折々の記へ
折々の記 2012 @
【心に浮かぶよしなしごと】
【 01 】01/01〜 【 02 】01/07〜 【 03 】01/08〜
【 04 】01/10〜 【 05 】01/15〜 【 06 】01/17〜
【 07 】01/19〜 【 08 】01/30〜 【 09 】02/03〜
【 08 】02/03
02 03 腰痛
02 04 芳村の火災と立春
02 06 1% のお山の大将の調べ方
02 09 田中良紹の「国会探検」
02 03 (金) 腰痛
先月の七日(七草の節句)
人日の節句(七草の節句)頃から左の腰が痛くなって、困ったことになった。 正座、腰掛、あぐら、これらの姿勢をしていると十分とたたずに左の腰が痛くなる。
五節句のひとつ。 古来中国では、正月の1日を鶏の日、2日を狗の日、3日を猪の日、4日を羊の日、5日を牛の日、6日を馬の日とし、それぞれの日にはその動物を殺さないようにしていた。そして、7日目を人の日として犯罪者に対する刑罰は行わなかった。この日は7種類の野菜を入れた羹を食べる習慣があり、これが日本に伝わって七草粥となった。日本では平安時代から始められ、江戸時代より一般に定着。
それで、先月の28日、伊久間の丸山鍼灸院で皮内針16本とお灸の治療を受けた。 1日の水曜日には‘ためしてガッテン’「40代から特にキケン!とれない足腰ヒザ痛みの真犯人」で、自宅でできる超簡単な治療法は『貧乏ゆすり』であることを知りました。
さらに、昨日から walking mashine をはじめたところ、立っているぶんにはそれほど痛みは感じないようになっている。
きょうは節分です。
節分
雑節 節分 「季節を分ける」ことから節分という。本来は春夏秋冬全てに節分があるが、現在は春の節分だけを「節分」と呼ぶようになった。かつては大晦日的な意味合いもあり、「鬼やらい」の行事が行われ、「節分の豆まき」として現在にも伝わっている。
のり巻きの日
1987年(昭和62年)に、海苔業者が制定した。節分の夜に恵方に向かい太巻きを食べると幸福になるという言い伝えからこの日が生まれた。太巻きはひとりで1本食べきるまで誰とも話してはいけないとか。その年の恵方は西暦年の末尾1桁が、0,5なら西南西、1,3,6,8なら南南東、2,7なら北北西、4,9なら東北東となる。
大岡越前の日
1717(享保2)年、大岡越前守忠相が南町奉行に就任した。「大岡裁き」と呼ばれる名裁判で有名だが、19年間の在任中の裁判は3回だけで、そのうち忠相が執り行ったのは1回だけ。8代将軍吉宗の信頼が厚く、享保の改革に協力。後に寺社奉行等を経て、大名(一万石)にまでなった。
02 04 (土) 芳村の火災と立春
今暁馬場の芳村和夫さんの家が火災で全焼した。 お気の毒です。 吹き颪の風は冷たかった。
正午になって芳村夫妻が焼死したとニュースで報じたといいます。 悲しいニュースです。
春だというのに、風は寒い。 気象庁ではこの寒気は中旬にも南下するといっています。 早春賦は子供頃からの寒い冬を思い起こさせます。
[ 15 早春賦 ] 作詞:吉丸一昌、作曲:中田 章
1 春は名のみの風の寒さや
谷の鴬歌は思えど
時にあらずと声も立てず
時にあらずと声も立てず
2 氷解け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと思うあやにく
今日もきのうも雪の空
今日もきのうも雪の空
3 春と聞かねば知らでありしを
聞けば急(せ)かるる胸の思いを
いかにせよとのこの頃か
いかにせよとのこの頃か
《蛇足》 作詞の吉丸一昌は、明治6年(1873)に大分県臼杵(うすき)で生まれ、東京帝国大学を卒業したのち、明治41年(1908)に東京音楽学校(現在の東京芸大音楽学部)教授になりました。
『尋常小学校唱歌』の編纂委員として、芳賀矢一、上田万年、高野辰之、佐佐木信綱らとともに日本の唱歌成立に重要な役割を果たしました。 『早春賦』のほか、『故郷を離るる歌』『木の葉』『四つ葉のクローバー』『お玉じゃくし』『浦のあけくれ』『蜜蜂』『蛍狩り』などを作詞したほか、『日の丸』『桃太郎』『池の鯉』『かたつむり』も吉丸の作品ではないかといわれています。
大正5年(1916)に43歳の若さで没。臼杵市に吉丸一昌記念館「早春賦の館」が建っています。
吉丸は、大正の初期に何度か安曇野を訪れ、穂高町(現在あずみの市穂高)あたりの雪解け風景に感動してこの歌を作ったと伝えられています。 穂高町にある大王わさび農場の近くを流れる穂高川の土手には、『早春賦』の歌碑が建っており、毎年4月に「早春賦音楽祭」が開かれます。 安曇野の住人たちは、この歌が安曇野を歌ったものであることに喜びと誇りを感じています。
私が生まれ育った村では、彼の子息が歯医者を開業しており、子どものころ(昭和20年代)、何度か診てもらった記憶があります。東京育ちのはずの子息が安曇野に居を構えたのは、やはり父君の影響だったのかもしれません。
作曲を担当した中田章は、『夏の思い出』『ちいさい秋みつけた』『雪の降る街を』などを作曲した中田喜直の父。 ある人が中田喜直に、「あなたは夏・秋・冬の定番曲は作っているのに、なぜ春の曲を作らないのですか」と訊いたところ、「春の定番曲には『早春賦』があり、父を尊敬している私としては、あえて作ろうとは思いません」と答えたという話が伝わっています。
2番の「角ぐむ」は、葦、荻、薄、真菰などの芽が角のように出始めること。「あやにく」はあいにくと同じで、折悪しくの意。(二木紘三)
02 06 (月) 1% のお山の大将の調べ方
「02 02 1% のお山の大将(アメリカ)の綻び」を取り上げました。 言えば簡単な表現に集約されるけれど、その内容となると膨大なものとなります。 簡単に検証するなどということはできないのだが、大雑把に方法を取り上げてみたい。
1% のお山の大将の調べ方
@ ビルダーバーグ会議
このキーワードで約 191,000 件(0.08 秒)が検索されます。 黒幕に包まれた秘密会議は
グローバルの将来にとって世界中の人々が容認すべき方向ではありません。
ビルダーバーグ会議 - WikipediaA 田中宇の‘アンテナに入ってくるニュース’とその解説
もうすぐ北風が強くなる 2011ビルダーバーグ会議
ビルダーバーグ会議2011「陰の政府」と出席者リスト | すべては気づき
「闇の支配者」による秘密会議『ビルダーバーグ会議』 - 暗黒夜考〜崩壊し ...
2011年ビルダーバーグ会議 メディアが報じない世界有力者による秘密 ...
「2010年ビルダーバーグ会議メンバーリスト」
ビルダーバーグ会議2011 - HEATの雑記
ビルダーバーグ会議 スイスの銀行家の証言|アラフォーママの日記
ビルダーバーグ会議: 世界の真実はどこにあるのか
ビルダーバーグ会議、今年が最後だそうで・・・静かに逝ってください 属国 ...
世界の平和を築くために情報収集と解析に精力的な取り組みをしている男があります。
それは田中宇という人です。 知識を豊かにすることはどんなことでも役に立つのですが、
人への愛=平和を求めることが根底になくてはなりません。
そのために「田中宇の国際ニース解説」は人間のお金への執着と醜さを掴む理解すべきです。
http://tanakanews.com/index.html<田中宇の国際ニュース解説>B 国際政治の中でUSAの勝手なやり方と思われる報道に留意
http://digital.asahi.com/<朝日新聞 Asahi digital>C 仕組まれた 9.11
http://business.nikkeibp.co.jp/<日経ビジネスオンライン>
http://electronic-journal.seesaa.net/<Electronic Journal>
http://globe.asahi.com/index.html<The Asahi Shimbun GLOBE>
http://www.asyura2.com/<★阿修羅♪掲示板>
9.11、イラク戦争、イラン風雲、等々地球上の紛争はすべて仕組まれたものと囁かれています。
http://yogananda.cc/daily/you/911.html <9・11 事件の真相>D TPPは仕組まれたゲーム
http://tanakanews.com/110914WTC.htm <911十周年で再考するテロ戦争の意味>
http://tanakanews.com/g0516WTC.htm <やはり仕組まれていた911>
http://tanakanews.com/g0530CIA.htm <つぶされるCIA>
http://rose.eek.jp/911/index.html <911/911の真相は?>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%8C%E6%99%82%E5%A4%9A%E7%99%BA%E3%83%86%E3%83%AD%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E9%99%B0%E8%AC%80%E8%AA%AC <アメリカ同時多発テロ事件陰謀説>
中国、韓国、世界で仕事をしてきたビジネスマンが読み解く時事問題。外国人とのビジネス
で知った彼らの本質、政治家や評論家には見えない視点で迫ります。 <中韓を知りすぎた男>より
TPPは仕組まれたゲーム
竹中平蔵氏は産経新聞で「TPPは、交渉参加が当然であり、日本はこれ以外の選択はありえない、自由貿易が国民全体に大きな利益をもたらすことは、アダム・スミスの国富論以来、世界が経験してきた共有の理解だ」「同盟国米国が関与するTPPの交渉への参加はごく自然な選択であろう」と述べています。
竹中氏は今世界中で起こっている経済危機や格差の拡大の原因をまるでわかっていない。30年前正しかったことが今も正しいとは限らない。
TPPを単なる経済連携協定として捉えるからアメリカ(利益集団)の政治的意図がみえないのです。
TPPの根幹はグローバリゼーションの思想です。経済危機に直面した国々は、まさに規制を伴わないグローバル経済の犠牲者なのです。
30年前ロックフェラーは「人類全般にわたる利益は、自由市場の力が国境を超えることができるという経済条件のもとでこそ、最も十分に満たされていく」と宣言しました。
各国の企業人、政治家、経済学者たちはまるでこの言葉の魔術に誘導されたように、なぜか、「全ての国は、多角的な自由化によって利益を得ることになる」と信じてしまった。
そして誰もが規制撤廃や自由化は経済にとって必要であり、必然的であるという考えが当たり前になってしまった。
多くの国で、規制を伴わないグローバル経済は、地域社会や国で、企業誘致競争へとかりたてることになり、そこでそれぞれが労働工賃や環境全てを他より下げようとするコスト競争を生んでしまった。
その結果、労働者階級の生活は衰退の一途をたどり、底辺にいる人たちはそこからはい上がれないままになってしまいました。
グローバル化によって全ての自由化が国境を超えたことによって、関税や補助金その他の人為的障壁は取り払われ、力のある効率の良い世界的企業だけが生き残ることになり、労働工賃がますます引き下げられるようになってしまいました。
まずTPPを仕掛けてきているアメリカ社会の現実をよく見てください。富む者はかってないほど富、その一方で労働者階級の悲惨な姿、大学を出てもその大半は親と同じ中流階級の生活すら手にすることができません。
アメリカ経営哲学と日本企業の哲学とは大きな違いがあります。アメリカでは、企業は営利を目的とするものだから利益拡大を目指すのは当然の正義です。だから企業は工場を儲かる場所に移し、儲からなければ簡単に閉鎖します。
もちろん日本でも企業は利益の拡大が目的ですが、企業規模の拡大や雇用の安定も企業経営の重大な目的であり、そのために株式配当を抑制したり、経営陣の給料もアメリカのように極端な事はありません。
それともう一つ大きな違いは、日本のグローバル企業の本籍地はどこまでも日本の一部であり、支配権は当然日本国です。ところがアメリカ企業は籍はアメリカにあっても、アメリカ経済によって運命を左右されないどころか、アメリカという国を支配してアメリカのルールを変更してしまいました。
例えば
@企業が、従業員の医療保険や年金給付の削減あるいは打ち切りをできるようにした。
A中流階級に重い課税体系を創出した。
B低賃金の仕事を創り出した企業に対して、助成金を与えた。
C事業を海外に移した企業を優遇した。
このようにアメリカを支配している企業がルールを書き換えてしまったのです。
このことによって 富の移動はますます富裕層へ移り、中流階級は貧困層に落ちていきました。
TPPの交渉相手は星条旗を掲げていても、アメリカという国ではありません。アメリカに籍を置いている超国家組織(利益集団)です。TPPにおけるオバマ大統領や政府高官は超国家組織の手先だという認識を持つ必要があります。
TPPにおける彼らの目的は貿易自由化のみならず、日本のルールを変更することが最大の狙いなのです。彼らから見れば日本は宝の山です。
日本の識者の皆様、TPPには日本の国体まで変えてしまう陰謀が隠されていることが何故見えないのですか?
TPPに加盟すればいつの日か、わが国の豊かさをそこない、わが国の繁栄をくじくことになってしまいます。
TPPは危険であると何回も何回も断言します。
これらのサイトを開いて読んでいくと、事実か虚偽かは別として全体の動きが洞察されてきます。
そして、‘We are the 99%.’と叫ぶアメリカ市民が意図しているものは何なのか理解できます。
http://opinion-dmori.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/we-are-99-f836.html
<米国の格差社会是正を訴える“We are 99%” Opinion-DMORI>より
米国の格差社会是正を訴える“We are 99%”
2011年10月 4日 (火)
ニューヨークのウォール街周辺で、格差社会の是正を要求する市民の抗議活動が続いている。10/1にはデモ行進の参加者から、700人を超える逮捕者が出た。しかしインターネットの情報発信で、支援の輪は全米に広がりを見せており、大きな政治のうねりになる可能性も出てきた。
彼らのキャッチフレーズの「We are 99」が、なかなかいい。1%の富裕層が米国の資産の多くを握っている格差社会を、是正していこうというものだ。
元来、ピューリタンが築いた米国民は、何よりも自由を重んじ、個人の努力で獲得した利益は尊重する国民性が強かった。
その米国でこうした格差是正運動が起こり、しかも若い世代の参加も多いという現象は、格差の広がりが、容認すべきでないレベルにきていることを示している。
また、バット1本の実力で稼いだギャラと違い、マネーゲームで稼ぐウォール街の人間たちは、株や先物投資をころがして、高額なインセンティブを手に入れている。こうしたカネの流れを放置していては、貧しい国の人たちを飢えさせたり、自国の国民もまじめな勤労意欲の低下につながる。米国の格差是正運動にエールを送りたい。
日本の若者たちには“草食系”が多くなっているようだが、ボランティアに参加する若者は増えており、社会活動への参加意識があることが、まだ救いだ。もう一歩進んで、ボランティアだけでなく、政治も考えた行動に参加してもらいたい。
金の亡者を許してはならない
02 09 (木) 田中良紹の「国会探検」
ここに独自のニュース発信者がいます。 田中良紹という男です。 生月で67才です。
彼の経歴はこうなっています。
1945年宮城県仙台市生まれ
1969年慶應義塾大学経済学部卒業
同年(株)東京放送(TBS)入社
ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。
また放送記者として裁判所、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。
ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。
1990年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立
TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、
2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。
2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート
小沢一郎については政治家や国民の多くが情報操作にうまく牛耳られて、悪いイメージを持っている人が多いようです。
こうした一連の基軸になっている問題は、アメリカの悪徳ペンタゴンが想定するやり方が崩れてしまうという懸念から、ペンタゴンの手先になって動く人々を操ってアメリカと対等な立場で自立しようとする小沢一郎の勢力を抑えようとする猛烈なプロパガンダの嵐を巻き起こした結果である、と認識しています。
この基本的な流れは間違いはないとおもいます。
識者に耳を傾けましょう
http://www.the-journal.jp/contents/kokkai/
田中良紹の「国会探検」
@ 政治家の金銭感覚 2012年1月12日
強制起訴された小沢一郎氏の裁判でヤマ場とされた被告人質問が終った。法廷でのやり取りを報道で知る限り、検察官役の指定弁護士は何を聞き出したいのかが分からないほど同じ質問を繰り返し、検察が作り上げたストーリーを証明する事は出来なかった。
検察が起訴できないと判断したものを、新たな事実もないのに強制起訴したのだから当たり前と言えば当たり前である。もし検察が起訴していれば検察は捜査能力のなさを裁判で露呈する結果になったと私は思う。従って検察審査会の強制起訴は、検察にとって自らが打撃を受ける事なく小沢一郎氏を被告にし、政治的打撃を与える方法であった。
ところがこの裁判で証人となった取調べ検事は、証拠を改竄していた事を認めたため、強制起訴そのものの正当性が問われる事になった。語るに落ちるとはこの事である。いずれにせよこの事件を画策した側は「見込み」が外れた事によって収拾の仕方を考えざるを得なくなった。もはや有罪か無罪かではない。小沢氏の道義的?責任を追及するしかなくなった。
そう思って見ていると、権力の操り人形が思った通りの報道を始めた。小沢氏が法廷で「記憶にない」を繰り返した事を強調し、犯罪者がシラを切り通したという印象を国民に与える一方、有識者に「市民とかけ離れた異様な金銭感覚」などと言わせて小沢氏の「金権ぶり」を批判した。
しかし「記憶にない」ものは「記憶にない」と言うしかない。繰り返したのは検察官役の指定弁護士が同じ質問を何度も繰り返したからである。そして私は政治家の金銭感覚を問題にする「市民感覚」とやらに辟易とした。政治家に対して「庶民と同じ金銭感覚を持て」と要求する国民が世界中にいるだろうか。オバマやプーチンや胡錦濤は国民から庶民的金銭感覚を期待されているのか?
政治家の仕事は、国民が納めた税金を無駄にしないよう官僚を監督指導し、国民生活を上向かせる政策を考え、謀略渦巻く国際社会から国民を守る備えをする事である。そのため政治家は独自の情報網を構築し、絶えず情報を収集分析して対応策を講じなければならない。一人では出来ない。そのためには人と金が要る。金のない政治家は官僚の情報に頼るしかなく情報で官僚にコントロールされる。官僚主導の政治が続く原因の一つは、「政治とカネ」の批判を恐れて集金を自粛する政治家がいる事である。
今月から始まったアメリカ大統領選挙は集金能力の戦いである。多くの金を集めた者が大統領の座を射止める。オバマはヒラリーより金を集めたから大統領になれた。そう言うと「清貧」好きな日本のメディアは「オバマの金は個人献金だ」と大嘘を言う。オバマが集めたのは圧倒的に企業献金で、中でも金融機関からの献金で大統領になれた。オバマは150億円を越す巨額の資金を選挙に投入したが、目的は自分を多くの国民に知ってもらうためである。そうやって国民の心を一つにして未来に向かう。これがアメリカ大統領選挙でありアメリカ民主主義である。政治が市民の金銭感覚とかけ離れて一体何が悪いのか。
スケールは小さいが日本の政治家も20名程度の従業員を抱える企業経営者と同程度の金を動かす必要はある。グループを束ねる実力者ともなれば10億や20億の金を持っていてもおかしくない。それが国民の代表として行政権力や外国の勢力と戦う力になる。その力を削ごうとするのは国民が自分で自分の首を絞める行為だと私は思う。
日本の選挙制度はアメリカと同じで個人を売り込む選挙だから金がかかる。それを悪いと言うから官僚主義が民主主義に優先する。それでも金のかからない選挙が良ければイギリス型の選挙制度を導入すれば良い。本物のマニフェスト選挙をやれば個人を売り込む必要はなく、ポスターも選挙事務所も街宣車も不要になる。「候補者は豚でも良い」と言われる選挙が実現する。いずれそちらに移行するにせよ今の日本はアメリカ型の選挙なのだから金がかかるのをおかしいと言う方がおかしい。
ところで陸山会事件を見ていると1992年の東京佐川急便事件を思い出す。金丸自民党副総裁が東京佐川急便から5億円の裏献金を貰ったとして検察が捜査に乗り出した。捜査の結果、献金は「金丸個人」ではなく「政治団体」へのもので参議院選挙用の陣中見舞いである事が分かった。しかも既に時効になっていた。要するに検察が描いたストーリーは間違っていた。
ところが検察はメディアを使って「金丸悪玉」イメージを流した後で振り上げた拳を下ろせなかった。しかし金丸氏を起訴して裁判になれば大恥をかくのは検察である。検察は窮地に立たされた。そこで検察は取引を要求した。略式起訴の罰金刑を条件に、検察のストーリー通りに献金の宛先を「金丸個人」にし、献金の時期も時効にならないよう変更しろと迫った。「拒否すれば派閥の政治家事務所を次々家宅捜索する」と言って脅した。その時、小沢一郎氏は「裁判で検察と徹底抗戦すべし」と進言した。法務大臣を務めた梶山静六氏は検察との手打ちを薦めた。この対立が自民党分裂のきっかけとなる。
金丸氏が取引に応じた事で検察は救われた。そして金丸氏は略式起訴の罰金刑になった。しかし何も知らない国民はメディアの「金丸悪玉説」を信じ、余りにも軽い処罰に怒った。怒りは金丸氏よりも検察に向かい、建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。検察は存亡の危機に立たされ、どうしても金丸氏を逮捕せざるを得なくなった。
総力を挙げた捜査の結果、翌年に検察は脱税で金丸氏を逮捕した。この脱税容疑にも謎はあるが金丸氏が死亡したため解明されずに終った。世間は検察が「政界のドン」を追い詰め、摘発したように思っているが、当時の検察首脳は「もし小沢一郎氏の主張を取り入れて金丸氏が検察と争う事になっていたら検察は打撃を受けた」と語った。産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏の著書「歪んだ正義」(情報センター出版局)にはそう書かれてある。
小沢一郎氏は金丸氏に進言したように自らも裁判で検察と徹底抗戦する道を選んだ。検察は土地取引を巡って小沢氏が用立てた4億円の原資に水谷建設から受け取った違法な裏金が含まれているというストーリーを描き、それを隠すために小沢氏が秘書と共謀して政治資金収支報告書に嘘の記載をしたとしている。それを証明する証拠はこれまでのところ石川知裕元秘書の供述調書しかないが、本人は検事に誘導された供述だとしている。
その供述調書が証拠採用されるかどうかは2月に決まる。その決定は裁判所が行政権力の側か国民主権の側かのリトマス試験紙になる。そして小沢氏に対する道義的?責任追及も民主主義の側か官主主義の側かを教えてくれるリトマス試験紙になる。
A 愚者の楽園 2012年1月24日
「普通の国」なら国がひっくり返るほどの大騒ぎになっている問題が大騒ぎにならないからこの国は異常である。
3月11日に発生したフクシマ原発事故で設置された政府の「原子力災害対策本部」が議事録を作っていない事が判明した。国家としてあるまじき行為、民主主義の根幹が否定された話である。ところがメディアは騒がない。日本は極めて静かである。本質的な問題を直視しようとしない国は「愚者の楽園」と言うしかない。
昨年5月に書いた『場当たりポピュリズムの末路』というコラムで、私は「大震災の発生直後からの政治の対応にどうしようもない違和感を感じてきた。理解できない動きの連続に唖然としてきた。それを想定外の事が起きたからという言い訳で政権は切り抜けてきたが、とてもそれだけで納得できるものではない」と書いた。
その違和感の正体がここにある。この問題を報じたNHKによると、事務局を務めた原子力安全・保安院の担当者は「業務が忙しくて議事録を作成出来なかった」と釈明したという。国民をバカにするのにも程がある。そんなデタラメが通用すると思っているなら国民も随分なめられたものである。
会議でメモを作らない官僚など存在しない。どんな緊急事態でも、どんなに多忙でも、メモを作るのが官僚の仕事である。総理大臣以下全大臣が出席した「原子力災害対策本部」の会議は、いわば行政府の最高レベルの会議であるから記録がない筈はない。それを「議事録がない」事にしたのは「会議の内容を隠蔽したい」と言っているに等しい。
誰が記録を隠蔽しようとしているのか。政治家が官僚に隠蔽を命じたとすればその政治家はもはや国民の代表ではない。国民主権を裏切る側の代表である。それとも政治家の指示もないのに官僚が隠蔽しようとしたのなら官僚は国民の代表を無視した事になる。それも国民主権を裏切る行為である。日本は民主主義国でない事になる。
放射能予測装置「スピーディー」の情報が国民に公開されなかった問題でも菅総理、枝野官房長官らは「知らされなかった」と釈明した。一方で文部科学省の官僚は事故直後に米軍に「スピーディー」の情報を提供した事を認めた。政治家は本当に知らされなかったのか。日本の官僚は国民の代表ではなくアメリカの下で働いているのか。米軍は放射能から守られ、国民は放射能に汚染した。大問題なのに誰も追及しない。
以前『秘密会がない国会は異様だ』というコラムを書いた。他国では当然のように開かれる「秘密会」がわが国会では開かれない。政治に未熟な人間は「何でも透明にするのが民主主義だ」と言うが、国民を外国の勢力から守り、経済を円滑に運営するためには、機密情報を元に政治家同士が議論する必要がある。国民の利益のために「透明にできない」場合もあるのだ。
しかしメディアには公開しないが、機密保持を条件に与野党の議員、すなわち国民の代表には教えて議論するのが「秘密会」である。国民の代表に公開すれば隠蔽した事にはならない。ところがわが国では肝心な情報を官僚が独占し、国民の代表に教えないから「秘密会」も開かれない。霞が関の中だけで結論を決め、一部の政治家にだけ教えて国会を誘導する。だから総理大臣も情報を知らされない可能性がある。それを変えようとしたのが09年の政権交代だったが、全く変わっていない事がこの問題でも明らかである。
問題を沈静化させるためか、藤村官房長官は23日の記者会見で「議事録を作成する」と発言した。しかし録音があるのかどうかは明らかにされず、職員のメモを頼りに作成すると言う。それが実際の議論通りなのかを国民は判断する術がない。もはや政府に都合の良い議事録が作られると考えた方が良い。そうなると政府と国会と民間とに作られた事故調査委員会の調査はどうなるのか。気の抜けたビールのような気がしてきた。
そして忘れてならないのが原発事故の対応を中心的に行なったのは「原子力災害対策本部」ではなく、東京電力本社内に作られた「原発事故対策統合本部」である事だ。事故発生の4日後、菅内閣は法律に定められた「原子力災害対策本部」とは別にわざわざ任意の組織を作って事故対応に当った。その議事録が明らかにならなければ今回の原発事故の対応を検証する事は出来ない。
「フクシマ」を将来の国民を守るための教訓にするには、「統合本部」の議事録の公開は必須である。政府が公開を拒むなら野党が国会で追及すべきである。つまらぬ党利党略に凝り固まって国民に人気のない自民党にとって起死回生の攻撃ポイントになる。それが出来ないなら自民党は昔と変らぬ官僚下請け政党と看做され、政権交代など夢のまた夢になる。
沖縄返還交渉で佐藤栄作総理の「密使」を務めた故若泉敬氏は、アメリカとの外交交渉で核持込の密約を呑まされ、沖縄県民に贖罪の心を抱いていた。一方で沖縄返還後の日本が日米同盟に絡め取られていく様に絶望し、極秘交渉の経過を『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』という本に著した。密約の暴露は日本に衝撃を与える筈であった。ところが誰も騒がない。重大問題に鈍感な日本を若泉氏は「愚者の楽園」と呼んだ。今回の議事録問題は私にそれを想起させる。
B 無法検察 2012年2月 8日
小沢一郎氏の裁判を巡って、東京地裁から求められていた証拠の開示を東京地検が拒否している事が明らかになった。小沢弁護団の喜田村洋一弁護士は「公文書の照会には回答する義務があるはずで『無法検察』と言われても仕方がない」と批判している。
昨年12月に行なわれた公判で、石川知裕衆議院議員を取り調べた田代政弘検事は架空の捜査報告書を作成した事を認め、それが小沢氏を強制起訴した検察審査会の議決に影響した可能性が指摘されていた。そのため裁判所は検察審査会に送付した資料リストの開示を東京地検に求めたが、東京地検はこれを拒否したのである。
拒否の理由を検察幹部は「検察は訴訟の当事者でなく、裁判に影響を与える証拠を自ら開示できる立場にない」と述べたと報道されている。逃げの一手の屁理屈だが、そもそも検察官僚には国民の税金で養われているという意識がないらしい。民主主義国家では公務員が職務上作成した公文書を勝手に隠蔽する事は許されないのである。
こうした有様を見ていると日本の検察は民主主義とは無縁の所で育成されてきたのではないかという気がする。戦前の治安維持法を支えた思想検事が戦後も追放される事なく君臨した検察の体質は戦前から変わっていないのである。そして戦後最大の疑獄事件とされたロッキード事件で馬鹿メディアが「最強の捜査機関」などと賞賛したため、民主主義国家ではありえない異常な捜査手法が生き続けているのである。
これまで何度も引用してきたが、産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏が書いた「歪んだ正義」(情報出版センター)には検察幹部の興味深い言葉が色々と紹介されている。宮本氏は当初は「検察=正義」という考えに凝り固まっていたが、故金丸信氏が摘発の対象となった東京佐川急便事件で捜査に疑問を抱く。疑問を検察幹部にぶつけていくうちに杜撰な捜査の実態が浮かび上がってきた。
特捜部は捜査経過を上層部に報告する前にメディアを利用する手法を採っていると検察幹部が宮本氏に打ち明けた。「最初に政治家ありき」でまず「政治家=巨悪」のイメージを国民に植え付け、摘発する対象を悪いイメージにしたところで捜査に乗り出す。そして検察が描くストーリーに合わせて供述調書を作成する。都合の悪い調書は採用されず、都合の良い調書だけが採用される。
東京佐川急便事件では検察の思い込みとは異なり金丸氏を訴追する事が無理だと分かった。起訴しても裁判で有罪に出来ない。それどころか杜撰な捜査の実態が明るみに出てしまう。しかしメディアを利用して「金丸=巨悪」のイメージを作り上げた検察は振り上げた拳を下ろせない。
そこで検察は「恫喝」によって検察のストーリーを押し付ける事にした。略式起訴の罰金刑という軽微な処分を条件にして検察のストーリーに合った供述に差し替えるよう求めたのである。拒否すれば竹下派の政治家事務所を次々「家宅捜索」すると言って脅した。検察にとって「家宅捜索」はただの脅しで事件にする気はないのだが、「家宅捜索」された政治家の方は決定的に窮地に立たされる。そして検察と戦えば長期にわたり政治活動を制約される。
「検察と戦うべし」との小沢一郎氏の進言を退けて金丸氏は検察との取引に応じた。ところがメディアによって「金丸=巨悪」のイメージは定着してしまっている。軽微な処分に国民の怒りは爆発した。怒りは検察にも向かう。検察庁の建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちた。検察は何が何でも金丸氏を逮捕するしかなくなった。無記名の金融債を所有している事を掴んだ検察は金丸氏を脱税で逮捕するが、宮本氏はなぜ無記名の金融債を検察が知りえたのかに疑問を持つ。元検事から検察は永田町の権力闘争に利用されたと示唆される。そして「検察の堕落の原因はロッキード事件にある」と宮本氏は検察幹部から言われるのである。
ロッキード事件で検察が描いたストーリーは、ハワイでの日米首脳会談でニクソン大統領からトライスターの購入を要請された田中角栄総理が、丸紅の檜山広社長から「請託」を受け、全日空の機種選定に影響力を及ぼし、見返りに5億円の賄賂を受け取ったというものである。しかし様々なジャーナリストの取材によって日米首脳会談でトライスターの話などなかった事が明らかになっている。
また全日空は田中総理の働きかけなどなくともトライスター導入に傾いていた事を航空業界に詳しい記者から宮本氏は教えられる。田中角栄氏は丸紅からの「請託」を一貫して否認したが、丸紅の檜山社長は取り調べで「請託」を認めた供述調書を、裁判では「検事から恫喝され、あきらめて署名した」と証言した。
丸紅が田中角栄氏に5億円を提供したのは全日空がトライスター導入を決めてから10ヶ月も経った後で、受け渡しの場所は英国大使館裏の路上など不自然な場所である。宮本氏はロッキード事件を見直しながら、本当に丸紅から田中角栄氏にロッキード社からの賄賂が渡されていたのかに疑問を持つ。宮本氏は事件を担当した検事に疑問をぶつける。すると「ロッキード事件は奥が深いんだ」、「ロッキード事件の追及は検察に対する挑戦になる」と言われる。「ロッキード事件の真相を追及するのはやめろ」と言う訳だ。
そして1993年、田中角栄氏が死亡すると、宮本氏は最高検の幹部から「誰も田中の判決を書きたくなかった。これで最高裁もほっとしただろう」という言葉を聞く。最高裁は田中の死後、検察のストーリーの拠り所となったロッキード社幹部への「嘱託尋問調書」の証拠能力を否定する判決を下した。メディアが東京地検を「最強の捜査機関」と持ち上げたロッキード事件は、事件後17年を経て最大の証拠を否定されたのである。
ところがロッキード事件は国民を「政治とカネ」のマインドコントロールにかけ、国会は国民生活に関わる議論より「政治とカネ」のスキャンダル追及に血道を上げるようになった。国民は国民の代表を「巨悪」と思い込まされ、政治資金規正法を厳しくする事で政治家は政治活動を自ら制約するようになった。情報は専ら霞が関の官僚頼みとなり、情報によって政治家は官僚に支配される。先進民主主義国には見られない政治の構図が続いてきた。
メディアを利用して「政治家=巨悪」のイメージを植え付け、ストーリーに合った供述だけを証拠とし、合わない証拠は隠滅し、また恫喝によって証拠を作り上げる検察の捜査手法は、検察幹部によれば、ロッキード事件をメディアが賞賛したため誰もが問題にすることなく続けられてきたのである。それが「無法検察」を野放しにしてきた。いま国民の目の前にあるのはそうした現実である。国民主権の国を作ろうとするのならこの現実をしっかり直視すべきである。