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続折々の記 2022 ⑧
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 03】08/16
     77年、不戦の誓い 「深い反省」   
        戦没者追悼式 天皇陛下「おことば」
        社説 閣僚靖国参拝 首相の歴史観を問う
        抑留の記憶 戦争なき世、今こそ 終戦77年
     テッポウユリの花が咲き始めた !   植物の命の営み
     波に、のまれる村 削られる海岸   「2年後、きっと海の中」
        海岸浸食、暮らし脅かす――川からの土砂供給減も影響

 2022/08/16
77年、不戦の誓い 「深い反省」
天皇陛下「おことば」

全国戦没者追悼式で黙祷する天皇、皇后両陛下=15日正午、日本武道館、山本裕之撮影  終戦から77年となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれた。約310万人の戦没者を全国の遺族らが悼んだ。新型コロナウイルスの感染拡大の影響で例年の6分の1となる約1千人が参列した。▼3面=「おことば」全文、10面=社説、25面=抑留の記憶

 全国の遺族約600人のほか、天皇、皇后両陛下、岸田文雄首相らが参列した。

 式では正午から1分間、全員で黙祷(もくとう)を捧げた。

 天皇陛下は「おことば」で、コロナ禍の現状に言及しつつ、これまでと同様に「深い反省」などを盛り込み、「再び戦争の惨禍が繰り返されぬこと」を切に願うと述べた。

 黙祷に先立つ式辞では、岸田首相が、2020年に故安倍晋三元首相が初めて用いた「積極的平和主義」の文言を踏襲しながら、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と誓った。

 1993年以降、歴代首相が「深い反省」や「哀悼の意」などと言及してきたアジア諸国への加害責任は13年の第2次安倍政権から文言が消え、今年も触れられなかった。

 遺族を代表して大月健一さん(83)=岡山県=が追悼の辞を述べた。父の克巳さんが亡くなったのは、健一さんが生まれる16日前。健一さんはロシアによるウクライナ侵攻を踏まえ、「今も私たちのような遺族が生まれ続けている。戦争の悲惨さと平和の尊さを語り続ける」と強調した。

 参列する遺族の世代交代も進む。厚生労働省によると、参列予定者のうち、戦後生まれが全体の36・3%(215人)を占め、過去最高を更新。配偶者は今年は1人(0・2%)だけだった。(石川友恵、多田晃子)

▼3面=「おことば」全文
戦没者追悼式 天皇陛下「おことば」

 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来77年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。

 私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面していますが、私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。

 ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

▼10面=社説
閣僚靖国参拝 首相の歴史観を問う

 岸田政権になって初の「終戦の日」のきのう、高市早苗経済安全保障担当相と秋葉賢也復興相の2閣僚が靖国神社に参拝した。その2日前には、西村康稔経済産業相の参拝もあった。

 ロシアによるウクライナ侵略や台湾海峡の緊張に、「平和国家」としてどう臨むべきか、日本は難しいかじ取りを迫られている。岸田首相自身は自民党総裁として、私費で玉串料を納めただけだが、「不戦の誓い」の原点である先の戦争をどうみるか、政治指導者として、その歴史観が問われる。

 終戦の日の閣僚の参拝は、第2次安倍政権下の一昨年、4年ぶりにあり、菅政権下の昨年も3閣僚が行った。2度の首相交代を経ても続くのは、保守色が強まる自民党内の勢力図を反映してのことだろう。

 安倍政権の総務相時代にも参拝した高市氏はきのう、「国策に殉じた方々の御霊(みたま)に尊崇の念をもって感謝の誠を捧げた」と語り、祖父が中国で戦死したという秋葉氏も「尊崇の念」「哀悼の誠」を口にした。

 犠牲者を悼むのは当然だ。しかし、靖国神社は軍国主義を支えた国家神道の中心的施設である。しかも、東京裁判で戦争責任を問われたA級戦犯14人が合祀(ごうし)もされている。

 閣僚ら政治指導者の参拝は、遺族や一般の人々が手を合わせるのとは違う。日本が戦争への反省を忘れ、過去を正当化しようとしていると受けとる人がいることに思いをはせるべきだ。憲法が定める政教分離の観点からの疑義も忘れてはならない。

 歴史を教訓として、国際秩序の回復や地域の平和と安定にどう主体的にかかわるか。その強い覚悟と具体的な構想こそ求められているというのに、きのうの全国戦没者追悼式での首相の式辞は、安倍・菅首相のものをほぼ引き写しただけだった。

 93年の細川護熙氏以来、歴代首相はアジアの近隣諸国に対する「深い反省」や「哀悼の意」を表明することで、加害責任に向き合ってきた。しかし、第2次政権下の安倍氏が言及をやめ、菅氏、そして首相も、それを踏襲した。

 首相が領袖(りょうしゅう)を務める派閥・宏池会は、「軽武装・経済優先」という戦後日本の基本路線を敷いた吉田茂元首相の流れをくむ池田勇人元首相が創設した。党内では長く、リベラル色の強いハト派集団とみられてきた。首相はまた、被爆地・広島選出の国会議員として「核兵器のない世界」にもこだわりを持つ。

 首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と誓ったが、自前のことばではなく、ただ前任者のメッセージをなぞるだけでは、その決意は伝わらない。

▼25面=抑留の記憶
戦争なき世、今こそ 終戦77年

 ウクライナ侵攻下で迎えた戦後77年の終戦の日。戦争体験者や遺族らは、侵攻と過去の戦争を重ねながら戦没者を追悼し、平和のあり方に思いをめぐらせた。▼1面参照

 東京の靖国神社とその近くの千鳥ケ淵戦没者墓苑にはこの日、犠牲者を悼む遺族らの姿が絶えなかった。

 硫黄島で父が戦死した東京都武蔵野市の相馬悦孝さん(83)は、靖国神社で手を合わせた。1945年3月、海軍の軍属だった父は戦闘に巻き込まれて亡くなった。遺骨は戻ってこなかった。

 地域で共同使用する近所の水道を率先して掃除する父を尊敬していた。今年2月のウクライナ侵攻で市民が巻き込まれていることに衝撃を受けた。「戦争による不条理がない、平和な世の中になってほしい」と訴えた。

 身元の分からない遺骨を納める千鳥ケ淵戦没者墓苑。東京都調布市の女性(74)は被爆して亡くなった兄や戦没者を思いながら、菊の花を手向けた。今年、ロシアのプーチン大統領は核兵器を使う可能性を示唆する発言をした。「核の被害が二度と繰り返されてはなりません」と語った。(小川崇、渡辺洋介)

 ■続くウクライナ侵攻、抑留経験と重なった

 篠原吉宗さん(93)=水戸市=は15日、市主催の集会で80人ほどの聴衆を前に約1時間、自身の戦争体験を語った。

 茨城県渡里(わたり)村(現・水戸市渡里町)生まれ。1944年8月、15歳の時に志願して海軍へ。飛行予科練習生(予科練)として航空兵になった。「人を殺し、自らの命を散らせば勲章を与えられる。15歳の少年は、戦争の実情も本当の死の恐怖も知らなかった」「国に命を捧げることが誇らしいと思っていた」と話した。

 45年2月、朝鮮半島にある基地に移った。特攻作戦の順番が自分に回ってくるのを待ちながら仲間を見送った。結局、自分の番が来る前に、8月15日を迎えた。終戦は零戦の整備中に知った。

 ここまで話すと、この日の予定時間を迎えてしまった。その後のことも、もっと伝えたかったが、話したいことが多すぎて時間が足りなかった。

 敗戦の後、進駐してきたソ連軍の捕虜になり、モスクワ郊外の収容所に送られた。

 冬は零下30度近くなる中、屋外での重労働を課された。ひざまで雪に埋もれながら2人がかりで大木を切り倒し、2メートルほどの長さにそろえて積み上げた。作業は毎日8時間。食事は黒パンと薄いスープだけ。2日に1回という日もあった。病気や栄養失調でやせこけ、薬の代わりに薪を燃やした後の灰を食べた。衰弱して動けなくなった仲間が何人も息絶えた。

 遺体は自ら埋葬した。墓穴を掘ろうにも、硬く凍った土にツルハシが入らない。「春になったらちゃんと埋葬するから」。そう言って、遺体は雪の中に置き去りにした。少しでも使えるものがないかと仲間たちが衣服をはぎ取った。

 厚生労働省の推計では、約57万5千人が抑留され、死者は5万5千人にのぼった。

 3年前から自身の体験に関する証言活動を始めた。特攻隊に所属して自らの命の尊さにさえ鈍感だった自分のこと、そんな時代だったことを知ってもらいたかった。

 いまは、侵攻してきたロシアに移住を余儀なくされるウクライナの住民と抑留された自分が重なる。その一方、今のロシアとかつて中国に攻め入った日本も二重写しに見える。

 ウクライナ侵攻をうけて、日本でも防衛費の増額が語られる。

 「二度と命を奪うことがないよう軍事力に頼らない道を選んだ。77年間、戦争をしなかった。それこそが日本の誇りだと思う。この数字を重ね続けるために、どうすればいいのか」

 本当はそこまで聴衆たちに語りかけたかった。(武田啓亮)

テッポウユリの花が咲き始めた !

三年ほど前から我が家の家のまえに、何故かテッポウユリが根づいた。 次の年にはその数がふえてきた。 今年は更に数をまし、か弱い小さなものまで重そうに蕾(ツボミ)をもち上げているのがある。

きのう小ぶりのものが花を咲かせたのである。 よくまあ、世話もしないのに美しい純白の花を咲かせてくれた。 毎日花が咲き誇ることだろう。 感心して見守っています。

ことしはカメラでその様子を映して残そうと思っている。 黙っていのちの願いを一生懸命に果たそうとしているのでしょう。 私の心を喜(ヨロコ)ばせてくれているのです。
合掌!

 2022/08/17 (1.5℃の約束)
波に、のまれる村 削られる海岸
「2年後、きっと海の中」

 天井も壁も、床の一部さえも崩れ落ちた教室の黒板に、白いチョークで「2021年10月27日」と記してあった。教室がまだその形を保っていた頃、最後の授業が行われた日付だ。目の前には砂浜が広がる。数十メートル先で、かつて校舎を襲った海が白波を立てていた。▼2面=暮らし脅かす

 今年3月、アフリカ西部ガーナの漁村フベメにあるフベメ・ローマカトリック初等学校を訪れた。この村は昨年11月、暴風雨に伴う高潮に襲われた。村人4人が死亡し、学校も高潮で破壊された。フベメを含むボルタ州全体で数千人が住まいを失った。

 高潮で兄を失った漁師のラファエル・クワゾさん(40)は「村の学校が波にやられたのはこれで3度目だ」と憤る。校舎はこれまで2度内陸側に移転していたが、それでも高潮の被害を防ぐことはできなかった。

 フベメを含むガーナの海岸沿いの村々は、波で土地が削り取られ、地上から消えつつある。ガーナ大の研究では、ここ数年で、同国の海岸線には数メートルから最大100メートルほど内陸側に後退した場所もあるという。なぜ海岸に暮らす人々の暮らしが脅かされているのか。

 地元議会の議員でもあるクワゾさんによると、1990年代後半にはフベメで高潮による大規模な被害が始まり、近年はその頻度が増している。元々、集落があった土地は波に削られ続け、村人らは数百メートル内陸のこの地に徐々に移り住み、新たな集落を築いたのだという。約300世帯すべてが移住を余儀なくされたが、村を出て行った人も多く、現在は約200世帯が暮らすという。

 それでも、クワゾさんはこの土地を離れるつもりはない。「村人のほとんどは漁師。高潮には遭ったが漁は続けられる。政府が堤防や護岸工事で土地さえ守ってくれれば、私たちは漁師として生きていける」と力を込めた。

 だが、漁業をあきらめて村を離れる人も後を絶たない。漁師のデイビッド・アメボルニャグボさん(43)も、16年に自宅を失った。アメボルニャグボさんは新しい集落に残っているが、妻と息子4人は10キロあまり離れた町で暮らしている。

 「私も妻子のいる町に行き、タクシー運転手でも始めようかと思っている」とあきらめたような口調で語る。「もしあなたが2年後に戻ってきたら、この集落さえもきっと海の中になっているよ」(フベメ〈ガーナ南東部〉=遠藤雄司)

 ■温暖化が拍車

 海岸浸食の主な要因は、ダム建設や砂利採取によって河川から海岸に運ばれる土砂が減ったことや、港湾建設などにより、沿岸部の砂の動きが変化したこととみられる。

 ここに地球温暖化が拍車をかける。氷河や氷床が解けたり、水温が上がって海水の体積が膨らんだりして海面上昇が起きる。水位が上がれば、台風などによる高波や高潮による浸食の影響も受けやすくなる。海水温上昇による台風の強大化も予想される。世界中が直面する脅威だ。(関根慎一)

  ▼2面=暮らし脅かす (1.5℃の約束)
海岸浸食、暮らし脅かす――川からの土砂供給減も影響

 海岸浸食は、世界各地で沿岸部に住む人々の暮らしを脅かしている。地球温暖化が進めば、さらに加速する。日本も無縁ではない。▼1面参照

 なぜ、フベメ村を含むガーナの海岸で急速な海岸浸食が続いてきたのか。

 ガーナ大学のクワシ・アド教授によると、村のすぐ横を流れるボルタ川の上流に、1965年に建設されたダムが主因の一つだという。

 海岸の砂浜は波風によって浸食される一方、川を通じて土砂が供給されることで維持される。だが、川から海へと運ばれる土砂を、ダムが妨げたとみられる。また、工事などに使うため、違法に砂浜の砂の採取が行われていることも大きく影響したという。

 さらに気候変動による海面上昇や、暴風雨による高潮の頻度や強度が高まっていることも原因に挙げた。アドさんによると、2005~17年の間にガーナ全体の海岸線の土地の37%が消失したという。

 海岸浸食はガーナだけの問題にとどまらない。

 世界銀行の研究チームによると、同じ西アフリカのベナン、コートジボワール、セネガル、トーゴの4カ国では、海岸の浸食や洪水などによって、17年だけで約38億ドル(約5100億円)の損失が出たと推計される。同年の4カ国のGDP(国内総生産)合計の約5・3%に相当するという。

 調査では、浸食の原因として、気候変動による海面上昇などが挙げられると指摘した。研究チームは「いま護岸への投資を行えば損害を抑えることができて、将来の出費を大きく減らせる」と早期の対応を求める。
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 <砂浜半分喪失か> 欧州委員会共同研究センターなどのチームは、最悪のシナリオでは2100年までに世界の砂浜の約半分が失われるとの推計を20年、英科学誌に発表した。

 国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は昨年8月の報告書で、「21世紀を通して海面上昇が継続し、海岸浸食がさらに頻繁かつ深刻になる」と指摘する。(フベメ〈ガーナ南東部〉=遠藤雄司)

 ■鎌倉の景勝地、むき出しの岩々

 海岸浸食は日本でも深刻だ。
写真・図版  桑田佳祐さんがメガホンをとった映画「稲村ジェーン」(1990年公開)。

 7月上旬、映画の舞台となった神奈川県鎌倉市の稲村ガ崎を訪れると、岬西側の七里ガ浜の所々で砂が消え、むき出しになった岩々を波が洗っていた。

 「以前は、砂鉄を多く含む黒っぽい砂浜が広がっていた」と「鎌倉の海を守る会」の奥田みゆきさん(59)は話す。人気だった海水浴場は2002年を最後に閉鎖された。
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 <浸食ペース加速> 海岸浸食は住民の生活も脅かし始めた。19年の8月、10月と台風が続けて襲った。高波は浸食された砂浜を越え、浜沿いの国道134号を直撃。擁壁の一部が崩落した。陥没した歩道約250メートル分の通行止めは今も続く。神奈川県藤沢土木事務所は「砂浜は波から陸地を守る『緩衝材』。崩落は砂浜が消えた影響もある」とする。

 県によると、七里ガ浜は46~09年に最大30メートル、09~19年で最大20メートル後退と、浸食のペースを早めている。海岸部での駐車場建設などで漂着する砂が減っていたところに、17年から19年に3度来た台風に伴う高波が浸食を早めたと県はみる。

 県が立ち上げた対策協議会の会長、宇多高明・日本大学客員教授(海岸工学)は「温暖化で台風の強大化が懸念されており、今後も起こりうること」と指摘する。

 県は7月28日の協議会初会合で、砂を運び入れる「養浜」を今年度から10年間、数千~1万立方メートル分(深さ1メートルの25メートルプール数十杯分)行うなどの対策案を示した。ただ09~12年にも養浜を行ったが、運んできた砂はその後ほぼ流出している。「沖合に人工構造物を設置する方法もあるが、景勝地にふさわしくないという議論も出るだろう。地元の理解を得ながら少しずつ対策していくしかない」(宇多さん)。

 東北大の有働恵子教授(海岸工学)らの研究では、1900年ごろに全国平均で70メートルだった砂浜の奥行きは、50年ごろに66メートル、90年ごろに43メートルまで後退した。

 国によると、日本沿岸の海面水位は04~19年の間、年平均4・19ミリ上昇した。IPCCは前回14年の報告書で、今世紀末に海面は、86~05年の平均に比べて26~82センチ上昇する可能性が大きいとした。地図情報などに基づいて有働さんらが14年に試算したところ、国内の砂浜の面積は今世紀末、90年ごろと比べて4~9割分失われるという。
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 <進まぬ被害把握> 国は温暖化を見込み、今世紀末に気温が2度上昇する想定で対策に着手。更新期を迎えた堤防などは、海面上昇を織り込みかさ上げする。浸食対策を強化する砂浜を25年度までに20カ所で指定する方針だ。

 国際社会は、産業革命前からの気温上昇を1・5度に抑えることを目指し、脱炭素を進めるが、同時に被害を減らす「適応策」も求められる。海岸浸食への対策は「適応策」の一つと言える。ただ、IPCCは「適応の限界」を指摘する。

 たとえば、サモアでは浸食を食い止めるため防波堤を設置しているが、コストが掛かるため護岸工事は特定の場所しか行われず、対策範囲外の地域では浸食と浸水にさらされる。

 日本でも、国交省の担当部局が所管する砂浜海岸約3250キロのうち、浸食対策を行っているのは1割程度。約2400キロは監視も行えず、被害状況をほとんど把握できていない。「河川対策に比べて予算が潤沢でない」(同省水管理・国土保全局)事情もある。東北大の有働さんは「すべての砂浜を維持するのは難しい。優先順位を付けながら、被害が大きくなる箇所や環境、利用面で重視する所を重点的に対策していくべきだ」と指摘する。(関根慎一)