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折々の記 2015 ④
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 05 】05/18

  05 18 橋下の大阪都構想・一波乱決着   橋下氏、政界引退表明
  05 19 小沢一郎代表が出演 堂々と理路整然、持論を力説(板垣 英憲)   NHK「憲法記念日特集・安全保障法制を問う!」
  05 19 西鋭夫のフーヴァーレポート 二年間   詳細は<宝のお部屋>
  05 22 共産党の志位和夫委員長と安倍首相   天声人語
          ① ポツダム宣言「本当に読んでいないようだ」 志位氏、首相の「誤認」指摘(5/22)
          ②(新聞と9条:29)軍備なき国:29(5/15)
          ③(天声人語)翁長知事、首相と初会談(4/18)
          ④(新聞と9条:12)軍備なき国:12(4/16)
          ⑤(異論のススメ)日本の主権 本当に「戦後70年」なのか 佐伯啓思(4/3)
          ⑥ 自民・稲田氏「東京裁判は法律的に疑問」(2/27)
          ⑦(天声人語)首相の言葉に素朴な疑問(12/1)

 05 18 (月) 橋下の大阪都構想・一波乱決着   橋下氏、政界引退表明

橋下らしい直情型政治家の浮沈、決断実行型のなかに見習う面がある。 大きな甕の水の清濁の教えから見ると、我欲満足の弊害はいなめない。 一陣の風に似た観があった。



   ① (NHK) 住民投票は反対多数 橋下市長は引退表明
   ② (朝日1面) 橋下氏、政界引退へ 大阪都構想、住民投票で反対多数
   ③ (朝日8面) (社説)大阪都否決 「橋下後」へ具体策を
   ④ (朝日2面) (時時刻刻)風雲児「負けは負け」
   ⑤ (朝日3面) 維新の党代表・江田氏辞任へ
   ⑥ (朝日34面) さばさば「重要な意思表示」 都構想反対多数、橋下市長が会見
   ⑦ (19日社説) 橋下氏引退へ 議論なき独走の果て


5月18日 4時43分 (NHK)
① 住民投票は反対多数 橋下市長は引退表明
   http://www3.nhk.or.jp/news/

いわゆる「大阪都構想」の賛否を問う大阪市の住民投票は、17日に投票が行われ、開票の結果、「反対」が「賛成」を僅かに上回って多数となり、橋下市長が掲げた「大阪都構想」は実現せず、大阪市は存続することになりました。これを受けて、橋下市長は、ことし12月までの任期は全うするものの、次の市長選挙には立候補せず、政界を引退する意向を表明しました。

 「大阪都構想」の賛否を問う住民投票の開票結果です。
 「反対」70万5585票。
 「賛成」69万4844票。
 「反対」が「賛成」を1万票余り、得票率にして0.8ポイント上回り、多数となりました。

今回の住民投票は、大阪市の有権者およそ211万人を対象に行われ、大阪市の橋下市長が代表を務める大阪維新の会が、「大阪府と大阪市の二重行政を解消すべきだ」として「賛成」を呼びかける一方で、自民・公明・共産・民主の各党は、「コストもかかり、住民サービスも今より低下する」などとして「反対」を主張し、激しい論戦が繰り広げられました。
その結果、「都構想」は一定の賛同を得たものの、「大阪市の存続」を求める意見も根強く、「反対」が「賛成」を僅かに上回って多数となりました。これにより、大阪市はそのまま存続することになり、橋下市長が掲げた「大阪都構想」は実現せず、5年にわたる議論は決着しました。
大阪市選挙管理委員会によりますと、今回の住民投票の投票率は66.83%で、先月、統一地方選挙で行われた大阪市議会議員選挙の投票率を18ポイント余り上回りました。

今回の結果を受けて、橋下市長は17日夜、大阪維新の会の幹事長を務める大阪府の松井知事と共に記者会見し、「大阪都構想は、市民に受け入れられなかったということで、間違っていたということになるのだろう。僕自身に対する批判もあるだろうし、説明しきれなかった僕自身の力不足だと思う。今の市長の任期まではやるが、それ以降は政治家はやらない。政治家は僕の人生からは終了だ」と述べ、ことし12月までの任期は全うするものの、次の市長選挙には立候補せず、政界を引退する意向を表明しました。また、橋下市長は、記者団から、「将来、再び政治家に戻る可能性はあるのか」と質問されたのに対し、「ない。弁護士をやる」と述べました。松井知事は「知事としての残りの任期で、さまざまな問題解決に向けて働きたい」と述べました。

一方、自民党大阪市議団の柳本顕幹事長は「大阪市を守らなければいけないという思いで活動してきたが、現状を変えたいという橋下氏を中心としたメッセージが、市民の心を揺さぶったのも事実であり、地に足の着いた大阪市政を取り戻すべく、全力を尽くしたい」と述べました。


2015年5月18日05時00分 (朝日1面)
② 橋下氏、政界引退へ
     大阪都構想、住民投票で反対多数

     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11759622.htmlhttp://www3.nhk.or.jp/news/

 橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)が掲げた「大阪都構想」の是非を問う住民投票が17日に行われ、1万741票差で反対が多数となった。都構想は廃案となり、大阪市は政令指定市として存続する。橋下氏は同日夜の記者会見で政界引退の意向を表明。安倍政権がめざす憲法改正への戦略も含め、今後の国政の動きに大きな影響を与えそうだ。当日有権者数は210万4076人で、投票率は66・83%だった。▼2面=「負けは負け」・会見要旨、3面=江田・維新代表辞任へ、34面=さばさば会見

 ◆政権、改憲戦略に影響か

 今回の住民投票は2012年に成立した大都市地域特別区設置法に基づき、今年3月に大阪府、大阪市の両議会で承認された都構想案(特別区設置協定書)への賛否が問われた。大阪市をなくし、市の仕事を新設する五つの特別区と府に分けて、市と府の二重行政解消をめざした。反対派は、指定市が持っていた権限や財源が府に吸い上げられ、住民サービスが低下すると批判してきた。

 結果判明後の記者会見で、橋下氏は敗因について「僕自身にも批判があるが、都構想をしっかり説明しきれなかった。力不足だ」と説明。「市長任期まではやるが、その先は政治家をやめます」と述べ、政界から退く考えを正式に表明。12月の任期満了までは市長を続ける一方、次の市長選には立候補しない意向だ。

 憲法改正に前向きな橋下氏の看板政策が住民投票で否定されたことは、政権にとっても大きな誤算。維新の党がより一層、野党色を強めるとみられ、後半国会の最大の焦点である安全保障関連法案の審議で厳しい局面もありそうだ。

 安倍晋三首相がめざす憲法改正への影響も大きい。来夏の参院選後に改憲を発議するには、衆参各院で「3分の2」以上の賛成が必要で、維新の協力は不可欠。橋下氏が退くことで維新の党勢自体が衰える可能性もあり、首相は戦略の練り直しを迫られそうだ。

 ◆「権力者は使い捨てがいい」

 「自分なりには、悔いのない政治家としての人生をやらせてもらった」

 橋下市長は17日深夜、大阪市内のホテルで記者会見を開き、時折笑顔も浮かべながら2時間近く語った。住民投票の結果を「大変重く受け止める」とし、これまで対立もあった大阪府と市の職員の協力にも触れ「有意義な活動をさせてもらい、ありがたかった」と感謝の言葉を重ねた。

 政界引退の真意について繰り返し問われたが、「政治家は僕の人生から終了です」と断言。「僕みたいな政治家はワンポイントリリーフ。権力者は使い捨てがいい」と語った。

    *

 反対 50.38% 70万5585票

 賛成 49.62% 69万4844票

 投票率 66.83%

 (確定結果。無効票は5640票)


2015年5月18日05時00分 (朝日8面)
③ (社説)大阪都否決 「橋下後」へ具体策を
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11759550.html

 自治のあり方を問う前代未聞の住民投票で、市民は変革ではなく市の存続を選んだ。

 大阪市を5特別区に分割する協定書への反対が、賛成を上回った。橋下徹市長が提唱した大阪都構想は成就しなかった。

 橋下氏は昨夜、敗北を認め、任期満了で政界を引退する意思を表明した。結果は市を二分する大激戦だった。残る任期で橋下氏は、対立ではなく反対各派との融和に努めるべきだ。

 大阪低迷の最大の原因は府と市の二重行政にあるのだから、役所を一からつくり直し、大阪が抱える問題を根本的に解決しよう。橋下氏のこの問題意識は理解できる。だが、その先にどんな具体的なメリットがあるかが、説得力をもって受け止められなかったのではないか。

 都構想実現後の成長戦略として橋下氏が挙げたのは高速道路や鉄道の整備、大型カジノの誘致だった。一方、反対派は市民の税金が府にとられ、行政サービスが低下すると指摘した。

 反対派の主張の根拠にもあいまいな点はあった。それでも、今の暮らしに影響するのは困るという漠然とした不安感が、期待にまさったように思う。

 「橋下流」の強引なやり方が、投票行動に影響を与えたことも否定できない。

 都構想の骨格となる協定書は、大阪維新の会がほとんど単独でまとめた。府・市議会は昨秋、いったん否決した。しかし維新は水面下で公明党の協力を得て住民投票に持ち込んだ。昨年の衆院選で公明候補が立つ選挙区に、維新が対立候補を擁立しなかったことが背景にある。

 こうした経緯は「裏取引」との批判を招き、正当性への疑問を広げた。

 橋下氏が政治家としてけじめをつける姿勢は理解できる。一方、急速な少子高齢化や全国一多い生活保護受給者、11兆円を超す府と市の借金など、大阪が待ったなしの課題を抱える現状は変わらない。

 むしろ都構想の否決で、処方箋(せん)は白紙に戻ったともいえる。

 これからは反対派が具体策を問われる。自民、民主、公明、共産の各党が説得力ある対案を示していたとはいいがたい。維新を含め、党派を超えて知恵を結集すべきだ。長年の対立のエネルギーを、大阪再生へ向けた熱意に転換してほしい。

 人口減少時代を迎え、基礎自治体の規模はどれくらいがいいか。都道府県との役割分担はどうあるべきか。大阪の論戦で浮かんだ数々の課題は全国の多くの都市に共通する。各地で答えを探る営みが広がればいい。


2015年5月18日05時00分 (朝日2面)
④ (時時刻刻)風雲児「負けは負け」
     政界転身7年、頼みの民意「ノー」 橋下氏引退へ

     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11759573.html

 大阪維新の会の橋下徹代表(45)が政治生命をかけた大阪都構想が、大阪市民による住民投票で否定された。タレント弁護士から政界に転じて7年余。自治体のトップとして国政政党まで立ち上げた風雲児に対し、「民意」は小差ながら「NO」を選んだ。憲法改正など国政の動きも連動しそうだ。▼1面参照

 17日夜の記者会見。笑顔を浮かべる橋下氏に「なぜ笑顔なのか」と質問が飛んだ。橋下氏は答えた。

 「自分なりにやれることはやってきたつもりです。38歳からやってきて無理してきたところもあったでしょうしね」

 橋下氏は「究極の民主主義」として、住民投票での決着を求め続けた。いざ実施されると、大阪維新の会内部には楽観ムードもあったが、橋下氏は一貫して厳しい見方をしていた。

 「人間は不安が残っている限りは、最後は現状維持を望む。もっと厳しいと思いますよ。現実は」

 ほぼ1カ月前、記者団に漏らした予感は的中した。

 17日の街頭演説場所に選んだのは大阪・難波。「今日ですべてが決まるという日になった。大阪府知事、大阪市長とやって、一人の人間としてできることをやってきた」と訴えた。2008年1月、大阪府知事選に立候補した際に第一声を上げた地だった。

 府知事になると、自らの給料や退職金に加え、職員給料もカット。「改革者」のイメージを印象づけた。改革の行き着いた先が、府と大阪市の二重行政による無駄だった。「大阪都構想」の実現へ地域政党を立ち上げ、11年には4月の統一地方選、11月の知事と大阪市長のダブル選で圧勝。高い支持率を背景に「国政に足をかける」と揺さぶり、都構想の手続きを定める法律も成立させた。国政政党のトップにもなった。

 だが、自ら「山あり、谷あり、地獄あり。何遍も大きな壁にぶつかった」と語っていたように、上昇局面ばかりは続かない。党勢は思いのほか伸びず、都構想案は昨年10月に議会がいったん否決。公明党の協力でこぎ着けた住民投票でも厳しい風を受けた。

 告示前日まで13日間連続で開かれた都構想の住民説明会には、計39回すべてに出席。質疑も含めて1時間を超える説明を続けたが、橋下氏の政治姿勢を疑問視する意見が噴き出し、「独演会」との批判も浴びた。最終盤には「僕のことはキライでもいい。でも、大阪がひとつになるラストチャンス」と訴えるチラシを投入したほどだった。

 17日は賛成が追い上げているとの情報を得て、投票終了前に予定していた維新の党の江田憲司代表らとの夕食をキャンセル。最後まで街頭を回ったが、1万票及ばなかった。

 江田氏らの慰留を受けたが、橋下氏の腹は固まっていた。記者会見で接戦を受けた「引退撤回」の可能性を問われ、「負けは負け。いくさを仕掛け、たたきつぶすと言ってつぶされた」と否定し、こう加えた。「これだけたいそうなケンカをしかけて命を取られないというのは素晴らしい政治体制だ。この後も普通に生きて別の人生を歩める」(野上英文)

 ◆橋下維新の失速、政権落胆

 「また戦略を立て直さなければいけない」。安倍晋三首相の側近の一人は、住民投票が否決されたことに落胆の色を隠せなかった。首相が悲願とする憲法改正に前向きな橋下氏が政界引退を表明したことで、政権が来夏の参院選以降に狙う改憲戦略の再考を余儀なくされるからだ。

 今回の住民投票では、自民党大阪府連を中心に党内から都構想反対の声が上がる中、首相官邸は「大阪は二重行政(の解消)、効率化を進めるために大改革を進める必要がある。改革に向けて大なたを振るう必要がある」(菅義偉官房長官)などとあえて橋下氏へのエールを送ってきた。今後の政権運営で維新の協力を得たいとの考えからだ。

 通常国会後半には、今国会の最重要法案である安全保障関連法案の審議が控える。維新の協力が得られれば野党共闘を分断でき、有利に審議を進めることも可能だ。また、来夏の参院選後に議論の本格化が見込まれる憲法改正についても、維新の協力は欠かせない。

 しかし、今回の住民投票の反対多数で、戦略に狂いが生じることは避けられない。首相や菅氏に近い橋下氏の影響力は低下し、安倍政権に批判的なグループの発言力が強まれば、維新は国会で野党色を強める可能性が高い。同党の衆院議員は「民主党と協力していくしかない」。政府高官は「政権に批判的なグループの党内基盤が強くなると、維新は本当の野党になってしまう」と嘆く。

 首相が目指す憲法改正の発議には衆参で3分の2以上の賛成が必要。ただ、参院の自民党は現在114議席にとどまり、公明党の20議席を加えても3分の2の162議席にほど遠い。橋下氏の失速で、「橋下維新と共闘して改憲勢力を増やす」(首相周辺)との計算は再検討を迫られることになる。

 今回の大阪都構想の挫折は、国政の力学にも影響を与えそうだ。公明党幹部の一人は「官邸の補完勢力がなくなる」と指摘。自民党ベテラン議員も「安倍官邸の1強体制にも何らかの影響が出るかも知れない」と漏らしている。(星野典久)

 ◆野党再編の可能性も

 橋下氏が「政界引退」を表明したのを受け、維新の党では「自民党に対抗する勢力の結集」を持論とするグループが主導権を握り、民主党などとの再編をにらんだ連携を加速させる可能性がある。

 報道機関の世論調査で、都構想への反対多数の情勢が伝えられていた12日、江田憲司代表は民主の前原誠司元代表や松本剛明元外相と東京都内で会談した。今後の両党の関係について意見交換したとみられる。

 維新内には分裂の火だねもくすぶる。橋下氏に近い大阪選出国会議員の一人は「橋下人気で持ってきた党なんやから、橋下さんがいなくなればバラバラ。民主党に出て行く人間もおる」。こうした動きも見越し、玄葉光一郎選挙対策委員長ら民主党幹部ら約10人は13日、都内で情勢を分析。「維新は流動化するのではないか」との見方も出た。「維新の一部は民主支持の労働組合の組織力に期待して合流してくる」(党幹部)との期待もある。

 安倍政権の「1強体制」のもと、民主には維新との連携への期待が強い。岡田克也代表は15日の記者会見で「我々に次ぐ野党は維新だ。維新とは歩調が合うようにしたい」と秋波を送った。安全保障関連法案の審議で野党共闘を築いて政権に対峙(たいじ)する一方、来夏の参院選に向けて、候補者の調整を進めたい考えだ。

 だが、橋下氏が労組を厳しく批判してきただけに、維新の中には自治労や日教組といった公務員労組に距離を置く議員も多く、民主の思惑通りに進むとは限らない。また、仮に維新の一部が民主と合流する場合でも、存在感が低下しかねない吸収合併でなく、対等合併による「新党」を求めるとみられ、野党再編の壁になる可能性もある。(藤原慎一)


2015年5月18日05時00分 (朝日3面)
⑤ 維新の党代表・江田氏辞任へ
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11759663.html

 「大阪都構想」の住民投票が反対多数となったことを受け、維新の党の江田憲司代表は18日未明、大阪市で記者団に、代表を辞任する意向を明らかにした。近く代表選が行われる見通しで江田氏は後任に松野頼久幹事長を推す考えを示した。

 江田氏は辞任の理由として「都構想は維新の原点中の原点だと繰り返し申し上げてきた。(同党の最高顧問の)橋下(徹)さんという稀有(けう)な政治家を引退に追い込んだ。サポートが全く不十分だった。責任を痛感している」と述べた。辞任は、19日に開かれる執行役員会で正式決定される。


2015年5月18日05時00分 (朝日34面)
⑥ さばさば「重要な意思表示」 
     都構想反対多数、橋下市長が会見

     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11759582.html

 橋下徹大阪市長(大阪維新の会代表)が背水の陣で臨んだ都構想に、市民は僅差(きんさ)で「NO」の判断を下した。「民意は重い」「私は選挙で選ばれた」と繰り返してきた橋下氏。自ら仕掛けた住民投票によって、政治の道を去ることになった。▼1面参照

 17日午後11時10分。スーツに身を包んだ橋下氏は、大阪市北区のホテルに設けられた記者会見場に松井一郎大阪府知事(維新幹事長)とともに、姿を現した。カメラのフラッシュを浴び、笑みを浮かべた。

 「本当に重要な意思表示をしていただき、ありがとうございます。受け入れられなかったことはやっぱり間違っていたということなんでしょうね」

 さばさばとした表情で切り出した橋下氏は、市民への感謝の念を繰り返した。「日本の民主主義は相当レベルアップしたと思う。大阪市民は全国で一番政治や行政に精通されていると思う」と語り、「政治家冥利(みょうり)につきる活動だった」と満足そうに振り返った。

 12月の任期満了での政界引退も明言。都構想をめぐって対立してきた市議会の他会派に「できる限り任期までに課題を少しでも前に進めたい」と呼びかけ、ノーサイドを印象づけた。

 橋下氏は、この日午前から宣伝カーで大阪市内の投票所を駆け回り、「大阪府、大阪市、一つにまとめるラストチャンス。前に進めましょう」と最後の訴えに臨んだ。今回の住民投票は「大都市地域特別区設置法」にもとづき、賛否を呼びかける各党の活動は「政治活動」とみなされ、投票当日も認められた。午後6時過ぎにはツイッターで「これから2時間が勝負です。ここまで来ると、あなたの一票が結論を左右します」とつぶやいた。

 維新は4月の統一地方選の前半戦直後からテレビCMを展開。日替わりで新聞にチラシを折り込むなど、約4億円を投入した。しかし自治会組織や医師会などが続々と、都構想への反対を表明。対抗するため、全国から地方議員や国会議員秘書らを集め、「1千人態勢」でこの日に臨んだ。

 ◆自・民・共が連携 小差の勝利

 「勝った!」

 午後10時半過ぎ、大阪市中央区の自民党大阪府連。「反対多数確実」をテレビのテロップが伝えると、府連幹部らが歓声を上げた。

 会見した竹本直一府連会長は「本当にわずかな差。公明、民主、共産、いろいろな団体の方々が思いを同じにした結果」と語った。

 都構想の反対派は、自民党大阪市議団が中心となり、民主、共産両党が連携した。公明党も4月27日の告示日以降は構想案の問題点を訴えた。

 菅義偉官房長官は、自共の共闘を「全く理解できない」と批判した。だが自民党は協力関係を崩さず、「市民」対「大阪維新の会」の構図をアピール。17日も市内にある24行政区ごとに車をまわした。

 共産党は17日、市内365カ所の全投票所の前で「反対」を呼びかけた。中央区では、都構想の概要を解説する相談所を開き、自民党などのチラシも並べた。

 大阪府委員会副委員長の清水忠史衆院議員は「憲法改正のためには『安倍さん、何でも協力します』と言っていた橋下市長の影響力が後退する」と語った。

 ◆「予算の偏り不安」「一票の責任痛感」…悩んで投票

 有権者は自ら考え抜いて、市の将来を決める一票を投じた。

 「急すぎる改革に、市民がついていけなかった」

 大阪市西淀川区の会社員山口隆之さん(48)は17日深夜、反対が多数となった結果を静かに受け止めた。

 高校1年と小学5年の息子がいる。当初は賛成に傾いたが、税収が少なくなりそうな「湾岸区」になれば高齢者福祉の予算に偏るのでは、と不安になった。

 一方で、同区の会社員、高橋昌人さん(46)は賛成派、反対派それぞれのビラをよく読んで考え、「賛成」しようと決めた。地下鉄の民営化や市バスのサービス向上に期待した。

 住民投票が、地域全体のことを考える機会になったと受け止めた人もいる。

 この春、郵便局職員になった浪速区の和田耕治さん(22)は「かなり悩んで」反対に投じた。賛成と反対の2択が大きな政策決定になり、一票の責任の大きさを感じたという。「今回の住民投票で、地方選挙って大事なんかな、自分や地域への影響力があるんやなと感じました」と話した。

 ◆70歳以上、反対61%

 朝日新聞社と朝日放送は17日、投票を済ませた有権者に出口調査をした。20~60代で賛成が過半数を占めたが、70歳以上は反対が61%。女性は51%が反対票を投じ、特に70歳以上の女性は63%と高かった。

 賛成した人が挙げた理由は「行政の無駄減らしの面」が41%、「大阪の経済成長の面」が31%だった。一方、反対した人が挙げた理由は「住民サービスの面」が最多で36%、「橋下市長の政策だから」が26%と続いた。橋下市長を「支持しない」と答えた人の94%が反対票を入れた。

 調査は大阪市内60カ所の投票所で実施した。有効回答は2625人。


2015年5月19日05時00分 (朝日社説)
⑦ 橋下氏引退へ 議論なき独走の果て
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11760794.html

 問題提起の能力は抜群だったが、話し合って解決する姿勢は乏しい。つきつめればそんな政治家だったのではないか。

 悲願の大阪都構想が住民投票で反対多数となり、政界引退を表明した橋下徹大阪市長。「劇場型」「ポピュリズム」といわれた手法は、良くも悪くも日本政治の一端を象徴していた。

 7年余りの軌跡は有権者にとっても教訓になる。これを機に改めて考えたい。

 橋下氏の持ち味は、納税者としての感覚だったと思う。

 知事時代、国の公共事業に自治体が支出を強いられる直轄事業負担金制度に、真っ向から異議を唱えた。おかしいと感じれば一歩も引かない。見直しに導いたこの件はその典型だろう。

 公務員の政治活動に疑問を呈し、労組の事務所を市役所から退去させた。首長がもっと教育行政に関わるべきだとの考えから、文部科学省の批判を押し切り、全国学力調査の結果を府教委に開示させた。

 市民の視点で問題を次々とあぶり出す。事の本質を突く鋭さ、多弁を武器にした突破力は卓越していた。だが、その強さが、異論を顧みずに独走する危うさにもつながった。

 大阪都構想もそうだった。

 議会から多くの批判を浴び、否決されたが、奇策で住民投票に持ち込む。自ら論戦の先頭に立ち、反対派の主張を「デマ」と切り捨てた。

 異論を持つ相手を弁舌で圧倒することは目立ったが、耳を傾け、自説を柔軟に修正することはほとんどなかった。

 17日夜、記者会見で橋下氏は「日本の民主主義をレベルアップしたと思う」と語った。

 だが政治とは、多様な民意を受け止め、衝突を最小限に抑えながら合意点を探る作業だ。問題の「答え」を強引に押しつけ、立ちはだかった人を「既得権益」と攻撃する手法は、民主主義とはほど遠い。

 「選挙で僕を落とせばいい」

 橋下氏はよくそう口にした。

 大阪府知事、大阪市長のダブル選や国政選挙などで勝利するたび、「民意を得た」と勢いづく。ことあるごとに政治決戦に走る姿勢は、丁寧な合意形成をすっ飛ばす「選挙至上主義」といわれても仕方ないだろう。

 有権者も考える必要がある。

 「答え」をあらかじめ示してくれる政治はわかりやすい。だが、一度任せて追従するだけで民主主義は機能しない。

 橋下時代は区切りを迎える。これからは、選ぶ側もともに「答え」を探す。そういう姿勢が求められてこよう。

 05 19 (火) 小沢一郎代表が出演    NHK「憲法記念日特集・安全保障法制を問う!」

きのうはダイハツの軽トラ新車購入の手続きを済ませた。 そして、

ゆうべは穏やかに雨が降ってくれた。 野菜作りには嬉しい雨だった。

今朝は暫くぶりに「阿修羅」を開いてみた。 小沢一郎の記事が載っていた。

陰湿で姑息な安倍首相の安全保障のやり方、それに対して明快な論理による考え方の小沢一郎、私たちは集団帰属の考え方を離れて自分ひとりの自主判断を組み立てなくてはならないと思った。

「それでも地球は廻る」の哲理を常に堅持していたい。




2015年05月04日 ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK184 > 329.html
小沢一郎代表堂々と理路整然、持論を力説
   NHK「憲法記念日特集・安全保障法制を問う!」に出演

   http://www.asyura2.com/15/senkyo184/msg/329.html

 NHKは、この番組の趣旨について、以下のように前触れしていた。

 「戦後70年の節目となる、今年の憲法記念日特集は政府・与党が進める「安全保障法制」の整備について考えます。集団的自衛権の行使容認や自衛隊による外国軍隊への後方支援など議論すべきテーマは多岐にわたります。戦争放棄を定めた憲法9条。安全保障をめぐる環境が変化する中で自衛隊の活動をどこまで広げるのか。戦後日本の安全保障政策の転換となる「安全保障法制」について与野党の幹部が120分にわたって徹底討論します。高村正彦,長妻昭,北側一雄,江田憲司,志位和夫,松沢成文,吉田忠智,小沢一郎,井上義行,荒井広幸,【キャスター】島田敏男,中川緑,【語り】永田亮子」

 安倍晋三首相は5月14日、「安全保障法制関連法改正案」を閣議決定して、今通常国会に上程、6月24日の会期末までに成立しなければ、会期を8月上旬まで延長してでも成立を図りたいとしている。安倍晋三首相は4月29日午前(日本時間30日未明)、米議会上下両院合同会議で演説し、「日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます」と大見得を切ってきた。このため、衆参両院で強硬採決も辞さない構えだ。

◆小沢一郎代表は、「戦争の最大の重要なものは、物資の補給、後方支援、兵站戦である。後方支援するということは、憲法第9条が禁じている戦争に参加することにほかならない」「国際貢献は、国連安保理決議を受けて行わなくてはならない」「国連の決定があるまでは、それぞれの国は個別的・集団的自衛権をもって相手に反撃できると認めているけれども、国連の決定があった場合には、この国連の決定に従うというふうに日米安保条約でも条文に書いてある。従って、私は国連憲章、日本国憲法、日米安全保障条約は、まったくその意味において同じだ、三位一体である」などと力説してきている。

◆小沢一郎代表は5月3日、「憲法記念日にあたって(談話)~「憲法改正」を超えて復古的体制をめざす安倍政権~」を発表した。以下の通りである。


発言内容

 本日、日本国憲法は施行から68年を迎えました。憲法とは、国と国民の生活を守るために国民自身が定めたルールで、あらゆる法律や制度の基本となるものです。したがって、そこには自ずと安定性と硬質性が求められます。憲法96条が両院の総議員の3分の2以上の賛成を憲法改正の発議の要件としているのも、憲法の基本理念を否定するような安易な改正は認めないとしているからだと考えられます。

そういう意味からも、憲法前文で謳っている国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、国際協調という日本国憲法の四大原則は、現在においても守るべき人類普遍の考え方であり、また、国連憲章とも整合性がとれており、引き続き堅持すべきものであります。

一方で、何が何でも憲法を改正してはならぬというのもおかしな話で、旧来の護憲・改憲論議というのはあまり意味がありません。国の行く末や国民の生活を守っていく上で、時代の変遷や世界情勢の変化によって憲法の条文が機能しないような状態になった場合には、当然国民が自分たちの判断でこれを変えることは許されるものであります。

 しかし自民党の憲法改正草案をみると、国家あっての国民という視点に立ち、日本国憲法の基本理念を蔑ろにし、否定する考え方になっており、到底賛同できるものではありません。これは、憲法改正の限界を超え、改正というよりも、むしろ全く新しい憲法をつくろうというものです。自民党が現在やろうとしている「改正」は、日本国憲法の理念を抜本から覆すという意味で現憲法との連続性が無く、しかもその内容は、大日本帝国憲法よりも復古的ともいえるものとなっています。

しかし安倍内閣は、このことを正面から打ち出すと、さまざまな抵抗があり波風が立つため、あれこれ手を変え、品を変え、言葉を労して、なし崩し的に実質的な憲法改正を行っています。昨年夏の集団的自衛権の行使容認の閣議決定は、まさにその最たるものです。そして政府与党は今、集団的自衛権の行使に踏み込んだ法制度を作ろうとしています。これは憲法を完全に無視したやり方であり、法治国家・民主主義国家として決して許されるべきものではありません。

 安倍首相が本当に日本のために集団的自衛権を行使する必要があるという信念を持っているのであれば、正々堂々と憲法9条の改正を国民に問うべきです。政府は姑息な手段を講じるのではなく、正面からの政治運営を心掛けるべきです。

 こうした正々堂々の議論を避け、うわべの言葉でごまかしながら、なし崩し的に既成事実を積み重ねていく方法はまさに戦前の昭和史と同じです。「ここまで来てしまったのだから、もうしょうがない」。そういうことの繰り返しで、日本は、ずるずるとあの不幸な戦争へと突入していったのです。このような安倍首相の手法は、必ず国の行く末を誤り、国民の生活を破綻させることになると危惧しています。

日本国憲法の理念の根本は国民主権です。これは自由な意思を持つ市民の自由な議論によって得られた合意に基づき共同体国家がつくられ、その共同体国家を規制し、自分たちの生活を守るためにつくる最高法規こそが憲法だというものです。その根底には、個人の自由な意思表示というものがあり、これが憲法上の一番大事な原則になっています。

 このことを国民一人ひとりが今一度しっかりと理解し、きちんとした自己主張を展開すべき時にさしかかっているのではないでしょうか。そのくらい今の日本は危機的状況にあります。憲法改正についても、誰かによって誘導されたり強制されたりするのでは国民主権ということには決してなりません。

 05 19 (火) 西鋭夫のフーヴァーレポート 二年間    詳細は<宝のお部屋>

① Google 西鋭夫   日本大学国際関係学部教授。 概要 1941年大阪に生まれる。岡山県に疎開。関西学院大学文学部卒業。1968年に、ワシントン大学大学院にて、修士号を取得。 1968年から1971年まで、ジェイ・ウォルター・トンプソンに日本人として初めて勤務した[2]。その後、ワシントン大学大学院1976年に博士号(国際政治・教育学)を取得。1977年から1985年まで、スタンフォード大学フーヴァー研究所Posdoctral Fellow。1985年から1991年まで、NHKラジオ「NHKジャーナル」シアトル通信員。その後、スタンフォード大学フーヴァー研究所 主任研究員を経て、2007年より日本大学国際関係学部教授。日米アジア研究を行っている。その他に、スタンフォード大学フーヴァー研究所リサーチフェロー[2]、モラロジー研究所特任教授[3]、滋慶学園グループ教育顧問[3]、滋慶学園教育顧問[3]。異名は「CIAのオファーを蹴ったリアルラストサムライ(自称)」[1]。 業績 CIAからオファーがあったが断る[1]。 ハーバード大学、MITなどの大学が集まる共同研修会でメインスピーカーを務める。 スタンフォード大学フーヴァー研究所を日本の招聘し、日本の大学(日本大学・麗澤大学)で共同シンポジウムを2度企画・開催。 2014年3月13日、スタンフォード大学から「Fukushima:Three Years Later」学術論文を発表し、アクセス数世界第1位を獲得。全米大手メディアに出演。 著書   國破れてマッカーサー (中公文庫)(中央公論新社 2005)ISBN 978-4122045569   富国弱民ニッポン (広池学園出版部 1996) ISBN 978-4892053993   日米魂力戦―敗けるなニッポン (中央公論新社 2003) ISBN 978-4120034046   マッカーサーの『犯罪』―秘録 日本占領 (上巻) (大手町ブックス) ② 
 05 22 (金) 共産党の志位和夫委員長と安倍首相    天声人語

怪なるかな  快なるかな !!



2015年05月22日 (天声人語)
ポツダム宣言と安倍首相
   http://digital.asahi.com/articles/DA3S11767179.html

▼この人は手だれだ。慶応大教授の松井孝治(こうじ)さんは官僚時代、首相官邸に勤務していてそう感じたという。共産党の志位和夫委員長の国会での質問ぶりである。自身は保守、志位氏は革新と立場は異なるが、その力量はわかった

   て‐だれ【手足れ/手▽練】
        《「てだり」の音変化。「てたれ」とも》
        技芸・武芸などに熟達していること。腕きき。「―の剣客」


▼今回も手だれぶりを見せたというべきか。一昨日の党首討論について、松井さんがフェイスブックに書いている。安倍首相は〈まさに志位氏の術数にはまり恰(あたか)も王手飛車取りに遭った如(ごと)き感がある〉と

▼論題は首相の戦争観だった。志位氏は1945年に日本が受諾したポツダム宣言に触れ、先の戦争は間違っていたと認めるかとただした。首相は答弁した。「まだその部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい」

▼志位氏は宣言の個別の項目に言及した。細かい文言の記憶が首相になくても不思議はない。「手元に用意がない」などとかわす手もあったろう。しかし、「読んでいない」はいかにも具合が悪い。米英や中国の人々が聞いたら、どう思うだろうか

▼ポツダム宣言は戦後の世界秩序の起点の一つだ。首相はそれも読まずに、「戦後体制(レジーム)からの脱却」を唱えてきたのかという批判が出たのは当然である。基本的な歴史の知識すら欠くのでは、と疑われても仕方がない

▼本当に読んでいないのか、とっさに言葉を選び損ねただけなのか。参院議員や官房副長官も務めた松井さんは著書に書いている。「政治家は、言葉で生き、言葉で滅びる」。まして首相の言葉は重い。

この記事に関するニュース

  ポツダム宣言「本当に読んでいないようだ」 志位氏、首相の「誤認」指摘(5/22)
  (新聞と9条:29)軍備なき国:29(5/15)
  (天声人語)翁長知事、首相と初会談(4/18)
  (新聞と9条:12)軍備なき国:12(4/16)
  (異論のススメ)日本の主権 本当に「戦後70年」なのか 佐伯啓思(4/3)
  自民・稲田氏「東京裁判は法律的に疑問」(2/27)
  (天声人語)首相の言葉に素朴な疑問(12/1)


① ポツダム宣言「本当に読んでいないようだ」 志位氏、首相の「誤認」指摘(5/22)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11767059.html?iref=reca

 「事実誤認がある。本当に読んでいなかったことがうかがえる」。共産党の志位和夫委員長は21日の記者会見で、安倍晋三首相が20日の党首討論の際、第2次世界大戦で米・英・中の三国が日本に降伏を勧告したポツダム宣言を「つまびらかに読んでいない」と答弁したことについて、こんな皮肉を飛ばした。

 志位氏は、自民党幹事長代理だった首相が月刊誌「Voice」2005年7月号の対談で、「ポツダム宣言というのは、米国が原子爆弾を二発も落として日本に大変な惨状を与えた後、『どうだ』とばかり(に)たたきつけたものだ」と語っていたと指摘。だが、宣言は1945年7月26日に米英中の名で発表され、同8月6日と9日の原爆投下後、日本が同14日に受諾を決定した。志位氏は「(宣言は)二つ原爆が落ちた後に『たたきつけられた』ものではない。事実誤認がある」と述べた。

 20日の党首討論では、志位氏がポツダム宣言について「日本の戦争について世界征服のための戦争であったと明瞭に判定している。総理はこのポツダム宣言の認識を認めないのか」と質問。首相は直接答えず、「その部分をつまびらかに読んでいないので、直ちに論評することは差し控えたい。先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがある」と述べていた。


②(新聞と9条:29)軍備なき国:29(5/15)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11755981.html?iref=reca

 ――平和的で責任ある政府が日本に樹立されたら、占領軍は直ちに日本から撤収しなければならない。

 ポツダム宣言は、そう定めていた。

 では、占領終結後、軍備をもたない日本は、冷戦下をどう生きていくのか。

 重大な岐路にさしかかった。

 ソ連、中国を含むすべての連合国と講和条約を結んで中立を守るか(全面講和)。それとも、米国など西側諸国と講和条約を結んでその陣営に加わるか(単独講和)。

 朝日新聞は1950年5月20日から3回連続で社説「講和に対する態度」を掲載した。筆者は論説主幹の笠信太郎だ。

 「(武装せず戦争せずの)平和国家の立場を揺(ゆる)がすことなく、日本は講和を通して独立を回復しなければならない」(21日)

 「軍事基地さえあれば果(はた)して万全であると保証しうるか。国土に軍事基地をもつことによつて公然の敵国を予想することにはならないか」(22日)

 6月21日、米国務長官顧問のダレスが来日し、翌日、首相の吉田茂と会談した。このとき米国は、日本の再軍備を初めて真剣に持ち出した(吉田「回想十年」)。

 吉田は言った。

 「日本は、民主化と非武装化を実現し、平和愛好国となり、さらに世界世論の保護に頼ることによって、自分自身の力で、安全を獲得することができる」

 吉田は、再軍備を求めるダレスに同調しなかった。もともと吉田は「あの(憲法9条の)規定は悪くない」と思っていた(吉田の回顧談〈録音〉の存在を報じた77年4月18日付朝日新聞夕刊から)。

 会談後、ダレスは、連合国軍総司令部(GHQ)外交局長のシーボルトに語る。

 「まるで不思議の国のアリスのような感じがした」(シーボルト「日本占領外交の回想」)

 50年6月23日、朝日新聞は、日本の針路を改めて社説で論じた。

 「日本が非武装の意志を貫き……東西対立の激化の要因とならぬことが重要であつて、そのためには、非武装国日本に対する好意ある国々の強き安全保障の約束を要望すること以外にはあるまい」

 2日後の25日午前4時ごろ、北朝鮮軍が韓国への侵攻を開始した。(上丸洋一)

 ◆「軍備なき国」は終わり、次回から「朝鮮戦争と再軍備」に入ります。


③(天声人語)翁長知事、首相と初会談(4/18)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11710891.html?iref=reca

▼米国のペリー提督が那覇に最初に入港したのは1853年5月だった。日本の開国を求め、黒船で浦賀沖に向かう前のことである。その後も訪問を重ねるうちに、琉球の人々は米国人に友好的になっていった。ペリーの報告書『日本遠征記』が喜ばしげに記している

▼翌年7月、琉球王国は合衆国と修好条約を結ぶ。これは琉球が「独立国」と認められていたことを意味する。一方で薩摩藩の支配を受けつつ、他方で当時の清にも朝貢を続ける。「日中両属」の状況下での琉球外交は複雑だったろう

▼1879年に明治政府から「琉球処分」を受け、沖縄県となる。それは「国を失う」衝撃だったと、日本総研理事長の寺島実郎(じつろう)氏が指摘している。諸藩が県になるのとは違う。元は独立国だったのだから、と

▼いま沖縄県民の間で再び「独立」が語られる。米軍普天間飛行場の辺野古移設問題への怒りである。「沖縄が日本に甘えているのか。それとも日本が沖縄に甘えているのか」。翁長雄志(おながたけし)知事のかねての訴えが、怒りの深さを映す

▼知事と首相との初会談がきのう実現した。やっとである。首相は辺野古移設が「唯一の解決策」と繰り返し、知事は「絶対に辺野古新基地は造らせない」と応じた。歩み寄りの気配はうかがえない

▼首相の言う「日本を取り戻す」の中に沖縄は入っているのだろうか。知事が先日、官房長官にぶつけた問いである。独自の歴史に誇りを持つ沖縄を一層の礼をもって遇しない限り、平行線は交わるまい。


④(新聞と9条:12)軍備なき国:12(4/16)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11708605.html?iref=reca

 敗戦の年も押し詰まった1945年12月29日、読売報知は「憲法改革を人民の手に」と題する社説を掲げた。

 「新日本の憲法は主権在民、一定生活水準の享受をも含めた人民の諸権利を確保し、封建的遺制の撤廃、フアシズム、ミリタリズム(軍国主義)再興の防止を完璧にせねばならぬ」

 帝国憲法改正の最大の焦点は、天皇をどう位置づけるかにあった。

 「国体護持」を条件にポツダム宣言を受諾した旧来の指導層は、天皇主権の国体に変更があってはならないと考えた。しかし、ポツダム宣言に沿って民主化を進める上では、主権を国民に移すほかない。

 読売報知のように明確に主権在民を主張した新聞は、まれだった。ただし、当時の地方紙の論説を集めた研究報告書「占領期の憲法論議」(赤澤史朗)によると、なかには次のように主張した新聞もあった。

 中部日本新聞の社説「最も進歩的なる憲法改正を望む」(10月14日付)――。

 「現在日本に要求されてゐるものは、飛躍的な民権向上と自由進歩である。……今後久しく改正の要なき程度に、完全に進歩的な改正を断行するの必要ある」

 京都新聞も平和にかける意欲を社説(12月30日付)で明快に論じた。

 「世界平和への協力は……断じて、勝者に対する劣敗者の屈従の道ではないのだ。まさに人類の理想である」

 一方、朝日新聞のこの年の憲法社説は、検討を急げと論じた「欽定(きんてい)憲法の民主化」(10月13日付)と、近衛文麿の関与を批判した「旧態依然たり」(18日付)の2本にとどまる。どう改正すべきかについて、自らの意見を示さなかった。

 46年2月1日、政府の憲法問題調査委員会(松本烝治委員長)の委員が作成した改正案の一つを毎日新聞がスクープした。

 〈第一条 日本国は君主国とす〉

 〈第二条 天皇は君主にして此(こ)の憲法の条規に依(よ)り統治権を行ふ〉

 天皇が統治権を保持する点で帝国憲法と違いがなく、連合国軍総司令部(GHQ)には受け入れ難かった。

 マッカーサーは、GHQで憲法草案を作成し、日本側に指針として示すことを決意。3日、草案に盛り込むべき原則を部下に伝えた。天皇制存続と戦争放棄、封建制の廃止が、それだった。(上丸洋一)


⑤(異論のススメ)日本の主権 本当に「戦後70年」なのか 佐伯啓思(4/3)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11685246.html?iref=reca

《なかなか味わい深い主張である。 思考の広がりと深化は議論では大事な視点に違いない》

 今月から毎月、このコラムを担当することとなった。いささか耳障りで、読後感がざわつくようなことも、時には書かせていただきたいと思う。「わたし」の常識は必ずしも「あなた」の常識ではないだろうし、「あなた」にとって自明のことが「わたし」には大いに疑わしかったりする。しかしそのとき、異論や異説にただ目をつむるのではなく、それと出会うことによって、われわれの考え方は多少はきたえられるだろう。そんなことを考えながら、書いてみたい。

    *

 ところで、のっけから奇妙なことを書くが、今年は、本当に「戦後70年」なのだろうか。確かに、1945年の8月15日は終戦の日で、それから勘定すると、戦後70年である。新聞や雑誌でも戦後70年特集が組まれている。しかし本当にそうなのだろうか。

 この何年か、新入生に、4月28日は何の日かを聞いてみた。知っているものはほぼいない。5月3日でもかなりあやしいのだから、仕方がないのではあるが、これでは、確かに「本当に戦後70年なのか」などといっても詮(せん)ないのかもしれない。

 5月3日はいうまでもなく憲法記念日であり、4月28日はといえば、サンフランシスコ講和条約が発効した日付である。この条約の第1条には、日本と連合国との戦争状態は、この条約の発効とともに終了する、とある。この講和条約は主として西洋諸国との間であって、中国やソ連を含むものではなかったが、いずれにせよ日本は、国際法的な意味では、1952年の4月28日に公式に戦争を終結したのである。

 これは案外と重要なことである。正式かつ公式的には日本の「戦後」は52年から始まったことになる。「本当」は今年で戦後63年である。

 それを、われわれは、「戦後」は45年8月15日から始まる、として疑わない。奇妙なことである。

 では、45年から52年の間は何だったのか。いうまでもなく連合国の占領下に置かれていた。だから、この「二つの戦後」のとり方によって、占領政策を「戦後」に繰り入れるのか、あくまでアメリカの支配期間と見なすのか、ここに実は大きな相違がうまれる。

 2年前、政府は4月28日に主権回復の記念祝典を主催した(これには、当時、主権が回復しなかった沖縄から抗議がだされたが)。確かに、サンフランシスコ講和条約には、連合国は日本国民の「完全な主権」を承認する、とある。「完全な主権」が何を意味するかは、多少、議論の余地はあるが、少なくとも、それ以前には、日本は通常の意味での主権国家とはいえなかった、ということになる。事実上、主権は奪われていた。

 とすればどういうことになるか。日本はポツダム宣言を受け入れ、1945年8月15日に国民に公表された。敗戦を認めた。しかし、その後に生じたことは連合国による「占領」であり、主権の事実上の剥奪(はくだつ)であった。

 つまり、45年の8月15日とは、敗北を認めた、いわば「敗戦の日」であり、52年の4月28日が正式な「終戦の日」ということになる。

 いまさら、誰もこんなことはいわない。今頃になってそんなことをいって何になるのか、と多くの人はいうだろう。しかし、実は、ここには大問題が潜んでいる。

 というのは、もしも、45年から52年まで、日本が事実上、主権を剥奪されていたとすれば、この間の様々な決定は、日本の主体的な意思に基づいた決定とはいえないからである。いうまでもなく、このことが大きな問題を引き起こすのは、まさにこの間に戦後憲法が制定されたからである。

 主権国家ではない国が、果たして憲法を制定できるのか。これは、憲法というものの理念からして、決定的な問題であろう。多くの場合、戦後憲法についての議論は、アメリカによる「押し付け」の妥当性をめぐって行われる。しかし、問題はそうではない。「押し付け」であろうがなかろうが、憲法の実質的な正当性にかかわるのである。

 事実上、主権をもたない国家が、主権の最高の発動である憲法を制定できるのだろうか(明治憲法の大改正であるとしても)。こう問えば、私は否定的にならざるをえない。「押しつけ」論の妥当性や、内容の評価より以前に、その正当性が疑わしい、といわざるをえない。

    *

 といっても、もちろん、いまさら、あの戦後日本国憲法は無意味であり、無効でした、などというわけにはいかない。それこそ戦後68年、われわれがそれを擁してきた、という事実は消せるものではない。私がいうのは原則論であり、原則論がそのまま現実論になるわけではない。

 ただ、われわれは、それこそ70年にわたって、戦後は45年8月15日に始まると信じて疑わなかったのである。だから、この日を期して、侵略戦争を犯した軍国主義の反省にたって、その上で民主的日本へと再生した、という「物語」を作り出した。

 しかし、実際には、この日(正確には、日本が降伏文書に署名した9月2日)から、日本は事実上の主権を剥奪され、占領下におかれたのである。この事実から目を背けるべきではない。護憲であれ、改憲であれ、廃憲であれ、結論は人それぞれでよい。しかし、上に述べた「原則論」はやはり押さえておくべきことであろう、と思う。

    ◇

 さえきけいし 1949年生まれ。3月末に京都大学教授を退職。保守の立場から様々な事象を論じる。著書に「反・幸福論」など

 ◆原則、第1金曜に掲載します。


⑥ 自民・稲田氏「東京裁判は法律的に疑問」(2/27)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11623170.html?iref=reca

 自民党の稲田朋美政調会長は26日の記者会見で、連合国がA級戦犯を裁いた東京裁判(極東国際軍事裁判)について「事後法であるという批判が国際法の学会などから出ており、法律的には疑問がある」と述べた。稲田氏は「(戦争)指導者個人の責任を問う法律は、当時ポツダム宣言を受諾した時点では国際法に無かった」と指摘。「東京裁判が無効という意味ではないが、(判決の)中に書かれている事実関係については、きちんと私たち自身で検証する必要がある」と述べた。


⑦(天声人語)首相の言葉に素朴な疑問(12/1)
     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11483908.html?iref=reca

▼衆院選の公示を前にして疑問に思うことがある。安倍首相は先日の本紙の党首インタビューでこう語った。憲法解釈の変更について、「憲法改正をしなければ、これ以上はできないということだろうと思う」

▼安倍政権は7月の閣議決定でこれまでの解釈を変え、集団的自衛権を行使できるようにした。ここまではOKだが、それ以上はだめで、やるなら条文を変える必要があるというわけだ。その線引きの根拠はいったいどこにあるのだろう

▼政府は従来、憲法9条の下では集団的自衛権は行使できないと解釈してきた。そして、国会論議などの積み重ねを経て確立され定着している解釈を政府が基本的に変更することは困難だとし、行使を認めるなら条文の改正という手段をとらない限りできない、と答弁してきた

▼この三段構えの堅牢な線引きを、閣議決定は一挙に取り払った。大変な荒業だった。これ以上やれば憲法解釈の「継続性、安定性」を損なうことになると首相は言う。しかし、7月の決定こそが継続性を断ち切り、安定性を奪ったのではないか

▼首相の言葉に首をひねるのは消費増税の場合でも同じだ。1年半延期するけれども、その先で再び延期することはないと、「皆さんにはっきりそう断言いたします」。アベノミクスで必ずや増税できる状況にするというのだが、断言する根拠が見えない

▼これらは、首相が嫌う「批判のための批判」ではない。素朴な疑問である。選挙戦を通じて解消されるのならば幸いだ。