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  02/26 憲法改正議論  

 02 26 (月) 憲法改正議論     騒がれる改憲を調べてみる

関係記事


■教えて!憲法 基本のき
 1 安倍首相「改憲は党是」(2018/2/6)
 2 「最高法規」に反する法律(2018/2/8)
 3 「立憲主義」ってなに?(2018/2/9)
 4 各章に何が書かれているの?(2018/2/9)
 5 国民主権・基本的人権の尊重って?(2018/2/13)
 6 9条と自衛隊の関係、どうなっているの?(2018/2/14)
 7 憲法は押しつけられたの?(2018/2/16)
 8 なぜ改正されなかったの?(2018/2/17)
■憲法を考える 自民改憲草案
 ハンガリーで読む:上 「伝統回帰」似通う思想(2016/6/14)
 ハンガリーで読む:中 国民「まとめあげる」道具に(2016/6/15)
 ハンガリーで読む:下 「美しい国」立憲主義とは距離(2016/6/16)
 「保守」の論理:上 「自民党的な思想」の総括(2016/6/7)
 「保守」の論理:中 近代立憲主義と別の憲法観(2016/6/8)
 「保守」の論理:下 票にならない、語らない(2016/6/9)
 義務:上 権利に条件、「国家の従業員」か(2016/5/25)
 義務:中 空気読み黙る「和」、いまも(2016/5/26)
 義務:下 国民にも「尊重せよ」、何のため(2016/5/27)
 自由:上 責任・公の秩序、自覚求める(2016/5/19)
 自由:中 「ほどほど」では、自由でない(2016/5/20)
 自由:下 自分の自由、吟味する覚悟も(2016/5/21)
 個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」(2016/4/26)
 個人と人:中 「利己主義」の抑え役、本来は(2016/4/27)
 個人と人:下 「すごい日本人」像、私を縛る(2016/4/28)
 家族:上 個人より「家族」、消えた2文字(2016/4/19)
 家族:中 「助け合い」実態見ずに期待(2016/4/20)
 家族:下 女性の地位向上は個人主義?(2016/4/21)
 公の秩序:上 国民向け「道徳」、条文に(2016/4/12)
 公の秩序:中 生き方規定、息苦しくないか(2016/4/13)
 公の秩序:下 少数派を守るのが立憲主義(2016/4/14)
■憲法を考える/押しつけって何?
 1 生い立ち様々、各国で知恵(2016/11/4)
 1 64年 調査会、評価踏み込まず(2016/11/4)
 2 「自分ではない者」探し、迷走(2016/11/5)
 3 「すべて国民」範囲どこまで(2016/11/6)
 4 9条改正論にも米の意向(2016/11/9)
 5 戦前の家制度、廃止の契機に(2016/11/11)
 6 自由の範囲、実践で決まる(2016/11/12)
 7 真に押しつけられてるのは(2016/11/15)
■憲法を考える
 自衛隊を明記するとは 元内閣法制局長官・阪田雅裕さん(2018/2/7)
 国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書(2018/1/30)
 改憲するか、決めるのは国民 法律上の改正手続き…ケンポウさんに聞く(2017/11/28)
 「改憲」ってなんのために? 本来はどうあるべきか…ケンポウさんに聞く(2017/10/31)
 参議院の性格、位置づけは 都道府県の代表とし「合区」解消する案(2017/9/26)
 「9条」をこじらせて 篠田英朗さん、大澤真幸さん(2017/9/12)
 釜ケ崎に憲法はあるか 憲法研究者・弁護士、遠藤比呂通さん(2017/8/29)
 「全体の奉仕者」どこへ 政治学者・牧原出さん(2017/7/25)
 「核保有、否定されず」脈々 政府解釈「必要最小限なら」、学者から疑義(2017/7/25)
 自衛隊、変わる受け止め方 「日陰者」から大震災通して「最後のとりで」に(2017/6/27)
 自衛隊追記、その先に危うさ 9条改正論 集団的自衛権、新条文で拡大も(2017/5/30)
■この人に聞く
 船田元・自民党憲法改正推進本部長代行 発議は早くても19年に(2017/6/15)
 高木義明・元文科相 反対一辺倒より積極議論(2017/6/14)
 横路孝弘・元衆院議長 70年、今の憲法で支障なし(2017/6/13)
 遠山清彦・公明党憲法調査会事務局長 自衛隊明記、簡単ではない(2017/6/9)
 下村博文・自民党幹事長代行 改憲向けギアチェンジを(2017/6/8)
 石破茂・元防衛相 まず「3分の2」私の趣味じゃない(2017/6/7)
 報道、これでいいのか 石橋学さん、林香里さん、山崎拓さん(2017/5/23)
 国の財政を律する 藤井裕久さん、片桐直人さん(2017/5/16)
■施行70年
 施行70年 条文、柔らかく(2017/5/29)
 施行70年 性的少数者、憲法に守られた 「宿泊拒否」違法判断から20年(2017/5/28)
 施行70年 獅子舞、かなえた「平等」 参加許されず、差別受けた地区(2017/5/22)
 施行70年 子どもの権利は 平湯真人さん、増田ユリヤさん、荒牧重人さん(2017/5/5)
 施行70年 憲法は芸術だ 作家・作詞家、なかにし礼さん(2017/5/4)
 施行70年 憲法、岐路の70年(2017/5/4)
 施行70年 現在地:下 分断、変質する「私たち」(2017/5/4)
 施行70年 日本国憲法の運命 東京大学名誉教授・長尾龍一さん(2017/5/3)
 施行70年 現在地:中 平和、「非軍事」失い骨抜き(2017/5/3)
 施行70年 国民あっての憲法論議(2017/5/3)
 施行70年 たどる、制定の原点(2017/5/3)
 施行70年 憲法、人生の中に(2017/5/3)
■改憲の足音
 1 絵を描く未来、奪った戦争 (2018/1/8)
 2 国際貢献、どこまで安全なら (2018/1/9)
 3 自衛隊明記案、向かう先は (2018/1/10)
 4 自由な暮らし、9条あるから (2018/1/11)
 5 議論を敬遠、憲法アレルギー (2018/1/12)
 6 平和憲法、沖縄は置き去り (2018/1/13)

2018年2月9日 (教えて!憲法 基本のき:3)
「立憲主義」ってなに?
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S13351717.html

写真・図版

【図版】 立憲主義の考え方

 人は生まれながらにして天からあたえられた権利、自由を持っている。この考え方を天賦人権説という。しかし、国家権力はときに暴走し、こうした権利を踏みにじったり、うばったりすることがある。だから、憲法でルールを定め、権力をしばる――。これが立憲主義だ。憲法に欠くことのできない要素とされる。

 日本国憲法では、個人の権利保障というかたちで、国家が守るべきものをしるしている。

 たとえば、思想の自由や表現の自由だ。「基本的人権」「侵すことのできない永久の権利」と表現される。仮に選挙でえらばれた多数派が国会できめたとしても、国家は個人からこれらの権利をうばうことはできない。

 立憲主義という考え方は、西欧で17~18世紀に市民革命が絶対王制を打ち破るなかで生まれた。国王が「朕(ちん)は国家なり」と称し、ほしいままに人民を支配することができる絶対主義の考え方を否定し、国家権力と市民の関係を新たに位置づけるものとして宣言文書にも明記された。

 フランス人権宣言はその一つだ。「権利の保障が確保されず、権力の分立がさだめられていないすべての社会は、憲法をもたない」。立憲主義のもう一つの特徴の権力分立もしるされた。

 日本国憲法も国家権力を法律を作る立法(国会)、法律を執行する行政(内閣)、法律を適用して紛争を解決する司法(裁判所)の三つにわけ、たがいにチェックし合うしくみにしている。

 憲法で国家権力をしばるという考え方は、天皇主権の大日本帝国憲法(明治憲法)のもとでも受け入れられた。欧州で各国の憲法や立憲主義を学んで旧憲法をつくった伊藤博文は、「第一君権(君主の権力)ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ」と語っている。

 こうした西洋由来の立憲主義に疑問を投げかけたのが、「天賦人権説にもとづいた規定はあらためる必要がある」と主張する自民党の憲法改正草案だ。

 西洋での経験を踏まえて基本的人権の獲得を歴史的な成果とした憲法97条を、「重複がある」と全面的に削除し、日本国憲法が政治家や公務員ら権力を行使する側に課した憲法尊重の義務を国民の側にも課した。

 これらは憲法学者らから「本来、権力をしばるはずの立憲主義を理解していない」と批判された。

 立憲主義をめぐる考え方は、国会での憲法論議でも焦点になっている。

 先月22日の施政方針演説で安倍晋三首相は憲法について、「国のかたち、理想の姿を語るもの」と主張した。これに対して、立憲民主党の枝野幸男代表が「憲法は公権力のあり方についてきめたルール。定義がまちがっている」と批判。首相は今月6日の衆院予算委員会で、「いわば権力の手をしばるものだ。同時に国のかたち、理想を語るものでもある」と言いかえた。(石松恒)



2018年2月10日 (教えて!憲法 基本のき:4)
各章に何が書かれているの?
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S13353374.html

写真・図版

【図版】 日本国憲法の構成/互いが互いをチェックする三権分立のしくみ

 日本国憲法の章だてには意味がある。いずれの章も重要だが、より大切だと考えられたことほど、前に書いてあるといっていい。

 冒頭にある前文は、「国のかたちをきめる権力=主権」を新たに手にした国民の「宣誓文」だ。主権が国民にないなかで戦争の道に突き進んだ反省をもとに、憲法を制定する意義や目的をしるした。ほとんどの文の主語は「日本国民」と「われら」。国民みずからが主人公だとの思いを前面に、全643字に国民主権と平和主義をつづる。

 本文は全11章、103条。ほかの近現代の憲法と同じように、前半に基本的人権の保障が、後半に国の機関のありようや国家権力の使い方が書かれている。基本的人権の保障が政治の目的で国家権力はその手段という考え方にもとづく。

 一方、日本国憲法に特徴的なものもある。一つは、第1章の「天皇」だ。大日本帝国憲法(明治憲法)と同じ順番、同じ表題だが、内容は大きくことなる。主権が天皇から国民に移ったことをはっきりとしめした。天皇を日本や日本国民の統合の「象徴」とし、国民主権をあきらかにした。

 もう一つは、第2章の「戦争の放棄」だ。憲法の三大原理の一つ、平和主義として、国民主権の次におかれた。ふたたび戦争の惨禍が起こることのないようにすると誓った前文にもとづき、軍隊も戦力も持たないとしるした、独特な規定だ。自衛隊が軍隊や戦力に当たらないのか、憲法論争の焦点になってきたのもこの章だ。

 第3章の「権利・義務」にも、国家が個人の思想を不当に弾圧したり個人を拘束したりした戦前、戦時中への反省が映っている。みんなの迷惑にならないなかで、どこに住んでも、どんな職業についても自由。どんな考えを持とうとも自由だ。自分の考えを発表する集会を開いたり出版をしたりする表現の自由もしるされている。不当に逮捕されない身体の自由もある。

 親が子どもに教育を受けさせる義務、勤労する義務、税金を納める義務もここにしるされている。

 第4章は「国会」、第5章は「内閣」、第6章は「司法」だ。国家権力が特定の機関に集中しないように、法律をつくる権限を国会に、行政をつかさどる権限を内閣に、法律を適用して争いを解決する権限を裁判所に分担させ、たがいがたがいをチェックする三権分立のしくみをとり入れた。国会は主権者である国民に直接えらばれた国会議員でつくられている。憲法は国会を「国権の最高機関」と呼び、国民との近さから、三権のなかでいちばん前におかれている。

 その後は財政(第7章)、地方自治(第8章)、憲法改正手続き(第9章)が続く。憲法の最高法規としての位置づけを書いた第10章では、憲法を尊重し、守る義務が政治家や公務員ら、国家権力の側にあることを明記する。(二階堂勇)



2018年2月14日 (教えて!憲法 基本のき:5)
国民主権・基本的人権の尊重って?
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S13358213.html

写真・図版

【図版】 基本的人権ってどんなもの?

 日本国憲法でもっとも重要だといわれている理念が三つある。

 国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義。あわせて「三つの基本原理」と呼ばれている。明治憲法のもとでは天皇が国の主人公(主権者)だったが、国民が自ら主人公となり、一人ひとりの人権保障を大幅に強めた。そして、国内外に多くの犠牲者を出したことへの反省から、戦争の放棄をうたった。

 国民主権とはどういうことか。ひとことで言えば、国のしくみをさだめた憲法を制定したり、改正したりする権力が、天皇にではなく国民にあるということだ。

 憲法が施行された1947年に旧文部省がつくった教科書「あたらしい憲法のはなし」が、おおよそ次のように説明している。

 「これまでの憲法は明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、あたらしい憲法は日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民全体の意見で、自由につくられたものであります」

 憲法の英語の草案は、戦後、日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)がつくったものだ。だが、日本で初めて女性の参加が認められた46年4月の衆院選で選ばれた議員によって審議されたことから、この教科書は「あたらしい憲法は、国民ぜんたいでつくったということになるのです」と説明する。

 いまの憲法では、選挙によって国民を代表する国会がつくった憲法改正案を最終的に認めるかどうかは、国民が直接の投票によってきめる。

 この国民投票こそ、国民が主権を行使する最も重要で、具体的な場面だ。

 それでは、主権者である国民が持つ「基本的人権」にはどんなものがあるのだろうか。大きく三つに分けられるが、キーワードは「自由」だ。

 まずは文字通りの自由権。奴隷のように拘束されない身体の自由、思想や良心の自由、そして表現の自由など、国から個人への介入を排除することから「国家からの自由」とも呼ばれる。

 これとは逆に「国家による自由」と呼ばれるのが社会権だ。すべての人が人間らしい暮らしができるよう、国家に配慮をもとめることができる権利だ。社会保険や生活保護などおたがいが支え合っていく社会保障制度のもとになる考えだ。ほかに裁判を受ける権利なども国家による自由に含まれる。

 そして国政や地方自治に参加する参政権。これは「国家への自由」とも言われている。

 憲法はこうした自由のほか、平等権などもさだめている。

 基本的人権は、民主主義による多数決によっても人から奪うことはできない。ただ、だからといって、何をしてもいいというわけではない。たとえば、表現の自由があるといって人の名誉を傷つけることを言ってはいけないことなどを考えれば、当然のことだ。(編集委員・国分高史)



2018年2月15日 (教えて!憲法 基本のき:6)
9条と自衛隊の関係、どうなっているの?
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S13359921.html

写真・図版

【図版】 憲法9条と「戦力」をめぐるイメージ

 二度と戦争をしない――。日本国憲法の三大原理の一つ、平和主義をうたった前文の理念を実際にかたちにしたのが9条だ。1項で「戦争の放棄」を、2項で軍隊を持たない「戦力の不保持」と交戦権をみとめない「交戦権の否認」をさだめる。

 こうした条文にかかわらず、日本は自衛隊を持つ。防衛費(軍事費)は年5兆円を超え、世界十指に入る「軍事大国」だ。政府は軍事用語をなるべくつかわず、歩兵を普通科、軍艦を護衛艦などと呼ぶが、潜水艦をはじめ、装備面で最新鋭のものも少なくない。

 9条があるのに、なぜ軍隊のような自衛隊が生まれたのか。

 戦争に敗れた日本は、戦勝国から武装解除をせまられ、軍をなくした。ところが、朝鮮戦争が1950年にはじまると、連合国軍総司令部(GHQ)の要求で警察予備隊をつくった。朝鮮半島に送られる駐留米軍の穴をうめるためだった。

 警察予備隊を警察をおぎなう実力組織と位置づけつつ、強力な武器を持たせた。後に保安隊をへて、1954年に自衛隊となった。軍隊でも警察でもないながらも、国防を主な任務とする組織ができた。

 当時の政府の説明は、憲法で戦争を放棄したが、国際法でみとめられている「自国を防衛するために必要な一定の実力を使う権利=自衛権」は持っている、というものだった。戦力は「自衛のための必要最小限度の実力を超えるもの」と定義。自衛隊は、憲法で持つことが禁じられた戦力ではないとの立場をとった。

 しかし、戦力と実力の境目は「必要最小限度」をどうとらえるか次第でかわり、あいまいだ。結果的に自衛隊が活動範囲をいたずらに広げる歯止めになってきたとの見方もあるが、初めから憲法論争の中心だった。

 戦争のきずあとが生々しく残るなか、国会では、9条などの改憲をかかげる自民党政権に対し、9条の徹底と非武装中立を主張する社会党が立ちはだかった。このため、歴代の政権は改憲に必要な議席数を得られず、自衛隊の活動範囲を広げるたびに、「自衛隊=合憲」の理屈を考えた。

 たとえば、1990年代には、国連の平和維持活動(PKO)に参加するため、海外での武力行使に歯止めをかける「参加5原則」をつくった。2000年代には、イラク戦争後の復興支援にたずさわるため、戦闘が起きる可能性のない「非戦闘地域」という理屈を持ちだした。

 直近では、14年に安倍政権が集団的自衛権を一部とはいえ行使できる、と9条解釈を変えた。集団的自衛権は、同盟国が攻撃された場合に、共同して防衛に当たる権利のことで、歴代政権が9条のもとでは行使できないと解釈してきた。

 安倍晋三首相は昨年5月には、自衛隊の存在を9条に明記するよう提案。現在の憲法論議につながっている。(二階堂勇)



2018年2月16日 (教えて!憲法 基本のき:7)
憲法は押しつけられたの?
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S13361556.html

写真・図版

【図版】 憲法制定をめぐる流れ

 日本国憲法は敗戦後の1946年11月、連合国軍総司令部(GHQ)の占領下で公布された。

 自民党はその「生まれ」を問題視し、GHQに「押しつけられた」と訴えてきた。「押しつけ憲法」論だ。2012年にまとめた党改憲草案を対外向けに紹介する冊子でも、「主権が制限された中で制定され、国民の自由な意思が反映されていない」と批判した。

 ただ、制定までの道のりをみると、そう単純な話ではない。

 日本政府の憲法問題調査委員会(委員長、松本烝治〈じょうじ〉国務大臣)がつくった「試案」を毎日新聞がスクープしたのは、46年2月。天皇の統治権を記すなど、戦前の大日本帝国憲法(明治憲法)とほとんど変わらない内容だった。

 日本政府に民主化をもとめていたGHQはみずから20人あまりで草案づくりを開始。9日後に英文の草案を松本らに手渡した。明治憲法で主権者だった天皇を「象徴」に位置づけ、国民主権を明記。新たに「戦争の放棄」をもりこんだ。

 日本政府は、このGHQ案をふまえて政府案をつくったが、前文をけずるなど大きく修正した。そのため、松本らがGHQ本部に政府案を届けると、GHQ案にふたたび近づけるため徹夜の作業をせまられた。これらの経緯が「押しつけ」と批判される最大の原因になった。

 一方で、GHQの草案はあらかじめ、後にNHK会長になる社会運動家、高野岩三郎ら日本の民間研究者が独自につくったさまざまな草案のエッセンスをとり入れていた。「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」(生存権)をさだめた憲法25条もその一つだ。

 政府案は帝国議会での審議でも修正された。9条2項には、「前項の目的を達するため」との文言がくわわった。その後の9条論議で、この文言をよりどころに自衛権を認める主張もなされた。芦田均衆院議員(後に首相)の名をとって「芦田修正」とよばれた。

 GHQのマッカーサー最高司令官は、新憲法が本当に日本国民の自由な意思によってできたものであることを確認するため、施行後1、2年のうちに改正を検討して国民投票を実施することもみとめると、吉田茂首相に伝えていた。だが、実際には改憲に世論の支持がなく、手続きはとられなかった。

 押しつけ憲法かどうかについては、衆院憲法調査会(現・憲法審査会)でも議論され、05年の報告書にもりこまれた。「国民の圧倒的支持を日本国憲法が受けてきたことは明確」との見方が数で上回り、一定の決着をみた。

 自民党も16年の衆院憲法審査会で、「GHQの関与ばかりを強調すべきではないとの意見を考慮に入れることも重要だ」(中谷元氏)として、押しつけ憲法論を表向き封印した。だが、党内には押しつけ論にこだわる議員が少なくない。(藤原慎一)



2018年2月17日 (教えて!憲法 基本のき:8)
なぜ改正されなかったの?
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S13363316.html

写真・図版

【図版】主な国の憲法改正手続きと憲法の特徴

 日本国憲法が施行されて71年。なぜ、この間、改正されなかったのだろうか。

 一つは、憲法がさだめる改正手続きのハードルの高さだ。

 憲法改正は国会が国民に提案(発議)するが、衆参両院の総議員の3分の2以上の賛成が必要だ。さらに、改正が承認されるには、国民投票で有効投票の過半数の賛成を得なければならない。衆参両院で出席議員の過半数の賛成があれば改正できる法律とくらべると、きびしい手続きだ。

 戦後、自民党がめざす改憲で一致する勢力が衆参両院で3分の2以上を占めたこと自体が少ない。歴代の自民党政権は「現行憲法の自主的改正」をかかげ、本丸を9条とみさだめつつも、憲法改正は具体的な政策課題にならなかった。

 自衛隊の活動範囲をひろげるときは、新しい理屈をつくって9条を拡大解釈することで対応した。

 その意味では、さしせまった改憲の必要性がなかったといえる。だから、国民投票のしくみなど、改憲の具体的な手続きをさだめた法律も、長い間つくられなかった。国民投票法ができたのは、憲法施行から60年がたった2007年になってからだ。

 憲法が改正されなかった理由のもう一つが、憲法が基本的人権の保障という、多数決によってすらうばうことのできない理念・原則を書きつつ、国のあり方については、こまかい話を法律にまかせたことにある。国会法や内閣法、地方自治法といった憲法付属法のことだ。

 これらは、新たな変化に対応するため、たびたび改正された。憲法にあたる基本法を約60回改正したドイツで、その多くが国と地方の権限に関する条文だったことに照らせば、連邦制のドイツとは国のなりたちこそ違えど、日本でも実質的には憲法が改正されていたという見方もできる。

 1789年以後に制定された各国の憲法をしらべた東京大のケネス・盛・マッケルウェイン准教授によると、各国の憲法の英訳版の語数は平均2万1千。日本国憲法は4998で、その4分の1ほどだ。100回以上憲法を改正したインドは約14万6400だったという。

 憲法にこまかく書くほど、変化に対応するには改正が必要になるというわけだ。

 日本では、憲法ができた当初は想定していなかった「新しい人権」も改正をへず、既存の条文に読みこむことでみとめてきた。たとえば「プライバシー権」や「知る権利」だ。憲法がこまかい規定を置いていないぶん、裁判所が判例を積み重ねることで、人権の解釈を広げてきた。

 憲法改正というとき、対象になるのは前文と103条からなる憲法典だ。しかし、わたしたちが憲法を考えるとき、憲法典だけでなく、憲法付属法や判例、政府解釈のことも知っておく必要がある。憲法改正を承認するかどうかをきめるのは、主権者であるわたしたち国民だから。(磯部佳孝)=おわり

     ◇

 次回の「教えて!憲法」は4月に国民投票を取り上げる予定です。「教えて!」はしばらく休み、インタビュー企画「たぶん、僕らの問題です~男女格差114位の国って?」を来週から掲載します。



2016年6月14日 憲法を考える:自民改憲草案・ハンガリーで読む:上
「伝統回帰」似通う思想
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160924/p1

 「ドナウの真珠」。そう呼ばれるハンガリーの首都ブダペストは、中央をドナウ川がゆったりと流れる美しい街だ。

 この街を訪ねようと思ったのは、総選挙で3分の2の議席を取ったオルバン政権が5年前、野党の反対を押し切り、憲法を丸ごと書き換えたと聞いたからだ。しかも、中身が自民党の日本国憲法改正草案と似ている。

 前文を読み比べてみる。

 〈自民草案〉「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家」「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」

 〈ハンガリー新憲法〉「我々は、我々の王、聖イシュトバーンが千年前に、堅固な基礎の上にハンガリー国家を築き」「我々の子供及び孫が、その才能、粘り強さ及び精神的な力により、再びハンガリーを偉大にすると考える」

 相通じるのは、過去への憧憬(しょうけい)であり、歴史と伝統の上にある「国柄」を次世代へ引き継いでいこうとする発想である。

 ハンガリーは、苦難に満ちた複雑な歴史を歩んできた。

 16世紀にオスマン帝国、17世紀末からオーストリアに支配され、1867年にオーストリア・ハンガリー二重帝国に。第1次大戦に敗れると、トリアノン条約で国土の3分の2と人口の5分の3を失う。領土を取り戻そうと第2次大戦では枢軸国側として戦い、再び敗れた。

 民族を散り散りにした敗戦が、ハンガリーの人々にもたらした喪失感と屈辱感――。オルバン政権は2010年、トリアノン条約が締結された6月4日を「国民連帯の日」とした。国民国家の枠を超えて民族の一体感を強めようと、自国の外で暮らす在外ハンガリー系住民にもハンガリー国籍を与えた。

 新憲法の前文では、王国時代、国家を象徴する存在だった「聖なる王冠」に敬意を表するよう、国民に命じる。

 王冠は第2次大戦中に国外に持ち出され、78年に米国から戻ってきた。国立博物館で保管されていたが、第1次オルバン政権時代に、国会議事堂へと移された。「権力の象徴」を、我が手に取り戻そうということなのか。ブダペストで会った政治学者は、新憲法は、第2次大戦以降の歴史を「負の歴史」として否定し、王冠が権威を持った古い歴史と「伝統あるハンガリー」へと回帰する思想に貫かれている、と言う。

 伝統回帰という点では、自民草案でも「長い歴史と固有の文化」を持つ「美しい国土」が強調される。草案Q&A集によると、改憲の動機は「占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため」。安倍晋三首相も著書「美しい国へ」で、憲法前文の一節を指し「敗戦国としての連合国に対する“詫(わ)び証文”」と書いている。

 米国の歴史学者、ジョン・ダワー氏の言葉を借りれば、敗戦と占領、憲法が制定された時代は、草案の起草者には、「自由な選択が制限され、外国のモデルが強制された、圧倒的に屈辱的な時代」(「敗北を抱きしめて」)と映るのだろう。

 ハンガリー新憲法と自民草案はもう一つ、共通の背景を持っている。グローバル化で、国家や国民のアイデンティティーが揺らいでいることへの危機感だ。(編集委員・豊秀一)



2016年6月15日 憲法を考える:自民改憲草案・ハンガリーで読む:中
国民「まとめあげる」道具に
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160924/p5

 5月2日。ハンガリーの首都ブダペストで、トローチャーニ・ラースロー司法相に憲法改正の狙いを尋ねると、こんな答えが返ってきた。

 「グローバル化が進む中で、共同体を守るためにも、我々のアイデンティティーとは何かを決定したということに、新憲法制定の意味がある」

 同じ日、ブダペストから直線で約9千キロ離れた東京。新憲法の制定をめざす超党派の議員同盟の集会が開かれ、会長の中曽根康弘元首相がこうあいさつしていた。

 「現憲法がグローバル化の中で、はたして日本民族が民族たる意味を示しうるかどうか。国を取り巻く時代の状況変化に十分に対応しうるかどうかが従前に増して大きく問われる」

 二人に共通するのは、グローバル化によって民族や共同体のアイデンティティーが揺らいでいる、だから憲法で国家や民族のアイデンティティーを規定し、国民統合をはからねばならないという危機感だ。

 【1867年】 オーストリア・ハンガリー二重帝国の成立/江戸幕府が大政奉還

 【2012年】 ハンガリー新憲法施行/自民党が憲法改正草案を発表

 公演で14年秋にブダペストを訪れた劇作家・平田オリザさん(53)の目には、同じ時期に「帝国」となった二つの国の歩みが重なって見えたという。

 「ナショナリズムとグローバリズムを接ぎ木した新憲法を作ったハンガリー。同じような改憲草案を政権党が持つ日本。過去の栄光や民族の誇りに訴えかけて国民をつなぎとめ、国民国家を維持しようとしている」

 ハンガリー新憲法O(オー)条は、こう規定している。

 「何人も、自己自身に責任を負い、その能力及び可能性に応じて、国及び共同体の任務の遂行に貢献する義務を負う」

 グローバル企業は国境を越え、国に貢献しない。経済成長は頭打ちで、財政赤字は膨らみ、金をばらまくことはできない。トローチャーニ司法相は「福祉国家ではなく、仕事をする義務を果たし、個人が責任をとる社会作りを目指す」と、自己責任を強調する。

 一方、自民草案。「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)とし、前文は「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り……活力ある経済活動を通じて国を成長させる」と国家への貢献をうたう。

 家族の共助も強調される。

 自民草案24条が「家族は、互いに助け合わなければならない」とうたえば、ハンガリーの新憲法XVI(16)条は、親の子どもの養育義務に加え、「成人の子は、援助を必要とするその親の世話をする義務を負う」と定める。

 国家はもう面倒をみられないから、自己責任と家族の助け合いでしのいでください――。

 本来、権力を縛るための憲法が、権力によって、国民を都合よくまとめあげる道具として使われようとしている。(編集委員・豊秀一)



2016年6月16日 憲法を考える:自民改憲草案・ハンガリーで読む:下
「美しい国」立憲主義とは距離
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160925/p5

 ハンガリー新憲法の前文にあたる「民族の信条」は、こう書き出される。

 「我々、ハンガリー民族の構成員は、新しい千年紀の始めに、全てのハンガリー人に対する責任感をもって、次のとおり宣言する」

 各国の憲法前文の書き出しをみてみる。「日本国民は/この憲法を確定する」「フランス人民は/宣言する」「ドイツ国民は/基本法を制定した」

 「民族」という言葉は、使われていない。

 ハンガリーの憲法学者、マイティーニ・ラースローさん(65)は言う。「顔も肌の色も考えも異なる人たちで社会は成り立っているのに、ハンガリー、ハンガリーと民族を強調することは少数派の排除へ向かいかねない。それは政権の難民排除の姿勢に表れているし、異国の人々に対する危険性すらはらむ」

 欧州評議会の下にあるベニス委員会は2011年6月、ハンガリーの新憲法への懸念を意見書という形で表明した際、前文にも触れ、宣言する主体は、「民族」ではなく「国民」のほうがふさわしい、と指摘した。「憲法は国民全体の意思を表すものだから、民族では狭い」

 ベニス委員会は、人権尊重や権力分立、法の支配という西欧の立憲主義の伝統と合致しているかという観点から、冷戦後、東欧諸国の憲法起草への助言などをしてきた組織だ。

 「民族や共同体を重視し、個人の自律を尊重していない」「キリスト教的価値観を反映し、価値中立的でない」「憲法裁判所の権限を制限している」。新憲法をめぐっては、ベニス委員会だけでなく、立憲主義の標準から外れているという批判が国内外でわき起こった。

 歴史と伝統を誇り、共同体の価値を称揚する、西欧流の立憲主義の伝統に基づかない、独自の憲法観で憲法を作って何が悪い――。そう開き直ってばかりはいられないようだ。

 日本はどうだろう。

 自民党の日本国憲法改正草案では、前文が全文書き換えられ、書き出しは「日本国民」から「日本国」へ変わった。12条の「公共の福祉」は「公益及び公の秩序」に、13条の「すべて国民は、個人として尊重される」は「人として尊重される」へ置き換えられた。草案Q&A集は「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要」とする。

 「民族」という言葉は使われていない。だが「長い歴史と固有の文化」「国と郷土」「和を尊び」「美しい国土」「良き伝統」と、前文に用いられた文言を連ねると、血や土地の結びつきで国をまとめていこうという底意を感じる。この国に生まれた以上、同じ価値観を持ち、共同体のために尽くすのが自然だと言われているかのようだ。

 草案は、人類が「過去幾多の試練」を乗り越え築き上げた、権力を縛るという普遍的な立憲主義の考え方とは距離がある。

 日本国憲法の公布から70年。この国は、どこに向かおうとしているのか。参院選を前に、自民党改憲草案にもう一度、目を通しておきたい。(編集委員・豊秀一)



2016年6月7日 憲法を考える:自民改憲草案・「保守」の論理:上
「自民党的な思想」の総括
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160913/p5

 自民党憲法改正草案を読み解く。私は、この草案を編んだ人たちの思いにあえて「寄り添う」ことから始めたい。

 草案は、自民党的「思想」の総括である。

 「家族は、互いに助け合わなければならない」(草案24条)という家族観。「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」(同102条)などの義務。現憲法の「個人として尊重」を「人として尊重」(同13条)に改めたうえ、国民の権利は「公益及び公の秩序に反しない限り」(同)尊重されるという制約。

 不自由で嫌な感じ。とはいえ、それぞれを「思想」としてみると、趣が変わってくる。

 「日本の歴史や文化、あるいは和を尊び、家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っている。こういったことを述べている」。2012年4月27日、東京・永田町の自民党本部で行われた改正草案のお披露目会見。谷垣禎一総裁(当時)は、一から書き直した前文の趣旨について、こう説明した。

 翌28日は、サンフランシスコ講和条約の発効から60年の節目の「主権回復の日」。党是に「自主憲法制定」を掲げる自民党にとって、日本人の手で、日本人らしい思想を盛り込んだ憲法を作ることは長年の悲願だ。

 戦後の日本政治を牽引(けんいん)したのは、自民党である。それゆえ、自意識の強い自民党議員ほど「我が国」「日本国」との言い回しを多用するというのが、私の取材を通しての実感だ。悪意はなくとも、時に「日本や日本人はかくあるべし」との思考に陥り、民意を置き去りにすることもある。自民党の改憲草案は、そのひとつの証左だろう。

 立憲主義からの逸脱を指摘される草案。だが、草案のとりまとめ役を担い、現在は自民党憲法改正推進本部の副本部長を務める礒崎陽輔参院議員は「『立憲主義以外のことを憲法に規定してはいけない』と誰が言ったのか。そんな通説はなかったはずだ」と言う。実は冒頭に記した「思想の総括」とは礒崎氏の弁。憲法に「思想」を盛り込んで何が悪い、というわけだ。

 この「思想」は、「国柄」と言葉を変えて発信されることもある。

 「美しい田園風景、伝統ある故郷、助け合いの農村文化。日本が誇るこうした『国柄』をしっかりと守っていく」

 今年1月の施政方針演説で、安倍晋三首相はこう語った。安倍首相が掲げてきた「美しい国」という思想をかみ砕くと、こうなるということだろう。

 童謡が聞こえてきそうな実りの秋。収穫を待つ稲穂が黄金の景色をつくりだし、作業を終えたお年寄りが、のんびりお茶をすすり合う――。「国柄」と呼ぶかは別にして、そのような「原風景」を大事に思うことは、悪いことではない。

 礒崎氏は力を込める。

 「国柄をあらわすのも憲法の役割だと思う。だからこそ、何が正しいというのはない。わかってほしい。最後は国民が決めるということを」

 しかし、憲法に「国柄」を書き込んでいいものなのか。保守の論客をたずねると、「構わない」という答えが返ってきた。(石井潤一郎)



2016年6月8日 憲法を考える:自民改憲草案・「保守」の論理:中
近代立憲主義と別の憲法観
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160915/p6

 憲法を本当にわかっているんですか?

 保守を自認し、その思想に詳しい佐伯啓思・京大名誉教授に問われ、たじろいだ。自民党の改憲草案について論じる前にまず、憲法観について考える必要があると、佐伯氏は言うのだ。

 わが身を振り返れば、憲法の「初体験」は、中学の公民の授業だった。教師から逐条についての解説はあったような、なかったような。テストに備えて前文や条文を丸暗記したものの、大人になったらどこへやら。似たような経験をしてきた人は、世の中に大勢いると思う。

 そのような現状への危機感があってのことだろう、日本弁護士連合会は2008年、「憲法って、何だろう?」という子ども向けの絵本を作った。

 「憲法は、リーダーを縛るもの」という項目では、「リーダーが決めるルールが『法律』」「リーダーを縛るルールが『憲法』」。柔らかい字体にほがらかな動物の挿絵。「中学で初体験」の私には、なるほどこれが立憲主義かと、ストンとくる。

 だが佐伯氏は、このような憲法観は大きな問題をはらんでいるのだと指摘する。

 「西洋の憲法は革命的な出来事のなかで作られ、王権との戦いを通じて市民が権利を唱え、近代立憲主義ができた。日本はそれと同じ歴史ではない」

 単純化すればこうだ。

 今の憲法は市民が作ったものではない。だから、正統性をもたない。

 この点については、安倍晋三首相も強いこだわりを見せている。政権奪還を目前にした、総選挙終盤の2012年12月、インターネット番組でこんな発言をしている。「みっともない憲法ですよ、はっきり言って。それは、日本人が作ったんじゃないですからね」

 改正草案は、現憲法の全面改正案だ。第2次世界大戦に敗れ、占領軍が我々におしつけたのが今の憲法である。内容以前に「出自」に問題がある。日本人自身の手で書き直さなければならない――。そうであれば本来は「廃憲」を求めるのが筋だが、改正にとどめているのは政治的思惑あってのことだろう。

 佐伯氏は、日本人が憲法を考えるなら「近代立憲主義にとらわれない別の憲法観がある気がしている」と話す。その「別の憲法観」とは、歴史的なものをすくい、表現すること。「国柄」を盛り込む自民党改憲草案が、まさにそうであるように。

 「国柄」が草案に盛り込まれた理由の一つに、日本の現状に対する「保守」の不安がある。

 佐伯氏は「保守」を「家族、地域、友人など、人と人との信頼関係を大事にする立場」と定義する。共同体がこわれ、隣人の顔や名前がわからない都市化への憂い。高齢化が進む社会で、だれが介護を担うのか。「自助、共助、公助」。戦後日本が経済的繁栄の中で手放してしまったものをもう一度、取り戻さなければならない――。

 佐伯氏は強調する。「現状を考えれば、護憲はありえない。憲法を捉え直し、考え直す非常によいチャンスだ」(石井潤一郎)



2016年6月9日 憲法を考える:自民改憲草案・「保守」の論理:下
票にならない、語らない
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160916/p1

 6月1日、安倍晋三首相の記者会見。多くの関心が消費増税先送り表明に注がれるなか、私は、憲法改正について首相が何をどう語るかに注目していた。

 「この選挙においても、我々は憲法改正草案を示していますが、『これをやりますから3分の2になるために賛成する人は誰ですか』ということを募っているわけではありまの続きせん」

 あれ? ずいぶんあっさりしているではないか。

 そんな首相の姿勢を反映してか、自民党が発表した参院選の公約も、憲法については最後にさらりと触れるのみ。

 「各党との連携を図り、あわせて国民の合意形成に努め、憲法改正をめざす」

 自民党改憲草案に込められた思いに、「あえて」寄り添ってきた私としては、なんだかはしごを外された気分だ。

 草案は、自民党的「思想」の総括ではなかったのか。ならばなぜ、堂々と有権者に示さないのか。憲法改正への思いはその程度のものなのか――。

 自民党議員が憲法改正を真正面に掲げ、有権者に訴えているとは思えませんが?

 草案のとりまとめ役で、現在は党憲法改正推進本部副本部長を務める礒崎陽輔参院議員にそう問うと、「慎重になっているだけでしょう。党からも『慎重に発言をするように』という指導は出ているようだ。慎重に、と」という答えが返ってきた。

 憲法は、票にならない。

 記者になって13年、選挙期間中はとにかく政治家の動向を追ってきた。わかりやすいこと。聴衆にウケがいいこと。選挙に落ちればただの人、1票でも多く獲得したい政治家は、難しい議論や、批判をあびかねないテーマを敬遠しがちだ。

 朝日新聞社が4、5両日に行った参院選連続世論調査で、投票先を選ぶときにどの政策を重視するかたずねたところ、「憲法」は10%。憲法改正の是非について世論は割れており、さらに安倍政権のもとでの改憲に警戒感が高まっていることは、各種世論調査をみても明らかだ。

 だから、語らない。

 選挙戦術としては「正解」かもしれない。だが、国民に新たな義務を課そうとする政治家の態度としては、どうなのか。「保守」は「保身」とは違うはずだ。

 「憲法改正の『よい』というところの最大公約数を見いだすのが自民党の仕事だ。極めて現実的にやらないといけない」

 礒崎氏は、選挙後の道筋をこう描く。「3分の2」を獲得し、改正できる環境が整えば、変えやすいところからの改正へと突き進んでいくのだろう。

 「ここを、こういう理由で、こう改正したい」。そんな主張を聞くことがないまま、参院選の結果いかんによっては、国民は憲法改正の土俵にあげられかねない。

 今月22日、参院選が公示される。しっかりと見ておきたい。自民党議員が、憲法について何をどう語るのか。そして、選挙では語らなかったのに、選挙後に冗舌に語り出す政治家は誰なのかを。(石井潤一郎)



2016年5月25日 覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・義務:上
権利に条件、「国家の従業員」か
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160812/p5

 自民党憲法改正草案と現行憲法を比べると格段に増えているものがある。個人に課される「義務」の数だ。

 現憲法が定める国民の義務は「勤労」「納税」「子女に普通教育を受けさせる」の三つ。伊藤真弁護士はこう解説する。

 「憲法は国民の権利を守るための法なので、本来、義務を入れる必要は全くない。それでも主権者たる国民が国を維持し、次の世代に引き継いでいくために、主権者の責任として、この三つを義務としているのです」

 だが草案を見ると、「国民は、○○しなければならない」との条文が新たに置かれたほか、もっと直接的に「住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に分担する義務を負う」(草案92条2)などとする条文も新設された。

 なぜこれほど、義務が前面に出てくるのだろうか。

 自民党の憲法改正推進本部長を務めた船田元・衆院議員は、自身のホームページに「現行憲法の欠陥のひとつとして、権利に比べて義務の記述が少ないと言われている」と記す。安倍晋三首相も、第1次政権の2006年、教育基本法改正の議論に絡み、国会で「自由に対しての責任、権利に対しての義務、そうしたものもしっかりと子どもたちに教えていく必要がある」と述べている。

 世耕弘成内閣官房副長官はさらに直接的だ。

 野党時代の12年、「東洋経済」で生活保護の給付水準引き下げについて、「見直しに反対する人の根底にある考え方は、フルスペックの人権をすべて認めてほしいというものだ」「(生活保護受給者は)税金で全額生活を見てもらっている以上、憲法上の権利は保障した上で、一定の権利の制限があって仕方がない」と述べた。

 工業製品の性能を意味する「スペック」という言葉で、人権を表現する感覚。人権を認めて欲しければ、まず義務を果たせ——。草案に感じる息苦しさの正体は、義務の数の多さではない。いつの間にか、義務を果たすことが、権利を行使することの条件にすり替えられてしまっていることにこそある。

 敗戦翌年の46年。後に自民党総裁から首相になる石橋湛山は、現行憲法の草案要綱を見て「(国民の)義務を掲げることが非常に少ない」と批判した。

 なぜか。

 「(国家を営む)経営者としての国民の義務の規定に注意が行き届いていない憲法は、真に民主的とはいえない」

 現憲法の義務の少なさを問題視する点は、いまの自民党と同じだ。

 だが石橋は、天皇主権の明治憲法下にあった1915年当時でさえ「(国家の)最高の支配権は全人民にある」と書いている。「フルスペックの人権を認めてもらいたければ、まず義務を果たせ」と、上から国民に迫る昨今の政治家の姿勢とは明確な一線を画す。

 自民党の改憲草案のもとでは、国民は「国家の経営者」ではなく「国家の従業員」に成り下がってしまうのではないか。

 そんな疑問を携えて、長野県の人口5千人の村に出かけた。日の丸に一礼しない村長に、会ってみたいと思った。(藤原慎一)



2016年5月26日 覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・義務:中
空気読み黙る「和」、いまも
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160816/p5

 長野県の山あいにある人口約5千人の中川村。小・中学校の卒業式や入学式では、壇上に日の丸が掲げられる。ただ、曽我逸郎村長(60)が一礼することはない。

 どうしてですか?

 「『国旗には黙って敬礼せよ』という空気が嫌だからです。嫌だと自由に表明できてこその民主主義だと思います」

 国旗・国歌について、自民党憲法改正草案は、現行憲法にはない規定を新たに設けている。

 「日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない」

 草案のQ&A集は「国旗・国歌をめぐって教育現場で混乱が起きていることを踏まえ、規定を置くこととした」と記す。

 東京や大阪などでは、卒業式で、君が代の起立斉唱を拒んだ教員が懲戒処分を受けた。国旗掲揚や国歌斉唱をしない国立大学が国会で問題視されたことも記憶に新しい。

 国の方針は明確だ。小中高校には学習指導要領で「入学式や卒業式などでは国旗を掲揚し、国歌を斉唱するよう指導する」。国立大については、安倍晋三首相が昨年の参院予算委で「新教育基本法の方針にのっとって、正しく実施されるべきではないか」と答弁している。

 日の丸を掲げお辞儀をする。

 君が代を大きな声で歌う。

 草案が想定する「尊重」は、おそらくこういうことだろう。

 しかし曽我さんは憤り、危惧する。「政治家によって、憲法や国旗・国歌が国民を服従させるための道具にされている」と。「型にはまった思考や行動様式を押しつけられ、自由にものが言えない社会で、どうしてのびのび暮らせるでしょうか」

 曽我さんが草案越しに見ているのは、戦中のこの国だ。思考も行動も型にはめられ、若い兵隊を突撃させて華々しく死なせることが目的化してしまった。国をあげて称揚された「和」とは結局、国民が世間の空気を読んで黙ることでしかなかった。

 日本の立憲主義は、そうした戦争の記憶と傷痕の上に立つ。

 その要諦(ようてい)は、憲法で権力を縛り、人々が自由に意見を述べ、批判し合える空間を確保することだ。

 だが、空気を読んで黙ってしまう感じは、今も身の回りにあふれている。東日本大震災のあと。東京五輪招致に際して。国や国民が「一丸」となることを求められ、「ちょっと待って」と異論を差し挟むことすらためらわせる、同調圧力。

 なるほど、草案には国旗・国歌を「尊重しなければならない」としか書いていないし、Q&A集も「国民に新たな義務が生ずるものとは考えていない」と説明する。

 しかしどうだろう。草案の前文に盛り込まれた「日本国民は……和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」の一文。和を尊ぶことと和を乱す者への嫌悪は裏表だ。

 憲法に「和」と国旗・国歌の尊重がともに書き込まれた時、どういう響き合いをするだろう。曽我さんのような人が「のびのび暮らせる」社会は、保たれるのだろうか。(藤原慎一)



2016年05月27日 覚え書:「憲法を考える:自民改憲草案・義務:下
国民にも「尊重せよ」、何のため
   http://d.hatena.ne.jp/ujikenorio/20160817/p5

 自民党憲法改正草案は、ダメを押すかのごとく、最後の102条でも、国民に新たな義務を課す。

 「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」

 草案Q&A集は「憲法の制定権者たる国民も憲法を尊重すべきことは当然」と条文を新設した理由を説明。尊重義務の中身は「『憲法の規定に敬意を払い、その実現に努力する』といったこと」だとしている。

 おかしい。

 憲法によって権力を縛るという立憲主義の考え方に基づき、現憲法は政治家や官僚に対してのみ憲法を尊重し擁護する義務を課していたはずだ。

 立憲主義をひっくり返そうとしているのか?

 そんな疑念に駆られつつQ&A集をめくると、「自民党の憲法改正草案は、立憲主義を否定しているのではないですか?」との問いがあった。答えは「否定するものではありません」。この問答は当初のQ&A集にはなく、増補版から追加された。

 さらに「立憲主義は、憲法に国民の義務規定を設けることを否定するものではありません」とも記されている。たしかに、憲法に義務規定を置いている立憲主義国家はある。たとえばドイツは国民に対し、「尊重」よりも強い「憲法忠誠義務」を課している。なぜか。

 1933年。ドイツは当時最も民主的なワイマール憲法下にあった。ところが国家緊急権を乱用され、ナチス独裁に道を開いてしまった。その反省から戦後、「自由の敵に自由は与えない」という考え方を憲法に定め、国民に忠誠義務を課しているのだ。

 翻って、自民党改憲草案は何のために、国民に憲法尊重義務を課そうとしているのか。

 ドイツ流の歴史への反省?

 いや、草案は、現憲法前文にあった「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という一文を削除している。

 「尊重は当然」では到底、答えにならない。憲法はいわば、主権者たる国民が政治家や官僚に対して突きつける「命令書」だ。そこに、主権者も憲法を尊重せよと書き込むのであれば、極めて強い合理的な理由がいる。上から一方的に尊重義務を押しつけるだけなら、「臣民は此(こ)の憲法に対し永遠に従順の義務を負う」とした大日本帝国憲法の発布勅語と変わらない。

 憲法尊重擁護義務を課せられている政治家が「憲法を変えよう」と声高に言う時、私たちはよくよく注意しなければいけない。どんなに素晴らしい人たちでも権力を持てば、その力を濫用(らんよう)する危険性は常にある。

 現行憲法12条を読み返す。

 「自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」

 そう。わたしたちの「不断の努力」は、権力者に憲法を守らせるためにこそ求められる。そしてそれは、「戦争の惨禍」を経てようやく手に入れた自由と権利を、自分たちの手で「保持」することに他ならない。(藤原慎一)