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続折々の記 2022 ⑬
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 03】12/04
戦後日本の安保、転換 敵基地攻撃能力保有
中国の車両を新幹線と比べたら今や… 中国の様子
連載 日中半世紀 わたしの声(全40回)
2022/12/07 朝日新聞
天上天下唯我独尊
テンジョウテンゲユイガドクソン お釈迦さまが生まれたという。 子どもの頃お寺へ行って和尚様からいろいろ話を聞いたり、みんなで遊んだりしていた。 4月8日は甘茶の日でした。 お釈迦さまが生まれて7歩歩いてから右手で天上を左手で天下を指さして天上天下唯我独尊と唱えたという。 みんなで15cm~20cm位の像へ甘茶をかけ、持っていったビンへ甘茶を入れてもらったのでした。
何のことだかも知らずに、こうしたことが子どもごころに残っています。
今年のサッカーワールドカップ、ドイツに勝ちコスタリカに負けスペインに勝ち、16チームの組み合わせで去年の準優勝クロアチア戦で1:1となり、PK戦で敗れました。
夜中の2時過ぎ起きて見ると、試合の終りの方で延長戦でした。 決着がつかず ………… 大きくなってから、その意味も調べてみました。 PK戦となったのです。 PK戦とは、英語では公式には "Kicks from the penalty mark" (KFPM)、または "penalty shoot-out" (PSO) と呼ぶそうです。 要するに Personal Kick 個人のゴールラインでの攻防でした。 日本:クロアチア=1:3 で負けたのです。
攻防の技術の差だったと思います。 今までの奮闘の勝負の結果は、勝者の歓喜と敗者の無念として、それぞれの国民を含めて湧きあがります。 日本は負けたにしてもそれまでの選手の奮闘ぶりには感激を皆が味わい、負けた無念の選手を目にする観客すべての涙、悲痛を隠せないのでした。
研修、努力の訓練に明け暮れた結果なのです。 主将の感想は「まだ壁は厚い」でした。 みんなの気持ちも自分の気持ちも十分察しての反省の、涙の声でした。
サッカーの選手だけのことではない、私の課題でもあります。 それぞれの人は、それぞれの考え方で生きています。 それは自分の課題として生きている。 それでも、いのちの伝承によって自分が生きている、と見なければならない。 ボールをキックするのも、ボールを防ぐにしても、煎じ詰めると、天上天下唯我独尊から外れてはならないのです。
グループにしても、国家というグループにしても、一人ではグループは成立しないのです。 人は一人だけでは生きていけない。 親がなければ生きていけないし、兄弟や友達がなければ生きていけない。 いろいろの文化や遺産がなければ進化していけない。
そう考えを進めてくると、すべては「良いことを真似る」ことであり、歓喜とか希望を自分で築かなくてはそれはできないこともわかります。
人が築き上げた文化は、それを真似て自分の文化とし、さらに希望をもって明日を迎えることが期待されるのです。
私はそのために「まね」で始まる出発点として、赤ちゃんや幼児に真似による方法を用いて人としてのスタートラインに立たせてやりたいと考えています。
何時でも誰でも、今何をするかを明らかにしたいのです。
指ふれる ことのみばかり 思えただ
かえらぬ昔 しらぬ行くすえ
昨日のことは(その結果は)、今日に残り(その結果が現われ)、明日どうしようかな(未来への希望)のくり返しとなる。 だから今何をするかに一所懸命になることが私にとっては大事になるのです。
このいきさつを、宿命というのです。 簡単にいえば「今のことが明日に現われる」ということなのです。 一年間といえば、このことが365回繰り返されるということです。 普通は、この宿命という言葉を使わずに、生活していくという言い方を使っているのです。 人はみんな、生まれて生きて、死んでいきます。 サッカー選手は常にサッカーの精神や技術を考えて生活してきたと思います。 だから、このワールドカップの試合も見ている人はみんなその真剣さや努力に感激すると私は思うのです。
生活ということは、英語では life といいます。
life<生命,《個人の》命, 生活(状態)> live<生き(てい)る>
日本語では、<生きて活動すること>の意味で使っています。
ひるがえって自分の日常生活を照らし考えると、恥ずかしい思いがするのです。 自分の生活の中で、朝の振る舞いにいのちを大事にすることを、お地蔵さまに手を合わせて思います。
人はみんな、生まれて、活動して、死んでいきます。 すべてに感謝する気持ちになってみると、この家を支えているものは草や木に支えられていることを痛感します。 草木の 生・活・死 の後が、畳や柱になっていると思うと、顧みて恥ずかしいと思います。
動物の死後について、故人の識者はこういっていたことを言葉にして残しています。
例えば、中国の古典や日本の文化を思い出しますと、いろいろと死後に残された尊い考え方を学ぶことができることが分かるのです。 学ぶということは、まねるということと同じことと考えています。
大人になって年をとっても、なかなかまねがてきません。 自戒の思いが残るばかりです。
人は自然に支えられて生きてきている、それが分かって感謝することは良いことだと思っていますが、知と行の行が凡欲を多く受け入れているために、いつも反省しなければならないのです。
思いついた先人の言葉を二つ挙げます。 それは中国古典のものと日本の歩みの中から拾い出したものです。
王彦章は、いつも人々に「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む(豹死留皮,人死留名)」と言っていました。(現代に生きる中国古典より)
これと、同じことを表現している日本の
大楠公 <徳川 斉昭>
豹死留皮 豈偶然 豹は死して皮を留む 豈偶然ならんや
湊川遺跡 水連天 湊川の遺跡 水天に連なる
人生有限 名無尽 人生限り有り 名は尽くる無し
楠氏精忠 万古伝 楠氏の精忠 万古に伝う
この二つです。
以上
2022/12/17
http://park6.wakwak.com/~y_shimo/momo.1441.html
戦後日本の安保、転換 敵基地攻撃能力保有
防衛費1.5倍 3文書決定
岸田政権は16日、国家安全保障戦略(NSS)など安保関連3文書を閣議決定した。NSSは安保環境が「戦後最も厳しい」とし、相手の領域内を直接攻撃する「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」との名称で保有すると明記。2023年度から5年間の防衛費を現行計画の1・5倍以上となる43兆円とすることなどを盛り込んだ。憲法に基づいて専守防衛に徹し、軍事大国とはならないとした戦後日本の防衛政策は、大きく転換することになった。
■首相、増税時期「来年に決定」
3文書は、外交や防衛などの指針であるNSSのほか、防衛の目標や達成する方法を示した「国家防衛戦略」(現・防衛計画の大綱)と自衛隊の体制や5年間の経費の総額などをまとめた「防衛力整備計画」(現・中期防衛力整備計画)で構成される。
NSSは「我が国は戦後最も厳しく複雑な安全保障環境のただ中にある」と危機感を強調した。その上で、中国は「これまでにない最大の戦略的な挑戦」、北朝鮮は「従前よりも一層重大かつ差し迫った脅威」、ロシアは「安全保障上の強い懸念」と位置づけた。
こうした安保環境に対応するために防衛力を抜本的に強化していくと表明した。「反撃能力」は「我が国に対する武力攻撃が発生し、その手段として弾道ミサイル等による攻撃が行われた場合、武力の行使の3要件に基づき、必要最小限度の自衛の措置として、相手の領域において、我が国が有効な反撃を加える能力」などと定義した。岸田文雄首相は16日の記者会見で「相手に攻撃を思いとどまらせる抑止力となる反撃能力は、今後不可欠となる能力だ」と重要性を強調した。
敵基地攻撃について政府はこれまで憲法上、「自衛の範囲」としつつも、政策判断として能力を保有してこなかった。今回、「反撃能力」と言い換えて保有に踏み切った。ただ、実際には相手が攻撃していなくても、攻撃に「着手」している段階で行使できる。「着手」の認定を誤れば、国際法違反の先制攻撃になりかねないが、判断基準は設けていない。攻撃対象も明示されておらず、歯止めがかからないおそれがある。
首相は会見で敵基地攻撃は相手が攻撃に着手した段階で行使するのか、実際に攻撃した後なのか問われ、「安全保障の機微に触れるので、私の立場からは控えなければならない」と明言しなかった。
NSSでは防衛費の増額も明記。27年度には、研究開発、公共インフラ整備などの経費も合わせて予算水準が現在の国内総生産(GDP)の2%に達するよう所要の措置を講ずるとした。防衛力整備計画では、23年度から5年間の防衛費の総額を「43兆円程度」とした。政府は、最終年度の27年度には増税で1兆円強を捻出する方針だ。
自民、公明の両党は16日、来年度の与党税制改正大綱を決定した。「24年以降の適切な時期」に法人税、所得税、たばこ税を増税して防衛費増額の財源にあてる。首相は会見で増税について「開始時期などの詳細は、さらに与党でも議論を続けて、来年決定する」と語った。(松山尚幹)
■熟議・説明なし、将来に禍根 編集委員(外交・安全保障担当)・佐藤武嗣
戦後日本の防衛政策が大転換された。にもかかわらず、熟議も国民への説明も後回し。新戦略の内容だけではなく、進め方も、将来に禍根を残しかねない。
日本の防衛費は、現在世界9位だが、2027年度はロシアや英国を抜き、米中印に次ぐ世界4位になる可能性が高い。新戦略では国益に鑑みて「専守防衛に徹し、軍事大国とはならない」と記したが、この規模は「軍事大国」ではないのか。
確かに安保環境は悪化している。ロシアによる軍事侵攻や台湾をめぐる緊張、中国や北朝鮮のミサイルの高度化など、国民にも不安が広がる。日本も抑止力強化を検討する必要はある。
ただ、それは国民の不安感に乗るような形で行うべきではない。一定の歯止めと説明責任、国民的議論が不可欠だ。しかし、国民に新たな税負担を強いながら、これに応えていない。顕著なのが敵基地攻撃能力だ。
「反撃能力」と言い換え、政策判断を戦後初めて転換したが、法的課題や費用対効果は不透明なままだ。
「反撃能力」を「相手からの更なる武力攻撃を防ぐ」としつつ、防衛省幹部は「相手のミサイル発射前でも攻撃着手を確認すれば、相手領土を攻撃できる」と言う。これは「反撃」との言葉による印象操作ではないのか。「着手」の見極めは困難で先制攻撃とみなされれば、国際法違反になる。作戦上支障のない範囲で「着手」の判断基準を示すべきだ。
また、新戦略で政府は、日本が直接攻撃されなくても、集団的自衛権で「敵基地攻撃」を行使できると解釈しており、日米安保の姿も変わる。日本が「盾」に徹し、他国への攻撃は米国に委ねる役割分担が変化し、日米が連携して「矛」の強化を図ることになる。指揮統制が変わり、日本の主体的判断をどう担保するかも課題になる。
一方、国家戦略は軍事だけでは描けない。新戦略は軍事偏重で、外交や経済が果たす役割とその戦略に関する記述は少なく、熟議の跡が見られない。
「国家安全保障にとっての最大の脅威は債務だ」。そう説いたのは11年当時の米軍制服組トップ、マレン統合参謀本部議長だ。日本の債務残高は、世界最悪の国内総生産(GDP)比2・5倍超だ。広い視野で「国力」を見据えた戦略というより、「戦後の安保のタブーを突破する」(外務省幹部)ことが優先された印象が拭えない。
新戦略では、「国民の決意」が必要だと説いた。ならば、今からでも国民に徹底した説明責任を果たすべきだ。国民が納得しない限り、増税論と相まってさらなる反発や分断を招きかねない。
<おことわり> 閣議決定した安保関連3文書で、政府は敵基地攻撃能力を「反撃能力」と表記しています。「反撃」とは攻撃を受けた側が逆に攻撃に転ずる意味ですが、実際には攻撃を受けていなくても、相手が攻撃に着手した段階で、その領域内のミサイル発射拠点などを攻撃することも想定しています。このため、朝日新聞では引き続き、「敵基地攻撃能力(反撃能力)」と表記します。
2022/09/25 連載日中半世紀 わたしの声記事 第17回
聞き手・吉岡桂子2022年9月25日
中国の車両を新幹線と比べたら今や…
日本がなお、追い求めるべきは
https://digital.asahi.com/articles/ASQ9Q7HMDQ99ULZU009.html
新幹線やTGVなど日欧の技術を吸収して世界最大の高速鉄道網を発展させた中国。2000年前後の高速鉄道商戦のさなか、国際協力機構(JICA)の長期専門家として北京に駐在し、技術者の指導にあたっていた大沼富昭さんにきいた。
あれから20年。日本と中国、どちらが「上」ですか。
大沼 富昭さん
1947年生まれ。日本鉄道建設公団(現鉄道・運輸機構)に入り、99年から3年間、国際協力機構(JICA)専門家として北京に駐在。日中鉄道友好推進協議会事務局長も務めた。現在、海外鉄道技術協力協会(JARTS)総務部参与。
日本政府は中国と国交正常化した7年後、1979年暮れから30年間にわたって長期専門家を派遣しました。運転、土木、信号、電化など幅広い分野で技術を指導したり、日本の鉄道施設を視察してもらう企画を作ったりしていました。
日本は戦中、中国で南満州鉄道(満鉄)など鉄道を建設しました。戦後も日本人の技術者が中国鉄道省の要請をうけて残留し、建設やメンテナンスなどについて指導しました。
私が長期専門家として東北地方(旧満州)で技術指導した時、受講生から何度も聞いた話が記憶に残っています。残留した日本の技術者による真摯(しんし)な指導に、自分の親はとても感謝している、と。侵略した日本軍の鉄道兵であるにもかかわらず、当時の資料を持参する受講生もいました。
ただ、中国の鉄道技術は戦前から欧州の技術が採用されており、現地の機器もほとんどが欧州製でした。信号や電化はフランスの規格を基盤にして発展させました。現在の高速鉄道にいたるまで、そうです。
このため、国際規格となっていない日本の技術を紹介するには苦労しました。
手強い独仏 官民一体で攻勢
――確かにフランスは1964年に中国と国交を結んでいます。日本より8年早い。
私が北京に駐在していたころ、フランスやドイツも専門家を多数送り込んでいました。とりわけドイツは鉄道関連メーカーが大使館と一体となって動いていましたね。
――北京での長期専門家としての役割は。
二つありました。ひとつは、北京はもちろん、上海や重慶など主要都市で日本の鉄道技術を紹介し、現地で寄せられる問題について技術指導をすることです。
電化率はまだ2割でしたし、技術全体は日本より30年ほど遅れているイメージ。コンピューターで指令するCTC(列車集中制御装置)に強い関心を寄せていました。
日本から学びたい一心で、大変熱心だった。矢継ぎ早に的確な質問を繰り出す姿勢に、これは伸びる、と感じました。
資料もほしがった。同僚に渡さず、自分だけのものにしようとする姿勢も印象的でした。
――もうひとつは。
当時佳境にあった北京―上海高速鉄道に新幹線を売り込むためのアピールと情報収集です。
中国は経済成長に伴い、旅客と貨物の輸送力が逼迫(ひっぱく)し、旅客専用線を造る必要性が高まっていた。さらに、「高速」への需要から高速道路とか空港が整備されるなか、鉄道の対応が遅れれば存在感を失うという懸念から、整備を急いでいました。
鉄道部(省)の技術者などは日本との長い交流から新幹線の優位性をよくわかってくれていて、欧州より日本の方が中国には良いといつも言っていた。
オールジャパンで追いかけた
――売り込みは順調でしたか。
独仏は日本より先行してトップセールスを続けており、新幹線は後れをとっていた。これを打破するため、1996年に「北京―上海高速鉄道計画日本連合(2000年に中国高速鉄道日本連合に改名)」が設立され、1997年には政財界などオールジャパンで「日中鉄道友好推進協議会(2019年解散)」を立ち上げ、巻き返しを狙っていました。
新幹線の良さは、速い、安全、時間の正確さ。新幹線の(複数の車両にモーターを配して走る)動力分散式、いわゆる電車方式が、欧州で主流だった機関車が牽引(けんいん)する動力集中式よりも、効率よく運行でき、大都市が多く停車駅が多い中国には適していることも重要なポイントでした。
中国の在来線は機関車方式が主流でしたので、電車方式の優位性を認識してもらうため、日本から出張してくる技術者らとともに説明を尽くしました。
――ドイツはリニアを売り込み、上海に最高時速400キロ超で開業しました。今は300キロ台に時速を落としていますが、走っています。
ドイツのリニア(トランスラピッド)は自国で実用化ができなくなり、使わなくなった技術を中国に売り抜けた。うまいやり方です。
当時の首相朱鎔基氏は技術系で先進的な技術を好み、リニアに強い関心がありました。北京―上海間へリニアを導入することにも積極的で政治問題となっていました。
ただ、上海リニアが走行中の車両から出火したこともあったし、当時の中国の技術力やコストを考えれば無理な話でした。上海から浙江省杭州まで延伸する計画までありましたが、実現していません。
強みを発揮した新幹線の「電車方式」
――高速鉄道商戦で価格競争はありましたか。
中国側は当初、価格だけではなく、世界で一番良いものを手に入れるのだ、という姿勢でした。技術を比較し、日本とドイツで採用されている電車方式を選んだ。これで日本も(商戦に)正式に参入できるようになったのです。
ただ、在来線を高速化するために2004年に実施された200キロ級車両の入札で、ドイツのシーメンスがはねられたのは、価格の問題が大きいと言われています。
――結果的には、シーメンスも300キロ級で復活しましたし、フランス・アルストム、カナダ・ボンバルディア、そして日本と、世界のトップメーカーすべてが受注しました。中国は日欧を競わせて世界の技術を手に入れました。日本社会には中国から技術を盗まれたという不満が強いです。
盗まれたというのは誤りです。
日本を含む世界のメーカーは、正式な契約に基づき技術を移転しました。当然ながら技術移転費用も得ています。私は契約の内容については承知していませんが、日本も可能な範囲で対価を得て技術を移転したと理解しています。
――大事な技術を売り払い、ライバルを育てたのでは。
日本が技術移転しなければ、中国は高速鉄道の技術を得られなかったのか。それは違います。
欧州勢から技術を買って造ったでしょう。日本も部品メーカーが中国への輸出で稼ぎました。
そもそも欧州に後れをとっていた日本の方から、鉄道の海外展開として官民あげて中国に売り込んだというのが現実だと思います。今考えると、戦略的には中国が一枚上手でした。
日本の技術移転のあり方についての議論は今後、官民で行うべきだと考えています。
資源のない日本は海外で仕事をしなければ成り立たない。とりわけ、少子高齢化社会で国内での拡大は望めない鉄道産業の海外展開のあり方にもかかわる課題だと思います。
急伸した中国の車両技術、先を行くDX
――日欧の技術を吸収して発展させた中国の高速鉄道と日本の新幹線は、技術ではどちらが「上」ですか。
中国の高速鉄道は土木や軌道、信号などは自分たちで取り組み、車両だけ海外から技術移転を受けて、中国自身でシステム統合させたものです。
その車両について、率直に言えば、現在では中国の方が上でしょう。
鉄道は経験技術です。車両の需要に乏しい日本に対して、トライ・アンド・エラーを繰り返す中国メーカーは、それだけ改良の機会を得ているのです。ハードの面で、実力を認めざるを得ません。
日本の10倍以上の路線網を持つ中国は、砂漠、高地、極寒の地まで様々な条件に対応して造り続けています。とりわけ、デジタル技術を駆使して運行実績についてのデータを蓄積し、改良に役立てています。
データの量も10倍以上あるのです。
過去には日本が中国に対して技術指導をしてきましたが、今後は中国から鉄道のDX化など学ぶことも必要だと考えています。
積み重ねた「改良」、日本の強みを生かそう
――日本が勝っている面もありますか。
もちろん、総合的な安定性で言えば、中国の高速鉄道は半世紀の安全の実績がある新幹線に及びません。地震対策など防災、騒音や振動など環境対策についても、日本が優れていると思います。
もっとも、鉄道はシステムです。車両とか信号とか単独で存在するものではありません。それぞれの社会に応じて発展します。日本社会が求めるサービスの提供は日本企業が勝っているでしょうし、中国社会にふさわしいサービスは中国企業が提供できる。
勝ち負けでは計れないものがあります。
――海外展開にあたって、日本の優位性は?
日本は改良が得意です。海外でも在来線を改良して高速化させるとか、相手のニーズに応じてやれることはたくさんあります。「新幹線」にこだわらず、日本の経験をいかしていくべきだと思います。(聞き手・吉岡桂子)
連載 日中半世紀 わたしの声(全40回)
第1回
短髪が嫌で泣いたモデル 30年後、コシノジュンコが見た中国は 2022年8月26日
第2回
選手選考に口挟む当局 衝突した井村コーチ「メダルいらないなら…」 2022年8月27日
第3回
上海が天皇に見せた心意気 日本人3500人と名刺を交わした副市長 2022年8月28日
第4回
歴史を変えた1972年、日中交渉の舞台裏は 外交官3人がいま語る 2022年8月29日
第5回
「権力の最盛期で最難関に挑む」 角栄は日中国交正常化を決断した 2022年8月30日 第6回
「会社の仕事より日中関係を選ぶ」 戦争を体験した岡崎嘉平太の信念 2022年8月31日
第7回
同じ目標、持てるはずの中国 議論かみ合った経済官僚らの声いずこ 2022年8月31日
第8回
「経済的利益のみなら砂上の楼閣」 元秘書官が語る大平正芳の予言 2022年9月1日
第9回
日中間を取り持った「トラック2」 中国人学者が見る経済界の役割 2022年9月2日
第10回
中国の成長、協力しない選択肢などなかった 向き合うべき等身大の姿 2022年9月4日
第11回
パンダ研究の本場、唯一の外国人の日本人の問い 「動物園に必要?」 2022年9月6日 第12回
対中外交は中国の人たちを見ていたか モンスター化招いた日本の失敗 2022年9月15日
第13回
会うべき時、中国は村上春樹と出会った 翻訳家が語る文体四つの魅力 2022年9月21日
第14回
負の歴史乗り越え、新幹線技術は中国へ 脅威論は自信失った裏返しか 2022年9月22日
第15回
「はやて」は中国をライバルに育てたのか? 川崎重工業会長の答えは 2022年9月
第16回
月給11カ月分の服を買い、日本へ 上海の青年が出世より選んだ道 2022年9月24日
第17回(今読んでいる記事)
中国の車両を新幹線と比べたら今や… 日本がなお、追い求めるべきは 2022年9月25日
第18回
僕はのび太に救われた 恐竜学者が化石に込めた日本への思い 2022年9月26日
第19回エリート中国人「天国から地獄」へ 元留学生がカメラ向けた日本社会 2022年9月27日
第20回 周恩来と汗かいた父の予言は的中した もう一度「民をもって官を」 2022年9月28日
第21回 文革のさなか、林彪事件 それでも周恩来は松山バレエ団を見に来た 2022年9月29日
第22回 中国に「追い越されたとは感じない」 若い世代が探る新しい交流の形 2022年10月25日
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