08 13 (金) NHK解説副委員長、報道番組「日曜討論」の司会を担当していた影山日出夫さん局内トイレで縊死 |
NHK「日曜討論」司会、影山日出夫氏が自殺未遂 NHK解説委員室副委員長で討論番組「日曜討論」の司会を務めている影山日出夫さん(56)が11日夕、東京・渋谷のNHK放送センター内のトイレで首をつった状態で、ぐったりしているのが見つかった。病院に運ばれたが、意識不明の重体。一時、心肺停止となった。警視庁代々木署は自殺を図ったとみている。 トイレは8階で解説委員室の近く。TBSの報道によると、午後5時半ごろ、個室のフックにネクタイをかけ首をつっている状態で見つかった。 職場の机に遺書らしきものがあったため職員らが探していた。 影山さんは76年に入局。政治部記者などを経て、現在は政治担当の解説委員を務めている。最近では今月1日に「日曜討論」の司会を担当。テーマは「ねじれ国会」。この2日前の7月30日には解説委員室のブログで、ねじれ国会について「間合いの取り方が1つの注目点」「大事なのは国民生活を第一に考えて協調していこうという姿勢。(中略)歩み寄りの知恵がこれからのねじれ国会でも出てくることに期待したい」とつづっていた。ブログにはその後、書き込みはない。 NHK広報局では「事情がよく分からないので、コメントできない」としている。 影山日出夫さん死亡…「最近、ふさぎ込みがちだった」 東京都渋谷区のNHK放送センター内で11日に首をつった状態で見つかったNHK解説委員室副委員長の影山日出夫さん(56)が12日午後4時40分、搬送先の都内の病院で死亡が確認された。家族とNHKにあてた遺書が1通ずつ見つかり、警視庁代々木署は自殺とみている。通夜、葬儀は未定。 影山さんは11日夕、病院に運ばれ、意識不明の状態が続いていた。最期は家族や同僚らが見守る中、静かに息を引き取った。 NHK広報局は「プライベートなことまでは分からない。(首をつった理由を)調べることもしない」としている。 関係者は「最近、悩み事を抱えふさぎ込みがちだった」と証言。別の関係者は「影山さんは出世を望むタイプではなかった。自分の専門が生かせる解説委員室で約10年活躍していたわけですから、仕事関係の悩みではなかったはず」と話した。 影山さんは京都府生まれ。早大卒業後の76年、NHKに入局。最初の赴任地は福岡放送局。記者クラブ仲間とともに宝くじを購入したところ1等だった1000万円が当たり、局内で時の人になったことがあるという。当時福岡放送局の上司だった海老沢勝二元会長(76)の目に留まったことなどで82年に報道局政治部へ。以来、政治部一筋で、主に自民党福田派(現在の町村派)の取材を担当。「日曜討論」(日曜前9・00)では司会を務めた。進行のうまさに定評があり、同番組では各政党に時間をうまく振り分け、政治家からの信頼も厚かった。 [ 2010年08月13日 ] |
2010/08/13 13:48 巷間では最初から自殺偽装説が主流である。 NHK影山日出夫解説委員(56)が自殺図り重体 政治全般を担当 『日曜討論』の司会務める http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1281540758/-100 ≪『NHK解説委員・長谷川浩氏の変死事件』 2001.10.15日、「9.11事変直後のNHK解説委員主幹・長谷川浩さん(55)の変死事件」が発生している。長谷川氏は、東京都渋谷区神南のNHK放送センターで転落死していたことが、17日分かった。≫ よく見つけてきたな。 彼の時はNHK放送センターから転落死。 ≪内閣官房機密費 ≫ 政治がらみだとこれしかないですよね。 (参照リンク) 官房機密費に群がる御用言論人実名が明らかに http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/post-eb21.html あの植草一秀氏も怒ってますね。 ≪まず機密費をもらったことがバレたことが苦になってだろうな。≫ これは自殺説ですね。 (参照リンク) 「上杉を潰せ」官房機密費追求のジャーナリストに降りかかる恐怖の日々 http://news.livedoor.com/article/detail/4799894/ ≪元官房長官だった野中広務の「官房機密費」問題が波紋を呼んでいる。 野中がテレビ番組や沖縄での講演などで、「(官房機密費は)政治評論をしておられる方々に、盆暮れにお届けするというのは額まで書いてありました」「返してきたのはジャーナリストの田原総一朗氏だけ」などと暴露したことが発端だ。 野中発言は一斉に報道されたが、その後評論家の実名などを含め深く追求するメディアはほとんどない。≫ 発表されるとまずい御仁も大勢いることは確かだ。 ≪今テレビ局では凄いことが起きてる 親日の日本人が報道姿勢に疑問を投げかけると配置転換なり子会社左遷なり、ついに恐怖体制になりつつあると ローカル局の技術系の人が言っていた。≫ 信憑性が高そうな話ですね。 ≪仕事場のトイレで自殺って、のりPの昔のマネージャーと同じじゃ? ≫ Wikipediaにこんなのがありました。 自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E6%AE%BA%E3%83%BB%E8%87%AA%E6%B1%BA%E3%83%BB%E8%87%AA%E5%AE%B3%E3%81%97%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E8%91%97%E5%90%8D%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7 NHK局内で首つり自殺を図った影山日出夫さんが死亡 享年56 http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1281602229/ ≪そりゃNHKの解説委員が官房機密費貰ってたのがバレたら懲戒免職じゃ済まない。NHK会長以下幹部全員の首が飛ぶ。 つかNHKの政治部は森喜朗総理会見の指南書を作ってたことがバレたことがあったよね。 あの頃から既に癒着してたんだろうな。 政治家寄りどころか、一心同体ではないかという事件も発覚した。 五年前、森喜朗首相(当時)の「神の国」発言をめぐり、その釈明会見の「指南書」が内閣記者会で見つかった。NHK側は否定しているが、NHK記者が書いたのではとうわさされた。 NHKと政治 † http://note.masm.jp/NHK%A4%C8%C0%AF%BC%A3/ ≫ 単に口封じだけではなく、NHKに対する見せしめ説も考慮する必要がありそうだ。むしろこれのほうがNHKトイレ内で「あえて自殺した」辻褄が合う。 (参照リンク) 官房機密費訴訟、「爆弾証言」は飛び出すのか否かと日刊ゲンダイ http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1275380260/-100 ≪「官房機密費」問題があらためて話題を集めている。自民党の野中広務元官房長官や、平野貞夫元参院議員らが相次ぎ「政治評論家に配った」「政治部記者の遊興費に使った」と衝撃告白しているためだ。そんな中、官房機密費をめぐる注目裁判が今夏、大阪地裁で開かれる。すべてを知る現役官僚が、法廷で初めて証言台に立つのである。 (中略) 官房機密費の表も裏も知り尽くした現役官僚の出廷に、関わった政治家、評論家、新聞記者は戦々恐々だろう。洗いざらいブチまけられれば、メディアを揺るがす一大スキャンダルに発展する。 「とはいえ、機密費を扱う要職に上り詰めた官僚が簡単に口を割るとは思えません。まして現役ならなおさらです。千代氏は秋田県に出向していた時、県主催の懇談会の場所や相手方の公開を求める公文書公開の答申に対し、企画調整部長として一部拒否の方針を示した過去もあります」(大阪地裁担当記者) 「爆弾証言」は飛び出すのか否か。8.13は注目である。≫ マスコミのはしくれだけにゲンダイさんもいろいろ知っているようだ。 自殺・他殺もはっきりしない現状だが、影山日出夫氏のご冥福をお祈りします。 関連ニュース 影山さん自殺未遂 NHK「異変あったとは聞いていない」 (08/12 07:28) 自殺図った影山NHK解説副委員長が死亡 (08/12 17:34) NHK影山解説委員死去、関係者絶句「まさか自殺するとは」 (09:50) 2010/08/13 13:49 NHK解説委員影山日出夫氏が職場で謎の死を遂げた。事件現場に最も近いのはNHKだったが、NHKは公共放送としての義務を果たさず、事実を隠蔽し続けている。そのため様々な憶測を呼んでいる。 影山日出夫さん死亡…「最近、ふさぎ込みがちだった」 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2010/08/13/05.html 唐突な「自殺」に不審の声が広がっているが、自殺ならば鬱病による発作である可能性が高い。しかし、影山氏に鬱病の兆候があったという確証はない。 一部報道では遺書らしきメモがあったとされているが、NHK広報部は「メモの内容はプライバシーに関することで、答えられない」とその内容を隠蔽されており、ますます自殺が疑わしい状況になっている。 NHK解説委員の「自殺」 なぜ局内を選んだのか (J-CAST) http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_obituary__20100813_27/story/20100812jcast2010273367/ 最大の謎は、「どうして局内で自殺をしたのか?」ということである。 職場での自殺というと、どうしても仕事上でのトラブルを連想させる。 NHK内における影山氏の立場は順風満帆そのものだったように見受けられる。NHKの中では明らかに勝ち組だ。その分ストレスはあったとは思われるが…。 自殺の理由など人様々だから仕事上の勝ち組であっても、他の要因で自殺したくなることもあるだろう。一番可能性が高いのは病苦だが、それ以外にも介護疲れとか多額の借金とか家族の不行状、自身の不倫などが考えられる。 しかし、これらが原因ならあえて局内で自殺する理由にはならない。しばらくしてから原因がこれらの理由だったと報道されれば、「後出しの理由付け工作」ということで、「組織的な犯行による他殺であった」と断定していいだろう。 自殺手段はトイレの個室ドアのフックにネクタイをリング上に結び、そこに首を吊るというものだった。 発作的以外には通常あり得ない稚拙な自殺手段である。しかし、それだと遺書らしきものの存在がひっかかる。遺書を用意して発作的に自殺ことなどあるだろうか? 覚悟の上の自殺ならば、最初から局内のトイレで自殺を計画していたのだろうか? どうしても自殺場所を局内にこだわるのならば、もっと確実に死ねる方法があったはずである。 たとえば飛び降りだ。 影山氏は「紳士」だから他人を巻き添えにするような自殺手段を避けた可能性もあるが、局内で自殺すること自体がNHKに多大な迷惑を与えることになる。とすると、「怨恨」説が俄然有力になってくる。 NHKに恨み辛みがあり、嫌がらせのつもりで自殺を図った。しかし、他人には迷惑を及ぼしたくないので、他人の巻き添えが少ない自殺手段を選んだ。 こうも考えられるが、実際に未遂状態になってしまったことでも解るように、落差の少ない場所での首吊り自殺は賢い自殺手段とは言い難い。影山氏ほどのIQの持ち主なら、もっと確実な巻き添えのない自殺手段を知っていたはずである。私でさえ瞬時にいくつかの手段を思いつくが、すぐまねするバカもいるから紹介しないでおく。 自殺説よりも他殺説を考えた方よさそうだ。しかし、他殺だったらかなり手の込んだやり方である。自殺に偽装しているからである。 そして、手段が首吊り偽装というのはプロの犯行の可能性が高い。 「秘書 自殺」で検索すれば解るように、口封じの常套手段は首吊り偽装である。首吊りは統計的に男性の自殺手段の70%近くを占めるので不自然さが少ない。手口が単純なので偽装しやすくバレにくい。などのメリットがあるので多用しているものと思われるが、こればっかりだと少し芸がない。 殺害対象がもっとグレードの高い政治家だと、病死や突然死も増えてくるが、これだと準備工作が大がかりになり費用もかさむ。 偽装殺人にもいろいろな料金コースがあるみたいだ。 今回は「自殺死体」で発見されたのではなく、「未遂」状態で存命中に発見された。結果的には死亡してしまったが、これはどう解するべきだろうか? 他殺だったと仮定すれば、「殺し方が下手だった」「より自殺をリアルにみせるための高度なテクニックを使った」のいずれかということになる。 自殺偽装するためには本人の身体を拘束する必要がある。最もポピュラーなのはアルコールである。酩酊状態にして吊すのである。更に薬物を混入させればより確実だが、安っぽい薬物だと司法解剖でばれてしまうリスクを伴う。 今回の場合は状況的にアルコールは使用していなかったと思われる。ということは薬物のみで意識を奪ったことになる。勿論司法解剖時には痕跡がなくなる性能があるものという条件だが…。 ということは、「薬物反応が消えるまでは存命していた方が都合がいい」とも考えられる。 今まで日本国では「秘書の自殺が偽装で犯人が逮捕された」などということは一度もない。これは警察もグルなら簡単に起こり得る。警察も荷担しているなら、司法解剖もヘッタクレもなくなる。 先進諸国で政治関係者がこれほど大量に不審死する国など近年では他に例を見ない。 日本は自殺すると変死扱いされ、他殺を自殺に偽装されてしまう国なのである。 そして、行方不明になれば「長寿者」になり、家族は末永く年金が貰える。 |
08 17 (火) 熱中症の注意連続 いつまで対米従属は続くのか? |
【問い】 日本は世界一アメリカの国債を買っているらしいですが 2010-06 日本は世界一アメリカの国債を買っているらしいですが利子無しでしたよね? しかも日本の財政が厳しい時売ろうとしても逆に円高ドル安になり過ぎて逆効果になって売ろうにも売れないですよね? これはもうアメリカにお金を上げたのと同じなのではと思ったのですが… アメリカと同化しているようなイメージ? マメリカの国債を沢山所有する事にどういうメリットがありますか? 【答え】 大量の米国国債を抱える日本にとって、円高が1円進むと1兆円の損失がでることになります。 なので日本はリーマン・ショック以降、約30兆の損をだしている事になります。 かつては下町国家であった日本が、城下町アメリカに商品を売って、そして通貨価値の高い城下町ドルを受け取る事で、日本の高度経済成長がなされました。しかし徐々に下町国家も豊かになり城下町と変わらないほどの経済水準になり下町国家の円も大差ない通貨価値になりました。そのため、かつてのような日本政府が為替市場で大量の円を売りドルを買かって、円安誘導をして下町企業の儲けを手助けするという行為がほとんど意味をなさないどころか政府が損失を抱えるだけというぐらいの状況です。 また現在では米国が世界で唯一の超大国経済大国という状況ではなくなったため、ドル円相場だけをみて為替介入や経済判断を行っていると自体を大きく見誤るような状況です。とはいっても以前より存在感が小さくなったにせよまだまだ米国が経済大国である事には変わらないので、急激な為替変動には米国政府と協調して対応する必要があるでしょう。 また2000年付近、原油はバレル20ドル前後でした。対して現在は70ドル80ドルという状況で、他の資源、レアメタルなども大幅に高騰しています。かつて日本の経済成長をリードした輸出産業は、海外から安い資源を買ってきて、それを加工し販売し発展するというビジネスモデルでした。が、現在、世界では"資源は高いもの"となっており、かつての日本のビジネスモデルは崩壊しています。このためバブル崩壊後の平成不況とも相まって、日本ではデフレが続いているのです。 "資源は高いもの"となっている世界では、むしろ円高介入があっても良いぐらいの状況であるわけです。あるいは実際には米国との関係から難しいでしょうが、米国債を売ってその資金でWTIに介入して原油安へ誘導するなんて事も考えられるかもしれません。 もう前提として円安誘導してもメリットなどほとんど皆無と理解すべきでしょう。 |
08 18 (水) 15日、16日の朝日新聞社説がおかしい |
2010年8月15日(日)付 65回目の終戦記念日―「昭和システム」との決別 脚本家の倉本聰氏作・演出の舞台「歸國(きこく)」が、この夏、各地で上演されている。8月15日未明の東京駅ホームに、65年前に南洋で戦死した兵士たちの霊が、軍用列車から降り立つ。 「戦後65年、日本はあの敗戦から立ち直り、世界有数の豊かな国家として成功したんじゃなかったのか」「俺(おれ)たちは今のような空(むな)しい日本を作るためにあの戦いで死んだつもりはない」 ■もうひとつの戦後 劇中の「英霊」ならずとも、こんなはずでは、と感じている人は少なくないだろう。戦後、日本は戦争の反省に立って平和憲法を掲げ、奇跡と呼ばれた経済成長を成し遂げた。なのに、私たちの社会は、いいしれぬ閉塞(へいそく)感に苛(さいな)まれているように映る。 日本は昨年、戦後初めての本格的な政権交代を経験した。55年体制からの脱皮は数多くの混乱を生んだ。 民主党政権は、政治主導という看板を掲げて舞台に立った。事業仕分けや事務次官会議の廃止など一部で成果を上げはしたが、まだ見えない壁の前でもがいているかのようである。 この分厚い壁とは何か、いつ作り上げられたのか。 米国の歴史家、ジョン・ダワー氏は近著「昭和 戦争と平和の日本」で、官僚制は「戦争によって強化され、その後の7年近くにおよぶ占領によってさらに強化された」と指摘する。同様に、日本型経営や護送船団方式など戦後の日本を支えた仕組みの多くは、戦時中にその根を持つ。 「八月やあの日昭和を真つ二つ」(8月8日 朝日俳壇)。この句の通り、私たちは戦前と戦後を切り離して考えていた。だが、そんなイメージとは裏腹に、日本を駆動する仕組みは敗戦を過ぎても継続していた。ダワー氏はこれを「仕切り型資本主義」と呼ぶ。軍と官僚が仕切る総動員態勢によって戦争が遂行されたのと同じやり方で、戦後も、社会は国民以外のものによって仕切られてきた。 政権交代は、55年体制が覆い隠してきた岩盤に亀裂を作ったといえるだろう。天下り利権や省益を守ることに傾斜してしまう官僚組織、積み上がるばかりの財政赤字。いまや、仕切り型資本主義が機能不全に陥っていることは誰の目にも明らかとなった。 外交・安全保障も同様だ。普天間基地移設の迷走、そして日米核密約問題は、憲法9条の平和主義を掲げながら沖縄を基地の島とし、核の傘の下からヒロシマ、ナガサキの被爆体験を訴えてきた戦後日本の実相と、今後もその枠組みから脱するのは容易ではないという現実を、白日の下にさらした。 割れ目から顔を出したものは、私たちが目をそむけてきた「もうひとつの戦後」だった。 ■任せきりの帰結 日米安保条約改定から半世紀の今年、ドキュメント映画「ANPO」が公開される。映像は安保改定阻止の運動が何を問おうとしたのかを追う。 銀幕で人々は語る。「民主主義は私たちが守らなくちゃ。国は守ってくれないんだ」。戦争の記憶が生々しかった1960年当時、日本人の多くは、平和と民主主義を自らのものにするにはどうしたらいいか、問うた。たとえ失敗に終わろうと、歴史の主人公になろうとした一瞬があった。 だが、多くの人々が胸にかかえた問いは、その後の経済成長にかき消され、足元に広がった空洞は物質的な豊かさで埋められた。映画を監督した日本生まれの米国人、リンダ・ホーグランド氏は言う。「当時の日本人の顔は今とは違う。彼らはどこから現れ、どこへ行ったのでしょう」 冷戦下、西側の一員として安全保障と外交を米国に頼り、経済優先路線をひた走るという「昭和システム」は、確かに成功モデルだった。だが、時代が大きく変化した後も、私たちはそこから踏み出そうとはしなかった。 「仕切り型資本主義」は「人任せ民主主義」とも言い換えられる。任せきりの帰結が、「失われた20年」といわれる経済的低迷であり、「顔の見えない日本」という国際社会の評判だ。 ■生きてるあなた 「敗戦忌昭和八十五年夏」(7月26日 朝日俳壇)。戦後65年にあたって考えるべきは、戦争を二度と繰り返さないという原点の確認とともに、「戦後」を問い直すことではないだろうか。それは「昭和システムとの決別」かもしれない。 家族や地域といった共同体の崩壊や少子高齢化によって、日本社会は昭和とはまったく相貌(そうぼう)を変えている。グローバル化が深化し、欧州連合の拡張で国民国家の枠組みすら自明のものではなくなる一方で、アジアでは、中国の台頭が勢力図を書き換えつつある。昭和の物差しはもう通用しない。 「ANPO」の挿入曲「死んだ男の残したものは」(谷川俊太郎作詞、武満徹作曲)は、こう歌う。 死んだかれらの残したものは 生きてるわたし生きてるあなた 他には誰も残っていない 政権交代は、小さな一歩に過ぎない。政治主導とはつまるところ、主権者である国民の主導ということだ。 過去の成功体験を捨て、手探りで前に進むのは不安かもしれない。だが、新しい扉を開くことができるのは、今の時代に「生きてるわたし生きてるあなた」しかいない。 党首選のあり方―政権交代時代にあわない 民主党の代表選が9月に行われる。目前に迫ってくる前に、党首の選び方のそもそも論を考えておきたい。 今回の民主党代表選になにか釈然としない思いを抱く人も少なくないと思う。疑問は大きく二つあるだろう。 仮に菅直人首相が敗れれば、新代表が首相になる。毎年のように首相が代わったあげく、今度は3カ月でお払い箱か。こんなに短命政権続きで日本は大丈夫か。それが、疑問の第一だ。 次に、菅氏は先の参院選で自民党に敗北しても首相を辞めなかったのに、なぜ一政党内の手続きにすぎない投票の結果次第で首相を辞めなければならないのか。それが第二の疑問だ。 むろん9月の代表選は公明正大にやってもらおう。それとは切り離して、今後の党首選のあるべき姿を今から議論しておくことは有益だと考える。 日本の首相は大変である。政権を維持するのに乗り越えなければならないハードルが実に多い。政権選択がかかる総選挙、中間評価としての参院選、それに加えて党首選も、だ。どれも、しくじったら退陣に追い込まれかねない正念場である。 永田町の抗争局面である「政局」がほとんど毎年のように首相を脅かす。これでは内政外交の重要課題に腰を据えて取り組むどころではない。 代表選をにらんで党内を刺激しないよう気を使い、精彩を欠く菅首相の現状はその象徴だろう。 ハードルの多さが政権を弱体にし、ひいては短命政権の連続にもつながる。日本政治が急いで解決しなければならない宿題である。 自民党の一党支配が盤石だった頃、首相は党総裁選で事実上、決まった。総選挙を通じた政権交代など想像できない時代だったから、それが通った。 いまは、有権者が総選挙を通じて新しい首相を直接指名し、政権交代を起こしうる時代になった。 総選挙よりも党内手続きを優先し、党の都合で首相を交代させる従来のやり方は正当性を失ったといっていい。 有権者が「自分たちで選んだ」という意識を持てない首相は、最初から基礎体力を奪われているに等しい。 小泉内閣後、総選挙を経ずに生まれた安倍、福田、麻生各内閣の発足時の内閣支持率は63、53、48%と、たらい回しの度に低下。昨年の総選挙で生まれた鳩山内閣は71%、菅内閣60%だ。 改革の方向ははっきりしている。 現状では党首の任期は総選挙の時期と無関係に決められているが、これを見直すことである。 民間有識者らがつくる「21世紀臨調」は、党首の任期を総選挙のサイクルと一致させるよう提言している。首相候補である党首は、原則として次の総選挙の前に選挙する。 現実的なアイデアだろう。 |
疑問だらけの16日付朝日新聞社説 - MSN産経ニュース - 2010.8.22 18:00 9月の民主党代表選で菅直人首相は再選されるのかどうか 16日付朝日新聞の社説「党首選のあり方 政権交代時代に合わない」を読んで、その論理があまりにも疑問だらけで、驚いてしまいました。社説といえばその新聞社の「主張」で、ベテランの専門記者である論説委員が会議などを経て執筆にあたりますが、とてもそうは思えない論理展開でしたので、今回はその社説を引用しながら、私の見解を述べたいと思います。 社説では「民主党代表選が行われる前に、党首の選び方のそもそも論を考えておきたい」と前置きし、「今回の民主党代表選になにか釈然としない思いを抱く人も少なくないと思う」としたうえで、2つの疑問を提起しています。 第1の疑問は「新代表が首相になる。毎年のように首相が代わったあげく、今度は3カ月でお払い箱か。こんなに短命政権続きで日本は大丈夫か」というものです。 確かに、政権の不安定な状態が続いていることは、国内的にも国際的にも良くないことですが、私はその最大の原因が党首選にあるとは思いません。自民党政権時代の安倍晋三、福田康夫両元首相は、参院での過半数割れで政権運営が困難になったことを理由に、自ら辞任しました。鳩山由紀夫前首相の辞任も、社民党の連立離脱で参院選を前にして、参院で問責決議案が可決されそうな危機的状況に陥ったためです。 これに限らず、宇野宗佑、橋本龍太郎の両元首相も参院選敗北の責任をとって辞任しました。つまり、日本の首相を短命にしてきた最大の要因は参院にあるといっていいのです。少なくとも平成になってから、党首選で敗れたために首相を辞任したケースはありません。朝日新聞社が首相の短命が問題だと考えるなら、参院改革こそ取り上げるべきではないでしょうか。 社説が示した第2の疑問は「菅氏は先の参院選で敗北しても首相を辞めなかったのに、なぜ一政党内の手続きにすぎない投票の結果次第で首相を辞めなければならないのか」ということです。 しかし、菅直人首相が参院選で大敗してもその直後に辞めなかったのは、まさに9月に代表選があり、そこで党内の審判を受けるということが前提だったからです。9月に代表選がなかったら、参院選直後に党内から責任を求める声が巻き起こって、すぐに辞任に追い込まれていたかもしれません。 9月の民主党代表選で菅直人首相は再選されるのかどうか また、「一政党内の手続きにすぎない投票の結果次第で首相を辞めなければいけないのか」という疑問についても、日本が議院内閣制であることを忘れてしまっているのではないかと思ってしまいました。 言うまでもありませんが、憲法上、首相は国会議員の議決で選ばれることになっています。国会議員が所属する政党で党首選が行われたら、その結果に従って、選ばれた党首を首相に指名するのは当然です。これがいけないというのは、憲法で規定された議院内閣制を否定することになってしまいます。 社説はこの2つの疑問に答える形で、「自民党の一党支配が盤石だった頃、首相は党総裁選で事実上、決まった。総選挙を通じた政権交代など想像できない時代だったから、それが通った。いまは、有権者が総選挙を通じて新しい首相を直接指名し、政権交代を起こしうる時代になった」とし、「総選挙よりも党内手続きを優先し、党の都合で首相を交代させる従来のやり方は正当性を失ったといっていい」と結論づけています。 衆院に小選挙区制が導入されたことによって、二大政党による政権交代可能な政治に近づいてきたのは確かですが、それをもって党首選による首相交代を「正当性を失った」とまでいうのは、これまた議院内閣制を否定する、あるいは理解していないとしかいいようがない論理です。 9月の民主党代表選で菅直人首相は再選されるのかどうか 総選挙は「政権選択の場」ですが、それはどの政党に政権を託すのかということ、つまり選択の基本的な主体は政党です。中選挙区制が廃止されて小選挙区制が導入されたのも、候補者から政党本位の選挙とし、二大政党による政権交代可能な政治にすることが目的でした。 その中で、どの党首が首相にふさわしいかは、有権者にとって投票先を決めるひとつの要素にすぎません。有権者はマニフェスト(政権公約)などを含め、総合的に判断して政権を託したいと思う政党や候補者に投票しているはずです。 朝日新聞社として、有権者が首相を直接指名するようにすべきだと考えるなら、憲法を改正して「議院内閣制」ではなく「首相公選制」とするよう、堂々と主張すればいいのではないでしょうか。 あるいは、総選挙の審判を受けていないのは菅首相も同じですから、「9月の民主党代表選でだれが選ばれようとも、衆院解散・総選挙で信を問うべきだ」と主張すべきだと思います。それならまだ論理の筋が通りますが、「党首選のあり方」という議論にしてしまうのはどうかと思います。 さらに、あぜんとしたのは、社説の締めくくりです。「改革の方向性ははっきりしている。現状では党首の任期は総選挙の時期と無関係に決められているが、これを見直すことである」とし、「首相候補である党首は、原則として総選挙の前にする」ことを提言しています。 社説は「現実的なアイデアだろう」と自画自賛していますが、全く逆で「非現実的」なことは明白です。衆院議員の任期は4年ですが、首相には衆院の解散権があり、総選挙はいつ行われるかわかりませんから、その前に各党が党首選を行うようにするということは、そもそも不可能なのです。 こうした疑問を、社説の筆者は書いていて抱かなかったのでしょうか。また、社説は他の論説委員や社の上層部もチェックするはずですから、内容の是非について意見は出なかったのでしょうか。不思議でなりません。 9月の民主党代表選で菅直人首相は再選されるのかどうか 社説はわざわざ、「むろん9月の代表選は公明正大にやってもらおう。それとは切り離して、今後の党首選のあるべき姿を議論しておくことは有益だと考える」とことわっています。しかし、読んでみて、結局主張したかったことは、菅首相を9月の民主党代表選で代えるのはよくないということかと感じたのは、私だけでしょうか。 その意図がありながら、直接的には書けないものだから、オブラートで包んで「党首選のあり方」という議論にすり替えたのではないかと、うがって考えてしまうような表現や論理展開が随所にみられるのです。 各党の党首選は、9月の民主党代表選に限らず、それぞれの政党が決めた規約にのっとって、それこそ公明正大に行われたらいいと思います。有権者はその経過や結果もきちんと見極めて、その政党を支持するかどうかを判断するはずです。結果としてどの政党が政権をとるかどうかは、来るべき総選挙で有権者が審判を下す、それに尽きると思います。 |
『戦争で死ぬ』ではなく『戦争で殺された』 TBS終戦ドラマSP『歸國』 演出・鴨下信一さん 2010年8月11日 朝刊 “昭和85年”の8月14日、TBSで終戦ドラマスペシャル「歸國(きこく)」(午後9時)が放送される。脚本は倉本聰さん、演出は鴨下信一さん(TBSテレビ相談役)で、ともに昭和10年生まれ。「僕らが、戦争が分かる最後の世代」という鴨下さんに、話を聞いた。 (宮崎美紀子) 「帰国って言葉自身がね、今の人と僕らではイメージが多分違う」 倉本さんが、こだわりの旧字体でつけた題名「歸國」について、鴨下さんはまずこう切り出した。 終戦直後の「帰国」とは、「復員」「引き揚げ」。「外地から戦争に敗れて帰ってくるというイメージなのね。今の人は分かっていないけど、兵隊さんたちは一様に『申し訳ない』って肩身狭くして帰ってきたの。帰国とはどういう言葉なのか、僕らの年代は知っている」 このドラマは、終戦から十年後に書かれた棟田博さんの「サイパンから来た列車」を基に、倉本さんが温めてきた企画。鴨下さんは、原作を雑誌の掲載時に読んだ。復員列車に乗って英霊が帰ってくる−。それだけで胸を打たれたという。 テーマはシリアスだが倉本さんの脚本は重層的にさまざまな生と死が描かれ、同世代しか分からない“いたずら”もたくさんあるという。例えばビートたけし演じる「大宮上等兵」は勝新太郎さんの映画「兵隊やくざ」の役名。ARATA演じる役者崩れの伍長が諳(そら)んじる「シラノ・ド・ベルジュラック」のせりふは、昔の演劇青年なら誰もが暗記していた。さらに、首をつって自殺した設定になっている伍長のため、ゴーリキーの戯曲「どん底」に出てくる「役者が首をくくったぞ」というせりふを書き足した。小池栄子演じるダンサーの衣装、音楽もこだわりぬいた。 「見てもらえば分かるけど全くのエンターテインメントですよ。僕はシリアステーマはシリアスにやらない」 それも「オールスターでやることに意味がある」。「戦争はシリアスだからノースターでいこうというのは誤解。演劇はそれでいいけど、テレビは違う。暗くて汚いのがシリアスだってのは僕は好きじゃない。そして、スターには、こういうものを演じる義務がある。発信力が強いんだから」 一番悪いのは戦争を「観念的」に描くことだという。 「戦争は悪いもの、戦争中は暗いものと観念で単純に割り切るから、芝居が煮詰まっちゃう。でも日本は戦争に関して非常に観念的な記憶しか残さなかった。実際の戦い、実際の銃後、実際の戦後の実感がないんだ。実感がある世代は僕らが最後。僕らより下は、戦争を描いても、やっぱり方向性がちょっと違うんだよね」 「戦争で死ぬ」という表現も大嫌いだという。「戦争で殺された」のだ。今回は、俳優の腹や首筋に醜い傷を付けた。「一瞬ドキッとするけど、そういうことを徹底しないと、『殺された』ことが伝わらない」 英霊たちは今の日本に何を思うのか。それは最後の秋吉部隊長の言葉を聞いてもらえばいいが、鴨下さん自身は「あまり現代への絶望にしたくない」という。 「霊は悲憤慷慨(こうがい)しない。だって、兵隊さんたちは『申し訳ない』って帰ってきたんだもん。僕がやりたいことは単純なんだよ。僕らの周りには霊がいっぱいいる。常に霊に見られているという自覚があれば、もう少し品格が正しくなると思うんだ。霊は怒らないけど、免罪符にはならない。もっと繊細な神経で霊たちの考えを受け止めてやる必要がある、それが僕の考え方ね」 ◆「歸國」あらすじ 八月十五日午前一時十六分、東京駅に秋吉部隊長(長渕剛)率いる「英霊」たちを乗せた軍用列車が停車。六十五年間、南の海に漂っていた彼らは、夜明けまでの数時間、思いを残してきた場所、人を訪ねる。 チェロ弾きの音大生(小栗旬)と画学生(向井理)は芸大がある上野へ向かい、元六大学のエース(塚本高史)は神宮球場へ。そんな彼らを英霊になれず亡霊となってさまよっていた報道官(生瀬勝久)が案内する。 大宮上等兵(ビートたけし)は坂本上等兵(温水洋一)を伴って浅草へ。彼は生前、浅草でバナナのたたき売りをしており、妹(小池栄子)は人気ダンサーだった。 靖国神社では、検閲の仕事で精神を病み、自殺した役者崩れの志村伍長(ARATA)が夜な夜な手紙を朗読している。それぞれの目に映った日本の平和と繁栄とは−。 他の出演は堀北真希、遠藤雄弥、八千草薫、石坂浩二ら。 ◆「歸國」あらすじ 八月十五日午前一時十六分、東京駅に秋吉部隊長(長渕剛)率いる「英霊」たちを乗せた軍用列車が停車。六十五年間、南の海に漂っていた彼らは、夜明けまでの数時間、思いを残してきた場所、人を訪ねる。 チェロ弾きの音大生(小栗旬)と画学生(向井理)は芸大がある上野へ向かい、元六大学のエース(塚本高史)は神宮球場へ。そんな彼らを英霊になれず亡霊となってさまよっていた報道官(生瀬勝久)が案内する。 大宮上等兵(ビートたけし)は坂本上等兵(温水洋一)を伴って浅草へ。彼は生前、浅草でバナナのたたき売りをしており、妹(小池栄子)は人気ダンサーだった。 靖国神社では、検閲の仕事で精神を病み、自殺した役者崩れの志村伍長(ARATA)が夜な夜な手紙を朗読している。それぞれの目に映った日本の平和と繁栄とは−。 他の出演は堀北真希、遠藤雄弥、八千草薫、石坂浩二ら。 (東京新聞) ご覧になりましたか、「歸國」。 ドラマの放送を前に、L図書では検索が急激に増加、ドラマが終わるとそれは膨大な数にのぼっています。 やっぱり、ドラマをご覧になって、こころを動かされた方が多かったのだなあと思いますし、スルーされずに、このドラマのことを考えようと思われた方、L図書までリンクで飛んできてくださったかたに、感謝したくなりました。 英霊となって65年後の日本に帰ってくる、つかの間、会いたい人、戻りたい場所のところに行って、また、南海の海の底に戻ってゆく・・ そのあらすじを聞いただけで、胸が痛くなりました。 東京駅の最終列車が去った後、英霊達を載せた汽車がはいってくる、その英霊達が、それぞれ、自らを死に至らしめた傷跡もそのままなのが、今までのドラマではまったく観たこともないものだったので、とてもとても悲しくなりました。 英霊の列に加われなかった兵士たちもドラマに登場します。 ARATAさん演じる検閲官は、祖国に送る手紙をチェック、戦意高揚にそむく手紙を黒く塗りつぶしたり、破り捨てたりしたせいで、出撃してゆく兵士たちからリンチを受け、兵士たちが戦死した後、精神を病み、首をつって自殺するのですが、首には縄のあとがくっきりと残っています。 生瀬さん演じる報道官は特高による拷問で仲間を裏切ります。 そのあと兵役につくのです。 玉砕を命じられて逃亡、射殺され、英霊に加われず、東京をさまよっているのですが、おなかには銃創が大きく開いていました。 小栗さん演じる少尉の首筋にも血痕がべっとりとありました。 その傷跡がときどき痛んだり、首吊りしたことによる窒息で息をしにくくなったりする様子がリアルで、英霊というのは、綺麗ごとにできない、それぞれが理不尽な死を強要されたひとたちなのだということを、画面からときどき、痛烈に突きつけられる気がしました。 向井理さん演じる画学生、塚本高史さん演じるかつての名投手など、さまざまなひとたちの未練がオムニバスのようにちりばめられていますが、大きなエピソードが、ビートたけしさん演じる上等兵と植物状態で何年も生かされている妹とのお話、そして、小栗さん演じる少尉が存命する恋人と再会する話でした。 ビートたけしさんは名優でおられますけれど、若くして散ったという設定にはかなりの無理があるので、いくら出演することに意義があっても、私個人としてはドン引きしてしまいました。すみません。 ああ、たけしさんが演じている、という位置まで戻ってしまうのですよ。 兄亡き後、こどもを抱えてたくましく、けなげに踊り子として生きた妹(小池栄子さん)が息子(石坂浩二さん)に恥のように思われ、病院に見舞ってももらえずに、何年も生かされている・・ その妹を不憫に思って、生命維持装置を切ってやるのは、生死の境をさまよっている少女の生霊なのでした。 この上等兵、若い俳優さんで見たかったなあ。 若い姿でありながら、年上の息子(上等兵にとっては甥っこ)を刺殺し、亡霊同士になってからも、殴打するというのを、演じてもらいたかったです。 個人的なこだわりを延々と申し訳ないですが・・。 小栗さんは出征前、恋人とチェロとピアノの合奏をするのですが、その恋人というのが堀北真希さんでした。 上品なカップルで清清しい雰囲気が、余計に悲しみを募らせます。 幽霊になって戻ってきた時、その帰還を察知する恋人は目が不自由でした。 でも、あの検閲官がそっと見逃した、秘密の記号を本に加えたラブレター、受け取った恋人はその記号によって綴られたラブレターの文面を、幽霊となった少尉に暗唱してやるのでした。 こどもたちに音楽を教えてやってくれという願いを果たし続けた恋人、「もうそちらに行ってもいいですか。 連れて行ってください」という訴えを小栗さんは目にいっぱい涙を浮かべながら、制します。 存命する恋人を八千草さんが演じていらっしゃったのですが、私には時空を超えて巡り合った恋人達がリアルに感じられました。 むしろ、堀北さんより、八千草さんのほうが、しっくりと寄り添うようでした。 幽霊になっても自制を解かない小栗さん演じる少尉が哀れで悲しくて、ずいぶん泣いてしまいました。 この時代の若い兵士達の倫理観、かくあるべきという人間像を、私たちはともすれば忘れがちになっているかもしれません。 悲しいけれど、美しい姿に、人間としてどう生きるべきかを教わる気がしました。 長淵剛さん演じる部隊長が南方の海へ再び出発する前に話しました、きちんと覚えていないので申し訳ないのですが、石坂浩二さんが幽霊に刺殺されて、病院に大勢のマスコミなどが殺到する様子を見て、たったひとりが亡くなってこれだけ大騒ぎする祖国は平和だ。 だけど、それが10人、1000人、となり30万人の兵士が亡くなっていても、時間がたつと誰ももう思い出さない。 何も感謝しろとは言わない、普段は南国の海深くに沈んでいるが、ときどき波間に漂い出て、星を眺めながら、故国の親や兄弟たちのことを、無事でいるかと思い出している、我々のことを思い出して欲しい、と言われるのに泣きました。 私事ですが、オットの母親は兄を南方の玉砕で亡くしています。 ようやくの思いで墓参りに出かけ、戦死したあたりの土を撫でて帰ってきたけど、いつまでもそこを離れたくなかったというのを聞いたとき、どの戦争の戦後も終わるはずがないのだと思いました。 ARATAさん演じる検閲兵は、出征前、役者だったのですが、自分が塗りつぶしたり、破り捨てた手紙の内容を靖国神社前でそらんじて日を過ごしていました。 でも、兵士達はそういう検閲兵、生瀬さん演じる報道官を許しません。 そこが、《安らかに眠る》のとは違うリアルさを感じました。 そうですよね、亡くなった時のままで時間がとまり、故国にも帰ってこれないひとたちなのですから、恨みや憤りが薄れようはずもないのかもしれません。 今までは祖国のために亡くなった英霊たちに、どうぞ見守っていてくださいと祈るだけだった自分が恥ずかしくなりました。 私たちも、引き上げて祖国に連れ帰ることをして差し上げられない英霊たちを命ある限り、思い続けるべきなのだと思いました、《思い出してください=見守っていてください》に応えるために。 彼らの《片想い》にしてはならないと思います。 |
今から半世紀前の60年安保当時、熱かった日本をアーティストがどのように表現したのか。1960年6月に日米安全保障条約が岸信介政権下で自動更新されるまでの一ヶ月間、国会周辺は安保に反対する市民のデモで溢れかえりました。1945年の敗戦からまだ15年しかたっていないその時代、学生、労働者、主婦など様々な立場の人が参加したこの運動を一つにした最大の原因は「二度と戦争をしたくない」という市民の強い意志だったことをアーティストたちは語っています。 本作『ANPO』を監督した、リンダ・ホーグランドは、日本の映画業界人の間では、海外映画祭に出品する際の通訳や英語字幕翻訳者として知られる、日本で生まれ育ったアメリカ人です。彼女は、字幕翻訳の仕事を通して日本映画を深く知るにつれ、1960年の安保闘争が、当時を経験した映画監督に大きなトラウマを残していることに気づきました。さらに、当時のアーティストたちが絵画や写真を通して安保問題、米軍基地問題を表現しており、日本にも市民による“抵抗”の歴史がある事を発見しました。そのことが、ホーグランド監督のこの映画制作のきっかけになっています。「60年安保闘争とは何だったのか、彼らを闘争に掻き立てたのは何だったのか、そして、その後遺症として未だに日本に残る米軍基地が日本にどういう影響を及ぼしているのか等を映画という形で表現することに決めました」とホーグランド監督は語っています。 現在も日本は、沖縄の普天間基地の問題など、安保に象徴される日米の関係を、根本的にはなにも問い直しをせずに棚上げしてきました。 『ANPO』は、日本で生まれ育ったアメリカン人リンダ・ホーグランド監督が、60年安保を知るアーティストたちの証言と作品を通して、日本とアメリカの関係の問い直しを日本人に迫るドキュメンタリーです。 映画『ANPO』あらすじ 2010 / 89分 『ANPO』は、日本に数多く存在する米軍基地に抵抗する日本の現代のトップアーティストたちのさまざまな作品群―絵画、写真、アニメーション―の紹介と、これらアーティストたちのインタビューを織り交ぜたドキュメンタリー映画である。アーティストたちの作品を通して、日本で忘れられようとしている、ある時代を象徴するキーワードが蘇るのだ。そのキーワードとは、現在も続いている日米安全保障条約―通称”安保”。この条約により、日本全国には未だ90もの米軍基地の設置が認められ、その結果50年前から現在に至るまで、日米関係は健全とはかけ離れた状態となっているのだ。 本作品で紹介される珠玉のアート作品たちは、オープニングシーンから観客の眼を捕らえて離さない。「日本とアメリカの関係はひりひりしている」と静かに語るのは、現代美術家の会田誠。「常に好きと嫌いが反転している・・・」。直後、画面は彼が96年に発表した驚くべき作品をクローズアップ。日本の零戦が何十機もニューヨークの上空を旋回している様子を描いたその襖絵は、彼の苦いコメントの裏づけなのだ。 未だ30もの基地が存在する現代の沖縄の姿の衝撃的な映像から、時代は1960年へ遡る。日本の一般市民が立ち上がり、デモ行進をしていて、それは現在の日本でほぼ忘れられた民主主義運動だった。この一大市民運動の予兆は、50年代からあった。そのほとんどは平和的であったが、時に米軍に対して激しい抵抗を示した。なぜなら米軍の存在は、日本が永久に戦争放棄を謳った憲法を持つ、独立した一国家であることをまやかしにするものだったからだ。1960年までに、こうした抵抗運動は、日本の地から米軍基地を排除しようという何百万もの一般市民を巻き込んだ巨大なものとなっていった。 デモ行進に参加したひとびとの願いは、しかしながら当時総理大臣だった岸信介にあっさりと潰されてしまう。冷戦時代真っ只中、主要同盟国を失うことを恐れた米国政府とCIAが、岸をバックアップしていたのだ。『CIA秘録』の著者、ティム・ワイナーは「冷戦時代、米国は相手がアンチ共産主義者であれば、どんなふざけた野郎とでも取り引きをした」と苦々しくコメントする。しかしこの抵抗運動の火は消えることなく、ベトナム戦争反対に向けて再浮上する。また運動に参加したアーティストたちのその後の活動に拭い去ることのできない痕跡を残し、彼らの中には、その後国際的に注目を浴びるようになった者もいる。『ANPO』では、半世紀もの間、美術館の倉庫に眠っていた作品を通じて、アーティストら自身の物語をも綴っていく。 日本の近代史において争論を巻き起こしたこの時代には、さまざまなタイプのアート作品が生まれた。大島渚を初めとする先鋭の映画作家たちによる映像は、1960年当時の安保反対を唱えるひとびとの情熱と決意を鮮やかに切り取ってみせる。マグナム・フォトの写真家、濱谷浩の個人アーカイヴの写真では、日本政府の締め付けによる蛮行と暴力が映し出される。再び戦争に飲み込まれるのを恐れた数百万もの一般市民―学生、主婦、商店街の店主、労働者―が、民主主義のために立ち上がって米軍の駐留をやめさせようと訴えるため、数ヶ月に渡って通りにあふれ出してデモ行進をした。その様子が映し出された写真を目にして、私たちは当時の熱気を理屈ではなく体感するのだ。 ナレーションを一切排除したこの映画では、アート作品たちが魅力溢れるガイド役を務める。そして安保闘争や日本の現在にも影響を与えた当時の政府の対応の源流ともなる歴史を探っていく。映画が進むにつれ、アート作品たちが語るのは、米軍絡みの犯罪に巻き込まれた人びとの屈辱的な経験、環境破壊、騒音公害といった負の要素であり、こうして溜まりに溜まった怒りが爆発した結果が、全国規模で発生した50年前の安保闘争なのだ。 1960年安保闘争のスピリットが、現在の日本でどのように受け継がれているか。映画の最終パートは、先輩アーティストたちの作品以降、現代のアーティストたちが未だ変わらず存在するアメリカに対し、自分たちのスタイルでどう表現しているかが描かれる。そんな抵抗のスピリットは、今日の日本の一般市民にも引き継がれている。沖縄普天間基地移設問題で公約を果たせなかった鳩山首相は、辞任せざるを得なかった。今、日米安全保障条約について疑問を投げかける声が、50年ぶりに再浮上しているのだ。この映画のラストシーンは、日本では民主主義精神が未だ息づいており、長い間眠っていた怒りと情熱が再び目覚める日はすぐそこに迫っていてその時を待っているのだ、と私たちに語りかけてくる。 国際的評価も高い映画監督、是枝裕和は『ANPO』を、「50年前の表現者たちがどのように真摯に政治と、安保と向き合い、その「傷」を表現の中に刻み付けたかについての貴重な記録」、「基地問題が再び注目を集める今、非常にタイムリーな作品」と評している。 これが初監督作品となるリンダ・ホーグランドは、日本生まれのアメリカ人で、日本の公立小・中学校を卒業した完璧なバイリンガル。本作ではプロデューサーも兼任。バイリンガルでバイカルチャルな経験や、これまで数多くの著名監督(黒澤明、宮崎駿、黒沢清ほか)の映画の英語字幕翻訳を手がけてきたバックグラウンドが、いかんなく発揮されている。撮影監督はこれまで数百本に及ぶドキュメンタリー作品や、『誰も知らない』をはじめ数々の是枝裕和監督の撮影を手がけたベテラン、山崎裕。山崎は学生だった当時、60年安保闘争を撮影していたという。さらには、米国占領下の日本を描いた『敗北を抱きしめて』で、ピューリッツァ賞を受賞したMIT名誉教授ジョン・ダワーが、アドバイザーとしてクレジットされている。 (ハイビジョン撮影、2010年作品、上映時間89分) |