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続折々の記 2018⑪
【心に浮かぶよしなしごと】

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 12 31 (月) 2018年の総括     現状のもやもやを一掃したい

昨年から続いていた「忖度」、良い意味ならいいのだけれど悪い意味が定着し、国民のいらいら、もやもや感情はやるかたない。 戦後アメリカからの援護には感謝しなければならない。 けれどもそのどさくさの裏にアメリカの政治方針による手枷、足枷による官僚、政治家は独自性を失って道義の論理が崩れたままとなり、とうとう悪い意味での「忖度」という意識が日本を覆ってしまった。

安倍政権になってからその兆候は顕著になり「衣の館はほころびにけり」は、「年を経し」どころか、自分勝手の××欲に基づいていた。

この暗雲をどのように払えばいいのか? 私たちが払わなくてだれが払うのか? どのように企画したらいいのか? これは私たち国民の一人ひとりが何とかしなければならない。

朝日新聞12月30日と1月1日の社説と声及び31日違法献金の横行を取り上げておく。

社説

安倍政権2018年 政治責任とらぬ悪例残す
2018年12月30日

 ことしは日本政治史に大きな汚点を残した。

 財務省による組織的な公文書の改ざんと廃棄である。国会と国民を欺き、歴史を冒涜(ぼうとく)する。民主主義の根幹をずたずたにする大事件だった。

 それなのに、安倍首相は麻生太郎財務相を続投させた。麻生氏もみずから身を引くことはなかった。

 未曽有の不祥事でも、政治責任を取らない。悪(あ)しき前例をつくってしまった。

 ■麻生財務相の居座り

 「私や妻が関係していれば、首相も国会議員も辞める」

 安倍首相のこの国会答弁の直後から、森友学園との土地取引に関する公文書の改ざんが始まった。昨年2月のことだ。

 朝日新聞が今春に報じて発覚した。だが、その後の財務省の調査はおざなりだった。

 国有地がなぜ8億円も値引きされたのか、問題の核心は不明のまま。学園の名誉校長をつとめた首相の妻昭恵氏から直接、話を聴くこともなかった。

 改ざんは国有財産を所管する理財局内であったとして、当時の理財局長ら20人を処分した。麻生氏は1年分の閣僚給与170万円を自主返納するだけだ。

 行政への信頼を失墜させながら、その重い責任を政治家が正面から受けとめず、もっぱら官僚に負わせる。

 これでは、社会全体のモラルが崩れてゆく。

 ただでさえ、麻生氏については、閣僚としての見識を欠く言動が相次いだ。

 改ざんの方向性を決定づけたとされる幹部を「適材適所」と評価し続ける。財務省の調査ではっきりしなかった改ざんの動機を問われ、「それが分かりゃ苦労せん」と言い放つ。財務事務次官のセクハラについても、「はめられて訴えられているんじゃないか」。

 ■問われる閣僚の資質

 この1年、安倍政権の閣僚は多くの問題を引き起こした。

 しかし、麻生氏が重要ポストに居座ったことで、閣僚たちがおのれの責任を軽んじる風潮がまんえんしたように見える。

 柴山昌彦文科相は就任早々、「教育勅語」を「道徳などに使える」と発言した。片山さつき地方創生相は政治資金収支報告書を短期間に4度も訂正した。河野太郎外相は記者会見で4回続けて「次の質問どうぞ」と記者の質問を無視した。

 答弁の粗雑さも目立った。

 野党の質問をはぐらかし続ける加藤勝信厚労相(当時)らの手法は、パンは食べたが米は食べていないので、「朝ご飯は食べていない」と答える「ご飯論法」と命名された。

 山下貴司法相は、外国人労働者の受け入れを拡大する出入国管理法改正案の審議で、技能実習生が法令に反する労働環境に置かれていたのを隠すような説明を繰り返した。

 閣僚の野放図さに加えて、与党の強引な国会運営が、立法府の空洞化をさらに進めた。

 働き方改革法も、参院の定数6増も、カジノ実施法も、入管法改正も、噴き出た異論や慎重論をねじ伏せて採決を強行し続けた。

 これまでも安倍政権は、特定秘密保護法、安全保障関連法、「共謀罪」法などを「数の力」で成立させてきた。その手法が極まった観がある。

 ■42年前の警句いまも

 政治責任をないがしろにする政治は首相自身がつくった。

 森友・加計問題について、いまだに国民が納得できる説明をしていない。森友問題では「贈収賄はないという文脈で関わっていない」と述べ、責任を限定する構えを示した。

 しかし、刑事責任がなければいいという話は通じない。国民の負託を受けて公権力を行使する政治家には、より幅広い政治的道義的責任が求められる。

 現状に通じる警句がある。

 「政治責任が有効に機能しないところには民主主義が存在しない」

 憲法学の杉原泰雄・一橋大名誉教授の言葉だ。42年前のロッキード事件の際に発せられた。疑惑をもたれながら刑事責任までは問えない「灰色高官」が話題になったころだ。

 時代状況は違うが、安倍政権のもとで、民主主義はいま危機的状況に陥っている。

 典型例が、国会での採決強行や沖縄の辺野古の海への土砂投入だ。「上意下達」で異論を切り捨てる姿勢は、少数意見も尊重し、自由な討議を通じて政策や法律を練り上げる民主主義のあるべき姿からはほど遠い。

 それでも政権への支持は底堅い。朝日新聞の12月調査でも内閣支持率は40%あった。

 理由は「他よりよさそう」が圧倒的だ。経済はそれなり。野党は頼りない。だからとりあえず現状維持でいい、ということなのだろう。

 だが、年の瀬に改めて問う。

 政治責任を顧みず、「多数に従え」という政治を、来年も続けますか。


2018年12月30日

「核禁条約批准を」改めて思う 中学生 羽田蒼馬(長野県 14)

 核兵器禁止条約が国連で採択されてから1年が過ぎた。その間、朝鮮半島の非核化に向けた「平壌共同宣言」など世界で大きな動きがあった。だが日本は一貫して条約に背を向けている。非核化をうたう国は多いのに、いぜん世界から核兵器がなくならない。

 僕は昨年米国を訪れ、「核の危険性について考えたことがない」「原爆の投下によって戦争が終わり、安全になった」という意見を聞いた。被爆の苦しみを知ろうとせず核の危険性に無関心な人々に、核抑止論を唱える政治家が支えられている。

 しかし、核によってつくられた安全は本当の平和とはいえない。核兵器を向けられた人々は核の脅威におびえながら生活している。核の力を背景に相手を脅すのではなく、話し合いで物事を解決できる状態こそ、真の平和だ。

 この実現のために、核兵器禁止条約は有効だ。被爆の苦しみを知る日本こそ、条約を批准し、唯一の戦争被爆国として核の悲惨さを訴え、核保有国に非核化の働きかけをすべきだ。僕は改めてそう思った。

石牟礼さんの教え、胸に刻んで 無職 和泉まさ江(神奈川県 54)

 私の故郷は、見渡す限りきらきらと輝く海原で、そこでは海苔(のり)の養殖が営まれていたという。静かな穏やかな村であった。やがて工業都市へと変貌(へんぼう)し、その繁栄と弊害、つまりは公害の中で私は生まれ育った。

 公害に翻弄(ほんろう)される人々に寄り添った石牟礼道子さんが2月10日亡くなった。私はその存在を崇(あが)めつつも著書に触れることを避けていた。公害による病に苦しむ友を目にしつつ何ら運動に関わらなかった負い目からか。

 本紙連載の「魂の秘境から」を読み「そんなに怖い人ではないかもしれない」と正月に「苦海浄土3部作」を手にした。美しく恐ろしく悲しくつらい真実に、一文字たりとも無駄なく、言葉と身を尽くしてつづられた文章に涙が止まらなかった。

 その後ひたすら石牟礼さんの著書を読み漁(あさ)った。彼女は人類いや生類全てがあるべき姿を、何を守り何を失ってはいけないのか、啓示してくれていたように思う。2018年は日本と世界が大切な語り部たる道標を失った年になったのではないか。

妻と2人で耐えた北海道地震 会社員 佐々木晋(北海道 57)

 私たち夫婦は1年のうち11カ月離れて暮らしている。インドネシア人の妻はジャカルタ郊外の村で幼稚園を経営しており、毎年ひと月だけ北海道で過ごす。楽しいひと月が今年はとんだ災難に遭ってしまった。北海道地震である。

 北海道全域が停電する未曽有の事態になった。夜、外に出てみると周りが真っ暗なので、いつもは見えない星まで明るく輝いていた。美しい夜空を見上げながら、私たちは小さなけが一つしなかったことに感謝した。奇跡のようにも感じた。

 今年独立した2人の子どもも無事だった。役所に勤める息子は朝5時から復旧のために働いた。娘は自宅が断水のため、お客様に失礼にならないようにと公園でシャンプーしてから職場に向かったという。

 恐ろしくつらい体験だったが、夫婦一緒にいれば生きる勇気がわいてくるものだ。「だいじょうぶ。世界が終わるわけではないのだから」。そんな妻の口癖を直接聞けたのは、この上もない喜びだった。

戦争語り部の言葉を胸に生きる 中学生 糟谷百叶(愛知県 13)

 私はこの夏「平和研修旅行」で戦争に関わる場所に行き、平和について考えるようになりました。

 福岡の大刀洗平和記念館では、特攻隊で死ぬとわかっていながら「国のため」という思いで死地に向かった人がたくさんいたことを知り、悲しくなりました。長崎原爆資料館では戦争体験者のお話を聞き、「昔を知り、今を生き、未来をつくる」という言葉は、今の時代を生きる私たちに向けられていると思いました。

 絶対に戦争のことを忘れてはいけません。私は戦争体験者の言葉を胸に、日々過ごしたいと思います。二度と日本が戦争を起こさないよう、多くの人が戦争を知る必要がある、私はそう思います。

ガバナンス劣化、嘆かわしい 会社役員 谷川正俊(埼玉県 66)

 各方面で企業や団体のガバナンス(組織統治)の機能不全が目立った1年だったと思う。

 政治の世界では勝手な都合のため、公文書の隠蔽(いんぺい)・改ざんが発覚した。産業界では素材メーカーが自社製品の納期を守るためか、データ改ざんが頻発した。貸すことありきで、多数の不正融資を行った金融機関もあった。また教育の世界では医学部の入試で合否判定が大学に操作され、何人もの受験生の将来を奪ってしまった。

 相次いだこれらの事案で、国民からの信頼を失った1年。日本の劣化が進行しているようで心配でならない。この劣化にストップをかけることが急務だろう。

さらば「酒気帯びの人生」55年 無職 山本一(山口県 76)

 7月18日に酒を飲むのをやめた。不整脈のため苦渋の決断をしたのだ。それまでの55年間ほとんど毎日酒を飲み、酒に助けられる「酒気帯びの人生」だった。

 仕事や遊び、悲しみや喜びの仲立ちを酒にしてもらった。在職中は終業後に縄のれんに繰り出し、大いに仕事の激論を戦わせた。退職後も毎日缶ビール1本、ワイン1グラス、焼酎お湯割り2杯をゆっくりと飲んだ。酒をやめて約5カ月。懸念した禁断症状も出ておらず頭がすっきりしているのは気のせいだろうか。

 今まだ宴席での会話はぎこちない。晩酌なしの夕食も手探りだが、また違った物の見方や考え方が出来そうでわくわくしている。否、そうありたいと思う。

私たちにとって悲しい国会議員の話
11団体へ献金、違法の恐れ 昨年、補助金受給の13社 法の制限「例外」9割
2018年12月31日

 政治資金規正法が原則制限している補助金受給企業の政治献金(政治団体などへの寄付)について朝日新聞が調べたところ、2017年に11の政治団体が違法の恐れのある献金を受けていた一方で、9割以上は制限の「例外」とされていた。各府省庁の仕分けによるもので、専門家は「法律自体が意味をなしていない」と指摘する。▼27面=制限、骨抜き状態

 政治資金規正法は、特定企業が政治献金を通じて国と関係を強めるのを防ぐため、国から補助金交付決定の通知を受けてから1年以内の献金を原則禁止している。朝日新聞が、17年の政治資金収支報告書で電子データ化できたものについて18府省庁の補助金リストと照合したところ、交付決定通知を受けて1年以内の献金は計約1300件あった。

 このうち、少なくとも13社の26件は違法の恐れがある献金だった。献金を受けていたのは、国会議員ら10人の政治団体と、自民党の政治資金団体「国民政治協会」。献金額は1団体あたり6万~56万円だった。政治団体側は「補助金を受けた企業とは知らなかった」「返金する」などと答えた。

 一方、補助金が、試験研究・調査▽災害復旧▽性質上利益を伴わない――場合は例外となる。各府省庁は、補助金ごとに「(政治献金すれば)違法となる恐れがある」や「制限の対象外」などと仕分けし、企業側に伝えている。

 朝日新聞が調べた計約1300件の献金のうち、1200件超は仕分けにより制限の対象から外れていた。国が企業などに直接交付した補助金(17年度)を取材すると、18府省庁で計1121(一部の省は概数)あり、うち献金が制限される補助金は82だった。

 政治資金に詳しい日大法学部の岩井奉信教授は「大半の補助金は、献金しても『問題なし』となっていて、法律が空文化している」と指摘。「とはいえ補助金をもらった企業すべての献金を禁じてしまうと、ほとんどの企業が献金できなくなる可能性がある。補助金受給企業やそこから献金を受けている政治団体を市民がチェックできる仕組みを作ることが必要だ」と話す。(矢崎慶一、宮野拓也)

▼27面=制限、骨抜き状態
献金制限、骨抜き状態 例外適用、府省庁が判断

写真・図版

 本来は禁止されているはずの補助金受給企業から政治団体への献金の多くが、各府省庁の判断によって、制限の対象外とされていた。国との関係を強化しようとする企業の献金を防ぐための制限だが、骨抜き状態になっている。(宮野拓也、矢崎慶一)▼1面参照

 補助金受給企業からの献金をめぐっては、2015年に安倍晋三首相ら複数の閣僚や、民主党代表(当時)の岡田克也氏らが代表を務める政党支部が献金を受けていたことが相次いで判明し、国会でも問題となった。どの補助金が制限の対象なのか、そうでないのか、判断しづらいといった指摘もあり、総務省が同年、制限の例外となる補助金についてガイドラインを作った。

 ガイドラインでは、補助金の目的が「試験研究・調査」「災害復旧」の場合のほか、事業を行うことによって生じた損失を補填(ほてん)するなど「その他性質上利益を伴わないもの」の3種類に補助金を分類し、受給しても献金の制限が適用されないとした。

 国が企業などに直接交付した補助金の数(17年度)について朝日新聞が18府省庁に問い合わせたところ、全体で計1121(一部の省は概数)あり、そのうち献金が制限される補助金は82だった=円グラフ。

 献金が制限される補助金の数は、農林水産省が54、国土交通省が10、文部科学省9など。内閣府や総務省、環境省など13府省庁は0だった。各府省庁は、総務省のガイドラインに沿って仕分けした、と説明している。

 政治資金規正法の規定では、政治献金をすると違法の恐れがある補助金でも、企業ではなく役員など個人による献金は制限されていない。そのため、取材に対して「個人に切り替えて献金した」と話す企業も複数あった。

 また、国からの補助金でも地方自治体が交付を決定した場合は、国会議員に関係する政治団体などへの献金は制限の対象外とみなされる。農水省から交付されていたバイオマス関連の補助金は、17年度までは献金制限の対象だったが、18年度から補助金の交付団体が都道府県に移ったため、制限の対象から外れている。

 国から交付金が出ている産業技術総合研究所や科学技術振興機構などの国立研究開発法人は、大学や企業と提携して行う研究やベンチャー企業に出資をしている。こうした出資を受けた企業が、政治団体に献金することも制限されていない。

   ■政治団体側「受給企業と認識せず」

 政治団体側は、違反する献金と知りながら受けてはならない。制限に違反した場合、罰則は3年以下の禁錮か50万円以下の罰金とされている。2017年に違法の恐れのある献金を受けた政治団体は、朝日新聞の取材に「返金」や「返金予定」などと回答した。各団体とも、献金した企業が補助金を受給していたことを認識していなかったと説明している。

 衆院の武井俊輔氏(自民)が代表の「自民党宮崎県第1選挙区支部」は、献金制限がある補助金を受給していたホテルから12万円の献金を受けた。補助金は、インバウンド関連の支援事業だった。同支部の会計担当者は「献金してもらう企業には補助金と献金についての注意はしているが、漏れるケースも出てしまう」と話す。

 献金が制限される補助金100万円を受けながら20万円の献金をしていた大手旅行会社の広報担当者は「補助金を申請する部署と献金を行っている部署との連携不足が原因」。群馬県内の自民党の政党支部に12万円を献金したホテルは「受けた補助金は(地元業界の)組合から頼まれて参加した。献金がだめといった話はなかった」と話した。

   ■献金制限のある企業・法人から献金を受けた政治団体

   <自民党三重県第4選挙区支部> 飲食店経営会社から18万円
   <自民党石川県参議院選挙区第1支部> ホテルから6万円、建設会社から6万円
   <自民党鹿児島県第3選挙区支部> 水産物加工販売業者から12万円
   <自民党群馬県ふるさと振興支部> ホテルから12万円
   <自民党新潟県第3選挙区支部> 土木建設業者から6万円
   <自民党石川県第1選挙区支部> ホテルから12万円
   <自民党京都府第4選挙区支部> 飲食店経営会社から12万円
   <自民党宮崎県第1選挙区支部> ホテルから12万円
   <自民党熊本県第2選挙区支部> 食品製造販売会社から12万円
   <自民党石川県衆議院支部> ホテルから12万円、建設会社から12万円
   <国民政治協会> 旅行会社から20万円、旅行会社から6万円、及び
                農業生産法人から10万円、ホテルから20万円

【下平】

品格を持つべき私たちの代表が、平然と守銭奴そのものの行為をしています。 国際的にも極めて恥ずかしい品格と言わなければなりません。 議員一人一人は順法精神をどう考えているのか、その答えを求めたい。 これは私一人の意見ではないはずです。


1月1日の社説
ジャーナリストの中核(いきどお)
政治改革30年の先に 権力のありかを問い直す

 それは悲壮な調子の一文だった。

 「いまこそ自らの出血と犠牲を覚悟して、国民に政治家の良心と責任感をしめす」

 1989年5月、自民党は「政治改革大綱」を世に出した。リクルート事件があり、金権腐敗への不信が極まっていた。大綱は、政権交代の不在と「緊張感の喪失」を、日本政治の欠陥と見なし、衆院への小選挙区制導入をうたった。

 昭和が終わり、冷戦も終わる。バブルがはじけ、湾岸危機が起こる。歴史のうねりが、政界を改革へと駆り立てた。

 30年が過ぎた。

 確かに政権交代は起きた。自民党一党支配の55年体制は崩れた。しかし、目指したはずの「二大政党」は、なお遠い幻影にとどまる。

 政治改革がもたらした功と罪を総括し、次の段階に進むべき時である。

   ■小選挙区制は失敗?

 小選挙区制は民意を大胆に「集約」する仕組みである。比例代表制が民意を忠実に「反映」するのとは対照的だ。

 一方を圧勝させ、強い政権を作らせる。思う存分やらせて、だめなら他方に取りかえる。改革の成否は、そのサイクルが確立されるかどうかにかかる。

 一連の改革では、さらに「首相を中心とする内閣主導」の体制づくりが目指された。

 行き着いた先が、「安倍1強」である。今、執政の中枢である首相官邸への権力の集中はすさまじい。その使い方も実に荒々しい。非力な野党が政権を奪い返す展望は見えない。

 小選挙区制の導入は端的に失敗だったのだろうか。

 政治とカネをめぐる醜聞の温床とされた中選挙区制の復活は論外としても、現行制度の見直し論は以前からある。

 比例代表中心の制度に変え、適度な多党制を常態にすれば、力任せの多数決主義は影を潜め、与野党の合意形成を重んじる熟議の民主主義になる――。こうした議論にも一理はある。

 だが、急ぎすぎてはならない。与野党も有権者もまだ、今の制度を十分使いこなしているとはいえない現状を考えたい。

 与党はごり押し一点張りで、野党は抵抗に徹するしかない。そんな不毛な攻防も、政権交代が当たり前になり、「あすは我が身」を思い知れば、様変わりする可能性がなくもない。

 自分にとってベストでなくても「よりまし」な候補に一票を入れる「戦略的投票」に、有権者が習熟したともいえない。

 30年前に始まった大議論を一からやり直す余裕がないとすれば、必要なバージョンアップを地道に進めていくしかない。

   ■弱い国会を強くせよ

 官邸の下請け機関化、翼賛化、空洞化――。昨今の国会の惨状を形容する言葉の数々だ。

 ここに、政治改革を通じた権力集中の負の側面が如実にあらわれている。

 どの機関にどんな権力、権限を配分するのが適正か。改革の手直しを試みる際、最も大切な視点である。

 国会を強くする必要がある。

 議院内閣制の下では、内閣とそれを支える衆院の多数与党が一体となっている。与党は数の力で政府提案を次々通していこうとする。

 一方で国会には、政権中枢や各省庁の活動を監視する役割がある。行政府VS.立法府という権力分立の構図である。

 それは主に少数野党の仕事になろう。助けとなるのが憲法53条の後段だ。衆参どちらかの総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は臨時国会を召集せよ。内閣が開きたくなくても、国会の意思として開かせ、権力分立の実を上げる仕組みだ。

 ところが、安倍政権は憲法に基づく野党の要求を重ねて無視してきた。違憲批判が起こるのは当然である。

 例えば要求が出てから20日なり、一定の期間内に召集させるルールを明文化すべきである。憲法改正によらずとも、法改正で可能ではないか。

 「首相の専権」などと仰々しく語られる衆院の解散権にも、縛りをかけなければならない。

 安倍政権の不意打ち解散戦略は、改革の眼目の一つだったマニフェスト選挙を台無しにした。大義も争点も不明なまま、有権者は投票を強いられた。

   ■解散権の行使再考を

 解散権の乱用問題は古くから論争の的だ。権力の振り分け方を正すという観点から、そろそろ再考すべきである。

 政治改革後の歴代内閣は、長期安定政権と、「ねじれ国会」に由来する短命政権とに二分される。その意味で、参院への権力の割り当てと、その役割の見直しも避けて通れない。「地方の府」にする案をはじめ、議論の積み重ねはある。

 内閣や国会の権力の淵源(えんげん)は、主権者たる国民である。政治に緊張感を持たせる最良の手段は、主権者が厳しい視線を絶やさないことである。

声 今年こそ
2019年1月1日

リーダーは民の痛み分かる人に 主婦 佐々木澄代(新潟県 79)

 2018年は、小骨がのどに引っかかったまま暮れたような年だった。いや、小骨どころか、国の根幹に関わる見過ごせない問題がいくつも起きた。

 特に残念だったのが、自民党の岸田文雄政調会長と、カナダ在住の被爆者、サーロー節子さんの先月の面会だ。サーローさんが核兵器禁止条約への参加を求めたのに対し、岸田氏は「条約が目指す核廃絶と日本政府の目標は同じ」などと述べるにとどめ、政府の条約不参加の姿勢は一向に変わらない。

 もう一つは、沖縄の基地問題だ。辺野古移設反対を掲げた玉城デニー氏が沖縄県知事に当選し、県民はもちろん多くの国民が関心をもって見守る中、政府は移設に向けた作業を再開した。

 沖縄戦と戦後の沖縄の苦労を少しは知る世代の私は、今度こそ国がしっかり検討し、しかるべき土地を探すとか何か手を打つだろうと期待していた。今後どうなっていくのであろうか。

 ともあれ、国民が安心して住める国、被爆国として核兵器には絶対の反対を貫く国を目指してほしい。

 一国のリーダーやそれを目指す政治家は、大事なことは数の力で押し通さずに議論を尽くす人、不正は不正として許さない公正な人、民の痛みが分かる人であってほしい。

与野党伯仲させ政治を変えよう 無職 渡辺充(福島県 75)

 このままいけば年末に、安倍晋三首相の通算在任期間が歴代最長を記録しそうである。国民が選択した結果とはいえ、悔やみ苦悩している有権者も多いだろう。

 長期政権は首相を「能弁家」に成長させた。モリカケ問題をうやむやにしたまま、改正出入国管理法や改正水道法などの成立を強行した。多くの国民が求めてもいない憲法の改正まで主張している。

 問題が起きても支持率が極端に下がらないとなれば、自信につながる。我々は首相を強大な権力を持つ独裁者に押し上げてしまったような気がする。

 自分も含め、怒りや不満を具体的行動に表さない国民性を猛反省すべきであろう。いくら「おしん」的な我々日本人であっても、もはや我慢の限界を超えている。国民は怒りを爆発させ、鉄槌(てっつい)を下さなければならない。

 多少の混乱や不安があっても、与野党が緊張感をもって対峙(たいじ)できる状況が必要である。そのためには、自公以外はだらしないし任せられないなどと、間違った安定・安心の継続を有権者が選択することがあってはならない。

 与野党伯仲の選択こそ、独裁・強権政治を許さない唯一の方策であると確信している。

誰もが安心できる介護制度を 無職 竹内巧(山口県 76)

 介護を求めているのに、十分な介護を受けられない人がいる日本の現状が心配です。経済格差が問題となるなか、少なくとも介護を受ける最低限の権利だけは守られる社会であって欲しい。

 我が家も自分の老後は自分で守らなければならないが、最後の頼みの綱は公的な介護です。しかし、介護を受けたい人の現状は厳しい。地域の介護施設で働く知人によると、ベッドが余っていても、人手不足が慢性化していて、入居希望者を受け入れられないそうです。

 人手不足の原因は給与の低さです。常勤介護職員の平均給与は月額約30万円で、全産業平均より10万円ほど低い。国は処遇改善に取り組むそうですが、全ての介護職員に十分な賃金アップがなされなければ、問題は解決しません。

 家族に代わって介護をしてくれる人たちに、それ相応の給与を払うことに反対する国民はいないと思います。  介護を受ける人、そして介護に従事する人のために、国は成熟した介護制度の確立を目指して、諸制度の見直しを推進して頂きたい。

ロシアのバレエ学校で自分磨く 中学生 池田かのん(愛知県 13)

 私の将来の夢は、プロのバレエダンサーとして、海外のバレエ団に入団することです。

 友達が楽しそうにやっていたので、私も3歳からバレエを始めました。今は地元のスタジオで週に4、5回のレッスンを受け、家でもストレッチや筋トレに取り組んでいます。あまり遊ぶ時間はないけれど、つらいとか大変と思ったことはありません。とにかく楽しいです。

 去年の夏にコンクールに出場したら、ロシアのボリショイ・バレエ学校に短期留学できることになりました。今年の2月から、1週間行く予定です。

 一人での海外は初めてなので、少し不安です。でも、いつもは自分の通っているスタジオの先生にレッスンしてもらっているけれど、ちがう先生に教えてもらうことで、ちがう視点から自分を見ることができると思います。新しい発見ができる気がして、今からワクワクしています。

 短い留学ですが、貴重な体験なので、たくさん吸収して帰ってきたいです。この留学で大きな何かを見つけ、今年こそ、長期留学のスカラシップをとりたいです。そして、夢にまた一歩近づいていきたいです。

お節介おばちゃんになるのだ 看護師 青堀路花(福岡県 42)

 仕事帰りに歩いていたら、前方から、パジャマを着たおじさんがこちらに向かって歩いてきた。よく見ると、採尿バッグを手に持っている。

 「大丈夫かな」「どこかの病院から抜け出してきたのかな」と気になったけれど、その時は自分が仕事で疲れていたこともあって、見て見ぬふりをして通り過ぎてしまった。

 別の日、車の通りが激しい道で、サッカーのドリブルをしながら歩いている小学生がいた。「こんな所で危ないでしょ!」と注意したかったけれど、やはりできなかった。

 私は知らない人に声をかけたり注意したりすることがなかなかできない。「余計なお世話かしら」「嫌な顔をされたらどうしよう」「面倒くさいことになると嫌だな」などと、いろいろ考えているうちにタイミングを逃してしまう。

 だけど、言葉にできなかった場面は、心に引っかかったまま。おじさんも小学生も大丈夫だったか気になってしまう。そんな風に後悔する自分が嫌だ。

 だから、これからは勇気を持ちたい。気になったら、その場で声をかけよう。今年こそ、お節介(せっかい)なおばちゃんになるのだ。

図書館の親切にブドウの恩返し 無職 渡辺雅子(栃木県 73)

 10年前、終活のつもりで、家にあふれていた本を処分した。だが、ある日、三島由紀夫の「金閣寺」がもう一度読みたくなった。

 図書館に行くと、係の人が文庫本から中高生向けにやさしく編まれた本まで、さまざま用意してくださった。そうして私の図書館通いが始まった。

 3年前、自宅に巨峰とピオーネの若木2本を植えた。次の年、ちょっと小さめだけど、立派な美しい巨峰が実った。枝がたくさん分かれ、幹も太くなった。

 手入れの仕方が知りたくて、図書館で所望すると、専門書から家庭菜園の本まで、またたくさんの本を見つけてくださった。剪定(せんてい)の仕方や肥料のやり方を学び、世話を続けた。

 そして、去年。巨峰に加え、ピオーネもたわわに実をつけた。図書館の本には「巨峰とピオーネは栽培が難しい」と書いてあったけれど、私は大成功。

 今年こそ、成功の報告だけでなく、おいしい実を図書館の方にお届けいたします。待っていてくださいね。

車いすの夫と行きたい温泉旅行 主婦 浅井志げ子(埼玉県 87)

 夫が脳出血で倒れて5年になる。リハビリを続け、杖をついて少しは歩けるようになったが、外出時は車いすが欠かせない。私も年なので、介助には限界がある。旅行は娘と3人でするようになった。

 新幹線には車いすに対応した座席やエレベーターがあり、とても助かっている。だが、全ての鉄道や駅で整備されているわけではなく、まだまだ不便だ。

 宿もバリアフリー対応が増えているが部屋に限りがあり、予約が取れず旅行を断念することも。また、夫の入浴には介助が必要なので、私たちはバリアフリーの家族風呂がある宿を探すしかない。ヨーロッパのように、老若男女が水着姿で和気あいあい楽しめる温泉が増えればと思う。

 温泉にしばらく行けていないので、娘と下調べして、今年こそ皆で箱根に泊まりに行きたい。そして来年はいよいよ、東京でパラリンピックが開かれる。海外のお客さんのためにも、一層のバリアフリー化が進むことを願っている。

父の言葉を胸に着物でお出かけ 主婦 久水博美(神奈川県 53)

 昨年、母を見送った。父は私に「葬儀で着物は着ないの?」と聞いた。私は「着ないよ」と素っ気なく返してしまった。着付けなど、若い頃に少し習ったくらいで、着る機会もほとんどなかったからだ。

 ところが、その4カ月後、母の後を追うように父も亡くなってしまった。「着物は着ないの?」という父の言葉が、私の心の中に残った。父の葬儀では着るしかない。レンタル業者に頼むと、着付けの人も紹介してくれた。思ったほど手間はかからなかった。

 明治生まれの祖母はいつも着物だったし、亡き伯母も着物好きだった。自分で着られたらいいなと思いながらも、なかなか出来なかった。葬儀の時に着付けをしてくれた方が、公民館で着付け教室を開いていたので教えて頂くことにした。

 着物を着ると、なぜかうれしい。父や着物を着ていた頃のご先祖様が喜んでくれると思うからか。よーし、今年は自分で着物を着て、何げなく出かけてみよう。そう思っている。

けが克服、まだ走り続けるぞ 無職 早川貞夫(兵庫県 85)

 72歳で仕事を辞め、好きなマラソンと登山を続けている。一昨年は富士山お鉢巡りを達成。70歳を過ぎての国内3千メートル峰21座の登頂を完成した。ランニングでは、新温泉町麒麟獅子マラソンと兵庫神鍋高原ハーフマラソンを完走。福知山マラソンでは27キロ関門まで走ることができた。

 年々加齢による衰えを感じながら、まだまだやれると思っていたが、昨年2月右足を故障してからは回復と故障を繰り返し、1年間一度もマラソンを走れなかった。幸い歩くには支障なく、日本アルプス登山はあきらめて氷ノ山など低山登山は続け、年間40座ほど登ったが、体調管理には苦労した。

 最近やっと走れるようになった。今年3月で86歳になる。身の程を知って今度こそ故障をしないよう、ランニングや筋トレの後、毎日20分のストレッチを続けている。今年こそはハーフマラソン完走と3度目の槍ケ岳登頂を夢見て、日々ゆっくりとけがをしないよう気をつけて頑張っている。

人生最後の感謝込め贈る肖像画 無職 大迫輝通(岐阜県 94)

 長年、趣味で風景や静物などの水彩画を描いている。特に定年後は専念して、個展も毎年開催。画集も3冊上梓(じょうし)した。

 卒寿を大きく超えて人生の終活に取り組んでいるが、長年にわたり厚誼(こうぎ)を頂いた方々に感謝の気持ちを込め、肖像画を描いて贈ろうと考えてきた。

 しかし、二、三の肖像画を描いて贈ったところ、「似ていない」と言われてしまった。これではいけない、まずは腕を磨こうと一念発起した。

 昨年春から、似顔絵の通信教育を受け、ひたすら肖像画を描いた。半年後、念願だった「似顔絵師」の認定を得ることができた。今では、まずまずの肖像画が描けると自負している。

 年賀状のやり取りがおさまったら、友人や知人に、肖像画を作成したい旨を記した手紙を送る予定である。いよいよ、人生最後の大仕事が始まる。考えるたびに、期待と緊張で身震いがとまらない。

「やり切った」と胸を張りたい 中学生 十河優芽(東京都 14)

 僕は去年の内容に不満をもっています。なので2019年は「毎日を大切にすごし、誠意をもって取り組む」と決意しました。何に取り組むのかというと勉強です。

 僕は中2なのですが、1学期まで勉強をしてきませんでした。大学の入試や会社の就職試験などが遠い未来に思えてしまって、やる気がでなかったからです。

 しかし、夏休みあけのテストが終わった後、同じ部活の親友が、僕のやる気に火をつけてくれました。その親友やクラスの頭の良い人を真似(まね)して勉強した結果、成績が上がりました。しかし、努力に見合うものではありませんでした。

 僕は才能が皆無なので努力をしなければなりません。スタートダッシュがおくれてしまった今では、人の何倍もの努力をしなければなりません。もし、その努力が全て悪あがきになったとしても、「ああ、今年はやり切ったな」と胸を張って言える年にしたいです。