折々の記へ

折々の記 2011 F

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】11/12〜     【 02 】11/12〜     【 03 】11/14〜
【 04 】12/02〜     【 05 】12/16〜     【 06 】12/22〜
【 07 】12/28〜     【 08 】00/00〜     【 09 】00/00〜

【 03 】11/14

  11 14 「Word 2010 DVD」と「インクカートリッジ」
  11 15 「Word 2010 DVD」と「インクカートリッジ」本日到着
  11 19 ブータン国王のスピーチが日本に投げかけたもの
  12 01 冬の日照時間

 11 14 (月) 「Word 2010 DVD」と「インクカートリッジ」

アマゾンの下の商品を発注した。

@ Microsoft Office Word 2010 アカデミック マイクロソフト (DVD-ROM - 2010) - Windows
   新品: ¥ 10,500 ¥ 8,115

A EPSON インクカートリッジ(6色セット) IC6CL50
   新品: ¥ 5,981 ¥ 4,860

B EPSON インクカートリッジ ICBK50 ブラック
   新品: ¥ 1,050 ¥ 837

 11 15 (火) 「Word 2010 DVD」と「インクカートリッジ」本日到着

驚くなかれ、昨日アマゾンへ発注した品物がもうきょう到着しました。

早速、ワード 2010 をインストールして使い始めました。

 11 19 (土) ブータン国王のスピーチ

アメリカ発TPPはアメリカの企業人やアメリカ政府の思惑による、自分勝手な金儲けからの発想に基づいています。

この「自分勝手な金儲けからの発想」とは資本主義経済の根幹をなすものであり、しかも国際間では国益に反しないという自国民の賛同をくすぶるという手法に基づいています。 どこの国でもこの意識に基づいているのです。 日本の企業家も同じ発想に支えられています。

いずれの国にしても、国内産業の保護という名目で輸入関税をかけてきていました。 生活用品の価格安定と、労働者の収入安定という大事な基本を確保するためでした。

ところが自由貿易という名目で、国内産業と生活保護という関税をすべて外そうとする金融活動至上主義を奉ずる人々の手前勝手な主張がまかり通りはじめているのです。 

それは政治家の裏に隠れて政治を思うままに動かそうとしている金持ちが元凶なのです。 金持ちが株式組織がもつ強い主張で政治家を動かしているのが簡単な図式になっていることを見ればだれでもわかることなのです。

いわゆる資本家は、国民の生活保護と国内産業の保護という意識よりも、自分たちの利益を優先してしまうのです。

「ブータン国王のスピーチ」は、ある意味では従来の金融システムを乗り越える発想に基づくものだと思われます。

「ブータン国王のスピーチ」で検索してみると、その中には次のような意見も寄せられています。



livedoorBLOGOSに“ブータン国王のスピーチが日本に投げかけたもの”として
次の記事が投稿されています。

   BLOGOS(ブロゴス)とは
   「BLOGOS」は、日々のニュースや社会事象について、どう考え、
   どう行動して行けば良いのか、読者にとって有意義なオピニオン
   や分析を含むブログを紹介するサイトです。


ブータン国王のスピーチが日本に投げかけたもの
2011年11月18日13時30分

昨日、来日中のワンチュク ブータン国王が、衆院本会議場で演説をされた。

リアルタイムで拝聴することはかなわなかったが、移動中にネットで全文を拝読し、その心暖まる言葉の数々に、感動で目頭が熱くなった。

勝手な想像だが、このスピーチは単に外交辞令としてのお世辞を羅列した作文ではなく、国王の日本に対する愛情に裏打ちされたものだったのだろう。

そうであるからこそ、人の心、日本人の心を揺さぶるのだ。

国王のスピーチが終了すると、衆議院本会議場は出席議員らがスタンディング・オベーションで応えた。

中には感動して涙した議員もいたという。

しかし正直に言うと、私が覚えた感覚は感動や感謝が半分、羞恥が半分という、複雑なものだった。

■ 親日国ブータンの品格

昭和天皇崩御の際、大喪の礼に参列した先代のブータン国王が、下記のような逸話を残している。

1989年2月24日、34歳のジグミ・シンゲ・ワンチュク国王が、昭和天皇の大喪の礼参列のため、民族衣装「ゴ」の礼服姿で数人の供を連れて来日した。他の国の首脳の多くが日本から経済的な協力を得るために、葬儀の前後に日本政府首脳と会談する弔問外交を行うなかで、ブータン国王はこうした弔問外交を行わず、大喪の礼に出席して帰国した。新聞記者が理由を尋ねると、国王は、「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えた。また、同年には1ヶ月間も喪に服した。 日本の武士道を見るようだ。

礼を重んずるということ以上に、品格が滲み出ている。

そういえば、先の宮中晩餐会における乾杯の際、王妃はご自分のグラスが皇太子さまのグラスの上に行かないように半ばかがむように気を遣って乾杯しておられた。

ブータンは人口70万という小さな国だが、国家の品格は国家規模には比例しない。

■ 礼に非礼でこたえる者たち

このスピーチの前日の宮中晩餐会を欠席した閣僚が数名いる。

他の議員の事情は知らぬが、そのうち一川保夫防衛相は、民主党の高橋千秋参院議員の政治資金パーティーに出席している。それも、「ブータン国王が来日し宮中で行事があるが、私にはこちらの方が大事だ」という、信じ難い言葉を吐いて、である。

ちなみに高橋千秋議員は、菅改造内閣において外務副大臣だったわけで、外交のツボは押さえているべき人物である。

呼ぶ高橋議員も呼ばれていく一川大臣も、宮中行事より、金集めと選挙のほうが優先されると考えているのだ。

一川氏ら欠席議員は、ふたつの不遜を働いたことになる。

ひとつはブータン国と国王へ、もうひとつは日本の皇室へだ。

礼に非礼で応えるこの者たちが、果たして国民を代表する議員でありえるのか。

いや、議員、閣僚などという以前に、“人として”ダメすぎる。

これが私が日本人として感じた羞恥のひとつだ。

■ 国王のスピーチが投げかけたもの

ワンチュク国王は、日本と日本人を、言葉の限りを尽くして称賛された。

本来であればこの賛辞を有難く受け止め、日本とブータンの政治、文化、人などの様々な交流が今後益々発展すれば・・・と、積極思考に向かえば良いのである。

しかし、その最大級の賛辞をストレートに受け入れられない現実がある。

「自己よりも公益を高く位置づける強い気持ち」を実践したのは、他ならぬ東日本大震災の被災者だ。これは世界からも称賛された。

しかし、「これまで以上にリーダーにふさわしい」という言葉は、残念ながら今の政治には当てはまらない。

「名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民」という言葉を、どれだけの日本人が自分たちの生きざまとして捉えられるのだろうか。

そのような価値観を日本人が伝統的に継承してきたことは確かだ。

だが、そういった過去の伝統的価値観を否定し、過去と現在を分断しようとしてきた進歩的文化人、マスメディア、政治家、運動家が、決して小さくない影響力を及ぼしているのも、日本の現実である。

ワンチュク国王の言葉は、「日本人よ、かくあれ」という激励とも取れる。

その激励や賛辞に感謝し、応えるのは当然だが、戦後の自虐史観にとらわれることなく、誇れる国を自分たちの手で作り、守っていくという自覚が、現代の日本人には必要なのだろう。

■ ブータン国王 演説(全文)

 天皇皇后両陛下、日本国民と皆さまに深い敬意を表しますとともにこのたび日本国国会で演説する機会を賜りましたことを謹んでお受けします。衆議院議長閣下、参議院議長閣下、内閣総理大臣閣下、国会議員の皆様、ご列席の皆様。世界史においてかくも傑出し、重要性を持つ機関である日本国国会のなかで、私は偉大なる叡智、経験および功績を持つ皆様の前に、ひとりの若者として立っております。皆様のお役に立てるようなことを私の口から多くを申しあげられるとは思いません。それどころか、この歴史的瞬間から多くを得ようとしているのは私のほうです。このことに対し、感謝いたします。

 妻ヅェチェンと私は、結婚のわずか1ヶ月後に日本にお招きいただき、ご厚情を賜りましたことに心から感謝申しあげます。ありがとうございます。これは両国間の長年の友情を支える皆さまの、寛大な精神の表れであり、特別のおもてなしであると認識しております。

 ご列席の皆様、演説を進める前に先代の国王ジグミ・シンゲ・ワンチュク陛下およびブータン政府およびブータン国民からの皆様への祈りと祝福の言葉をお伝えしなければなりません。ブータン国民は常に日本に強い愛着の心を持ち、何十年ものあいだ偉大な日本の成功を心情的に分かちあってまいりました。3月の壊滅的な地震と津波のあと、ブータンの至るところで大勢のブータン人が寺院や僧院を訪れ、日本国民になぐさめと支えを与えようと、供養のための灯明を捧げつつ、ささやかながらも心のこもった勤めを行うのを目にし、私は深く心を動かされました。

 私自身は押し寄せる津波のニュースをなすすべもなく見つめていたことをおぼえております。そのときからずっと、私は愛する人々を失くした家族の痛みと苦しみ、生活基盤を失った人々、人生が完全に変わってしまった若者たち、そして大災害から復興しなければならない日本国民に対する私の深い同情を、直接お伝えできる日を待ち望んでまいりました。いかなる国の国民も決してこのような苦難を経験すべきではありません。しかし仮にこのような不幸からより強く、より大きく立ち上がれる国があるとすれば、それは日本と日本国民であります。私はそう確信しています。

 皆様が生活を再建し復興に向け歩まれるなかで、我々ブータン人は皆様とともにあります。我々の物質的支援はつましいものですが、我々の友情、連帯、思いやりは心からの真実味のあるものです。ご列席の皆様、我々ブータンに暮らす者は常に日本国民を親愛なる兄弟・姉妹であると考えてまいりました。両国民を結びつけるものは家族、誠実さ。そして名誉を守り個人の希望よりも地域社会や国家の望みを優先し、また自己よりも公益を高く位置づける強い気持ちなどであります。2011年は両国の国交樹立25周年にあたる特別な年であります。しかしブータン国民は常に、公式な関係を超えた特別な愛着を日本に対し抱いてまいりました。私は若き父とその世代の者が何十年も前から、日本がアジアを近代化に導くのを誇らしく見ていたのを知っています。すなわち日本は当時開発途上地域であったアジアに自信と進むべき道の自覚をもたらし、以降日本のあとについて世界経済の最先端に躍り出た数々の国々に希望を与えてきました。日本は過去にも、そして現代もリーダーであり続けます。

 このグローバル化した世界において、日本は技術と確信の力、勤勉さと責任、強固な伝統的価値における模範であり、これまで以上にリーダーにふさわしいのです。世界は常に日本のことを大変な名誉と誇り、そして規律を重んじる国民、歴史に裏打ちされた誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへ願望を持って何事にも取り組む国民。知行合一、兄弟愛や友人との揺るぎない強さと気丈さを併せ持つ国民であると認識してまいりました。これは神話ではなく現実であると謹んで申しあげたいと思います。それは近年の不幸な経済不況や、3月の自然災害への皆様の対応にも示されています。

 皆様、日本および日本国民は素晴らしい資質を示されました。他の国であれば国家を打ち砕き、無秩序、大混乱、そして悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民の皆様は最悪の状況下でさえ静かな尊厳、自信、規律、心の強さを持って対処されました。文化、伝統および価値にしっかりと根付いたこのような卓越した資質の組み合わせは、我々の現代の世界で見出すことはほぼ不可能です。すべての国がそうありたいと切望しますが、これは日本人特有の特性であり、不可分の要素です。このような価値観や資質が、昨日生まれたものではなく、何世紀もの歴史から生まれてきたものなのです。それは数年数十年で失われることはありません。そうした力を備えた日本には、非常に素晴らしい未来が待っていることでしょう。この力を通じて日本はあらゆる逆境から繰り返し立ち直り、世界で最も成功した国のひとつとして地位を築いてきました。さらに注目に値すべきは、日本がためらうことなく世界中の人々と自国の成功を常に分かち合ってきたということです。

「ブータンには寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています」 ご列席の皆様。私はすべてのブータン人に代わり、心からいまお話をしています。私は専門家でも学者でもなく日本に深い親愛の情を抱くごく普通の人間に過ぎません。その私が申しあげたいのは、世界は日本から大きな恩恵を受けるであろうということです。卓越性や技術革新がなんたるかを体現する日本。偉大な決断と業績を成し遂げつつも、静かな尊厳と謙虚さとを兼ね備えた日本国民。他の国々の模範となるこの国から、世界は大きな恩恵を受けるでしょう。日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が、日本国民の偉大な業績と歴史を反映するにつけ、ブータンは皆様を応援し支持してまいります。ブータンは国連安全保障理事会の議席拡大の必要性だけでなく、日本がそのなかで主導的な役割を果たさなければならないと確認しております。日本はブータンの全面的な約束と支持を得ております。

 ご列席の皆様、ブータンは人口約70万人の小さなヒマラヤの国です。国の魅力的な外形的特徴と、豊かで人の心をとらえて離さない歴史が、ブータン人の人格や性質を形作っています。ブータンは美しい国であり、面積が小さいながらも国土全体に拡がるさまざまな異なる地形に数々の寺院、僧院、城砦が点在し何世代ものブータン人の精神性を反映しています。手付かずの自然が残されており、我々の文化と伝統は今も強靭に活気を保っています。ブータン人は何世紀も続けてきたように人々のあいだに深い調和の精神を持ち、質素で謙虚な生活を続けています。

 今日のめまぐるしく変化する世界において、国民が何よりも調和を重んじる社会、若者が優れた才能、勇気や品位を持ち先祖の価値観によって導かれる社会。そうした思いやりのある社会で生きている我々のあり方を、私は最も誇りに思います。我が国は有能な若きブータン人の手のなかに委ねられています。我々は歴史ある価値観を持つ若々しい現代的な国民です。小さな美しい国ではありますが、強い国でもあります。それゆえブータンの成長と開発における日本の役割は大変特別なものです。我々が独自の願望を満たすべく努力するなかで、日本からは貴重な援助や支援だけでなく力強い励ましをいただいてきました。ブータン国民の寛大さ、両国民のあいだを結ぶより次元の高い大きな自然の絆。言葉には言い表せない非常に深い精神的な絆によってブータンは常に日本の友人であり続けます。日本はかねてよりブータンの最も重大な開発パートナーのひとつです。それゆえに日本政府、およびブータンで暮らし、我々とともに働いてきてくれた日本人の方々の、ブータン国民のゆるぎない支援と善意に対し、感謝の意を伝えることができて大変嬉しく思います。私はここに、両国民のあいだの絆をより強め深めるために不断の努力を行うことを誓います。

 改めてここで、ブータン国民からの祈りと祝福をお伝えします。ご列席の皆様。簡単ではありますが、(英語ではなく)ゾンカ語、国の言葉でお話したいと思います。

「(ゾンカ語での祈りが捧げられる)」

 ご列席の皆様。いま私は祈りを捧げました。小さな祈りですけれど、日本そして日本国民が常に平和と安定、調和を経験しそしてこれからも繁栄を享受されますようにという祈りです。ありがとうございました。



   (下平 : 注記) 以上のブログは「私的憂国の書」からの転載ですが、このサイトは少し右傾の切り口が多いようですのでそのつもりで。


NHK NEWSにも放映されていましたが、福島県相馬市の桜丘小学校を訪問しブータンの国旗の由来を話していました。 王妃は「また日本へ来たときはみなさんに会いに来ます」と話されていました。 温かい心配りに感心しました。

■ ブータン国王夫妻 被災地訪問
   11月18日 18時50分

国賓として日本を訪れているブータンのワンチュク国王夫妻は18日、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県相馬市を訪れ、被災した子どもたちを激励したほか、ブータン国民を代表して犠牲者を追悼しました。

ブータンのワンチュク国王は、結婚したばかりのジェツン王妃を伴って、15日から日本を訪れていて、18日の午後は、東日本大震災で被災した福島県相馬市の桜丘小学校を訪問しました。ここに通う児童の中には、仮設住宅での生活を続けている子どもたちもいて、児童の代表は「私たちの中には不自由な暮らしをしている人がたくさんいます。しかし、きょうお目にかかれて励みになりました」とあいさつしました。これに対してワンチュク国王は、ブータンの国旗に描かれ国のシンボルともなっている「竜」の物語を引用し、「竜は私たちみんなの心の中に居て、『経験』を食べて成長します。だから、私たちは日増しに強くなるのです」と述べ、児童たちを励ましました。このあと国王夫妻は、津波で多くの住宅が流された原釜地区を訪れ、立谷秀清市長から被害状況の説明を受けました。この辺りは、震災から8か月が過ぎた今も津波の深い傷跡が残っていて、国王夫妻はおよそ30人のブータン政府関係者と共に、手を合わせて犠牲者を追悼しました。1日の訪問を終えたワンチュク国王は報道陣に対し、「ここに来ることができてとてもよかったです。私たちはこれからも祈り続けます」と話し、被災地を後にしました。国王夫妻はこのあと京都へ移動し、20日、ブータンに帰国する予定です。

■ ブータンの概要

世界の各国の概要を知るには、外務省のサイトでブータンを調べればよい。









ブータン〜国民総幸福量(GNH)を尊重する国

日本との外交関係を樹立して2011年で25周年を迎えるブータン。本年は10月にご成婚されたジグミ・ケサル国王陛下と王妃陛下が11月に来日されます。国民総幸福量(GNH)という独自の考え方を国家の指標として打ち出し,世界中から熱い視線を集めるブータンとはどのような国でしょうか。

  以下の大項目の見出しと内容がつつきます。
  ■仏教が息づくヒマラヤ奥地の王国
  ■王制から立憲君主制へ
  ■国民からの尊敬を集める国王
  ■国民総幸福量(GNH)の考え方
  ■“幸福”の実現を目指した政策展開
  ■非同盟中立を外交の基本方針に
  ■高い評価を受ける日本の経済協力
  ■ますます深まる日本とブータンの親交

■ 安田徳太郎の日本民族南方起源説とレプチャ(ブータン)

睦月、如月、弥生 ……… に始まる現在使われている月の異名、一月、二月、三月 ……… ではなく、どうして睦月、如月、弥生なのか?

歴史家も国語学者も解説できなくています。 グーグルで調べてみても、まともな解釈とて見当たりません。

どうしたことなのでしょうか?

老生が青年時代にまとめた「私たちの祖先」があり、それを参考にすれば日本のルーツについての知識も深まるのではないだろうか。

    http://park15.wakwak.com/~yoshimo-2/moto.41.html 「私たちの祖先」

安田徳太郎の南方説への批判は多い。 だが、【私たちの祖先 4 】⇒〔 天孫族の謎 〕 の 1とうとうたらりの謎 2催馬楽の「飲酒」の解決 にこだわるとき、国語学でも歴史学でも少しも解決の目途は立っていません。

最近の科学技術が発達しましたから、レプチャ族のミトコンドリアDNAの解読により日本人との系列が推察できるのではないだろうか。 ブータン国王夫妻の顔立ちは日本人にそっくりで、彼の話によればブータンの国民は善良な日本人の気質そっくりのようでもあります。

 12 01 (木) 冬の日照時間

<こよみのページ>によれば、今年の場合日照時間10時間より短い日を見ると、次のようであった。

@ 日照時間10時間より短い日

2011/11月29日 : 日の出 06時29分 : 日の入 16時29分 : 日照時間 10:00

 (19日 : 日の出 06時45分 : 日の入 16時30分 : 日照時間 09:45)
 (20日 : 日の出 06時46分 : 日の入 16時31分 : 日照時間 09:45)
 (21日 : 日の出 06時46分 : 日の入 16時31分 : 日照時間 09:45)
 (22日 : 日の出 06時47分 : 日の入 16時32分 : 日照時間 09:45) 冬至
 (23日 : 日の出 06時47分 : 日の入 16時32分 : 日照時間 09:45)
 (24日 : 日の出 06時48分 : 日の入 16時33分 : 日照時間 09:45)
 (25日 : 日の出 06時48分 : 日の入 16時33分 : 日照時間 09:45)

2012/01月15日 : 日の出 06時50分 : 日の入 16時50分 : 日照時間 10:00

日の出、日の入りをみると、次のようである。

A 日の出入 (計算地:東京)

2011/11月

29 : 日の出 06時29分−22 : 日の入 16時29分+01 : 日照時間 10:00+15
30 : 日の出 06時30分−21 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:58+13

2011/12月

01 : 日の出 06時31分−20 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:57+12
02 : 日の出 06時32分−19 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:56+11
03 : 日の出 06時33分−18 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:55+10
04 : 日の出 06時34分−17 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:54+09
05 : 日の出 06時35分−16 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:53+08
06 : 日の出 06時36分−15 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:52+07
07 : 日の出 06時36分−15 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:52+07
08 : 日の出 06時37分−14 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:51+06
09 : 日の出 06時38分−13 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:50+05
10 : 日の出 06時39分−12 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:49+04
11 : 日の出 06時40分−11 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:48+03
12 : 日の出 06時40分−11 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:48+03
13 : 日の出 06時41分−10 : 日の入 16時28分±00 : 日照時間 09:47+02
14 : 日の出 06時42分−09 : 日の入 16時29分+01 : 日照時間 09:47+02
15 : 日の出 06時42分−09 : 日の入 16時29分+01 : 日照時間 09:47+02
16 : 日の出 06時43分−08 : 日の入 16時29分+01 : 日照時間 09:46+01
17 : 日の出 06時44分−07 : 日の入 16時30分+02 : 日照時間 09:46+01
18 : 日の出 06時44分−07 : 日の入 16時30分+02 : 日照時間 09:46+01
19 : 日の出 06時45分−06 : 日の入 16時30分+02 : 日照時間 09:45±00
20 : 日の出 06時46分−05 : 日の入 16時31分+03 : 日照時間 09:45±00
21 : 日の出 06時46分−05 : 日の入 16時31分+03 : 日照時間 09:45±00
22 : 日の出 06時47分−04 : 日の入 16時32分+04 : 日照時間 09:45±00 冬至
23 : 日の出 06時47分−04 : 日の入 16時32分+04 : 日照時間 09:45±00
24 : 日の出 06時48分−03 : 日の入 16時33分+05 : 日照時間 09:45±00
25 : 日の出 06時48分−03 : 日の入 16時33分+05 : 日照時間 09:45±00
26 : 日の出 06時48分−03 : 日の入 16時34分+06 : 日照時間 09:46+01
27 : 日の出 06時49分−02 : 日の入 16時35分+07 : 日照時間 09:46+01
28 : 日の出 06時49分−02 : 日の入 16時35分+07 : 日照時間 09:46+01
29 : 日の出 06時49分−02 : 日の入 16時36分+08 : 日照時間 09:47+02
30 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時37分+09 : 日照時間 09:47+02
31 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時37分+09 : 日照時間 09:47+02

2012/01月

01 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時38分+10 : 日照時間 09:48+03
02 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時39分+11 : 日照時間 09:49+04
03 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時40分+12 : 日照時間 09:49+04
04 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時40分+12 : 日照時間 09:49+04
05 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時41分+13 : 日照時間 09:50+05
06 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時42分+14 : 日照時間 09:51+06
07 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時43分+15 : 日照時間 09:52+07
08 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時44分+16 : 日照時間 09:53+08
09 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時45分+17 : 日照時間 09:54+09
10 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時46分+18 : 日照時間 09:55+10
11 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時47分+19 : 日照時間 09:56+11
12 : 日の出 06時51分±00 : 日の入 16時47分+19 : 日照時間 09:56+11
13 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時48分+20 : 日照時間 09:58+13
14 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時49分+21 : 日照時間 09:59+14
15 : 日の出 06時50分−01 : 日の入 16時50分+22 : 日照時間 10:00+15