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折々の記 2011 E

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】09/01〜     【 02 】09/04〜     【 03 】09/09〜
【 04 】09/13〜     【 05 】09/23〜     【 06 】10/06〜
【 07 】10/10〜     【 08 】10/17〜     【 09 】10/19〜

【 05 】09/23

  09 23 秋の彼岸になった
  09 25 千代村三人会
  09 28 お彼岸・秋野菜の手入れ
  09 30 ‘The Bilderberg Group’を知っていましたか?
  10 02 三年C組同級会 湯ヶ洞
  10 03 娘は、オー・ヘンリーの「最後の一枚の葉」となる

 09 23 (金) 秋の彼岸になった

■やっぱり彼岸の朝夕は秋冷の候

一昨日通過した15号台風は、表日本各地へ河川氾濫の被害を残して千島方面へ進みました。 飯田地方は予期に反して被害らしいことはなくてすみました。

台風までの気温は30度近い気温が続いて、日中では働けなかった。 台風一過の後の気温は25度前後になるという予報でしたが、その通り秋らしい朝夕を迎えることができている。 一口に‘暑さ寒さも彼岸まで’といわれてきたが、これから二月ほどは暮らしやすい。

■高山村から巨峰が送られてきた(22日)

おとといの夕方、真介から台風を心配して電話がかかってきた。 台風らしい風雨がなく、気象庁の防災気象情報を見たとおり中心が南アルプスの南だったことを伝えた。 心配して連絡してくれたことは嬉しいことでした。 

そのとき、21日に真弓さんと涼羽がブドウを送ったけれど、着いたかどうかの問い合わせがあった。 二人で高山のほうへ出かけその折に送ってくれたのでしょう。 りっぱな房の美味しい巨峰でした。

涼羽が梨や葡萄が好きだと家内が話してくれた。 そんなこともあって送ってくれたのでしょう。 二人が巨峰を選び送る手続きをしてくれている様子が目に浮かびました。

■ヒマワリ油ができあがった(22日)

阿南町の永田さんから電話があり、持ちに行ってきました。

今年は収穫時期が少し早すぎて実が軽かった。 詳しく記録しますと、花の裏が黄色くなったものが幾つかわかったので、それらを収穫するつもりで畑へ入った。 畑に入ってみるとヒマワリの葉が顔に触って出入りが厄介なことに感じた。 そこで少し早めのヒマワリも収穫し始めた。 そのうち花の裏がまだ青いものも実を見ると硬くなっているので、結局はすべてのヒマワリを収穫してしまったわけです。

これが収穫が早すぎた原因でした。

そこで、すべて小瓶にしてもらうよう連絡しました。 製品は19本と7割くらいの瓶、20本でした。 それでもよく取れたと思います。

さて、ヒマワリの油は健康上も優れているのです。

それは「ヒマワリの油から学ぶ」を開いて理解すればいい。

 09 25 (日) 千代村三人会

松島君から連絡。 飯田観光ホテルにて。 倉知君へ般若心経額入りを贈呈。 このほか全員へ色紙贈呈。

 09 28 (水) お彼岸・秋野菜の手入れ

陽気は秋らしくなってきました。 

27日は朝5時から伊久間原の柿畑の除草、除草機での後ビーバーで木のもとの刈り取りをすると、時間で休みなしで2時間半はかかる。 3時間見ておけば一応の除草は終わる。

その後、懸案になっていたネギの除草と追肥・土寄せをすませた。 サトイモの追肥・土寄せもすませた。

きょうはレタス30本の定植と、ほうれん草・春菊の蒔きつけをする予定です。

彼岸花が美しい。 松川町生田、福与部落にある嶺岳寺のマンジュシャゲが「撮るしん」に載せられた。

【松川町生田「嶺岳寺」の彼岸花】
   2010年09月22日 11時59分(中秋の名月)
   嶺岳寺 住所:長野県下伊那郡松川町生田438 電話番号:0265-36-3572
   http://www35.tok2.com/home/soichisa/sub060928r.html
   <松川町・嶺岳寺の彼岸花>

広沢勝則住職が高校教師を退職後、幼い頃に好きだった彼岸花の球根を、
気長に植えて育てて、今では約5万株になっているといいます。

松川町生田(天竜川東)「嶺岳寺」の彼岸花はこの地区では結構有名なのである。
近頃は新聞やTVなどでも紹介されます。



■家の前の秋の花

  【五色唐辛子と(野)鶏頭】

● 五色唐辛子

南アメリカ、アマゾン川流域が原産の「とうがらし」の園芸品種です。矮性で高さは30センチほどにしかなりません。夏に白色の花を咲かせます。果実はずんぐりしていて、紫色や白色、黄色それに橙色や赤色などがあります。色が変化する品種もあります。

ナス科トウガラシ属の多年草で、学名は Capsicum annuum cv.。英名は Ornamental pepper。

● ケイトウ (鶏頭、学名:Celosia argentea) はヒユ科の一年生植物。

狭義にはC. argentea f. cristata(シノニムC. argentea var. cristata)をいうが、本記事では特に断らない限りC. argentea をケイトウということにする。学名は燃焼という意味のギリシャ語に由来する。ケイトウの花が燃え盛る炎を彷彿とさせるのが根拠と思われる。

夏から秋にかけ、赤・桃色・黄色などの花穂ができる。その形状がニワトリの鶏冠(とさか)に似ていることからこの名がついた。花期は6月から9月頃。原産地はアジア、アフリカの熱帯地方と推定され、日本には奈良時代に中国を経由して渡来した。かつては韓藍(カラアイ)と呼ばれていた。花の色は赤や黄色を基調とするが、橙、紫、ピンクなどさまざまな色の園芸品種がある。栽培にあたっては移植を嫌うので直蒔きする。種は嫌光性で、日光の当る場所では発芽しない。アルカリ性の土壌を好み、栽培は簡単である。花穂の形状の異なる羽毛ケイトウ、久留米ケイトウ、トサカケイトウなどの系統がある。

 09 30 (金) ‘The Bilderberg Group’を知っていましたか?

今日現在の Google 検索をすると、すべてのサイトは下記のとおり ‘検索 約 164,000 件 (0.05 秒)’ 16万件余瞬時にして‘WINDOW’に現われます。

あなたはビルダーバーグ会議をご存知でしたか?


@ ビルダーバーグ会議 - Wikipedia

   ビルダーバーグ会議(ビルダーバーグかいぎ、英語:The Bilderberg Group, Bilderberg conference,
   Bilderberg Club, Bilderberg Society)は、1954年から毎年1回、欧米各国で影響力を持つ王室関係
   者・欧州の貴族や政財界・官僚の代表者など約130人が、 ...

A もうすぐ北風が強くなる 2011ビルダーバーグ会議
    http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-490.html


   2011年6月14日 ? 6/9から6/12まで、スイスのサンモリッツで、2011年のビルダーバーグ会議が開か
   れた。 西欧王室、国際金融資本、政治マスコミなど100人あまりによって、第二次対戦後に毎年開催
   されている。 完全非公開の会議であるが、一昨年から開催日と ...

B 2011年ビルダーバーグ会議 メディアが報じない世界有力者による秘密 ...<動画あり>
    http://www.youtube.com/watch?v=ZXqIFzbwL5A
   驚くほどの動画が見聞できます。

   当初の半分程度で打ち上げになったことのとです。スイス政府が会議を ジャーナリスト ...

※ ビルダーバーグ会議 の他の動画

C ビルダーバーグ会議、今年が最後だそうで・・・静かに逝ってください 属国 ...
    http://qualitysaitama-blog.at.webry.info/201106/article_24.html

   2011年6月13日 ? Powered by BIGLOBEウェブリブログ) 公のメディアでは全く報道されないビル
   ダーバーグ会議。先日ブログで「金融破綻のNWO一派が集う哀れなビルダーバーグ会議」と書い
   たが、今日6月13日の「ベンジャミン・フルフォードの国内外 金融・ ...

D 「闇の支配者」による秘密会議『ビルダーバーグ会議』 - 暗黒夜考〜崩壊し ...

   2011年6月12日 ? 転載開始). ◆今年も開催 「闇の支配者」による秘密会議 2011.06.10 『日刊
   SPA!』 「陰のサミット」とも呼ばれる「ビルダーバーグ会議」が、6月9日よりスイスのサンモリッツで
   開かれている。 ――ビルダーバーグ会議。 日本のメディアは ...

E ビルダーバーグ会議と2人のゲイツ|浜田和幸オフィシャルブログ ...

   2011年6月26日 ? 浜田和幸の浜田和幸オフィシャルブログ Powered by Amebaの記事、ビルダー
   バーグ会議と2人のゲイツです。

F ビルダーバーグ会議2011 - HEATの雑記

   2011年6月9日 ? 2011年のビルダーバーグ会議はスイスのサンモリッツで6月9日から12日まで。
   以下、6月8日、現地の様子。 ... エティエンヌ・ダヴィニオン(ビルダーバーグ会議議長). Leysen,
   Thomas, Chairman, Umicore. トーマス・レイセン(ユミコア会長 ...

G 第三次世界大戦は始まっている NWOとビルダーバーグ会議: 世界の ...
    http://raizen.seesaa.net/article/222465632.html
   見聞したほうがいいサイトです。 動画あり。

   2011年8月26日 ? 第三次世界大戦は始まっている NWOとビルダーバーグ会議,世の中は陰謀、
   謀略、ウソ、欺瞞に満ちている。真実はいったいどこにあるのだろうか。様々な事柄を判断するため
   の情報を収集し記録している備忘録である。

H Kazumoto Iguchi's blog : 「2010年ビルダーバーグ会議メンバーリスト」
    http://quasimoto.exblog.jp/12729157/
   このブログも注意してみておきたいサイトの一つです。

   2010年5月31日 ? 「2010年ビルダーバーグ会議メンバーリスト」. 「世界は裏の世界を知らない。
   世間一般の人々が想像しているものとはずいぶん違った人物によって動かされているのだよ」 ベ
   ンジャミン・ディズレーリ英国首相(1868年,1874年〜1880年) ...

I ビルダーバーグ会議
    http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/bilderberg.html

   秘密クラブ「ビルダーバーグ」 5月にパリで会合.  王侯貴族、政財官トップ集結 米欧“陰のサ
   ミット”. 米欧の王侯貴族から政財官のトップ級が集まって年に1度、米国や欧州で会合を開き、
   世界の主要問題を討議する秘密クラブ「ビルダーバーグ」の存在が最近、 ...

   このサイトのホームページへ ジャンプすると、ジェラス・ゲイ 江原 元のページが展開されます。
   その冒頭に Picasso: Guernica の悲惨な絵がでています。 
   その下の  ■911テロの核心に迫り、真相を明らかにする | マスメディアが報道できないでい
            る厖大な情報源がここに Jealous Gay
          ■911テロはチェイニー副大統領らが企てた謀略だった | 元ロス市警麻薬捜査官
            マイケル・ルパートが摘発 Jealous Gay
          ■浜岡原発は即刻停止しないと危険│日本地震学界の権威二人が東海地震で
            引き起こされる原発震災を警告 Stop Hamaoka
          ■東海地震の震源域にある浜岡原発は直下型地震で制御不能になり炉心溶融
            を起こす原発の設計者が告発 My News Japan
   に目を通すことも大事です。

   「巻頭言」に目を通すことも大事だが、続いて「記事集」となり‘9.11=Inside Job’の項で
   は『9.11』を虚構として大きく取り上げています。 多くの記事と共に動画も紹介されて
   おり、ビルダーバーグ会議の底流と共に“プロパガンダの恐ろしさ” をマザマザと感じ
   させられます。


※ ビルダーバーグ会議に関連する検索キーワード
    ビルダーバーグ会議2010内容
    ビルダーバーグ会議オバマ
    ビルダーバーグ 2010


<下平:追加>

  もうすぐ北風が強くなる  2011ビルダーバーグ会議
   ‘最新記事’の 石川知裕氏、地裁判決後の記者会見 (09/29)
             金(gold)のバブルは崩壊し始めた (09/28)
             アメリカとIMFの秘密を暴露したプーチン (09/28)
             大マスコミの犯罪的な不誠実報道 (09/22)

   `関連記事’の 貧困化する米国の中流階級と高齢者 (06/21)
             東京電力の原因者責任を明確にせよ (06/20)
   なども開いてみると参考になる。

島崎藤村の言葉を借りますと、‘古い体制がガラガラと音をたてて崩れている’ように、金融システムという亡霊がこの美しい地球全体を我がもの顔にほしいままにしてきたが、拝金主義のいきづまりが始まりました。 そうした動きに気づいた人々によって軌道修正をしなければなりません。

虚偽に満ちた指導者の醜い言葉は、検証されるはずでしょうし、戦争の原因が守銭奴のような金融システムを動かしてきた人々の思惑によって進められてきたことがはっきりしてきたのです。

歴史の流れを見てきますと、21世紀は大きな変貌をしなければならない流れになってきています。

 10 02 (日) 三年C組同級会 湯ヶ洞


  上段  縄 光子 喜多野勝代 北沢紀美子 壬生フミ 西本淳子 松下ミエ子 井原峰子

  中段  下平正子 長井ミツ子  村松清子  池田純子 尾坂悦子 池野エミ子

  下段  曽田光雄 小沢  修  林 功一  下平好上  片桐参男 丸山克英 片桐久義 

みんな立派になっています。 気持ちの上では教育者としての自覚はあったにせよ、その任を真っ当に果たせたか忸怩たる思いもあります。 年齢差が14ということもあり、すこし大きい兄貴という感覚もあったのでしょうか。

千代村にしても神稲村にしても、明治生まれの人や大正生まれの人が両親だったころの子供たちは、充分に昔ながらの気質、気風を持った空気の中で育ってきています。 それは大きい要素であったと思います。

それぞれの人の生活の中身をお聞きして、それぞれの方面での成長と活躍を教えられ心嬉しい一時でした。 皆さんありがとうございました。

帰宅してから兄の入院を知り、健和会病院へ急行しました。 2008/06/06 に浪合の不動温泉で兄弟会をしたとき、「あれ、兄貴は少し耄碌が始まったかな」と感じました。 あれからもう5年経ちます。

 10 03 (月) 娘は、オー・ヘンリーの「最後の一枚の葉」となる


桐一葉日当たりながら落ちにけり


高浜虚子

明治三十一年から、「ホトトギス」の編集にあたり、多くの俳人を育てた。正岡子規没後は一時、俳句から遠ざかって小説の域に踏み込んだが、明治四十五年、俳壇に復帰、守旧派と称した。

桐一葉日当たりながら落ちにけり

<通釈>桐の葉が一枚、秋の明るい日差しをを浴びながらゆっくりと地面に落ちたことよ。

<語釈>【落ちにけり】「落ち」はタ行上二段動詞「落つ」の連用形。「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形。「けり」は切れ字で詠嘆の助動詞、終止形。

<鑑賞>季語は「桐一葉」で秋。「一葉落ちて天下の秋を知る。」という「淮南子」から出た有名な詩句を踏まえた季語。葉が大きいので、ゆっくりと舞いながら落ちるさまは、一葉というのにふさわしい。大きな桐の葉が秋の日ざしを浴びたまま、ゆっくりと舞い落ちるという情景にピントを絞って、逆に秋の到来という大自然の季節の移り行きを美事にとらえている。「落ちにけり」という結びに作者の深い詠嘆がこもっている。

桐の葉一枚ひらひらと舞い落ちる。
裏になり表になり、翻るたびに日があたり
色を変え、瞬きを生む。

ご存知のように桐は落葉高木です。
また、その葉は日本国内の広葉樹の中でも最大と言われております。
その大きな葉が、高いところから剥がれ落ち、ゆっくりと地を目指す。
かすかな風や空気の揺らぎでひらりひらりと面を翻しますが
その都度現れる面に光を浴びることで、まちまちに染まった葉の色がスポットライトされる。
大きいだけにその動作はゆっくりで、悠久を感じるというか、地に落ちるまでの様子がよく見えて美しいと感じます。
これら感じたことを綺麗にまとめられれば評価?となるのでしょうけれど。うまく書けません・・。

《「淮南子(えなんじ)」説山訓の「一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れなんとするを知る」から》落葉が早い青桐(あおぎり)の葉が1枚落ちるのを見て、秋の来たことを知る。わずかな前触れから将来の大きな動きを予知できることのたとえ。



最後の一枚の葉(青空文庫)
http://www.hyuki.com/trans/leaf.html

最後の一枚の葉

The Last Leaf

オー・ヘンリー作
結城浩訳

ワシントン・スクエア西にある小地区は、 道路が狂ったように入り組んでおり、 「プレース」と呼ばれる区域に小さく分かれておりました。 この「プレース」は不可思議な角度と曲線を描いており、 一、二回自分自身と交差している通りがあるほどでした。 かつて、ある画家は、この通りが貴重な可能性を持っていることを発見しました。 例えば絵や紙やキャンバスの請求書を手にした取り立て屋を考えてみてください。 取り立て屋は、この道を歩き回ったあげく、 ぐるりと元のところまで戻ってくるに違いありません。 一セントも取り立てることができずにね。

それで、芸術家たちはまもなく、奇妙で古いグリニッチ・ヴィレッジへとやってきました。 そして、北向きの窓と十八世紀の切り妻とオランダ風の屋根裏部屋と安い賃貸料を探してうろついたのです。 やがて、彼らは しろめ製のマグやこんろ付き卓上なべを一、二個、六番街から持ち込み、 「コロニー」を形成することになりました。

ずんぐりした三階建ての煉瓦造りの最上階では、スーとジョンジーがアトリエを持っていました。 「ジョンジー」はジョアンナの愛称です。 スーはメイン州の、ジョンジーはカリフォルニア州の出身でした。 二人は八番街の「デルモニコの店」の定食で出会い、 芸術と、チコリーのサラダと、ビショップ・スリーブの趣味がぴったりだとわかって、 共同のアトリエを持つことになったのでした。

それが五月のことでした。 十一月に入ると、冷たく、目に見えないよそ者がそのコロニーを巡り歩きはじめました。 そのよそ者は医者から肺炎氏と呼ばれ、 氷のような指でそこかしこにいる人に触れていくのでした。 この侵略者は東の端から大胆に歩きまわり、何十人もの犠牲者に襲いかかりました。 しかし、狭くて苔むした「プレース」の迷宮を通るときにはさすがの彼の足取りも鈍りました。

肺炎氏は騎士道精神に満ちた老紳士とは呼べませんでした。 息が荒く、血にまみれた手を持った年寄りのエセ者が、 カリフォルニアのそよ風で血の気の薄くなっている小柄な婦人を相手に取るなどというのは フェアプレイとは言えますまい。 しかし肺炎氏はジョンジーを襲いました。 その結果ジョンジーは倒れ、 自分の絵が描いてある鉄のベッドに横になったまま少しも動けなくなりました。 そして小さなオランダ風の窓ガラスごしに、 隣にある煉瓦造りの家の何もない壁を見つめつづけることになったのです。

ある朝、灰色の濃い眉をした多忙な医者がスーを廊下に呼びました。

「助かる見込みは ―― そう、十に一つですな」 医者は、体温計の水銀を振り下げながら言いました。 「で、その見込みはあの子が『生きたい』と思うかどうかにかかっている。 こんな風に葬儀屋の側につこうとしてたら、どんな薬でもばかばかしいものになってしまう。 あのお嬢さんは、自分はよくならない、と決めている。 あの子が何か心にかけていることはあるかな?」

「あの子は ―― いつかナポリ湾を描きたいって言ってたんです」とスーは言いました。

「絵を描きたいって? ―― ふむ。 もっと倍くらい実のあることは考えていないのかな ―― 例えば男のこととか」

「男?」スーは びあぼんの弦の音みたいな鼻声で言いました。 「男なんて ―― いえ、ないです。先生。そういう話はありません」

「ふむ。じゃあそこがネックだな」医者は言いました。 「わたしは、自分の力のおよぶ限りのこと、科学ができることはすべてやるつもりだ。 でもな、患者が自分の葬式に来る車の数を数え始めたら、 薬の効き目も半減なんだよ。 もしもあなたがジョンジーに、冬にはどんな外套の袖が流行るのか、 なんて質問をさせることができるなら、 望みは十に一つから五に一つになるって請け合うんだがね」

医者が帰ると、スーは仕事部屋に入って日本製のナフキンがぐしゃぐしゃになるまで泣きました。 やがてスーはスケッチブックを持ち、 口笛でラグタイムを吹きつつ、胸を張ってジョンジーの部屋に入っていきました。

ジョンジーはシーツをかけて横になっていました。 しわ一つもシーツに寄せることなく、顔は窓に向けたままでした。 ジョンジーが眠っていると思い、スーは口笛をやめました。

スーはスケッチブックをセットすると、 雑誌小説の挿絵をペンとインクで描きはじめました。 若い作家は文学の道を切り開くために雑誌小説を書きます。 若き画家は芸術の道を切り開くためにその挿絵を描かなければならないのです。

スーが、優美な馬のショー用のズボンと片眼鏡を主人公のアイダホ州カウボーイのために描いているとき、 低い声が数回繰り返して聞こえました。 スーは急いでベッドのそばに行きました。

ジョンジーは目を大きく開いていました。 そして窓の外を見ながら数を数えて ―― 逆順に数を数えているのでした。

「じゅうに」とジョンジーは言い、少し後に「じゅういち」と言いました。 それから「じゅう」「く」と言い、それから「はち」と「なな」をほとんど同時に言いました。

スーはいぶかしげに窓の外を見ました。 何を数えているのだろう? そこには草もなく わびしい庭が見えるだけで、 煉瓦の家の何もない壁は二十フィートも向こうなのです。 根元が節だらけで腐りかかっている、 とても、とても古いつたがその煉瓦の壁の中ほどまで這っていました。 冷たい秋の風は つたの葉に吹き付けて、 もう裸同然となった枝は崩れかかった煉瓦にしがみついているのでした。

「なあに?」スーは尋ねました。

「ろく」とジョンジーはささやくような声で言いました。 「早く落ちてくるようになったわ。三日前は百枚くらいあったのよ。 数えていると頭が痛くなるほどだったわ。 でもいまは簡単。 ほらまた一枚。もう残っているのは五枚だけね」

「何が五枚なの? スーちゃんに教えてちょうだい」

「葉っぱよ。つたの葉っぱ。 最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ。 三日前からわかっていたの。 お医者さんは教えてくれなかったの?」

「まあ、そんな馬鹿な話は聞いたことがないわよ」スーはとんでもないと文句を言いました。 「古いつたの葉っぱと、あなたが元気になるのと、 どんな関係があるっていうの? あなたは、あのつたをとても大好きだったじゃない、おばかさん。 そんなしょうもないこと言わないでちょうだい。 あのね、お医者さんは今朝、あなたがすぐによくなる見込みは ―― えっと、 お医者さんが言ったとおりの言葉で言えば ―― 「一に十だ」って言うのよ。 それって、ニューヨークで電車に乗るとか、 建設中のビルのそばを通るぐらいしか危なくないってことよ。 ほらほら、スープを少し飲んで。 そしてこのスーちゃんをスケッチに戻らせてね。 そしたらスーちゃんは編集者にスケッチを売ってね、 病気のベビーにはポートワインを買ってね、 はらぺこの自分にはポークチョップを買えるでしょ」

「もう、ワインは買わなくていいわ」目は窓の外に向けたまま、ジョンジーは言いました。 「ほらまた一枚。ええ、もう、スープもいらないの。残りの葉は たったの四枚。 暗くなる前に最後の一枚が散るのを見たいな。そして私もさよならね」

「ジョンジー、ねえ」スーはジョンジーの上にかがみ込んで言いました。 「お願いだから目を閉じて、私の仕事が終わるまで窓の外を見ないって約束してくれない? この絵は、 明日までに出さなきゃいけないのよ。 描くのに明かりがいるの。 でなきゃ日よけを降ろしてしまうんだけど」

「他の部屋では描けないの?」とジョンジーは冷たく尋ねました。

「あなたのそばにいたいのよ」とスーは答えました。 「それに、あんなつたの葉っぱなんか見てほしくないの」

「終わったらすぐに教えてね」とジョンジーは言い、目を閉じ、 倒れた像のように白い顔をしてじっと横になりました。 「最後の一枚が散るのを見たいの。もう待つのは疲れたし。 考えるのにも疲れたし。 自分がぎゅっと握り締めていたものすべてを放したいの。 そしてひらひらひらっと行きたいのよ。 あの哀れで、疲れた木の葉みたいに」

「もうおやすみなさい」とスーは言いました。 「ベーアマンさんのところまで行って、 年老いた穴倉の隠遁者のモデルをしてもらわなくっちゃいけないの。 すぐに戻ってくるわ。戻ってくるまで動いちゃだめよ」

ベーアマン老人はスーたちの下の一階に住んでいる画家でした。 六十は越していて、 ミケランジェロのモーセのあごひげが、 カールしつつ森の神サチュロスの頭から小鬼の体へ垂れ下がっているという風情です。 ベーアマンは芸術的には失敗者でした。 四十年間、絵筆をふるってきましたが、 芸術の女神の衣のすそに触れることすらできませんでした。 傑作をものするんだといつも言っていましたが、 いまだかつて手をつけたことすらありません。 ここ数年間は、ときおり商売や広告に使うへたな絵以外には まったく何も描いていませんでした。 ときどき、 プロのモデルを雇うことのできないコロニーの若い画家のためにモデルになり、 わずかばかりの稼ぎを得ていたのです。 ジンをがぶがぶのみ、これから描く傑作について今でも語るのでした。 ジンを飲んでいないときは、ベーアマンは気むずかしい小柄な老人で、 誰であれ、軟弱な奴に対してはひどくあざ笑い、 自分のことを、 階上に住む若き二人の画家を守る特別なマスチフ種の番犬だと思っておりました。

ベーアマンはジンのジュニパーベリーの香りをぷんぷんさせて、階下の薄暗い部屋におりました。 片隅には何も描かれていないキャンバスが画架に乗っており、 二十五年もの間、傑作の最初の一筆が下ろされるのを待っていました。 スーはジョンジーの幻想をベーアマンに話しました。 この世に対するジョンジーの関心がさらに弱くなったら、 彼女自身が一枚の木の葉のように弱くもろく、 はらはらと散ってしまうのではないか…。 スーはそんな恐れもベーアマンに話しました。

ベーアマン老人は、赤い目をうるませつつ、 そんなばかばかしい想像に、軽蔑と嘲笑の大声を上げたのです。

「なんだら!」とベーアマンは叫びました。 「いったいぜんたい、 葉っぱが、けしからん つたから散るから死ぬなんたら、ばかなこと考えている人がいるのか。 そんなのは聞いたこともないぞ。 あほ隠居ののろまのモデールなんかやらんぞ。 何でらそんなんたらつまらんことをあの子のあたまに考えさせるんだら。 あのかわいそうなかわいいヨーンジーに」

「病気がひどくて、体も弱っているのよ」とスーは言いました。 「高熱のせいで、気持ちが落ち込んでて、おかしな考えで頭がいっぱいなのよ。 えーえ、いいわよベーアマンさん。もしも私のためにモデルになってくれないなら、しなくて結構よ。 でも、あなたはいやな老いぼれの ―― 老いぼれのコンコンチキだわ」

「あんたも女ってわけだ」とベーアマンは叫びました。 「モデールにならんと誰が言ったらんか。いいかね。 あんたと一緒に行くったらさ。 モーデルの準備はできてると、三十分もの間、言おうとしたったらさ。 ゴット! ここは、 ヨーンジーさんみたいな素敵なお嬢さんが病気で寝込むところじゃないったら。 いつか、わしが傑作を描いたらって、 わしらはみんなここを出ていくんだら。 ゴット! そうなんだら」

上の階に着いたとき、ジョンジーは眠っていました。 スーは日よけを窓のしきいまで引っ張りおろし、ベーアマンを別の部屋へ呼びました。 そこで二人はびくびくしながら窓の外のつたを見つめました。 そして一言も声を出さず、しばし二人して顔を見合わせました。 ひっきりなしに冷たい雨が降り続き、みぞれまじりになっていました。 ベーアマンは青い古シャツを着て、 ひっくり返したなべを大岩に見たて、 穴倉の隠遁者として座りました。

次の朝、一時間ねむったスーが目を覚ますと、 ジョンジーはどろんとした目を大きく開いて、降ろされた緑の日よけを見つめていました。

「日よけをあげて。見たいの」ジョンジーはささやくように命じました。

スーはしぶしぶ従いました。

けれども、ああ、打ち付ける雨と激しい風が長い夜の間荒れ狂ったというのに、 つたの葉が一枚、煉瓦の壁に残っておりました。 それは、最後の一枚の葉でした。 茎のつけねは深い緑で、 ぎざぎざのへりは黄色がかっておりました。 その葉は勇敢にも地上二十フィートほどの高さの枝に残っているのでした。

「これが最後の一枚ね」ジョンジーが言いました。 「昨晩のうちに散ると思っていたんだけど。 風の音が聞こえていたのにね。 でも今日、あの葉は散る。一緒に、私も死ぬ」

「ねえ、お願いだから」スーは疲れた顔を枕の方に近づけて言いました。 「自分のことを考えないっていうなら、せめて私のことを考えて。 私はどうしたらいいの?」

でも、ジョンジーは答えませんでした。 神秘に満ちた遠い旅立ちへの準備をしている魂こそ、 この世で最も孤独なものなのです。 死という幻想がジョンジーを強くとらえるにつれ、 友人や地上とのきずなは弱くなっていくようでした。

昼が過ぎ、たそがれどきになっても、 たった一枚残った つたの葉は、壁をはう枝にしがみついておりました。 やがて、夜が来るとともに北風が再び解き放たれる一方、 雨は窓を打ち続け、 低いオランダ風のひさしからは雨粒がぼたぼたと落ちていきました。

朝が来て明るくなると、ジョンジーは無慈悲にも、日よけを上げるようにと命じました。

つたの葉は、まだそこにありました。

ジョンジーは横になったまま、 長いことその葉を見ていました。 やがて、スーを呼びました。 スーはチキンスープをガスストーブにかけてかき混ぜているところでした。

「わたしは、とても悪い子だったわ、スーちゃん」とジョンジーは言いました。 「何かが、あの最後の葉を散らないようにして、 わたしが何て悪いことを思っていたか教えてくれたのね。 死にたいと願うのは、罪なんだわ。 ねえ、スープを少し持ってきて、それから中にワインを少し入れたミルクも、それから ―― ちがうわ、 まず鏡を持ってきて。それから枕を何個か私の後ろに押し込んで。 そしたら体を起こして、あなたが料理するのが見られるから」

それから一時間たって、ジョンジーはこう言いました。

「スーちゃん。わたし、いつか、ナポリ湾を描きたいのよ」

午後にあの医者がやってきました。 帰り際、スーも廊下に出ました。

「五分五分だ」と医者はスーの細く震えている手をとって言いました。 「よく看病すればあなたの勝ちになる。 これからわたしは下の階にいる別の患者を診なければならん。 ベーアマンと言ったな ―― 画家、なんだろうな。 この患者も肺炎なんだ。 もう高齢だし、体も弱っているし、急性だし。 彼の方は、助からんだろう。 だが今日、病院に行って、もう少し楽になるだろう」

次の日、医者はスーに言いました。 「もう危険はない。あなたの勝ちだ。あと必要なのは栄養と看病 ―― それだけだよ」

その午後、スーはベッドのところに来ました。ジョンジーはそこで横になっており、 とても青くて全く実用的じゃないウールのショルダースカーフを満足げに編んでおりました。 スーは、枕も何もかも全部まとめて抱きかかえるように手を回しました。

「ちょっと話したいことがあるのよ、白ねずみちゃん」とスーは言いました。 「今日、ベーアマンさんが病院で肺炎のためお亡くなりになったの。 病気はたった二日だけだったわ。 一日目の朝、 下の自分の部屋で痛みのためどうしようもない状態になっているのを 管理人さんが見つけたんですって。 靴も服もぐっしょり濡れていて、氷みたいに冷たくなっていたそうよ。 あんなひどい晩にいったいどこに行ってたのか、 はじめは想像もできなかったみたいだけど、 まだ明かりのついたランタンが見つかって、 それから、元の場所から引きずり出されたはしごが見つかったのよ。 それから、散らばっていた筆と、緑と黄色が混ぜられたパレットも。 それから、 ―― ねえ、窓の外を見てごらんなさい。あの壁のところ、最後の一枚のつたの葉を見て。 どうして、あの葉、風が吹いてもひらひら動かないのか、 不思議に思わない? ああ、ジョンジー、 あれがベーアマンさんの傑作なのよ ―― あの葉は、ベーアマンさんが描いたものなのよ。 最後の一枚の葉が散った夜に」



 ’11-10-04 第八回東日本大震災義援金 1 万円