02 14(土) 人材育成の歴史;日本教育史,閑谷学校 |
02 15(日) 江戸時代の儒学;儒教,大塩平八郎の乱,近江聖人 |
儒教(じゅきょう)とは、孔子を始祖とする思考・信仰の体系である。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に渡って強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学(中国語: Ruxue(ヘルプ・ファイル))、思想的側面からは名教・礼教ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という。 東周春秋時代、魯の孔子によって体系化され、堯・舜、文武周公の古えの君子の政治を理想の時代として祖述し、仁義の道を実践し、上下秩序の弁別を唱えた。その教団は諸子百家の一家となって儒家となり、徳による王道で天下を治めるべきであり、同時代の武力による覇道を批判し、事実、そのように歴史が推移してきたとする徳治主義を主張した。その儒家思想が漢代、国家の教学として認定されたことによって成立した。 |
今日の時世に本当に欲しいのは活学・正学であります。 この活学・正学によって、真に人間を鍛えた人材が出なければ、私はこの日本は恐るべき混乱、ことによると忌むべき暗黒時代が来るということを昨今、痛心禁ぜざるものがあります。 時局がやはりそうで、こうなりますと、時代、人心も自ずから霊妙なものがあって、人々は意識、あるいは自覚しませんけれど、何か真実なるものを求める。 何か真剣なものを求める。 これは「良知」であります。 人間が持っておる、皆が本具しておるから、「良知」であります。 これを「致す」、これを完成する、発揮する、これが陽明先生の唱えた「致良知」なんであります。 そして、観念の遊戯ではなく、それを実践するというのが「知行合一(チコウゴウイツ)」であります。 そういうことを、時代・民衆がやはり本能的に(本人は自覚しないけれども)何か求めている。 そこで陽明学というものが自然に囁かれる、期待されるのであると信ずるのであります。 |
02 16(土) <米沢藩の興譲館>の気風 |
平洲が遺した言葉として、米沢藩主になろうとしていた上杉鷹山に送った「勇なるかな勇なるかな、勇にあらずして何をもって行なわんや」がある。 要は「何をやるにしてもまず勇気が必要である」と言う意味であった。 米沢市の松岬神社に、上杉鷹山と共に祀られている。 |
上杉鷹山は文政5年3月11日(1822年4月2日)、死去。 享年72(満70歳没)。 法名:元徳院殿聖翁文心大居士、墓所:米沢市御廟の上杉家廟所。 始め上杉神社に藩祖謙信と共に祭神として祀られたが、1902年(明治35年)に設けられた摂社松岬神社に遷され、現在に至る。 伝国の辞 伝国の辞(でんこくのじ)とは、鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した3条からなる藩主としての心得である。 内容は下記の通り。 一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれ無く候 一、人民は国家に属したる人民にして我私すべき物にはこれ無く候 一、国家人民の為に立たる君にて君の為に立たる国家人民にはこれ無く候 右三条御遺念有間敷候事 天明五巳年二月七日 治憲 花押 治広殿 机前 伝国の辞は、上杉家の明治の版籍奉還に至るまで、代々の家督相続時に相続者に家訓として伝承された。 人物・逸話 正室である前藩主の長女幸姫は脳障害、発育障害があったといわれている。彼女は短い生涯であったが、2人は仲睦まじく暮らした(但し一度も交接すること無し)。しかし後継者が絶えることを恐れた重役達の勧めで、治憲より10歳年上で上杉家分家の姫である豊姫(お豊の方)を側室に迎えた。 35歳の若さで隠居し、実子がいたのに家督を前藩主・重定の実子・治広に譲ったのは、重定が存命中に治広に家督を継がせることで養父を安心させたいという鷹山の心遣いだったとされる。 有名な「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり[2]」(『上杉家文書』国宝の抜粋 上杉鷹山書状。弗爲胡成(為さずんばなんぞ成らん 『書経』)に由来)の歌は「伝国の辞」と共に次期藩主に伝えられた[3]。 2007年(平成19年)に讀賣新聞が日本の自治体首長に対して行ったアンケートでも理想のリーダーとして上杉鷹山が1位に挙げられている。 米沢藩中興の祖である鷹山は現在の米沢市民にも尊敬されている。その例として、他の歴代藩主は敬称なしで呼ばれることがあっても、上杉鷹山だけは「鷹山公」と「公」という敬称を付けて呼ばれることが多い。 当時、米沢藩では直江兼続の法要は憚られていたが、鷹山は「上杉家で直江殿夫妻の法要も営まず、香典も添えないのは人情ではない」と述べて、兼続の200回忌を挙行し、香華料を捧げたという。 アメリカ合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディや第42代ビル・クリントンが、日本人の政治家の中で一番尊敬している人物として上杉鷹山を挙げたとして、話題になった事がある(英文で発表された内村鑑三の『代表的日本人』の影響によるものと考えられている)。ケネディが鷹山について発言した際には、日本人から「Yozanとは誰か」と質問が出たとも言われる。鷹山の知名度や人気が上昇した背景には、米国大統領が知っている有名人を日本人が知らなかった、という驚愕の事実が背景にあると言われる。ただし現在の所、ケネディや クリントンがいつ、どこでこの発言を行ったかというソースが存在しないため、この逸話の正確性には疑問があると言われる。 |
「因みに、明治初年の史料を持って比較すると、加賀102万石の前田家の場合は、内高が120万石で、士族7077戸、男12414名、卒族戸数9474戸、男14029人、であった。一方の米沢藩14万7千石(列藩同盟処分の削封後)の上杉家の場合は、内高が30万石で、士族3425戸、男7565名 卒族戸数3308戸、男11980人であった。この比較から、米沢藩の厳しさは一目瞭然である」という記事があります。 |
日新館入学前の六歳から九歳までは地域ごとに組を作り、お互いに武士としての心構えを学びました。 「什の掟」はその時の規則です。 一、年長者[としうえのひと] の言うことに背[そむ]いてはなりませぬ 二、年長者にはお辞儀[じぎ]をしなければなりませぬ 三、嘘言[うそ]を言うことはなりませぬ 四、卑怯[ひきょう]な振舞[ふるまい]をしてはなりませぬ 五、弱い者をいぢめてはなりませぬ 六、戸外で物を食べてはなりませぬ 七、戸外で婦人[おんな]と言葉を交[まじ]えてはなりませぬ ならぬことはならぬものです。 |
02 18(水) 認知症の予防・介護・治療 |
■認知症の基礎知識Basic Knowledge | ■認知症の種類Kind | ■認知症の予防Prevention |
脳と記憶のメカニズム | アルツハイマー型認知症 | 食生活と認知症の関係 |
認知症(痴呆症)を知ろう | 若年性認知症 | 飲み物で認知症を予防?! |
認知症の症状 | 脳血管性認知症 | 生活習慣を見直そう! |
認知症の原因は? | ピック病 | 海馬を活性化させよう! |
認知症と関係のある病気 | パーキンソン病・症候群 | 簡単な運動を習慣に |
認知症をとりまく社会 | レビー小体病 | 肥満と認知症 |
- | - | いますぐできる!予防の知恵 |
■認知症の介護Nursing | ■ヤマブシタケと認知症YAMABUSHITAKE | ■認知症お役立ち情報LIBRARY |
認知症の診断 | 菌食のススメ | 認知症おもしろ雑学 |
認知症と間違えやすい状態 | ヤマブシタケってなに? | 「脳を守る」ための10か条 |
症状対応のコツ | ヤマブシタケの臨床データ | 「物忘れ予防」の10か条 |
認知症の薬物療法 | ヤマブシタケの効果効能 | 「脳を若く保つ」ための9か条 |
認知症のリハビリテーション | ヤマブシタケでおいしい料理 | 教えて!認知症Q&A |
バリデーション療法 | ヤマブシタケのレシピ募集! | 認知症リンク |
介護サービスと介護保険 | - | - |
日本のアルツハイマー型認知症の患者は推定100万人。脳血管性認知症の患者より2.5倍くらい多い。65才以上の10人に1人は発症すると言われるほど、高齢者に多い病気だが、最近は18歳〜64歳の若年の認知症(アルツハイマー)が増えていると言う。正確な統計はないが、10万人はいると言われている。65才以上の老年痴呆に比べて人生の活動期だけに始末が悪い。今や、アルツハイマー病は高齢者だけの老化による病気ではなく、極端な言い方をすればどんな年齢でも起こりうる。ただ、高齢化が進むにつれて患者が益々増える事は間違いなく、根本的な治療法の確立が望まれている。従来、かかったら治らないと言われてきたアルツハイマー病だが医学の進歩により目覚ましい成果が次々と発表されており将来が期待される。良い治療法が確立するまであと3年、何とかアルツハイマーにならないでいたいものだ。それまでは、1日20分、週2回の有酸素運動、バランスの良い食事、趣味等で脳をせいぜい刺激しておこう。 |