折々の記へ

折々の記 2011 F

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】11/12〜     【 02 】11/12〜     【 03 】11/14〜
【 04 】12/02〜     【 05 】12/16〜     【 06 】12/22〜
【 07 】12/28〜     【 08 】00/00〜     【 09 】00/00〜

【 05 】12/16

  12 16 柿のほぞ切がやっと終わる
  12 21 朝日新聞の社説と天声人語、阿修羅・武田邦彦の記事・おいとこ節
  
 12 16 (金) 柿のほぞ切がやっと終わる

歳をとったら柿の手入れが手にあまるようになってきました。 重いものは無理をすると腰が痛くなるから、若い時のようなことはできないし続けれない。

年寄りの健康維持のために何をしていたらいいのか、もう少し調べてそれなりの準備をする要がある。

柿の粉だしはいつまでたっても難しい。 柿揉機はどうしても二機いる。 揉んで柔らかくして柿の表面をきれいにしないとポッテリした干柿ができない。 柿揉機のゴロゴロは時間がかかる。

毎日続けていると一定の必要時間をとることが曖昧になったりする。 二台あれば出し入れ時間はスムーズにいく筈。 今年のところは仕方ないから一台でゴロゴロを毎日続けなくてはならない。

これとは別だが‘デジシタルあさひ’の契約がどうなっているのか、問い合わせしなければコピーもできない。 必要なデータを保管できないと困る。

金融システムの我欲の牙は容赦なく人々の心をかみ砕いてくる。 国債発行が身動きできなくなって初めて、グローバル化の考えが守銭奴の牙であることにみんなが気づく。 共通認識というものはじれったいほどのスピードしか持てない。

チュルゴーがフランス財政の健全化を主張したのに、守銭奴たちの猛反発に出会って辞任せざるを得なかった。 こうしたフランス革命が始まる以前の世相に似ているのです。

老生が思案するところでは、守銭奴たちの不法な金儲けの不当利益を社会へ還元しなければならない。 そうしないと、人間性それ自体の品性はズタズタにされてしまいます。

老生が学んだチュルゴーの動きが本当だったかどうかはわかりません。 

チュルゴーを調べてみるが、どこまでわかるか定かではない。

チュルゴー

まずはじめにグーグルで チュルゴーを調べてみると、 ヴェルサイユ宮殿へようこそというホームページの中の “ホーム>歴史>宮廷の人物たち>ルイ16世の時代>チュルゴー”のチュルゴーとして現れてきました。

その素敵なページの解説には 

時代に先駆けた財務総監 (1727年-1781年)

若きルイ16世に抜擢されたチュルゴーは、ルイ15世治世末期の困難な時代に嫌気を覚えていたフランスに新しい息吹を吹き込んだ。彼の野心は、特権と税金に代わって、万人にとって富の創造の源である自由主義経済により、国家財政を再建することであった。政策の中には、革命期の改革に影響を及ぼしたものもある。

1727年にパリで市長の息子として生まれたアンヌ=ロベール=ジャック・チュルゴーは、1749年にソルボンヌの修道院長になった。1751年に聖職に就くことをやめてパリ高等法院に入り、様々な職務を経た後、1753年に請願審議官の地位を買い取った。商業監督官であり自由経済を信奉するヴァンサン・ド・グールネーと共に働いた彼は、グールネーの地方遊説に同伴した。チュルゴーは、18世紀に生まれた経済思想である重農主義の信奉者たちと近しくしていた。

彼は「百科全書」にも寄稿し、1760年にはヴォルテールとの親交を結んだ。1761年にリモージュの地方長官に任命されると、自らの自由な思想に基づき、土地台帳の作成、労働賦役の廃止、貧困撲滅運動、穀物輸送のための道路と運河の建設、工場の設置といった改革を実施した。

国王になったばかりのルイ16世は、1774年にチュルゴーを財務総監に抜擢した。チュルゴーはフランスが必要としている構造的な改革を推進するための方針を記した有名な8月24日の手紙を書いた。すなわち「破産なく、増税なく、募債なく」がそのモットーであった。支出削減を掲げたこの政策により、1775年までには赤字を食い止め財政を立て直すことができた。持論である自由主義の原則に忠実に、チュルゴーは穀物の取引の自由化と価格規制の撤廃を実現した。しかし、穀物が不作だったためにパンの値段が高騰。地方やパリにおいて暴動が発生した。1776年には事業の自由化と自由競争を制定することで、強力な同業組合と対抗した。チュルゴーはまた、賦役に代わって地主 (=貴族、僧侶) に対する地租を徴収した。こうした政策は民衆からも貴族からも同様に不評を買い、彼の立場を危ういものにした。王妃と大臣モールパに押し出される形で、チュルゴーは1776年5月12日に辞任。晩年は経済学、文学、物理学に身を捧げた。

と出てきています。  見てみるとやっぱり地主としての王侯、貴族、僧侶などの富裕層が経済を操っており、地主への地租徴収という考え方がはっきりと出てきました。 少年時代のチュルゴーの考え方への共鳴が脳裏に残っていたのです。

【チュルゴーの失脚 上】 1776年5月12日のドラマ 叢書・ウニベルシタス870 ...

ダム・スミス『国富論』に先駆けて『富の形成と分配に関する考察』を出版し、フランスにおける政治経済学の創設者の一人となったチュルゴー。その失脚を招いた最も重要な要因である民衆暴動=小麦粉戦争を中心に、18世紀フランス社会のドラマを生き生きと描き出す。学術文献はもとより、風刺小唄から政治的パンフレットまでを渉猟して執筆されたフランス史研究に必須の文献。

【チュルゴーの失脚 下】 1776年5月12日のドラマ 叢書・ウニベルシタス871 ...

チュルゴーの改革はなぜ成功しなかったのか。「経済発展」の理論と結びついた「交易の自由」、「労働の自由」の政策を高く評価しつつ、著者はチュルゴーの行動の性急さと現実感覚の稀薄さを指摘する。フロイトの精神分析学的方法をも援用し、政治的影響力下降期のチュルゴー、国王ルイ16世やマリー・アントワネットをはじめ、歴史の舞台の主役・脇役から端役までに光を当てる。


干柿づくりの最重要点


      市田柿 JAみなみ信州 天日干の写真あり

【柿もみ・天日干し】

@ 皮むき時の35%程の重さになるまで乾燥したら、 (バネ秤で量ること)

A のれんから下ろして、

B 写真のように天日に干して調整し
    水分が多い場合は、写真のように浅いコンテナーを使い天日に干して調整します (干場を用意すること)

C 1個1個の乾燥程度を見ながら柿をもみます
    柿もみは、柿の中心部の水分を押し出してシワのないやわらかな干し柿をつくり、
    きめ細かい粉を出させるための大事な作業

D 3〜4回程、ていねいな柿もみと寝せ込みを繰り返すと、  (柿揉機は二台必要)
    白い粉(ブドウ糖)に覆われた干し柿が出来上がります

E 微妙な調整が要り、干し柿農家の経験が発揮される作業です


 12 21 (水) 朝日新聞の社説と天声人語

朝日新聞社説

【朝日新聞社説】 2011年12月18日(日)付

うその報告書―検察は経緯を検証せよ 驚き、あきれてしまう事実がまたも明らかになった。

 小沢一郎・民主党元代表の政治資金をめぐる裁判で、秘書だった石川知裕衆院議員を取り調べた東京地検の検事が、事実と異なる捜査報告書を上司に提出していたことを認めた。

 石川氏は昨年1月に逮捕されたとき、「政治資金収支報告書にうそを書くと元代表に報告した」と認める供述調書に署名した。元代表を「起訴相当」とした検察審査会の1回目の議決を受け、この検事は改めて5月に石川氏から事情を聴いた。その際、あえて不利なことを認めた理由として氏が語ったという、報告書の中の生々しい言葉は、実は架空のものだった。

 捜査員がねじまげた調書を作ることが問題になっている。それでも調書の場合、調べられた当人が署名しなければ証拠にならない。だが報告書は部内資料のためルールは甘く、捜査員が署名するだけだ。そこにうそを書く。ある意味で、調書のねじまげより罪深いといえる。

 なにより真実でない報告を受ければ、上司は捜査の方針を誤るだろう。この検事は「別の取り調べの時と記憶が混同した」などと弁解したが、本当ならばそれだけで検事失格だ。

 自覚と緊張感のなさは、報告を受けた側も同様である。

 元代表の刑事責任の有無を考えるうえで、石川氏はカギを握る重要人物だ。再聴取の様子をしっかり確認していれば、今になって「報告書は事実と違う」という話が出てくることなど、およそなかっただろう。

 結局、起訴に向けてさらに捜査を尽くせという審査会の指摘には正面から向き合わず、一方で、自分たちの調べに問題がなかったことを組織内で確認しあって再捜査を終わらせた。はた目にはそのように見える。

 素人である検察審査会の審査員や裁判員に正しい判断ができるのか、という声はくすぶる。

 もちろん絶対に間違えないとは言わない。だが国民の能力をうんぬんする以前に、専門家の手で正しい証拠が隠されたり、不当な誘導がされたりすることが、誤った結論をもたらす。この当たり前のことを、いま一度確認しておきたい。

 今回の問題が元代表の裁判にどう影響するかは軽々しく言えない。確かなのは、検察不信がまた深まったということだ。

 なぜうその報告書が作られ、チェックもできなかったのか、経過を解明・検証して国民に説明する作業が欠かせない。「公益の代表者」の名が泣いている。再生の道は、はるか遠い。

【朝日新聞社説】 2011年12月19日(月)付

行政委員報酬―住民が目を光らせねば 県の選挙管理委員会の委員には、月に1、2回開かれる会議や催しに出るだけで税金から約20万円が支払われる。日額制に切りかえ、働きに応じた額のみを支給するべきだ――。

 滋賀県の住民がそう訴えた裁判で、最高裁は請求を退ける判決を言い渡した。選管だけでなく、行政委員とよばれる人々の報酬をめぐる訴訟は各地で起きているが、これによって法律上の争いに決着がついた。

 最高裁の考えを一言でいえばこうなる。「委員の仕事の内容は多様で、役所に来る日数だけでは評価できない。報酬を、どんな方式でいくら支払うか、地方自治法は地元議会が定める条例にゆだねている。よほど不合理な事情がないかぎり、その判断を尊重するべきだ」

 ずいぶん甘い結論だと批判的に受け止めた人も多いのではないか。だが国民の代表である国会がそのような法律をつくり、議会が条例を設けている以上、裁判所が口をはさむ余地は限られるとの考えも理解できる。思想・信条の自由など基本的人権の制約につながる取り決めではないことも、この問題を考えるときの一つの要素になろう。

 受け止めるべきは、首をひねるような厚遇を認めてきたのはまさに地元議会であり、その議員を選んだのは、有権者である私たち自身だということだ。

 判決は「月額制をとったからといって違法・無効とはいえない」と述べているだけで、特定の方式や金額を推奨しているわけではない。どうするか決めるのは議会、すなわち住民自身だと説いているのである。

 この裁判では、一審・大津地裁と二審の大阪高裁が原告側の主張を認めた。それがきっかけとなり、多くの自治体で月額制から日額制への転換が進みつつある。全国知事会は「各地の実情にあわせ、自主的に見直しを進めていく」との方向を打ち出し、滋賀県でも労働委員会と収用委員会の委員の報酬は、今春から日額制となった。

 こうした大きな流れを止めてはならない。議会の自律的な判断にまかされているという重みを、議員一人ひとりが改めて胸に刻む必要がある。

 私たちは、報酬とあわせて委員の人選のあり方も見直すべきだと主張してきた。議員や自治体職員OB、特定の団体関係者の指定席になっているポストが少なくないのではないか。

 住民が、自分の住む県や市町村、そして議会の動向に目を光らせ、おかしいと思ったら声をあげる。そうしてこそ、地方自治は強く豊かなものになる。

天声人語

 【2011年12月17日(土)付】

▼政治家という人種はときおり「歴史」という一語を都合よく使う。米国のオバマ大統領がイラク戦争の終結を宣言し、「まもなく歴史になる」と述べたのもその類(たぐ)いだろう

▼歴史のことを「ひょっとしたら避けられたかもしれない出来事の積み重ね」とも言う。イラク戦争もその感がある。だが、唯一の超大国だった米は「戦争ありき」で突き進んだ。開戦をはさんで国連を取材していたころ、その尊大ぶりはきわまっていた

▼「味方か敵か」と国際社会に迫り、開戦に反対する仏や独を「古くさい欧州」と小ばかにした。「世界を仕切るのだという思い上がりが、我々を振り回し続ける」。嘆きの声を、各国の外交官から聞いたものだ

▼結局、イラクに大量破壊兵器はなく、仕掛けた戦いは「大義なき戦争」の汚名にまみれた。早く「歴史」にしたい大統領は兵士に「おかえり」を繰り返す。その間にもイラクでは、収まらぬ混乱に血が流れている

▼「歴史」の2文字に、先日も歌をお借りした故竹山広さんを思った。長崎で被爆した歌人は米に厳しい目を向け、戦後62年の晩年に次の歌を詠んだ。〈あやまたず歴史は書けよ六十二年アメリカがなしきたりしすべて〉。イラク戦争も眼(め)に入れてのことだったろう

▼そして、小泉政権がこの戦争を真っ先に支持した史実も、あやまたず書かれなくてはなるまい。なのに検証もせず、頬被(ほおかぶ)りを決め込む政治家は、とうに忘れてしまっているかのようだ。歴史への不誠実が世界に恥ずかしい。

 【2011年12月16日(金)付】

▼昆虫記で知られるファーブルは『植物記』も書いている。切り倒された栗の木と会話をするくだりがあって、こんなふうに木が言う。「私は70歳になりますが、まだ5、600年は生きるつもりでした。忌まわしい斧(おの)さえなければ」。そして、樹皮からどっと涙を流した(平凡社刊、日高敏隆・林瑞枝訳から)

▼むろんファーブルの想像だが、樹木はおのれの姿をもって、人に何かを語ることがある。岩手県陸前高田市の奇跡の一本松も、あの日以来、声なき言葉を多くの胸に届かせてきた

▼樹齢270年というから、芽を出したのは徳川の8代将軍吉宗のころだ。忌まわしい波さえなければ、と涙しただろうか。白砂青松の仲間7万本は倒れ、望みもしなかったろうに、日本一有名な木になった

▼4月ごろはまだ青々としていた。しかし海水で根が腐って立ち枯れていった。そして先ごろ、蘇生が断念された。O・ヘンリーの名短編「最後の一葉」ならぬ「最後の一木」として、被災地を励ましつつ力尽きていく

▼まど・みちおさんの「木」という詩が、ふと重なる。〈木が そこに立っているのは/それは木が/空にかきつづけている/きょうの日記です/あの太陽にむかって……一日(いちじつ)一ときの休みなく〉。震災このかた、空に書かれる日記を人は読んできた

▼枯死はつらいが命はつながる。一本松の松ぼっくりの種子から18本の苗が育っている。日記を書くのは遠い先だが、光を見る。親のように勁(つよ)くあれと、若い命に願いながら。

拾い読みした阿修羅の記事 プリント化してある

http://www.asyura2.com/09/genpatu6/msg/924.html
緊急:すべての測定器が振り切れた
 2011/03/13

http://www.asyura2.com/09/china02/msg/789.html
中国、食品の安全確保に苦慮−拝金思想が背景に
 2011年 4月 26日

 インク、染料、漂白剤、ワックス、それに有毒化学物質――これらは最近中国の食品に混入しているのが見つかった物質のほんの一部だ。政府が食品への異物混入を厳重に取り締まると繰り返し約束しているにもかかわらず、食品の安全に対する懸念が再燃している。 

 なぜ中国では食品の安全確保にこれほど大きな問題が生じているのだろうか。

 中国で食品関連の不祥事が発生するのは珍しいことではない。だが、ここ1カ月で明るみになった一連の食品汚染事件は、このような事件に慣れてしまっている地元の人々にまでショックを与えた。同国南部広東省の衛生当局はここ数日間で、麺メーカー17社を閉鎖させた。生地にインクとワックスを混ぜていたことが判明したためだ。一方、湖南省長沙市では先週末、添加物クレンブテロールの入った肉を食べて、300人近くが体調を崩したとの報道があった。クレンブテロールは「脂肪分を少なくする」違法添加物で、3月に食肉業界に対する取り締まりが行われたばかりの物質だ。 

 最も奇怪な事件は恐らく、今月、同じ長沙市でおこった事件だ。夜、台所に入ってみたら、店で買った豚肉が暗闇の中で光っていたとの事例が消費者から多数寄せられたのだ。 

 中国政府は長年、食品の安全確保に苦慮してきた。この問題は2008年に頂点に達したかにみえた。この年には工業用化学物質メラミンに汚染された乳児用ミルクによって少なくとも6人が死亡、数万人が健康障害を起こした。政府は衝撃を受けて断固たる措置を講じたかにみえた。しかし、結局のところメラミンは、他の化学物質や違法な添加物とともにまた中国の食品の中に使われている。このため、中国政府はなぜこのような基本的な問題を解決できないのか、と多くの観測筋がいぶかしがっている。 

 米ウィルマーヘール法律事務所のレスター・ロス弁護士(在北京)は、一番の問題は、何を犠牲にしても手っ取り早く金を稼ぎたいと考える傾向があることだと指摘する。添加物を使うことで経費を削減し、利益率を上げられると考える企業があり、そのような企業は添加物が消費者にもたらす影響まで考えないのだという。 

 ロス氏によると、解決法は消費者への周知徹底キャンペーンを行うことだ。例えば、中国当局は地下鉄、バス停、それにテレビにも、食品に化学添加物を使うことの危険性を知らせるためのメッセージや広告を出すことができる。 

 ロス氏はまた、化学物質を口にして病気になったという中国国内メディアの報道が周知の助けになっていると指摘した。最近数日間の多くの報道によって、中国の消費者はクレンブテロールの入った肉は脂肪分が少ないかもしれないが、頭痛、吐き気、それに動悸(どうき)をもたらす可能性があることを知った。また野菜は亜硝酸ナトリウムを使うと生長が早くなるかもしれないが、がんが引き起こされる可能性があることも知った。

 国営英字紙チャイナ・デーリーが伝えたところによると、中国保健省は年末までに合法的な食品添加物のリストを修正して公表する計画だ。また、違法な添加物のブラックリストも作成する予定だという。

 しかし、国民への周知は問題解決の一部でしかない。ロス氏によると、もう一つの問題は、ことわざに言うように「台所にいるコックの数が多過ぎる」、つまり食品安全を担当する役所が多過ぎることだ。同氏によると、食品安全問題を扱う中心的な組織は保健省だが、国家工商行政管理総局、国家食品薬品監督管理局、それに農業省も関わっている。

 食品の安全確保は中国特有の問題ではない。北京大学公衆衛生学部のウー・ミン教授は、米国や日本を含む多くの国々も食品業界で同じような悩みを経験してきたと指摘した。 

 米国では19世紀末に、食品の製造・加工時の衛生と汚染に関する問題がはびこっていた。中国法を専門とするスタンリー・ルブマン氏が最近指摘したように、作家アプトン・シンクレアが1906年に小説「ジャングル」の中でシカゴの食肉加工場の恐ろしい現状を明らかにするまで、米国では食品安全の問題が注目されていなかった。 

 ミン教授は、米国と中国の一番大きな違いは食品業界の「規模」にあると指摘し、中国では食品に係わる企業の数が多く、その結果、規制が難しいと言う。同教授は「一夜にしてこのような問題をなくすのは不可能だ。長い時間が掛かるだろう」と語った。

記者: Laurie Burkitt

http://www.asyura2.com/09/china02/msg/790.html
「入学金だけで半年分の給料が要る」中国の川柳に見る格差社会の悲惨な実態
 2011/04/28

 中国では昔から、「順口溜」という韻文風の風刺文学がある。日本の川柳をいくつかくっつけて出来上がったようなものだ。その内容も川柳と同様、おかしげな社会現象への風刺や惨めな立場にある人々による自嘲などが主である。

 ネットの世界ではこの類いのものが常に流布されているが、それらを読んでみると、笑いを誘われながらも中国の世相がよく分かってくる気がする。

 たとえば近年来、深刻な社会問題となっている貧富の格差の拡大を反映して、「貧乏人」と「金持ち」に関する次のような順口溜が出回っている。

 女房が人と寝るのは貧乏人だが、人の女房と寝るのは金持ちである。

 牛や豚を飼う奴は貧乏人だが、犬や猫をペットにする奴は金持ちである。

 田んぼで稲を植える奴は貧乏人だが、庭で花を育てる奴は金持ちである。

 土を耕す奴は一生の貧乏人だが、土地を売買する奴は子孫まで金持ちである。

 ホンモノを作っていても貧乏人のままだが、ニセモノを作るとたちまち金持ちになる。栄養食品を作って売る奴は、しょせん貧乏人だが、有毒食品でも作って売れば金持ちの仲間入りができる。

 友人から借金する奴は貧乏人だが、国からカネを掠(かす)めた奴は大金持ちである。

 以上の順口溜を読めば、現在の中国で一体どういう人たちが金持ちとなって、逆にどんな人たちが貧困にあえいでいるのかがよく分かる。

 とにかく、働き者や正直者が貧乏人となって、悪い奴ほど金持ちになるというのは、まさしく「社会主義大国」中国社会の実情なのである。

 それでは、この国の貧乏人たちはどのように生きているのか。次のような有名な順口溜がある。

 結婚はしたいけどそれは無理なことだ。マンションも車も持たない俺に誰が嫁に来るというのか。

 結婚して子供を産みたいけど、それはまた無理なことだ。産院で帝王切開でもすれば3カ月分の給料が飛ぶではないか。

 子供は産んではみたが、学校へ行かせるのは無理なことだ。入学金だけで半年分の給料が要るから。

 子供が大きくなってうれしいけど、病気にでもなれば大変なことだ。医療費一つで家がつぶれてしまう。

 病気が治らず死にたいけど、それはさらに大変なことだ。火葬代があれほど高騰してどうやって死ねるのだろうか。

 この順口溜の言わんとするところは明々白々であろう。要するに「経済大国」と称される中国の貧困層にとって、生きるのも死ぬのも容易ではない、ということである。

 「帝王切開で3カ月分の給料が飛ぶ」とか、「入学金だけで半年分の給料が要る」とか、あるいは「医療費だけで家がつぶれてしまう」とかは、決して風刺文学特有の誇張ではない。むしろ今の中国の現実であることがよく知られている。

 今年2月6日に国営通信社の中国新聞社が配信した社会記事でも、「食べていくのに精いっぱい」という低層の人々の生活難の実態が克明にリポートされている。

 そして4月22日に発表された米調査会社ギャラップの「2010年の幸福度調査」によると、自分の生活について「満足している」と感じている中国人は全体の12%でしかなく、逆に「苦しい」と感じている中国人は71%もいることが判明したという。

 この国の民はいつになって、生きることの苦しさから解放されるのであろうか。

                   ◇

【プロフィール】石平

 せき・へい 1962年中国四川省生まれ。北京大学哲学部卒。88年来日し、神戸大学大学院文化学研究科博士課程修了。民間研究機関を経て、評論活動に入る。『謀略家たちの中国』など著書多数。平成19年、日本国籍を取得。

http://www.asyura2.com/11/genpatu10/msg/508.html
京大小出「3号機爆発、燃料棒による核暴走(核爆発)の可能性を示唆
 2011/05/05

残しておきたい記事 プリント化してある

http://takedanet.com/2011/04/post_f9e5.html
福島の偉人 from 武田邦彦
 2011/04/24

片寄平蔵

常磐炭田発見者。万延元年、勿来近くで攘夷派の浪士の刃に倒れる。享年48。

朝河貫一

「国家はその国民が人間性をもっているかぎりにおいてのみ、自由な独立国である。しかし、その政治体制が民主主義の組織をそなえているというそれだけでは、自由な独立国とはいえない。自由主義にあっては、その国民が世界における人間の立場をすべてにわたって意識するまでに進歩しているかどうか、それこそが重要である。」

・・・・・・・・・

福島が苦しんでいる。

今まで東京のために危険を背負い、人材も電力も供給してきた福島に東京の人は救いの手をさしのべない。政府には富と権力は溢れるほどあるのに・・・

それでも福島の人はジッと腹に収めて反乱を起こさない。

福島の大地は汚れた。でも福島の人の心と体は汚れていない。むしろその魂は高潔だ。

汚れているのは恩を忘れた政府、東大、NHKと、福島の人を温かく迎えない同胞だ。

福島の農作物はすべて買い取ろう。申し訳ないが食べないから泣いてほしい。瓦礫も牛も引き取れないが、こちらから福島の大地を綺麗にしに行く。日本全国、どこでも福島の人を温かく歓迎する。

福島原発は静かに眠ってもらい、碑を建ててその労をねぎらおう。

福島こそ、今、日本人が手をさしのべるところなのだ。

福島の偉人は私たちに語りかける.

・・・日本人が福島の人の立場をすべてにわたって意識するまでに進歩しているかどうか、それこそが重要である・・・

(平成23年4月24日 午後7時 執筆)

http://takedanet.com/2011/04/post_c649.html
原発七不思議 神になった専門家 from 武田邦彦
 2011/04/25

日本には日本人を放射線の害から守る「法律」というものがあります。それは長く国民を伝染病から守ってきた「伝染病予防法(現感染症法)」などと同じように大切な法律です. 

いざ、伝染病が流行した時に、医師という専門家が「こんなに患者が多いのじゃ大変だ」という理由で「伝染病はたいした事はない、伝染病予防法は守らなくても良い」と言えるのでしょうか?

・・・・・・・・・

放射線については、各省庁でそれぞれの法令ができていますが、たとえば、厚生労働省の「電離放射線障害防止規則」というのは、昭和47年に制定されて、今年になっても1月14日に改訂されています。

このような法律は「被ばくと健康に関する国際勧告」に基づいて、国内で「放射線と健康の専門家」が、「それぞれの関係省庁」で検討し、国内の法律や規則を改定して、今に至っています.

日本国民を放射線の害から守るのですから、あらゆる知恵を動員して作られています.

そこには、放射線の「業務」を行うところについて、明確に次のように書かれています(たとえば第3条:管理区域)。

1. 放射線量=外部+内部、

2. 3ヶ月で1.3ミリシーベルトを越える怖れがある場合、かならず標識で明示する、

読者の方の中には、専門家が100ミリと言ったり、政府が20ミリで規制したりするので、私に「武田の言う1ミリとか1.3ミリという根拠は何か!勝手なことを言うな!」という人もいるけれど、騙されているだけです.

「1年1ミリ」は武田説でもなんでもなく、国際勧告と国内法で定められている数値です(1年1ミリは人、3ヶ月1.3ミリは場所で実質的な内容は同じ)

なにしろ、国際勧告や国内法で「日本人の健康」を決めるのですから、膨大な研究データやチェルノブイリなどの詳細な報告に基づいて決めていることです。だから私はその根拠を特に示すことを止めています。

普通の人が膨大な資料を見て、今更「1ミリは適当か」を判断しようとしても、2,3年はかかるからです.だからこそ、「専門家」が何10回も検討を重ねて、法律で定めているのです。

・・・・・・・・・

ところが、3月12日、福島原発が破壊した途端、専門家は神となり、公務員は法律を捨てました。今では、彼らは必死で「日本に法律の規定がある」ことを隠そうとしています.

枝野官房長官はうっかり「一般人の限度は1年間1ミリだ」と発言しましたが、これが唯一かも知れません。本来は子供の健康を守るはずの文科省も「法律には一切触れないお触れ」を出しています.

人の健康、それも強制的なこと(学校に通うなど)に適応するのに、1ミリという法律を隠して、自分が100ミリと思うから、20ミリでなければ自分の仕事に具合が悪いからという理由で「人」は「他人の運命を勝手に決める権利」はないのです。

・・・・・・・・・

専門家は神になったのです。

「1000人で5人ぐらいガンが増えても問題は無い」とある専門家は言いました。それは雑談なら良いですが、強制力(仕事やお金、学校、食材などの全て)を伴って自治体も神となりました.

人間は「神」になってはいけません。

事故が起こって現実に被ばくしている人がでている最中ですから、「新たに検討する時間」は与えられていません。

・・・・・・・・・

専門家は神になってはいけない、

NHKは神になってはいけない、

医師は神ではない、

政府は法律と法の精神を捨ててはいけない、

文科省は児童に20ミリを強制できない、

いかに政府でも人の運命に拘わることを神の代わりに決めることはできない、

誰もが、「1年1ミリが適切か」を判断してはいけない。

誰もが、「1年1ミリ」以外の数値を言ってはいけない。

・・・・・・・・・

私たちが長い間かけて、研究と経験を積んで決めてきた「これで健康を守ろう」という数値を今、ご都合主義で変えてはいけない。

変えなくても被ばくを避けることはできる。一刻も早く1年1ミリを守ると宣言して、福島とその近県の人の命を守らなければならない。

今からでも遅くない。政府も市長も、医師も専門家も、神から降りてください。

100ミリと1ミリでは、約5000人のガン患者が発生すると予想されます(国際的合意に基づく数値、武田説ではない). 

だから、「100ミリで良い」と言いつづける専門家・医師は「私財」をなげうって、患者さんの救済に当たって欲しい.

20ミリと1ミリでは、約1000人の児童・生徒が被ばくでガンになる. 文科省で20ミリの決定に関与した役人は、その責任を「私財」で贖うべきである.

(平成23年4月25日 午前7時 執筆)

おいとこ節

http://www.1134.com/min-you/02/k0401.shtml
日本の民謡 曲目解説<宮城県> あ〜し


♪ おいとこ そうだよ 紺の暖簾に 伊勢屋と書いてだんよ
    お梅十六 十代伝わる 粉屋の娘だんよ
     なるほど 良い娘だ あの娘と添うなら 三年三月でも
   裸でわらも 背負いましょ 水も汲みましょ
     手鍋も提げましょうよ なるたけ 朝は早起き
    登る東海道は 五十と三次
   粉箱 ヤッコラサと かついで 歩かにゃなるまい
     おいとこ 底抜けだんよ

俗曲「おいとこそうだよ」は、千葉県山武(さんぶ)郡白桝(しらます)にある粉屋の娘・木俣お小夜を唄った「白桝粉屋」と呼ばれる「小念仏踊り」の演が母体。 江戸末の天保(1830-43)の頃、関東・東北を中心として広く唄われた。

明治末から大正にかけて東京で再流行。 その後すっかり忘れられ、宮城県だけに残っていた。 

「小念仏踊り」は「万作踊り」とも呼ばれ、東関東で大師講が開かれると、余興踊りとして唄い踊られていた。 それが次第に農民芸として発達。 農閑期を利用して巡業に回る人たちも現れ大流行。

県下にも移入され、酒席の踊り唄として盛んに唄い踊られた。 女性よりも、男性が唄うほうが心地よく聴ける。

この歌は十月亡くなった兄が25才頃だったと思うが、1〜2度一杯飲んだ時にうたったものです。 歌詞は途中で分からなくなっていたが、兄の思い出のために調べたものです。 おおらかな宴席の歌として知っておいてもよい。