【目次へ】
続折々の記へ
【心に浮かぶよしなしごと】
【 検索語一覧(4) 】 【 検索語一覧(5) 】 【 検索語一覧(6) 】
【 憲法改正議論 Ⅱ】 【 憲法改正議論 Ⅲ】 【 憲法改正議論 Ⅳ】
【 憲法改正議論 Ⅴ】 【 憲法改正議論 Ⅵ】 【0000】00/00~
【 06 】02/27
02/27 憲法改正議論
00/00
02 27 (火) 憲法改正議論 騒がれる改憲を調べてみる
関係記事 ← ここをクリック
■教えて!憲法 基本のき 1 安倍首相「改憲は党是」(2018/2/6) 2 「最高法規」に反する法律(2018/2/8) 3 「立憲主義」ってなに?(2018/2/9) 4 各章に何が書かれているの?(2018/2/9) 5 国民主権・基本的人権の尊重って?(2018/2/13) 6 9条と自衛隊の関係、どうなっているの?(2018/2/14) 7 憲法は押しつけられたの?(2018/2/16) 8 なぜ改正されなかったの?(2018/2/17) ■憲法を考える 自民改憲草案 ハンガリーで読む:上 「伝統回帰」似通う思想(2016/6/14) ハンガリーで読む:中 国民「まとめあげる」道具に(2016/6/15) ハンガリーで読む:下 「美しい国」立憲主義とは距離(2016/6/16) 「保守」の論理:上 「自民党的な思想」の総括(2016/6/7) 「保守」の論理:中 近代立憲主義と別の憲法観(2016/6/8) 「保守」の論理:下 票にならない、語らない(2016/6/9) 義務:上 権利に条件、「国家の従業員」か(2016/5/25) 義務:中 空気読み黙る「和」、いまも(2016/5/26) 義務:下 国民にも「尊重せよ」、何のため(2016/5/27) 自由:上 責任・公の秩序、自覚求める(2016/5/19) 自由:中 「ほどほど」では、自由でない(2016/5/20) 自由:下 自分の自由、吟味する覚悟も(2016/5/21) 個人と人:上 人権、削られた「獲得の努力」(2016/4/26) 個人と人:中 「利己主義」の抑え役、本来は(2016/4/27) 個人と人:下 「すごい日本人」像、私を縛る(2016/4/28) 家族:上 個人より「家族」、消えた2文字(2016/4/19) 家族:中 「助け合い」実態見ずに期待(2016/4/20) 家族:下 女性の地位向上は個人主義?(2016/4/21) 公の秩序:上 国民向け「道徳」、条文に(2016/4/12) 公の秩序:中 生き方規定、息苦しくないか(2016/4/13) 公の秩序:下 少数派を守るのが立憲主義(2016/4/14) ■信州護憲ネット「憲法を見る眼」 愛敬浩二 (信州大学教員) 第1回 「押しつけ憲法論」を考える (2000/9) 第2回 日本国憲法の可能性--その「原点」 その1(2000/12) 第3回 日本国憲法の可能性--その「原点」 その2(2001/3) 第4回 日本国憲法の可能性--その「現点」 (2001/6) 第5回 有事法制問題を考える (2002/11) ■憲法を考える/押しつけって何? 1 生い立ち様々、各国で知恵(2016/11/4) 1 64年 調査会、評価踏み込まず(2016/11/4) 2 「自分ではない者」探し、迷走(2016/11/5) 3 「すべて国民」範囲どこまで(2016/11/6) 4 9条改正論にも米の意向(2016/11/9) 5 戦前の家制度、廃止の契機に(2016/11/11) 6 自由の範囲、実践で決まる(2016/11/12) 7 真に押しつけられてるのは(2016/11/15) ■憲法を考える 自衛隊を明記するとは 元内閣法制局長官・阪田雅裕さん(2018/2/7) 国民投票、経験国からの警鐘 首相退陣に追い込まれた英伊を視察、衆院議員団報告書(2018/1/30) 改憲するか、決めるのは国民 法律上の改正手続き…ケンポウさんに聞く(2017/11/28) 「改憲」ってなんのために? 本来はどうあるべきか…ケンポウさんに聞く(2017/10/31) 参議院の性格、位置づけは 都道府県の代表とし「合区」解消する案(2017/9/26) 「9条」をこじらせて 篠田英朗さん、大澤真幸さん(2017/9/12) 釜ケ崎に憲法はあるか 憲法研究者・弁護士、遠藤比呂通さん(2017/8/29) 「全体の奉仕者」どこへ 政治学者・牧原出さん(2017/7/25) 「核保有、否定されず」脈々 政府解釈「必要最小限なら」、学者から疑義(2017/7/25) 自衛隊、変わる受け止め方 「日陰者」から大震災通して「最後のとりで」に(2017/6/27) 自衛隊追記、その先に危うさ 9条改正論 集団的自衛権、新条文で拡大も(2017/5/30) ■この人に聞く 船田元・自民党憲法改正推進本部長代行 発議は早くても19年に(2017/6/15) 高木義明・元文科相 反対一辺倒より積極議論(2017/6/14) 横路孝弘・元衆院議長 70年、今の憲法で支障なし(2017/6/13) 遠山清彦・公明党憲法調査会事務局長 自衛隊明記、簡単ではない(2017/6/9) 下村博文・自民党幹事長代行 改憲向けギアチェンジを(2017/6/8) 石破茂・元防衛相 まず「3分の2」私の趣味じゃない(2017/6/7) 報道、これでいいのか 石橋学さん、林香里さん、山崎拓さん(2017/5/23) 国の財政を律する 藤井裕久さん、片桐直人さん(2017/5/16) ■施行70年 施行70年 条文、柔らかく(2017/5/29) 施行70年 性的少数者、憲法に守られた 「宿泊拒否」違法判断から20年(2017/5/28) 施行70年 獅子舞、かなえた「平等」 参加許されず、差別受けた地区(2017/5/22) 施行70年 子どもの権利は 平湯真人さん、増田ユリヤさん、荒牧重人さん(2017/5/5) 施行70年 憲法は芸術だ 作家・作詞家、なかにし礼さん(2017/5/4) 施行70年 憲法、岐路の70年(2017/5/4) 施行70年 現在地:下 分断、変質する「私たち」(2017/5/4) 施行70年 日本国憲法の運命 東京大学名誉教授・長尾龍一さん(2017/5/3) 施行70年 現在地:中 平和、「非軍事」失い骨抜き(2017/5/3) 施行70年 国民あっての憲法論議(2017/5/3) 施行70年 たどる、制定の原点(2017/5/3) 施行70年 憲法、人生の中に(2017/5/3) ■改憲の足音 1 絵を描く未来、奪った戦争 (2018/1/8) 2 国際貢献、どこまで安全なら (2018/1/9) 3 自衛隊明記案、向かう先は (2018/1/10) 4 自由な暮らし、9条あるから (2018/1/11) 5 議論を敬遠、憲法アレルギー (2018/1/12) 6 平和憲法、沖縄は置き去り (2018/1/13)
「信州護憲ネット」<http://www.ne.jp/asahi/heiwa/kenpou/kaiho/contents.html#kaiho1>は創刊号(第1号 2000年9月)から22号(2010年4月)まで発行されています。 その内「憲法を見る眼」は連載で5回となっています。
なお、この「信州護憲ネット」はいろいろと大事な情報を載せていますから、開いて読むとよい。
憲法を見る眼(1) 愛敬浩二 (信州大学教員)
第1回 「押しつけ憲法論」を考える (2000/9)
http://www.ne.jp/asahi/heiwa/kenpou/kaiho/mirume/mirume1.html
1 はじめに
みなさん、はじめまして。この欄の目的は、現在の改憲動向をにらみつつ、日本国憲法の基本知識をレクチャーをすることです。その第1回目として、「押しつけ憲法論」を取り上げてみたいと思います。
2 押しつけ憲法論とは?
本年の2月、両議院の憲法調査会が活動を開始しました。その活動の当初、主要な審議事項となったのが、「日本国憲法は押しつけられたのか?」という問題です。特に自民党委員は憲法制定過程の再検討を強く要求し、その過程にGHQからの強制がなかったのか検証すべきと主張しました。小沢一郎自由党党首もその改憲論において、「日本国憲法は押しつけられたから無効だ」と主張しています(文芸春秋1999年9月号)。この「日本国憲法は押しつけられたから無効だ」という主張を「押しつけ憲法論」と呼ぶことにします。皆さんの中にも、押しつけ憲法論を聞いて、「護憲派って他国に押しつけられた憲法を後生大事に守ってきたの?それって、変じゃない!」と思う人がいるかもしれません。実際、このような議論をすることで「文壇の寵児」となった人もいます(加藤典洋『敗戦後論』)。
1950年代の改憲派が依拠したのもこの押しつけ憲法論でした。たとえば、自由党(現在の同名政党とは別)の「日本国憲法が全面改正を要する理由」(1954年)の中心は、押しつけ憲法論です。また、1980年代にも、江藤淳氏は『1946年憲法:その拘束』において押しつけ憲法論を展開しました。どうやら、改憲派の方々は「日本国憲法は押しつけられた!クヤシー」という「泣き言」をいうのがお好きなようです。けれども、僕はこの手の泣き言には少々うんざりしています。「日本国憲法が押しつけられたか否か」という問題は、日本国憲法の効力とは無関係だと考えます。というのも、僕たちは日本国憲法の下ですでに半世紀をすごしているのです。もし日本国憲法が無効ならば、この間に制定・締結された法律や条約もすべて無効ということになりますから。他方、「なぜ、日本国憲法は押しつけられたのか?」を考えることは、これからの日本の政治を考えていく上でも重要な意味を有すると思います。
3 なぜ「押しつけ」られたのか?
日本はポツダム宣言を受諾して終戦を迎えました。ポツダム宣言は日本に民主的かつ平和的な政府が樹立されるまで占領を継続するとしています。日本はこのポツダム宣言を無条件に受諾したのですから、民主的で平和的な政府を樹立する責任を国際社会に対して負ったことになります。ところが、当時の日本政府・支配層は、国際社会の要求を甘くみていた節があります。
1945年10月に松本蒸治を長とする憲法問題調査委員会が活動を開始しましたが、その憲法草案は、天皇が統治権を総攬するという基本原則には何ら手を触れず、議会の権限を若干拡充し、国民の権利・自由の保障を若干厚くするというものでした。この松本委員会の憲法草案を毎日新聞記者がスクープし、GHQはその内容を知ることになります(1946年2月1日)。GHQ関係者はそのあまりの認識の甘さに驚き、GHQ主体で憲法草案を作りはじめます。そして、2月13日にGHQ憲法草案を日本政府に交付。政府は同草案に基づいて(国民主権原理の採用を曖昧にするための無茶な翻訳や、外国人の人権保障の規定の削除など、様々なセコイ抵抗を日本政府はします。前者は失敗しましたが、後者は不幸にも成功しました)、憲法改正案を発表(6月)。帝国議会での審議・議決を経て1946年11月3日に日本国憲法は公布されました。
以上の経緯をみると、確かに「拙速」という観をぬぐいきれない気がします。なぜ、GHQはこんなにも改憲を急いだのでしょうか。それは、GHQが「間接統治」という手法を採用していたことにあります。すなわち、外国軍が外国の国民を直接統治すれば、地域との軋轢は不可避です(沖縄のケースをお考え下さい)。けれども、外国の君主を利用して間接的に統治すれば、外国軍は外国国民との直接的対立を回避できます。この間接統治には、昭和天皇の利用が不可欠なので、GHQ(特にマッカーサー)は昭和天皇の戦争責任を免責するつもりでした。この作戦が成功するには、さっさと平和で民主的な新憲法を制定し、その中に「平和的で民主的な君主」として昭和天皇を位置づけることが必要です。特に、1946年2月26日から極東委員会が活動を開始し、マッカーサーの権限は縮小されます。極東委員会には昭和天皇の戦争責任追及を主張するソ連・オーストラリアも参加しています。松本案を知ったときのGHQ関係者の失望は相当なものだったでしょう。「お前ら、国際社会をなめとんのか?」と凄みたいところだったかもしれません。
GHQ草案公布の際、ホィットニー民政局長が「この草案が受け入れられるなら、天皇は安泰になる」といいました。改憲派はこの発言を取り上げて、「押しつけだ!脅迫だ!」と騒ぎます。確かに、この発言の解釈は微妙でしょう。客観的な状況判断に基づく「警告」なのかもしれません。もちろん、「脅迫」だったのかもしれません。けれども、GHQはもっと決定的な「脅迫」をしたことを多くの論者は指摘し忘れています。GHQは、もし日本政府がGHQ草案を国民に公表しないなら、GHQ自ら国民に公表すると脅したのです。政府はその「脅迫」に屈して、GHQ草案を受け入れました。このエピソードは示唆的です。明治憲法は、その草案が国民に一切知らされることなく、一方的に制定されました。国民にとっては明治憲法こそ「押しつけ憲法」です。他方、GHQ憲法草案を国民に提示するという「脅迫」に政府が屈したために制定された日本国憲法を、国民の多くは歓迎しました。日本国憲法は、当時の政府・支配層にとっては「押しつけ」だったのかもしれません。けれども、国民にとって本当に「押しつけ」だったのでしょうか?
押しつけ憲法論は、「日本国民の意思を無視して、外国が押しつけたから怪しからん」という主張のはずです。けれども、日本国民の意思を無視しようと努めたのは、GHQだったのでしょうか?日本政府だったのでしょうか?もし押しつけ憲法論を論ずるならば、真面目な議論に値するのは、この論点だと僕は思います。
憲法を見る眼(2) 愛敬浩二 (信州大学教員)
日本国憲法の可能性--その「原点」 (2000/12)
http://www.ne.jp/asahi/heiwa/kenpou/kaiho/mirume/mirume2.html
1 はじめに
11月3日、「市民の憲法講座」において、僕は「日本国憲法の可能性--その『原点』と『現点』という題名の講演をしました。現在の改憲動向を踏まえて、日本国憲法制定の歴史的意味(「原点」における可能性)と冷戦後の国際社会における意義(「現点」における可能性)を考察したものです。この欄を利用して、講演の概要を2回連載でお伝えします。今回は、その前半部分、すなわち、日本国憲法の「原点」における可能性について考えてみたいと思います。
2 現在の改憲論をどうみるか
講演する愛敬さん 現在の改憲論の内容的特徴は、「知る権利」や「環境権」といった新しい人権や首相公選制のような国民一般に受けのよさそうな改正と抱き合わせで、憲法9条の改正(特に2項の削除)による自衛隊の合憲化と国連協力の名の下での海外における武力行使の合憲化を目論むものです。さらに、最近の鳩山由起夫氏の議論をみていると、改憲派は集団的自衛権の容認まで踏む込む可能性があります。集団的自衛権が認められれば、自衛隊は、国連決議とは無関係に、本土を防衛を超えて、他国で武力行使をすることが可能になります。具体的にいえば、1960年代に政府が集団的自衛権を明示的に認めていれば、日本政府はアメリカとの同盟関係を理由にしてベトナム戦争に参戦したでしょう。
以上のように、現在の改憲論の主眼は9条改正にあります。そして、改憲の客観的な意味は、日本が自国の利益のために武力行使を厭わない国、すなわち、「他国を武力で脅し、ぶったたく側」に回ることにあります。現在の改憲論で問われているのは、「自衛隊がなければ、日本の防衛はどうするの?」というレベルの問題ではありません。国際紛争を解決する手段として武力に訴えるか(武力で脅すか)否かという問題です。
ところが、このような赤裸々な主張をすると、国民の「受け」がよくないでしょうから、政府や改憲派は、①「GHQに押し付けられた憲法を後生大事に守るのは、植民地根性だ」とか、②「外国は時代の変化に合わせてたびたび改憲をしている。50年前の化石みたいな憲法を変えないのはおかしい」とか、「俗耳に入りやすい」ことをいって、国民を説得しようとしています。あるいは、高市早苗議員のように、③「他国の信頼によって自国の安全を確保するという憲法前文は、おめでたい考え方だ」といって、日本国憲法の精神を揶揄してみせる人もいます。
①の「押しつけ憲法論」の問題点については、前回にお話しました。今回と次回で②と③について考えます。②の「憲法化石論」については、現在における日本国憲法の可能性を論ずることで、これに応答してみたいと思います。③に関しては、「原点」における日本国憲法の意義と限界、そして可能性を論ずることで、これに応答してみたいと思います。ただし、その前に、明治憲法下での人権保障と民主主義の状況を簡単に説明しておきましょう。
3 明治憲法の問題点
講演する愛敬さん 明治憲法下の人権保障と民主主義は制約されたものでした。
人権保障に関しては、明治憲法の「法律の留保」という保障システムの問題性があります。明治憲法第2章「臣民権利義務」をよむと、ほとんどの条文に「法律の範囲内において」という文言が入っています。これは、法律(議会の制定する法)によらなければ人権は制約できないけれども、法律によりさえすればどんな制約も可能だという意味です。たとえば、治安維持法(資料1参照)は特定の政治信条に基づく結社を全面的に禁止し、違反者に対して死刑をも課しうるという有名な悪法です。日本国憲法の下では決して容認されないタイプの法律です。しかし、表現の自由に関する明治憲法29条は「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」と定めていましたから、治安維持法が議会制定法ある以上、治安維持法が違憲無効とされる余地はなく、同法は猛威を揮ったのでした。
民主主義に関しては、天皇機関説事件と統帥権の独立について簡単に触れておきます。ところで、立憲主義は責任政治です。政治決定に関して誰かが責任を負わねばなりません。明治憲法3条は「天皇の不可侵性」を定めていますから、明治憲法の下では天皇は責任を負いません。しかし、繰り返しになりますが、立憲主義は責任政治です。誰も責任を負わない政治システムは立憲主義の基準を充足しません。美濃部達吉は天皇を国家の最高機関と考え(天皇機関説)、天皇の名の下に行われる政治決定の責任を、天皇を「輔弼する」内閣に負わせました。このようにして、内閣が議会に責任を負うことを論証して、議院内閣制を正当化した美濃部説は、大正デモクラシーを支える憲法学説となりました。しかし、1935年の「天皇機関説」事件において、美濃部学説は政治的に葬り去られます。美濃部説は天皇を「国家の機関=国民の被用者」とする不敬な学説だという言いがかりに近い論難から始まった天皇機関説攻撃の結果、美濃部の著書は発禁処分を受け、美濃部は貴族院議院を辞職します。ここで戦前日本の立憲主義(微温的な民主主義=民本主義)は窒息しました。確認しておくべき点は、美濃部説が排除されると、明治憲法下では天皇しか責任を負えなくなる点です。そして、もし天皇さえ政治責任を負わないとすれば、誰も責任を負わない無責任政治になることです。
美濃部にも上手く説明できなかったのが、統帥権の独立です。軍部は統帥権の独立を理由にして、軍事に関する内閣の干渉を拒否しました。確認しておきたいのは、内閣が干渉できない事項に内閣が責任を負うわけにはいきませんから、統帥事項に関して政治責任を負えるのは天皇のみだということです。軍部が統帥権の独立を錦の御旗にして暴走するとき、明治憲法の下でそれを止められるのは天皇のみだったという事実を確認しておきます。
以上のことから、丸山真男が「超国家主義者の心理と論理」の中で、戦前日本を「無責任の体系」と呼んだ理由がわかるのではないでしょうか。
4 「原点」における日本国憲法の可能性
作家の高見順は『敗戦日記』(1945年9月30日)において、占領軍によって自由を付与されたことの「恥かしさ」を論じています(資料2参照)。僕はこの「恥かしさ」を思い出すことは大切だと思います。
日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏をしました。ポツダム宣言は日本における人権保障の復活強化と民主的かつ平和的な政府の樹立を求めています。ところが、日本支配層はポツダム宣言の趣旨を十分に理解しなかったようです。たとえば、敗戦後2週間余りたった9月3日の会見において、山崎内務大臣は「政府形態の変更や天皇制廃止を主張するものは全て共産主義者と考え、治安維持法によって逮捕される」と述べました。治安維持法違反者の逃亡を援助した容疑で豊多摩刑務所において三木清(哲学者)が獄死したのは9月26日です。彼ら治安維持法処刑者は敗戦後1ヶ月以上も獄中に放置されたのです。このような状況の下、GHQは「自由の指令」を発し、不敬罪や治安維持法を廃止しました。高見順の述懐の意味がわかるのではないでしょうか。
国民主権を採用し、国民の基本的人権を保障した日本国憲法は、先に述べた明治憲法の限界を克服するものでした。たとえば、明治憲法下では妻の浮気のみを処罰する姦通罪というものがありました。男系による血と財産の継承を重視する「家制度」の観点からすると、夫の浮気は許せますが(特に妻が不妊の場合)、妻の浮気は許せません(夫以外の男性との性交渉の結果、妻が妊娠し、男の子を出産した場合、「家」にとって「他人」が財産を継承する恐れがある)。この姦通罪が廃止されたのも、日本国憲法制定に伴う刑法改正のときでした。
このような日本国憲法を政府・国民はいかに受け入れたのか。あるいは、非武装平和主義の「客観的意味」は何か。高市議員のいうように「オメデタイ」思想なのか。次回はこの辺りから、考えてみたいと思います。
憲法を見る眼(3) 愛敬浩二 (信州大学助教授)
日本国憲法の可能性--その「原点」 その2 (2001/3)
http://www.ne.jp/asahi/heiwa/kenpou/kaiho/mirume/mirume3.html
1 はじめに
11月3日、「市民の憲法講座」において、僕は「日本国憲法の可能性--その『原点』と『現点』という題名の講演をしました。現在の改憲動向を踏まえて、日本国憲法制定の歴史的意味(「原点」における可能性)と冷戦後の国際社会における意義(「現点」における可能性)を考察したものです。前回はその前半部分、すなわち、「原点」における日本国憲法の可能性を考えました。今回は現在(現点)における日本国憲法の可能性を考えてみる予定でした。ただし、前回は「原点」に関して途中までしかお話できなかったので、今回はその続きのお話しをさせて頂きます。というのも、最近の憲法調査会の議論などを読んでいると、戦後憲法政治史にあまりにも無知な意見も少なくないからです。また、最近では、「新自由主義史観」など名乗って、自国の歴史に関して無知であることを誇らし気に語る輩も現れているようです。僕は全くの「若僧」ですが、その若僧でもこの程度の知識はあります。皆さんも、ご自身の体験と合わせて、思い出して頂けると幸いです。
なお、憲法9条の現代的可能性に関しては、次回のこの欄でお話しいたいと思います。けれども、AERA MooK『憲法がわかる』(朝日新聞社、2000年)に所収の「9条の改正に賛成しそうな『あなた』のために」という論文に、11月3日の講演でもお話しした、僕なりの考え方は示されています。ご興味のある方は、ご参照下さい。
2 「原点」における日本国憲法の可能性(承前)
高市早苗議員は「他国の信頼によって自国の安全を確保するという憲法前文は、おめでたい考え方だ」(第150回国会「衆議院憲法調査会」2000年9月28日)といいました。確かに前文には、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とあります。歴史的文脈を抜きにして、この一節を読めば、「崇高だ」と感心する人もいれば、「おめでたい」と思う人もいるでしょう。しかし、歴史的文脈を踏まえると、この一節のは「崇高」なわけでも、「おめでたい」わけでもありません。
たとえば、湾岸戦争の頃、中東の安全保障のためにイラクのフセイン政権を軍事的に潰すべきだという意見が、日本の論壇にも現れました。僕は一応民主的に選出された政権を外国が軍事力によって転覆することには賛成しませんが、この問題はともあれ、先の意見に賛成する人は、次の点を考えてみて下さい。第1回の本欄でお話したように、GHQは昭和天皇の地位を保障して、間接統治を行う方針でした。昭和天皇が積極的に侵略戦争に荷担したのか否かはここでは立入りません(ちなみに、僕は昭和天皇には道義的のみならず、政治的にも戦争責任はあったという立場です)。けれども、当時の国際社会においては、ヒトラー、ムソリーニと並んで「ファシズムの親玉」と理解されていた事実を忘れるべきではないでしょう。この昭和天皇が再建日本国の「象徴」になるのです。他国、特に日本の侵略を受けた国々が「はい、そうですか」といえますか?昭和天皇を新憲法に組み込むには日本が他国を侵略しないという保障が必要です。日本が今後、侵略国とはならない法的保障が必要です。それが9条なのです。ぜひ確認して下さい。9条の「原意」は、「日本が非武装でも他国から侵略される心配がない」という「甘い」国際認識に立っているのではありません。「日本が武装すると他国を侵略するかもしれない」という「苦い」国際認識に立っているのです。GHQの中には、憲法9条も前文に放り込んで理念的扱いにした方がいいのではないかという意見もありました。この意見を押え込み、9条として憲法本文に残したのはマッカーサーです。憲法9条制定の背景には、極東委員会やアメリカ本国の意向を踏まえつつ、昭和天皇の地位を保障しようとしたマッカーサーの現実的判断があったのです。イラクのフセイン政権に関する先の意見に賛成する人ならば、憲法9条と前文が決して単なる「崇高な理想」でも、「おめでたい考え方」でもないことにお気づき頂けると思います。
3 平和憲法と国民の平和意識
このように、憲法9条の「原意」は、「日本が自国の利益のために他国をぶっ叩かない」ということを国際社会に誓ったことにあります。また、憲法改正当時の支配者は、憲法1条と比べて、9条はわりと安直に賞賛しました。なぜなら、当時は占領中であり、自前の軍隊を持ちうるか、という問題は観念的なものにすぎなかったからです(天皇制の保護はずっと現実的問題です)。たとえば、共産党・野坂参三議員の「自衛戦争は容認されるのか?」という質問に対して、吉田茂首相は憲法9条は自衛戦争も放棄したと答えた上で、「従来近年の戦争を多く自衛権の名に於て戦われたのであります。満州事変然り、大東亜戦争亦然りであります」と述べました(衆議院本会議1946年6月26日)。
資料このように、憲法9条制定の背景には様々な政治的思惑があります。けれども、重要なことは、この憲法9条の定める非武装平和主義が、日本国民の戦争体験に共鳴することで理念へと昇華したことではないでしょうか。一点だけ、興味深い事実をお教えしましょう。国民多数が当初から憲法9条の改正に反対だった訳ではない点です(資料を参照)。1955年以前は、9条改正賛成派と反対派が拮抗している事実に注目して下さい。改正反対派が圧倒的多数となるのは、1955年以後のことなのです。では、1950年代中頃には何があったのか。1953年石川県内灘基地闘争以後や米軍による暴力的な基地拡張に反対する沖縄の「島ぐるみ闘争」、東京では砂川基地闘争がありました。また、1954年3月、第五福竜丸が水爆に被爆し、その事件を契機にして、原水爆禁止運動が全国民的な盛り上がりを示しました。他方、1955年11月に自由党と民主党が合同して自由民主党となると、12月から直ちに党憲法調査会を始動させ、改憲への強い意欲を示しました。当時の改憲論は「押しつけ憲法論」に基づく復古主義的な改憲論でした。基地闘争や反原爆運動を背景にした、復古的改憲反対のための運動の中で、国民の平和意識は鍛えられ、戦後日本の平和意識は形成されたのです。この意義を決して軽視してはなりません。
資料
4 おわりに
加藤典洋氏は『敗戦後論』(講談社、1997年)の中で、護憲派は平和憲法が押し付けられた事実を直視しないまま、平和憲法を後生大事に守ってきたという趣旨のことを述べています。しかし、この議論は不正確です。国民は復古的改憲との対抗の中で、憲法9条を改めて選択したのです。別な言い方をすれば、日本国民は押しつけ憲法論を拒否して、平和憲法を選択したのです。もちろん、このように形成された日本国民の平和意識は、「被害者意識」の側面が強く、「加害者意識」に乏しいという批判は可能でしょう。しかし、このような国民の平和意識の問題点、あるいは脆弱性を克服するためにも、憲法9条は重要な意味を持つと考えます。この点の検討は次回の課題です。 ところで、もし、50年代に改憲が実現し、自衛隊が日本軍となって海外派兵できる体制が整備されていたら、どうなっていたのでしょうか。歴史に「もし」は禁物だといわれます。確かにその通りでしょう。ただ、参考のために、次の事実のみ付け加えておきます。ベトナム戦争では、3000人を超える韓国人兵士が戦死したそうです。
憲法を見る眼(4) 愛敬浩二 (信州大学助教授)
日本国憲法の可能性--その「現点」 (2001/6)
http://www.ne.jp/asahi/heiwa/kenpou/kaiho/mirume/mirume4.html
1 はじめに
衆議院憲法調査会の参考人として改めて「押しつけ憲法論」を展開した西修・駒沢大学教授はその著『日本国憲法を考える』(文春新書)の中で、「日本国憲法の4つの神話」を批判なさっています。「4つの神話」とは、
①日本国憲法は、世界的にも新しい憲法である、
②日本国憲法は、世界で唯一の平和主義憲法である、
③日本国憲法は、基本的人権条項を完備している、
④日本国憲法は、全体的に非常に整った憲法である、
の4つの命題です。今回と次回で、現在における日本国憲法の可能性を考えるために、②と③を主に検討してみたいと思いますが、その前に①について若干のコメントをしておきます。西教授は、日本国憲法は世界の180ヶ国のうち15番目に古い憲法なのに、日本国民はそれを知らないということをさも大ごとのようにいっています。しかし、そうでしょうか?
国際連合の設立当初の加盟国は51ヶ国でした。しかし、1950年代以後、植民地支配から脱したアジア・アフリカ諸国を加えて、現在は180ヶ国を超えています。また、新憲法制定に関しては、社会主義諸国の国家体制の転換に伴う憲法制定がありました。この事実を踏まえれば、1946年に制定された日本国憲法が「古い」のは当然です。もし本当に憂うるべき点があるとすれば、私たちが現代史の常識に関して無知な点です。
ならば、「新憲法」と呼び方を変えるべきだ、と西教授はおっしゃるかもしれません。しかし、私はこの主張には賛成しません。
第一に、「新憲法」という呼び方は、大日本帝国憲法(明治憲法=旧憲法)との対照でいわれているものです。旧憲法下の憲法政治との比較において、「新」という文字が使われているのです。諸外国の憲法との時間関係ではありません。
第二にもっと重要な点は、日本国憲法は現代立憲主義憲法の特徴のほとんどを兼ね備えている点です。たとえば、普通選挙を前提にした議院内閣制、国会や行政の活動の憲法適合性を裁判所が審査する違憲審査制(ちなみに、フランスで人権保障との関係で違憲審査が機能し始めるのは1970年代、カナダでは1980年代。1990年代には旧社会主義国で違憲審査制=憲法裁判所が軒並み設置されました。イギリスでは、ブレア政権下の「憲法改革」の際に様々な議論がありましたが、未だ違憲審査制は採用されていません。ともあれ、日本国憲法の先進性を物語るエピソードといえませんか?)、そして、生存権に代表される社会国家・福祉国家的人権規定などです。また、最近、注目されているのは、両性の合意のみに婚姻関係を基礎付ける憲法24条です(このような憲法の下で未だに「夫婦別姓」のための民法改正が実現していないのは驚きです)。また、GHQの憲法草案には外国人の人権保障に関する規定がありました。残念ながら、この規定は日本政府の抵抗によって削除されてしまいましたが、もしこの規定が残っていれば、現在でも先端の憲法といわれたでしょう。
このように日本国憲法は「現代の憲法=新憲法」と呼ばれるに相応しい内容を持っています。
2 人権規定の増補は必要か?
しかし、西教授は批判なさるかもしれません。「日本国憲法には環境権、知る権利、さらにプライバシー権など、新しい人権が明文化されていないじゃないか!」と。これは前述の③の論点ですね。皆さんの中にも、「環境権」や「プライバシー権」などが条文化されていないのは問題だな、と思っている方がいるかもしれません。しかし、この点を考える際には、せめて次の点を踏まえて頂きたいと考えます。 第一に、日本国憲法の明文規定である「生存権」(25条)を「プログラム規定」と解して、その法的権利性を否定したのは政府と最高裁です。すなわち、「環境権」や「知る権利」を憲法条文化したからといって、政府や裁判所がそれらを法的権利として尊重するとは限りません。このことは生存権の経験から明らかです。
第二に、環境基本法や情報公開法を制定する際に、市民運動の側が「環境権」や「知る権利」に関する明文規定を置いて欲しいと主張したところ、政府はそれらは権利内容が曖昧であるという理由で拒否しました。このことからも、政府は「環境権」や「知る権利」を法的権利として真面目に保障するつもりはないということでしょう。
ともあれ、環境権を憲法条文化すべきだと主張する国会議員の「先生」には、あまり役に立たないであろう条文上の操作に現を抜かすより、アメリカによる京都議定書離脱の問題等にもっと真剣に取組んでもらいたいものです。
第三に、もっと深刻なのは、「プライバシー権」です。政治家は個人情報保護の美名の下に真っ先に政治家のプライバシーを保護しようとしています。最近の自民党を中心にした乱暴なメディア批判を思い出して下さい。もちろん、現代のメディアに問題がないとはいいません。しかし、政治スキャンダルの解明やそれに基づく建設的な批判は、民主主義社会におけるメディアの重要な役割です。現在の政治状況の下では、「プライバシーの権利」の憲法条文化は、政治家によるメディアつぶしに利用される恐れもあります。くれぐれもご注意下さい。
「新しい人権」は現在の日本国憲法でも十分に保障できます。他方、あえて現在の政治状況下でそれらを憲法条文化したいという主張の背景には、ややきな臭い魂胆も見え隠れします。たとえば、「環境権」を国民の奉仕活動を導き出す根拠として主張する論者さえいるのです。
他方、現在の日本国憲法の人権規定には様々な現代的可能性があります。たとえば、憲法20条の規定。この規定は信教の自由と政教分離(国家・政府と宗教の分離)を一体のものとして定めています。この規定があるからこそ、私たちは首相の靖国神社公式参拝を(単に外交問題としてのみならず)憲法問題としても、その当否を議論することができるのです。今、改憲が行われれば、この規定にも手を加えられるかもしれません。しかし、21世紀の日本の進路を考える上で、アジア諸国の反発を無視して靖国神社に参拝することが本当に「国益」に合致するのでしょうか? 私は憲法20条の政教分離の精神の方が、21世紀の日本の「国益」に資すると考えています。
第二に、生存権の規定(憲法25条1項:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する)の価値は再確認されるべきでしょう。グローバル市場経済の圧力の下で、失業者は増大し、中小企業の多くはたいへんな苦境の中にいます。人件費の安い外国との間で競争を強いられるのですから当然です。こんな中、「自律」とか「構造改革」の美名の下に野蛮な競争を擁護する議論があります。私も自由経済の下で生きる以上、「競争」の必要性を否定するつもりはありません。しかし、その競争は、一人一人の人格を蔑ろにする「競争」であっていいはずはありません。私たちの社会には「連帯」という価値もあるはずです。この「連帯」の一つの現れが、社会保障システムです。そして、市場経済の苛烈さが否応無しに高まるグローバル市場経済の現在だからこそ、この「連帯」の必要性はさらに高まるのです。小沢一郎氏などは「生存権は憲法本文から前文に移すべき」といっています(文芸春秋1999年9月号)。生存権規定を前文に移せば、それは法的権利というより政策原理になるので、政府を法的に縛る程度が弱まりますから、新自由主義的改革がもっとやり易くなるという腹積もりなのでしょう。
3 次回に向けて
今回のお話しをまとめてみましょう。
第一に、「環境権」や「知る権利」等、人権規定を増補したとしても、私たちの人権状況が改善される見込みは少ない。一方、「プライバシー権」などは政治家に悪用される恐れさえあります。
第二に、憲法改正のドサクサに、憲法20条の政教分離規定や25条の生存権規定など、21世紀においても重要な意義を有する規定が改廃されてしまう恐れがあります。要するに、西教授の③の神話を真に受けて、「憲法改正も必要かな?」などと考えてしまえば、得るものは少なく、失うものばかり多いということになりかねません。
残念ながら、今回は重要な問題をお話しできませんでした。②の論点、すなわち、平和主義の問題です。西教授はどうやら平和憲法に対する日本国民の「思い入れ」を相対化することで、9条改正を推進したいようですが、この辺の検討は次回の課題です。
最後に、西教授の④の神話に関して。西教授は、「日本国憲法は、格調高く、全体として非常に整った憲法であると評価されている」が、これは神話だと主張しています。そして、条文の文言に関する些末な問題点や、憲法解釈上はるか昔に決着のついた問題を、さも大事な問題のように一生懸命に議論をしています。ところで、西教授は『日本国憲法を考える』の中で私学助成は憲法89条に違反すると明言なさっていますが(188頁)、憲法調査会の席上、民主党の枝野幸男委員から、私学助成違憲論を取る西教授が私立大学で給料をもらっているのは責任をもって学説を唱えるべき学者の行動として一貫性を欠くのではないかという質問を受けました。この枝野質問に対する西教授の回答が「格調高く、全体として非常に整った」ものだったか否かは、第147国会衆議院憲法調査会第3回の議事録でぜひご確認下さい。
*枝野発言と西教授の回答は、こちらまたは、「憲法調査会議事録」のページで衆議院の方をクリックして頂き、第147回国会分の03号(2000年2月24日)を選択して下さい。
憲法を見る眼(5) 愛敬浩二 (信州大学助教授)
有事法制問題を考える (2002/11)
http://www.ne.jp/asahi/heiwa/kenpou/kaiho/mirume/mirume4.html
1 はじめに
前回までは改憲論について考えてきました。ところが、9・11事件以後、日本の軍事大国化は急ピッチで進んでおり、明文改憲(憲法改正手続を通じて憲法の条文を修正すること)の手続を踏むことなしに、平和憲法を骨抜きにしようとする策動があります。すなわち、有事法制です。4月に国会に上程された有事法制関連三法案(武力攻撃事態法案・自衛隊法改正案・安全保障会議設置法改正案)は防衛庁個人情報リスト事件や福田官房長官の非核三原則見直し発言等のスッタモンダもあって継続審議となりました。また、10月中に召集されるものと伝えられる臨時国会においても成立する見込は薄いとのことです。とはいえ、政府が有事法制整備の欲望を失ったわけではありません。そこで、今回は有事法案の問題点を政治的背景を中心にして解説したいと思います。
ところで、なぜ有事法案に反対すべきなのでしょうか。「平和憲法に違反するんだから、当たり前じゃないか」というご意見の方もいるでしょう。私もこの意見に賛成です。でも、「備えあれば憂いなし」なんていわれると、「そんなものかな」と思ってしまう人もいるかもしれません。というわけで、「そんなものかな」と思っているX君に登場してもらいましょう。小学校の教師であるX君は悩んだ末、次のように結論しました。「生徒たちの未来を考えると平和は本当に大切だと思う。だから、憲法九条の理念にも心から共感できる。けれども、僕には最愛の妻と娘がいる。二人のことを考えると、いざという場合には自分たちの生命と財産を国に守ってもらいたい。だって自衛隊があるんだから、利用して当然じゃないか」。X君にとって、9・11事件の衝撃はやはり大きかったわけです。
そこでX君は有事法案の勉強をしてみました。そして、困惑します。自衛隊法改正案は日本への大規模侵攻を想定して自衛隊活動の円滑化を図る冷戦型・国防型の有事立法であることが分かったからです(たとえば陣地構築や自衛隊員の埋葬など)。X君は自問しました。「日本が大規模侵攻を受ける可能性なんて本当にあるのかな?」。現在の国際情勢からみて、日本に対する外国軍の大規模侵攻は考えがたいというのが専門家のほぼ一致した見方です。防衛関係者でさえ、北朝鮮や中国の大規模侵攻の可能性を現実的なものとは考えていないと伝えられています。朝日新聞2002年4月27日朝刊の記事によれば、日米当局間でこんな会話があったそうです。米「『陣地構築』とあるが、何のためか」。日「敵の着上陸侵攻に備えるものだ」。米「どこが日本を侵略するのか」。日「昔はソ連でしたね」。米「……」。
2 有事法制の危険性
しかし、笑い話では済みません。国会審議では武力攻撃事態法案2条2号の「武力攻撃事態」(武力攻撃〔武力攻撃のおそれのある場合を含む〕が発生した事態または事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態をいう)と1999年に制定された周辺事態法1条の「周辺事態」(…そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態)との関係が一つの争点となっています。周辺事態法は日本の周辺で日本の安全保障に重大な影響を与える事態が起り、その事態に対して米軍が軍事行動を開始した場合、自衛隊等が米軍の後方支援活動を行うための法律です。「武力攻撃事態」の「予測される事態」に「周辺事態」も含まれるのか、という問題がなぜそんなに重大視されるのでしょうか。
次のシナリオを考えてみて下さい。アメリカが北朝鮮の核施設を破壊するために軍事行動を開始しました。この時点で「周辺事態」と認定されるので、周辺事態法に基づいて日本は米軍の「後方地域支援」に踏み切ることになるでしょう。そして、この時点で日本は国際法上、北朝鮮と交戦状態に入ったことになります(「後方支援は武力行使に当たらない」という議論は日本国内でしか通用しません)。政府はこの事態を「事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態」と認定するものと推測されます。この時点で有事法制が作動し始めます。有事法制が作動し始めれば、日本の法体制は「平時」から「有事」に移行し、首相に権限が集中する一方、国民の権利や地方自治体の権限は容易に制約されるようになります。ぜひ確認して頂きたいのは、「我が国に対する外部からの武力行使」が発生する客観的可能性がなくとも、アメリカが軍事行動を開始し、周辺事態法に基づいて日本が後方地域支援を行えば、「武力攻撃事態」が認定されてしまう点です。
ところで、この場合、北朝鮮はどのような対応をすると考えられるでしょうか。日本への大規模侵攻などありえません。仮にあるとしても、散発的なミサイル攻撃やゲリラ攻撃(特に日本海側に集中した原発への攻撃)などの限定的な反撃だと考えられます。このシナリオを私の素人談義ではありません。1994年の北朝鮮核疑惑の際に日米の政府当局者が想定したシナリオです。そして、当時の日本の米軍支援法制・有事法制の不備のせいで、アメリカが武力行使のカードを切るのをためらったという事実を重視すべきです。周辺事態法、テロ対策特措法、そして有事法制。政府は米軍支援法制・有事法制を整備することによって、東アジア地域における米軍の武力行使の可能性を著しく高めています。米軍の武力行使の可能性が高まれば、日本の「有事」の可能性も高まります。他方、「有事」への対応として有事立法を整備すれば、米軍の武力行使へのハードルは低くなり、安易に武力行使に踏み切る恐れが高まります。これはジレンマです。しかし、このジレンマを解消するのは簡単です。有事法制を整備しなければいいだけのことですから。要するに、有事法制という「備え」をすれば、日本で生活する市民(外国人も含む)に「憂い」がもたらされる可能性の方が高いということを肝に銘じておく必要があります。
3 有事法制は「憂事」をもたらす
ところで、新聞報道等をていねいに読まないとなかなか分からないのですが、そもそも今回の有事法制論議は、日本本土の防衛や国民の生命・財産の安全とはあまり関係のないところから、話が始まっています。日本が集団的自衛権行使に踏み切ることを求めた「アーミテージ報告」(2000年10月。ちなみにアーミテージ氏はブッシュ政権の国務副長官で、9・11事件の際、外務省高官との会談において「Show The Flag 旗幟を鮮明にせよ」と述べて、日本の軍事支援論議を加速させた人物です。なお、外務省は「Show The Flag」をわざと「旗を見せろ」と直訳して、自衛隊の海外出動の気運を盛り上げました)には、「改定された米日防衛協力のためのガイドラインの誠実な実行。これには有事立法の成立も含まれる」との一節がありました。「日本の安全」ではなく、「新ガイドラインの誠実な実行」の見地から有事法制の必要性を論じている事実に注目して下さい。
アーミテージ報告以後のアメリカ側の要求は、日米安保を英米並みの同盟関係に高め、自衛隊をペルシャ湾まで派遣して欲しいというものです。周辺事態法に基づいて自衛隊を派遣できる範囲には地理的に限界があります。どんなに無茶をしても、インド洋やアラビア海を「周辺」と呼ぶことはできません。とはいえ、アメリカが決定的な利害関心を持つ地域は中東です。中東での軍事行動に日本も協力して欲しいというのが、アメリカの思惑です。有事法制はこのアメリカの世界戦略の中に位置づけられているのです。周辺事態法には国民の協力に関する規定(いわゆる軍事負担法)や地方自治体の協力を義務付ける規定がありません。アメリカはこれでは不満なのです。X君がそうであったように、「日本が侵略された場合、少々の権利制約も仕方ないよな」という日本国民の「素朴な感情」を悪用しながら、アメリカの軍事的世界戦略に対して、自衛隊はもちろん、国民や地方自治体をも動員するシステムを作り上げること。この文脈でのみ、アーミテージ報告における有事法制必要論は理解できます。
チャーマーズ・ジョンソンは次のように述べています。「冷戦の終結後、ペンタゴンはアメリカの外交政策の策定と実行を独占している。アメリカは、対外的な目的の達成にあたり、往々にして不適切な一つの手段しかもたなくなりつつある。つまり、軍事力である。アメリカは、対外的な目的を達成するための多様かつ充分な能力をもはやもっていない」。「アメリカは海外に展開する地上部隊の大半を本国に引きあげ、対外政策の方針を変更して、外交交渉によって模範を示すことに重点をおくべきだ。これが最も当てはまるのは、朝鮮半島である」。ブッシュ政権の外交政策をみる限り、ジョンソンの指摘には肯かざるをえません。そして、日本が有事法制を整備し、東アジア地域における米軍の武力行使を容易にすることは、アメリカの対外政策の方針変更を困難にすることを意味します。日本の有事法制は、武力によらずに公正な秩序を構築していくための国際社会の努力に対して負のインパクトを及ぼす恐れがあるのです。こんな法律は日本国民のみならず、世界の人々に「憂事」をもたらすだけだと、私は考えます。