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折々の記 2014 ③
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】03/03~     【 02 】03/05~     【 03 】03/09~
【 04 】03/09~     【 05 】03/10~     【 06 】03/11~
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【 09】03/22

  03 21 吉田松陰 8  良いことは学ぶとよい 喬木村の教育のために
           26  初代総理大臣・伊藤博文
           27  元帥陸軍大将・山県有朋
           28  日本大学の学祖・山田顕義
           29  維新の三傑・木戸孝充
           30  松陰史料、書籍、小説紹介
           31  幕末関連史料、書籍紹介
           32  幕末関連史料、書籍紹介
           33  映画「獄に咲く花」特集!
           34  幕末 携帯待ち受け画像 配布
           35  幕末 ブログテンプレート 配布


 03 22 (土) 吉田松陰 8  

全体の目次 <http://www.yoshida-shoin.com/>

それぞれのサイトへリンクしてみると、吉田松陰についての膨大なデータを調べることができます。 これらのデータによって、喬木村の教育の在り方に取り入れたいものがあれば大いに参考にすることがいいと思います。
 吉田寅次郎(松陰)のこと 松下村塾門下生のこと
 01 吉田松陰について(年表) 22 松下村塾門下生について
 02 吉田松陰の生い立ち  23 幕末の風雲児・高杉晋作
 03 青年期(脱藩、下田踏海) 24 松下村塾の双璧・久坂玄瑞
 04 松下村塾主宰  25 松下村塾三無生・吉田稔麿
 05 吉田松陰の最期  26 初代総理大臣・伊藤博文
 06 吉田松陰の死、それから 27 元帥陸軍大将・山県有朋
 07 吉田松陰の足跡をたどる旅 28 日本大学の学祖・山田顕義
 08 吉田松陰関連史跡データ一覧 29 維新の三傑・木戸孝充
 09 我が兄・吉田松陰について 30 松陰史料、書籍、小説紹介
 10 吉田松陰の号について 31 幕末関連史料、書籍紹介
 11 松陰から門下生への手紙 32 幕末関連史料、書籍紹介
 12 吉田松陰資料室(直筆の書簡) 33 映画「獄に咲く花」特集!
 13 長谷川勤先生のブログ 34 幕末 携帯待ち受け画像 配布
 14 幕末維新・写真紀行ブログ 35 幕末 ブログテンプレート 配布
 15 吉田松陰語録アプリ! 36 「翔天隊.com」海援隊と陸援隊
 16 幕末志士群像検定アプリ! 37 幕末維新祭り(東京・松陰神社)
 17 「幕末志士検定」に挑戦!-
 18 「幕末人物肖像クイズ」に挑戦!-
 19 幕末志士関連グッズ紹介-
 20 幕末維新・動画チャンネル-
 21 幕末関連最新更新情報-

 吉田松陰の遺したもの 吉田松陰.comについて
 38 魂の遺書「留魂録」のすすめ 42 サイトの趣旨
 39 吉田松陰の死生観(留魂録) 43 RSS配信について
 40 吉田松陰の教え(松陰語録) 44 リンクについて
 41 国難の時、今こそ「草莽崛起」 45 管理人にメールする


  ※ 46 吉田松陰の教え~松陰語録~
    47 炎の遺書「留魂録」のすすめ
    48 吉田松陰の名文・手紙を読む
    49 吉田松陰関連史料・書籍・小説リスト
    50 吉田松陰関連史跡データベース
    51 「幕末志士検定」に挑戦!
    52 オンライン公開講座「特集・吉田松陰」



26 初代総理大臣・伊藤博文
     <http://www.yoshida-shoin.com/monka/itou.html>

伊藤 博文(いとう ひろぶみ)

伊藤博文は天保12年(1841)周防国熊毛郡束荷村(現在の山口県大和町)に父・十蔵、母・琴子の長男生まれた。幼名は利助(後に利輔)次に春輔(又は俊介、俊輔)と称せられ、後に博文と改名した。

嘉永2年(1849)9歳の時に萩に移り、安政4年17歳の時に松下村塾に入門。吉田松陰は、久坂玄瑞宛ての書状で「利助(博文)亦進む、中々周旋家になりそうな」と、また別の書状では「才劣り学幼きも、質直にして華なし、僕頗(すこぶ)るこれを愛す」と後の伊藤博文を評した。その後、松下村塾で出会った木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞らと交わり、文久2年(1862)には久坂とともに公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺を画策、品川御殿山のイギリス公使館を焼き討ち、するなど尊皇攘夷の志士として活躍した。

まもなく、文久3年(1863年)自ら志願して井上聞多、遠藤謹助、山尾庸三、野村弥吉ら所謂「長州五傑(長州ファイブ)」と共にロンドンに留学。西洋列強の実力を体感し、開国・富国強兵論に転じ、武力倒幕運動に積極的に参加した。

翌元治元年(1864年)、長州藩による下関での外国船砲撃事件を知ると、井上聞多とともに急ぎ帰国し戦闘回避に奔走するがかなわず、戦後の和平交渉の際は通訳として使節に参加。

長州藩が第一次長州征伐(幕長戦争)で幕府に恭順の姿勢を見せると、高杉晋作に従い「力士隊」を率いて挙兵。後に「奇兵隊」も加わるなど各所で勢力を増やして俗論派を倒し、藩論を倒幕にすることに成功。統一正義派(革新派)に藩政を握らせることになる。

明治維新後は元年に兵庫県知事となり、その後は新政府の中枢で活躍。明治18年(1885)に初代内閣総理大臣となり、以後、第5代・第7代・第10代と4次にわたり内閣総理大臣として内閣を組閣した。

その間、大日本帝国憲法制定の起草・主導的役割を果たし、初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長など数々の要職を歴任。立憲政友会を結成し初代総裁を務めるなどもしている。

明治42年10月26日、極東問題で赴いた満州ハルビン駅にて安重根に暗殺された。(享年69歳)

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「幕末動乱をくぐりぬけ、初代内閣総理大臣となった伊藤博文。政治家として栄達をきわめた伊藤が、みずから語った唯一の「自伝」本。人物談あり、幕末の実歴談あり、政談あり、憲政論あり、修養談あり―。肉声が伝える激動の時代と人物」。
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「幕末維新期、若くして英国に留学、西洋文明の洗礼を受けた伊藤博文。明治維新後は、憲法を制定し、議会を開設、初代総理大臣として近代日本の骨格を創り上げた。だがその評価は、哲学なき政略家、思想なき現実主義者、また韓国併合の推進者とされ、極めて低い。しかし事実は違う。本書は、「文明」「立憲国家」「国民政治」の三つの視角から、丹念に生涯を辿り、伊藤の隠された思想・国家構想を明らかにする」。
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「1909年10月26日伊藤博文はハルビン駅頭で、韓国の独立運動家安重根の銃弾に倒れる。だが、もし安重根以外にも暗殺実行犯がいたとすると、それは誰だったのか。また伊藤はなぜ暗殺されなければならなかったのか。日露戦後の複雑怪奇な国際関係を背景に浮かび上がる伊藤暗殺計画。国際通と自他ともに認めた知謀伊藤博文の眼に映った明治国家日本と韓国のゆくえは?日韓併合前夜の近代史の謎に迫る」。
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「貧農の子に生まれた利助(後の博文)は、吉田松陰の「社会に役立たぬ学問は学問にあらず」との教えに開眼。高杉晋作、桂小五郎、坂本竜馬らとの出会いによって自らを成長させていった。イギリス留学などで培った世界的な視野で幕末の激動を乗り切ってゆく。「日本の夜明け」の原動力となった幕末の青年たちの中で、ひときわ異彩を放つ伊藤博文の若き日々」。




27 元帥陸軍大将・山県有朋
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山縣 有朋(やまがた ありとも)

天保9年(1838)に長州藩の蔵元附中間(ちゅうげん:足軽より低い身分)・山県三郎有稔の二男として生まれる(幼名・辰之助)。

尊皇攘夷派の影響を受け、久坂玄端の紹介で松下村塾に入門、生涯師と仰ぎ続けた吉田松陰と出会う(山県の松下村塾在塾期間は極めて短かったが、松陰に多大な影響を受け、終生深く畏敬していた。また、生涯「自分は松陰先生門下である」と称し誇りにしていた)。

文久3年(1863年)に、上海に渡航した高杉晋作に代わって奇兵隊軍監として大いに活躍。元治元年(1864年))の四国連合艦隊との交戦で負傷した際、武器と兵制の改革の必要性を痛感し、尊王攘夷論から開国論に転じた。

慶応元年(1865年)、長州藩の俗論派(佐幕派)と正義派(倒幕派)が激突した大田・絵堂の戦いでは、正義派に奇兵隊軍艦として参戦。長州藩藩論を倒幕へと決定づけたこの戦いの勝利に貢献した。

明治元年の戊辰戦争には、奇兵隊を率いて北陸道鎮撫総督兼会津征討総督の参謀として、長岡攻略戦に河井継之助らと戦う(苦戦)、後に会津攻略にも参加。

明治2年(1869年)渡欧し、各国の軍事制度を視察し、翌年帰国した後は暗殺された大村益次郎の遺志を継いで軍制改革を行い、徴兵制を取り入れた。明治6年(1873年)に陸軍卿となり、参謀本部の設置、軍人勅諭の制定に深く関わる。(良くも悪くも日本陸軍の実質的な建設者が山県有朋であるといえる)

明治22年(1889年)に第9代内閣総理大臣に就任。軍備拡張を進める。明治31年(1898年)、第2次山縣内閣発足。参謀総長、枢密院議長なども務めている。

伊藤博文なきあと最大の発言力をもつ元老として、軍や政界に重きをなし、首相選定の主導権を握る。晩年は陸軍のみならず政界の黒幕として君臨し、「日本軍閥の祖」の異名をとった。

当時の国民、政治家、皇室からはことごとく不人気であったが、昭和天皇は軍人・山県有朋を評価している。大正11年、85歳で亡くなった。

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陸軍と官僚を支配下において山県閥をつくり、デモクラシーに反対し、みんなに憎まれて世を去った元老・山県有朋は、日本の近代史にとって本当に害悪だったのか?不人気なのに権力を保ち続けた、その秘訣とは?首相、元帥、元老にして「一介の武弁」。
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「吉田松陰の門下で学び、高杉晋作のもと奇兵隊の軍監として、幕府軍と、英米仏蘭の四国連合艦隊と戦った山県有朋。閥族・官僚の総本山、軍国主義の権化、侵略主義の張本人と批判されてきたその実像を、俊英が読み直す試み。一九世紀型の欧州秩序が崩壊する中、形成期の大衆社会の危うさを憂慮し、あえて「強兵」路線を担い、元老として権力を握った山県から、近代日本とは何か、権力とは何かを考える力作」。
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「長州の奇兵隊を出発点に伊藤博文とともに、「偉大なる明治」の基盤を確立した山県有朋。彼は、統帥権の独立、帷幄上奏の慣例、軍部大臣現役武官制などで軍の政治的地位を高め、その武力を背景に短期間で大日本帝国を築き上げた。しかし、その仕組みゆえに、軍の独走を許し、大日本帝国は滅んだ…。「幕末史」と「昭和史」をつなぐ怪物の人生を、見事に描き切る」。




28 日本大学の学祖・山田顕義
     <http://www.yoshida-shoin.com/monka/yamda.html>

山田 顕義(やまだ あきよし)

弘化元年(1844)に萩藩士・山田七兵衛の長男として生まれる。

藩校明倫館に学んだ後、安政5年15歳の時に松下村塾に入門、吉田松陰に師事する。松陰にとって最年少の門下生だった。

文久2年12月、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤俊輔、品川弥二郎らとともに攘夷の血判書(御楯組血判書)に名を連ねる。その後、長州藩の内乱に参戦するなど倒幕の志士として数々の戦いに参加。

元治元年、蛤御門の変(禁門の変)に参陣。山崎に布陣する久坂玄瑞、真木和泉らの陣に加わり参戦。

同年8月、品川弥二郎らと御楯隊を創設し、軍監となり、四カ国連合艦隊の下関攻撃(馬関戦争)で奮戦する(長州藩敗北)。

同年12月、対幕恭順論の「俗論派」による藩支配に対する高杉晋作の奇兵隊による決起(功山寺挙兵)に参戦し勝利を収め、藩内の「俗論派(佐幕派)」を排除し藩論を倒幕に統一する。

慶応4年1月には「鳥羽・伏見の戦い」、「戊辰戦争」に加わり、「箱館戦争」時には陸軍参謀兼海陸軍参謀として、官軍を勝利に導いた。

維新後、明治7年に江藤進平らが起こした「佐賀の乱」、明治10年に西郷隆盛らが起こした「西南の役」に征討軍の将として参加し、いずれも鎮圧。その戦術は「用兵の妙、神の如し」と評された。

明治新政府では、東京鎮台司令長官、司法大輔、陸軍中将、参議、工部・内務・司法の各卿などを歴任。明治18年、初代の司法大臣として入閣し、法典編纂に貢献し、法典伯と称される。

明治24年、病気のため辞職するまで、伊藤、黒田、山県、松方の四代の内閣で司法大臣を務める。

また、教育を重視し、明治22年日本大学の前身である日本法律学校を創設し、次いで翌年、國學院(現在の國學院大学)を設立、その後公私法律学校を育成した。

明治25年帰郷途中、生野銀山で急逝。享年49歳。

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「法を創り、日本を創った。知られざる巨人!最年少の松下村塾生にして幕末の戦乱で功をあげた無敗の軍人・山田顕義。新生日本を創るのは軍事ではなく法と教育と信じ、法治国家の礎を築いた男の激動の生涯」。
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「生粋の軍人でありながら司法大臣として司法に心血を注いだ軍人政治家、日本大学の創立者山田顕義の激動の生涯を描く書下ろし長篇歴史小説」。幕末期の長州藩や人物を取り挙げた歴史小説・随筆などを主題の多くにしている山口県出身の直木賞作家・古川薫氏。




29 維新の三傑・木戸孝充
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木戸 孝允(きど たかよし)・ 志士時代は桂小五郎(かつらこごろう)

天保4年(1833年)、現在の山口県萩市に萩藩医・和田昌景の長男として生まれる。七歳で向かいの桂家の末期養子となり(養父:桂九郎兵衛)、長州藩の大組士という武士の身分と秩禄を得る。翌年、桂家の養母も亡くなったため、生家の和田家に戻り両親の元で成長した。

10代に入ってからは、藩主毛利敬親による親試で褒賞を受け、長州藩の若き俊英として注目され始める。

嘉永2年(1849年)、藩校明倫館で山鹿流兵学教授であった吉田松陰に兵学を学び、「事をなすの才あり」と評される。桂小五郎はいわゆる私塾・松下村塾の門下生ではなかったが、その後も松陰に対し、門人の礼をとリ続けていたという。

嘉永5年(1852年)、剣術修行を名目とする江戸留学を藩に許可され、江戸に旅立つ。江戸では江戸三大道場の一つ、「力の斎藤」の練兵館(斎藤弥九郎)に入門し、神道無念流剣術の免許皆伝を得て、入門一年で練兵館塾頭となる。藩命で帰国するまで5年間、練兵館の塾頭を務め、その間、剣豪の名を天下に轟かせた。

その後、練兵館塾頭を務める傍ら、江戸で多くの志士たちと交流しながら、長州藩の尊攘派のリーダーへと成長。

文久3年(1863年)5月、藩命により江戸から京都に上る。京都で久坂玄瑞たちとともに破約攘夷活動を行い、正藩合一による大政奉還および新国家建設を目指す。長州藩は京において中央政界を牛耳る存在となっていたが、文久3年「八月十八日の政変」で京都から追放の憂き目に遭う。翌年、小五郎は再上洛し潜伏しつつも藩の失地回復に勤めた。

有名な池田屋事件では池田屋へ一番早く行ったが、まだ同志が集まっていなかった為、近くの対馬藩邸へ行っていたため、小五郎は運良く難を逃れた。(新選組が池田屋を襲撃したのは、小五郎が対馬藩邸に行っている間に起こった)

池田屋事件は、八月十八日の政変以来、挙兵を訴えていた長州藩の急進派を刺激する結果となり、禁門の変における武力上洛を引き起こしたが、惨敗。小五郎はその後も京に潜伏し情報収集に努めるが、同志からの依頼で帰郷する。

その後、坂本龍馬の斡旋で薩長同盟を締結。翌年の第二次征長戦にて幕府軍を退け、大政奉還を経て後、長州藩の復権に成功。薩長主導による武力倒幕を成し遂げ、新政府を樹立する。

新政府では総裁局顧問、外国事務係、参与となり、「五箇条の御誓文」の起草に参画し、大久保らとともに版籍奉還の実現に尽力する。明治4年(1871)、西郷とともに参議となると、政府要職を薩長の人材で独占、廃藩置県を断行。

同年9月、岩倉使節団の副使として欧米に歴訪するなどするが、その後は、大久保による独裁体制の政局に不満を抱き、次第に政府中枢から遠ざかっていくようになる。長年の心労で心の病を患っていたようである。

明治10年、西南戦争の最中、駆けつけた大久保利通の手を握り締め、「西郷、いいかげんにせんか」と明治政府と西郷の両方を案じる言葉を発したのを最後にこの世を去ったという。病没。享年45歳。

志士としても、長州藩のリーダーとして時代の先端に立って活動を続け、明治新政府においてもトップの一人として近代国家・日本の建設に大きな役割を果たした希有の存在、木戸孝允。墓所は、京都・霊山護国神社にあり、坂本龍馬や、中岡慎太郎など活動を共にした多くの志士たちとともに眠っている。

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幕末の桂小五郎と明治の木戸孝允の一身二生。倒幕の志士から新時代の政治家へ変貌していく姿を生き生きと描く。版籍奉還、廃藩置県、立憲制導入など、明治国家の建設に奔走した、木戸の後半生に焦点を絞り、その個性に迫る。
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「開国問題を機に、それまで政治の蚊帳の外におかれていた天皇の権威が急速に高まった幕末。長州藩の若手リーダーとなった桂小五郎(木戸孝允)は、いかにして動乱の時代に向きあい、新時代への道を模索していったのか。ある時は「勅」を利用し、またある時は「勅」により追いつめられる日々。朝敵の烙印を押された長州藩を復権させ、維新の栄光を背負わせた「勤王の志士」の生涯とは」。
醒めた炎 醒めた炎―木戸孝允〈上巻〉
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欧米の未発表史料、幕府隠密の報告までも駆使して幕末の動乱を活写する渾身のライフワーク。木戸孝允の生涯を描く歴史小説の大作」。




30 松陰史料、書籍、小説紹介
     <http://www.yoshida-shoin.com/torajirou/shoin-bunko.html>

このページでは、多数出ている吉田松陰、高杉晋作に関する史料・書籍・小説・DVDなどを下記のようにジャンルに分けてご紹介します。カスタマーレビューも参考に、史料、書籍、小説選びの一助として頂ければと思います。

下記ジャンルをクリックすると、このページ内の該当部分へ飛びます。 (膨大なデータ)

 【吉田松陰関連】

   ①吉田松陰が書いた著作を読む
   ②吉田松陰の言葉、名言集を読む
   ③吉田松陰の小説、書籍を読む
   ④吉田松陰の入門書を読む
   ⑤吉田松陰を深く知る(研究者の著作を読む)
   ⑥吉田松陰を見る、聞く


【高杉晋作関連】

   ⑦高杉晋作が書いた著作を読む
   ⑧高杉晋作の小説を読む
   ⑨高杉晋作の書籍を読む
   ⑩高杉晋作を見る、聞く
   ⑪その他の松陰門下関連の本を読む
    伊藤博文、山縣有朋、木戸孝允、山田顕義、久坂玄瑞、吉田稔麿


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