02 19 (木) エコもだが「マルサスの人口論」も重要議題の一つです |
02 20 (金) ‘心の宿の宮城野よ’ |
一家の窮状を見かねた父が突如として家を出てしまったのだ。 蒸発である。啄木はその日の日記に「我家の記録の中で極めて重大な一日であった」と綴り、「一家は正に貧といふ悪魔の翼の下におしつけられて居る」と書いた。これではリアリズムにめざめるしかなかったろう。 学校をやめた啄木は北海道へ行くことを決意する。 節子と生まれて5カ月の乳飲み子(京子)を盛岡の実家に戻し、妹を小樽の姉の家に行かせることにして、函館をめざした。まさに絵に描いたような一家離散だった。22歳になったばかりの啄木は、函館青柳町の松岡蕗堂のところへ転がりこんだ。 明治40年5月4日のことである。 |