルに結論を出すことを求めなかった。
「やれるところまでやればいいよ」
いかに天才的なひらめきを見せるフィルでも、わずか1年間で何らかの結論を出すことは、不可能なのは明らかだった。
私の信念はこうだった。大学では、その学生に合わせて、能力を最大限に引き出せるような教育指導を、しなければならない。その教育をもとにして、本人が、人生をかけたチャレンジをするための目標を、見つけることができれば幸いだ。
もっとも、他の平均的な学生を前にしては、私も他の教員のように行動した。答と答に到達する過程が、既に分かっているテーマを与えたのだ。私がフィルを別格扱いしたのは、私が考える最もチャレンジングなテーマを、フィルはこなすことができる、と判断したからだ。
フィルは、私が示した研究テーマにとても喜んだ。やっと、自分が全力投球でチャレンジできるテーマを、与えてもらったのだ。同時に、私が初めてフィルの能力を高く評価したことが、大学教員から、人間としての価値を認めてもらったような喜びを、フィルに与えたはずだ。
* * * * * * * *
フィルは、私の意図を完全に理解した。免疫ネットワークの中心を攻める研究。世界中で激しい競争が行われている研究分野における、プロの研究者にとっても難しいテーマだ。フィルに対する私の要求は、最善を尽くすことのみ。
それからのフィルは、真夜中でも大学へ出てきて実験をした。 彼の研究を見守りながら、私は、フィルが天才的な能力の持ち主であることを、再び確認した。
最先端の研究論文を読むと、その論文の全体的な研究分野における位置づけを、すぐに理解するだけではなかった。その論文の中の一つの数字、一つの言葉の意味を、論文の著者自身よりも、恐らくより明確にとらえてしまった。
実験計画が、問題の解析のために適切なだけではなかった。出てきた結果の意味をたちどころに理解し、実験をさらにどちらの方向へ発展させればいいのかも、イメージとして示すことができた。
私は、フィルを私と同じプロの研究者として扱い、いろいろな議論をした。私が気づかないことも、鋭く指摘するフィル。そんな彼を、自分よりも経験と能力の劣った学生として扱うことなどは、とてもできなかった。私が知っていることは教えるけれども、逆の場合は教えてもらう。それしか選択の余地はなかった。
* * * * * * * *
そんなこんなで、知的刺激がとてもたくさんあって、私の研究生活において最も楽しかった1年だった。
◆ ビリから1年で最高の評価になったフィル
私から見れば当然のことながら、フィルの卒業論文は出色のできばえになった。全90ページの研究論文は、豊かな経験のあるプロの研究者の論文並み。全編にわたって論理がきちんと通っていた。
他の教員、特に一番厳しくフィルと私を批判していた免疫学の准教授は、フィルの高い能力の確証を眼前に突きつけられて、驚愕した。フィルの論文の価値を認めざるを得なかった。
それまで、試験やレポートの結果が、クラスで最低だったフィル。しかし、卒業論文では、Science Facultyで歴史上最高という評価を得たのだ。
その卒業論文を、私は今でも手元に持っている。今読んでも、実験の流れと論理はとても正確だ。すぐれた論文が古くなることはない。
* * * * * * * *
天才フィルは、研究以外でも、若いうちからいろいろな人生経験を積んでしまった。性格が穏やかでかわいい同級生と、学生結婚をしたのだ。そして妊娠。
しかし、ネットで見つけた写真のフィルには、同年代の他の人よりも早く駆け抜けた人生の疲れはなく、まだ若い。私と一緒に研究をしていた、学生時代のフィルが、そこにいた。
◆ 私の思い出をとても大事にしているフィル
日本へ帰国してから、私は独立行政法人の研究所で仕事をしていた。フィルをネットで見つけてから、仕事で同僚とともにメルボルンへ出かけた。勿論、フィルには事前に連絡をした。
* * * * * * * *
フィルは、自分の車で空港まで出迎えてくれた。大分肥ったが、あの目が輝いている学生時代のフィルはそのままで、その目は私しか見なかった。
メルボルン市内の何箇所かの訪問先へも、一緒についてきてくれた。帰国時にも、自分の車で空港まで送ってくれた。その途中で、ワイン・ショップへ連れていってくれ、一番いいワインを選んでくれた。
研究所の同僚は、「とても驚いた」と帰りの飛行機の中で言った。免疫学会長、世界でトップ・クラスの研究所の部門長、大学教授のオーストラリア人が、ここまで時間を割いて私の面倒を個人的に見てくれた。素直に考えれば、確かに誰でも驚く。
しかし、私とフィルの関係に、社会的な地位が影響することはない。私がいなければ、大学生活で落伍し、人生の敗者になる可能性が高かったフィル。私がフィルの能力を認め、免疫学領域へ引き込んだおかげで、フィルは世界でもトップ・クラスの研究者になった。
現在という時間は、二人の人間の過去の偶然の出会いの延長線上に、あるに過ぎない。
私は、自分の影響によって、一人の人間の人生の価値を、ここまで高めることができたことに、自分のことよりも喜びを感じている。
* * * * * * * *
フィルは、学生時代のあの論文を、研究所の自分のデスクの上の一番よく見える棚に、飾っている。その論文には、指導教員だった私の署名が入っている。訪問者である私たち二人にその論文を見せながら、「これが私の研究の出発点です」、とフィルは言った。
◆ 天才を育成するための原則
フィルの現在の研究は、理解するのが誰にも難しい。コンピューターをフルに使って解析することにより、液性因子と免疫細胞の反応の全体像を、描き出そうとしているのだ。即ち、免疫系の壮大な理論構築に取り組んでいる。
東京の某大学で仕事をしている友人が、フィルとの共同研究を望んで、私に接触してきた。私は友人をフィルに紹介した。
友人は、共同研究の内容を検討するために、フィルの研究論文を読んだが、フィルの仕事を理解することができなかった。共同研究はあきらめざるを得なかった。
ここで再び否応もなく、フィルの天才性が証明されることになった。フィルの研究を理解できる研究者は、世界でも多くはないと思われる。最高のコンピューター理論を駆使した、生物学研究の過程は複雑だが、結論は恐らく単純になる。フィルには、そうしなければならないことは、自明の理と思われる。
フィルの研究成果がノーベル賞に結びつくことを、私は願っている。
* * * * * * * *
最後に、ひとこと付け加えておきたい。
天才を育てるひとは、天才である必要はない。天才とは何かが分かっていればいい。そして、どうすれば天才が伸びるのかも。それだけで十分だ。
活躍の場を適切に作ってやれば、あとは天才は自分で自分を伸ばす。
<和戸川 純>