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続折々の記 2021③
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】04/28~
【 02 】04/29~
【 03 】04/29~
【 04 】04/29~
【 05 】04/30~
【 06 】04/30~
【 07 】05/01~
【 08 】05/01~
【 09 】05/01~
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【 04 】04/29
いのちの伝承 生物の本能
いのち・本能・環境 だいじなこと
お風呂から上がると女房殿が敷いてくれる床に入り電気を消し眠ってしまう。 6~7時間経つと音をたてないように起きて支度し居間のカーテンをまず開け、続いて玄関へ行き電灯をつけてから施錠を外します。
齢(トシ)をとっての我が家の様子です。 玄関の電灯に照らしだされた幾つかの鉢には、植えられた花と観葉植物が元気そうに見える。 下駄箱の上に小さなお地蔵様か合掌している。
私は手を合わせて 「有難うございます」 今日も元気に生きていきますと、気持ちの上でつぶやくのです。 近くの植木たちにも手をふれて合掌します。
この家を建てた大工の統領をおもい、目に触れる女房殿の叔父が描いた絵、ルノアールの少女額、竜安寺のつくばいの言葉「吾唯足るを知る」の色紙額、ヒマラヤの山々が映された写真、水車板水盤の生け花、などそれぞれの人や気持ちを想うのです。
お勝手口から外へ出て玄関前へいくと、凍てつく天空には星がまたたいている。 大きく息を吸ってから書斎へ入ります。
なんでこんなことまでを書くのか?
この 「なんだもんで」 の一言(ヒトコト)は、この世に生を享けた私にとって、至上の心の活動源だと気づいてからです。
殊に今回は、長男から終活についての思いをビデオに録りたいという気持を聞いてから、どうまとめたらいいかという課題をいつも抱えていたからです。
今まで生きてきたことを思い返すと、初めは成長に応じた体験や考えたことから、その時期、時期の考えを元にして生活を組み立ててきました。 いくつかの生きる土台になる考えができていた。
私の場合は第二次大戦の敗戦という体験と、その後青年期に受けた生活体験と生活が、人生観なり世界観なりあるまとまりとしての発想の土台を作り上げてきました。 私の中身を川の流れにさらして、不要なものを取り除いていけば、およその残骸はまとまるのです。
「自分の体験や経験を自分の篩(フルイ)にかけて、どうでもいいものを投げ出して残ったものが、自分としての残骸だ」と私は考えているからです。
生涯をひとりの教育者としての勝手な自負心を大事にして生きてきました。 先生というものは、親と同様に 「見られてもいい」 「聞かれてもいい」 「より良い人になってほしい」 それを基本にして生きることが肝要だ、と願い続けたつもりでした。 教育者は親の心情そのものに添ったものでいい、それが願いだと知らされました。
なんで、そのような願いになったのか? 少しそのことをまとめてみたい。
一、予科練
昭和20年6月10日、午前8時ころ、土浦海軍航空隊爆撃のおり、並木君という負傷兵を司令官の命令とはいえ爆撃跡地へ寝かしたまま第二練兵場へ避難したこと。 戦後70余年になって始めて人に話し、今始めて文字にしました。 並木君の生死は私には今も不明なままなのです。 今でも当時満16歳の少年の親たちの心を思うと涙が止まりません。
同じ日、東京都出身の白川義男、彼は同じ私と同じ第6班で当日兵舎の近くの防空壕にいたのだが、直撃弾を受け、空襲後班長含め全員で探したが骨も服も見当たらなかった。 だがズボンの左内側に縫い付けていた「第42分隊第6班白川義男」という名札だけ不思議なことに見つけられた。
彼には遺骨もなかった。 分隊士は何と親に報せたのだろか? 思うだに悲憤やるかたなかったであろう。
茂原へ移ってからも敵機襲来は何度もあった。 直径10cmの生木は爆弾の破片によって瞬時に切断されるし、衣嚢(衣服を入れる頭陀袋=ずんどーの袋)へ2~3cmhの爆弾破片は貫通してしまう破壊力がある。 米艦上飛行機グラマンは急降下してロケット弾を投下します。
高射機関銃陣地での応戦で死者が出た時、風呂に行った予科練生の喧騒な雑談に対し、戦友を失った彼らからもの凄い怒りの粛正をうけた時は、身も縮む思いをしました。 けだし当然の感情体験でした。
戦争をしてはならない !! それは戦争体験者でなければ想像もつかない体にしみこんでいることなのです。 聞いたり映像を見たりしただけで戦争否定する人とは根底から違うのです。 涙なくして語ることも、聞くこともできないのです。 広島の原爆死没者慰霊碑の碑文 「安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」 の言葉を読むたびに涙が出ます。 胸が騒ぎ立てるのです。 グッ と涙をこらえます。
碑文について … この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた 「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」 に準じたものです。 …
原爆死没者慰霊碑-wikipedia ← クリック
二、その後
この戦争体験から、長野の青年師範学校へ入学して以来「歴史はどうなっていたのか」が私の一つの命題になっていた。 長野図書館へはよく通った。 卒業する段になって「彼は歴史が好きだから社会科の先生がいい」と友達からも言われていた。
ついでに書くと、大類伸の本の序文に 『歴史を学ぶ目的は、過去の歴史を学んでこれからの方向に役立てること』 という内容に出会ってから、それ以来私の頭の中の一つの土台になっていたと思う。
この考え方は、昭和43年ころイギリスの歴史家アーノルド・トインビーが来日し、毎日新聞のインビューに応えて次のように述べおり、私の脳裏に鮮明に残ることとなりました。
「戦後苦しい時にアメリカに援助されたから、ある程度仕方ない。 だが後々中国との連携を深め東アジア経済ブロックの一員として活動することになるだろう」 という内容の見方をしていました。
実際に日米関係を見ていると、中国との連携を模索しようとすると、USAの表にはわからない圧力によって皆潰されてきたことは明らかでした。 多くの日本人はこんなバカげたことがあっていいはずがないと業を煮やしてきているのです。
今はあらゆる情報が次々と明るみに出るようになってきている。 日米の化けの皮を皆が剥がしていかなくてはならない。 戦争を忌避する気持ちを強く持つ必要がある。 そのための対策もだが、まず第一に望ましい日本の将来像を心の中に組み立てること、そしてその心構えを皆が共有し鼓舞していくことが緊急に取り掛かるべきことだと思う。
総理がいうような安全な平和国を誰が支持するものですか。 百年の体系どころか、今の矛盾を進める平和などありえない。 私たちの弱点は何なのか。 百年の体系はどうあるべきか。 国民一人ひとりに課された大きな宿題です。
齢(トシ)を取ってくると、自分を分析しその中身をまとめようと思うこともある。 自分とは一体どういう人だったのだろうか?
お釈迦様は誰でもわかるように話をされた、と聞いたことがある。 ネパールへ行ったとき、カトマンズの北東にプダニールというところがあった。
そこにはお釈迦様の涅槃・ブッダがネテイル石造が池の中にありました。
検索でプダニールを調べると、予期もしない自分のURLが最初に出ていた。
<http://park19.wakwak.com/~yoshimo/moto.289.html 折々の記 2005 ①>
クリックしてみると、そこには自分でまとめようとしている内容が出ており、予期以上の資料が見つかった。 まとめる時にそっくり利用できるものだった。
今回は、 「生きている目標は何か?」 ということをあれこれ考えて、まとめようとしました。 一つのことに夢中になって、何日もまとまらないようなとき、何故こんなことをしなければならんのかという疑問に突き当たることがあった。
こんな時、笑いが噴き出すような珍妙な答をする生徒がいました。
「それでも地球は回る」
と言うのである。
それを聞いたものは誰でも的外れだが面白い答を言う生徒だと感じたに違いない。 私もそうでした。 とくにふざけた態度でもないのです。
後々になっても、頭の一隅(ヒトスミ)にこの言葉が残っていた。 考えた本当のこと、話した本当のこと、そういう真実を大事にしない限り、論理思考の組み立ては不確かなものになる。 人はなんだもんで生きているのか、こう考えていた時に 「それでも地球は回る」 の一言が思い出されました。
地球が回る … それは真実であり、自分たちが生きている真実そのものの根源になるものを言葉にした時の回答であった。 今日もNHK番組で、都会の人たちがお墓をどうするかいろいろの発想が紹介されていた。 故郷の墓参りでは遠いし、折々墓参ができない。分骨して墓参りをしたいという。 いろいろの例が紹介されていた。 そこで、A案~F案、故郷の墓参どれにするかは個人こととなる。 E案を選んで、どうしてと聞かれれば 「それでも地球は回る」 と応(コタ)えても間違いはないのです。 そう考えれば 「それでも地球は回る」 は通用するのです。
なんだもんで生きていくのか? 人の、いきるか死ぬかの質問でない限り 「それでも地球は回る」 と応えてもよいのである。
今回は次の項「いのち」「本能」「環境」という分野で調べるつもりでいます。
①生命 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/生命
生命とは、文脈によってさまざまな定義がある語であるが、基本的には「生きているもの」と「死んでいるもの」、あるいは物質と生物を区別する特徴・属性などを指す語、あるいは抽象概念である。
伝統的に、「生き物が生きた状態」そのものを生命と呼んだり、生きた状態は目に見えない何かが宿っている状態であるとして、その宿っているものを「生命」「命」「魂」などと呼んでおり、現在でも広く日常的にそのような用法で使われている。
大島泰郎によれば、現在、我々人類が知っている生命は、地球上の生物のみであるが、これらのすべての生物は同一の先祖から発展してきたと、現代生物学では考えられている。その理由は、すべての地球生物が用いるアミノ酸が20種類だけに限定され、そのうちグリシンを除き光学異性体を持つ19種類がすべてL型を選択していること、またDNAに用いる核酸の塩基が4種類に限定され、それらがすべてD型である事である。
現在知られている地球上の全ての生物は炭素を素にしているが、我々が地球以外での生命の形を知らないだけという可能性も指摘されることがある。理論上は炭素以外の物質を元とした生物も考えられうる。
古代ギリシャ人たちは、生きている状態のことを希: Ψυχή プシュケーと呼んでいた。プシュケーというのはもともとは息(呼吸)のことであり、呼吸は生きていること示す最も目立つ特徴なので、この言葉が「生きていること= 生命」も指すようになり、転じて日本語の「心」や「霊魂」という概念まで意味するようになった。 アリストテレスは Peri psyches 『ペリ・プシュケース』でこのプシュケーについて論じた。(同著の題名は直訳すれば『プシュケーについて』である。)アリストテレスは初期段階では、生きものの種類によって異なるプシュケーの段階があると見なしていて、(1)植物的プシュケー (2)動物的プシュケー (3)理性的プシュケー(人間のプシュケー)というように区別していたが、やがて植物・動物・人間の間にプシュケーの差というのはさほど絶対的なものではないと見なすようになり、最終的にはそれらプシュケーに差はない、とも記した。
多くの宗教においては、死後の世界もしくは、輪廻、転生などがあると考えられている。この場合、人間の主体、存在の本質、あるいは人格そのものを、魂、霊魂と呼ぶ。生命と霊魂を同一視するかどうかは、諸処の例がある。
古代インドのヴェーダや仏教では、人間の命と動物の命は同列的に扱われていた。仏教では、人間が動物に転生する考え(畜生道)なども見られるし、宗教家が動物を食べることはあまりよくないとする例もある。またジャイナ教では、虫を踏み潰して無駄な殺生をすることがないよう、僧侶は常にほうきを持ち歩くという習慣も見ることができる。
一方、キリスト教では、人間と動物の生命はまったく別のものとする傾向が強く、人間という存在は「神によって命を吹き込まれたもの」であり特別な存在である。さらに言えば、背信者を「命を失った者」と呼ぶ比喩が存在し、神を信じるようになった者、天国に至る権利を得た者を「命を得た者」「永遠の命を得た者」とも呼ぶ場合がある。
【下平】 Wikipediaではいろいろと解説しています。 普通の理解では、生命とかいのちという言葉は、 (イ)生きているものであり (ロ)自分の意思を持っているものであり (ハ)よりよく生きようとする そう受けとめている。 いのちを持っているものは植物であり動物であると考えて差し支えない。
メタセコイアもタンポポにしても、吹けば飛ぶような小さくて軽い種が自分に即した環境に出会うと目を覚まして成長する。 先祖代々の進化してきた遺伝子を核細胞の中に伝承されているからです。
「高山植物の女王」コマクサは、なんだもんで荒涼とした場所に咲くのだろうか。 その崇高な姿に感動せずにはいられない。
ピアスの 『マジカル・チャイルド』 により考えられることは、成熟した生命遺伝子を持つ細胞は (イ)安全な場所が確保され (ロ)細胞が必要とするエネルギーが供給され (ハ)遺伝子がもっている可能性を実現できる(氏は、この(イ)(ロ)(ハ)をマトリックス=母胎と呼んでいる)、 この三つの基本環境が整えられると、個体成長が始まると考えられます。
人間ならば安全な子宮の中であり、植物ならその種子の発芽環境 … 一定の温湿度であることや、根を伸ばす土があることとか、後々太陽光線をうけるなどの環境 … であれば遺伝子の持つプログラムに従って個体成長を始めることになります。
いろいろのペットと人間、或いは動物と動物でも生き物は個体の感情は持っていて、よりよく生きていこうとします。 生きているものの特性です。(適当な検索語で調べると、いろいろと出てきます)
お釈迦様の涅槃図をみますと、仏陀が寝ている姿(ブダニール)の周りにはいろいろの動物が描かれた涅槃図もあり、 「あのオジサンが死んじゃった」 と冥福しているのだという思いから描かれた図だと直感します。 人以外の動物にしても、他者への情感を持っているのです。
仏教には法隆寺の玉虫厨子に描かれている「捨身飼虎(シャシンシコ)図」「施身聞偈(セシンモンゲ)図」のように、動物も人と同じように命を大切にしているという立場をもとっています。
参考のために、「法隆寺-4」<https://www.eonet.ne.jp/~kotonara/zbunkatu04.htm>の一部を載せておきます。
玉 虫 厨 子
「玉虫厨子」 は鎌倉時代の記録に推古天皇が毎夕拝まれる念持仏として造像されたとの言い伝えがあります。玉虫厨子の名称も鎌倉時代が初見です。
玉虫とは厨子の軸部に貼り付けられた透彫りの銅板の下に玉虫の雄の美しい羽根を敷き詰めたことが名称の由来であります。現在でも何枚かはきらりと華麗な玉虫色(緑矢印)が見られます。銅板に流麗細緻な文様を透彫仕上げをすることは機械工具の無い時代に並大抵の苦労ではなかったことでしょう。
厨子の壁面に描かれた仏画は最古のもので貴重な作品です。
玉虫厨子ほど著名な工芸品は我が国では例を見ないでしょう。堂内で保管されたので傷みも少なく飛鳥時代の建築が1棟も現存しない中で飛鳥時代の建築様式、技法を今に伝える資料で極めて価値の高いものです。
②生命の起源
俺たちはいつから生きてると思う? お母さんから生まれたときから?
実はもっと前、お母さんのおなかの中の卵だったころから生きている。
その卵は、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、そして 、
もっと先祖のおばあちゃん、ずっとずっと生きているんだ。
無から命は生まれない。
僕たちは数十億年をずっと生きてきて
その最後の何十年か、つかの間の自由を得て世界に羽ばたいて 、
土に還るんだ
考えもつかない摩訶不思議ないのちから始まり、進化していたのだ。
おれたちはその生命の始まりを創った人(または意思)を、天とか神とか言っているんだ !!
③自分のいのちの始まり
自分という自覚をしている不思議ないのちは、母親のお腹の中から始まります。 昔から親は ‘子供が授かった’ という言い方が伝えられてきた。 誰から授かったとは言わない。 答は一つ、大自然の不可思議なエネルギーによって授けられていた。 生命プログラムを持つ一つの細胞が、遺伝子の増殖分裂を始めることによって成長が始まったのです。
そして大脳旧皮質に伝わった遺伝子プログラムに従って大きくなり、呱々の声をあげてこの世に現われたということになります。 自分という自覚をもつ個体がこの世に現れたのです。
すべては親の養育のままに成長をつづけ、独り立ちするようになりました。 この間の親は、熱を出した時も腹が減った時も、怪我をした時も、困ったときも、すべての責を負ってきました。 自分で生きていけるまでの養育は、みんな親がやってくれました。
この間、子どもは大脳旧皮質のプログラムの指示されるままに大きくなり、自分が伝承し大脳新皮質に収集したいろいろの技能や能力を利用して、自分の意思を人に伝えながら成長してきたのです。 一人前になるのに私は25年ほどかかったように思います。 やっと、棟上げができたと後になって気づいたのです。
自分が教壇に立ってからのこと、本島武治という方から 「人は生涯において、三つの恩に報いなければならない」 ことを教わりました。
その第一は、親の恩に報いることでした
考えてみると、いろいろの恩義に対して、申し訳ないという思いばかりでした。 言うことは聞いて生きてはきたが、恩に報いたとは何も思っていなかった。 恩に報いるとは何か? 齢(トシ)を重ねて ハッ と気づいて心に決めたのは、親の恩返しには、せめて子や孫へその恩を返せばいいのだ、ということでした。 齢をとって親のことを思いかえし 『やがて我が身』 という言葉が良いも悪いも肩にのしかかってから気づいたことでした。 親はありがたいものです。 本島さんが第一に挙げた報恩の結末でした。
第二は、人様への恩に報いるということでした
言われてみれば、その通りだと納得しました。 それは何か? それは、食べているもののほとんどすべて、塩に始まってあらゆる食材は人様が暑い時も寒い時もどんな苦労にも耐えながら作ってくれたものだから、と言うのです。 お皿一枚にしても紙一枚にしても、古くなった肌シャツ一枚にしても、多くの人たちに作られ目の前にあるのだ、というのです。 人様が作ってくれたものを、自分が買ったものだから自分のものだと決めつけて取り扱ってはいけないんだというのです。 たち、考えてみますと、今迄に出会った人たちすべて、勉強や遊びを共にした人たち、小学校でも職場でもみんな人の世話になって今日まで来たのだ、と痛感できました。 大事なことです。 だから何でもいい、人がよろこんでくれることを心がけなくてはならないのです。 【歎異抄】には 「親鸞は弟子の一人も持たず候」 と出ていたし、道元の教え 「脚下照顧」 に通ずるのではないだろうか。
第三は、大自然の恩に報いるということでした
人間は髪の毛一つ作り出すことはできない。 自分を産んでくれたのは母親に違いないが、母親が赤ちゃんを創(ツク)ったのではない。 すべては大自然の創造の力によったものと言わなくてはならない。 そう言えばその通りである。 大自然の力とは何か? 摩訶不思議な太陽系を含む宇宙の存在というほかはない、と言うのです。 太陽が光明と光熱を地球にもたらし、地球の自転によって昼夜を別けることなく四季をもたらし、そのためにすべての生き物が地球上に現れている、人間はその恩恵によって生かされているのだ、と本島さんは解説してくれた。 言われたことは、その通りである。
本島さんの話では、命そのものを生み出した自然への恩だということでした。 どのように恩返しするのか? 端的に言えば親孝行であり、自然への感謝と祀(マツ)りです。 加えて、食べ物や着るもの、道具や家屋への感謝でしょう。
いのちの始まりを分かりやすく述べたつもりです。 まだ修正したり付け加えたいことがあるかもしれません。 読んでみてそれぞれで考えてください。
いのちは、生きている生物がもっているものです。 大雑把に言えば動植物のことだが、動物も植物も人間もすべては細胞の集合体であると理解してもいいはずです。
とすると、「細胞の本能は何か」という命題にもなる。 「細胞に本能はあるのか?」 と聞かれれば、「ある」 と答えるのは当然のことです。
ですから、本能について考えていくのに一細胞も一個体もすべて弁(ワキマ)えていなくてはならない。 その上で、考えを進めていきます。
① 細胞分裂 ホノグラム(増殖の手段)の考え方
動物には餌をやって飼育しますし、野菜なども肥料をやって育てていくことは、誰でも不思議でありません。 卵子は精子に行き会って受精し、子房も花粉に出会って命が発生します。その後は細胞自体が分裂して大きく成長していきます。 これも判ります。
一つの細胞は同じ能力を持った細胞を増やしていきます。 腸の細胞は腸の細胞として増えていくし、葉の細胞は葉の細胞として増えていきます。 腸の細胞と指の細胞は違う細胞として増えていきます。
腎臓を作る細胞と脳を作る細胞は違う。 では一つの動物はものすごく多くの細胞の組織体ですから、それはどうするのか? それは、遺伝子として細胞の中に準備されています。
ここに 「自宅で学ぶ高校生物」<http://manabu-biology.com/> という面白いサイトがあります。
生物学の魅力は何でしょうか。まず第一に私が思い浮かぶのは、私の想像力を遥かに超えた世界に触れられることであると思います。この世界がどれほど不思議、かつ奇跡的な存在であるのかをどっぷりと味わうことができます。
宇宙は我々が想像する以上に奇妙などころか、想像できる以上に奇妙なのだ。
J・B・S・ホールデン(生物学者)
生命とは、非常に不思議な存在です。不思議を通り越して、奇妙さすら感じざるを得ません。なぜ広大な宇宙空間に誕生し、何を目的として、どこへ行こうとしているのか、誰にもわかりません。
しかし、超精密な分子機械は休まることを知りません。遺伝子に組み込まれた躍動的な本能と、環境からの影響によって、生き、命を繋いできました。一体、私たちは何者なのでしょうか。
そんな背筋が凍るほどの奇妙ささえ覚えます。奇妙さをより味わうためには、生命現象1つ1つをじっくり観察し、その精巧さ、繊細さ、ダイナミックさを、全感覚を用いて捉えていくことが必要でしょう。自らの生物に対する無知への絶望と共に、深い感動が訪れます。
しかし、ただ知識を覚えて(暗記して)学習を終わってはいけないことも思います。本当に学ぶということは、自身の中で何らかの確かな変化が生じるということです。
学んだことの証しは、ただ一つで、何かがかわることである。
林 竹二(教育哲学者)
細胞60兆の社会である人体、生命が38億年かけて進化してきたこと、あまりにも精巧な生命現象を何の感動もなく受け入れてしまうこともできます。単なる知識としての学習です。
「自己」との明確な関係性を持たない知識は、雑談のネタにはなるかもしれません。しかし、世界観が音を立てて崩壊していく底知れない不安と、突き上げるような好奇心が沸き起こる嬉しさを感じることはありません。
一方で、衝動的な感動だけで終わってもいけないことも思います。その感動を、理性的に捉えることによって初めて自分の一部とすることができます。本当の意味での糧になります。理性と感性による両面からの学習が、より人を豊かにさせるものとなると私は考えています。
なぜ生物学を学ぶのか。それは、「常識」を覆す「生命」という奇跡的な存在に、魅了されているからなのかもしれません。そんなワクワクを共有できる仲間が増えることを、心から願っています。
生物すべての細胞分裂を対象にすると雑多になってしまうから、模式的には自分たち人の細胞分裂を考えることにします。
普通体細胞分裂のほかに、もう一つ個体増殖のための性細胞分裂があります。 遺伝子のうち男女には異なる染色体があって、その染色体の組み合わせによって男女が決まることは理科の時間に教わったとおりです。
細胞の中心に核とよばれる膜で包まれたかたまりがあり、その中に46本の染色体があるのです。 人の体質から性質、顔形から爪の形、血液型から黒子(ホクロ)にいたるまで、染色体に2万数千の遺伝子があって相互に連絡を取り合って人体を作り上げ活動しているといいます。
その遺伝子の本能は何か? 男女の細胞の一つ一つのうちの半分ずつが混じりあって一つの細胞を作り数日すると個体としての増殖を始めることまで解(ワカ)っているといいます。 こんなことで人の本能までどうして解るというのだろうか?
ピアスの 「マジカル・チャイルド」 の第一章、4~25頁、を見ると驚くほどの学びからの集積結果としての内容に触れることができる。
「 生命の流れは30億年にわたって、思考する有機体を生み出してきたのだ。 われわれは驚くべき遺産を受け継いでいる。 この小さな頭骸骨の中に、太古よりゆっくりと着実に行なわれてきた脳の進化の蓄積が詰まっているのだ。 <心/脳>の本性を理解するためには、われわれはまず、人類が今日の状態に至るまでに、地球という生命体が遺伝暗号の実験に費やしてきた気の遠くなるような時間の流れを把握しなければならない 」7頁5~9行
現代の学問(学び求めること)によると、遺伝子はすべて成功するように仕組まれているという。 大脳新皮質も旧皮質も成功するようプログラムされているという。
細胞分裂はすべて いのち の進化の壮大なプログラムの一部分を表示する言葉として受け止めてもよいと思います。
学問(学び求めること) というのは、わかりやすく言えば 「見たもの、聞いたこと、読んだこと、感じたこと、などについて (なんだもんで) とそのことすべてを自分に取入れることなんです。 そのことを意味している言葉なんです。 人の幼児期には なんだもんで時代 の最高潮の時期があり親は間違いのない対応をしなくてはなりません。 このことは、基本的にプログラムされた基盤となっており、成長してもいつでもどんな場合でも堅持していることが大事な心構えなのです。
※次のサイトなど参考のために開いて必要と思うとこを調べるとよいと思う。
イ 細胞核・遺伝子・染色体・ゲノムのおはなし
http://www.akira3132.info/gene_DNA.html
ロ 染色体
ハ 精子と卵子のおはなし
ニ 知性の進化―脳と心の潜在能力 – 1995/12/1
ジョセフ・チルトン・ピアス著
知性の進化―脳と心の潜在能力 単行本 – 1995/12/1
人間は本来、無限の潜在能力をもって生まれてくる。 しかし、出生から
発達の各段階で、病院が、教育が、唯物的な現代文明が、次々に可能
性を封じ込めてしまう。われわれの時代の知性のあり方に警鐘を鳴らし、
進化が用意した最高の発達段階を明らかにする。
いのちを伝承していく上で環境は大事なことなのです。
どうして大事か?
種子によって増殖する植物は他の助けはなくても、種子好みの環境があれば成長できます。
卵によって増殖する動物も孵化に適する環境があれば、生まれることができます。 でもその後、魚のように一人でえさを食べて成長するものもあれば、鳥のように生まれても親の庇護のもとで成長しなければならない動物もいます。
動物でも多くの哺乳類は鳥のように親の庇護のもとで成長しなければなりません。 人も生まれて一人だけでは命の伝承はできないのです。 赤ちゃんはエンゼルスマイル(天使の微笑)と言われるように、どの子を見ていてもこの微笑は愛らしいものです。
この素敵なほほえみは、見ているものは思わず赤ちゃんの微笑に応(コタ)えて 「まァ かわいい !!」 と口づさみます。 ローマ建国の神話でも、またアマラ・カマラの事実にしても、狼が赤ちゃんに乳をやって育てていた。 また身近では「犬が猫の子を育てる」「犬が猫の子を育てる」姿を動画で見ることができます。 さらに、「赤ちゃんの世話を焼く動物」には驚き以外のなにものでもありません。
※次のサイトが実証です。
アマラとカマラ - 検索
『狼に育てられた子』-アマラとカマラの養育日記ー
http://act.o.oo7.jp/muishiki2/2-13-4.html
犬が猫の子を育てる - 検索
猫が犬の子を育てる - 検索
犬が赤ちゃんの面倒を見る - 検索
まるで親子! 赤ちゃんの世話を焼く動物 - 検索
哺乳動物には赤ちゃんの微笑を目にした時、抱き上げたくなるような衝動に駆られるのだと思います。 赤ちゃんの微笑は、生命(いのち)遺伝子にプログラムされているからに相違ない。
これは前記ピアスの本第一章の冒頭の節「脳に秘められた驚くべき可能性」(5頁7行目)にもでてきています。
「 遺伝的に設計された身体的成長の存在は明らかである。 自然がDNAの遺伝暗号をとおしてこの成長をプログラムする仕組みさえわかっている。 文化の違いにかかわらず、世界中の子供たちは同一の身体的成長パターンに従っている。 成熟の速度もほとんど変わりがない。 赤ん坊の乳歯、六歳児の臼歯、十二歳児の臼歯や性徴などは、どの国でもどの民族でもほとんど同時期に現われる。 ありがたいことに、この成長の順序や時期については、人間の側に責任はない。 われわれに求められているのは、この遺伝的プランを忠実に守っていくことであり、それにとって代わることではないのだ。 」
集団帰属の意識は自分の利益不利益にかかわったり、自尊心にかかわる場合や危機にさらされた場合など無意識のまま(本能的)に助け合ったり喜び合ったりします。 親子兄弟、同級生とか出身学校とか同県人とか同国民とか(同一サークル所属)の場合、危急事態の救助の場合など自分を取り巻く環境に対応して人は行動するものです。 これらも遺伝子にプログラムされた環境適応本能に起因しているといえましょう。
環境適応として、殊に誰しも社会生活に適応するのに気をつけたいことが、昔から伝承されています。
※それを次に取りあげてみます。
イ 論語 学而第一 より
子曰。學而時習之。不亦説乎。有朋自遠方來。不亦樂乎。人不知而不慍。不亦君子乎。
子曰わく、学びて時に之を習う。亦た説ばしからずや。朋有あり、遠方より来たる。亦た楽しからずや。人知らずして慍おらず、亦た君子ならずや。
子曰。巧言令色。鮮矣仁。
子曰わく、巧言令色、鮮いかな仁。
子曰。學而不思則罔。思而不學則殆。
子曰わく、学びで思わざれば則ち罔し。思いて学ばざれば則ち殆うし。
子貢問曰。有一言而可以終身行之者乎。子曰。其恕乎。己所不欲。勿施於人。
子貢、問いて曰わく、一言にして以て終身之を行う可き者有りや。子曰わく、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ。
この他多くの論語の教えの環境の中で、私たちは自分を築き上げることができます。
ロ 荀子の勸學 1 より
君子曰 : 學不可以已。 青、取之於藍,而青於藍;冰、水為之,而寒於水。 木直中繩,輮以為輪,其曲中規,雖有槁暴,不復挺者,輮使之然也。 故木受繩則直,金就礪則利,君子博學而日參省乎己,則知明而行無過矣。 故不登高山,不知天之高也;不臨深溪,不知地之厚也;不聞先王之遺言,不知學問之大也。 幹、越、夷、貉之子,生而同聲,長而異俗,教使之然也。
君子曰 : 学は以て已むべからず。 青は之を藍より取りて、藍より青く、氷は水之を為して、水より寒(ツメ)たし。 木の直なること縄に中(ア)たるも、輮(タワ)めて以て輪と為せば、其の曲(キョク)規(キ)に中たる。槁暴(コウバク)有りと雖も、復(マ)た挺(テイ)せざる者は、輮(タワ)むること之をして然らしむなり。 故に木繩を受くれば則ち直く、金(キン)礪(レイ)に就けば則ち利(スルド)く、君子博く學びて日に己を參省(サンセイ)すれば、則ち智明らかにして行い過ち無し。 故に高山に登らざれば、天の高きを知らざるなり。深谿(シンケイ)に臨まざれば、地の厚きを知らざるなり。先王の遺言(イゲン)を聞かざれば、學問の大なることを知らざるなり。 干(カン)・越(エツ)・夷(イ)・貉(バク)の子、生れて聲を同じくし、長じて俗を異にするは、教え之をして然らしむるなり。
・輮(タワ) - 曲げて。 ・規(キ) - コンパス。 ・挺(テイ) - まっすぐになる。
・槁暴(コウバク) - 「槁」は枯れる。「暴」は乾く。 ・参省(サンセイ) - 何度も反省。「三度の反省」ではない。
・深谿(シンケイ) - 深い谷。 ・先王(センオウ) - 古代のすぐれた王。古代の聖王。とくに、堯(ギョウ)、舜(シュン)、禹(ウ)の王。
・遺言(イゲン) - 残した言葉。 ※ 死の間際の言葉ではないので、「ゆいごん」とは読まない。
「君たちは、こうあってほしい―」「学ぶことは、継続しなければいけない」「青の染料は、藍の草から採取するものだ。だがその色は、元の草よりも青いではないか」「氷は、水から形成される。だがその冷たさは、元の水よりも冷たいではないか。」(君たちもまた、学び続ければますますよい人間となるのだ。努力を怠ってはならない)
「もとの木はたとえピンと張った縄(すみなわ)で計測できるほど真っ直ぐであったとしても、これを曲げて車の輪に仕立て上げると、コンパスの曲線で計測できる円形に加工されるのだ」 「こうなったらたとえ乾かしても、元の真っ直ぐな形には戻らない」 「それは、曲げる力を加えたからなのだ」 「ゆえに、木は縄を使って加工すれば真っ直ぐな木材となり、金属は砥石で研げば鋭利な道具となる」 「君たちも、同じなのだ」 「広く学んで毎日怠りなく自己を反省すれば、やがて君たちの智恵は輝き、行いに過ちのない人材となることができるのだ」 「しかしそのためには、高い山に登って、天の高さを知らなければならない」 「深い谷に下りて、地殻の厚さを知らなければならない」 「つまりわが国の長い歴史の中で、これまでわが国の文明を作り出した建設者である先王たちが残した業績をよく学び取らなければ、学問の効果が絶大であることが分からないのだ」 「干人(かんじん)・越人(えつじん)・夷人(いじん)・貉人(ばくじん)は、生まれたときは同じ声で泣く」 「しかし成長すれば、それぞれの習俗を身につけて異なってしまう」 「この変化は生まれつきでは決してなく、後天的な教育の結果なのだ」 (だから学び教えられることが、人間をどれだけ形作るかがわかるというものだ)
ハ 朱に交われば赤くなる
中国の古いことわざ「近墨必緇、近朱必赤(墨に近づけば必ず黒く、朱に近づけば必ず赤くなるの意味)」から。
人は関わる相手や環境によって、良くも悪くもなるというたとえ。
出典 傳玄『太子少傳箴』
ニ 麻中の蓬
まっすぐに伸びる麻の中に生えれば、曲がりやすい蓬も影響を受けてまっすぐに伸びることから。
「荀子・勧学」に「蓬麻中に生ずれば扶けずして直し」とあるのに基づく。
ホ 水は方円の器に随う
水は方円の器に随うとは、人は環境や友人によって、良くも悪くも変わるというたとえ。
出典 孔子『韓非子』
ヘ 名言・格言・諺など
ト 福娘童話集のメニューから
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チ 立ち居・振舞・品格から
言葉は言霊と言われ、心は所作に現われるという。 大きな環境であり素晴らしい文化である。
三つ子の魂百までもと言われます。 個体が成長する時期や場面はいろいろ異なるが、 なんだもんで時代 ほど大事な時期や場面はありません。
0~3歳の時期は親子中心とする家庭にその責任はあり、赤ちゃん~子供には責任はありません。
3~5歳の時期は家庭と保母さんに大部分の責任があります。 保母さんから言えば、預かった子供は既に4年間は家庭の環境に大きい影響を受けている子供たちです。 子どもは既に等質ではありません。 保母さんは公共団体に、入園以前の養育について家庭での養育の在り方の指導の必要性を訴えることが必要となります。 小学生の担任としても、中学生の担任としても、高校の担任にしても同じ要求を感ずるのです。
後になっての知的分野の広がりや質や深浅、品性の質においても、健康や体力のレベルにおいても、途中からやり直すことは極めて難しいことになります。
私自身、学んだつもりでいたことが “まだこんなことだったのか” と思います。 例えば学ぶということ一つとってみても、知らないことばかりです。 『山登如学』という扁額は新渡戸稲造の揮毫と聞いています。 私の学への登山は一合目にも五勺にも達していないと思うと、まなびの世界の広さ高さは測り知れません。
品性にしても、ほかの人の品性を望ましいと感じても、さて、身に染(シ)むことはまるっきりできません。
自分が過ごした家庭環境、父親も母親も姉も兄も何一つ愚痴ることはなかったのです。 でも感謝こそすれ、悲しかったことはなく何も気づかず今日を迎えています。
だけれど、環境によって人はどのようにでもなることが、子供を育てるころ学んでおればと思うと、今考えることをみんなに残しておいてやりたいと思います。
映像としてみんなに知られる運動技能で素晴らしい人たちが、なんだもんで時代に端を発していることを思えば、親をはじめとする家庭の環境をどう仕組んだらよいか、私個人ではなく将来みんなが取り組む責任があるように思います。
こうすることによって、私が本来心の柱としてきた戦争のないおもてなしの心で和やかな文化を築くことができると考えるのです。