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折々の記 2009 I

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】11/08〜        【 02 】11/14〜        【 03 】11/15〜
【 04 】11/21〜        【 05 】11/26〜        【 06 】12/01〜
【 07 】12/03〜        【 08 】12/13〜        【 09 】12/17〜


【 5 】11/26

  11 26 歌声は心を癒す ■歌曲も心を癒します
  11 30 インドネシアから来日した看護師への対応

 11 26 (木) 歌声は心を癒します  ■歌曲も心を癒します

きのうの朝、黒崎めぐみ・永井伸一アナの「生活ほっとモーニング」を見ていたら、2001年からずっと井の頭公園で毎月1回、土曜日に無料のギターによるストリートライブをしている人を紹介しました。

それが写真の“公園の歌姫”(=あさみちゆきさん)です。

老生は心の奥底から驚きました。 独特のリズムをもち、声の質が安堵の世界に導くのです。 イヤー、驚きました!

いろいろの歌手の声を聴いてきて、声がもつ情感に与える様相はそれぞれの人によって千差万別の違いがあることは理解していました。 上手、下手という物差ではその人の歌から受ける内容を表わすことはできません。 それは当然ですが、ではAさん、Bさん、Cさんの歌から受ける情感をどういう言葉で表わしたらいいのか、表現方法のきまりもありません。

肉声がもつ歌の評価はどうしたらいいのか? いくつかのジャンルにわけ、更に細分化した観点から肉声がもつ特徴を言葉をつかって評価できるのでしょうか?

たとえば、心の共感を呼ぶ歌声、優しい安らぎにみちびく歌声、喜びに浸らせてくれる歌声、深い悲しみに満ちた歌声、明るい未来を予感させてくれるような歌声、イロイロトアルデハナイカ!

11月生まれの人に手を上げてもらい、生み育ててくれた親への感謝の歌もうたってくれました。 オドロキマシタ !!


   鮨屋で…

      歌手:あさみちゆき
      作詞:井上千穂
      作曲:杉本眞人

   小肌を切って 熱燗二合
   それと この娘に 中トロサビ抜きで
   父と座った 鮨屋のカウンター
   ちょっと 大人に なった気がした
   あの日 あなたは 少し酔ってた
   たくさん食べなよ 好きなもの……
   そう言いながら 向けた笑顔は
   何故か 寂しく 哀しげだった
   父と母との 間のことは
   どうなってたか 知る由もない
   あの日が そう 最後です
   父とは会えない 娘になった……

   この春 わたしは 結婚します
   あの日の 鮨屋で 並んで座りたい
   母に 反抗 ばかりの思春期を
   ごめんなさいと 言える年齢です
   誰に似たのか お酒飲みです
   血は争えないねと 言う前に
   何言ってんだよ 嬉しそうに
   コツンと頭 小突くね きっと
   父と母との 間のことは
   どちらが悪いと 訳でもないと
   今なら そう 分かります
   少しは わたしも 大人になった……

   父と母との 間のことは
   元に戻ることは ないでしょうが
   それでも ただ 感謝です
   わたしは なたたちの 娘です
   わたしは なたたちの 娘です

            from <歌ネット - あさみちゆき - 歌詞 - 鮨屋で…>

今、ヒット中の『鮨屋で・・・』  作詞:井上千穂/作曲:杉本眞人

子供の頃に別れた父と娘。嫁ぐ娘の父への思い。親子愛を心を込めて歌っており、じわじわと心に沁みて来て最後は泣けます。

殺伐とした事件が次々と起こっております。若者の夢を摘むような格差社会、老人に対する冷たい政策を次々に実行する心のない為政者。平成の時代になって、日本社会は今まで培われた大事なものを次々となくして行っています。ひずみが次々と現れ、それが上の方には向かわず、弱い方へと降り注ぎます。そう言う状況の中、人はどうしても優しい心を失くして自暴自棄になったり、荒んだ気持ちに陥りがちです。
あさみ ちゆきさんの心の歌を聴いて少しでも優しい気持ちになって欲しいです。今は亡き阿久悠氏が彼女に『あなたが歌の伝道師になって、歌をお手紙だと思って、一人ひとりに手渡しで、大切に届けていってください』とメッセージを残しました。

素直で心優しいちゆきさんの歌には魂の叫びと歌心があります。阿久悠氏が惚れ込んだだけに歌唱力には定評があります。哀愁を帯びて伸びやかな歌声は天性のものもありますが、彼女のたゆまぬ努力で培われたものです。
彼女の歌を聴くと懐かしい昭和の良き時代が甦って来ます。今の時代に失くしてしまった優しさや思いやりの心が歌に込められていて温かい気持ちになれます。
あさみ ちゆきさんの歌の手紙が日本全国に届いて少しでも荒んだ人々の心が癒されることを私は祈っております。

主題は「演歌の逆襲〜ヒット連発の秘密〜」となっております

若者向け一辺倒だった音楽業界で、演歌の逆襲ともいえる現象が続いている。外国人歌手のジェロ、還暦デビューの秋元順子、盲目の高校生・清水博正など、CD不況で10万枚売るのが難しい中、20万枚のヒットが相次ぎ、売り上げシェアも8年前の4%から10%台まで回復を見せている。凋落久しかった演歌がなぜ勢いづいているのか?背景には演歌業界の構造改革がある。例えば曲作り。これまでの演歌は、カラオケ向けにメロディの「唄い下げ」など歌いやすい曲を作る慣例があり、それが楽曲の画一化を生んでいた。他にも、大物作家に弟子入りが前提の歌手発掘など、あらゆる構造の変化のなかで、多様性が生まれ新しいファンを呼び込んでいる。さらに「30秒の試聴時間」で売れる曲が決まり、すぐ消去される時代、「大人に長く愛される歌」を作ろうという制作者の挑戦もある。演歌ブームの深層から、音楽業界の地殻変動を追う。(NHKホームページより)

NHKの「生活ほっとモーニング」では次のように紹介しています。


「公園の歌姫」と呼ばれている歌手がいます。あさみちゆきさん31歳、昭和歌謡をほうふつさせるどこか懐かしい歌詞とメロディーが、中高年の心をとらえています。月に一度東京・井の頭公園で開かれる無料コンサートには500人ものファンが集まり、熱心な声援を送っています。

集まるファンの人生はさまざま。不慮の事故で職を失い失望の暮らしの中であさみさんの歌に希望を見出した男性、父親への感謝の思いを歌に託している主婦・・・声援の中には、一人一人、人生の「喜怒哀楽」がこもっているのです。

番組では、あさみさんの歌に共感するファンの姿を通して、自分の人生を見つめ直す大人たちの心模様を描きます。

歌手・あさみちゆきさんの井の頭公園ライブ

あさみちゆきさんがデビュー前の2001年からずっと続けるストリートライブ。毎月1回、土曜日14時から始まり、大体8曲をギター弾き語りで歌っています。

自由に誰でも無料で観賞できます。毎回500人ぐらいの観客が訪れます。

黄色のベストジャケットを着たボランティアスタッフが、会場整理を行っていますので何か分からないことがありましたら、ご相談してみてください。

会場は、井の頭恩賜公園の園内の一画。
JR中央線「吉祥寺」・京王井の頭線「吉祥寺」下車 徒歩5分



番組内で紹介した曲
番組の中では、公園ライブで歌われた以下の3曲をご紹介しました。

青春のたまり場(詞:阿久悠 曲:杉本眞人)
アルバム「あさみのうたV」に収録。シングルが先行発売。
番組内では、あさみちゆきさんが入場して一番初めに歌っている曲です。

娘から愛をこめて(詞:阿久悠 曲:網倉一也)
アルバム「あさみのうたV」に収録。あさみちゆきさんが井の頭公園ライブで毎回必ず歌う歌。
番組内では、2番目に歌っている曲です。あさみちゆきさんが会場の観客に「今月に誕生日を迎える方は?」と尋ねてから歌う曲です。

鮨屋で・・・(詞:井上千穂 曲:杉本眞人)
アルバム「あさみのうたW」に収録。シングルが先行発売。
番組内で使用した「NHK歌謡コンサート」(2009年1月27日放送)で、あさみちゆきさんが歌っていた曲です。

こころのうた(詞:あさみちゆき 曲:杉本眞人)
アルバム「あさみのうたU」に収録。デビュー前から応援してくれていたファンが亡くなり、その悲しみと感謝の気持ちをつづった名曲。

番組内では、4番目に歌っている曲です。デビュー前から応援してくれていた親しい男性ファンが亡くなり、その時の気持ちをつづったメモから歌が生まれた、というシーンでご紹介しています。

歌声も心を癒します

老生の好きな色は黄色で、好きな花は月見草です。 月見草の歌では「月見草の花」がいい。

    月見草の花

         作詞:山川清
         作曲:山本雅之

 (一)  はるかに海の 見える丘
      月のしずくを すって咲く
      夢のお花の 月見草
      花咲く丘よ なつかしの

 (二)  ほんのり月が でた宵は
      こがねの波が ゆれる海
      ボーと汽笛を 鳴らしてく
      お船はどこへ ゆくのでしょう

 (三)  思い出の丘 花の丘
      今日も一人で 月の海
      じっとながめる 足もとに
      ほのかに匂う 月見草

 11 30 (月) インドネシアから来日した看護師への対応

インドネシアから来日した看護師や介護福祉士について、数日前ニュースが出ていた。 外国から人をお願いしたにしてはひどい有様でした。

そのことに関して朝日新聞は社説で政府の対応の仕方を批判しています。


現在位置 : asahi.com > 社説
外国人ケア資格―扉を開けたからには
2009年11月29日(日)付

 看護師や介護福祉士を目指してインドネシアから360人が来日した。もともと母国の資格を持つ人たちだ。国内で研修し、1月から現場に出る。

 日本とインドネシアの経済連携協定(EPA)にもとづく受け入れで、今回が2年目。計570人になるが、2年で千人という枠をかなり下回る。

 同様の協定によるフィリピンからの来日も、初回の今年、上限の450人を大きく下回る280人だった。

 両国とのEPAは経済関係の強化を目的に、貿易の自由化だけでなく、閉鎖的といわれる日本の労働市場に新たな扉を開けた。

 ところが、せっかくの制度の利用が枠に届かないのは、受け入れ施設に負担やリスクがかかる仕組みのためだ。

 来日は、受け入れる病院や高齢者施設と労働契約を結ぶことが前提だ。1人60万円かかる来日前後の研修費や仲介料は施設が負担する。滞在中の給与は日本人と同等に支払う。

 看護師を目指す人は3年以内に国家試験に合格しないと、帰国しなければならない。介護福祉士の受験機会は4年で1度だけ。日本人でも合格率5割という難関だ。いずれも国家試験に合格できなければ、施設の負担も無駄に等しくなる。

 看護師試験を外国人が受験するには高い日本語能力が求められるが、EPAでは条件を緩和して受験資格を与えた。そうしてまで外国人看護師を入れるなら、日本語を基礎から専門用語まで学習できる環境をつくるのが筋だ。介護福祉士も合格には十分な日本語能力がいる。

 しかし、厚生労働省は日本語も国家試験対策も施設に丸投げだ。施設側は手探りで指導にあたっており、施設間の格差も大きいという。このままではほとんどの人が不合格のままで帰国し、EPAの意義が問われかねない。

 来日した研修生には当面、試験問題の漢字に仮名をふったり、辞書の持ち込みを認めたりするぐらいの配慮をしてもいいのではないか。滞在期限を数年延ばすことも考えていい。

 来年度からインターネットを使った日本語学習支援が始まるというが、それで十分なのか。日本の最新技術を体系的に学べるよう、研修課程の指針を厚労省は示してはどうか。

 協定のある2カ国以外の人にとって環境はもっと厳しい。日本の看護師養成学校で学び試験に通っても、7年しか滞在できない。介護福祉士資格は就労ビザも出ず、「単純作業」と同じ扱いだ。

 看護師や介護福祉士といったケア資格を持った人はますます必要になる。専門技術や能力を身につけた外国人を迎え入れることも大いに必要だ。扉を少し開けて後はほったらかしでは、政府の対応はあまりに無責任である。

■司馬遼太郎の「坂の上の雲」がはじまりました。 外題の意味するところは「青雲の志」ですね。

「青雲」の意味するところをあげてみますと、中国の「五行思想」に由来しています。 調べてみますと、次のようなことがわかります。

ウィキペディアに詳しく解説していますが、星雲の語源になっているものは、次のものからでしょう。

五行
 木 火 土 金 水
五色
 青(緑) 紅 黄 白 玄(黒)
五方
 東 南 中 西 北
五時
 春 夏 土用 秋 冬

【五方】 東 西 南 北    東夷   西戎   南蛮   北狄
【五色】 青 白 赤 黒    蒼龍   白虎   朱雀   玄武
                  青雲   白雲   (夏雲)  玄雲  (夏雲=ナツグモ)はあるが朱夏の熟語はない
                  青春   白秋   朱夏   玄冬
                              朱雀門 玄武門
                  青房   白房   赤房   黒房

【五時】 春 秋 夏 冬

こうしてみますと、古代から中国の文化の影響は計り知れないほどのものがあります。

■四神、四神相応の双方についても調べたものを載せておきます。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E
四  神
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

四神(しじん)は、中国・朝鮮・日本で伝統的に、天の四方の方角を司る霊獣である。四獣(しじゅう)、四象(ししよう)、四霊(しれい)ともいう。

東の青竜(せいりゅう)・南の朱雀(すざく)・西の白虎(びゃっこ)・北の玄武(げんぶ)である。五行説にも中央に黄竜を加え数を合わせた上で取り入れられている。

淮南子などによると、方角には四獣と共に季節神として五帝を補佐する五佐のうち四佐が割り当てられている。これらの四佐のほうを四神と呼ぶこともある。また、瑞獣の四霊(麒麟・鳳凰・霊亀・応竜)を四神と呼ぶこともある。

対応

四神にはそれぞれ司る方位、季節、そしてその象徴する色がある。

四神(四獣)
四方四季四色五佐 五行
青竜
句芒(こうぼう)
朱雀
赤(朱)祝融(しゅくゆう) / 朱明(しゅめい)
白虎
西蓐収(じょくしゅう)
玄武
黒(玄)玄冥(げんめい)

星宿との関係

中国天文学では、天球を天の赤道帯に沿って東方・北方・西方・南方の四大区画にわけ、それぞれに四神(四象)を対応付けた。これらを東方青竜・北方玄武・西方白虎・南方朱雀と呼ぶ。

これは二十八宿を七宿ごとにまとめ、その星座を組み合わせた形を龍・鳥・虎・亀(正確には蛇が亀に絡まっている姿)の4つの動物の姿に見立てたことによる。例えば、東方青竜であれば、角は龍の角、亢は龍の頸、?房は龍の身体、尾は龍の尾を象っている。また戦国時代は五行説により土=中央=黄、木=東=青、金=西=白、火=南=赤、水=北=黒というように五行と方位(五方)・色(五色)が結びつけられており、これらの動物も各方角が表す色を冠し、青竜(蒼龍)・玄武・白虎・朱雀(朱鳥)とされた。なお、ここでいう東方・北方・西方・南方は天球上の東西南北ではなく、地平から見た方位であり、天上の十二辰と地上の十二支が一致したときの天象(春の星空)を基にしている。

四神にちなむもの

青龍偃月刀、白虎隊、朱雀門、玄武洞、玄界灘など、四神にちなんだ事物は数多い。

会津藩では武家男子を中心に年齢別に50歳以上の玄武隊、36歳から49歳までの青龍隊、18歳から35歳までの朱雀隊、17歳以下の白虎隊と四神の名前を部隊名とし軍構成していた。

人生を四季に例え、若年期を「青春」、壮年期を「朱夏(しゅか)」、熟年期を「白秋(はくしゅう)」、老年期を「玄冬(げんとう)」と表現することがある(玄冬は、春に芽吹く土壌作りの時期として幼少期とする説もある)。日本の詩人北原白秋の号はこれに由来している。

日本のフィクションにおける四神

日本では、1990年代に入る頃に若年層向けの小説、漫画、コンピュータゲームなどに登場するケースが増加。さらにその後の1990年代中頃に起こった風水ブームによってさらなる知名度が形成され、創作の題材としての人気が拡大再生産された。

日本の作品内での四神の扱われ方は実に様々である。個々の名称に関しては青龍、朱雀、白虎、玄武をそのまま使う作品が多いが、総称では元のまま「四神」ないし「四獣」を使う作品ばかりではなく「四神獣(ししんじゅう)」や「四聖獣(しせいじゅう)」といった造語を用いる作品が珍しくない。また、原義のまま四方を司る神獣として登場する以外に、人間や器物の名称として名前のみが使われるだけ、またはその逆に名前は違っているが青い龍、赤い鳥、白い虎、黒い亀という組み合わせの四種の獣が登場するという作品もある。本来の五行中の4要素(木、火、金、水)でなく四大元素(地水火風)にあてはめた例もある。

なお、中国では玄武は亀に蛇が絡まる姿で表現されることが多く、高松塚古墳の物もこの姿だが、日本のフィクションに登場する玄武は亀だけの姿で描かれる場合が大多数である。また玄武という名の通り本来は黒が象徴色だが、象徴色が黒ではなく緑になっているのもよく見られる。

四神(しじん)に関連して四神相応(しじんそうおう)が出ています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%A5%9E%E7%9B%B8%E5%BF%9C
四 神 相 応
提供: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

四神相応(しじんそうおう)は、東アジア・中華文明圏において、天の四方の方角を司る「四神」の存在に最もふさわしいと伝統的に信じられてきた地勢や地相のことをいう。四地相応ともいう。なお四神の中央に「黄竜」(おうりゅう)、あるいは麒麟を加えたものが「五神」(ごじん) と呼ばれている。ただし現代では、その四神と現実の地形との対応付けについて、中国や韓国・朝鮮と日本では大きく異なっている。

中国・朝鮮

中国や朝鮮での風水における四神相応は、背後に山、前方に海、湖沼、河川の水(すい)が配置されている背山臨水の地を、左右から砂(さ)と呼ばれる丘陵もしくは背後の山よりも低い山で囲むことで蔵風聚水(風を蓄え水を集める)の形態となっているものをいう。この場合の四神は、背後の山が玄武、前方の水が朱雀、玄武を背にして左側の砂が青龍、右側が白虎である。

日本の京都においても、北の丹波高地を玄武、東の大文字山を青龍砂、西の嵐山を白虎砂、南にあった巨椋池を朱雀とする対応付けが可能で、背山臨水を左右から砂で守るという風水の観点から正しく京都は四神相応の地であった。ただし巨椋池が完全に埋め立てられてしまったために、京都の四神相応は破壊されている。なおかって朱雀大路を見通すことのできた船岡山は、玄武とするには小規模である。現代中国の風水の観点に立つと、船岡山は玄武を伝ってやってくる山龍が目指す星峰と解釈される。

日本

現代の日本では次表のような、四神を「山川道澤」に対応させる解釈が一般に流布している。しかし、この対応付けは古来から定まっていたというわけではない。

方位
 四神  地勢  色  季節
 青龍  流水  青  春
西
 白虎  大道  白  秋
 朱雀  湖沼  朱  夏
 玄武  丘陵  玄  冬

「四神=山川道澤」説の典拠となっているのは、『作庭記』である。『作庭記』は寝殿造を念頭においた庭園の作り方を述べた書物であり、理想の庭園の姿として「四神=山川道澤」説を記述する。そして四神としての山川道澤がない場合に、特定の種類の樹木を特定の本数植えることで「四神=山川道澤」の代用となることを説いている。

現在の日本で四神を「山川道澤」に対応させる解釈が一般的となったのは、平安京をモデルとして、青龍=鴨川、白虎=山陰道、朱雀=巨椋池(おぐらいけ)、玄武=船岡山の対応付けが比較的うまく行ったと考えられるようになってからである。

しかし『作庭記』自体には平安京についての言及はなく、ましてや山川道澤の具体的地名などはまったく記されていない。『作庭記』はその内容から平安時代末期の作とされており、「四神=山川道澤」説は平安時代末期までしか遡り得ないのが現状である。そのため、同説が8世紀後葉に建設された平安京選地の思想的背景であるとの前提に立った主張については裏付けがないことに注意が必要である。さらに、平安京でうまく行ったとされる山川道澤との対応付けは、江戸時代以降に主張されるようになったものであり、それが一般的な解釈とされるようになったのはようやく明治時代になってからである。

つまり、江戸時代以前の都市デザインが四神相応となるように設計されていても、その四神が山川道澤であるとは考えにくい。例えば平城京はその建都にあたっての詔勅に、「方今、平城之地、四禽叶図、三山作鎮、亀筮並従。(方に今、平城の地、四禽図に叶ひ、三山鎮を作し、亀筮並に従ふ。)」とある。この「四禽図に叶ひ」とは四神相応のことであり、奈良時代には平城京が四神相応の地であると考えられていたことを確認できる。平城京の立地は、平安京で説かれるような山川道澤にはあてはまらない。しかしそれを四神相応とする以上、奈良時代には別の解釈がとられていたことになる。また、鎌倉時代後期の詞林采葉抄では「その中山を玄武に当て、貴人金爐を朱雀に当て、・・・」とあり、朱雀に「貴人金爐」が対応付けられていることがわかる。

さらに『柳営秘鑑』によれば、「風此江戸城、天下の城の格に叶ひ、其土地は四神相応に相叶ゑり」と記されており、『柳営秘鑑』の著者である菊池弥門にとって、江戸城は四神相応の地に建設された城郭であるが、「四神=山川道澤」説を採用するとすれば、どう贔屓目にみても朱雀となりそうな東京湾は東から南東を経て南への広りがあるわけだし、白虎となりそうな甲州街道も単に西に延びているだけである。このような地形をもって、「四神=山川道澤」説に合致しているとするのは、牽強付会というべきだろう。さらに言えば、姫路城や福山城[1]、熊本城などを「山川道澤」の四神相応とするもの同様に後世に創られた解釈である。

名古屋城についても『金城温古録』では、「名府御城の如きは、道を四道に開かれて、四方より人民輻湊する事、恰も天下の城の如く十里に嶮地を置き、東は山、南は海、西北は木曾川あり、その中間、三五里を隔て要害設し給ふ(中略)、先は東は八事山の砦柵、西は佐屋、清州の陣屋(中略)、城、場、郭の三を備へ、四神相応の要地の城とは、これを申奉るなるべし」と記述されている。『金城温古録』で語られている四神相応もまた「山川道澤」ではない。

また古代中国の風水では特定の方位について固定した吉凶をとる考えはなく、鬼門・裏鬼門を忌むのは日本独自の考え方である。そういう点で、大宰府の鬼門を護るために大宰府建設時に竈門神社が創建されたという『竈門山旧記』の記述から「鬼門」という概念の出現する前提としての「風水」が大宰府の都市計画時に存在したという主張は、問題の多い俗説に過ぎないという見解が多くの専門家の一致して支持するところとなっている。

このように四神相応の解釈は古代から近世にかけて変化していき、古代中国の風水とは異なる独自のものとなったと考えられる。

現代に残る四神相応の例

大相撲 - 土俵上にある4つの色分けされた房は元来方屋の屋根を支えた4柱の名残であり四神を表している。
ちらし寿司 - 四色の具材で四神または四季、五色(五行)の具材で宇宙を表現しているといわれる。