11 15 (日) 世情の変態は 織物横糸模様の如し |
七五三 数え年で男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳のとき、成長を祝い神社に参詣する行事。11月15日に行うようになったのは江戸時代、徳川綱吉の子、徳松の祝いがこの日に行われたことからといわれている。 徳川 徳松(とくがわ とくまつ、延宝7年5月6日(1679年6月14日) - 天和3年閏5月28日(1683年7月22日)) は徳川幕府第5代征夷大将軍、徳川綱吉の長男。母は小谷正元の娘伝(瑞春院)。上野国館林藩主。官位はなし。 群馬県館林市城町にある館林城は、将軍徳川家光の四男徳川家綱が入城したが第4代将軍となったため、 弟の徳川綱吉が25万石で入った。 綱吉は延宝8年(1680年)、兄が嗣子無くして死去したため、延宝8年(1680年)にその後を継いで第5代将軍となった。 綱吉の子徳松は綱吉の跡継ぎとして期待されたが、天和3年(1683年)、かぞえ僅か5歳で夭折した。 墓所は東京都港区の増上寺。 「七五三」の祝いは、天和元年(1681年)11月15日に徳松の健康を願ったのが始まりだとされる。 かまぼこの日 平安時代の古文書に1115年の祝宴の膳にかまぼこが出されたという記述があることからかまぼこ業者が制定。1115年なので11月15日を記念日とした。 一般鳥獣狩猟解禁 翌年2月15日まで。 北海道は10月1日〜翌年1月31日。 きものの日 全日本きもの振興会が、きものの良さを知ってもらおうと制定した日。11月15日としたのは七五三で和服を着る機会が増えることから。 昆布の日 日本昆布協会が子供達が昆布を食べて丈夫に育つようにと、七五三の日を昆布の日としたもの。 生コンクリート記念日 全国生コンクリート工業組合連合会が制定。1949(昭和24)年、生コンクリートが初めて市場に出荷された。 |
七五三 『ウィキペディア(Wikipedia)』 『ウィキペディア(Wikipedia)』 七五三参りの様子七五三(しちごさん)とは、7歳、5歳、3歳の子供の成長を祝う年中行事。 概要 男の子は3歳と5歳、女の子は3歳と7歳の年の11月15日に、成長を祝って神社・寺などに詣でる年中行事(神社庁より)。本来は数え年だが、現在は満年齢で行われる場合が多い。地方によっては男の子の3歳を行わない所もある。 現在では全国で盛んに行われているが、元来は関東圏における地方風俗であった。 尚、上方発祥の習俗としては十三詣りがあり、これも徐々に全国に広がりつつある。 由来と現状 旧暦の15日はかつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。現在では11月15日にこだわらずに、11月中のいずれかの土日・祝日に行なうことも多くなっている。北海道等、寒冷地では11月15日前後の時期は寒くなっていることから、1か月早めて10月15日に行なう場合が多い。 3歳は髪を伸ばす「髪置(かみおき)」、 5歳は初めて袴をつける「袴着(はかまぎ)」、 7歳は、それまでの紐付きの着物に代わって、本仕立ての着物と丸帯という大人の装いをする「帯解・紐落」 の名残りである。 http://koyomi8.com/directjp.cgi?http://koyomi8.com/reki_doc/doc_0745.htm 暦と天文の雑学 七五三のはなし 髪置(「かみおき」 三歳・男女) 昔(江戸時代以前?)は幼児の髪は剃っているのが普通だった(自分で髪の手入れなど出来なかったからかな?)。 三歳になると、ようやく髪を伸ばすようになる。この節目として行われるのが髪置の儀式。子どもが将来白髪頭になるまで長生きするようにと言う祈りを込めて、白髪に見立てた綿帽子を子どもの頭に載せる行事が、「髪置」である。 袴着(「はかまぎ」 五歳・男児) 男児が初めて「袴」をはく儀式。「袴」という大人が公の場で身につける衣服を着用すると言うことで、男として社会の一員となると言う意味を持つものなのだろう。 なお、この際に子どもを冠を着けさせて碁盤の上に載せ、四方の神を拝させたと言う。碁盤は、「勝負の場」の象徴として用いたものらしく、この子が大きくなって出会うであろう人生での様々な「勝負の場」で四方を制するという意味を持ったものとか。 この意味合いからすると、武家社会となってからの行事のようであるが、この点は明確でない(私の調査不足です)。 帯解(「おびとき」 七歳・女児) 女子が、着る着物の着け帯び(縫いつけてある帯?)をはずして、代わりに大人と同じに帯を締める行事。これによりは女児から「女性の一人」と認められると言うことか。 帯を締めるのに「帯解?」という気もするが、ここで解くのは「着け帯び」のこと。誤解の無いように。 なお、帯は「魂をその内にしっかりととどめおく」ものだそうで、帯を締めることによって、身を持ち崩すことのないようにと言う願いを込めるものとか。 (「身を持ち崩す」なんて表現は、最近はしないのかな?) 現代では行事に正装に準じた衣装(晴れ着)で臨み、洋服の場合もあるが和服の方が多い。少女(極稀に少年)は、この時に初めて化粧(厚化粧の場合が多い)をして貰う場合が多い。奇数を縁起の良い数と考える中国の思想の影響もある。 変った所では福岡県で4〜5歳で「ひもとき」、7歳で「へこかき」(少年)/「ゆもじかき」(少女)(いずれもふんどしや湯文字といった成人仕様の下着を初めて身につける)を行う地区がある。 千葉県、茨城県地方では、七五三のお祝いをホテルなどで結婚披露宴並に豪華に開催する場合もある。 近世までの日本は、現在の開発途上国と同様の状況(栄養不足・健康への知識不足・貧困など)が原因で乳幼児が成人するまでの生存率はきわめて低く、その様な事から乳幼児の生存を祝う節目として定着した。男児が女児よりも早く祝うのは後継者としての意味合いもあるが、医療技術が発達する現代までは女児よりも男児の生存率が低かったためである。また、三歳=言葉、五歳=知恵、七歳=歯を神から授かる事を感謝とする地方や、三歳、五歳、七歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている地方もある。 神社や寺への参拝が慣例となっているが、このような伝統に配慮してキリスト教の教会でもこの時期に七五三のお祝いを行うところもある。 千歳飴 七五三では、千歳飴(ちとせあめ)を食べて祝う。千歳飴は、親が自らの子に長寿の願いを込めて、細く長くなっており(直径約15mm以内、長さ1m以内)、縁起が良いとされる紅白それぞれの色で着色されている。千歳飴は、鶴亀(つるかめ)や松竹梅などの縁起の良い図案の描かれた千歳飴袋に入れられている。 千歳飴は、江戸時代の元禄・宝永の頃、浅草の飴売り・七兵衛が売り出したのが始まりとされている。 その他 ・ 七五三という語呂合わせを用いて、いくつかの数列を覚えるのに使われている。 ・ 日本の国旗で慣例的に用いられる縦横比が7:10、日章の直径は縦の5分の3のため、 主に戦前の世代では国旗を自作するにあたってその比率を「七五三」と覚えたという。 ・ 最大角度を120度とする5:3の辺の長さを持つ三角形の残りの辺は7となる。3:4:5の直角三角形に対し、 こちらは「七五三の三角形」と呼ばれる。余弦定理の例題として用いられる。 ・ 日本における姓のひとつとして七五三と書いて「しめ」と読む姓がある。 ・ 七五三縄「しめなわ」と読むことがあり、実際に注連縄の藁を、七束、五束、三束と垂らす型がある。 主に祭事の結界として利用する。 |
11 17 (火) 柿剥きが終わる |
11 20 (金) 恵比寿講 |
【画像】 弁財天の原型として知られる、ヒンドゥー教の女神:サラスヴァティー神 えびす講の由来 冠婚葬祭マナー百科 えびす〈恵比寿、戎、夷とも書く〉、大黒天、弁財天、毘沙門天、布袋(ほてい)、福禄寿(ふくろくじゅ)、寿老人(じゅろうじん)を七福神といいます。そのうちの恵比寿神を祀る行事で、地方によって違いますが、陰暦十月十日、十月二十日、十一月二十日、一月十日、一月二十日などに行います。 えびすは兵庫県西宮市の西宮神社の祭神で、大国主命とか、事代主命(ことしろぬしのみこと)、あるいは蛭子(ひるこ)を祭り、商売繁盛の神として広く信仰されています。 えびすは、古くは漁業の祖神、海上の守護神として漁民に信仰されていました。右手に釣り竿、左わきに鯛をかかえていることからもわかりますが、「えびす」とは異国人をさす言葉で海の向こうから福をもたらす神ともいえます。やがて宗教芸能者によって各地に広められ、近世になって商売繁盛・家内安全の神として信仰を集めるようになりました。これは、すべての神様が出雲に出はらう神無月〈十月〉に、えびす神だけは残っているといういい伝えから、商家に信仰されるようになったといわれています。また、西宮神社は蛭子を祀ってあり、蛭子三年足立たずで、おあしが出ないので縁起がよいからだともいわれています。 Wiki: えびす講 えびす講(えびすこう)は、地方により異なるが、主に10月20日・11月20日などに催され、神無月に出雲に出かける時期に留守を預かる留守神として竃様(かまどのかみ)をまつり一年の無事の感謝やまたは魚や根菜を中心とした青物が、決まって売られていたので、農業や漁業の神として五穀豊穣、大漁祈願を願っての民間行事または秋祭り。 古くは数多くの各家庭や社寺で行われていた年中行事であったが近年は自治体の人手不足や高齢化により地域によっては活発に行われなくなり縮小又はまったく行われなくなっている所も数多くある。 年のはじめに行われるえびす講として1月10日の前後3日または15日に福神・商売繁盛の神であるえびすを祭神として行われる神社・寺の祭事。えびす祭・十日えびす・えべっさんとも言う。近畿地方や四国、名古屋で行われるものが有名だが、関東や九州などでも行われる。商売繁盛を祈願して、たくさんの縁起物を飾った福笹が買い求められる。この福笹につける縁起物は神社から授与されるもので「吉兆」と呼ばれる。なお、笹は孟宗竹の枝を使用したもの。 又、福神・商売繁盛の神であるえびすに因み、商業者や団体による祭りが全国各地で広く催されている。 |
甲州東郡七福神(山梨県山梨市・塩山市 他) H13.3 @大善寺(弁財天)→A福蔵院(布袋尊)→B放光寺(大黒天)→C龍光院(福禄寿)→ D圓照寺(恵比寿)→E吉祥寺(毘沙門天)→F神宮寺(寿老人) | |
甲州都留七福神(山梨県都留市) H13.6 @広教寺(福禄寿)→A用津院(恵美寿)→B長生寺(弁財天)→C円通院(布袋尊)→ D普門寺(毘沙門天)→E保寿院(大黒天)→F本光寺(寿老神) | |
諏訪湖・湖畔七福神(長野県諏訪市・岡谷市・下諏訪町) H13.9 @教念寺(弁財天)→A温泉寺(布袋和尚)→B秋宮恵比寿社(恵比寿)→C平福寺(寿老人)→ D久保寺(毘沙門天)→E江音寺(福禄寿)→F法華寺(大黒天) | |
信州伊那七福神(長野県伊那市・駒ヶ根市 他) H13.9 @常円寺(布袋尊)→A蓮華寺(毘沙門天)→B光前寺(弁財天)→C蔵沢寺(寿老尊 )→ D聖徳寺(福禄寿)→E西岸寺(恵比寿)→F常泉寺(大黒天) | |
善光寺七福神(長野県長野市) H14.7 @苅萱山西光寺(寿老人)→A大国主神社(大黒天;社)→B西後町秋葉神社(福禄寿;石碑)→ C蓮池山往生院(弁才天)→D御本陣 藤屋(布袋尊)→E西宮神社(恵比寿)→ F善光寺世尊院(毘沙門天)→G善光寺本堂(番外) | |
甲斐七福神(山梨県武川村・大泉村・長坂町 他) H15.4 @高福寺(福禄寿)→A七賢[山梨銘醸](弁財天)→B萬休院(恵比寿尊)→C高龍寺(寿老人)→ D妙林寺(大黒天)→E清光寺(布袋尊)→F道喜院(毘沙門天) | |
石和温泉七福神(山梨県石和町) H15.4 @大蔵経寺(寿老人)→A佛陀寺(福禄寿)→B遠妙寺(大黒天)→C恵法寺(毘沙門天)→ D常在寺(布袋尊)→E常徳寺(恵比寿)→F蓮朝寺(弁財天) | |
甲斐西八代七福神(山梨県市川大門町・三珠町) H15.6 @光勝寺(大黒天)→A不動院(寿老人)→B薬王寺(恵比寿)→C花園院(布袋尊)→ D宝寿院(福禄寿)→E宝寿寺(弁財天)→F福寿院(毘沙門天) | |
北竜湖七福神(長野県飯山市) H18.7 @〜F北竜湖弁天島(全七福神) | |
飯山七福神(長野県飯山市) H18.7 @明昌寺(寿老人)→A常福寺(大黒天)→B本光寺(弁財天)→C大聖寺(毘沙門天)→ D英岩寺(福禄寿)→E飯笠山神社(恵比寿)→F斑尾高原ホテル(布袋尊) | |
信州七福神(6/7)(長野県松本市・塩尻市・安曇野市 他) H18.7 @宗林寺(福禄寿尊)→A東光寺(大黒尊天)→B専称寺(弁財天)→C大宮熱田神社(恵比寿神)→ D盛泉寺(布袋尊)→E長興寺(毘沙門天)→未[F兎川霊瑞寺(寿老尊)] | |
木曽七福神(5/7)(長野県塩尻市・上松町 他) H19.1〜H19.8 @大宝寺(寿老人)→A徳音寺(毘沙門天)→B興禅寺(吉祥天)→C臨川寺(弁財天)→ D光徳寺(恵比寿)→未[E定勝寺(布袋尊)→F妙覚寺(大黒天)] | |
金運七福神(山梨県甲府市) H19.5 @〜Fつけものセンター昇谷(全七福神) | |
佐渡七福神(新潟県佐渡市) H19.7 @清水寺(寿老人)→A慶宮寺(福禄寿)→B世尊寺(大黒天)→C智光坊(恵比寿)→ D称光寺(弁財天)→E大蓮寺(布袋尊)→F禅長寺(毘沙門天) | |
河口湖黄金の七福神(山梨県富士河口湖町) H20.4 @梨宮公園内(恵比寿神)→A河口湖漕艇場横(大黒天)→B河口湖美術館横(毘沙門天)→ Cオルゴールの森横(弁財天)→D円形ホール横(寿老人)→ Eあかり亭横(福禄寿)→Fあ・うん亭駐車場(布袋尊) | |
糸魚川八福神(新潟県糸魚川市) H21.6 @〜G本町通り商店街 (@布袋尊→A寿老人→B大黒天→C奴奈川姫・八福神宝船→ D弁財天→E毘沙門天→F恵比寿→G福禄寿) | |
佐久七福神(長野県佐久市) H21.10 @〜F佐久乃おぎのや(全七福神) |
信州七福神 自転車巡拝 《松本平》 ○毘沙門天 長興寺 塩尻市大字洗馬元町3392 ↓ ○布袋尊 盛泉寺 東筑摩郡波田町中波田5997 ↓ ○恵比須 大宮熱田神社 松本市梓川梓北北条4396 ↓ ○弁財天 専称寺 松本市新村982 ↓ ○大黒天 東光寺 安曇野市穂高等々力2721 ↓ ○福禄寿 宗林寺 安曇野市明科光108 ↓ ○寿老人 兎川寺(霊瑞寺) 松本市里山辺2940 1th ステージ 自宅〜毘沙門天(松本市県〜塩尻市洗馬・長興寺) 23.4km 1時間02分 Ave22.7km/h 2nd ステージ 毘沙門天〜布袋尊(塩尻市洗馬〜波田町・盛泉寺) 20.4km 56分 Ave21.9km/h 3rd ステージ 布袋尊〜恵比寿(波田町〜大宮熱田神社・松本市梓川) 6.2km 20分 Ave18.6km/h 4th ステージ 恵比寿〜弁財天(松本市梓川〜専称寺・松本市新村) 8.8km 21分 Ave25.1km/h 5th ステージ 弁財天〜大黒天(松本市新村〜安曇野市穂高・東光寺) 19.0km 51分 Ave22.4km/h 6th ステージ 大黒天〜福禄寿(安曇野市穂高〜安曇野市明科・宗林寺) 7.5km 22分 Ave20.8km/h 7.1th ステージ 福禄寿〜自宅(安曇野市明科〜松本市県・自宅) 14.4km 40分 Ave21.6km/h 7.2th ステージ 自宅〜寿老人(松本市県〜松本市里山辺・兎川寺) 2.7km 12分 Ave13.5km/h ◇ 11 信州七福神 自転車巡拝 《松本平》の参拝日記 塩尻から穂高・明科に至る、比較的広範囲な霊場。 時間の関係で、兎川霊瑞寺を除く6寺社を、長野自動車道 豊科,松本,塩尻インターを利用して、約3.5時間かけて巡拝した。 全部を回ると、もう1時間ほど追加になると思う。 参拝受入れは通年OKで、ご朱印は福印帳にいただく。 ただここの七福神は、ウエストンホテルの仕立てたバス(団体)参拝がほとんどで、個人参拝者は少ないとのこと。 事前連絡を入れた方が良いそうだ。 今回フリ巡拝ではあったが、それでも、大宮熱田神社を除く5寺で拝観することができた。 公式巡拝グッズはないが、画像のお札・お姿セットを各寺社で授与している。 このことは途中で気がついたので、弁財天のみ購入し他は現地で撮影だけしてきた。 このお札、セットで驚きの一金300円也!。 まるで、何年か前にタイムスリップしたような安さだ。 ウレシイ!。 安曇野の東光寺は、穂高真っ只中!。 禄山美術館も、大王わさび農場(園内に洞窟七福神があります)も、本陣等々力家もみんなすぐ近くで、観光には事欠かない。 連休中のせいか、道路はめっちゃ混んでいたけど。 |
七福神とはインドのヒンドゥー教(大黒・毘沙門・弁才)、中国の仏教(布袋)、道教 (福禄寿・寿老人)、日本の土着信仰(恵比寿・大国主)が入り混じって形成された、 神仏習合からなる、いかにも日本的な信仰対象である。 室町時代末期頃から信仰されていると言われている。 |