03 08 (月) ‘フロンティアWindows7’の導入 |
親鸞 京都のお寺によく貼ってあります。 『明日ありと、想うこころの、仇桜、夜半に嵐の、吹かぬものかは』 これは、親鸞聖人が、9歳の時、得度される前夜に詠まれた歌と聞いています。9歳でこんな歌が出て来るとは信じ難いですが『明日桜を見ようとしても、夜に嵐が来て、桜は散ってしまうかも知れない、桜の運命と同様、明日の事は私達人間には分らないのですから、今、得度させて下さい』と言う松若丸(親鸞の幼名)の心情を表わしたものであると言われています。 下のほうが・・・ 親鸞聖人は九歳で出家をされました。聖人は貴族の出身でしたが、下流貴族で、父母を亡くし生活にも困窮していたといわれています。出家の動機は今では想像するほかありませんが、その時のエピソードとして、こんな話しが伝えられています。 聖人が得度(僧侶になること)するために青蓮院(ショウレンイン)の慈円和尚のもとを訪れた時、すでに夜は更けていました。得度には時間もかかりますし、たくさんのお弟子を集めなければなりません。「もう遅いから明日にしよう」といった慈円和尚に、わずか9歳だった親鸞聖人は和歌を詠んで答えたといいます。 明日ありと 思う心のあだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは 「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」という聖人のそのことばに心打たれ、慈円和尚はすぐに得度の手配をされたということです。 |
03 09 (火) 糖尿の検査 ●明治の女傑 |
03 15 (月) 黄塵万丈 |
「中国は白髪三千丈の国だから……」は馬鹿げている。イカサマ本の無知を露呈しているに過ぎません。白髪三千丈の意味を理解しているのか疑問ですので、李白の「秋浦歌」を提示します。 ---引用開始-------- 『秋浦歌(其十五)』李白 白髮三千丈 縁愁似箇長 不知明鏡裏 何處得秋霜 ---引用終了-------- 漢詩を知らない人の解釈は恐ろしい…… (Wikipediaの白髪三千丈)の解釈は若干の誤りがあり補足します。 そもそも、李白ほどの詩人が「白髪が10kmも長くなった」なんてバカなことを言うはずがありません。 【三千】漢詩では具体的数値を表現しているのではなく、多い数字の例えとして使われるものです。なぜ、三千なのかと言えば数字の中で平声は【三】と【千】しかありません。 日本語の思考回路では理解できませんが、李白は詩の美しさ(響き)を大切にしたのです。 (例:) 堯沒三千歳 堂中各有三千士 飛流直下三千尺 燕趙美女三千人 これらは数字の「3000」を表しているのではなく、「たくさん」という意味です。 日本語の【八百】のようなもので「嘘八百」「八百会」或は万葉集の「八百日」と同じ意味と考えると解りやすいと思います。 李白、個人の詩を引用して国家を論ずること自体がナンセンスだと思います。 まあ日本の漢文と中国の漢詩は違うということでようか、私は高校の漢文の授業の時に、【老虎】を「老いた虎」と習いました。本来の意味は「獰猛な虎」「強い虎」という意味なんですけどね。 |
丈(じょう)は、尺貫法における長さの単位である。 1丈は10尺と定義されている。日本では、明治時代に1尺=(10/33)メートルと規定されたので、1丈は約3.03メートルとなる。中国では1尺(市尺)=(1/3)メートルなので、1丈(市丈)は約3.33メートルである。 丈は古代中国に由来する。「丈」は長い棒を手に持った形をかたどったものであり、そこから身長、身の丈(みのたけ)を表すようになった。「丈」は元々は成人男性の身長を基準とした身体尺であったと考えられる(「丈夫」は元々は身長1丈の男の意で、そこから一人前の男の意となった)。当時の尺は約18センチメートルであり、丈は尺と関連づけられてその10倍の長さとされた。尺の長さが当初の倍近くになったため、丈も人の身長の倍程度となった。日本では大宝令以前から用いられてきた。 近い長さの単位に間(けん。1間=6尺)があるが、間が土地の測量や距離の計測に用いられたのに対し、丈は物の長さを計るのに用いられた。転じて、「丈」(たけ)は物の長さという意味にもなっている。 また、1丈四方の面積のことを方丈(ほうじょう)と言い、その広さの部屋や建物の事も方丈と言った。 丈(たけ) 丈(たけ)は、人や物の高さのこと。例:身の丈 |
03 18 (木) 社説 「政権交代から半年―新たな政治の芽を育てる」 |