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折々の記 2011 E

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】09/01〜     【 02 】09/05〜     【 03 】09/09〜
【 04 】09/13〜     【 05 】09/23〜     【 06 】10/06〜
【 07 】10/10〜     【 08 】10/17〜     【 09 】10/19〜

【 02 】09/05

  09 05 12号台風紀伊半島集中豪雨
  09 07 電子テキスト 漱石の「私の個人主義」 青空文庫
  09 09 陸山会裁判の真偽

 09 05 (月)  12号台風紀伊半島集中豪雨

【気象庁の速報概要】

 8 月 25 日 9 時にマリアナ諸島の西の海上で発生した台風第 12 号は、発達しながらゆっくりとした速さで北上し、28 日には強風半径が 500km を超えて大型の台風となり、30 日には中心気圧が 965hPa、最大風速が 35m/s の大型で強い台風となった。

 台風はその後、9 月 2 日には暴風域を伴ったまま北上して四国地方に接近し、3 日 10 時前に高知県東部に上陸した。 その後、台風はゆっくりと北上して四国地方、中国地方を縦断し、4 日未明に日本海に進み、5 日 15 に日本海中部で温帯低気圧となった。

【2011年9月8日00時55分 読売新聞】 (追加)

 台風12号による豪雨被害は、8日午前0時現在の読売新聞のまとめで、死者54人、行方不明56人で、計110人となった。

 警察庁によると、7日午後4時現在、身元が判明した死者46人の半数を超える26人が65歳以上の高齢者と判明した。

 和歌山県警によると、死因を特定した24人のうち20人が水死で、4人は圧死などだった。犠牲者の多くは就寝中に氾濫した川の水にのまれたとみられる。

 奈良県十津川村などでは依然、一部の住民が孤立した状態が続いており、陸上自衛隊がパンやお茶などの支援物資を届けている。

 09 07 (水)  電子テキスト 漱石の「私の個人主義」 青空文庫

電子図書館へ行きましょう。

お金を出さずに先人の著作物を電子テキストとして読めるなんて夢の世界です。 青年の頃を思い出してみると都合が良いといえば考えられないような変わりようです。

電子図書館をインプットして検索しますと、次のものが主なサイトです。 

電子図書館 国立国会図書館-National Diet Library
http://www.ndl.go.jp/jp/data/endl.html

  近代デジタルライブラリー  * 明治・大正期の資料約14万点が公開されている。
  貴重書画像データベース → * 「デジタル化資料(貴重書等)」へ移行
  デジタル化資料(貴重書等)
  歴史的音源
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  * 青空文庫の XHTML 版に対応した「azur」というソフトを使えば、縦組みで、より快適に読めます。
     (ただし30 日間の試用期間後も継続して使用する場合は有料となります。)

以上の三つのほかにも電子図書館を調べていると参考になるものがあるかもしれません。 それぞれ直ぐにインデックスを調べてもいいが、編集方針や内容説明には目を通して使い方をつかんでおいたほうがよいと思います。
※青空文庫

夏目漱石の「私の個人主義」を読む場合、

  先ず‘青空文庫’を開いて、   作家別インデックスの‘な行’をクリックして ‘22.夏目漱石’へジャンプして、   ’102.私の個人主義’をクリックして開きます。   「図書カード:No.772」 の下段 [いますぐXHTML版で読む] をクリックします。

これで横書きの               「私の個人主義」                夏目漱石                            ――大正三年十一月二十五日学習院輔仁会において述――

 私は今日初めてこの学習院というものの中に這入(はい)りました。もっとも以前から学習院は多分この見当だろうぐらいに考えていたには相違(そうい)ありませんが、はっきりとは存じませんでした。中へ這入ったのは無論今日が初めてでございます。

 さきほど ……………………

が現われ、これで夏目漱石の「私の個人主義」を読めるのです。

このままのテータでプリントしやすいが、読むのに縦書が良いとすれば「青空文庫」を開いたとき、‘青空文庫早わかり’へ移り縦書の方法(azurのダウンロード)を理解し、対処すればよい。

電子テキストは多方面にわたっているので、暇な折にいろいろと散策しておくとよい。



  「私の個人主義」からのピックアップ

イギリス留学

 熊本には大分長くおりました。 突然文部省から英国へ留学をしてはどうかという内談のあったのは、熊本へ行ってから何年目になりましょうか。 私はその時留学を断わろうかと思いました。 それは私のようなものが、何の目的ももたずに、外国へ行ったからと云って、別に国家のために役に立つ訳もなかろうと考えたからです。 しかるに文部省の内意を取次いでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。 しかし果せるかな何もする事がないのです。

大学での英文学専攻

 私は大学で英文学という専門をやりました。 その英文学というものはどんなものかとお尋ねになるかも知れませんが、それを三年専攻した私にも何が何だかまあ夢中だったのです。 その頃はジクソンという人が教師でした。 私はその先生の前で詩を読ませられたり文章を読ませられたり、作文を作って、冠詞が落ちていると云って叱られたり、発音が間違っていると怒られたりしました。 試験にはウォーズウォースは何年に生れて何年に死んだとか、シェクスピヤのフォリオは幾通りあるかとか、あるいはスコットの書いた作物を年代順に並べてみろとかいう問題ばかり出たのです。 年の若いあなた方にもほぼ想像ができるでしょう、はたしてこれが英文学かどうだかという事が。 英文学はしばらく措いて第一文学とはどういうものだか、これではとうてい解るはずがありません。 それなら自力でそれを窮め得るかと云うと、まあ盲目の垣覗きといったようなもので、図書館に入って、どこをどううろついても手掛がないのです。 これは自力の足りないばかりでなくその道に関した書物も乏しかったのだろうと思います。 とにかく三年勉強して、ついに文学は解らずじまいだったのです。 私の煩悶は第一ここに根ざしていたと申し上げても差支ないでしょう。

不安の連続

 私はこの世に生れた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。 私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。 そうしてどこからか一筋の日光が射して来ないかしらんという希望よりも、こちらから探照灯を用いてたった一条で好いから先まで明らかに見たいという気がしました。 ところが不幸にしてどちらの方角を眺めてもぼんやりしているのです。 ぼうっとしているのです。 あたかも嚢の中に詰められて出る事のできない人のような気持がするのです。 私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一カ所突き破って見せるのだがと、焦燥り抜いたのですが、あいにくその錐は人から与えられる事もなく、また自分で発見する訳にも行かず、ただ腹の底ではこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰欝な日を送ったのであります。

 私はこうした不安を抱いて大学を卒業し、同じ不安を連れて松山から熊本へ引越し、また同様の不安を胸の底に畳んでついに外国まで渡ったのであります。 しかしいったん外国へ留学する以上は多少の責任を新たに自覚させられるにはきまっています。 それで私はできるだけ骨を折って何かしようと努力しました。 しかしどんな本を読んでも依然として自分は嚢の中から出る訳に参りません。 この嚢を突き破る錐は倫敦中探して歩いても見つかりそうになかったのです。 私は下宿の一間の中で考えました。 つまらないと思いました。 いくら書物を読んでも腹の足にはならないのだと諦めました。 同時に何のために書物を読むのか自分でもその意味が解らなくなって来ました。

他人本位の気づき

 この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自力で作り上げるよりほかに、私を救う途はないのだと悟ったのです。 今までは全く他人本位で、根のない萍(うきぐさ)のように、そこいらをでたらめに漂よっていたから、駄目であったという事にようやく気がついたのです。 私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似を指すのです。 一口にこう云ってしまえば、馬鹿らしく聞こえるから、誰もそんな人真似をする訳がないと不審がられるかも知れませんが、事実はけっしてそうではないのです。 近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がとやかくいうので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。 ましてその頃は西洋人のいう事だと云えば何でもかでも盲従して威張ったものです。 だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男が比々皆是なりと云いたいくらいごろごろしていました。 他の悪口ではありません。 こういう私が現にそれだったのです。 たとえばある西洋人が甲という同じ西洋人の作物を評したのを読んだとすると、その評の当否はまるで考えずに、自分の腑に落ちようが落ちまいが、むやみにその評を触れ散らかすのです。 つまり鵜呑と云ってもよし、また機械的の知識と云ってもよし、とうていわが所有とも血とも肉とも云われない、よそよそしいものを我物顔にしゃべって歩くのです。 しかるに時代が時代だから、またみんながそれを賞めるのです。

自己の立脚地 自己本位

 私はそれから文芸に対する自己の立脚地を堅めるため、堅めるというより新らしく建設するために、文芸とは全く縁のない書物を読み始めました。 一口でいうと、自己本位という四字をようやく考えて、その自己本位を立証するために、科学的な研究やら哲学的の思索に耽り出したのであります。 今は時勢が違いますから、この辺の事は多少頭のある人にはよく解せられているはずですが、その頃は私が幼稚な上に、世間がまだそれほど進んでいなかったので、私のやり方は実際やむをえなかったのです。

 私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。 彼ら何者ぞやと気慨が出ました。 今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります。

 自白すれば私はその四字から新たに出立したのであります。 そうして今のようにただ人の尻馬にばかり乗って空騒ぎをしているようでははなはだ心元ない事だから、そう西洋人ぶらないでも好いという動かすべからざる理由を立派に彼らの前に投げ出してみたら、自分もさぞ愉快だろう、人もさぞ喜ぶだろうと思って、著書その他の手段によって、それを成就するのを私の生涯の事業としようと考えたのです。

 その時私の不安は全く消えました。 私は軽快な心をもって陰欝な倫敦を眺めたのです。 比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴(つるはし)をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。 なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。

皆さんにお勧めしたい自己本位という私の体験

 それはとにかく、私の経験したような煩悶があなたがたの場合にもしばしば起るに違いないと私は鑑定しているのですが、どうでしょうか。 もしそうだとすると、何かに打ち当るまで行くという事は、学問をする人、教育を受ける人が、生涯の仕事としても、あるいは十年二十年の仕事としても、必要じゃないでしょうか。 ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。 容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡(もた)げて来るのではありませんか。 すでにその域に達している方も多数のうちにはあるかも知れませんが、もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てるところまで行ったらよろしかろうと思うのです。 必ずしも国家のためばかりだからというのではありません。 またあなた方のご家族のために申し上げる次第でもありません。 あなたがた自身の幸福のために、それが絶対に必要じゃないかと思うから申上げるのです。 もし私の通ったような道を通り過ぎた後なら致し方もないが、もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。 ――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かにぶつかる所まで行くよりほかに仕方がないのです。 私は忠告がましい事をあなたがたに強いる気はまるでありませんが、それが将来あなたがたの幸福の一つになるかも知れないと思うと黙っていられなくなるのです。 腹の中の煮え切らない、徹底しない、ああでもありこうでもあるというような海鼠(なまこ)のような精神を抱いてぼんやりしていては、自分が不愉快ではないか知らんと思うからいうのです。 不愉快でないとおっしゃればそれまでです、またそんな不愉快は通り越しているとおっしゃれば、それも結構であります。 願くは通り越してありたいと私は祈るのであります。 しかしこの私は学校を出て三十以上まで通り越せなかったのです。 その苦痛は無論鈍痛ではありましたが、年々歳々感ずる痛には相違なかったのであります。 だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならん事を希望してやまないのです。 もしそこまで行ければ、ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握る事ができるようになると思うから申し上げるのです。

権力とは

 今まで申し上げた事はこの講演の第一篇に相当するものですが、私はこれからその第二篇に移ろうかと考えます。 学習院という学校は社会的地位の好い人が這入る学校のように世間から見傚されております。 そうしてそれがおそらく事実なのでしょう。 もし私の推察通り大した貧民はここへ来ないで、むしろ上流社会の子弟ばかりが集まっているとすれば、向後あなたがたに附随してくるもののうちで第一番に挙げなければならないのは権力であります。 換言すると、あなた方が世間へ出れば、貧民が世の中に立った時よりも余計権力が使えるという事なのです。 前申した、仕事をして何かに掘りあてるまで進んで行くという事は、つまりあなた方の幸福のため安心のためには相違ありませんが、なぜそれが幸福と安心とをもたらすかというと、あなた方のもって生れた個性がそこにぶつかって始めて腰がすわるからでしょう。 そうしてそこに尻を落ちつけてだんだん前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。 ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めて云い得るのでしょう。

 これと同じような意味で、今申し上げた権力というものを吟味してみると、権力とは先刻お話した自分の個性を他人の頭の上に無理矢理に圧しつける道具なのです。 道具だと断然云い切ってわるければ、そんな道具に使い得る利器なのです。

権力に次ぐものは金力です

 権力に次ぐものは金力です。 これもあなたがたは貧民よりも余計に所有しておられるに相違ない。 この金力を同じくそうした意味から眺めると、これは個性を拡張するために、他人の上に誘惑の道具として使用し得る至極重宝なものになるのです。

 してみると権力と金力とは自分の個性を貧乏人より余計に、他人の上に押し被せるとか、または他人をその方面に誘(おび)き寄せるとかいう点において、大変便宜な道具だと云わなければなりません。 こういう力があるから、偉いようでいて、その実非常に危険なのです。 先刻申した個性はおもに学問とか文芸とか趣味とかについて自己の落ちつくべき所まで行って始めて発展するようにお話し致したのですが、実をいうとその応用ははなはだ広いもので、単に学芸だけにはとどまらないのです。 私の知っている兄弟で、弟の方は家に引込んで書物などを読む事が好きなのに引き易えて、兄はまた釣道楽に憂身をやつしているのがあります。 するとこの兄が自分の弟の引込思案でただ家にばかり引籠っているのを非常に忌まわしいもののように考えるのです。 必竟は釣をしないからああいう風に厭世的になるのだと合点して、むやみに弟を釣に引張り出そうとするのです。 弟はまたそれが不愉快でたまらないのだけれども、兄が高圧的に釣竿を担がしたり、魚籃(びく)を提げさせたりして、釣堀へ随行を命ずるものだから、まあ目を瞑(つむ)ってくっついて行って、気味の悪い鮒などを釣っていやいや帰ってくるのです。 それがために兄の計画通り弟の性質が直ったかというと、けっしてそうではない、ますますこの釣というものに対して反抗心を起してくるようになります。 つまり釣と兄の性質とはぴたりと合ってその間に何の隙間もないのでしょうが、それはいわゆる兄の個性で、弟とはまるで交渉がないのです。 これはもとより金力の例ではありません、権力の他を威圧する説明になるのです。 兄の個性が弟を圧迫して無理に魚を釣らせるのですから。 もっともある場合には、――例えば授業を受ける時とか、兵隊になった時とか、また寄宿舎でも軍隊生活を主位におくとか――すべてそう云った場合には多少この高圧的手段は免かれますまい。 しかし私はおもにあなたがたが一本立になって世間へ出た時の事を云っているのだからそのつもりで聴いて下さらなくては困ります。

権力と金力

 そこで前申した通り自分が好いと思った事、好きな事、自分と性の合う事、幸にそこにぶつかって自分の個性を発展させて行くうちには、自他の区別を忘れて、どうかあいつもおれの仲間に引き摺り込んでやろうという気になる。 その時権力があると前云った兄弟のような変な関係が出来上るし、また金力があると、それをふりまいて、他を自分のようなものに仕立上げようとする。 すなわち金を誘惑の道具として、その誘惑の力で他を自分に気に入るように変化させようとする。 どっちにしても非常な危険が起るのです。

 それで私は常からこう考えています。 第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。 しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。 それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。 自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。 もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正とかいう問題になると、少々込み入った解剖の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒でない場合には、自分が他から自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。

 金力についても同じ事であります。 私の考によると、責任を解しない金力家は、世の中にあってならないものなのです。 その訳を一口にお話しするとこうなります。 金銭というものは至極重宝なもので、何へでも自由自在に融通が利く。 たとえば今私がここで、相場をして十万円儲けたとすると、その十万円で家屋を立てる事もできるし、書籍を買う事もできるし、または花柳社界を賑わす事もできるし、つまりどんな形にでも変って行く事ができます。 そのうちでも人間の精神を買う手段に使用できるのだから恐ろしいではありませんか。 すなわちそれをふりまいて、人間の徳義心を買い占める、すなわちその人の魂を堕落させる道具とするのです。 相場で儲けた金が徳義的倫理的に大きな威力をもって働らき得るとすれば、どうしても不都合な応用と云わなければならないかと思われます。思われるのですけれども、実際その通りに金が活動する以上は致し方がない。 ただ金を所有している人が、相当の徳義心をもって、それを道義上害のないように使いこなすよりほかに、人心の腐敗を防ぐ道はなくなってしまうのです。 それで私は金力には必ず責任がついて廻らなければならないといいたくなります。 自分は今これだけの富の所有者であるが、それをこういう方面にこう使えば、こういう結果になるし、ああいう社会にああ用いればああいう影響があると呑み込むだけの見識を養成するばかりでなく、その見識に応じて、責任をもってわが富を所置しなければ、世の中にすまないと云うのです。 いな自分自身にもすむまいというのです。

自己本位、権力、金力

 今までの論旨をかい摘んでみると、第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。 第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。 第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。 つまりこの三カ条に帰着するのであります。

 これをほかの言葉で言い直すと、いやしくも倫理的に、ある程度の修養を積んだ人でなければ、個性を発展する価値もなし、権力を使う価値もなし、また金力を使う価値もないという事になるのです。 それをもう一遍云い換えると、この三者を自由に享楽しむためには、その三つのものの背後にあるべき人格の支配を受ける必要が起って来るというのです。 もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。 ずいぶん危険な現象を呈するに至るのです。 そうしてこの三つのものは、あなたがたが将来において最も接近しやすいものであるから、あなたがたはどうしても人格のある立派な人間になっておかなくてはいけないだろうと思います。

 話が少し横へそれますが、ご存じの通り英吉利という国は大変自由を尊ぶ国であります。 それほど自由を愛する国でありながら、また英吉利ほど秩序の調った国はありません。 実をいうと私は英吉利を好かないのです。 嫌いではあるが事実だから仕方なしに申し上げます。 あれほど自由でそうしてあれほど秩序の行き届いた国は恐らく世界中にないでしょう。 日本などはとうてい比較にもなりません。 しかし彼らはただ自由なのではありません。 自分の自由を愛するとともに他の自由を尊敬するように、小供の時分から社会的教育をちゃんと受けているのです。 だから彼らの自由の背後にはきっと義務という観念が伴っています。  England expects every man to do his duty. といった有名なネルソンの言葉はけっして当座限りの意味のものではないのです。 彼らの自由と表裏して発達して来た深い根柢をもった思想に違ないのです。

 それで私は何も英国を手本にするという意味ではないのですけれども、要するに義務心を持っていない自由は本当の自由ではないと考えます。 と云うものは、そうしたわがままな自由はけっして社会に存在し得ないからであります。 よし存在してもすぐ他から排斥され踏み潰されるにきまっているからです。 私はあなたがたが自由にあらん事を切望するものであります。 同時にあなたがたが義務というものを納得せられん事を願ってやまないのであります。 こういう意味において、私は個人主義だと公言して憚らないつもりです。

私の言う個人主義

 この個人主義という意味に誤解があってはいけません。 ことにあなたがたのようなお若い人に対して誤解を吹き込んでは私がすみませんから、その辺はよくご注意を願っておきます。 時間が逼っているからなるべく単簡に説明致しますが、個人の自由は先刻お話した個性の発展上極めて必要なものであって、その個性の発展がまたあなたがたの幸福に非常な関係を及ぼすのだから、どうしても他に影響のない限り、僕は左を向く、君は右を向いても差支ないくらいの自由は、自分でも把持し、他人にも附与しなくてはなるまいかと考えられます。 それがとりも直さず私のいう個人主義なのです。 金力権力の点においてもその通りで、俺の好かないやつだから畳んでしまえとか、気に喰わない者だからやっつけてしまえとか、悪い事もないのに、ただそれらを濫用したらどうでしょう。人間の個性はそれで全く破壊されると同時に、人間の不幸もそこから起らなければなりません。 たとえば私が何も不都合を働らかないのに、単に政府に気に入らないからと云って、警視総監が巡査に私の家を取り巻かせたらどんなものでしょう。 警視総監にそれだけの権力はあるかも知れないが、徳義はそういう権力の使用を彼に許さないのであります。 または三井とか岩崎とかいう豪商が、私を嫌うというだけの意味で、私の家の召使を買収して事ごとに私に反抗させたなら、これまたどんなものでしょう。 もし彼らの金力の背後に人格というものが多少でもあるならば、彼らはけっしてそんな無法を働らく気にはなれないのであります。

 こうした弊害はみな道義上の個人主義を理解し得ないから起るので、自分だけを、権力なり金力なりで、一般に推し広めようとするわがままにほかならんのであります。 だから個人主義、私のここに述べる個人主義というものは、けっして俗人の考えているように国家に危険を及ぼすものでも何でもないので、他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬するというのが私の解釈なのですから、立派な主義だろうと私は考えているのです。

 もっと解りやすく云えば、党派心がなくって理非がある主義なのです。 朋党を結び団隊を作って、権力や金力のために盲動しないという事なのです。 それだからその裏面には人に知られない淋しさも潜んでいるのです。 すでに党派でない以上、我は我の行くべき道を勝手に行くだけで、そうしてこれと同時に、他人の行くべき道を妨げないのだから、ある時ある場合には人間がばらばらにならなければなりません。 そこが淋しいのです。

党派心、団体帰属心 と 個人主義

 私がかつて朝日新聞の文芸欄を担任していた頃、だれであったか、三宅雪嶺さんの悪口を書いた事がありました。 もちろん人身攻撃ではないので、ただ批評に過ぎないのです。 しかもそれがたった二三行あったのです。 出たのはいつごろでしたか、私は担任者であったけれども病気をしたからあるいはその病気中かも知れず、または病気中でなくって、私が出して好いと認定したのかも知れません。 とにかくその批評が朝日の文芸欄に載ったのです。 すると「日本及び日本人」の連中が怒りました。 私の所へ直接にはかけ合わなかったけれども、当時私の下働きをしていた男に取消を申し込んで来ました。 それが本人からではないのです。 雪嶺さんの子分――子分というと何だか博奕打のようでおかしいが、――まあ同人といったようなものでしょう、どうしても取り消せというのです。 それが事実の問題ならもっともですけれども、批評なんだから仕方がないじゃありませんか。 私の方ではこちらの自由だというよりほかに途はないのです。 しかもそうした取消を申し込んだ「日本及び日本人」の一部では毎号私の悪口を書いている人があるのだからなおのこと人を驚ろかせるのです。 私は直接談判はしませんでしたけれども、その話を間接に聞いた時、変な心持がしました。 というのは、私の方は個人主義でやっているのに反して、向うは党派主義で活動しているらしく思われたからです。 当時私は私の作物をわるく評したものさえ、自分の担任している文芸欄へ載せたくらいですから、彼らのいわゆる同人なるものが、一度に雪嶺さんに対する評語が気に入らないと云って怒ったのを、驚ろきもしたし、また変にも感じました。 失礼ながら時代後れだとも思いました。 封建時代の人間の団隊のようにも考えました。 しかしそう考えた私はついに一種の淋しさを脱却する訳に行かなかったのです。 私は意見の相違はいかに親しい間柄でもどうする事もできないと思っていましたから、私の家に出入りをする若い人達に助言はしても、その人々の意見の発表に抑圧を加えるような事は、他に重大な理由のない限り、けっしてやった事がないのです。 私は他の存在をそれほどに認めている、すなわち他にそれだけの自由を与えているのです。 だから向うの気が進まないのに、いくら私が汚辱を感ずるような事があっても、けっして助力は頼めないのです。 そこが個人主義の淋しさです。 個人主義は人を目標として向背を決する前に、まず理非を明らめて、去就を定めるのだから、ある場合にはたった一人ぼっちになって、淋しい心持がするのです。 それはそのはずです。 槙雑木(まきざっぽう)でも束になっていれば心丈夫ですから。

 それからもう一つ誤解を防ぐために一言しておきたいのですが、何だか個人主義というとちょっと国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますが、そんな理窟の立たない漫然としたものではないのです。 いったい何々主義という事は私のあまり好まないところで、人間がそう一つ主義に片づけられるものではあるまいとは思いますが、説明のためですから、ここにはやむをえず、主義という文字の下にいろいろの事を申し上げます。 ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように云いふらしまたそう考えています。 しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が亡びるような事を唱道するものも少なくはありません。 けれどもそんな馬鹿気たはずはけっしてありようがないのです。 事実私共は国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります。

国家的道徳と個人的道徳

。ただもう一つご注意までに申し上げておきたいのは、国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。 元来国と国とは辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。 詐欺をやる、ごまかしをやる、ペテンにかける、めちゃくちゃなものであります。 だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。 だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義にやはり重きをおく方が、私にはどうしても当然のように思われます。 その辺は時間がないから今日はそれより以上申上げる訳に参りません。

個人の生涯と個人主義の必要

 私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送らるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。 これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。 はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。 で私の云うところに、もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。 できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。 またそうした手数を尽さないでも、私の本意が充分ご会得になったなら、私の満足はこれに越した事はありません。 あまり時間が長くなりますからこれでご免を蒙ります。



「私の個人主義」の始めのほうに、『秋刀魚』の話が出てまいります。

 私が落語家(はなしか)から聞いた話の中にこんな諷刺的(ふうしてき)のがあります。――昔(むか)しあるお大名が二人(ふたり)目黒辺へ鷹狩(たかがり)に行って、所々方々を馳(か)け廻(まわ)った末、大変空腹になったが、あいにく弁当の用意もなし、家来とも離(はな)れ離(ばな)れになって口腹を充(み)たす糧(かて)を受ける事ができず、仕方なしに二人はそこにある汚(きた)ない百姓家(ひゃくしょうや)へ馳け込んで、何でも好いから食わせろと云ったそうです。するとその農家の爺(じい)さんと婆(ばあ)さんが気の毒がって、ありあわせの秋刀魚(さんま)を炙(あぶ)って二人の大名に麦飯を勧めたと云います。二人はその秋刀魚を肴(さかな)に非常に旨(うま)く飯を済まして、そこを立出(たちいで)たが、翌日になっても昨日の秋刀魚の香(かおり)がぷんぷん鼻を衝(つ)くといった始末で、どうしてもその味を忘れる事ができないのです。それで二人のうちの一人が他を招待して、秋刀魚のご馳走(ちそう)をする事になりました。その旨(むね)を承(うけたま)わって驚ろいたのは家来です。しかし主命ですから反抗(はんこう)する訳にも行きませんので、料理人に命じて秋刀魚の細い骨を毛抜(けぬき)で一本一本抜(ぬ)かして、それを味淋(みりん)か何かに漬(つ)けたのを、ほどよく焼いて、主人と客とに勧めました。ところが食う方は腹も減っていず、また馬鹿丁寧(ばかていねい)な料理方で秋刀魚の味を失った妙(みょう)な肴を箸(はし)で突(つ)っついてみたところで、ちっとも旨くないのです。そこで二人が顔を見合せて、どうも秋刀魚は目黒に限るねといったような変な言葉を発したと云うのが話の落(おち)になっているのですが、私から見ると、この学習院という立派な学校で、立派な先生に始終接している諸君が、わざわざ私のようなものの講演を、春から秋の末まで待ってもお聞きになろうというのは、ちょうど大牢の美味に飽(あ)いた結果、目黒の秋刀魚がちょっと味わってみたくなったのではないかと思われるのです。

つい先日のTVで、震災後初めて宮古で秋刀魚の漁獲ができたことが報道されました。 このとき漁師へのインタビューでこれで目黒へ秋刀魚を送ることができると話していました。 そして目黒で秋刀魚を焼いてみんながうまそうに食べている映像が出ていました。 なんで目黒へ送るのかな、とわけがわからなく聞き逃していました。

ところが、『私の個人主義』を読んでいて、落語家のお題目に‘目黒の秋刀魚’があったことがわかり、納得できました。

Google で調べてみたら、次のようなことがわかりました。

川区上大崎 「目黒のさんま祭り」

 目黒駅前商店街目黒駅前商店街振興組合青年部主催による私費行事「目黒のさんま祭り」

 ・毎年、9月の第1または第2日曜日に開催される(宮古産サンマの旬によって決定される)。
 ・会場は誕生八幡神社。
 ・サンマは岩手県宮古産。大根おろしは栃木県高林町産。徳島県神山産のすだちを使用、
  さらに付け合わせとして東 京新高屋のべったら漬が振る舞われる。
 ・発案は地元出身の演芸作家ベン村さ来。
 ・落語毎年無料の寄席が開かれており、500人近い観覧者を集めている。演目は「目黒のさんま」
 ・漫才、漫談も行われる。
 ・丸一日、ミニFM放送を行う。周波数88 - 89MHzの微弱電波2波を使い、行列で並ぶ人々や、
  会場内の拡声受信器に向けて落語や漫才、漫談などを送信する。
  開演前、客席の入替中、終演後も、前年やその日の録音を再放送する。
 ・毎年、打ち上げの席では、半切りにしたすだちを浮かべたビール「目黒ビール」が愛飲されている。
 ・この祭りの朝、宮古から到着する祭り用のサンマと同便で、築地に大量の宮古産サンマが到着する。
 ・目黒駅周辺の飲食店では、この日周辺に宮古から直送されたサンマを使った特別メニューを売り出す。
  (なぜ宮古なのか、宮古は秋刀魚の水揚量が日本一だからと思われる。 いつから始まったか判らない)

 09 09 (金)  陸山会裁判の真偽

‘阿修羅’の拍手ランキング(24時間)を見ると、江川紹子・森裕子・田中眞紀子というそうそうたる女性の名前が登場している。

ことに@の江川紹子については、客観的な論旨が見られる評論活動に特徴があります。 きょうはそれを取り上げてみます。

拍手ランキング(24時間) 2011/09/09 13:00更新

 @ 陸山会裁判22日結審、江川紹子・akiko(多重債務… 小沢内閣待望論(434)
 A 竹中平蔵 そろそろ万事休すか〔ライジング・サン(甦る日本… 明るい憂国の士(304)
 B 小沢氏処分に抗議=民主・森裕子氏 「小沢さんを処分するな… 亀ちゃんファン(243)
 C 一関市長さんへのご返事  武田邦彦  赤かぶ(203)
 D 衆院外務委員長に田中眞紀子氏(徳山勝) 判官びいき(128)
 E 民主・前原氏の信じられない発言!暴力団関係者とのつながりも… ジャスミン姫(123)
 F フィギュアスケート世界選手権を放送したフジテレビの酷さ… 亀ちゃんファン(109)
 G 小沢氏を座敷牢に入れた菅前首相本人が、東京地検特捜部によって確信… 赤かぶ(93)
 H 小沢氏復権の道筋が見えてきて正気に戻りつつある政治家たち。(日々… 赤かぶ(90)
 I 伏魔殿の外務省には負けるな。がんばれ!!田中真紀子。(かっちの言… 赤かぶ(88)



週刊朝日、陸山会裁判22日結審、江川紹子・akiko
(多重債務国・宦官・マスゴミは、1億有権者に謝罪すべきです)
投稿者 小沢内閣待望論 日時 2011 年 9 月 06 日 21:03

政権交代直後に東京地検特捜部が立件した陸山会事件の裁判が22日、結審する。
当初は、「国策捜査だ」と特捜部批判が吹き荒れたが、今となっては後の祭り。
証拠改ざんに端を発した特捜検察の権威は地に堕ちた。
すべての公判を傍聴したジャーナリスト・江川紹子さんに、この裁判が意味するものについて寄稿いただいた。

<引用>
いったいこの裁判は「誰の何の罪を裁くものなのだろうか――」
小沢一郎、民主党元代表の3人の元秘書が起訴されている陸山会事件の裁判は、傍聴していてもそんな疑間が湧いた。
ましてや、テレビや新聞を通して展開を見守ってきた人々は、小沢氏の「政治とカネ」を裁く裁判だと思っていたのではないか。
実は、まったく違う。
審理は8月22日に終結し、判決が9月26日に言い渡されるが、有罪であれば「やっぱリダーテイー」と小沢叩きを強めるようなものでもなく、無罪だからといって「小沢氏のクリーンさが認められた」と盛り上がる類のものでもない。

問われているのは、
 @2004年に購入した土地代金の支出を、04年ではなく05年の政治資金収支報告書に記載したことの是非。
 A土地購入に際し、小沢氏が4億円を立て替えたことを報告書に記載しなかったことの是非。
 B小沢氏の他の政治団体との間で行った資金の融通をいちいち報告書に記載しなかったことの是非。
―――の3点だ。

この程度のことが、「政治とカネ」を象徴する事件に格上げされたのは、検察側の戦略に裁判所とマスメディアが乗ったためだ。

検察側は、Aの動機を説明するとして、中堅ゼネコン水谷建設からのヤミ献金の立証に力を入れた。
小沢氏の4億円は後ろ暗い金だったので秘書らは報告書ヘの記載を避けた、というのがその筋立て。
4億円には水谷建設からの1億円のヤミ献金が含まれ、それは大型ダム建設の工事受注を巡る謝礼とされた。

この検察ストーリーは、初公判の時からすでに破綻していた。
検察側冒頭陳述によれば、会計担当秘書だった石川知裕氏(現衆院議員)は、小沢氏から受け取った現金4億円を、04年10月13日から5銀行6支店に開設された陸山会の口座に分散入金した。
一方、水谷マネーはその後の同月15日と翌年4月19日に5千万円ずつ小沢氏サイドに渡された、とされた日付をみれば、仮にその授受があったとしても、小沢氏の4億円に含まれていないことは一目瞭然。
要するにこの裏金問題は起訴事実とはまったく無関係なのだ。

なので、検察審査会の起訴相当議決で強制起訴された小沢氏の裁判では、検察官役を務める指定弁護士が、水谷マネーについでは争点にしていない。
しかし東京地検はこれにこだわった。
石川氏の取り調べで、5千万円の受け取りを認めるように迫った吉田正喜特捜部副部長(当時)の言動が象徴的だ。
捜査の終盤、石川氏が自身の政治資金に関して一部非を認めた取り調べのメモを、その面前で破り捨て、「こんなのはサイドストーリーだからな」と言い放った。
検察にとって「メインストーリー」はあくまで、水谷裏金問題だったのだ。
にもかかわらず、それを裏付ける証拠は脆弱だった。

特に石川氏に渡されたとする5千万円については、都内のホテルで渡したとする水谷建設の川村尚社長(当時)の証言のみ。 それもフロント前の無料スペースということで、領収書はない。 同行者もいない。 同社の運転手の運転日誌にも、川村証言に合う記録はない。
逆に「社長をそのホテルに送ったのは翌年以降」という証言も出た。
さらに、同社で実権を握っていた水谷功会長(当時)は、裏金を渡す時には必ず授受を目撃する「見届け人」を同席させるなどのルールがあったのに、川村社長がそれに従っていないことに疑間を呈した。
同社から5千万円の裏金が支出されたことには複数の証言があっても、その金を川村社長がどう使ったのか、実はまったぐ分からないのだ。
これでは、さしもの東京地検特捜部も、有罪を見込んで起訴するわけにはいかない。
やむなく形式的な政治資金収支報告書の記載時期問題で起訴したものの、今なお未練たらしく、「動機は裏金隠しだ」と主張し続けている。

昨年、大阪地検特捜部の押収証拠の改ざんなどが明るみに出た後、伊藤鉄男最高検次長(当時)が「引き返す勇気が必要だ」と述べた。
東京地検の面々は、この言葉をしっかりかみしめるべきだろ。

裁判では、特捜検察の捜査手法が問題になった。
証人として呼ばれた吉田検事には、3人の裁判官が代わる代わる、取り調べのメモを破り捨てた経緯や意図を問い詰めた。
後に調書の証拠採否を決める決定では、「メモ紙を破る行為は、それ自体、被疑者に対する威迫ともいえる行為である」 と厳しく論難している。

ゲーム的発想で判決を見るな

さらに、裁判所に影響を与えたのは、石川氏が保釈後に任意の事情聴取に呼び出された際、密かにICレコーダーで録った録音の反訳書だった。
捜査が始まった当初、検事が石川氏に対して 「特捜部は恐ろしいところだ“何でもできるところだぞ“捜査の拡大がどんどん進んでいく」 と述べたことを肯定する会話が記録されていた。
さらに、その取り調べについても裁判所は証拠決定の中で批判している。

〈表現は一見穏やかなものであるとはいえ、内容的には威迫ともいうべき心理的圧迫と利益誘導を織り交ぜながら巧妙に誘導したものと評価せざるをえない〉

この証拠決定では、検察側が請求した38通の検察官調書のうち、11通が全文却下。
20通が一部採用にとどまった。
そのうえ、証拠改ざんの前田恒彦元検事が取り調べを行った大久保隆規元秘書の調書は、検察が自ら取り下げている。

結局、検察が使える証拠は限られ、論告では 「…と考えるのが自然」 「…とは到底考えられない」 「…と推認される」 「…としか考えられない」 と、推測に推測を重ねて主張を展開するしかなかった。

捜査の実態が明らかになるにつれ、チエック機関としての役割を取り戻していったかに見える裁判所に比べ、やはり検察の作戦に乗ったマスメディアはどうか。
さすがに裁判所の決定は大きく報じたが裏金問題が起訴事実と無関係であることは無視し、検察のアンフェアな立証活動への批判はないままだ。
もっとも、検察と一体になつて「政治とカネ」を煽ってきたメディアにとって検察批判は天に唾するようなものかもしれない。 国会議員に疑惑があれば、取材によって追及するのは当然だ。
だが陸山会事件では、そのために捜査機関に対する監視の役割を放棄し、検察情報を垂れ流したばかりか、誤報の訂正すらしない社もある。
報道機関としてどうだったのか、判決がどうあろうとも、大いに反省すべきだ。
有罪なら勝ち、無罪なら負けといったゲーム的発想で判決を見るのは、検察もマスメディアもやめてもらいたい。

<引用終わり>



陸山会裁判の真実報道として、 [Civil Opinions Blog] は次のように報道していた。

一市民が斬る!! [Civil Opinions Blog]
江川紹子氏が、チェック機能放棄のマスメディアに代わって、陸山会裁判の真実報道!
http://civilopinions.main.jp/2011/08/825.html

8月22日 陸山会裁判の最終弁論が行われ、結審した。
9月26日には判決がなされる。
22日の結審の前に、江川紹子さんが、週刊朝日に2ページの文を寄稿していた。

<江川紹子氏が週刊朝日で、陸山会裁判の真実報道!>

週刊朝日9月2日号『「政治とカネ」裁きようのない茶番法廷』その1.pdf
週刊朝日9月2日号『「政治とカネ」裁きようのない茶番法廷』その2.pdf

陸山会裁判を総括した内容になっていて、陸山会事件の本質が理解できる。

記事の内容を要約すると

@陸山会裁判は小沢氏の「政治とカネ」を裁く裁判とは全く違う。マスメディアと裁判所が、検察側の戦略に乗って、収支報告書期ずれ記載程度のことを「政治とカネ」を象徴する事件に格上げした。
A検察の筋立てが殆んど破綻してしまった。
検察は「水谷建設から裏金が土地支払いに入っているので、記載を避けた」と主張するが、授受したとする10月15日以前に、4億円が銀行に入金され、そこから代金を支払われているので、裏金が混じる余地はない。
川村社長が「ホテルで現金渡した」といっているが、同行者も証人もいないし、証拠もない。
B検察が提出した供述調書の核心部分は、威圧、脅し、誘導で作成されたもので、裁判官から却下されている。
C裁判所は、捜査の実態が明かになるにつれ、チェック機関としての機能を取り戻しつつある。ところが、マスメディアは、裏金問題が起訴事実と無関係であることを無視し、検察のアンフェアな立証活動への批判がないまま。さらに、捜査機関に対する監視の役割を放棄し、検察情報を垂れ流すばかりか、誤報の訂正すらしない社もある。
マスメディアは大いに反省すべきだ。
<『週刊文春森功の法廷傍聴記「"小沢有罪"の3点セットが揃った」』と比較してみて>

以前以下のブログを掲載した。江川氏のものと比べて読んでほしい。
同じ裁判を傍聴して、この違いは何なのだろう。
『7月24日 エセ作家森巧、文芸春秋社、共同通信社、菅首相よ!ヤクザの言いがかり程度の「小沢バッシング」はもういい加減にやめろ!』
http://civilopinions.main.jp/2011/07/post_41.html

<8月22日最終弁論の内容>

7月26日の論告求刑で、検察は厚かましくも、実刑求刑を求めた。
弁護側の弁論を聴けば、検察のデッチあげの実態が分かると思い傍聴した。

弁論の模様を、江川紹子さんが、ツイッター上でまとめられておられたので、それを転載させて頂く。

江川紹子ツイッター   弁護側の最終弁論
『1)陸山会事件の裁判は、弁護人による最終弁論が行われ、結審した。大久保元秘書の弁護人は、政治資金収支報告書の作成や提出には一切関与せず、石川・池田両氏からの相談や報告も一切なかったと無罪を主張。さらに、西松事件では政治資金規正法の国会審理までさかのぼって、政治団体の定義を説明。
2)法律上問題のない政治団体から政治団体への寄付なのに、法律論よりも西松建設の「ダミー」「隠れ蓑」などという"一般用語"を多用している検察側は「規制法の規制の枠組みを正確に認識しないままで公訴提起に及んだもの」と批判。「罪とならないものを起訴した」と検察側をばっさり。
3)石川議員の弁護人も無罪を主張。「事案の実体は小沢議員とその政治団体の間のいわば内々の資金のやりくりに関するものにすぎない」のに「大疑獄事件であるかのごとき捜査が行われ」たとし、本件は水谷建設からの献金の自供をとるための「いわゆる別件逮捕勾留である」と検察側を批判した。
4)池田元秘書の弁護人も無罪主張。「検察側のストーリーを押しつけるための強引な取り調べが組織的に行われた」と東京地検特捜部の捜査を批判。池田氏は前任者からほとんど引き継ぎもないまま、自分で考えて最善を尽くしたとし、法律に違反するとしても罰金刑が相当と述べた(いささか弱気?)
5)石川議員、池田元秘書とも、大久保元秘書との共謀を否認。最終意見陳述で、大久保氏は「私が悪いことをしたとは思っていません。よろしくお願いします」と裁判所に一礼。石川氏は「誤解を与え世間を騒がせたことはお詫びしたい」としつつ、事件については「よかれと思って適切な処理をしていた」と述べ
6)池田氏は「石川さんから引き継いだことを自分なりに考えて処理したつもり。大問題になって世間をお騒がせしたことは反省している」と語った。
これで裁判は結審。判決は9月26日午後に言い渡される。』

<マスメディアはこの最終弁論をどう報じたか>

マスメディアの記者が大勢傍聴していた。
東京新聞の報道例を示そう。
東京新聞8月23日付「3元秘書無罪主張、結審」.pdf
記者達は、この裁判が検察のでっち上げにより、始まったことを知っている。それなのに、争点などと言う言葉を使って、検察の言い分を弁護側のそれと同じ扱いでまとめている。
この記事を読む限りでは、読者は真実が全くわからないと思う。
極めて公正を欠く。

                                                       2011年8月25日