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続折々の記 2022 ⑬
【心に浮かぶよしなしごと】
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【 09】12/31
  憎悪が覆う世界、希望の光求めて  今年の最終ニュース
    戦争に勝利しロシア軍のいない故郷に帰りたい
  誰もが孤独の時代、人間性失わないで  2023/01/01
    絶望救うのは、日常そのもの
    (社説)空爆と警報の街から 戦争を止める英知いまこそ

 2022/12/31 (灯 わたしのよりどころ)戦時下・現場から
憎悪が覆う世界、希望の光求めて    今年の最終ニュース

写真・図版 【写真】停電のため、ろうそくの明かりをともし夕食を食べる家族。ナタリアさん(右)は「ろうそくの火が気持ちを落ち着かせてくれます」=7日午後8時8分、キーウ、関田航撮影

 2022年、ロシアによるウクライナ侵攻は、世界に衝撃を与えた。

 民間、軍事施設を問わず全土にミサイルが撃ち込まれ、ロシア軍の部隊が首都キーウ(キエフ)中心部の目前まで迫った。原発が占拠され、14年に一方的に併合されたクリミア半島を含めると領土全体の約2割が占領されている。

 ロシア軍が占領した街では、民間人の殺害や拷問、性的暴行が繰り返された。民間人の死者は子ども429人を含む6884人に上るが、これはあくまで国連が26日時点で確認できた数字で、実態ははるかに多いとされる。

 私が初めてキーウを拠点に取材したのは8月。ロシア軍は3月下旬にキーウ周辺から撤退しており、その頃には前線は約500キロ離れた東部ドンバス地方などに移っていた。それでも危険を知らせる空襲警報は連日のようにけたたましく鳴り響いたが、人々は午後7時を過ぎても暮れない力強い太陽の光を浴びながら、残された破壊の傷痕の修復に汗を流していた。

     *

 それから4カ月が経った12月、再びキーウを訪れると、街は新たな問題と闘うようになっていた。電力不足だ。ロシア軍は10月以降、ウクライナ各地の電力インフラをドローンやミサイルで集中的に攻撃し始めた。中心部でも爆発音が鳴り響き、1日に何度も停電が発生するようになった。

 人々は暗闇の生活に慣れざるを得なくなった。ある家族は、わずかな明かりを頼りに夕飯の準備をしていた。街では自前の発電機を軒先に設置した店を見かけるのが当たり前になった。

 そんな「異常」が、人々の「日常」となっているのが今のウクライナだ。大切な人の命を奪い、生活を苦しめるロシアへの憎しみは、日増しに募っている。

 12月14日、朝方にキーウ中心部でドローン攻撃を受けた建物の様子を見に来た女性(26)は言った。「攻撃は怖い。でも、おかしいと思われるかもしれませんが、私たちは既にロシアのテロに慣れてしまったのです」

 憎悪と悲しみが人々の心を覆い、希望の光が見えない中、ウクライナの人々は何をよりどころに生きるのか。手がかりを、さがしに向かった。(キーウ=根本晃)


 ◇ウクライナ侵攻。元首相銃撃、その背景にあった旧統一教会と政界の闇。安保政策の大転換に防衛費の急増、増税案。2023年は、人が「よりどころ」とするもの、国や宗教、家族、おカネを深く考えさせる年になりそうです。よりどころは日々の暮らしの支えですが、ひとつ間違えば依存になる。微妙なバランスの綱渡りが、生きることの実体ではないでしょうか。よりどころはなんですか。見つけにくいものですか。小さく揺れる、希望の灯(ともしび)へ。戦時下のウクライナ、そして日本の日常を、記者が歩きます。全9回でお伝えします。
(2面へ続く)
(1面から続く)
戦争に勝利しロシア軍のいない故郷に帰りたい

写真・図版 写真・図版 写真・図版













【上の左】仮設住宅で暮らすオクサナさん(右端)、オレクサンドルさん、カテリナさん(左)家族。ロシア軍の占領下にある中南部ザポリージャ州トクマクから9月に逃れてきた=1日、ウクライナ・ボロジャンカ、いずれも関田航撮影
【上の右】ウクライナ語の教室で、ボランティア教師のオリハ・オロビェツさん(左)の話を聞く参加者=9日、ウクライナ・キーウ
【ウクライナとドンパス地方の地図】

 12月上旬、ウクライナの首都キーウ近郊ボロジャンカ。侵攻当初、ロシア軍との戦闘で激しく破壊されたこの街の仮設住宅で、看護師のオクサナ・ポヒバさん(43)と長女のカテリナさん(13)、長男のオレクサンドルさん(8)は暮らす。

 3人は500キロ以上離れた中南部ザポリージャ州トクマクから9月、仮設住宅に避難した。トクマクは侵攻当初からロシア軍が占領。ロシアは10月上旬、同州を一方的に併合した。一家は夏までは占領下の生活に耐えてきた。

 避難を決めた理由は、子どもたちの教育だ。ウクライナの学校は9月に新年度が始まる。トクマクに残った場合、子どもたちはロシアの教育が行われる学校に通わざるを得なくなっていたという。

 カテリナさんは特に、ロシア人が運営する学校に通うことを嫌がった。ロシア軍の侵攻が始まって3日目の2月26日、一家は人口約3万人のトクマクに、ロシア軍の戦車が車列を組んでやって来るのを目にした。その後、街では戦車や砲撃による激しい戦闘が繰り広げられた。民間人の死亡も伝えられている。

 オクサナさんと夫(47)は娘の意思を尊重することにした。ただ、パン屋で働く夫はトクマクに残ったままだ。「夫は占領地域から出ることを許されません。軍事経験があるので、占領地域を出た後にウクライナ軍に加わることをロシア軍が懸念しています」とオクサナさんは説明する。

     *

 仮設住宅での生活は無料だが、快適とは言いがたい。1世帯ごとに1部屋が割り当てられ、6畳ほどの空間に2段ベッド2台が並ぶ。シャワーやキッチン、トイレは共用だ。

 トクマクが解放されるめどは立たない。ボロジャンカで看護師として働くオクサナさんの心身には疲労がたまっていく。

 オレクサンドルさんは避難後も地元で見られない雪景色にはしゃぎ、ボランティアから贈られた自転車を乗り回すなど元気に過ごしている。「彼らが喜び、人生を楽しんでいるのを見ると、私の心も温まります」

 ただ、戦争が始まってからふさぎ込みがちになったカテリナさんは、仮設住宅でも、周囲の子どもたちからの遊びの誘いを断っている。5年間の妊活を経て授かった大切な子どものそんな姿に、オクサナさんは胸を痛めている。

 ロシアの侵攻前まで、家族はいつも一緒だった。新年はトクマクの友人家族らと一緒に迎え、元日は祖父母の家を訪ねた。

 だが、今年は何も出来ない。カテリナさんは最近、雑貨店で新年の装飾品を見かけ、「ママ、もう出よう。私たちに新年は来ないの」と目を背けた。

 「子どもたちにとって、本来新年は大切な祝日のはず。戦争に勝利し、ロシア軍のいない故郷に帰って、再び家族みんなで暮らしたい。それが最大の望みです」(ボロジャンカ)

 ■ウクライナ語学ぶウクライナ人

 「あなたがウクライナ語を勉強する理由はなんですか?」

 キーウ市内の公民館に集まった老若男女8人に向かって、学生ボランティアのオリハ・オロビェツさん(18)がこう問いかけた。週1回、無料で開かれているウクライナ語の会話教室だ。オロビェツさんの問いかけに、時に細かい文法の誤りを交えながらも、それぞれの理由をウクライナ語で答える生徒たち。

 だが、実は彼らが学んでいるのは「外国語」ではない。彼らはみな、ウクライナ人なのだ。

 どういうことか。背景には、ウクライナの複雑な言語状況がある。ウクライナは憲法で「国家語」をウクライナ語と定める一方、日常生活ではウクライナ語とロシア語の両方が使われている。両言語の構造は似ており、多くのウクライナ人は多かれ少なかれ2カ国語の知識があるが、その習熟度には地域差もある。

 長年ロシアの影響下にあった東部ドンバス地方(ドネツク州とルハンスク州)などではロシア語話者が多く、20世紀前半まで現在のポーランドなどの支配下にあった西部の中心都市リビウなどではウクライナ語が支配的だ。中南部クリビーリフ出身で元タレントのゼレンスキー大統領もロシア語話者だった。また、ウクライナ語とロシア語を交えて話す人々も少なくなく、こうした話し方は「スルジク(まぜこぜ語)」と呼ばれる。

 ロシアは2014年以降、「東部ドンバス地方でロシア語系住民が迫害されている」とする主張を広めてきた。歴史を振り返れば、ロシアはウクライナの大部分を支配していたロシア帝国時代から20世紀のソ連時代に至るまでウクライナ語の使用を繰り返し制限し、抑圧してきた。

     *

 このため、ウクライナ人にとって、言語は自らのアイデンティティーのよりどころとなる繊細なテーマだ。特にロシアが侵攻を開始した2月以降、ロシア語話者が主な使用言語をウクライナ語に切り替える動きが加速している。

 教室に来ていた中部ドニプロ出身の会計士、ユリヤ・コルニチュクさん(34)もその一人。「侵略国の言語であるロシア語で話すのは、私にとって受け入れがたくなりました」と言う。

 同じく授業に参加したドネツク州出身の医師、リュボーウ・クリボシェヤさん(38)も2月以降、周囲にあわせてウクライナ語に切り替えるよう努めている。

 一方、どちらの言語を選択するかは個人の自由だとも考える。兵士として前線で戦っている兄は、今もロシア語を使っているという。クリボシェヤさんは「私はロシア語自体に嫌悪感はない。兄がロシア語を話していても、彼がウクライナ人で、英雄であることには変わりない」と話す。

 そして、こう続けた。「同じく、ロシア人がどのような言語で話していようと、彼らに対する私の嫌悪は変わらないのです」(キーウ)

 ■「きょうだい国」異なる歴史観 元駐ウクライナ大使・黒川祐次さん

 プーチン大統領は「ルースキー・ミール」(ロシア語で「ロシアの世界」を意味する世界観)を実現するため、「きょうだい国」であるウクライナを取り戻そうとしているのでしょう。その歴史観の背景にあるのがロシア、ウクライナ、ベラルーシ共通の源流で、9世紀後半~13世紀にかけて存在したキーウ・ルーシ(キーウ公国)。プーチン氏はロシアこそが正統な継承者と考えています。

 しかし、ウクライナの見方は異なる。その歴史的なよりどころの一つが、15世紀ごろから南部に住み着いたコサックです。コサックはポーランドなどから逃れてきた人々が築いた武装集団で、自由と平等を尊重する組織でした。17世紀半ばに最初のウクライナ国家ともされるヘトマン国家をつくりましたが、外交上の理由で、まもなくモスクワの保護下に入りました。

 それ以降、ウクライナは帝政、ソ連時代を通じてロシアに支配されます。91年にソ連から独立しますが、汚職などソ連時代の旧弊がそのまま独立国家に移行してしまった。

 コサックの歴史は長年他国に支配されてきたウクライナにとって数少ない栄光の一つ。ウクライナにとって今回の戦争は短期的に見れば防衛戦争ですが、歴史的に見れば17世紀以来続いている独立戦争の最も重要な戦いであり、多くの人々がこれに負けたら真の独立は不可能になると考えています。最新の世論調査では、8割の回答者が「一切妥協すべきではない」としています。

 ◇人は悲惨な経験の後、何を支えに生きていくのか。それを考えたとき、私はある女性に、どうしても話が聞きたいと思った。

 2015年にノーベル文学賞を受賞したウクライナ生まれでベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさん(74)。女性兵士たちの声を集めて戦場の現実を描いた代表作「戦争は女の顔をしていない」などで知られ、常に社会や時代の犠牲となった「小さき人々」の声に耳を傾けてきた。

 取材を申し込むと、応じるとの返事が届いた――。

 明日は、アレクシエービッチさんがロシアのウクライナ侵攻について語った内容をお伝えする予定です。(根本晃)

 2023/01/01 (灯 わたしのよりどころ)
誰もが孤独の時代、人間性失わないで      

   ノーベル賞作家・アレクシエービッチさん
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S15517013.html?ref=pcviewer

アレクシエービッチさん
 「撮影してもいいけれど、私の足元のスリッパは撮らないでね」

 昨年11月下旬、早くもクリスマスムードの漂うベルリン。自宅に私を迎えた小柄な女性が、穏やかな笑みをたたえてそう言った。

 2015年にノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家、スベトラーナ・アレクシエービッチさん(74)。女性兵士の声を集めて戦場の生々しい現実を描いた代表作「戦争は女の顔をしていない」などで知られ、現在はベルリンで事実上の亡命生活を送る。この作家に、どうしても話を聞きたかった――。

 2月24日、ベラルーシから攻撃拠点を提供されるなどの協力を得たロシアは、ウクライナへの侵攻を始めた。

 アレクシエービッチさんはウクライナ人の母とベラルーシ人の父のもと、旧ソ連時代のウクライナ西部に生まれた。ロシア語で執筆活動を続け、ソ連のアフガン侵攻で亡くなった兵士の母親やチェルノブイリ原発事故の遺族など、常に社会や時代の犠牲となった「小さき人々」の声につぶさに耳を傾けてきた。彼女であれば、絶望の淵に立つ人々にとって、よりどころとは何なのか、その答えにたどり着く手がかりを知っている気がした。

     *

 ウクライナ侵攻で起こったことは、私たちがこれまで抱いてきた「人間性」への漠然とした信頼を揺らがせた。ロシア軍が占領した街では、民間人の殺害、拷問、性的暴行といった残虐な行為が繰り返された。開戦を知った時に「涙がこぼれた」というアレクシエービッチさんは、こうした状況を踏まえ、「人間から獣がはい出している」と表現した。

 ウクライナ東部や南部では激しい戦闘が続く。前線から遠く離れていても、人々は電力不足や毎日のように鳴り響く空襲警報に悩まされている。停戦の兆しは一向に見えない。人は、どうすれば救われるのか。文学の役割とは何なのか。

 アレクシエービッチさんは「作家は『人の中にできるだけ人の部分があるようにするため』に働くのです」とした上で、諭すように語った。

 「私たちが生きているのは孤独の時代。私たちの誰もが、とても孤独です。人間性を失わないための、よりどころを探さなくてはなりません」(ベルリン=根本晃、写真は関田航)

▼2面=インタビュー詳報
絶望救うのは、日常そのもの

写真・図版 【写真・図版】

 ノーベル文学賞作家のスベトラーナ・アレクシエービッチさんが、朝日新聞の単独インタビューに応じた。▼1面参照

 ■人から獣がはい出す戦争、独裁者は時を止められない

 ――ウクライナ侵攻が起きて、まず感じたことは。

 私の母はウクライナ人、父はベラルーシ人です。開戦を知った時、ただただ涙がこぼれました。私は本当にロシアが大好きで、その文化の中で育ちました。戦争が始まるなんて到底信じられなかった。

 ――あなたが「戦争は女の顔をしていない」で描いた独ソ戦や「亜鉛の少年たち」のアフガン侵攻と、ウクライナ侵攻の共通点は。

 かつて取材した男性が「戦争は美しい」と言ったのをよく覚えています。彼は「夜の野原で砲弾が飛んでいる姿はとても美しい。殺された人間だけじゃない。美しい瞬間があるんだ」と言った。のどを刺すときの(刺された人の)うめき声について、ほとんど詩的と言ってもよい表現で語りました。戦争には人間にとって様々な試練がある。人間の心を支配してしまうようなものがあるのです。

     *

 ――ロシア軍が占拠し、後に撤退したウクライナのブチャなどでは、残虐な行為が繰り返されました。

 なぜ、こうもすぐに人間の文化的な部分が失われてしまうのでしょうか。ドストエフスキーやトルストイは、人間がなぜ獣に変貌(へんぼう)するのか理解しようとしてきました。私はロシア人を獣にしたのはテレビだと思います。プーチンはこの数年、戦争の準備をしてきた。テレビはウクライナを敵として描き、人々を、ウクライナを憎む獣にするために働きかけてきました。

 ――ロシアではプーチン氏が大統領に就任した2000年以降、政府によるメディア掌握が進んできました。ウクライナ侵攻でも政府の主張に沿ったプロパガンダが展開されています。

 多くのロシア人はテレビを信じています。あるウクライナ兵が、(侵攻後に)捕虜にしたロシア兵に「母親に電話して実情を伝えれば解放してやる」と言いました。電話で「ママ、ここにはナチはいない」と話したロシア兵に、母親は「何を言ってるの。誰に吹き込まれたの」と叫んだ。母親が口にしたのはテレビが流す内容でした。テレビの力を、私たちは甘く見ていました。

 ――昨年2月以降、ウクライナ人に変化を感じますか。

 私が今住んでいるベルリンにもたくさんのウクライナ人がいます。彼らはロシアにとてつもない憎しみを抱いています。今、ロシアと停戦協議を始めようと言っても理解されません。

 ウクライナの若者からは「これからはロシア語を読まない。ドストエフスキーもチェーホフもチャイコフスキーも大嫌いだ」というような悲しい話も聞きます。

 ――作家として、ロシア文化を排斥する動きをどう受け止めていますか。

 ウクライナ人がロシア文化を排斥することに賛同はしませんが、その背景はよく理解できます。ただ、作家は人々を育むために働いています。ドストエフスキーが示したように、私たちは「人の中にできるだけ人の部分があるようにするため」に働くのです。

 ウクライナ侵攻では人間から獣がはい出しています。私も「本当に、言葉には意味があるのだろうか」と絶望する瞬間があります。それでも私たちの使命は変わりません。文学は人間を育み、人々の心を強くしなければなりません。残虐な運命に身を置かれた時、人間をのみ込む孤独に打ち勝てるように。

 ――今のウクライナ人のよりどころは。

 私が会うウクライナ人は皆、まもなくウクライナが勝利すると信じています。全てのウクライナ人があらがい、故国を守っています。おそらく、これこそが今、ウクライナ人が(絶望に)打ち勝ち、耐え抜くためのよりどころなのでしょう。

     *

 ――この戦争はどのように終わると思いますか。

 私はウクライナが何らかの勝利を収める形で終わると考えています。世界が団結し、ロシアのファシズムに立ち向かうのです。ロシアのファシズムは危険で、ウクライナで止まるとは限りません。

 ――なぜロシアはプーチン氏を生み出してしまったのでしょうか。

 常にその答えを探しています。私が話した大勢のロシア人は、ロシアはペレストロイカの後、自国が辱められ、貧しくなった、尊敬されていないと感じていました。(ソ連崩壊後の混乱期は)食べ物も仕事もなかった。この貧困が行き着く先はファシズムです。

 ――プーチン氏はロシア(ソ連)がヒトラーを倒して世界に多大な貢献をしたはずなのに、それに見合う尊敬が西側から得られていないと不満を抱いています。

 「偉大なロシア」。恐ろしいことです。過去に「偉大なドイツ」や「偉大なセルビア」が何をもたらしたかを振り返れば、流血だけです。

 大事なのは、どんな独裁者も、時を止められないということです。彼らは勝てないでしょう。ただ、それまでにとても長い時間がかかるかもしれません。

 私は今、戦争を始め、指揮する人々について本を書いています。こうした「野蛮人」の時代は、新たな中世です。再び戦車が走り、街が破壊され、人々が殺され、抑圧される。こんなことはもう起こりえないと思っていました。

 しっかりと考えなくてはなりません。私たちが今どんな時代にいるのかを。

 ――日本では22年、元首相が殺害される事件が起きました。容疑者は、母親が新興宗教にのめり込み、家庭が崩壊したことに恨みを抱き、元首相と教団との関係を理由に事件を起こしたとされます。

 憎しみという狂気が世界であふれています。それは、伝染するようになりました。紛争が起きていない国でさえも、似たようなことが起こっています。

 私たちが生きているのは孤独の時代と言えるでしょう。私たちの誰もが、とても孤独です。文化や芸術の中に、人間性を失わないためのよりどころを探さなくてはなりません。

 (テクノロジーの発展が続くなか)人間は二つの現実を生きています。一方は、人々と街が破壊される、全く中世的なウクライナでの戦争。他方は、人工知能や宇宙船――。人間の意識が到底受け入れられない、この二つの世界に、私たちは生きているのです。

 ――アフガン侵攻で亡くなった兵士の母親やチェルノブイリ原発事故の遺族など、悲惨な経験をした多くの人々にインタビューしてきました。人はどうすれば絶望から救われるのでしょうか。

 近しい人を亡くした人、絶望の淵に立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです。例えば、孫の頭をなでること。朝のコーヒーの一杯でもよいでしょう。そんな、何か人間らしいことによって、人は救われるのです。(聞き手・ベルリン=根本晃)

▼9面=社説
空爆と警報の街から 戦争を止める英知いまこそ
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S15516944.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

写真・図版  黒こげのアパート群に雪が吹きつける。窓という窓は割れ、飼い主を失った犬が群れをなしてうろつく。開戦初期にロシア軍の砲火を浴びたウクライナの都市ホストメリの空港周辺は、いまも廃虚そのものだ。

 昨年12月、首都キーウでも昼夜を問わず空襲警報のサイレンが鳴り響いていた。仕事や家事を中断し、底冷えの地下シェルターで身を寄せ合う。住民によると、避難した先が空爆されて命を落とす人も少なくない。避難するか、否か。「毎回が、命をかけたくじ引きです」。これが戦時の日常である。

 爆音と警報が鳴りやまぬままウクライナは新年を迎えた。

 ■不戦の理想、結実せず

 冬場、ミサイルや無人機の攻撃に間断なくさらされた地域の住民は、大急ぎで仮住まい先を探した。画家のアンナ・ベロウソワさんもその一人だ。住んでいた中南部ザポリージャ州では原発をロシア軍が占拠。攻防戦が激化し、キーウの親族宅に身を寄せた。

 戦争終結への道筋をウクライナの市民に問うた。「夏には全土奪還できる」「いや春先には戦争は終わるだろう」。最も多く聞かれた英単語は「ビクトリー」。戦況を楽観しているのではない。ロシアへの勝利しか未来の選択肢はない。みな、そう思い詰めているように見えた。

 国際社会のさらなる支援を市民は欲していた。だが、紛争解決の責任を担う国際機関にはすっかり失望していた。

 司法の専門家は、国際刑事裁判所による戦争犯罪の捜査が遅すぎると嘆いた。国際政治を教える大学教官は「国連が役にたっていない。何のために国際法を学生に教えてきたのか」とため息をついた。

 実際、国連は機能不全をさらけ出した。国連安全保障理事会は常任理事国であるロシアの拒否権行使で、違法な侵略戦争を止める決議を、たった一本も採択できなかった。

 かえりみれば、近世以降、欧州の知識人は、国家の暴走を止めるための仕組みを模索し続けてきた。

 17世紀フランスの聖職者クルーセは、欧州最大の宗教戦争だった三十年戦争のさなか、「世界連邦制」を提唱した。常設の大使会議を持ち、裁定に背く国に武力で臨む構想だった。18世紀には英国の哲学者ベンサムが紛争解決のための裁判所を提議し、ドイツのカントは「諸国家の連合」の必要性を説いた。

 それらの理想を初めて具現化したのが国際連盟だった。侵略戦争を国際犯罪と位置づける成果を残したが、大国の利害が衝突し、創設からわずか26年で挫折する。主唱した米国が参加しなかったことに加え、旧満州支配を非難された日本の脱退や、ソ連の追放で弱体化した。

 現在の国際連合を創設するにあたって、第2次大戦に勝利した米英ソ仏中の5カ国は、大国の脱退によって瓦解(がかい)しないように、「拒否権」という特権を編み出した。

 だが、5カ国はそれを自国の利害を押し通す道具にしてしまった。安保理は大国エゴがぶつかり合う舞台に堕した。

 ■無力感超えた構想を

 戦地ウクライナに身を置くとまざまざと実感される。

 これだけ科学文明が発達し、国境を越えた人の往来や経済のグローバル化が進んだ21世紀の時代にあって、戦争という蛮行を止める策を、人類がなお持ち得ていないことを。一人の強権的な指導者の専横を抑制する有効な枠組みがないことを。

 ささやかな日々の暮らしを破壊し、生身の肉体を焼きつくす殺戮(さつりく)こそが、戦争というものの実相であること。ひとたびその暴風の中に巻き込まれれば、どうやって生きのびるか、いかに勝ち抜くかが至上の目的と化していくこと――。

 一方、欧州の東の地域で起きた戦争が、金融、食料、エネルギーの連鎖構造を通して、世界中の人にも痛みをもたらすことも、学んだ。

 眼前で起きている戦争を一刻も早く止めなければならない。そしてそれと同時に、戦争を未然に防ぐ確かな手立てを今のうちから構想する必要がある。知力を尽くした先人たちにならい、人類の将来を見すえ、英知を結集する年としたい。


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https://www.historyjp.com/allindex/ https://www.hotsuma.jr.jp ◆下平評
◆日付  2022/00/00
     

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