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続折々の記 2022 ⑦
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【 09】08/10
バーチャル高校野球トーナメント表・スポーツナビ
神とは何か
いのちの願いとは何か
浄土真宗の願い
驚くべきニュース
米諜報界の世界戦略としての新型コロナ
(追記1)資本の論理と帝国の論理
(追記2)田中宇史観:世界帝国から多極化へ
2022/08/10
サンデーペイント 油性コンクリート床・池用
アスクル - 1缶(1.6L) 約4㎡ ライトグレー オープン ¥3,290
ローラーセットも必要
2022/08/10
バーチャル高校野球トーナメント表・スポーツナビ
第104回全国高校野球選手権
(1回戦‐3回戦) ➡ (準々決勝) ➡ (準決勝‐決勝)
対戦得点も毎日表示される。
2022/08/10
神とは何か
神とは次元的に進化した究極の自己存在です。
あまりにも巨大で、あたたかな霊魂。
人類進化の永遠の未来にある、究極の目標です。
神は自己存在であるがゆえ全能ではありません。
(浅野信)
神とは何か 単行本 – 2014/10/1 浅野信(マコト) (著)
単行本 ¥850 講演録シリーズ第1弾
登録情報
出版社 : ARI出版; 初版 (2014/10/1)
中古品: ¥850 配送料 ¥257 アマゾン取扱
いろいろ見ていると、マユツバモノの感じがします。 神についての考え方が見えてこないのです。 この本を参考に読んでみたい。
ゃつぱり、モーゼの考えに戻りたい
2022/08/12
いのちの願いとは何か
「志願」とは、いのちが本当に志していること、願っていること。
検索してみると、14億のサイトだった。 人のだれもが自分を見つめたときに出会う問いである。
浄土真宗の願い
浄土真宗の御法義について
仏閣基固くして遥かに梅怛利耶の三会に及び、
法水流れ遠くして普く六趣四生の群萠を潤さん
「いのち」の願いを満たす「ご利益」 その壱
「いのち」の願いを満たす「ご利益」 その弐
「いのち」の願いを満たす「ご利益」 その参
冥衆護持 その壱
テーマ:ブログ
「仏に成ろう」という人々の送る日々が、「冥衆」、つまり目に見えないものに護られる日暮になるということについて。
目には見えないものに護られる。大して嬉しくも無いような気がするが、実はこれはとても大事。なぜなら我々は身の事実として、目に見えぬものに惑わされ、右往左往しているのだから。その、我々を惑わすはずのものが、我々を護る側に回ってくださるということ。
目に見えぬものとは何か。
我々は、何を気にしながら毎日を生きているだろうか。世間体。他人の目。他人の言葉。人の顔色。そんなことばかり気にしながら、したいこともできず、言いたいことも言えずに生きてはいないだろうか。あの人がどんな目で見るか。どの人がどう思うか。そういうことに気を取られて、言わなければと思うけれども相手の反応を考えたら言えなくなってしまう。「もっと賢い人だと思っていたけれど、あの程度か。」と思われたくない。
ならば黙っていた方が賢いとなる。
これは別に、誰かが自分の口を押えている訳ではない。自分で自分を縛っているのだ。こういう時にこそ「南無阿弥陀仏」とお念仏を称えたらいい。
念仏は、「他人がどう思おうと、二度とない人生、精一杯やればいいよ。」「他人がどんな目で見ようと、あなたを笑おうと、私がしっかり護るよ。」と、我々に喚びかけてくださる大きないのち、つまりは阿弥陀様の喚び声。この阿弥陀如来の確かな声が本当にこの身に聞えたら、つまらない縛りから抜け出すことができる。この声が聞えないから、いざという時に身動きが取れなくなる。
ある方が教えてくださった。
日めくりには大安とか仏滅とか、他にもいろいろ書いてある。何事につけてその日めくりを見ていいか悪いかを気にする人がいる。このように日めくりばかり気にして生きているような御同行を「日めくり同行」というらしい。他にも、方角を気にしたり、干支を気にしたり、手相、人相、印相、墓相、いろいろある。また、「何かの霊が憑いた」とか。「祟った」とか。言うことが無くなると、しまいには「死んでいったご先祖が迷っている」とまで言い出す。こんなもん先祖が迷っているのではなくて、自分が迷っているだけだろう。気にしなくてもいいようなものを気にして、それらに縛られている。
冥衆護持 その弐
テーマ:ブログ
日めくりには大安とか仏滅とか、他にもいろいろ書いてある。何事につけてその日めくりを見ていいか悪いかを気にする人がいる。
このように日めくりばかり気にして生きているような御同行を「日めくり同行」というらしい。他にも、方角を気にしたり、干支を気にしたり、手相、人相、印相、墓相、いろいろある。また、「何かの霊が憑いた」とか。「祟った」とか。言うことが無くなると、しまいには「死んでいったご先祖が迷っている」とまで言い出す。こんなもん先祖が迷っているのではなくて、自分が迷っているだけだろう。気にしなくてもいいようなものを気にして、それらに縛られている。
また過去のことに執われて、いつまでも「あの時の、あのことさえなければ」と言いながら日を送っている人もいる。いくら「なければ」と言ったって、「あった」のだから、それを前向きに受け止めて、前に進んでいくしかない。
親鸞聖人は、たいへん理不尽な理由で流罪となった。
悲しかっただろうし、腹も立っただろうと思う。せっかく法然上人という素晴らしい先生に出遇って、これからその先生のもとで真実なるものを学べると喜んでいた。それがたった6年で別れなければならなかったのだ。
それで『教行信証』に主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。ということを書かれたのだろう。
上は上皇から、下はそれに仕える貴族や役人まで、みんなおかしいぞと言わずにはいられなかった。現代であれば天皇陛下を批判しても、怒る人はいるだろうけれど、そのことによって罪に問われることはない。しかしながら戦前は、「誰かが怒っているらしい」では済まされなかった。親鸞聖人の時代でも、上皇を批判するなんてことは死を覚悟する必要すらあったかもしれない。それでも、おかしいものはおかしいと書き記された。
しかしながらそれ以来終生、親鸞聖人は「あの時、上皇がおかしかったせいで、私は流罪になった。」と恨み言を言いながら生きられた訳ではない。流罪になった時、親鸞聖人はどう言われたか。そもそもまた、大師聖人 源空 もし流刑に処せられたまわずは、われまた配所に赴かんや、もしわれ配所におもむかずは、何によりてか辺鄙の群類を化せん、これ猶師教の恩致なり。と言われた。
別に好きで新潟の国府に向かわれたのではない。が、このことが無ければ生涯遇えるはずの無かったはずの越後の人々に遇えたのだと受け止め、さらにこれも法然上人の御恩であると喜ばれた。親鸞聖人は、おかしいことはおかしいとはっきりした上で、いつまでも「あれさえなければ」「あの時あいつのせいで」「あんなことを言わなければ」「こんな人に会わなければ」と、死ぬまで愚痴るというようなことはなかった。
親鸞聖人は、与えられた新しい場を、前向きに受け止められた。 前向きに受け止める心。考えてみると、どんなに素晴らしいものがあたわろうとも、これ一つが無ければ人生は無惨なものとなるのではないか。縁があってこの人たちと一緒になったのなら、この人たちと共に前を向いて生きていかなければ、自分だけでなく相手も駄目にしてしまう。これ猶師教の恩致なりと前向きに受け止めていくところに、本当の人生がある。 しかしながら、悲しいことに我々は、過去に執われて人生が前進しなくなってしまうことがよくあるのだ。
冥衆護持 その参
テーマ:ブログ
親鸞聖人は、与えられた新しい場を、前向きに受け止められた。
前向きに受け止める心。
考えてみると、どんなに素晴らしいものがあたわろうとも、これ一つが無ければ人生は無惨なものとなるのではないか。縁があってこの人たちと一緒になったのなら、この人たちと共に前を向いて生きていかなければ、自分だけでなく相手も駄目にしてしまう。これ猶師教の恩致なりと前向きに受け止めていくところに、本当の人生がある。
しかしながら、悲しいことに我々は、過去に執われて人生が前進しなくなってさいまうことがよくあるのだ。そうかと思えば、未来のことばかり心配して、「今はこうして何とか元気にやっていられるからいいけれど、これから先、寝込んでしまうようなことになったら、他人様に下の世話までしてもらわないといけないのかと思うとぞっとする。」「できればそんなことになる前にコロッと死んでいきたい。」なんてことを言う人もいる。
「すべて私が引き受けるから大丈夫。」
「他人があなたをどんな目で見ようと、どんなことを言おうと、日が良かろうと悪かろうと、過去に何があろうが未来に何が待っていようが、私はあなたを絶対に一人にはしない。」「いつでもこの弥陀があなたを護る。」という喚び声が「南無阿弥陀仏」。
もっと言うならば、
「私があなたを護っているのだから、つまらんことに気を取られずに、いただいた人生を少しずつでもいいから、一緒に歩いていこう。」喚びかけてくださっているのが「南無阿弥陀仏」。「何でもいいから他の人の上に立ってやろう。」なんて、さもしい競争にこだわらなくてもいい。ゆっくりでもいい、こつこつと自分のペースで歩いていけばいい。
他の人と比べるのではなく、自分のいただいた人生を本当に大切に、着実に歩いていけばいい。速いだけが人生ではない。「スローライフ」という言葉がある。いろんなことに気を取られて、右往左往していた私が、「南無阿弥陀仏」とお念仏を申しながら、如来様と共にいただいた命を一歩一歩大切に生きる。
特別に立派なことも、優れたことができなくとも、私は私の人生を念仏申しながら、精一杯生きていこうというのが浄土真宗。そういう着実な人生を歩んでいる人を、目に見えないものまでが護ってくださる。それが「冥衆護持」。
『歎異抄』でいえば念仏者は、無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報も感ずることあたわず、諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々ということ。そういう人生を賜るのが「冥衆護持の益」。
これが仏に成っていく者の「いのち」の歩み。本当の「いのち」の歩みとは、「あなたは、あなたのままでいいから、あなたの人生を着実に生きたらいいよ。」という阿弥陀の声に励まされ、護られて生きること。
しかしながら我々は、何か悪いことがあると、何かのせいにする。日のせいにしてみたり、4という数字のせいにしてみたり。そういういろんなことに惑わされずに、いただいた「いのち」を精一杯生きる人生を賜るのが「冥衆護持の益」。
我々が仏に成るということは、迷信や俗信に惑わされない人生を、本当に前を向いて生きていくということ。人がどうだとか、何がどうだとか、死ぬまで人の顔色を見ながら生きるようでは、あまりに無惨ではなかろうか。世間的にどうであろうと、本当に私が私の「いのち」を生きるという姿を、周りの人に見てもらいながら、大切な者達に教えながら一生を終わっていきたいものだ。
大体、自分の死に方にまで気を使っていたら、おちおち死ぬこともできないだろう。いくら「死ぬな」と言われても、「死にたくない」と思っていても、さるべき縁がもよおしてくれば死ぬのだ。そんな風に、いろんなものに気を取られて生きるのではなしに、私の「いのち」を私が精いっぱい生ききることができる。そういう人生が実現するということが、「冥衆護持の益」である。
完
2022/08/12 驚くべきニュース
米諜報界の世界戦略としての新型コロナ
2022年8月4日 田中宇「田中宇の国際ニュース解説詳細」
2022年8月4日 田中 宇
ウクライナ戦争、地球温暖化、新型コロナという3つの世界規模の危機は、米諜報界が欧米の経済や覇権を自滅させて世界を多極化するための策だ。今回はそのうち、あまり分析してこなかったコロナについて分析していく。まずはコロナ以外の2つを簡単に説明する。ウクライナ戦争は、米諜報界がロシアを誘導して侵攻させ、諜報界のロシア敵視策に乗せられた米国側の諸国が対露制裁として石油ガス資源類の輸入を止めて経済的に自滅し、露中印など非米諸国は結束して米国に頼らない経済構造を作り、米覇権の衰退と多極化が進んでいる。この件はすでにたくさん書いた。 (ロシア・ウクライナ関連記事集) (米諜報界を乗っ取って覇権を自滅させて世界を多極化)
地球温暖化については、石油ガス燃焼など人為で排出された二酸化炭素(など温室効果ガス)によって地球が温暖化したという「温暖化人為説」が根拠が薄い話なのに、諜報界の息がかかった米英の著名な学者やマスコミが、人為説こそ確定した事実であると主張し、人為説を疑問視するまっとうな考えの者たちを攻撃して沈黙させて「温暖化問題」「気候危機」を捏造した。温暖化対策は当初、先進諸国(米国側)が省エネを進めて化石燃料の使用を減らして手本を示した後、中国インドなど新興・途上諸国(非米側)に温暖化対策を強要し、それをやり切れない新興諸国から罰金的な排出権をとって経済成長の果実を先進国がピンはねする策略として構想された。2000年代より前、温暖化問題を演出した米諜報界の主流派は、米国覇権の永続を希求する勢力だった。 (Climate Change Dictates Are Self Destructive - But Also Part Of A Bigger Agenda) (ひどくなる大リセット系の嫌がらせ)
だがその後イラク戦争などを機に、諜報界では、米覇権を自滅させて多極化を進めたい多極派が強くなった。諜報界の覇権維持派は「帝国の論理」で動いており、多極派は「資本の論理」で動いている。両者は英米の最上層部で第一次大戦前からずっと暗闘してきた。 ((追記1)資本の論理と帝国の論理) ((追記2)田中宇史観:世界帝国から多極化へ)《以下、詳細記事は省略》
(追記1)
2008年2月28日 田中 宇
資本の論理と帝国の論理
私が自分なりに国際政治を何年か分析してきて思うことは「近代の国際政治の根幹にあるものは、資本の論理と、帝国の論理(もしくは国家の理論)との対立・矛盾・暗闘ではないか」ということだ。キャピタリズムとナショナリズムの相克といってもよい。
帝国・国家の論理、ナショナリズムの側では、最重要のことは、自分の国が発展することである。他の国々との関係は自国を発展させるために利用・搾取するものであり、自国に脅威となる他国は何とかして潰そうする。(国家の中には大国に搾取される一方の小国も多い。「国家の論理」より「帝国の論理」と呼ぶ方がふさわしい)
半面、資本の論理、キャピタリズムの側では、最重要のことは儲け・利潤の最大化である。国内の投資先より外国の投資先の方が儲かるなら、資本を外国に移転して儲けようとする。帝国の論理に基づくなら、脅威として潰すべき他国でも、資本の論理に基づくと、自国より利回り(成長率)が高い好ましい外国投資先だという、論理の対峙・相克が往々にして起きる。
帝国の論理に基づき国家を政治的に動かす支配層と、資本の論理に基づき経済的に動かす大資本家とは、往々にして重なりあう勢力である。帝国と資本の対立というより、支配層内の内部葛藤というべきかもしれない。ただ欧米の場合、大資本家にはユダヤ人が多く、彼らは超国家的なネットワークで動いている。その意味では資本と帝国の相克は、ユダヤとナショナリズムとの相克と見ることもできる。
しかしその一方で、16世紀のスペイン、17世紀のオランダ、18世紀のイギリスと、世界規模の帝国を築いた国々の中枢では、いつもユダヤ人が国際ネットワークの技能を提供しており、それが諸帝国の成功の秘訣の一つだった。欧州のロスチャイルド(ユダヤ)と、アメリカのロックフェラー(非ユダヤ)の対立として描く人もいるが、ロックフェラーは古くから親中国・親ロシアで、多極主義を好む資本家という点でロスチャイルドと同じ側に立っており、両者は根本的な対立をしていない。
▼産業革命を世界に広げた資本家
資本の論理が大々的に登場したのは、18世紀末にイギリスで始まった産業革命以降である。イギリスでは、産業革命で儲けた人々が産業資本家として台頭したが、しばらくすると彼らは、産業革命が一段落して経済成長が鈍化し始めたイギリスより、まだ産業革命が始まっていないドイツなど外国に投資した方が儲けが大きいことに気づいた。
投資の利回りが良いのは、産業革命(工業化)が軌道に乗ってから20年間ぐらいで、イギリスでは1780-1800年だった。その後イギリスの成長が鈍化し、資本家が海外へと新規投資先を開拓していった結果、1850-1870年にはドイツで、1880-1900年には日本で、それぞれ産業革命が展開した。
イギリスの資本家が他の国々の産業革命に投資した時、出したものはお金だけではない。イギリスの製造業の技術や、企業経営の技能に加え、封建体制を脱して工業生産に適した社会に転換する過程としての近代化を始めたばかりの日本やドイツなど政府に対し、法律や軍事など近代的国家運営のノウハウまで移植したはずである。その方が新興国家は安定し、資本家の儲けが大きくなる。
ロスチャイルドのような大手の資本家は、イギリスの国家運営に関与し、自分たちの番頭を首相や政治家、高級官僚として送り込んでいたから、イギリスの国家運営の技能を入手するのは簡単だった。ロスチャイルドのようなユダヤ人資本家は、イギリスだけでなくドイツやフランスにも古くからの拠点を持っていた(そもそもロスチャイルドは産業革命前にドイツからイギリスへと拡大した)。だから、資本や産業技術は簡単にイギリスから独仏などに広がり、資本家の儲けを拡大した。
産業革命の進展の結果、1830-70年代に鉄道網が世界中に広がり、同時期に外洋船舶や自動車など交通技術が全般的に大進歩して、世界は1870年代以降「第一次グローバリゼーション」の状況になった。人類史上初めて、世界が単一の市場になる傾向が急速に強まり、資本は成長率の高い地域を求めて投資先を探し、工場は労賃の安い地域を求めて移転し、商品は中産階級が勃興する新興国でよく売れるようになった。資本家は世界的に金儲けでき、資本の論理からすると好ましい展開だった。
▼資本と帝国の矛盾の末に起きた第一次大戦
しかしそもそも、当時は大英帝国の政治覇権が世界を安定させていたパックス・ブリタニカの時代だった。イギリスが帝国の論理に基づいて世界を安定的に支配していたからこそ、資本家は世界的に儲けられた。
世界には、工業技術の修得がうまい人々と、そうでもない人々がいる。日本やドイツなどの人々は、イギリス人よりも安く優れた工業製品を作れるようになった。欧州各国から移民を集めて作られたアメリカも、イギリスより良い工業製品を作り出した。イギリスは、最初に産業革命を起こし、パックス・ブリタニカで世界を安定させている功労者であるにもかかわらず、産業的には独米日などより劣る、儲からない国になる傾向がしだいに顕著になった。19世紀末には、資本の論理と帝国の論理の間の矛盾・対立が拡大した。
矛盾が拡大した果てに起きたのが、1914年からの第一次世界大戦だった。前回の記事にも書いたように、イギリスは外交・諜報能力が非常に進んでいたが、軍事製造力でドイツに抜かれるのは時間の問題だった。イギリスは、ドイツが東欧・バルカン半島からトルコ・中東方面に覇権を拡大するのを阻止する目的もあり、フランスやロシアを誘ってドイツとの戦争を起こした。
ドイツにも投資していたイギリスの国際資本家の中には、イギリスが戦争でドイツを潰そうとしていることに、ひそかに反発した人々もいたふしがある。彼らは、英政府に軍事費を無駄遣いさせたり、欧州のユダヤ系革命勢力がロシアに行くよう誘導して革命を起こし、イギリスと組んでドイツと敵対していたロシアが革命で戦線離脱するよう仕向けたりして、第一次大戦でイギリスが消耗し、帝国として機能できない状態に陥れようとした。こうした暗闘の結果、第一次大戦は長引き、イギリスは最終的に勝ったものの、国力を大幅に落とした。
第一次大戦でイギリスが勝てたのは、アメリカを参戦させることに成功したからである。当時すでにニューヨークには資本家が数多くおり、第一次大戦でイギリスではなくドイツを支援する勢力も多かったが、イギリスの強い勧誘活動の結果、アメリカはイギリス側に立って参戦した。その見返りとして米政府は、戦後の世界体制を多極的なものにするための主導権を得た。
▼アメリカを乗っ取ったイギリス
アメリカが主導して構築した第一次大戦後の世界体制が、国際連盟であり、ベルサイユ体制だった。これは、大国どうしで話し合って世界の安定を維持する戦争防止の国際機構になるはずのもので、イギリスがドイツを潰すような戦争の再発を防ぐ資本の論理と、アメリカは南北米州のことだけに責任を持ち欧州の紛争に巻き込まれないという不干渉主義の両方が満たされるはずだった。しかし、アメリカ自身が議会の反対で参加せず、機構は不完全なものに終わった。
その後、イギリスは20年かけてアメリカの連邦政府を覇権的な機関に作り替え、アメリカが地方分権の不干渉主義から連邦政府独裁の覇権国へと転換するよう誘導した。その上で第二次大戦を起こして米英が勝ち、第一次大戦で終わっていたイギリス覇権を、アメリカ覇権(パックス・アメリカナ)として再生した。
アメリカの連邦政府は権限が拡大し、戦争をしやすい機関に作り替えられ、アメリカが「戦争中毒」になる素地が作られたが、その裏にはアメリカを作り替えて世界支配をやらせようとしたイギリスがいた。最初の戦略はイギリスが立案したが、その後はアメリカにCFR(外交問題評議会)などイギリスからコピーされた研究機関が作られ、英諜報機関のMI6が米に移植されてCIAとなり、アメリカ自身がイギリス好みの世界戦略を考案するようになって、イギリスがアメリカに乗り移る過程が完了した。
私はこれまで「アメリカはイギリスから覇権を移譲された」と書いてきたが、よく考えると「イギリスは自国の衰退を補うため、アメリカを取り込んで米英同盟が覇権を握る体制にした」と言った方が良い。
アメリカは第二次大戦でも世界の多極的体制を希求し、国際連盟に替えて国際連合を作ったが、新体制はイギリスの冷戦の策略を受け、1950年の朝鮮戦争までに無力化された。おそらくイギリスは、第二次大戦中から、戦争中は日独を潰すためにソ連を味方につけるが、その後はソ連を敵にして米英が中ソと対立する体制を作るつもりだったのだろう。
アメリカの覇権のもとで世界が安定したら、再び資本家はグローバリゼーションを起こし、儲けるために中ソに投資して成長させ、不干渉主義のアメリカはそれを容認し、イギリスの覇権は10年で崩れただろう。戦後すぐに冷戦構造を作って世界を分断し、先進国をすべて英米覇権下に置いたことで、イギリス黒幕の米英同盟による覇権は長期化し、現在まで続いている。
(実際、1990年代に冷戦が終わった直後から第2次グローバリゼーションが始まり、それから10数年後の今、中国は経済大国として台頭し、ロシアも資源大国になり、世界は多極化している)
▼ニクソン以後に暗闘再燃
イギリスが、アメリカを引っ張り込み、日独を潰して傘下に入れ、中ソを永久の敵にして、米英同盟が世界を支配する体制を1950年に完成させた時点で、1910年代からの資本と帝国の暗闘・葛藤は、いったんは帝国の勝利で確定した。
イギリスが召集してアメリカで開いた1944年のブレトンウッズ会議で、ドルは基軸通貨となり、アメリカは造幣輪転機を回すだけで富を生み出せるようになった(建前は金本位制だったが、米政府はかまわずドルを増発した)。西欧や日本に対する戦後復興投資も米企業の儲けとなり、資本家は1960年代までの20年間は、儲かるので米英中心の世界体制に文句を言わなかった。
ところが60年代に米経済の成長や欧日の復興が一段落した後、資本家は再び満足しなくなり、70年代にかけて政府にドルを全力で増発させ、71年に金ドル交換停止を引き起こし、ブレトンウッズ体制を潰すという覇権の自滅をやり出した。同時期にニクソン訪中があり、その後は米ソ雪解け、レーガンによる冷戦終結まで、アメリカは20年かけて断続的に冷戦体制を壊していった。
多極主義に基づいてアメリカの自滅を画策したニクソンは1974年のウォーターゲート事件で辞めさせられた。この事件の騒動からは、アメリカのマスコミを操っているのはイギリスの側であり、資本家の側ではないことが感じられる。ニクソンを辞任に追い込んだ米マスコミは「悪を退治した正義の味方」として描かれ、その後、世界中の多くの若者が英雄談にひかれ、ジャーナリスト志望になった(かつての私自身も)。だが、これは実はイギリス系の謀略であり、ヒットラーや東条やサダムフセインを極悪に描いたのと同じ、イギリスお得意のマスコミを使った善悪操作の戦略だった。
ニクソン以後、アメリカ側が冷戦終結に向けて動いたのに対抗し、イギリスは、イスラエルをけしかけて米政界に食い込ませた。イスラエルはもともと、イギリスの中東支配の道具として、アラブにかみついて分断・従属させる番犬(羊の群に対するシェパード犬)として建国を容認された国だった。だが、イギリスが国力低下の末に1967年、中東(スエズ以東)からの撤退を決めたため、梯子を外されてイスラエルは危機に陥った。
(選民思想のユダヤ人は、羊の群れを飼い主の代わりに一定方向に進ませる牧羊犬シェパードのように、遅れた他の民族を誘導する、神様のためのシェパードを自称している。だが現実のイスラエルは、神様ではなくイギリスの番犬だった)
危機を乗り越えるため、イスラエルはまず67年に第3次中東戦争を起こしてパレスチナからアラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア)を追い出してガザ、西岸、ゴラン高原を占領した。同時に米政界に食い込み、アメリカの中東戦略をイスラエル好みのものに変えることで国家存続をはかる戦略を開始した。イスラエルは、イギリスの有能なシェパードとしてアメリカに食いつき、抵抗勢力に「ユダヤ人差別」のレッテルを貼って噛みついた。
▼イスラエルとの暗闘
イスラエルはイギリスから、議員への圧力のかけ方、軍事産業との結託の仕方、マスコミの操作術など、アメリカを牛耳るノウハウを提供され、数年で米政界に食い込み、1980年に当選したレーガン政権に政策立案者としてイスラエル系の勢力(のちのネオコン)が数多く入り込んだ。
アメリカの世界戦略をめぐる資本家とイギリスの暗闘は、資本家とイスラエルの暗闘に変質した。以前の記事に書いたように、もともとイスラエルの建国をめぐっては、ロスチャイルドなど資本家ユダヤ勢力と、活動家ユダヤ勢力(シオニスト)との間に暗闘があったが、その暗闘は数十年後にアメリカで再発した。
資本家の側は、必要以上に過激なシオニスト右派勢力をアメリカで構成して1970年代後半以降イスラエルの入植地に送り込み、イスラム側とのいかなる和平も許さない過度な強硬姿勢をイスラエルに植え付け、イスラエルが好戦的にやりすぎて自滅していく方向に誘導した。(関連記事)
イスラエルの代理をつとめるふりをして実は資本家の代理というスパイ的な勢力は、イスラエル側の入植者(リクード右派)だけでなく、米側のネオコンも同様だった。ネオコンが入り込んだレーガン政権は、ソ連のゴルバチョフと談合して冷戦を終わらせ、ドイツを統合するという、イギリスの世界戦略を潰す大事業を挙行した。
また、レーガンは2期目の最後の1988年、アラファトを亡命先のチュニジアからパレスチナに呼び戻し、パレスチナ国家の建設に道を開いた(任期最後の年にやることでイスラエルの妨害を避けた)。1993年のオスロ合意につながるこの動きは表向き、パレスチナ問題を解決してイスラエルの安定に貢献する戦略とされたが、実際には、パレスチナ国家の創設後、ゲリラが出てきて以前より有利な位置からイスラエルを砲撃する可能性があった。
イスラエルはアメリカに引っかけられて潰される懸念があると気づき、いったんオスロ合意で結んだ和平を、その後破棄した。和平を破棄したことで、イスラエルでは右派(入植者)の政治力が強まったが、右派もイスラエルを潰そうとする米資本家が送り込んだスパイだったことは、すでに述べたとおりだ。
▼テロ戦争で巻き返そうとした英イスラエル
冷戦終結は資本家の勝利だったが、その後、イギリスが反乱してこないよう、冷戦終結と並行して起きた第2次グローバリゼーションで、アメリカだけでなくイギリスも大儲けできる金融システムが採用され、ロンドンはニューヨークと並ぶ世界金融の中心となった。だが1997年のアジア発の国際通貨危機は、米英中心の金融覇権が永続しないことを感じさせた。
(通貨危機の際、IMFが東南アジアや中南米諸国に過度に厳しい借金取り戦略を採り、反米感情を煽った行為には、隠れ多極主義の臭いがする)
その後イギリスは、イスラム側と戦うイスラエルや、軍事予算増を求める米の軍産複合体ともに「第2冷戦」的なイスラム過激派との永続的テロ戦争を画策した。アメリカでは99年ごろから「近いうちにイスラム教徒によるテロがある」と喧伝され、01年の911でそれが現実化した。この前後、マスコミを使ってイスラム側を極悪に描く、イギリスお得意の善悪操作術が展開された。
マスコミ制御を英イスラエル側に取られ、議会では反イスラエルの言動も許されないがんじがらめの状況下で、現ブッシュ政権が採った戦略は「英イスラエルの意のままに動きつつ、それを過激にやりすぎることで、英イスラエルの戦略を潰す」という、隠れ多極主義だった(レーガンやニクソンも似た戦略を採っており、ブッシュ政権の発明ではないが)。
ブッシュ政権の隠れ多極主義は今、成功の直前まできている。ブッシュは今年、任期末なので再選努力をする必要もなく、イスラエルに気兼ねせず好き放題ができる。イスラエルは、イスラム側との自滅的な最終戦争にいつ突入してもおかしくない。イスラエル軍が予定しているガザ大侵攻が、大戦争の幕を落としそうだ。
金融界では、連銀のグリーンスパン前議長が先日、アラブ産油国(GCC)にドルペッグ破棄を勧めた。連銀のバーナンキ現議長は「アメリカの不況はひどくなる」と景気に冷水を浴びせる発言を何度も繰り返している。いずれも、金融とドルの覇権の大舞台を支える大黒柱を斧で切り倒そうとする、多極化誘発の言動である。かつてイギリス好みの戦争機関の一部だった米連銀は、今では隠れ多極主義の資本家の手先に成り変わっている。(関連記事)
▼イギリスをEUに幽閉する
アメリカが金融崩壊していくと、同じ金融システムに乗っているイギリスも連鎖的に崩壊する。以前の記事に書いたように、イギリスは今年、金融財政の危機になると予測されている。スコットランドでは、イギリスから分離独立を目指す動きも続いており、独立支持の元俳優ショーン・コネリーは最近、77歳の自分が死ぬ前にスコットランドは独立すると発言している。(関連記事)
米英同盟の崩壊、金融財政危機と国土縮小の末、イギリスはアメリカを操作して世界を間接支配することができなくなり、EUに本格加盟せざるを得なくなるだろうが、EUでは今、リスボン条約などによって、政治統合が着々と進んでいる。独仏はすでに軍事外交の統合で合意しており、イギリスもEUに本格加盟するなら、軍事外交の権限をEU本部に明け渡さねばならない。
これは、イギリスが外交力を駆使してアメリカを牛耳ることを永久に不可能にする。アメリカの資本家から見れば、いまいましいイギリスをEUに永久に幽閉することができる。
イギリスは、EUを牛耳って覇権の謀略を続けようとするかもしれないが、かつて二度もイギリスに引っかけられて潰された上、50年の東西分割の刑に処されたドイツは、もう騙されないだろう。サルコジのフランスも、親英的なふりをしつつ実際には多極化の方に乗る狡猾な戦略を展開している。独仏とも、イギリスの長年の謀略から解放されたいはずである。
アメリカは、イギリスとイスラエルから解放されて国際不干渉主義に戻っていくだろうし、ロシアや中国や中東(GCC+イラン+トルコ)も、米英覇権から抜け、独自の地域覇権の勢力になっていくだろうから、たとえイギリスがEUを牛耳れたとしても大したことはできず、世界は多極化していくだろう。アメリカを好戦的にしていたイギリスとイスラエルが無力化されることで、世界は今より安定した状態になることが期待できる。
(追記2)
2017年10月13日 田中 宇
田中宇史観:世界帝国から多極化へ
国際政治で最も重要な視点は「覇権」だ。覇権とは、ある国(覇権国)が他の国(従属国)に対し、軍事占領や植民地化といった具体的な支配方法によってでなく、もっと隠然と影響力を行使して、事実上支配する行為や状態のことだ。20世紀初頭まで(前近代。大英帝国の覇権の時代まで)は、軍事占領や植民地といった露骨な国際支配が認められていたが、その後、2度の大戦を経て、世界のすべての地域の人々が独立国家を持つ状態が作られ、すべての国家が平等であり、ある国家が他の国家を支配してはならないという国際秩序が作られた。露骨な国際支配は国際法違反とされ、国連によって制裁される建前になった。 (覇権の起源)
だが、その後も、強い国が弱い国々を支配する状態は変わっていない。植民地や軍事占領でなく、隠然とした覇権のかたちで支配が続いている。ゴリゴリの対米従属である戦後の日本が象徴的だ。覇権は隠然としており、公式には存在していないことになっているので分析が難しい。戦後の日本では(自国の対米従属を隠蔽するため)覇権分析が正当な学問とみなされていない。 (日本の官僚支配と沖縄米軍)
私が見るところ、覇権には、地域覇権と世界覇権の2種類がある。近代以前の言い方をするなら、地域帝国と世界帝国の2種類だ。地域覇権・地域帝国は、強い国が、自国の周辺の(もしくは経済的、思想信条的につながりがある)弱い国を支配するものだ。強い国の視点に立って存在している。これと対照的に、世界覇権・世界帝国は、先に「世界」という枠組みが存在し、その全体をどうやって支配するかという戦略やグランドデザインの問題になる。
地域覇権・地域帝国の最も顕著な例は中国だ。ユーラシア東部の「陸の大国」である中国は、古代から、地理的な必然性として、自国の安定を維持するため、自国の辺境やその先の周辺諸国を支配する必要があった。中国帝国が強い時代は版図が大きくなり、中国が弱体化すると版図も小さくなり、中国自も内部分裂する。現在の習近平の中国は、史上最大に近い影響圏・版図だ(モンゴル帝国に次ぐ広さ)。中国という存在が先にあり、中国自身の強さに応じて帝国の広さや状況が変わる。 (600年ぶりの中国の世界覇権)
これに対し、世界帝国は、欧州人(スペイン、ポルトガル、英国など)が、15-16世紀の「地理上の発見」によって、世界のかたち(球形)や大きさを、人類史上初めて公式に把握したところから始まっている。中華帝国やローマ帝国は、世界がどのくらいの広さかに関係なく運営されていたが、スペインポルトガル以降の欧州人の世界帝国は、そうでない。先に世界が「発見」され、どうやってそのすべてを支配するかを考案し続けるという、概念や戦略が先行したのが世界帝国・世界覇権である。 (米中逆転・序章)
世界を「発見」した直後、スペイン1か国で支配するには広すぎたので、スペインとポルトガルで談合して世界を分割した。それでも帆船で世界を支配するのは難儀で、細長い航路の周辺しか支配できなかった。効率の良い世界支配への技術革新が続けられ、18世紀に英国で蒸気機関が開発され、汽船や鉄道が誕生し、交通の効率が飛躍的に向上した。世界帝国の運営が一気に効率的になり、産業革命をなしとげた英国が世界帝国(大英帝国)の所有者・運営者となった。産業革命は、鉄鋼の生産効率の向上、軍事力の増大にもつながり、オスマントルコや中国の清朝といった欧州以外の地域帝国を次々と潰し、欧州人による世界支配が確立した。 (世界史解読:欧州の勃興)
▼産業革命後、世界帝国は世界市場になった
産業革命は、世界帝国(大英帝国)を強化したが、同時に、帝国を解体する方向の要素としても働いた。それまでの世界帝国の運営は、支配地域からの略奪か、もしくは欧州で売れる物品の採掘や栽培を植民地に強要するやり方だったが、産業革命によって欧州の工業製品の生産力が急拡大すると、欧州が作った工業製品を買わせる市場として、植民地が重要になった。植民地の人々を、工業製品を買える「消費者」に仕立てるには、まず植民地の人々をある程度豊かにして、貧困層を脱して中産階級にしてやらねばならない。それまでの、植民地からできるだけ収奪しようとする戦略からの転換が必要になった。 (資本主義の歴史を再考する)
もう一つ、産業革命を実現した投資家たちがやりたがった、大英帝国の解体につながる事業が、産業革命を英国から全世界に広げていくことだった。産業革命は、経済を急成長させ、投資家を大儲けさせるが、20-50年たって産業革命(工業化)が一段落すると、成長が鈍化して儲けが減る。儲けを極大化するには、いつまでも英国だけに投資するのでなく、まだ産業革命を経験していない、貧困で「遅れた」地域に投資して産業革命を誘発する必要がある。長期的に、投資家は「焼き畑農業」のように、次々と新たな新天地に投資を移していく必要がある。
植民地を工業化すると、経済発展し、人々が豊かになって「消費者」になる。植民地を消費地にすることと、資本家の焼き畑農業戦略は、同一の趣旨を持っていた。植民地を経済発展させるには、宗主国が好き勝手に植民地を一方的に収奪されてきた状態を壊す必要がある。産業革命後、資本家にとって、世界帝国は、世界市場に変質した。この変質、世界帝国(大英帝国)の解体のために扇動されたのが、19世紀末からの世界的な「植民地独立」を求める政治運動だった。
植民地独立の世界的な運動は、植民地の人々が政治的に覚醒して民族自決の意識を持つようになり、欧州の宗主国の人々が、それを「人権重視」の理想主義の観点から支持容認した結果であると、教科書で説明されている。だが、英国など欧州の宗主国は、植民地の人々を政治覚醒させぬよう、細心の注意を払っていたはずだ。しかも、事態を動かす力は、理想主義より現実の利害の方がはるかに強い。植民地の人々が独立を求めるようになったのは、植民地の人々が頑張ったからというより、宗主国の資本家が、儲けを増やすため、宗主国政府の植民地運営の方針にこっそり逆らって、植民地の独立運動を煽ったからだと考えられる。正史が理想主義史観を採るのは、その方が人々のやる気を鼓舞し、社会的な効率が良くなるからだ。
いったん植民地から独立した世界中の新興の国民国家群が、再びどこかの大国に征服されて植民地に戻らないよう、国家が他の国家を軍事占領したり植民地支配することを禁止する世界的な規範(国際法)が作られた。すべての国家が対等であるとの建前が作られた。世界帝国は世界市場になり、帝国は覇権国に変質した。帝国は、時代遅れな歴史的遺物になった。大英帝国は、英国自身を富ますための仕組みから、できるだけ効率的に世界市場の安定を守るための機能に変わった。これらはすべて、資本の論理に基づいていた。 (資本の論理と帝国の論理)
▼世界帝国を起案したのも、帝国を市場に変えたがるのもユダヤ資本家
近代以前の欧州において、資本家のほとんどがユダヤ人だった。スペインやポルトガルの王室に資金提供し、地理上の発見や世界帝国の戦略を作ったのもユダヤ資本家たちだ。古来、地中海周辺の全域に住んでいたユダヤ人は、中東イスラム世界と欧州キリスト教世界の両方に通じており(イスラム世界は、一神教の先輩としてユダヤ教徒を受容してきた)、イスラム世界が持っていた高度な航海技術や地図類をスペインとポルトガルに伝授し、資金と技術の両面で地理上の発見を推進にした。世界帝国は、ユダヤ資本家の創造物だった。 (覇権の起源:ユダヤ・ネットワーク)
その後、ユダヤ資本家たちは、ユダヤ人迫害を強めるスペインを見捨て、スペインから独立したオランダに移り、世界覇権の主導役もオランダに移った。さらにその後、英国がユダヤ資本家を厚遇したため、資本家と覇権の両方が英国に移り、産業革命が実現された。ユダヤ資本家は、世界帝国の発案者だっただけでなく、その後、今に至る世界帝国・世界覇権の運営を手がけ、スペインからオランダ、オランダから英国、英国から米国へと「覇権ころがし」をやってきた。米国でも英国でもロシアでも、覇権をめぐる運営や発案、描写を手がける高官や外交官、学者、歴史家、記者には、ユダヤ人が多い。世界帝国・覇権の黒幕的な運営は、ユダヤ人の天職である。(覇権運営をユダヤ人に依存していないのは、生来の地域覇権国である中国だけだ。その中国でさえ、キッシンジャーが訪中すると大歓迎して教えを請う)
世界の帝国・覇権体制の近代化をうながした要素として、産業革命と並ぶもうひとつが、フランス革命に始まる「国民革命」だ。王制を倒し、主権在民の共和制を敷いたことで、王侯貴族に労働や納税、兵役を強制されて嫌々ながら働いていた農奴や臣民は、国民革命を経て「国家の主人」とおだてられて俄然やる気になり、喜んで労働、納税、兵役をこなす「国民」に変身した。ナポレオン率いるフランス国民軍はすすんで戦い、他の諸国のやる気のない傭兵軍よりはるかに強かった。
産業革命がモノ(機械)の効率化だったのと対照的に、国民革命(フランス革命)は人々(社会)の効率化だった。国民国家は、封建国家より、はるかに効率的だった。英国をはじめとする王政の諸国は、これを見て、王政を維持しつつ、国民に部分的に主権を与えてやる気を出させる立憲君主制(擬似的な国民国家体制)に移行していった。
ユダヤ人はここでも、フランス革命の黒幕的な推進役として登場する。資本家(=ユダヤ人)にとって、社会を効率化する国民革命と、機械を効率化する産業革命は、自分たちの投資の儲けを増やす策だった。投資家たちは、投資の利益を増やすため、2つの革命を、英仏だけにとどまらせず、全世界に拡大することを画策した。覇権国だった英国は、欧州征服を狙ったナポレオンを何とか退治した後、1815年にウィーンに欧州諸国を集め、まだ国家としてまとまっていなかったドイツとイタリアを、国民国家としてまとめていくことを決定した。 (国家と戦争、軍産イスラエル)
ドイツとイタリアは、住民がドイツ人やイタリア人としての意識を高めて国民国家を創設するより先に前に、英国によって、あらかじめ国民国家になることが決められていた。覇権や国際体制は自然・偶然に形成されているかのように見えて、偶然や理想主義の発露に見せかけること(歴史家や記者による正史の形成)も含めて、黒幕的な設計者がいると感じられる。黒幕がいると指摘する者を陰謀論者・ユダヤ人差別主義者として社会的に抹殺する装置も用意されている。
▼しぶとく黒幕化して覇権を維持した英国
その後150年ほどかけて、世界的に植民地の独立運動が進み、世界中が国民国家で埋め尽くされていった。この動きが興味深い点は、英国自身が、世界覇権(大英帝国)の永遠の存続を望む一方で、自らの世界体制を解体消滅させる植民地の相次ぐ独立を容認したことだ。英国は、旧来の王国勢力(アングロサクソン)が、世界覇権の運営勢力(ユダヤ資本家)を招き入れて合体することで、覇権国である大英帝国になった。だが、産業革命によって英国の覇権力が強まると同時に、世界中に産業革命を広めようとする資本家の欲求が強くなり、帝国の永久繁栄を望むアングロサクソン的な要素より、世界経済全体の繁栄を望むユダヤ的・資本家的な要素が優先されるようになった。「帝国と資本の相克」が大きくなった。 (多極化の本質を考える)
英国の上層部で、英国自身の強さの維持を望む勢力が、英国より世界の発展で儲けたい資本家勢力と談合して決めたことは、植民地の独立を容認し、世界中を国民国家で埋め尽くす転換をやっても良いが、作られる一つずつの国民国家をできるだけ大きくせず、英国よりもはるかに大きい国民国家を作らないようにすることだった。 (大均衡に向かう世界)
英国より大きな国民国家がたくさん作られると、それらの諸国はいずれ英国より大きな経済力・国力を持つにいたり、相対的に英国の力が弱まってしまう。英国と同じくらいの大きさの国民国家が世界中を埋め尽くす状態なら、英国は外交技能を駆使して、それらの国々の主導役をやっていられる。英国は、ナポレオンがスペインを征服し、南米大陸でスペインの植民地が独立する際、バラバラの小さな諸国として独立するように扇動した(ポルトガル領だったブラジルだけは手を出せず、大国になった)。英国はまた、中近東(サイクスピコ条約)やアフリカ、中国の分割も画策している。中国の分割は、米国の妨害で実現しなかった。 (アフリカの統合)
英国から欧州大陸に産業革命が広がった結果、ものづくりがおたく的にうまいドイツが、英国をしのぐ経済力を持つようになった。産業革命のアジアへの拡大は、日本の台頭を生じさせた。経済的に劣勢になった英国は、政治や軍事で、ドイツなどの新興大国に対抗し、この過程で2度の世界大戦が起きた。資本家の側から見ると、2度の大戦は、英国とドイツ(独日)を戦わせて相互に破滅させ、残りの世界の諸国(世界中の植民地)を支配から解放し、戦後の世界的な経済発展を引き起こそうとする動きだ。 (真珠湾攻撃から始まる覇権分析)
大戦によって大英帝国が消滅し、代わりに国際機関(国際連盟や国際連合)が世界を運営する機能を引き継ぐ「覇権の機関化」「覇権の超国家化」が、大戦によって画策された。世界の支配権(覇権・帝国)を一つの国が握っている限り、その国が世界から収奪する傾向が続き、世界の発展が阻害される。英国とドイツなどが覇権を奪い合って大戦争になる可能性も続く。だが、国際機関を作って覇権(世界運営)を委ねる「覇権の機関化」をすれば、世界の発展を極大化できるし、戦争の発生も国際機関の調停・裁定によって防げる。世界の市場化、世界中を国民国家で埋め尽くす植民地の独立、覇権の機関化(国際連盟などの創設)という3つの現象は、表裏一体のものだった。
この3つの現象を鼓舞・主導する役割を演じたのが、20世紀初頭の米国だった。英国(ロンドン)から米国(ニューヨーク)に資本家の中心地が移動する事態が、19世紀末から起きていた。それまで、世界の支配権の争奪戦は、欧州などユーラシア大陸で起きていたが、米国は、ユーラシアから遠く離れた孤立的な米州大陸にあった。米国は、世界の新興大国の一つだったが、地理的な理由から、諸大国間の覇権争いに参加せず、超然としていた(モンロー宣言や、中国に関する門戸開放宣言など)。米国は、世界大戦によって英国など欧州の諸大国が相互に自滅した後、覇権の機関化を主導する役割としてうってつけだった。 (世界のデザインをめぐる200年の暗闘)
だが、国際的な策略の技能としては、米国より英国の方が上だった。米国は、英国の側に立って途中から第一次大戦に参戦し、参戦の見返りに、戦後の世界体制を構築する主導権を英国に譲渡させ、国際連盟を作った。だが、英国は国際連盟の運営に協力せず、ドイツや日本の覇権拡大を止められなくなり、第2次大戦が起きた。米国は再び、戦後の世界体制を構築することを条件に、英国の側に立って参戦し、日独を倒し、戦後の覇権の機関化策として国際連合を作った。だが、国際連合の体制も、発足から2年後に、英国によって米ソ対立の冷戦構造を構築され、機能不全に陥った。 (ヤルタ体制の復活)
国際連合(と国際連盟)は、諸大国の談合によって戦争を抑止する安全保障理事会(常任理事国)の「覇権の多極化」の体制と、一カ国一票ずつの投票で世界を運営していく総会の「覇権の民主化」を組み合わせて機能させていた。世界の安定を維持するには、安保理常任理事国の5か国(P5)が相互に対立せず、仲良くすることが必要だった。英国はこの点を突き、終戦から2年後の1947年にチャーチル首相が訪米して発したロシア敵視の鉄のカーテン演説を皮切りに、米国とソ連の敵対を扇動し、P5が米英仏と中ソで対立して分裂するよう仕向け、国連による世界運営を機能不全に陥らせた。英国(帝国維持派)の策略により、米国(資本家)が画策した覇権の機関化は頓挫した。 (隠れ多極主義の歴史)
同時に英国は、米国の政権内や政界、言論界で、ソ連や共産主義(中ソ)を敵視する勢力が権限を握るように誘導した。第2次大戦中、英国は、戦争に勝てるようにするという口実で、米英の軍事諜報やプロパガンダの部門を連携・統合したが、戦後、英国はこの機能を使って米国の軍事諜報・プロパガンダ部門に入り込んで隠然と牛耳り、ソ連敵視、国連の機能不全、ソ連と敵対するNATOを作って国連でなく米国・米英同盟が世界戦略を決定する米国(米英)覇権体制の構築などを推進し、米国の戦略決定機構を英国好みに改造してしまった。 (覇権の起源:ロシアと英米)
英国に隠然と牛耳られた米国の軍事諜報・プロパガンダ部門が「軍産複合体」である。CIA、国防総省、国務省、各種シンクタンク、マスコミ、学界などが含まれている。米国の諜報機関であるCIAは戦時中、英国(MI6)からの技術指導によって創設されており、最初から英国(のスパイ)に入り込まれている。
ニューヨークの国連本部は、当時の最有力資本家だったロックフェラー家が寄贈した土地に作られた(ロックフェラー家自身は非ユダヤだが、その周辺はユダヤ人に満ちている)。米国の資本家が、覇権の機関化(英国覇権の解体)を推進したことが見て取れる。しかし、米国の世界戦略を練るためのシンクタンクとしてロックフェラーが戦時中に作ったCFR(外交問題評議会)は、創設時から、英国の戦略立案機関である王立国際問題研究所(チャタムハウス)の姉妹機関として作られており、CIAと同様、最初から英国に入り込まれている。
▼冷戦終結で資本側が勝ったが911で帝国側がクーデター的返り咲き
英国は、第2次世界大戦に参戦してくれた米国に対し、旧覇権国として、覇権運営を教えてあげると言いつつ、米国の戦略部門を隠然と乗っ取ってしまった。米国は、覇権を英国から引き剥がして国連に移転する覇権の機関化をやりたかったのに、冷戦勃発、軍産複合体による隠然クーデターによって、米国自身が国連無視、左翼敵視(=途上国敵視)の好戦的な覇権国として振る舞うという「ミイラ取りがミイラになる」事態になった。
それ以来、米国は、英国や軍産複合体に牛耳られてソ連を敵視する状態から脱する「冷戦終結」を実現するまでに、40年以上もかかっている。軍産との暗闘の末、ケネディが殺され、ニクソンは辞めさせられた。ソ連の経済運営が失敗し、80年代のアフガニスタン占領でソ連がさらに疲弊し、親欧米的なゴルバチョフが権力を持ったことを突いて、レーガンが89年に米ソ和解を果たした。ソ連は崩壊し、米国は、ドイツ(英国の仇敵)を英国好みの「東西恒久分割の刑」から救い出して東西統合させ、EU統合を始めさせた。 (ニクソン、レーガン、そしてトランプ)
レーガン政権は巧妙だった。軍産の黒幕だった英国に対し、米英が共同で金融財政面から世界を支配する「金融覇権体制」(債券金融システムの運営権。投機筋を使って他の諸国を財政破綻させられる「金融兵器」)を与えて懐柔し、英国を軍産から引きはがした上で、軍産英国が維持していたソ連敵視の冷戦構造を崩した。 (金融覇権をめぐる攻防)
英国は、旧覇権国として19世紀から国際政治(外交)のシステムを作って維持してきただけに、冷戦下の世界戦略を運営する米国の軍産の黒幕として高い技能を持っていた。英国に去られた軍産は力を失った。冷戦後に米政権をとったビル・クリントンは、英国のブレア政権と組み、G7諸国をしたがえて経済主導の世界運営を行う一方、米国の軍事産業を縮小し、合理化・統廃合を進めた。覇権が経済主導になり、軍事主導だった「歴史の終わり」が語られた。帝国と資本の暗闘は、冷戦終結とともに、資本が大幅に強くなった。
窮乏していた軍産を救ったのは、以前から米政界に影響力を持っていたイスラエル右派勢力だった。彼らは、米国が半永久的にイスラエルを守る体制を作ることを目的に、中東のイスラム諸勢力(アルカイダ、ハマス、ヒズボラ、イラン、サダムフセインのイラク、タリバンなど)の米国敵視を扇動し、米国が、中東イスラム過激派との間で、米ソ冷戦に代わる恒久対立(第2冷戦)を行う状態を作ろうと画策した。策略の皮切りは90年の湾岸戦争だったが、米側が慎重でイラクに侵攻しなかった。
米国はイスラエルに、パレスチナ・アラブ側と和解させる中東和平を押しつけ、イスラエルの左派はそれに乗ってラビン首相が95年にオスロ合意を締結した。だが、イスラエル右派は97年にラビンを暗殺して中東和平を壊し、同時に米国の軍産と組んで、イスラム過激派にテロリストのレッテルを貼り、イスラム世界との第2冷戦の対立構造を作っていった。軍産イスラエルの圧力を受け、クリントン政権は98年ごろからイスラム敵視の姿勢を強めた。
イスラムとの第2冷戦(テロ戦争)の構造が劇的に立ち上がったのが、米政府が共和党ブッシュ政権に交代して間もなく起きた、01年の911テロ事件だった。米当局(軍産)の自作自演性が感じられる911は、軍産イスラエルによる米国の乗っ取り、クーデターだったと言える。米政府の戦略は、アフガニスタンやイラク、イランなどに対する敵視が席巻し、中東以外との関係が軽視され「911後、米国は中東の国になった」とまで言われた。米軍を自国の「衛兵」にするイスラエル右派の策略は、911によって見事に結実した。軍産が、米政権の中枢に返り咲いた。帝国と資本の相克において、資本側がまさっていた時代は、冷戦終結から11年しか続かなかった。
▼隠れ多極主義でないと軍産支配に勝てない
911後、軍産イスラエル(=帝国)の恒久支配が続くと思われたが、何年かたつうちに、事態はそうならず、奇妙な展開をするようになった。911後、米国は、アフガンとイラクに侵攻して占領を開始し、中東を軍事で政権転覆して強制民主化(恒久占領、傀儡化)を進める戦略を打ち出した。だが、これらの戦略を立案したブッシュ政権中枢のネオコン(多くがユダヤ人)は、恒久占領や傀儡化に必要な、緻密な安定化戦略を初めから立てず、しかもイラク侵攻時の開戦事由として使ったイラクの大量破壊兵器保有が捏造したウソ(濡れ衣)であり、それが侵攻前からバレていた。
これらは、戦略立案者としてあまりに稚拙であり、少なくとも未必の故意である。似たような稚拙な過激策を中東各国で次々と繰り返したことからみて、うっかりミスでなく、意図的なものと考えられる。どうやらネオコンは、わざと稚拙で過激な戦略を大胆に実行し、米国の中東支配戦略を失敗に至らせることで、軍産イスラエルの戦略を破綻させる役割を担ったようだ。ネオコンの多くは、イスラエル右派を標榜するユダヤ人だが、同時にロックフェラー家が運営費を出してきた国際戦略立案のシンクタンクCFR(外交問題評議会)のメンバーでもある。
ネオコンは表向き軍産イスラエル(帝国)の一味のようなふりをして軍産に入り込んで戦略立案を任されたが、実は資本家が送り込んだスパイで、稚拙な策を過激に展開し、軍産の策をわざと失敗させ、米国の覇権を意図的に低下させたと考えられる。私は彼らのような存在を、単独覇権主義者(帝国側)のふりをして単独覇権を壊し、覇権の多極化(機関化)へと誘導しようとする勢力(資本側)と考えて「隠れ多極主義者」と呼んでいる。(ネオコンは一枚岩でなく、本当に軍産の一味だった人もいただろうが、スパイの世界=軍産内部は本当とウソの見分けがつかないので分析は困難だ) (ネオコンの表と裏)
ネオコン(資本家の側)が、隠れ多極主義などという手の込んだ策略をとる必要があった理由は、911によって軍産イスラエルが構築した新体制が、軍産の「戦争プロパガンダ」の機能を活用した強固なもので、正攻法で壊せなかったからだ。戦争プロパガンダは、戦時にマスコミ・言論界・政界・諜報界などが国家総動員で、敵国=悪・自国=善の構図を作って全国民を信じこませる(信じない者を弾圧する)機能で、第2次大戦で世界的に確立された。軍産英国は、この機能を使ってソ連敵視の冷戦構造を確立し、当時の覇権の多極化体制(米ソ協調。ヤルタ体制)を潰している。 (歴史を繰り返させる人々)
戦争プロパガンダは、いったん発動されると、それに逆らうことや沈静化させることが非常に難しい。マスコミが911の自作自演性を全く報じないのは、それが戦争プロパガンダの範疇だからだ。911のアルカイダ犯人説や、イラクの大量破壊兵器、イランの核兵器開発は、いずれも米国の諜報界がでっち上げた自作自演・濡れ衣なのだが、戦争プロパガンダなのでウソが露呈しない。米政府は、イラクの占領に失敗した後、侵攻前のイラクに大量破壊が存在していなかったことを静かに認めた。だが、911と、イランの核開発については、今でもウソが「事実」としてまかり通っている。IAEAは、イランが核兵器開発していないことを静かに認めたが、米国のマスコミはその後も、イランが核開発していると喧伝し続けた。軍産プロパガンダのウソを指摘する人々は「頭のおかしな人」「左翼」「陰謀論者」「売国奴」などのレッテルを貼られ、社会的に抹殺される。資本家側は、軍産がでっち上げたウソを受け入れざるを得なかった。 (ネオコンと多極化の本質)
911後のイスラム敵視の戦争プロパガンダの体制下において、ウソをウソと言うのは困難だが、イスラム敵視の稚拙な濡れ衣を粗製濫造することは許され、むしろ奨励された。ネオコンはこの線に沿って、あとでバレやすい稚拙な濡れ衣や、米国では受け入れられるが欧州など他の同盟諸国の同意を得られない過激な濡れ衣をどんどん作った。 (CIAの反乱)
イラク侵攻後、大量破壊兵器の開戦事由がウソだったことが露呈し、イラク占領も失敗が確定したことにより、米国の国際信用(覇権)は大幅に低下した。戦争プロパガンダを使った軍産の独裁体制を壊すには、プロパガンダのウソを指摘するやり方ではダメで、プロパガンダに乗って稚拙なウソに基づく過激な戦略をどんどんやって失敗させるネオコンやトランプのやり方が、おそらく唯一の対抗策だ。だから、ネオコンやトランプは、稚拙で過激な路線をとっている。
▼トランプのネオコン戦略
冷戦後、クリントン政権の時代は資本の側が勝っていたが、ブッシュ(W)政権になって911で帝国の側が盛り返した。しかし、それもネオコンの隠れ多極主義戦略によって自滅させられた。冷戦後、米国が英国を誘って作っていた金融覇権体制(債券金融システム)も、ブッシュ政権末に起きたリーマン危機で壊れた。債券金融システムは、中央銀行群によるQE(資金注入)によって表向き延命・バブル膨張しているが、いずれQE(や金融規制緩和などの延命策)が終わるとバブルが崩壊して潰れる。金融覇権も、すでに潜在的に死んでいる。 (さよなら先進国) (やがて破綻するドル)
オバマ政権は、イラクから米軍を撤退し、イランと核協定を結んで核の濡れ衣を解いた。これらの策は、ブッシュ前政権下でネオコンが失墜させた米国の国際信用の回復を狙うもので、それを見ると、オバマは米国の世界覇権を維持回復しようとしたと感じられる。だが同時にオバマは、シリア内戦の解決をロシアに頼み、中東を、米国の覇権下から露イランの覇権下に押しやるという、覇権の多極化も手がけている。 (軍産複合体と闘うオバマ)
そして今のトランプ政権になって、米国は再び、帝国と資本の相克が激化している。トランプは、選挙戦段階から、世界に覇権を行使しようとする米国のエスタブリッシュメント(=軍産)と対立し、軍産の一部であるマスコミに敵視され続けている。帝国と資本の相克、米国覇権を維持しようとする勢力と、米覇権の自滅や放棄、多極化を画策する勢力との対立構造の中で、トランプは資本や多極化の側にいる。トランプは当初、ネオコンを覇権主義勢力とみなして敵視していたが、大統領に就任し、ロシアと和解する正攻法の戦略を軍産に阻止された後、正攻法よりも隠れ多極主義の方が良いと気づいたらしく、ネオコンの戦略を採り入れた。 (トランプ革命の檄文としての就任演説)
トランプは北朝鮮に対して今にも先制攻撃しそうなツイートを発信したり、イランとの核協定を離脱して経済制裁を強めそうなことを言ったりして、これ以上ないぐらい好戦的な姿勢をとっている。政権内の軍産系の側近たちは、北との戦争にも、イラン核協定からの離脱にも反対しており、トランプは軍産がいやがる過激策を稚拙にやりたがるネオコン策をやっている。実際のところ、米国が北を先制攻撃すると、北からの報復で韓国が壊滅するので、米国が北を先制攻撃することはない。イランへの制裁も、トランプは自分でやらず米議会に決めさせようとしており、米議会は制裁に乗り気でないので実現しない。トランプは、過激なことを言っているだけだ。 (軍産複合体と正攻法で戦うのをやめたトランプのシリア攻撃)
トランプが過激で稚拙なことを言うだけの戦略をとり続けると、国際社会で米国への信用が低下し、対照的に、現実的な国際戦略をやっているロシアや中国への信用が高まる。北もイランも、露中の傘下で問題解決されていく道筋が見え始めている。米国の信用が低下し、露中の信用が上がるほど、安保理常任理事会での露中の主導権が強まり、世界を安定させる国連の機能が復活する。一見無茶苦茶なトランプの言動は、覇権の多極化と機関化を推進している。 (多極型世界の始まり)
トランプは最近、国連機関であるユネスコからの脱退を決めたが、こうした国連敵視策も、国連を弱めるのでなく、逆に、米国抜きの国連が世界を運営し、米国は孤立して弱体化することにつながる。ロシアも中国も、米国の軍産に比べると、安定した世界を好む傾向がはるかに強い。露中が台頭すると世界が悪化すると思っている人は、軍産のプロパガンダを軽信してしまっている。
トランプが20年の選挙で負けて1期4年で終わり、次に民主党の巧妙な大統領が出てくると、トランプの覇権放棄策が無効にされ、米国覇権の再建が試みられるだろう。だがトランプが2期8年続くと、その間に露中主導の多極型覇権が定着し、米国から自立して国家統合するEUもそこに加わり、その後の米国の覇権回復が難しくなる。
19世紀末以来、人類は百年以上、帝国と資本の相克・暗闘に翻弄されてきた。19世紀末に、大英帝国の運営者が、帝国の解体と市場化に全面賛成していたら、百年以上前に「歴史の終わり」が実現していただろうが、実際の歴史はそうならず、人類の近代史は丸ごと相克になっている。トランプが、この相克を終わりにできるのかどうか、まだわからない。