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折々の記 2010 C

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】02/14〜        【 02 】02/17〜        【 03 】02/19〜
【 04 】03/03〜        【 05 】03/08〜        【 06 】03/20〜
【 07 】03/21〜        【 08 】04/01〜        【 09 】04/13〜


【 02 】02/17

  02 17 バンクーバー ■地検特捜部は特高か?
  02 18 連理の枝

 02 17 (水)  バンクーバー ■地検特捜部は特高か?

男子のスケートトラック競技500mで、銀賞・銅賞をとりました。

スピードスケート
 男子500m・2回目累積結果 公式記録(日本時間)02月16日13時09分現在

   順位  選手       国                  タイム1    タイム2    合計
    1   Tae-Bum Mo   韓国 34.923    69.82    34.906
    2   長島 圭一郎  (日本電産サンキョー) 日本 35.108   69.98     34.876
    3   加藤 条治  (日本電産サンキョー) 日本 34.937   70.01    35.076



. 浅田真央 泣いた、跳んだ、つかんだ .
2010年1月8日

【苦しんで五輪代表をつかんだフィギュアスケートの浅田真央】

 「バンクーバーに行きたくない」と言ったことがある。1年前のことだ。  こんなことがあったのか !!

 2009年2月にバンクーバーで開かれた四大陸選手権。五輪本番のリンクを体験できる貴重な機会だった。大会前になって「出たくない」と言い始めた。姉の舞が「あんな真央は初めて」と振り返るほどの「大事件」だった。

 2カ月ほど前の12月に韓国で行われたグランプリ(GP)ファイナルで、浅田は金妍児(キムヨナ)に競り勝って、3季ぶりにタイトルを奪還していた。「あれですべての力を出し尽くしちゃった」。言わば「燃え尽き症候群」のようなものに陥っていたのかもしれない。

 「でもなあ……。みんなは私が出ると思ってるし、期待されてるし、出なかったら申し訳ないよね」。ため息交じりにつぶやいて、結局はバンクーバーへ向かった。中途半端な気持ちで臨んだ四大陸選手権は3位。続く世界選手権(ロサンゼルス)も4位。シニアで表彰台を逃したのは初めてだった。

 「あの時のこと、本当に反省してます。『出たくない』と言った時点で気持ちが逃げていた。出場すると決めたからには、万全の状態で、本気で、練習しないといけない。スケートは私の一番好きなもので、生活の一部。もう二度とあんなことはしません」

 15歳でGPファイナルを制し、世界へ華々しく飛び出した。初出場の07年世界選手権は銀メダル、08年には日本で5人目の金メダリストに輝いた。一見、順風満帆。だが実際には、大きな波も小さな波もあった。ただ、それを人に見せなかっただけだ。

 初めて人前で「スランプ」をさらしてしまったのが、今季だろう。トリプルアクセルジャンプが決まらず、前半戦のGPシリーズ2戦で思うような結果は残せなかった。常連だったGPファイナル出場を逃し、五輪の切符は年末の全日本選手権までもつれこんだ。

 4連覇を飾った全日本だったが、開幕の3日前には「何もジャンプが跳べなくなってしまって、焦りがあった」という。練習で泣いた。転んだ。それでも起きあがって跳び続けた。苦しみ抜いてつかんだ、初めての五輪だ。

 「本当に待ち望んでいた。周りの人も待ち遠しかったと思う。金メダルだけがすべてじゃないけれど、小さな頃からこの大きな目標に向かってがんばってきた。支えてくれるたくさんの人に恩返しできる場所が、五輪だと思う」

 バンクーバーに乗り込む気持ちは、昨年とは明らかに違う。

 「今は早く試合に出たい」(坂上武司)


【検察批判】
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK80 > 161.html
. 「ごみ野郎、くず野郎」検察の拷問・血だらけの紙オムツ1枚で .
取り調べを受けた屈辱は絶対忘れない
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/161.html
投稿者 feel 日時 2010 年 2 月 10 日 00:14:45: /berAdga6DXu.

… ココロミニ、ウエノサイトヲクリックシテミルト、投稿原文ニタイシテ、231通ノ「コメント」ガデテキマス …

日刊ゲンダイ 2010年2月10日(9日発行)
小沢捜査を斬る!
大阪府枚方市元副市長 小堀隆恒氏

血だらけの紙オムツ1枚で取り調べを受けた屈辱は絶対忘れない
保釈後に読んだ自分の新聞記事のデタラメには驚いた

 東京地検による小沢捜査の狙いのひとつが、「取り調べの可視化」潰しであったことは言うまでもない。足利事件の菅家さんの告発で高まった検察批判をかわすために検察が仕掛けた小沢捜査でもあるのだ。

 だが、今日登場の小堀隆恒氏(63)の実体験を聞けば、検察の取り調べがいかに野蛮で過酷かが分かる。

 小堀氏は、大阪府枚方市の副市長だった。濡れ衣の談合事件で逮捕・起訴に巻き込まれたものの、裁判で無罪判決を勝ち取った人である。

 私は小沢事件の真相はよく分からない。しかし、政権交代後の初めての通常国会で、まともな政策論議ができない状態をつくり出すほど、重大な事件なのか。検察は本当に根拠があるのか。最初から「悪い」と決め付け、その筋書き通りに捜査を進めているのではないか。自分の体験を振り返るとそう感じざるを得ません。

 3年前の平成19年5月31曰の午後6時ごろでした。数人の検事が突然、副市長室に乗り込んで来て「事情を聴きたい」と言われました。当時、市の清掃工場をめぐる談合報道があり、責任者だった私の元にも捜査機関が訪ねて来ることは予想していました。

 ただ、単なる事情説明で済むと思っていた。ところが、午後10時ごろに逮捕状が執行されたのです。驚いて「私が何をしたのか」と聞いても、検察は「談合の共犯や」と言うだけ。訳が分からず、一睡もできずに大阪拘置所で夜を明かしたのを覚えています。

 翌日朝から取り調べです。私は当時、腎臓がんで右腎を摘出し、前立腺肥大で手術を控えていました。それを検事に告げても無視です。7、8時間ぶっ通しの取り調べが続きました。案の定、排尿障害になり、医務室で処置を受けたのですが、これが乱暴だった。カテーテルを強引に尿管に入れたため、内部が傷つき、血尿が出るようになったのです。検事に訴えると、与えられたのは介護用の紙オムツ。それもたった1枚だった。家族らが代用品を差し入れても手元に届かず、保釈されるまでの約1ヵ月間、血だらけの紙オムツ1枚を繰り返し乾かして使いました。

 不衛生だから当然、尿管などから雑菌が体に入ります。しばらくすると高熱が出て、取り調べ中も頭がボーッとなった。コップ1杯の水も与えられず、便所で手を洗う際に□を湿らせてしのぎました。「生きて出られるのか」。私は強い恐怖を感じましたが、取り調べは容赦なく続きました。

 取調室はコンクリートの小さな部屋で、声や物音が響きます。東京地検から応援に来たという大柄の検事はパイプイスを思い切り壁に向かって蹴り付けたり、ドアを思い切り閉めたりして”威嚇”する。大声で私のことを「ごみ野郎、くず野郎」と怒鳴り、「白状しろ。カネはどこに隠したのか」と尋問するのです。こんな調子が深夜まで続くから、ある曰、拘置所の近隣住民から「うるさい」とクレームが来ました。私が否認を続けていると「カミさんを調べてデキが悪かったら逮捕する」とか、介護施設に入所している90歳の母親を「ストレッチャーで連れてきて調べる」と言う。「これが法治国家の日本なのか」と心底思いました。

 マスコミに対しても強い不信感を抱きました。保釈後に緊急入院した病院の中で、事件を報じた新聞各紙を取り寄せて読んだのですが、すべてデタラメ。一切否認なのに、新聞では逮捕2回目から「容疑認める」 「1000万円もらった」などと報じられているのです。愕然とすると同時に、検察からのリーク情報を垂れ流すマスコミの姿勢に呆れました。小沢事件でも、すべての報道を信じる気持ちはありません。

 無罪となっても、検察やマスコミからの謝罪はありません。非人道的な取り調べを受けた体験者として、こんなことは二度と起こしてはならない。取り調べの可視化は絶対に必要です。

拷問まがいの取り調べの様子をつづったノート


【検察批判】
< コメント No. 1 >
01. 2010年2月10日 00:26:02
これは酷すぎる。取調べでもなんでもない。ただの拷問ではないか。
体調に不安を抱えた容疑者の取調べに対するケアのかけらもない、まさに恫喝と強要を8時間もぶっ続けで人命にも係わる重大な人権侵害ではないか。
こんなものが捜査や取調べとしてまかり通るこの国は本当におかしい。
そしてお定まりのマスコミ報道。これがこういう非道を隠蔽する機能になっている。
検察とマスコミは互いに補完しあっているのだ。


【検察批判】
< コメント No. 37 >
37. 2010年2月10日 09:39:17
複眼的(虫の目)・魚眼レンズの目で見てみよう。CIA(諜報機関)/DIA(情報機関)の二つの目を持つようになったアメリカ。ここに重要な示唆があるように思えるのは、見当違いだろうか?かつてアメリカは、世界の憲兵(警察)を標榜し実践してきた。CIAを活用した謀略が、他国政府を転覆させたり、軍事的支配を実行してきた。これらの事実は、南米のアメリカ離れ・中東のアメリカ離れに見る事ができる。我が国のメディアでは、殆ど報じられない国際的視点だ。所謂アメリカ離れ、自立模索の地域共同体化の進化である。アジアでの模索も始まった。謀略だけでは、世界支配が困難との自覚に立っての、DIA登場であろう。国力が衰退しているのは、間違いないだろう。さて、戦後従属・支配を受け入れた我が国、政権交代が起きたアメリカ、この関係に何が起きているのだろう。そして、基地問題でも何が。仮想敵国(中国・北朝鮮)へ異常接近するアメリカ。政権交代後、インド・中国などアジア外交を開始した日本。ここに、日米安全保障条約を傘に、乗り遅れまいとして我が国にシガミツク、必死のアメリカ外交の姿を見る事は出来ないだろうか!国内では、政治と金の問題がとり質されているが、本質は何なのだろう。考えて見れば、頭狂痴犬特捜部(CIAアメリカ製)の動き、マスメディアの偏向報道大合唱でも、国民との大幅な乖離がもたらされているのは、既存メディアの世論調査(世論操作)からも明らかなのだ。国民は覚めた目で見ている。意外と冷静に分析して、次回の選挙を待っている。これは、一体何なのだろう。今までなら、既存メディアの報道に右往左往し、大多数が政権を揺るがす判断に走ってしまった筈だ。そうならない今日だから、政治が面白みを増して来たのかも知れない。ネットが普及した今、覚醒したネット市民によって真実が把握され、家族への伝達に始まって、井戸端的拡散・職域での拡散・共同体的拡散が起きている。アメリカに貰った軍事技術(インターネット)が、国民を覚醒させ、民主主義を進化・深化させる方向に作用するとは。アメリカにとって、何という皮肉だろうか。旧態依然とした勢力には、市民のネットワーク化が進行していることを、理解できないのだろう。ネットを介した草の根情報網が、自らの手で発達を開始したのだ。もう、誰にも止められない。爺さん

   CIA(諜報機関

アメリカ中央情報局(あめりか ちゅうおうじょうほうきょく、Central Intelligence Agency, CIA)は、CIA長官によって統括される、対外諜報活動を行うアメリカ合衆国の情報機関の1つ。

概要
大統領の直轄組織であり、CIA長官(Director of the Central Intelligence Agency )は大統領と国家情報長官(Director of National Intelligence、DNI)に報告する立場である。米軍やその他米国政府内の情報機関からは独立して存在しており、CIA自身の情報収集の他に、国家安全保障局(National Security Agency、NSA)、国家偵察局(National Reconnaissance Office、NRO)や国防情報局(Defense Intelligence Agency、DIA)、各軍の情報部、財務省情報部、原子力委員会情報部などからの情報を集めて分析し大統領とDNIに報告する。

上記で示した米国内の多数の情報組織から構成されるインテリジェンス・コミュニティーは国家情報長官(Director of National Intelligence)によって統括され、CIAはその「中央」にある情報機関である。

徹底した秘密主義、度々暴露されるいくつかの悪事から、いかにも怪しい組織といった印象が全世界的に強いため疑念の対象として見られることも多い。イランなど反米国家においては、逆にテロ組織に指定されている。


   DIA(情報機関

アメリカ国防情報局(アメリカこくぼうじょうほうきょく、Defense Intelligence Agency, 略称DIA)はアメリカ合衆国国防総省の諜報機関。

1961年、軍事情報を専門に収集、調整する機関としてロバート・マクナマラ国防長官が設置した。DIA長官は、国防総省の意思決定に参加し、統合参謀本部の偵察作戦支援を担当する幕僚(J-2)でもある。


これら二つの機関については、日本にはないと思っているので馴染みが少なく、その活動内容にいたっては殆ど知らされてもいません。

だが、今では世界中の国はその秘密主義によるアメリカ独裁色の政治の進め方が、CIAやDIAの諜報機関によって決められていることに疑念をもつにいたっております。

世界中から、除け者扱いされはじめている、と言ってもよいのではないでしょうか。

従って、私たちはこの二つの機関の中身について調べ出し、検証しなければなりません。 一部のアメリカの為政者はアメリカはデモクラシーの根源のようなことを言っていますが、それはとんでもない虚言です。 計画立案において秘密があまりにも多いようです。 人と人というものは信じあうことによって絆が成り立つものでありますから、アメリカの指導者を信用できなくなるのです。


【検察批判】
< コメント No. 108 >
108. 2010年2月10日 16:34:05
高橋伸介枚方市議HP HOME >データバンク2より全文
ttp://www.kiku-sakura.net/kobori.html
小堀前副市長の書簡 「無罪判決を受けて」 平成21年5月25日
 枚方市議会  議 長  榎 本 正 勝 様

急啓

先日5月12日0時、「無罪」が確定してから約二週間が経とうとしています。
一昨年5月末日の青天の霹靂で理不尽極まりない突然の逮捕。非人道的且つ人権無視の取調べ。
一貫して潔白を主張し続けるも強引に起訴。
その後の一年余に及ぶ裁判手続きを経ての「無罪」判決。このことが何を意味したのか?人の人生を土足で踏み躙っておいて。

優秀な職員と共に市役所一丸となり誠心誠意取り組んだ、新清掃工場と新火葬場建設事業は無事竣工し既に稼動している現実。等々‥‥。

未だ気持ちの整理が付かず、未消化で溜飲の下がらない情況の中で、現時点に於ける自らの思いを有りのままにしたためました。

失礼ながら、市議会の皆様方にご抜露いただければ幸甚に存じます。

      平成21年5月25日                          小 堀 隆 恒

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下は本文
                                                  平成21年5月吉日
各 位
                          無罪判決を受けて

1,平成21年4月27日、私は、大阪地方裁判所で無罪判決を勝ち取ることができました。無実の罪で起訴されたわけですから、無罪判決は当然と言えば当然の結果です。しかし、他方、世の中に散見される冤罪事件を思うと、その心中は穏やかではありませんでした。

裁判官から「無罪」と言われたときの心境は、体験した者しか理解して頂けないものかもしれません。えも言われぬ歓喜の気持ちと虚脱感が錯綜した不思議な感覚でした。この感覚は、逮捕されて2年間という時間の長さとその間の苦しみの重さから来るものかもしれません。

2,無罪を勝ち取ることができたのは、裁判所が私の言い分を虚心坦懐に聞いて頂けたことが大きいとは思いますが、これまで私を支えてくれた数多くの方々のご支援ご声援の賜物と、心から感謝しております。
私の人となりをよく知って頂いている方々は、私がおよそ犯罪とは無縁な生真面目だけが取柄の人物であること、公務員として高潔であるべきとの理念の下、40年間これを実践してきたことを理解して下さっていました。

私が、逮捕されても、また起訴されても、私が無実であることを信じて、決して疑いをかけることすらありませんでした。特捜部が起訴しようが、マスコミがどれだけ騒ごうが一向に意に介さず、「小堀隆恒」という人間を心底信じてくれる人が周囲には沢山いるということが、何より私を勇気付けてくれたのです。

3,私は腎臓癌で右腎を摘出し、前立腺肥大による手術をする予定であったところ、突然逮捕されました。私は自分が逮捕されるなど全く予想もしておらず、個人的に弁護士の知り合いもいなければ、刑事事件がどのような手続きで進められるかも理解を欠いていました。

それより何より、私は自分が何故逮捕されなければならないのか、その理由を全く理解することが出来ませんでした。私は、当時、大阪府警の現職警察官で、しかも談合捜査のプロとして紹介された平原という人物に、捜査情報として尋ねられた内容を答えたに過ぎません。しかも、その情報は予算額と経審の点数であり、捜査情報として必要だとの平原の説明に何ら不合理な点はなく、しかも何ら秘密事項でもありません。

そもそも目の前の警察官が業者から1000万円もの賄賂をもらって談合に加担しているなど一般人が考えるでしょうか。一般人のこんな常識的感覚さえ、検察官は聞く耳を持ちませんでした。
私は業者と接触することを悉く嫌っており、業者から金品をもらったことなど一度たりとてありません。大阪府警をしょって立つエリート警察官として紹介された平原が、賄賂をもらっていたなどという話が、小説やテレビではなく現実にあるなどと一体誰が考えるでしょうか。

4,それでも、検察官は私の話を聞き入れません。汚職警察官の言うことが正しいと決め付け、私がそうでないと何度も申し向けても聞く耳を持ちませんでした。挙句、「二度と枚方に住めないようにしてやる。」、「お前ら家族も町を歩けないようにしてやる。」などと怒号し、机を叩きつけたり、パイプ椅子を蹴り飛ばしたりし続けました。拘置所の看守が、近所から苦情が出ていると取調べの最中にクレームを述べに来たり、多数の取調べを目の当たりにしている看守が私に「間違いをおかすなよ。」と自殺の心配をしなければならないほど過酷な取調べが続いたのです。

その上、排尿障害でカテーテルを挿入され、その挿入に問題があったがため出血が酷く、まともな手当てもされないまま、オムツを履かされ出血が止まらない状況で取調べを受けたのです。その屈辱は一生消えることはないでしょう。私は、法治国家の日本の現実かと恐ろしくなりました。

5,勾留中、私には弁護士以外とは面会できないという措置が講じられていました。
保釈後、マスコミが、私が罪を認めたであるとか、1000万円受け取ったなどと虚偽の報道を競うようにしていたことを知り愕然としました。特捜部からリークされた虚偽の事実を、そのまま平然と報道するマスコミの姿は、それまで私が持っていたマスコミ像とは全く違っていました。権力と戦う正義感に燃えるマスコミ像というのは、単なる幻想であることを思い知りました。

事件について何も知らず、マスコミからの情報にだけ接する一般人の考えは当然誤った方向に導かれます。私が勾留中、私の家族には「松岡農林水産大臣のように自殺されてはどうですか」と書かれた匿名の手紙が届きました。あの時、私の家族に何かあったとしても、マスコミは責任を認めなかったでしょう。
これが報道の自由を標傍するマスコミの実態なのかと虚しくなりました。

6,私は、40年以上、枚方市政のために全力を傾注してまいりました。それは生まれ育った、そして今後一生を終える地となるであろう、この枚方市が少しでも良くなればこそと思ってのものです。私だけではなく、先祖代々枚方市に居を構え、私の子供達を含めて、枚方市のお世話になっております。私は枚方市に仕える身として、職務に励んでおり、公務員としても人一倍自分を律してきました。

それにもかかわらず、志半ばで枚方市を去ることを余儀なくされたのです。時計の針が戻るなら、平成19年5月の時点にもう一度戻り、副市長としての職務を全うしたいとの思いです。しかし、それが適わない現在の自分の立場が、本当に辛く悔しくてなりません。

7,以上、無罪判決を勝ち取ることができた現在の心境を率直に述べました。 私は、この結果を受けて、皆様の面前において、自らの思いの丈を述べることも思慮しましたが、控訴係争中の方がいる現状に鑑みて書面といたしました。

                                                     小堀隆恒 印


【検察批判】
< コメント No. 178 >
178. 2010年2月11日 06:39:18
断じて許してはならぬ検事の悪魔のような取り調べ 【ライジング・サン(甦る日本)】
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/237.html
SEN 237 2010/2/11 04:09:36
投稿者: 純一
http://ameblo.jp/kriubist/

もうすでに阿修羅でも話題になっている、大阪府枚方氏元副市長 小堀隆恒氏が無実の罪で逮捕、取り調べを受けた時の内容を転載します。

これを読んだら、誰もがこの腐敗した検察やマスゴミを許るすことはないだろう。
私たちは民主主義国家に住んでいるのではない。  民主主義の皮を被った北朝鮮そのものだ。

多くの国民がこの事実を知り、国民によって検察やマスゴミを静粛しなければならない。 現政権に強い要望をして変わればいいが、そんな悠長な事を言っている場合ではないのも確かである。

小沢氏や石川議員の件は、人によっては東京近郊に住んでいない限り、遠い中央の話でしかないかもしれないが、現に同じような事が小堀氏や菅谷氏、高知白バイなど身近に冤罪が起きているではないか。

国民のみなさん。 もう目覚めようではないか! 以下転載する内容を、自分がやられている事だと想像して読んでいただきたい。 

絶対に許してはならない。「悪の検察・マスゴミ」を!


【検察批判】
< コメント No. 227 >
227. 2010年2月14日 07:34:46
裁判官にしろ、検察官にしろ職業にしているからおかしくなるのだよ。すべてボランティア制にすればまともに機能すると思います。あまりにも時代錯誤はなはだしいシステムだと思う。専門的なことは真の学者とかコンピュータの瞬時の情報が得られればたいていの人が出来る簡単な処理に過ぎない。今のまま聖域風なことで存在意義をのたまっている人もいるが、三流の知識人で勿体ぶっているだけのことでしかない。哲学でもないし、思想でもない。単に文字の処理に過ぎない。そんなものにほとんど価値はない。人が人を裁くなどもってのほかで、法律がまともであったためしなどかってなかった事だし、これからも時代によって次々と変わっていくものでしかない。その程度のものを、「我々が法律だ」なんて思い、尊大に振舞っているのが今の検察庁に類するグループで、ほとんど国民の税金の無駄遣いをしていながら陰に隠れて悪事を働いているとんでもない組織であることを国民の前にさらしていくことが肝心なことです。日本の法曹界が世界でもまれな原始的な状態にあることが冤罪を生んでいるし、日本人の資質の向上を大きく妨げていることは自明の理である。従って、資格を自動車免許と同じ程度に更新する制度に変えて行き、アメリカの医師免許の更新のような論文のおおやけな、しかも民衆の前で民衆による審査が行われる必要がある。その程度にしていかないと日本の未来を良いものにしていくことはかなわない。今すぐ過去大きなあやまちを延々と犯してきた検察の人民裁判を実施するべきである。当然死刑にするべき検察官、裁判官を皆で選んでいかなければ、国民の怒りは静められないだろう。今すぐはじめよう。


【検察批判】
< コメント No. 231 >
このコメントが今朝までのコメントです
231. 2010年2月16日 15:02:49
警察、検事、裁判官。
聞こえは良いが、その中には必ずクズが混じってます。
目先の利益誘導と引き換えに、人間性やら、矜持を捨てたクズがいます。
子供や孫の前では到底恥ずかしくて出来ない事でもやってのけます。
全て可視化したら、何も言えない、何も出来ないそんなクズです。


【検察批判】
★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK80 > 234.html
. 小沢氏失脚の陰謀・ここを何とか凌(しの)いでほしい…[東京新聞] .
http://www.asyura2.com/10/senkyo80/msg/234.html
投稿者 feel 日時 2010 年 2 月 10 日 23:58:39: /berAdga6DXu.

… ココロミニ、ウエノサイトヲクリックシテミルト、投稿原文ニタイシテ、176通ノ「コメント」ガデテキマス …

2010年2月10日 東京新聞
本音のコラム 小沢氏失脚の陰謀

 小沢一郎という希有(けう)な政治家は仕事もさせてもらえぬまま、葬られようとしている。〈官・報〉癒着世論は彼の失脚をもくろみ、半ば成功した。

 何億かの金を持っていることが理由らしいが、その程度の現金(ひも付きでない金)を持てなくさせ、世を動かす力を奪ったのは私たち白身だ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、的を射られる人に政権を託したいと思うことは間違いなのか。

 結局、火のないところに煙が立つと強弁した検察官僚たちの意図は達成された。これほどの陰謀を企てながら、彼らは免責特権を持ち、顔も見せない。明治初期の太政官布告以来続く「おかみ(官と官報)信仰」に対抗軸を立てるという発想自体が、この国の常識に反していたのだとあらためて思い知らされた。

 この「常識」はいずれ破棄されるだろうが、そのころの日本は財政破たん国家だろう。

 思えば、自民党離脱以降の彼に一筋の希望を託した者は一定いたが、一定数を超えなかった。その一人として私は思うのだが、この政治家は二つの注目すべき持論を隠し持っている。

 一つは米国との距離を測り直すこと、他のひとつは象徴天皇制を隠れみのにした官僚支配への問題意識だ。もちろん、彼自身はこれらを語らない。彼は私より一歳年下。
次の復権はない。ここを何とか凌(しの)いでほしい。

精神科医 斉藤学(さいとうさとる)


【検察批判】
< コメント No. 171 >
171. 2010年2月14日 15:49:49
キャンベル国務次官補が、2月12日、共同通信のインタビューに応じた。
その中で、小沢を
「日本の政治家で最も重要な一人。敬意を表するため(訪米実現に)全力を尽くす」と強調。
小沢氏ら民主党議員団の訪米を「大歓迎する」と述べ、
近くワシントンへの公式な招待状を送付する考えを示した。
オバマ大統領との会談の実現に全力を尽くす考えを示したと言う。
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021301000168.html
そもそも、キャンベルが小沢に訪米要請したのは1月8日だ。
時事通信とのインタビューで言っている。この時点では、小沢がこれに応じた様子は無い。
この頃すでに、小沢悪党報道は炸裂していた。
来日中のキャンベルが小沢に会談を申し入れたのは2月1日だ。
在宅起訴前提の報道で、マスコミが大盛況だった真っ最中だ。
2月2日、わざわざキャンベルらは報道陣の張り付く幹事長室を訪れた。
この時に直接訪米要請の話があったという。
小沢は訪米の前提条件を出したが、この時点で公表はしていない。
2月4日にキャンベルが訪米要請した事を公表した。
8日、それについて記者から聞かれた小沢はそれを認め、訪米の前提条件の話をした。
12日、キャンベルが公式な招待状を送付する考えを示した。それが冒頭の内容だ。

2日の会談内容を知っているのは、キャンベル、ルース、小沢の3人だけだ。
確認可能なのは、この経緯とこの3人が公表した事のみだ。
それから判断すると、唯一確かなのは、
小沢に失脚されては困る理由がアメリカにある、ということだ。
それが日米関係のためか、米中関係のためか知らないが、
とにかくアメリカは小沢を必要としている事だけは確かだ。

小沢潰しに全力を注いできた勢力は、
アメリカから見て、反米勢力になってしまったということだろう。


【上記コメントを受けて】
「オバマ・小沢会談実現に全力」 米国務次官補が表明…47NEWS(よんななニュース)
http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021301000168.html
共同ニュース > 記事詳細

 【12日、ワシントンの国務省でインタビューに応じるキャンベル米国務次官補(共同)】

「オバマ・小沢会談実現に全力」 米国務次官補が表明

 【ワシントン共同】キャンベル米国務次官補(東アジア・太平洋担当)は12日、ワシントンの国務省で共同通信とのインタビューに応じ、民主党の小沢一郎幹事長が訪米の条件としているオバマ大統領との会談に関し「米政府の最も高いレベルと対話できるよう、あらゆる努力を惜しまない」と述べ、実現に全力を尽くす考えを表明した。

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題では、キャンプ・シュワブ沿岸部(沖縄県名護市)に移設する現行計画が最善策と強調したが、日本側提案にも「耳を傾ける」と柔軟姿勢も示した。

 与党幹事長が訪米して米大統領との会談が実現すれば極めて異例。対日政策を担うキャンベル氏が、鳩山政権の実力者である小沢氏を重視する姿勢が鮮明になった。キャンベル氏は鳩山政権が普天間問題の決着期限とする5月末の前に当たる、4月下旬からの大型連休中の訪米を求めている。

 キャンベル氏は小沢氏を「日本の政治家で最も重要な一人。敬意を表するため(訪米実現に)全力を尽くす」と強調。小沢氏ら民主党議員団の訪米を「大歓迎する」と述べ、近くワシントンへの公式な招待状を送付する考えを示した。

2010/02/13 11:27 【共同通信】

 02 18 (木)  連理の枝 

歳をひろってくると、だんだん気が弱くなってくるといいます。 気が強いときには自己主張が強く、相手の立場をそのままに聞き入れないことが多いのです。 歳をひろうと気が弱くはなりますが、相手の立場をそのまま聞き入れることができるようになるとも言えるのです。

人はもともと孤独なものです。 論理的には理解していても、孤独同士のふれあいとなると、どうしても自己中心のわがまま勝手な考え方になってしまうものです。 孤独同士であるんなら、相手の立場をそのまま聞き入れることができるというのが、道理です。

妻も歳をとりました。 お互いに歳をとりました。 お互いに感謝という気持ちが通じ合うようになりました。 それでも老生は自己本位におちやすいと思います。 妻には感謝しております。 長年連れ添ってくると我が儘な自分が恥ずかしく、感謝の気持ちはだんだんと深くなってきます。

「低処高思」これは諏訪中州生まれの岩波茂雄が、神田神保町に「岩波書店」を開業したときのモットーだといいます。 ‘低きところにありて高きを思う’と読めばいいのであろう。

たとえ、人中にでて自分の思いを多くの人に伝えなくとも、自らの心の中に自己主張を築きあげることこそ大事なことであろうと思います。 幸せというのは最小限の夫婦二人の心の絆が深ければ深いだけ人としての幸せだろうと思います。

. 連理の枝 .

朝ドラの‘ウエルかめ’を見ていたら、年寄りのお婆ちゃんが「連理の枝」を説明する場面がありました。 懐かしい言葉でした。 お年寄りになって初めて実感した言葉で人様に話せる言葉だと思いました。 人と人との絆はどんなことでも信頼し感謝できるようになって成り立つものだということが、長い風雪に耐えてきてしみじみ理解できます。

この大事な言葉をパソコンで調べました。

白楽天の漢詩「長恨歌」の一節にある男女の仲睦まじい様を表す比喩。 違う根から生えた木の枝が、何故かつながっている様を言う。
同様の比喩に比翼の鳥がある。
「天にありては比翼の鳥となり、地にありては連理の枝となる」

比翼の鳥】  (1)中国での、想像上の鳥。雌雄が各々つばさと目を一つずつもち、つねに雌雄一体となって飛ぶという鳥。
         男女の仲の深いこと、愛情がこまやかなことをたとえていう。羽を交(かわ)せる鳥。比翼

連理の枝】  連理とは一本の木の枝が他の木の枝と相連なって、一本の木のように木目が同じになることで、連理となった枝。
         類 : 比目の魚 
         ・連理の契 男女の間の、極めて親密な、永遠に変わらない契り。
         ・連理の枕 深い契りを込めて寝ること。

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ブログより

   それは七月七日の長生殿、誰もいない真夜中に親しく語り合った時の言葉だった。
   天にあっては願わくは比翼の鳥となり、地にあっては願わくは連理の枝となりましょう、と。
   天地は悠久といえどもいつかは尽きることもある。でもこの悲しみは綿々と続いて絶える時はこないだろう。
                                                       ―長恨歌より―

清少納言の「枕草子」に「御寺といへば泉涌寺」と出てまいりますが、こちらは、御寺(みてら)・皇室と縁の深いお寺で、多くの天皇の葬儀が行われ、月輪陵に眠っておられます。

 仕事でも今まであまり行ったことがなく、夜間拝観も初めてなのですが、これが、素晴らしかったです。
 仕事上、お寺の夜間拝観など見慣れているのですが、今までになく感動してしまいました。門をくぐり坂の参道の下にライトアップされた本堂を見て、その荘厳さに立ち止まってしまい見とれました。

 コンサートも開放した場所で行われて、音楽が響き渡り、参道を花燈籠が照らし、日常を忘れ、闇と明かりに酔いました。

 天皇達が眠る夜の月輪陵も、静かで、本当に静かで、素晴らしかった。
 そしてこちらには「楊貴妃観音」があります。

 玄宗皇帝が楊貴妃を想い彫ったという伝承がある、大陸より伝わる観音様です。
 楊貴妃観音を見て、その美しさと柔らかい表情に私は合掌するのも忘れて見惚れてしまいました。

 冒頭に引用したのは白楽天の「長恨歌」です。

 唐の玄宗皇帝は、五十歳を過ぎてから、楊貴妃を愛し、溺れ、国が乱れ、その結果、側近たちが楊貴妃を殺すように進言し、玄宗はそれにやむおえず従い、楊貴妃は首を絞められ命を絶たれます。
 その悲恋を唄った詩が「長恨歌」。源氏物語など、日本の古典にも登場します。
 美しく悲しい漢の字の羅列ですので、一度ご覧になって下さい。

 泉涌寺の楊貴妃観音は、微笑みを湛え、華やかで、もし玄宗の眼に見えていた楊貴妃の姿がこれならば、なんて崇高な姿だったのだろうと思う。
 いや、その手をすり抜けて、遠い世界に若く美しいままで去っていったからこそ、この姿なのか。
 手の届かない世界に、好きな人が消え去ること。
 「美しいままで思い出が残る」そう言えば聞こえはいいけれど、それは所詮他人が唱える奇麗ごとに過ぎない。
 老いて、皺皺のおばあちゃんになっても、共に手を繋いでいきていく方がいい。
 ましてや玄宗は、自らが楊貴妃を死に追いやったようなものだ。
 悲しみを身に纏った楊貴妃観音は、笑みを湛え、夜に佇んでいた。

 泉涌寺、付近の様々なお寺も公開しておりまして、どれこもれこ素晴らしかったです。平家物語、壇ノ浦の扇の的で有名な那須与一の墓がある即成院、や、東山の夜景が見事な秘田院、後水尾天皇の命を救った丈六釈迦如来の戒光寺なども良かったです。

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長恨歌(Googleより)

長恨歌(ちょうごんか)は、中国・唐の時代、白居易によって作られた長編の漢詩である。唐代の玄宗皇帝と楊貴妃のエピソードを歌い、平安時代以降の日本文学にも多大な影響を与えた。806年(元和元年)、白居易が??県(陝西省周至県)尉であった時の作。七言古詩(120句)。

あらすじ
漢の王は長年美女を求めてきたが満足しえず、ついに楊家の娘を手に入れた。それ以来、王は彼女にのめりこんで政治を忘れたばかりでなく、その縁者を次々と高位に取り上げる。

その有様に反乱(安史の乱)が起き、王は宮殿を逃げ出す。しかし楊貴妃をよく思わない兵は動かず、とうとう王は兵をなだめるために楊貴妃殺害を許可する羽目になる。

反乱が治まると王は都に戻ったが、楊貴妃を懐かしく思い出すばかりでうつうつとして楽しまない。道士が術を使って楊貴妃の魂を捜し求め、苦労の末、ようやく仙界にて、今は太真と名乗る彼女を見つけ出す。

太真は道士に、王との思い出の品とメッセージをことづける。それは「天にあっては比翼の鳥[1]のように」「地にあっては連理の枝[2]のように」、かつて永遠の愛を誓い合った思い出の言葉だった。

   臨別殷勤重寄詞・・・・・別れに際し、ていねいに重ねて言葉を寄せた。
   詞中有誓兩心知・・・・・その中に、王と彼女の二人だけにわかる誓いの言葉があった。
   七月七日長生殿・・・・・それは七月七日の長生殿、
   夜半無人私語時・・・・・誰もいない真夜中に親しく語り合った時の言葉だった。
   在天願作比翼鳥・・・・天にあっては願わくは比翼の鳥となり、
   在地願為連理枝・・・・地にあっては願わくは連理の枝となりましょう、と。

   天長地久有時盡・・・・・天地は悠久といえどもいつかは尽きることもある。
   此恨綿綿無絶期・・・・・でもこの悲しみは綿々と続いて絶える時はこないだろう。

楊貴妃(ようきひ、719年(開元7年) - 756年7月15日(至徳元載(元年)6月16日))は中国唐代の皇妃。姓は楊、名は玉環。貴妃は皇妃としての順位を表す称号。玄宗皇帝の寵姫。玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと言われたため、傾国の美女と呼ばれる。古代中国四大美女(楊貴妃・西施・王昭君・貂蝉)の一人とされる。現代でも世界三大美女の一人とされている。(クレオパトラと楊貴妃に、ヘレネ(日本では小野小町)が加わる)。実際は太っていたという説もある。