折々の記へ

折々の記 2012 B

【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】03/05〜     【 02 】03/05〜     【 03 】03/09〜
【 04 】03/11〜     【 05 】03/13〜     【 06 】03/14〜
【 07 】03/17〜     【 08 】03/18〜     【 09 】03/21〜

【 05 】03/13

  03 13 葉隠原文Web

 03 13 (火) 葉隠原文Web

■「小説 山本常朝」の中で著者の童門冬二は、14頁でこう述べています。

「武士道とは死ぬこととみつけたり」という一文だけが強調された。 そのため、「『葉隠』は、日本の武士道精神の神髄である」といわれ、戦争中はとくにこの面が強調された。

しかし『葉隠』は必ずしもそういう本ではない。 むしろ、武士の日常の心構えを説いたものである。 とくにこの本で強調しているのは、
「主人に対する忠をはじめ、人間のまごころは、やたらに口に出して吹聴するものではない。 ちょうど、男女の仲でも本当の恋は、自分の胸にジッと秘めて相手にも告げないほど忍ぶことが大切だ。 主人に対する忠も、自分は忠だ、このようにあなたに尽くしていますなどということを、決して口に出すべきではない。 秘めた恋のように、胸のうちに秘めて尽くし抜いてこそ、本当の忠といえるのだ」

ということが主題になっている。
■ A 続いて葉隠の概要このサイトを開いてつかんでおくとよいでしょう。

   B そして葉隠の基本データとして『葉隠原文Web』に従うとよいでしょう。


此の始終十一巻、追て火中すべし。 世上の批判、諸士の邪正推量風俗等まで、只自分の後學に覺居り候とて、話のまゝに書附け候へば、他見の末々にては遺恨悪事も出づべく候間、堅く火中仕るべき由、御申し候也。
   C それで次に順に、@目次、A田代陣基によるはしがき、B「総論」を開いて見ていくことにします。

@ 葉隠原文Web > 玄関 > 目次
   http://hagakureweb.p2.bindsite.jp/cn3/home.html

漫草     田代陣基によるはしがき
夜陰の閑談  総論
聞書第一   教訓
聞書第二   教訓
聞書第三   佐賀藩 藩祖鍋島直茂の言行
聞書第四   佐賀藩 第一代藩主 鍋島勝茂並嫡子忠直の言行
聞書第五   佐賀藩 第二代 鍋島光茂 第三代 綱重の年譜現行 姫方の言行
聞書第六   佐賀藩士の言行並史蹟傅説
聞書第七   佐賀藩士の言行並史蹟傅説
聞書第八   佐賀藩士の言行並史蹟傅説
聞書第九   佐賀藩士の言行並史蹟傅説

A 葉隠原文Web > 玄関 > 目次 > 漫草
   http://hagakureweb.p2.bindsite.jp/cn3/pg16.html

漫草 (田代陣基によるはしがき)

 いにしへ、義を取りて死に殉(シタガ)ふ事、情に感じて志のせむれば也。 今、なんぞ、是を禁(ヤ)めて操をくじけるや。 夫れ、義士は國の幹也。 世々、これを失はゞ嗣君何にかよらん。 さぐさまぬ世に、しばし、君をたすけたらんは、三世の義士ならん。 これ、その禁むる所にして、ながく、此の事のとゞまれりし所也。 こゝに又、禁をとれば志みたず。 とらざれば、禁に害す。 両端に一つの道を行き、たゞ、そのほどの身を、方袍圓頂にまかせて、在るともなく、なきにはあらぬ影法師、わけ入る跡は雲うづみ、千丈雪を凌ぎて、松寒き夢、さむる間のかりねの庵、かばかりにかまへしは誰ぞや。 常朝居士也。 居士は此の道の人にて、いとゞたふとぞ覺えける。 岩がねつたひ、小笹わけて、尋ねまうでのぼしりは、彌生のはじめつかた也。

  しら雲や只今花にたづね合い

とふ人もなく、浮世を去る事もろこしの吉野とも覺えぬると、發句などもありし。四時の行きかひも物にたぐへて、しるしのみとぞ。

  世は花かこのごろおもき筧也

所しづかなれば身閑也。身より心のしづかなるにぞ松樹謹花のさかひも、思ひつづけ侍る也。

  濡れてほす間に落ちたる椿かな

      可々

松盟軒主

此の始終十一巻、追て火中すべし。世上の批判、諸士の邪正推量風俗等まで、只自分の後學に覺居り候とて、話のまゝに書附け候へば、他見の末々にては遺恨悪事も出づべく候間、堅く火中仕るべき由、御申し候也。

B 葉隠原文Web > 玄関 > 目次 > 夜陰の閑談
   http://hagakureweb.p2.bindsite.jp/cn3/pg19.html

  寶永七年三月五日初めて参會

   浮世から何里あらうか山櫻  古丸
   白雲や唯今花に尋ね合ひ  期醉

 御家来としては、國學心懸くべき事也。今時、國學目落しに相成り候。大意は御家の根元を落着け、御先祖様方の御苦勞 御慈悲を以て御長久の事を本づけ申すために候。剛忠様御仁心 御武勇、利叟様の御善根 御信心にて、隆信様日峯様御出現、其の御威力にて御家御長久、今が世迄、無雙の御家にて候。今時の衆、斯様の義は唱へ失ひ、餘所の佛を尊ひ候事、我等は一圓落着き申さず候。釋迦も孔子も楠木も信玄も、終に龍造寺 鍋島に被官懸けられ候儀これなく候へば、富家の家風に叶ひ申さゞる事に候。如睦甲冑共に御先祖様を崇め奉り、御指南を學び候て、上下共に、相済み申す事に候。其の道々にては、其の家々の本尊をこそ尊び申し候へ。御被官ならば、餘所の學問無用に候。國學得心の上にては、餘の道も慰みに承るべき事に候。よくよく了簡仕り候へば、國學にて不足の事、一事もこれなく候。今他方の衆より龍造寺 鍋島の根元、又龍造寺の領事が鍋島領地になり候謂はれ、また「龍造寺 鍋島は九州にての槍突きと承り候が、如何程の武功に候や。」などと尋ねられ候時、國學知らざる衆、一言の答えも成るまじく候。

 [日峯・泰盛院、功績の件]さて又、面々家職勤むるより外、これなき事に候。多分家職は不好にて他職を面白がり、取違え、散々仕損じ申す事に候。家職務めのよき手本は、日峯様泰盛院様にて候。其の時代の御被官は、皆家職を勤め申し候。上より御用に立つ者御探促、下よりは御用に立ちたがり、上下の志行渡り、御家黒み申したる事に候。日峯さま御辛労申上ぐべき様これなく候。血みどろに御成り、御切腹の御覺悟も度々に候へども、御運にて、御家御踏留めなされ候。泰盛院様も、御切腹の場にも御逢ひ、初めて國守にならせられ、弓箭の御働き御家中の御支配御國の御政道所々の要害雑務方の御仕組等迄、御自身様御苦労、佛神に御信心なされ、「日峯様御取立の御家を、大方に思ひては、不當介の事に候。子々孫々迄、何卒御家が家に長久候様にせでは叶わざる事に候。泰平に候へば、次第に華麗の世間に成り行き、弓箭の道は不覺悟にして、奢り出来、失墜多く、上下困窮し、内外共に恥をかき、家をも堀り崩し申すべく候。家中の者共老人は死に失せ、若き者共は時代の風ばかりを學び申すべく候。せめて、末が末まで残り候様に、書き物にて家の譲り渡し置き候はゞ、それを見候てなりとも、覺え附き申すべく候。」と仰せられ、御一生、反故の内に御座なされて、御仕立てなされ候。御秘事は相知らざる事に候へども、古老の衆語り傳へ候は、カチクチと申す御軍法、御代々御代替りに、面授口訣にて御傳え遊ばさるゝの由に候。御譲御掛硯には、視聴覺知抄・先考三以記と申す御書物、これも御家督のとき、御直にお渡し遊ばるゝ由に候。さて又、御家中御仕置、御國内端々迄の御仕組、公儀方雑務方一切萬事の御仕置、鳥の子御帳に御書き記し、諸役々の御掟帳御手頭迄明細に遊ばされ候。此の御苦労限りもなき御事に候。其の御勲功を以って御家御長久、めでたき御事に候。

 されば、憚りながら御上にも、日峯様泰盛院様の御苦労を思召し知られ、せめて御譲りの御書き物なりとも御熟覧候て、御落着き遊ばされ度き事に候。御出生候へば、若殿々々とひようすかし立て候に付いて御苦労な去る事これなく、國學御存じなく、我が儘の好きの事ばかりにて、御家職方大方に候故、近年新儀多く、手薄く相成り申す事に候。斯様の時節に、小利口なる者共が、何の味も知らず、智慧自慢をして新儀を工み出し、殿の御氣に入り、出頭して悉くしくさらかし申し候。まづ申さば、御三人の不熟 着座作り 他方者抱 手明槍者頭組替屋敷替 御親類並家老作り 御ひがし解除け 御掟帳仕替獨禮作り 西御屋敷取立足軽組まぜちらかし 御道具仕舞物 西御屋敷解崩しなど、皆御代初めにて何事がなと、新儀工みの仕そこないにて候。さりながら、御先祖様御仕組手堅く候故、大本は動き申さず候。不調法なることにても、日峯様 泰盛院様の御仕置御指南、上にも下にも守り候時は、諸人落着き、手強く物静かに治まり申す事に候。

 さて又、御代々の殿様に悪人これなく、鈍智これなく、日本の大名に二三とさがらせらるゝは終にこれなく、不思議の御家、御先祖様御信心の御加護たるべく候。又御國の者、他方に差出だされず、他方の者召入れられず、浪人仰付けられ候ても、御國内に召置かれ、切腹仰付けられ候者の子孫も御國内に召置かれ、主従の契り深き御家に、不思議にも生まれ出で、御被官は申すに及ばず、百姓町人、御譜代相傳の御深恩、申し盡くさざる事どもに候。斯様の儀を存じ當り、御恩報じに、何卒まかり立つべくとの御覺悟に胸を極め、御懇に召使はるゝ時は、いよいよ私なく奉公仕り浪人切腹仰付けられ候も、一つの御奉公と存じ、山の奥よりも土の下よりも生々世々、御家を歎き奉る心入、是鍋島侍の覺悟の初門、我等が骨髄にて候。今の拙者に似合わざることにへども、成佛などは嘗て願い申さず候。七生迄も鍋島侍に生れ出で、國を治め申すべき覺悟、膽に染み罷在るまでに候。氣力も器量も入らず候。一口に申さば、御家も一人して荷い申す志出来申す迄に候。同じ人間が誰に劣り申すべきや總じて修行は、大高慢にてなれば役に立たず候。我一人して御家を動かさぬとかゝらねば、修行は物に成らざる也。

 又、薬罐道心にて、さめ易き事あり。それは、さめぬ仕様あり。我等が一流の誓願、

 一、武士道に於いて遅れ取り申すまじき事。
 一、主君の御用に立つべき事。
 一、親に孝行仕るべき事。
 一、大慈悲を起こし人の爲になるべき事。

 此の四誓願を、毎朝、佛神に念じ候へば、二人力になりて後へはしざらぬもの也。尺取蟲の様に、少しづゝ先へ、にじり申すものに候。佛神も、先づ誓願を起し給ふ也。

■ 葉隠原文Web > 玄関 > 目次 > 聞書第一
   http://hagakureweb.p2.bindsite.jp/cn3/cn5/pg18.html
 〇〇〇一 武士道の大意を言下に答へ得る人は少ない、油断千萬の事
      武士たる者は、武道を心掛くべきこと珍しからずといへども、皆人油断と見えたり。その仔細は「武
      得候や。」と問掛けたる時、言下に答ふる人稀也。かねがね胸に落着き道の大意は何と御心なきゆえ
      ゑ也。さては、武道不心掛の事知られたり。油断千萬の事也。

 〇〇〇二 武士道は死ぬ事、毎朝毎夕常住死身になれ、家職を仕果す
      武士道といふは、死ぬ事と見附けたり。二つ二つの場にて、早く死ぬ方に片附くばかり也。別に仔細
      なし。胸据わって進む也。圖に當たらぬは犬死などといふ事は、上方風の打上がりたる武道なるべし。
      二つ二つの場にて圖に當たるやうにする事は及ばざる事也。我人、生くる方が好き也。多分好きの方
      に理が附くべし。若し圖にはづれて生きたらば腰抜け也。この境危うき也。圖にはづれて死にたらば、
      犬死氣違也。恥にあらず。これが武道に丈夫也。毎朝毎夕、改めては死に、常住死身なりて居る時は、
      武道に自由を得、一生落度無く、家職を仕果すべき也。

 〇〇〇三 不調法でも、只管主人を歎く志さへあれば御ョみ切りの被官
      奉公人は一向に主人を大切に歎くまで也。これ最上の被官也。御當家御代々、名誉の御家中に生まれ
      出で、先祖代々御厚恩の儀を浅からぬ事に存じ奉り、心身を擲ち、一向に歎き奉るばかり也。此の上
      に智慧 藝能もありて相應相應の御用に立つは猶幸也。何の御用にも立たず、不調法千萬の者もひた
      すらに歎き奉る志さへあれば、御ョみ切りの御被官なり智慧藝能ばかりを以って御用に立つは下段也。

 〇〇〇四 胸に四誓願を押立て、私を除いて工夫すれば外れはない
      生附きによりて、即座に智慧の出づる人もあり、退ひて枕をわりて案じ出す人もあり。この本を極め
      て見るに、生附の高下はあれど、四誓願に押當て、私なく案ずる時、不思議の智慧も出づる也。皆人
      物を深く案ずれば、遠き事も案じ出す様に思へども、私を根にして案じ廻らし、皆邪智の働きにて悪
      事となる事のみ也。愚人の習ひ、私なくなること成りがたし。さりながら、事に臨んで先づ其の事を
      差置き、胸に四誓願を押立て、私を除きて工夫をいたさば大はづれあるべからず。

 〇〇〇五 我が智慧計りでは失敗する、叶わぬ時は智慧ある人に談合せよ
      我が智慧の一分の智慧計りにて萬事をなす故、私と成り天道に背き、悪事となる也。脇より見たる所
      きたなく、手よわく、せまく、はたらかざる也。眞の智慧に叶ひ難き時は、智慧ある人に談合するが
      よし。その人は、我が上にてこれなき故、私なく有體の智慧にて了簡する時、道に叶ふもの也。脇よ
      り見る時、根づよく確かに見ゆる也。たとへば大木の根多きが如し。一人の智慧は突つ立ちたる木の
      如し。

 〇〇〇六 古人の金言仕業を覺ゆるも我を立てぬ爲、よく人に談合せよ
 〇〇〇七 相良求馬は御主人と一味同心に勤めたる者、一人當千の士
 〇〇〇八 石田一鼎の慧眼、相良求馬外何某の末路を言い當つ
 〇〇〇九 一人當千となるには善悪共に主人と一味同心する事
 〇〇一〇 道具仕舞物の取合ひは見苦し、鼻の先許りの奉公
 〇〇一一 山崎蔵人は一生仕舞物を取らず、これが奉公人の嗜
 〇〇一二 我が身を擲ちさへすればすむ、今はすくたれ腰抜慾深ばかり
 〇〇一三 御返進物火中物等の整理、並びに指南一通口達の條々
 〇〇一四 人に意見をし、諸人一味同心に主君の御用に立つが大慈悲
 〇〇一五 浪人しても上を怨むな、我が非を知らねば歸參出來ぬ
 〇〇一六 山本常朝若年の頃、澤邊平左衛門を介錯して褒めらる
 〇〇一七 人中で欠伸やくさめをするのは不嗜、出たら知れぬ様にせよ
 〇〇一八 客に行かばよき客振り、飽かれもぜず早くも歸らぬように

 〇〇一九 四誓願の琢き上げ、武士道 忠 孝 人の爲の本義を會得せよ
      四誓願の琢き上げは、武士道に於いて後れを取るべからず、これも武勇を天下にあらはすべき事と覺
      悟すべし。此の事愚見集に委し。主君の御用に立つべし、これを家老の座に直りて諌言し、國を治む
      べき事と思ふべし。此の事愚見集に委し。孝は忠に附く也。同じ物也。人の爲になるべき事、これを
      あらゆる人を御用に立つ者に仕なすべしと心得べし。

 〇〇二〇 その人の恥にならぬ様に、その場をよき様にするのが侍の仕事
 〇〇二一 前方に極め置くが覺くの士、穿鑿せぬは不覺の士
 〇〇二二 近年は浪人切腹の跡も行捨てたり、國學も忘れられ勝ち
 〇〇二三 酒は公界物、打上がり綺麗にしてこそ酒、酒に人の心も見える
 〇〇二四 少々は見のがし聞きのがしある故に下々は安穩である
 〇〇二五 心安い人も慇懃に取合ふが侍の作法、恥しむるは作法でない
 〇〇二六 損さへすれば相手はない、堪忍してもひけにはならぬ
 〇〇二七 石井又右衛門の器量、馬鹿になつても本心を違へず
 〇〇二八 當番御目付山本五郎左衛門抜刀して火事場の門を開けさす
 〇〇二九 事にあぐまぬが武士、字は紙一ぱいに一字、書き破ると思うて書け
 〇〇三〇 若殿様の草紙讀み、「聞き手がすくなくなれば讀みにくい」
 〇〇三一 毎朝拜の仕様は先づ主君 親、それより氏神 守佛とせよ
 〇〇三二 氣前を見せ伊達する心でないと、時宜に叶はぬ事がある
 〇〇三三 金立山の雨乞神事浮立に不吉の喧嘩で權現の御祟り
 〇〇三四 微細に事々を知つた上で打任せると萬事能く治る
 〇〇三五 生きながら幽靈となつて二六時中主君を守り國家を固めよ
 〇〇三六 名醫松隈享庵の眼療治、男の脈と女の脈との取替へ
 〇〇三七 山本常朝出家後の述懐「よくもばけ濟ましたもの」
 〇〇三八 禁酒は酒癖が悪いかと思はれる、二三度すてゝ見せるが良い
 〇〇三九 無念即正念、道は一つ、純一になる事は功を積まねば出來ぬ
 〇〇四〇 今時の利口者は智慧で紛らかす、純なる者は素直である
 〇〇四一 人は得意な方に老耄するもの、老人は他出せぬがよい
 〇〇四二 まぼろしの世の中、世界は皆からくり人形である
 〇〇四三 不分際の諫言は却つて不忠、其の人の思附にして言はせよ
 〇〇四四 碁にも脇目八目、道に達するには念々知非、人に談合する事
 〇〇四五 劍道修行に果てはない、昨日よりは今日と一生日々仕上ぐる事
 〇〇四六 直茂公壁書 大事の思案は輕く とは平素思案を定め置く事
 〇〇四七 道とは我が非を知る事、念々に非を知つて一生打置かざる事
 〇〇四八 曲者志田吉之助の戯れ、 生きたまがし を聞き誤るな
 〇〇四九 上方言葉は無興千萬、御國では田舎風の初心が重寶
 〇〇五〇 誤ある者を捨てるな、誤の一度もない者は却つて危い
 〇〇五一 中野數馬、科人詮議の時相當の罪科より一段づゝ輕く申し出づ
 〇〇五二 主君の御誤を直すが大忠節、若年の時の御守が大事
 〇〇五三 柳生流の抜出しを見習ふに及ばぬ、鍋島の刀は落差
 〇〇五四 鍋島光茂 綱茂父子元旦の御目見に、小姓不覺の一言
 〇〇五五 打返しは踏懸けて切殺さるゝ迄、赤穂義士の敵討ちは延び延び
 〇〇五六 逼迫にさへあれば疵は附かぬ、富貴になりたがるが心が疵
 〇〇五七 人前で高言を吐くな、「侍たる者は先づ禮儀正しきこそ美しきけれ」
 〇〇五八 忠孝に背きたる者は置所なし、親の氣に入る様にと氏神に祈れ
 〇〇五九 一家を立つるな、常に我が非を知つて修行する所に道はある
 〇〇六〇 山本神右衛門のヘ訓「一方見れば八方見る」其他の條々
 〇〇六一 活きた面は正念のとき、萬事をなす内に胸に一つ出來る物がある
 〇〇六二 寄親組子は親子同然、寄親を離れては出世も思はぬ
 〇〇六三 武士の身嗜は伊達や風流の爲でなく、常住討死の覺悟から
 〇〇六四 石田一鼎の教訓「人のよき事計りを選び立てゝ手本にせよ」
 〇〇六五 大事の手紙書附は途中も手に握つて行き、直ぐに渡せ
 〇〇六六 二六時中主君の午前に居ると思へ、休息の間もうかうかするな
 〇〇六七 堪忍が第一、但しこゞぞと思ふ時は手早くたるみなき様に
 〇〇六八 酒は先づ我が分量を覺え飲過ぎぬ様に、酒座では氣を抜かすな
 〇〇六九 身の分際に過ぎた事をする者は、遂には逃亡もする
 〇〇七〇 骨を折つて藝者になるのは惜しい、多能なる者は下劣に見える
 〇〇七一 役を仰付けられても慢心するな、浮氣でゐると仕損じがある
 〇〇七二 學問には過失が出來る、一行ひを見ても我が非を知る爲にせよ
 〇〇七三 武士は何時も勇み進みて物に勝ち浮ぶ心がないと用に立たぬ
 〇〇七四 壱岐國より還幸の時、後醍醐天皇の勅諚と楠木正成の奉答
 〇〇七五 駈落者追手氣轉の挨拶「朋輩を待ち兼ね麁相仕り候」
 〇〇七六 大詮議の時頭取を討果すべき覺悟で、其の理由を表明す
 〇〇七七 役所などでは取込みの時ほど静かにするのが侍の作法
 〇〇七八 貰ひ物も度重なれば無心になる、人に用をいはぬがよい
 〇〇七九 俄雨も初から思ひはまつて濡れる心に苦しみがない
 〇〇八〇 萬づの藝能も武道奉公の爲にすれば用に立つ、藝好きになるな
 〇〇八一 内で廣言を吐きながら事に臨んで違背する者が多い
 〇〇八二 弟子を取りたければ毎日竹刀を手馴らす事一時三昧
 〇〇八三 武士は平生にも人に乗越えたる心でなくてはならぬ
 〇〇八四 取手は下になると負けるはじめに勝つが始終の勝ち
 〇〇八五 子の育て様、幼な子はだまさず怖氣附かせず強く叱らずに
 〇〇八六 人に會はゞ片時も氣の脱けぬ様に、平生の覺悟が大事
 〇〇八七 無實の切腹仰付けられても、一人勇み進むこそ御譜代の家來
 〇〇八八 藝ある者は鍋島侍ではない、藝能の害を知れば諸藝も用に立つ
 〇〇八九 風體は鏡を見て直せ、口上の稽古は家庭の物言、手紙は案文
 〇〇九〇 過つて改むるに憚るなかれ、猶豫なく改むれば誤忽ち滅す
 〇〇九一 手跡も堅くならぬやうに、此の上に格を離れた姿がある
 〇〇九二 奉公人の打留は浪人か切腹に極りたると覺悟せよ
 〇〇九三 役儀を危ぶむ者はすくたれ、身に備えれば仕損ずる事もある
 〇〇九四 人の病気や難儀の時大方にする者は腰抜、不仕合せには一層親切に
 〇〇九五 盛衰は天然の事、善悪は人の道、されど教訓は此の外
 〇〇九六 山本前~右衛門、不行跡の召使をも歳暮まで暇を出さずに使ふ
 〇〇九七 鍋島次郎右衛門切腹に四段の意見、先ず外聞が第一
 〇〇九八 侍の一言金鐵よりも堅い、と諸岡彦右衛門、主君に~文を拒む
 〇〇九九 中野將監切腹介錯の時、御目付石井三郎太夫見事の仕儀
 〇一〇〇 山村造酒切腹一通りの事、預り物御改 番付其の外
 〇一〇一 お抱者には心得が要る、御譜代の者は主君の御爲を思ふ
 〇一〇二 何事にも願ひさへすれば願ひ出すもの、松茸も檜も願力
 〇一〇三 人相を見るは大將の専要、正成湊川一巻の書は眼ばかり
 〇一〇四 物に迷ふな、天變地異に迷ふ心から自然悪事も出來て來る
 〇一〇五 張良と黄石公、源義經の故事も兵法一流を創めるため
 〇一〇六 御仕組二番立には不承服、それが不届なら切腹も幸
 〇一〇七 山本常朝、利發の顔附を直す爲一年間引籠り、常に鏡を見て直す
 〇一〇八 火急の場合に分別の仕様は四請願に押當てゝ見ること
 〇一〇九 目付役は上に目を付けよ、下々の悪事摘發は却つて害になる
 〇一一〇 諌言は外に知れぬ様に、主人の非を顯す諫言はわるい
 〇一一一 勘定者はすくたるゝもの、死ぬ事を好かぬ故すくたるゝもの
 〇一一二 追腹御停止は残念、御慈悲過ぎては奉公人の爲にならぬ
 〇一一三 武士道は死狂ひ、分別が出來ると早後れる、忠孝も此の内
 〇一一四 志田吉之介が言葉の裏「残らぬ場なら生きたががまし」
 〇一一五 大難大變に逢うて動轉せぬはいまだし、歡喜踊躍して勇み進め
 〇一一六 名人も人我も人、何しに劣るべきかと打向へば道に入る
 〇一一七 武士は後れになることを嫌へ、假初にも臆病な事をいふな
 〇一一八 何より一言が大事、かねての物言で人の心が知られる
 〇一一九 内外膝を崩さず、物言はねばならぬ事は十言を一言で濟ます
 〇一二〇 何ぞ人が人に劣るべきや、病死も二三日はこたへる
 〇一二一 分別も久しくすればねまる、武士は七息に分別せよ
 〇一二二 何の能があつても人の好かぬ者は役に立たぬ、人に好かれよ
 〇一二三 諸人と懇意にするは諫言の階、我が爲にするのは追従
 〇一二四 善き被官を仕立つるが忠節、人を以て御用に立つるは本望
 〇一二五 一家一族の不仲は欲心から、主従仲悪しき事のないが證據
 〇一二六 若い内の立身は効がない、五十位からしあげたがよい
 〇一二七 七度浪人せねば誠の奉公人ではない、人は起上り人形の様に
 〇一二八 蝮蛇は七度焼いても本體に返る、我は七生迄も御家の士に
 〇一二九 志ある侍は諸朋輩と懇意にする、それは自然の時一働きする爲
 〇一三〇 部下には平生にも言葉をよくして勵ませ、兎角一言が大事
 〇一三一 一飯を分けて下人に食はすれば人は持たるゝもの
 〇一三二 曲者は頼もしきもの、人の落目や難儀の時、頼もしするのが曲者
 〇一三三 歸参者の心構へ、見ず言はず動かずの心据わりが肝要
 〇一三四 諷刺は災いの基、口を嗜む者は用ひられ刑戮をも免かる
 〇一三五 ~文には深き秘事がある
 〇一三六 中野數馬、七度家臣の助命を諫言して終に聞入らるゝ
 〇一三七 我が上を人にいはせて意見を聞くのは人に超越する所以
 〇一三八 純一無雜、まじり物があつては道でない、奉公武邊一片になれ
 〇一三九 物が二つになるのが悪い、武士道一つで他に求むるな
 〇一四〇 歌の讀方は續けからテニハが大事、不斷の物言に氣を附けよ
 〇一四一 「この一言が心の花」當座の一言で武勇顯る、治世の勇も詞
 〇一四二 假にも弱氣はいはぬと覺悟せよ、假初事にも心の奥が見える
 〇一四三 何事も成らぬ事はない、一念起こると天地をも思ひほがす
 〇一四四 「禮に腰折れず恐惶に筆つひえず」別隔てなく禮々しきがよい
 〇一四五 「内は犬の皮、外は虎の皮」士は外目を嗜み内に始末せよ
 〇一四六 藝能は上手な人は只一偏に貧著する爲で何の役にも立たぬ
 〇一四七 人に意見を頼み、我が非を知つて道を探促する者は御國の寶
 〇一四八 四十より内は強く、五十になる頃からおとなしいのがよい
 〇一四九 取合ひ話は夫れ相應がよい、善い事も不相應な話は興が無い
 〇一五〇 御前近き忠義の出頭人には親しくせよ、何事も皆主人の御爲
 〇一五一 人の意見は深く請入れ、云ひやすい様にして意見させよ
 〇一五二 諫言の意見の仕様は和の道、熟談でなければ用に立たぬ
 〇一五三 教訓に従う人は稀、道を知つた人には馴れ近づいて教訓を受けよ
 〇一五四 名利薄き士は多分似面非者、高慢して今日の用にはたたぬ
 〇一五五 大器は晩成、奉公も急ぐ心があると輕薄になつて後指さゝれる
 〇一五六 役を手に入れ、毎日主君の御前と思うて大切に勤めよ
 〇一五七 氣に食わぬとて役を斷るは逆心同然、理非に構はず畏まるべし
 〇一五八 楠正成兵庫記に曰く「謀略にも降參はせぬもの」
 〇一五九 奉公人は唯奉公に好きたるがよし、心ならず仕損ずるは戰死同然
 〇一六〇 役儀を見立て好みして我が爲に勤むる者は滅亡する
 〇一六一 常に武勇の人に乗越えんと心掛け、何某に劣るまじと思へ
 〇一六二 戰場では人に先を越させるな、死骸は敵に向くやうに
 〇一六三 諸人一和、自然の時の事を思ひ出會ふ度毎によく會釋せよ
 〇一六四 人より一段立上りて見よ、志深き者は欺さるゝが嬉しきもの
 〇一六五 利發で萬事を押附ける、根本を見届ける力の人がない
 〇一六六 老耄は得方にするもの、山本常朝殿様十三年忌限りに禁足
 〇一六七 爲になる話を聞く人がない、一ぱいに話すと囘される
 〇一六八 新義には悪事が出來る、巧者の衆は悪事の基
 〇一六九 枝葉の事が結句大事、少しの事にも振りの善悪がある
 〇一七〇 四十にして惑わずとは孔子ばかりでない、賢愚共に功が入る
 〇一七一 敵を討取つたよりも、主君の爲に死んだが手柄、佐藤繼信が手本
 〇一七二 一日の事を案じて見れば云ひ損ひ仕損ひの無い日は無い
 〇一七三 書物を讀むには腹で讀むがよい、音讀すると聲が續かぬ
 〇一七四 順境には自慢と奢りが危險、よき時に進む者は悪しき時草臥れる
 〇一七五 忠臣は孝子の門に尋ねよ、孝行に縁oす人は稀である
 〇一七六 物を書くにも紙と筆と思ひ合ふ様に、はなればなれになるな
 〇一七七 殿様の文庫から書物を出す時に、蓋を明けると丁子の香
 〇一七八 君父の御爲又諸人子孫の爲にするが大慈悲、慈悲は智勇の本
 〇一七九 奉公人の利發なのはのだゝぬ、けれどもふうけよりはまし
 〇一八〇 修道の情も一生一人、武人は二道せずに武道に勵め
 〇一八一 衆道の心得は「好いて好かぬもの」、命は主君に奉るもの
 〇一八二 御小姓中島山三、百式次郎兵衛方に駆込み心底を見て契る
 〇一八三 石田一鼎曰く、「善き事とは一口にいへば苦痛をこらふる事」
 〇一八四 大人は詞すくなきもの、日門様返言は只「丹後守へよき様に」
 〇一八五 四十迄は強みが第一、過ぎても強みなければ響きがない
 〇一八六 中野數馬、組衆病氣の時は御城よりの歸途毎日これを見舞ふ
 〇一八七 旅先から細々と手紙、この心入れが人より上のところ
 〇一八八 武士の意地は過ぐる程に、仕過すと思へば迦れがない
 〇一八九 時機を逸するとだるみが出來る、武道は率忽に無二無三に
 〇一九〇 十三から六十までは出陣、それ故古人は年を隠した
 〇一九一 側近者の様子で主君が知れる、諫言は即時、落魄者を憐め
 〇一九二 清廉も眞の志からせねば初心に見える、踏張れば名を取る
 〇一九三 大事には身を捨てゝ懸れ、よく仕ようと思へば仕損ずる
 〇一九四 殿様を大拙に思ふ事は、我に續くものはあるまい
 〇一九五 奉公は好き過ぎて過有るが本望、忠の義のと理窟は入らぬ
 〇一九六 先祖の善悪は子孫の請取人次第、悪事をも善くなすが孝行
 〇一九七 縁組に金銀沙汰は浅ましい、理を附けては道は立たぬ
 〇一九八 科人は不憫な者、亡き後には少しなりともよき様に云ひなせ
 〇一九九 御用に立ち度いといふ眞實さへ強ければ不調法者程がよい
 〇二〇〇 仕合せよき時の用心は自慢と奢り、常一倍に用心せよ
 〇二〇一 兼々寄親に入魂せよ、身體一つで駈出しさへすれば濟む
 〇二〇二 知れぬ事は知れぬまゝに、たやすく知れるのは浅い事
                                                                      聞書第一 完
■ 玄関 > 目次 > 聞書第二
   http://hagakureweb.p2.bindsite.jp/cn3/cn6/pg20001.html
 〇〇〇一 苦勞を見た者でないと根性が据わらぬ、若い中に苦勞せよ
      「奉公人の禁物は、何事にて候はんや。」と尋ね候へば、大酒 自慢 奢りなるべし。不仕合せの時は
      氣遣ひなし。ちと仕合せよき時分、此の三箇絛あぶなきもの也。人の上を見給へ、やがて乗氣さし、
      自慢 奢りが附きて散々見苦しく候。それゆゑ、人は苦を見たるものならでは根性すわらず、若き中
      には随分不仕合せなるがよし。不仕合せの時草臥るゝ者は、uに立たざる也と。

 〇〇〇二 組討やはら角藏流、端的當用に立つのが流儀、戀は忍戀
      「角藏流とは如何様の心に候や。」と申し候へば、鍋島喜雲草履取角藏と申す者、力量の者に候故、
      喜雲劍術者にて取手一流仕立て、角藏流と名附け、方々指南致し、今に手形残り居り申し候。組討や
      はらなどと申し、打上りたる流にてはこれなく候。我等が流儀も其の如く上びたる事は知らず、げす
      流にて草履取角藏が取手の様に、端的の當用に立ち申す故、此の前から我等が角藏流と申し候。又こ
      の前、寄合ひ申す衆へ話し申し候は、戀の至極は忍戀と見立て候。逢うてからは戀のたけが低し。
      一生忍んで思死にする事こそ戀の本意なれ。歌に‘戀死なむ後の煙にそれと知れ終にもらさぬ中の思
      ひを’是こそ長高き戀なれと申し候へば、感心の衆四五人ありて、煙仲間と申され候。

 〇〇〇三 多久美作、嫡子長門を慕はする爲、熊と無理無情に家中に當る

 〇〇〇四 相手の氣質を呑込んで會釋し、議論しても遺恨を残すな
      人に出會ひ候時は、その人の氣質を早く呑込み、それぞれに應じて會釋あるべき事也。その内、理堅
      く強勢の人には隨分折れて取合ひ、角立たぬ様にして、間に相手になる上手の理を以て言ひ伏せ、そ
      の後は少しも遺恨を残さぬやうにあるべし。これは胸の働き、詞の働き也。何某へ和尚出會ひの意見
      口達あり。

 〇〇〇五 北山朝陽軒と宗壽庵─了為、行寂、雪門、海音、岩水、各和尚
 〇〇〇六 夢が正直のためし、勇氣がすわると夢中の心持が替わる
 〇〇〇七 先づ篤と身命を主人に奉り、内に智仁勇の三得を備えよ
 〇〇〇八 淵瀬を心得て渡れ、御意に入りたいと努むるのは見苦しい
 〇〇〇九 武士は草鞋作り習へ、一理外へは一人一升の兵糧を持て
 〇〇一〇 丁子袋を身に附けると寒氣に當らぬ、血留には芦毛馬の糞
 〇〇一一 結構者はずり下る、強みにてはければならぬもの
 〇〇一二 主人に心置かるヽ様にするが忠節、十年骨を碎けば確となる
 〇〇一三 火事場掛合は敵方や逆心者警戒の爲、御法事堪忍番の心得も同様
 〇〇一四 豫て養生すれば病氣は出ぬ、慈悲の諫言意見も平素にせよ
 〇〇一五 御用に立ち度しと思ふ奉公人は其の儘引上げ召使はれる
 〇〇一六 悪事は我が身にかぶり、上の批判は申出でぬと覺悟せよ
 〇〇一七 端的只今の一念より外はない、「この一念」に忠節備る
 〇〇一八 時代の風がある、昔風や當世風のみではいかぬ、時代に順應せよ
 〇〇一九 工夫修業を超越し、世間並に主を歎き奉公に身を入れよ
 〇〇二〇 當念を守つて氣を抜かず勤め一念々々と過ごすまで
 〇〇二一 附紙の仕様、弔状其の外凶事包物折方のいろいろ
 〇〇二二 氣力強き者はそげ廻る、勇氣は別事、死狂ひに氣力は入らぬ
 〇〇二三 下々迄の爲になる様にするが上への奉公、磔も御慈悲
 〇〇二四 殿様の御供も唯不斷の枕一つ、殿様と一所に居れば濟む
 〇〇二五 山本常朝、内證支へ有りのまゝ曝け出して銀子拜領
 〇〇二六 鍋島直茂一流の軍法、その場に臨んで一言で埒明く
 〇〇二七 家康は大勇氣の大將、討死の士卒一人も後向かず
 〇〇二八 今時の者無氣力なのは無事故、何事かあれば骨々となる
 〇〇二九 仕舞口が大事、客人の歸る自分など名残盡きぬ心得が肝要
 〇〇三〇 萬事眞實一つで行けば濟む、奉公は差出た事が第一に悪い
 〇〇三一 何もなき所が色即是空、そこに萬事を備ふるが空即是色
 〇〇三二 武勇と少人は我は日本一と大高慢でなければならぬ
 〇〇三三 思死に極むるが戀の極至、主従の間もこの心で濟む
 〇〇三四 慰みにも心を附けよ、腰折とは武家にては言ふまじき事
 〇〇三五 その場をはづしては口は利けず、當座々々の働きが肝要
 〇〇三六 山本常朝、健康の爲、廿歳前後七年間不婬、遂に藥を飲まず
 〇〇三七 貴人や老人の前で知つたか振りは遠慮せよ、聞きにくい
 〇〇三八 花見提重は歸りには踏み捨てる、萬づ仕舞口が大事
 〇〇三九 武士は武勇に大高慢で死狂ひの覺悟が肝要、よろづ綺麗に
 〇〇四〇 朋輩に席を越され、氣にせぬもするも時により事による
 〇〇四一 「水揩ウれば船高し」むつかしき事に出會ふ程一段すゝむ心
 〇〇四二 書物は残るもの、手紙も向ふで掛物になると思ひ、嗜みて書け
 〇〇四三 風體口上手跡で上手を取る、やすき事を人が油斷する
 〇〇四四 人間は何とよくからくつた人形ではないか、明年の盆には客
 〇〇四五 牛馬に出會ふ時、牛は常態では突かず、馬は跳ぬるのではない
 〇〇四六 奉公人には良き手本が入る、若い者が精出さぬのは油斷
 〇〇四七 「只今がその時、その時が只今」二つに合點してはならぬ
 〇〇四八 その時が只今、武士道は毎朝毎朝死習ひ切れきれて置く事
 〇〇四九 男仕事は日頃の心得で仕果せる、そこに軍~の加護がある
 〇〇五〇 殿中の堪忍と詞の働き、其の場を忍んで後に埒を明けよ
 〇〇五一 奉公は何卒仕遂げたいと思ふ内がよい、一生仕遂げたいと思へ
 〇〇五二 首打落されても一働き、武勇の爲には大悪念を起こせ
 〇〇五三 大人は清浄心から名言が出、下々は汚れて詩歌も出來ぬ
 〇〇五四 正徳三年八月三日夜、田代又左衛門夢中騒動の場の事
 〇〇五五 死は足.許に來る、夢中の戯れと油斷せず精を出して早く仕舞へ
 〇〇五六 不慮の災難に逢うた人には却つてよき仕合せと激励せよ
 〇〇五七 佞悪の者は人の非を言觸らし陥れて慰む、皆人覺悟すべき事
 〇〇五八 欠伸嚏はすまいと思へば一生せぬ、嗜み事は若い内に書き附けよ
 〇〇五九 帯の仕様、上下附は鍋島流が第一、帯の結び目をはさむ事
 〇〇六〇 山崎蔵人の金言「見え過ぐる奉公人は悪ろし」─道樂は禁物

 〇〇六一 君臣の間は忍戀のやうにあれ、奉公の大意は理非の外
      奉公人は、心入れ一つにてすむこと也。分別藝能にわたれば、事むつかしく、心落着かぬもの也。又
      業にて御用に立つは下段也。分別もなく、無藝無男にて、何の御用にも立たず、田舎の果にて、一生
      朽ち果つるものか、我は殿の一人被官也、御懇にあらうも、御情なくあろうも、御存じなさるまいも、
      それには曾ては構はず、常住御恩の忝なき事を骨髄に徹し、涙を流して大切に存じ奉るまで也。これ
      は易きこと也。これがならぬ生附とてはあるまじ。又此くの如く思ふまい事ではなし。されど斯様の
      志の衆は稀なるもの也。唯心の内ばかりの事也。長の高き御被官也。戀の心入れなる事也。情けなく
      つらきほど、思ひ増す也。適にも逢ふ時は、命も捨つる心になり、忍戀などこそよき手本なれ。一生
      言出す事もなく、思死する心入れは深き事也。又自然偽りに逢ひても、當座は一入悦び、偽りの顯る
      れば、尚深く思い入る也。君臣の間斯くの如くなるべし。奉公の大意、これにて埒明く也。理非の外
      なるもの也。私に云ふ君臣の間と戀の心と一致成る事、宗祇註に見當り申し候。

 〇〇六二 御側の奉公はぶらぶらと年を重ね、自然と御用に立つ様に

 〇〇六三 何よりも唯主君の御一言が忝くて腹を切る志は起こるもの
      何の徳もなき身にて候へば、させる奉公も仕らず、虎口前仕りたる事もなく候へども、若年の時分よ
      り一向に、「殿の一人被官は我也、武勇は我一人也。」と骨髄に徹し、思込み候故が、何たる利発人、
      御用に立つ人にても押し下げ得申されず候。却つて諸人の取持勿體なく候。唯殿を大切に存じ、何事
      にてもあれ、死狂ひは我一人と内心に覺悟仕りたるまでにて候。今こそ申せ、終に人に語り申さず候
      へども、一念天地を動かす故にて候か、人にゆるされ申し候。御子様方始め、諸人の御懇意誠に痛み
      入り申す事に候。主人に思ひ附く事は、御譜代の士は、奉公するの、せぬのには、より申さず候へど
      も、勤むる時は又品ある事に候。知行御加増、金銀過分に拜領ほど有り難き事はなく候へども、それ
      よりは唯御一言が忝くて腹を切る志は發るもの也。火事御仕組に、江戸にて御書物心遣と申し上げら
      れ候へば、「若き者に候間、供申附け候へ。」と仰出され候時、忽ち身命を捨つる心になりたり。又
      大阪にて御夜の物御蒲團拜領の時、「慰方に召使ひ候者に加増とは遠慮故、志までに呉るゝぞ、年寄
      共へ禮にも及ばぬ。」と仰せられ候時、あれは昔ならば此の蒲團を敷き、此の夜着をかぶり、追腹仕
      るべきものと、骨髄有難く存じ奉り候也。

 〇〇六四 地獄にも落ちよ~罰にも當れ、主人に志立つる外はない
 〇〇六五 客に行つて差合ひを言はれてから歸るのは追立てられるもの
 〇〇六六 寫し紅粉を懐中して酔覺や寝起など顔色悪い時は直すがよい
 〇〇六七 相良求馬、鍋島光茂の歌道執心は御家長久の基と辯疏
 〇〇六八 中野又兵衛先祖の物語、下情が上達せぬと不和が出來る
 〇〇六九 他人の家で物を失うた時、不用意に言出して主人に恥かゝすな
 〇〇七〇 挨拶は一座を見計つて人の氣に障らぬ様に、國家の事は勇猛に
 〇〇七一 談合事はまづ一人に、大事の相談は密かに無関係の人に
 〇〇七二 兵動左仲奇特にも藝敵の正珍に連歌の宗匠を譲る
 〇〇七三 湛然和尚曰く、「風鈴を懸けるのは風を知つて火の用心する爲」
 〇〇七四 畳の上で武勇を顯す者でないと戦場へも選び出されない
 〇〇七五 剛と臆とは平生當つて見ては別らぬ、別段にあるもの
 〇〇七六 何氣なく思はれては奉公できぬ、大事の奉公は一心の覺悟から
 〇〇七七 山本常朝、隠居後も常に御家の事を思ひ、これを語る毎に落涙す
 〇〇七八 生々世々御家中に生まれ出で、御家は我一人で抱留める
 〇〇七九 湛然和尚曰く「常に氏~と心を釣り合うて居れ、親同然で運が強い」
 〇〇八〇 佐賀に生れて日峯様を拜まぬは疎略、直茂公生前にも願をかけた
 〇〇八一 日拜は血戦の運命を祈るため、穢を嫌ふ~ならば詮なし
 〇〇八二 大難大變にも一言、仕合せの時にも一言、此の一言に工夫せよ
 〇〇八三 上座から末座に下り會釋して復席、豫て教訓の禮儀
 〇〇八四 寄親は兼々組の者に振る舞ひ、會釋の心入あるべき事
 〇〇八五 人間一生好いた事をして暮すべし、但し聞き様では害になる
 〇〇八六 現實の事は夢で知れる、夢を相手に精々勵むがよい
 〇〇八七 懺悔は器物の中の水をこぼす様なもの、改むれば跡は消える

 〇〇八八 我が長けを知り、非を知つたとて自慢するな、自己を知るは難い
      少し眼見え候者は、我が長けを知り、非を知りたりと思ふゆゑ、尚々自慢になるもの也。實に我が長
      け、我が非を知る事成り難きものの由。海音和尚御話也。

 〇〇八九 人の威は外に顯れる、畢竟は氣をぬかさず正念な所が基
 〇〇九〇 悪事の引合ひは貧瞋痴、吉事の引合ひは智仁勇に洩れず
 〇〇九一 奉公人の心入は時代々々で變る。或時は國家を治めて上げよ
 〇〇九二 下賤から高位に登つた人はその徳を貴んで一入崇敬せよ

 〇〇九三 山本前~右衛門、常朝七歳の時より武者草鞋で寺參りさす
      前~右衛門申附けにて、幼稚の時分、市風にふかせ、人馴れ申す爲とて、唐人町出橋に、節々遣わし
      候由。五歳より各々様方へ名代に出し申し候。七歳より、がんぢうのためとて、武者草鞋をふませ、
      先祖の寺參り仕らせ候由。

 〇〇九四 主君にも少しは隔てられるがよい、腰巾着では働かれぬ
 〇〇九五 物織が差合ひ、平生の事にも案内知つて障りになる事もある
 〇〇九六 端的濟まぬ事は埒明かぬ、左足の一歩で鐵壁も踏破れ

 〇〇九七 智慧利發ほどきたないものはない、眞實さへあれば立行く
      何某は、第一顔の皮厚く、器量ありて利發者にて、御用に立つ所もあり。この前、「其の方は利發が
      残らす外に出て、奥深き所なし。ちと鈍になりて、十の物三つ四つ内に残す事はなるまじきや。」と
      申し候へば、「それは成り申さず候。」と申し候。ほしめかして、公儀前などさすれば、何處までも
      仕て行くところあり。さりながら御身邊國家邊、重き事は少しもさせられぬ丈け也。誰々と一風のも
      の也。利發智慧にて、何事も濟むものと覺えて居る也。智慧利發ほど、きたなき物はなし。まづ、諸
      人請取らず、帯紐解いて入魂されぬもの也。何某は不辨には見ゆれども、實が有る故に、立つて行く
      奉公人也と。

 〇〇九八 贔負があつては口がきけぬ、何の引きもないが奉公はしよい
 〇〇九九 些細な事に念を入れて話す人には大方その裏がある
 〇一〇〇 何事も人より一段高き理を見附けよ、相手をみて理を言へ
 〇一〇一 飢死んでも殿様の爲には~佛にも見向かず朽ち果てよ

 〇一〇二 世上の噂話にも物言ひを慎め、口故に敵を持ち遺恨も出來る
      當時の、差合ひになりさうなる事を言はぬもの也。氣を附け申すべき也。世上に、何かと、むつかし
      き事などこれある時は、皆人浮き立つて覺え知らずに、その事のみ沙汰する事あり。無用の事也。わ
      ろくすれば、口引張りになるか、さなくても、口故に入らざる事に敵を持ち、遺恨出來る也。左様の
      時は他出を止め、歌など案じて居たるがよく候由。

 〇一〇三 人の事は譽むるも似合はぬ、我が丈を知つて修行に精を出せ

 〇一〇四 徳ある人はゆとりがあり、小人は静かな所がなくがたつき廻る
      徳ある人は、胸中にゆるりとしたる所がありて、物毎せはしきことなし。小人は、静かなる所なく、
      當り合ひ候て、がたつき廻り候也。

 〇一〇五 夢の世とはよき見立、悪夢を見て覺めたい事もある

 〇一〇六 何事も眞實でないと效がない、智慧ある人は智慧の害に陥る
      夢の世とは、よき見立也。悪夢など見たる時、早く覺めよかしと思ひ、夢にてあれかしなどと思ふ事
      あり。今日もそれに少しも違はぬ也と。

 〇一〇七 裁判や論争はきたな勝ちよりも見事な負けがよい、相撲の様なもの
 〇一〇八 人を悪むは慈悲なき故、慈悲門に括り込めば當り合ふ事がない
      自他の思ひ強く、人を悪み、えせ中などするは慈悲のすくなき故也。一切悉く慈悲の門に括り込んで
      からは、あたり合ふことなきもの也。

 〇一〇九 生噛りは知りだてをする、よく知ると知つた振りはせぬ
      少し知りたる事、知りだてをする也。初心なる事也。よく知りたる事は、その振見えず、奥ゆかしき
      もの也。

 〇一一〇 奉公人の身上は主人の物、大事がつて惜しむべきやうはない
 〇一一一 悪固まりに一家を立つるな、我が非を知つて探促するが即ち道
 〇一一二 訪問は通じてから行くがよい、長座の客にも不會釋するな
 〇一一三 牛の角を直すとて牛を殺すな、生駒將監の忠義立て主家を崩す

 〇一一四 善事も過ぎると悪い、説法教訓も言ひ過ぎると却つて害になる
      良き事も過ぐるは悪し。談義説法教訓なども、言ひ過ごせば、害になり候と也。

 〇一一五 邪智深き佞人は我が立身の才覺のみ、それを見抜く事は難い
      佞人に、氣力強く、邪智深き者ある時は、主人をだまし込み、我が立身の才覺のみいたし候。主の氣
      に入る筋を考へ覺えたる者は、少々にて邪の所見えぬもの也。よくよく見にくき物なればこそ、権現
      様を彌四郎はだましぬき申し候。斯様の者は、多分新參成上りにあるもの也。譜代大身には稀にある
      也と。

 〇一一六 山本神右衛門曰く娘の子はそだてぬがよく名字に疵をつけ親に耻をかゝす
 〇一一七 恵芳和尚、鍋島安藝の「武邊は氣違」を佛道に應用す

 〇一一八 茶の湯の本意は六根を清くする爲、全く慰み事ではない
      前數馬申し候は、「茶の湯の本意は、六根を清くする爲也。眼に掛物生花を見、鼻に香をかぎ、耳に
      湯音を聴き、口に茶を味わひ、手足格を正し、五根清浄なる時、意自ら清浄也。畢竟意を清くする所
      也。我は二六時中茶の湯の心離れず、全く慰み事にあらず、又道具は、たけだけ相應にするもの也。
      梅一字の詩に、前村深雪裏昨夜數枝開この數枝富貴也とて、一枝と直されたりと也。一枝の所がわび
      数寄也。」と申され候由。

 〇一一九 人の悪事も慈悲門に括り込み、よくせねば置かぬと念願せよ

 〇一二〇 意地は刀の様な物、砥ぎすまして鞘に納め置き、時々出して見よ
      或人云ふ、意地は内にあると外にあるとの二つ也。外にも内にもなきものは役に立たず。たとへば刀の身の如く、切れ物を砥ぎはしらかして鞘に納めて置き、自然には抜きて眉毛にかけ、拭いて納むるがよし。外にばかりありて、白刃を不斷振廻はす者には人が寄り附かず、一味の者無きもの也。内にばかり納め置き候へば、錆も附き刃も鈍り、人が思ひこなすもの也と。

 〇一二一 小利口では濟まぬ、切るゝ所は早く据つて突つ切れ
 〇一二二 「大儀ながら御國を荷うて上げ候へ。」この一言が忘れられぬ

 〇一二三 大事の家中を不和にしてはならぬ、喧嘩や仲直りは仕様がある
      意趣遺恨出來、公事沙汰など致す人は、扱ひ様にて何の事もなく濟むもの也。一つ橋にて、奴出會ひ互ひによけず、打果すと候所へ、大根賣が中に入り、朸の先に双方取りつかせ、荷なひ替へ通したる様なるもの也。やり様は、幾筋もある事也。これ又主君への奉公也。大事の御家中、めつたに死なせ、不和になしてはならぬ事也。先年、京都にて、江島正兵衛を源藏酒の上りにて、意見を申し候。これが源蔵酒癖にて候。翌朝、正兵衛大小を差し、源蔵長屋に仕懸け申し候を、本村武右衛門聞附け、すかし候て、長屋へ連れ歸り候由にて、武右衛門我等長屋へ參り、「如何仕るべきや。」と申し候なかば、源蔵參り、「正兵衛は居り申さず候や。先程あの方へ事々しく仕懸け參り候由、たはけたる家來共拙者へ申し聞けず、唯今聞附け參りたり。」と申し候て、正兵衛小屋へ參るべくと仕り候を差留め、「先づ歸らるべく候。我等請取り候間、正兵衛所存聞届け、知らせ申すべき」由申し聞け、歸し申し候。さ候て、正兵衛を呼び、承り候へば、「諸人の中にて誤りを數へ立て、意見を申され候は、意見とは存ぜず、意趣ありて恥をかゝせ申さるゝ儀かと存じ候。意趣直ちに承るべくと存じ、仕懸け候」由申し候。某申し候は、「尤もの事也。さりながら、源蔵遺恨あるまじく候。意見が酒癖にて候。永山六郎は、抜くが酒癖にて候。癖は色々あるものにて、酒の云ひたる事を實に取持ち、大事の御家來二人打果し、主人に損とらせ、どこが忠節にてこれあるべきや。其方も、御重恩の人に候へば、何卒御恩を奉ずべきとこそ存ぜらるべく候へ。曾て恥になる事これなく候。源蔵心底、我等聞合せ申し達すべし。」と申し候て歸し、源蔵へ、「斯様々々。」と申し候はへば、「前夜申し候事、曾て覺え申さず候。素より遺恨少しもこれなし。」と申し候に付、「さらば、正兵衛にその旨申し聞け、頭人に向ひ事々しく仕懸け候事は不届に候へども、年若にて不了簡もこれあるべく候。向後嗜み候様に申し聞かすべし。」と申し候て歸らせ、正兵衛に申し聞け、何の事もなく候。その上にて、正兵衛納戸役斷り申し候に付き、我等頻りに差留め候處、潜かに北島甚左衛門へ相頼み御國元へ斷り申し遣はし候由、武右衛門へ申し聞け候にに付、武右衛門より申し遣はし、甚左衛門手元を差留め、正兵衛に右の通り申し達し候へば、「いづれ仲好くはあるまじく候間、代り申すべし。」と申し候。それに付、「仲好くなり候事は、我等請取り申し候。先づ了簡して見られ候へ。半途に代り申され候節は源蔵と酒事の上にて遺恨出來、下り申され候と沙汰これあり候時は、其方も酒飲みにて候へば、奉公の障りになり、源蔵ためにも罷り成らず候。暫く時節を待ち申され候様に。」と申し宥め、寄々に、「源蔵と無二の仲になり候へ。」と申し候へば、「我等左様に存じ候ても、源蔵殿心解け申すまじく候。」と申し候。「その解かし様相傳へ申すべく候。向には構はず、其方心計りに、さてさて痛み入りたる事かな、よく顧み候へば我等に誤りあり、殊に頭人に無禮を仕懸け不調法、この上は彼方役中には粉骨に勤むべくと存ぜられ候へば、その心忽ち向に感通し、其の儘仲好くなる事に候。其方も酒癖あり、我が非を知つて禁酒して見られ候へ。」と節々申し候に付、不圖得心いたし、禁酒仕り候。そのご正兵衛心入、源蔵に話し候へば、「さてさて感じ入りたる事、痛み入り、恥ずかしき仕合せ、この上は我が役中には加へ申すまじく」と無二の仲になり、源蔵代り申し來たり候節、源蔵より申し遣はし正兵衛も代り申し候。仕様により、斯様になる事に候。さて又、當座にて、酒狂にても妄言にても、耳に立ち候事申す人これある節は、それ相應の返答仕りたるがよし。愚痴に候て、早胸ふさがり心せき、即座の一言出合はず、これにては残らぬ仕合せと打果し申す事、たはけたる死様也。馬鹿者と申し懸け候はゞ、たはけ者と返答して濟む事に候。正兵衛も其の座にて、『御意見は忝く候へども、それは追て差向ひに承るべく候。諸人の中にては恥御かゝせ候様に聞え申し候。又人の上言ひぐろうならば、御手前の上にも御座あるべく候。兎角酒の上にて申す理窟は違ひ申し候。本性の時承り、嗜みに仕るべく候。先づ御酒御上り候へ。』などと輕く取りなせば、恥にもならず、腹も立たず、その上にても理不盡に申し懸け候はゞ相當相當の返答をして濟む事也。又爰には些か様子あり、兼てしかとしたる所ある者には、酒狂人もめつたに言ひ懸け得ぬもの也。先年御城にて、何某へ何某ざれ言の上にて、磔道具よと申し候を憤り、打果すべくと仕り候を、五郎左衛門成富蔵人泊り番にて聞附け扱ひ、何某夜中に態と出仕候て斷りいはせ、濟み申し候。これもその座にて、其方こそ火炙り道具よと返言すれば、何の事もなく候。始終だまるは腰抜也。詞の働き、當座の一言、心掛くべき事也と。

 〇一二四 牛島源蔵京都留守居役の事、物は言ひ様で理が聞こえる
 〇一二五 某々和尚追院の時の事、我が身は見えぬ所があるもの
 〇一二六 小々姓仲間船中の氣傳、廻船舸子を造作なく追散らす
 〇一二七 悪事も破れぬ仕様がある、金銭の事で腹切らせるは残念

 〇一二八 諫言が入れられず殿様悪事の時は味方して世に隠せ

 〇一二九 不忠不義一人も無く、忝く御用に立つるが大忠節大慈悲

 〇一三〇 時代と共に人の器量も下がる、一精出せば圖抜けて御用に立つ

 〇一三一 人の癖は似我蜂の様に精を出して直せば直る、養子も教へ様
 〇一三二 崩るゝ御家を抱留むると思へ、人の悪事を恨まぬがよい
 〇一三三 氣力さへ強ければ詞も行ひも自然と道に叶ふ、されど心が第一
 〇一三四 我が知つた事も功者の話は幾度でも深く信頼して聞くべきもの
 〇一三五 主君の命にもたゞを踏まねばならぬ事がある、畢竟主君の爲

 〇一三六 祖先の御加護で、鍋島家は日本に並ぶものなき不思議の御家
      山の奥まで閑にして適に問ひ來る人に、世間の事を尋ね候へば、殿様公儀御首尾よき事、御慈悲の御仕置の沙汰ばかり承り候て、目出度き御家、日本に並ぶ所あるまじく候。此の後宜しからざる事共もこれあり候へども、自然とよき様に成り行き候は、不思議の御家、御先祖様方の御加護これありて、御仕置遊ばさるゝ儀かと存じ候由。

 〇一三七 鍋島家は浪人の他國出を許さぬ、かく主従の契深い家中はない

 〇一三八 捨者も仕盡くした者でないと用に立たぬ、窮屈では駄目
 〇一三九 名利の眞中、地獄の眞中に駈入りても主君の御用に立て

 〇一四〇 至極の忠節は主を諌め國を治むる事、家老になるも其の爲
      我等は親七十歳の子にて、鹽賣になりとも呉れ申すべしと申し候處、多久圖書殿、「神右衛門は蔭の
      奉公を仕ると、勝茂公常々御意なされ候へば、多分子孫に萌え出で、御用に立ち申すべし。」と御留
      め、松龜と名を御附け、枝吉利左衛門より袴着させ申され、九歳より光茂公小僧にて召使はれ、不携
      と申し候。綱茂様よりも御雇ひなされ、御火燵の上に居り候て、わるさども致し、御かるひなされ候
      てども御遊ひなされ、其の時分何ともならぬわるさ者にとられ申し候。十三歳の時髪立て候様にと光
      茂様仰せ付けられ、一年引入り居り申し、翌年五月朔日罷出で、市十と名を改め申し候て、御小姓役
      相勤め申し候。然る處、倉永利兵衛引入れにて元服いたし、御書物役手傳仰付けられ、餘りの取成し
      にて、権之丞は歌も讀み申し候に付、若殿様よりも折々召出され候と申上げられ候に付差支へ、暫く
      御用これなく候。利兵衛心入れは其の身の代人に仕立て申すべき存入りと、後に存附き候。右の後江
      戸御供も仕らず、ぶらりと致し罷在り候に付て、以ての外不氣味になり、其の頃、松瀬に湛然和尚御
      座候。親より頼み申すと申置き候に付て懇意に候故、節々參り、出家仕るべきかとも存入り候。其の
      様子、五郎左衛門見取り、前神右衛門加増地を差分け申すべしと、數馬へ内談仕りたる由承り候。弓
      矢八幡、取るまじと存じ候處、請役所に召出され、新に御切米仰付けられ候(他に兩人あり)。此の
      上は小身者とて人より押下げらるゝは無念に候。何としたらば心よく奉公仕るべきかと、晝夜工夫申
      し候。その頃、毎夜五郎左衛門話を承りに參り候に、「古老の話に、名利を思ふは奉公人にあらず、
      名利を思はざるも奉公人にあらず、と申傳へ候。此のあたり工夫申し候様に。」と申し候故、いよい
      よ工夫一偏になり、不圖得心申し候。奉公の至極の忠節は、主に諫言して國家を治むるに事也。下の
      方にぐどつき廻りては益に立たず。然れば家老になるが奉公の至極也。私の名利を思はず、奉公名利
      を思ふ事ぞと、篤と胸に落ち、さらば一度御家老になりて見すべしと、覺悟を極め申し候。尤も早や
      出頭は古來のうぢなく候間、五十歳計りより仕立ち申すべしと呑込み、二六時中工夫修行にて骨を折
      り、紅涙までにはなく候へども、黄色などの涙は出で申し候程に候。此の間の工夫修行即ち角藏流に
      て候。然る處に御主人におくれ、兼々出頭仕り候者は、すくたれ、御外聞を失ひ申し候に付て、此く
      の如く罷成り候。本意は遂げず候へども、しかと本意を遂げ申し候事段々話し申し候通りにて候。思
      立つと本望を遂ぐるものに候。又御用に立ち候ものの、ばちこき候は自慢の天罰故に候。此の事愚見
      に書き附け候通り也。誠に見の上話、高慢の様に候へども、奥底なく不思議の因縁にて、山家の閑談、
      他事無く有體話し申し候と也。翌朝

        手ごなしの粥に極めよ冬籠り 期酔
        朝顔の枯蔓燃ゆる庵かな 古丸

                                  聞書第二 完


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%B8%B8%E6%9C%9D 山本常朝