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続折々の記 2022 ⑬
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 07】12/26
  「難民鎖国」、それでも日本に  
    (多民社会)採用、一人の人材として
  首相「余分なこと言わぬよう」  日銀黒田総裁

 2022/12/25
「難民鎖国」、それでも日本に      

写真・図版 【写真】日本の国家資格「電験三種」の勉強に励むミャンマー人の男性=大阪府内、林敏行撮影

 日本に来たばかりというのに、その若いミャンマー人たちは日本語で十分に意思疎通ができる。国家試験の参考書を読んでいる人もいた。

 住宅の断熱工事の現場などで働いているが、外国人技能実習生ではない。最大都市ヤンゴンの大学で建築学や電気工学を学んだ技術者だ。機械のメンテナンスや技能実習生の管理を担う高度人材として、日本での在留が認められた。

 ■祖国の混乱逃れ

 20代の男性が本格的に日本語を習い始めたのは、昨年2月の国軍によるクーデターの直後からだ。軍に抵抗した市民の多くが殺され、経済は混乱に陥った。

 「いまのミャンマーで生きるのは無理です」

 救いの手を伸ばしたのは、佐賀市でボランティアの日本語教室を営む越田舞子さん。きっかけは今年はじめ、佐賀県内の建設会社で働く知人のミャンマー人からの電話だった。

 「みんな早く日本に来たい。助けてほしい」

 越田さんは、愛知県で建設会社を営む谷崎雄一さん(39)に連絡した。以前、職場で暴力を受けた技能実習生を保護した時に支援を申し出たのが、SNSで知り合った谷崎さんだった。

 父親の建設会社で技能実習生らと働いてきた谷崎さんは、外国人労働者には親しんでいる。「ミャンマーの状況は報道で知っていました。それに、仕事だけは幸い、いくらでもありますから」

 自宅近くの街が国軍に繰り返し爆撃されたり、軍に拘束されてスマートフォンを調べられたりした人もいる。家族や友人との電話での会話も、軍事政権批判ととられないよう気を使っているという。

 難民条約が日本で発効して今年で40年。ミャンマーのように大量の避難民が発生している場合、国際法が専門の阿部浩己・明治学院大教授によると、「その国の客観的な状況から、一斉に難民として保護することも、難民条約上は可能」という。

 ■認定巡る壁高く

 ただ実際は、日本は難民認定のハードルが高い。昨年は難民申請したミャンマー人のうち認定されたのは32人で、559人は不認定だった。

 世界では、紛争や様々な人権侵害から祖国を逃れる人が増えている。だが日本では、反体制活動家のように権力側から名指しで狙われているような場合でなければ、難民と認定されにくいと指摘される。

 ■期待の「人材」に

 そんな高い壁をよそに、就労や留学というかたちで日本に来る人々がいる。戦禍のシリアやウクライナからも留学生として迎えており、「人材」として期待されている。

 増え続ける難民への対応として、国連は2018年に「難民に関するグローバルコンパクト」を採択。難民条約とは別のかたちでの受け入れも広げるよう求めている。

 佐賀の越田さんが個人で関わり、高度人材として来日したミャンマー人は9月以降、20人を数える。谷崎さんの会社のほか、九州の建設会社などで働いている。「難民だとか普段は意識しませんが、優秀で必要な人たちですよ」。谷崎さんはこう話した。(浅倉拓也)
     ◇
 国連によると、移住を強いられた人の数は1億人を超え、世界はかつてなく深刻な難民危機に直面しています。各国は近年、難民を広くとらえてより多くの人を保護し、日本は「難民鎖国」と批判されます。その一方で、人手不足が深まる中、人権に敏感でグローバルな事業を考える企業人らが、難を逃れる人々を「人材」として迎える新たな動きが広がっています。 (2面に続く)

▼2面=(多民社会)
採用、一人の人材として
    <https://digital.asahi.com/shimenviewer/viewer/launcher.php?ap=1IXrVqYEV32Vtc7awWBq7D18MfTYqgn%2FB2KsjxL23OykKHjCSb8NrbKrTAukA08Jc9dGfMkzoZRhkX%2B1C%2BKTQmfnMD3DwR5ewYYzNXm24nDLvDgYBPNj2Iqs6VDsjhIUfs%2BbnXl9KmSn6oLaPqrsiRhSC2vatMDwdhLURC1g7X8%3D>

写真・図版 【写真・図版】難民や国外避難した人々の受け入れ/日本の難民受け入れの歴史/日本で暮らすまで ☛ このままではわからないから、上記の URL をクリックして新聞2面を見てほしい。

 物腰は柔らかく、英語もフランス語も話せる。大学院で学び、IT技術者としてのキャリアもある。

 だが、男性の人生は祖国のコンゴ民主共和国で一変した。金融の仕事で、ある有力者の汚職と脱税を知ってしまったのだという。

 当局に報告すると、パソコンは押収された。米国務省などの報告によると、コンゴ民主共和国では公務員らによる汚職が深刻で、治安当局などによる民間人への不当な逮捕、拷問、殺害なども多数報告されている。

 「権力者は何だってできる」。男性は国外脱出を決意。上司が誘拐されたのを知ったのは、後のことだ。たまたま短期滞在のビザが取れたのが日本だった。

 2019年秋に来日。日本で難民申請する人らを支えるNPOにつながり、申請の手続きはできたが、住居はないままだった。公園やファストフード店で夜を過ごす、ホームレス生活が1カ月余り続いた。

 その後、外務省の外郭団体「難民事業本部」から援助を受けられたが、早く自立するよう求められた。IT関係の職を探したが、日本語ができず、難民申請中という不安定な身分では難しい。「何から手をつけていいか分からなかった」

 キリスト教会による日本語教室を訪れた時、「WELgee」(ウェルジー)のスタッフと出会った。16年に、渡部カンコロンゴ清花(さやか)さん(31)が立ち上げたNPOだ。日本の企業文化などの研修をしたり、社会人ボランティアが指導役として就職活動に付き合ったりして、難民申請者と企業をつないでいる。

 ウェルジーはこれまで21人を技能や知識を生かせる就職につなげた。うち6人はすでに高度人材の在留資格を得たという。

 男性も今年5月、IT会社シティコンピュータに入社。「国には妻もいる。自立しなければという重圧を日々感じていた。やっと希望を取りもどした」

 スーツを着て出社した朝、これまでの苦労が消えていくのを感じた。

 いまはウェブサイトの開発などを担当する。同社は海外にも事務所があり、海外事業部では外国人材の紹介や派遣も手がけている。川原雅友社長は「いずれアフリカにも進出したいと思っていた。難民としてでなく、一人の人材として見ている」と話す。

 渡部さんは、ウェルジーを立ち上げたきっかけについて「スキルだけでなく、難民には逆境を乗り越えてきた力もある。日本の社会とつながっていないのは、もったいないな、と思った」と話す。「難民と認められることだけがゴールじゃないんですよね」

 11月には商船三井と業務提携契約を結んだ。早くから外国人船員を採用してきた同社は、外国人材を企業に紹介する事業もしている。担当者は「(ウェルジーに)企業のニーズに応えられる人材がいることが分かったので提携に至った。結果的に社会貢献につながればいいが、まずはビジネスありき」と話す。

 ■能力重視、企業「慈善事業ではない」

 12月8日夜、東京の米国大使公邸では、ウクライナからの留学生60人を招いた、盛大なパーティーが開かれていた。林芳正外相も駆けつけ、「政府も日本にいるあなた方を全力で支える」とあいさつした。

 ロシアの侵攻から逃れるウクライナ人について、米国などと歩調を合わせる日本政府は「避難民」として条約上の難民とは別枠で受け入れている。さらに、留学生として日本に来る若者もいる。

 学生らを連れてきたのは、一般財団法人「パスウェイズ・ジャパン(PJ)」だ。NPO法人「難民支援協会」が始めた「シリア難民留学生受け入れ事業」を引き継ぎ、21年に活動を始めた。教育を通じて、難民の将来をひらくことをめざす。

 ウクライナ人学生は、全国の大学や日本語学校と連携して約100人を受け入れた。すでに企業へ就職した人もいる。

 首都キーウの大学でサイバーセキュリティーを学んでいたマクシム・ハイチェンコさん(18)は、千葉県の日本語学校で学びながら、教育系ITベンチャー「モノグサ」(東京)でアルバイトをしている。

 アニメがきっかけで14歳の頃に日本語の勉強を始め、すでに「夢は日本語で見てます」と笑う。「日本にいられるのがうれしい。それを表すため、日本に良いインパクトを与えたい」

 同社の商品は、暗記を助ける学習ツールだ。ハイチェンコさんはウクライナ語で日本語を学べるものを作る。きっかけは、ある社員の「ウクライナのために、何かできることはないかな」という言葉だった。

 ただ、最高経営責任者(CEO)の竹内孝太朗さん(35)は「慈善事業ではない」と言う。「ITスキルはもちろん、学習意欲やコミュニケーション力。この年齢でこれだけ備わっている人が、日本にどれだけいますか」

 PJのプログラムに参加しているのは、日本で自立できる適性や能力を選考で認められた若者たちだ。

 「自分にも葛藤はありますよ」。PJ常勤理事の石井宏明さん(62)が胸の内を明かした。「難民支援の基本は、最も弱い立場の人たちを支えることですから」

 ただ、ウクライナ人留学生の受け入れでは資生堂などから計3千万円以上の寄付を得られ、これまでにない反応を得ている。「日本社会に受け入れられやすい方法を考えていく必要もある。ウクライナ情勢で難民に関心を持ってくれた人たちをつなぎとめ、他国の難民の支援にもつなげていきたい」(浅倉拓也)

 ■アフガン避難者に「残るなら自力で」 外務省、帰国強制を否定 大使館現地職員・家族、4割帰国

 今年8月、アフガニスタンの日本大使館で働いていた現地職員とその家族の98人が難民認定された。

 日本でこれだけの数が一斉に、しかも申請から20日と経たずに認定されたのは異例のことだ。

 アフガニスタンでは昨年8月、イスラム主義勢力タリバンが首都カブールを占拠し、実権を握った。大使館の日本人職員はまもなく国外へ逃れたが、外国の協力者としてタリバンに狙われかねない現地職員は置き去りになった。

 大使館の現地職員や家族計約170人が日本に避難できたのは、10月に入ってからのことだった。

 「私たちが日本にいてほしくないということは、最初から感じた」。ある現地職員はこうふり返る。

 複数の現地職員や支援者によると、宿舎となった東京の施設で、現地職員は外務省の担当者から1人ずつ繰り返し呼び出された。これからどうするつもりか、何度も聞かれたという。

 「日本での暮らしは地獄になるぞ」「日本語ができないと仕事はない」

 外務省の担当者から「帰国は強制しない」と言われたが、明らかに帰国を望んでいると感じたという。実際に「帰国した方がいい」と言われたという現地職員もいる。

 今春になり、大使館の現地職員は8月で雇用契約を切ると通告され、日本に残るなら仕事や住居は自力で探すよう求められたという。一部の現地職員と家族はアフガニスタンへの帰国を選んだ。外務省は明らかにしないが、支援者によると4割が帰国したという。ある現地職員は7月、精神的に追い詰められた様子で、駆けつけた支援者の説得を拒んで帰国したという。

 7月末、雇用契約があと1カ月に迫り、外務省側はようやく、残っていた現地職員に難民申請をするよう書類を配った。「もっと早く難民申請させることもできたはず。外務省が彼らの定住を想定していなかったのは明らかだ」。現地職員を支援した難波満弁護士は話す。

 外務省の担当者は取材に「個別に話し合い、本人たちが決断した結果。話し合いの中身は言えないが、帰国の強制については明確に否定する」と述べた。

 現地職員の一人は「国に残した家族を呼び寄せたいので、外務省ににらまれたくない」と言いつつ、日本政府への失望をあらわにした。

 「大使館近くの爆発で死にかけても、私たちは日本のために働き続けた。日本政府はもう少し私たちを助けてくれてもいいのではないか」(浅倉拓也、西崎啓太朗)

 2022年12月26日 (黒田日銀10年 行き詰まった異形の緩和策:上)
首相「余分なこと言わぬよう」
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S15512141.html?ref=pcviewer

 複数の政府関係者によると、11月10日午後、首相官邸を訪れた日本銀行の黒田東彦(はるひこ)総裁は、面会した岸田文雄首相から発言に釘を刺された。政策運営の独立性が保障されている日銀トップの発言に、首相が苦言を呈するのは極めて異例だ。

 岸田氏が問題視したとみられるのは9月22日の金融政策決定会合後の会見だ。

 黒田氏は「当面、金利を引き上げることはないと言ってよい」と発言。さらに緩和を引き締める時期について「2~3年先」との見通しを示し、来年4月に任期満了を迎える黒田氏の後任の政策を縛るような発言もした。この直後、円は1ドル=145円台まで下落。円安による物価高への対策に追われる政府は、24年ぶりのドル売り・円買いの為替介入に踏み切った。

 岸田氏との面会後、黒田氏は記者団に「(政府と)密接に連携しながら、経済、物価情勢に応じて機動的な政策運営を行う」ことで一致したと説明した。

 日銀が動いたのはそれから約1カ月半後の12月20日だ。緩和策の一つとして抑えてきた長期金利の上限を「0・25%程度」から「0・5%程度」へ引き上げた。事実上の利上げと受け止めた市場では5円ほど円高が進み、一時1ドル=130円台に戻した。首相周辺の一人は「為替へのショック療法としては成功だった」と満足げに話した。

 今回の修正は、来春以降の新体制を見据えた地ならしとの見方もある。政権幹部は「次期総裁になっても、すぐに(金融政策の)引き締めとはならないと思うが、その雰囲気を出すことが大切だ」と述べた。

 背景には政府と日銀が一体となって進めてきた緩和にほころびが目立ち、両者の蜜月関係に微妙な変化が生じ始めたことがある。

 2012年末に発足した第2次安倍晋三政権に任命された黒田氏は、政権の看板政策アベノミクスを金融緩和で支え、円安や株高を演出した。当時の日銀幹部は「結果を出した黒田総裁は、安倍氏の信頼を完全に得ていた」と振り返る。

 しかし、米国が今年3月に利上げを始めると、日本の長期金利も上昇。日銀は緩和で長期金利を0・25%以下に抑え込んだ。このため日米の金利差が広がって円安が加速。資源高もあって物価が上がり、家計や企業にのしかかり始めた。

 黒田氏と強固な信頼関係があった安倍氏はすでに亡く、官房長官として安倍氏を支え、首相を継いだ菅義偉氏も政権を去った。

 10年間の緩和で、日銀は金利を抑えるため国債を大量に買い入れた。国債発行残高の5割超を保有するまでになり、財政規律の緩みや市場のゆがみなどの副作用も指摘される。元日銀幹部は「大規模緩和が始まった頃は、政治の大きな得点源で、安倍首相の求めに黒田総裁が100点満点で応えた。だが、今はリスクマネジメント(危機管理)の対象になっている」とみる。
     ◇
 日銀が20日、緩和策を突然修正した。世界でも異例の緩和策はどう作られ、なぜ行き詰まったのか。来春に迫った黒田総裁の任期満了を前に検証する。 (3面に続く)



▶3面=(1面から続く)

写真・図版 写真・図版












【写真・図版左】 長期金利と日銀の国債買い入れ額の推移
【写真・図版右】 日銀の政策をめぐる主な動き

 日本銀行が20日に突然修正に踏み切った、長期金利を低く抑える政策は金融緩和の主軸だ。長期金利は企業の借り入れや住宅ローンなど様々な金利に影響するからだ。しかし、市場からはその政策の限界が、見透かされていた。

 今春以降、市場では海外ファンドによる猛烈な日本の国債売りが始まった。国債の価格が下がれば、長期金利は上昇する関係にある。日銀は国債を買い入れることで長期金利を0・25%以下に抑え込んできた。しかし、物価高に直面した欧米が利上げにかじを切ると、日本の長期金利も上がって0・25%に近づいた。海外ファンドは「日銀が金利を抑える政策はいずれ行きづまる」とみて、価格が下がった後に買い戻すなどして差額を稼ごうと国債売りをしかけた。

 日銀は4月、国債を無制限に買い入れる強力な金利抑制策を、毎営業日発動するという異例の措置を決めた。「絶対に負けない」と日銀幹部は強調した。

 「日銀VS.海外ファンド」の様相の中、国債売りが強まった6月に日銀は過去最高の16兆円を買い入れた。9月も12兆円近くに上り、9月末に国債発行残高に占める日銀の保有割合が初めて5割を超えた。そして12月に突然、長期金利の上限を「0・25%程度」から「0・5%程度」に引き上げる修正を発表した。

 「予想より早かったが、いずれ政策変更すると思っていた」。国債売りの取引をしてきた英運用会社「ブルーベイ・アセット・マネジメント」の日本の代表を務める北信也氏はそう話した。

 ■「黒田緩和の終わりの始まり」

 日銀が長期金利の操作を始めたのは2016年だが、世界でも異例の政策だった。中央銀行が政策の対象にするのは通常、短期金利だ。長期金利は国債が取引される市場で決まるが、市場規模が大きいことなどから、いくら中央銀行でも長期金利を操作するのは不可能とされてきた。

 それでも日銀が「常識外」の領域に足を踏み入れたのは、緩和政策の行き詰まりがあった。

 13年4月に異次元緩和を始めたが、当初掲げた「2年で2%の物価目標の達成」が実現できず、反転攻勢をねらって16年1月にマイナス金利政策の導入を決定。民間銀行が日銀に預ける金利の一部をマイナスにして、市場に資金が潤沢に回るようにした。しかし、想定に反して長期金利までがマイナス圏になるなど、市場は混乱。利ざやを稼げなくなる金融機関などから批判が強まった。「緩和の限界の到達点だった」と当時の日銀幹部は振り返る。

 しかし、アベノミクスの柱だった大規模緩和の旗を降ろすわけにはいかない。

 そこでわずか8カ月後、修正策としてひねり出したのが、長期金利を一定の水準に操作する政策だ。日銀がねらったのは、粘り強く緩和を続けつつ、緩和の弊害を抑えることだった。

 下がり過ぎた長期金利を調整して金融機関への悪影響を減らした。さらに日銀は国債の買い入れペースの調整をはかった。それまでは年間80兆円などと定めたため、購入が急増。12年末に1割だった日銀の国債保有割合は3割を超え、日銀が財政赤字を穴埋めする「財政ファイナンス」との批判も高まっていた。

 長期金利の操作なら、金利が上がった時だけ国債を買えば済む。当時は金利の上昇圧力は強くなく、日銀は狙い通りに買い入れ額を少しずつ減らしながら、低金利の環境を維持できた。

 しかし今年、想定外のことが起きた。ウクライナ情勢をきっかけに世界が物価高に直面し、金利の上昇圧力が一気に強まったからだ。長期金利操作の導入が裏目に出て、金利を抑えるために国債買い入れを急激に増やす必要に迫られた。

 日銀が国債の半分以上を保有するまでになり、政府の借金を買い支えるような構図が定着した。日銀内には「(長期金利の操作が)政府のばらまきにつながっている。日銀内でもこの状況をいいと思っている人はいないはず」(幹部)との危機感が募る。

 長期金利の操作を導入した当時の日銀の審議委員は「マイナス金利で思った効果を出せず、それ以降、金融政策は敗戦処理みたいなものになった」と話す。

 その政策も今回ついに修正を迫られた。政府内の一部では、緩和を続ける根拠となっている「2%物価目標」を盛り込んだ、13年の政府と日銀の共同声明を見直す考えも浮上している。

 元日銀幹部は今回の修正を「黒田緩和の終わりの始まりだ」と解説した。 (友田雄大、徳島慎也)
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 <長期金利と短期金利> 長期金利は、金融機関が1年以上の長期にわたってお金を貸す際の金利。住宅ローンの固定金利や企業への融資など、幅広い金利に影響を与える。市場で取引される10年物国債の利回りが長期金利の指標となる。

 一方、短期金利は、金融機関が1年未満の取引に適用する金利。世界の中央銀行は、基本的にこの短期金利を上げ下げすることで政策を調整している。