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折々の記 2015 ④
【心に浮かぶよしなしごと】

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【 09 】06/08

  06 08 地銀決算 業績堅調も本業利益は減少続く   NHK日経平均株価ニュース詳細
       亡霊通貨   いつか崩壊する運命にある
  06 09 憲法をめぐる「賢慮」   (天声人語)
  06 10 米軍撤退「日本が望まず」   戦後70年・第4部 (沖縄:下)

 06 08 (月) 地銀決算 業績堅調も本業利益は減少続く   NHK日経平均株価ニュース詳細

QE(量的金融緩和政策)による「亡霊通貨」の増加によって、見かけ上の株価高騰で酔いしれていると何時株価暴落銀行倒産がはじまるか判らない。

そのため全国地方銀行のことし3月期決算を見ると、次のような記事が出ています。



2015年6月8日 4時03分(NHK)
地銀決算 業績堅調も本業利益は減少続く
   日経平均株価 ニュース詳細

   http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150608/k10010106431000.html

全国の地方銀行のことし3月期の決算は、最終的な利益の総額が前の年とほぼ同じ水準を維持して堅調な業績となりましたが、本業に当たる融資などによる利益は7年連続で減少し、地方銀行にとって本業の立て直しが引き続き課題となっていることが浮き彫りとなりました。

金融庁がまとめた埼玉りそな銀行を含めた全国106の地方銀行単体のことし3月期の決算は、最終的な利益の総額が1兆629億円となりました。これは、30%の増益となった1年前より0.7%減ったもののほぼ同じ水準を維持しました。

堅調な業績となったのは、景気の回復傾向を反映して貸し倒れに備えた費用がほぼ半分に減った一方で、窓口での投資信託や保険の販売が好調で、銀行が受け取る手数料収入が伸びたためです。

ただ、本業に当たる融資などによる利益は、競争の激化に伴って貸し出しの金利が低下していることなどから、前の年を2%下回りました。融資などによる利益は7年連続の減少となり、人口減少で融資先が減っていくおそれも指摘されている地方銀行にとって、地域経済の活性化に貢献するなどして本業の立て直しを図っていくことが引き続き課題となっています。



「亡霊通貨」について

日銀の黒田総裁は安倍政権の意向に沿って、担保のない信用紙幣を増発している。
これをQE=量的金融緩和政策、量的緩和(策)という。
   (QE=Quantitative easing : Quantitative=量の;量で計られる easing=ゆるめる;楽にする)
検索してみると、まずはじめに次のサイトを挙げている。
kenchicjunreiのブログ
日々の生活の関心ごとと建築とか、 投資、FXとか、金融政策などについて

そのサイトを調べると、次の記事が出ている。


November 02 [Sat], 2013, 23:26
史上最大のバブルがはじけ基軸通貨ドルが終わる時がやってくる
   http://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/45

いつ、それはやってくるのか。

それは何月何日に来るということがわかり、それを君に言える能力があれば、私は、リッチになるよ、と前置きして、伝説的な投資家の大富豪Jim Rogersジム・ロジャーズは、言う。

   Jim Rogers: 'Catastrophe' Coming, Thanks to Central Banks'

このタイトルのインタビュー記事のなかで、 中央銀行による紙幣刷りまくりによる「歴史的バブル、その破局は、Yes, it's coming.来るのだよ、」と言った。

いま、米国の株式相場は史上最高値の水準にあり、米国債も高値(金利安)で、破局なんて来そうもない。

大抵のひとは、そう思っている。

しかし、FRBによるドルを刷りまくりのQE(量的緩和策)が、株や債券を押し上げのバブル資金となり、FRBが、米国債や不良化債券を買いささえている。

しかも、このドル紙幣はニクソンショックいらい金兌換から切り離されたが、一定程度の金ゴールドに裏打ちされている、というそれも十分ではない。それどころか、各国から預かったフォートノックスの金塊のなかからタングステン塊の金メッキが発見されている。ドル紙幣を裏打ちしているのは、米国債という紙券であり、紙幣を発行するFRBが買い受ける紙券である。

このバブル、泡、の規模状態は歴史上、はじめてであり、「世界は流動性の人工の海に浮かんでいるのであり、それは、破局がやってくるし、よりひどい大災害となってやってくる」、とJim Rogersは、言う。

リーマンショック以降の世界の中央銀行によるのQE(量的緩和策)の総額は、1000兆円規模といわれる。

このブログで先日紹介した、元世界銀行の上級顧問であったカレン・ヒューズさんの発言、

『ドルはクラッシュ目前なのです。何故なら、価値が無いからです。これは資産に裏付けされていない紙幣にいつでも起きる事なのです』

にあるように、覇権力はあっても、金本位制など物質的な支柱を持たない、覇権国基軸通貨の歴史で見れば、その通貨の崩壊がどの場合でも起きた事を目の当たりにすることになる。

11月1日の田中 宇さん「国際ニュース解説」の記事 では、
=====================================  ◆  =====================================

「歴史的に見て、金本位制など物質的な支柱を持たず覇権国への信用のみが支柱の『亡霊通貨』になった基軸通貨の寿命は、だいたい40年だ。 ドルは1970年代のニクソンショックで亡霊通貨になってから42年だ。 ドルの基軸通貨としての歴史は、すでにポルトガルやオランダが覇権国だった時の両国の基軸通貨の寿命より長い」
=====================================  ◆  =====================================

とある。

FRBがQEをやめたら、株も債券も下がる。ドル国債と、基軸通貨ドルが崩落する。

FRBがQEをやめられずにそれを続けたら、バブルはいっそう巨大になり、その破裂がもたらす金融と経済の崩落はその分、巨大になる。

どっちにしても、・・・逃げ場は見つけたとしても、逃げ道はない。

では、日本の財務省と日銀は、逃げ道はないが、逃げ場は見つけたのか。



 06 09 (火) 憲法をめぐる「賢慮」   (天声人語)

6月5日の朝日新聞に‘安保法制、3学者全員「違憲」’が載せられていた。

今日は天声人語に京大教授の佐藤幸治の様子が載っている。むべなるかな !!



2015年6月9日05時00分 (朝日新聞)
憲法をめぐる「賢慮」
     天声人語

     http://digital.asahi.com/articles/DA3S11798282.html

▼教え子の一人が驚いていた。「あんなに激しい口調で語る先生は見たことがない」。憲法学界の重鎮、京大名誉教授の佐藤幸治(こうじ)さん(78)である。6日、法学や政治学の専門家らがつくる「立憲デモクラシーの会」のシンポジウムで講演した

▼省庁再編などの行政改革や裁判員制度を導入した司法改革に携わった。学界には政治に距離を置く人も多いが、佐藤さんは自民党政権の内側から改革を進めてきた。しかし、安倍政権の姿勢には危機感が募るようだ

▼講演で憲法改正の必要性を一概に否定はしないと述べた上で、こう強調した。「憲法の根幹を安易に揺るがすようなことはしないという賢慮(けんりょ)が必要であると強く思う」。今国会で議論が続く安保法制が念頭にあるのだろう

▼9条の下で集団的自衛権の行使は認められず、その憲法解釈を便宜的に変更することも許されない。こうした歴代内閣の立場を安倍政権は打ち捨てた。まさに「根幹」、憲法で政治権力を縛るという立憲主義そのものが危機に瀕(ひん)している

▼政権は異論に耳を貸さない。「賢慮」の気配もない。佐藤さんは怒りを隠さない。英米独でも憲法の根幹は変えていないのに「日本はいつまでそんなことをぐだぐだ言い続けるのか。本当に腹立たしくなる」

▼立憲主義は長い歴史を通じ人類が学びとった深い叡智(えいち)――。佐藤さんの持論だ。自由と人権を希求した人類の格闘が憲法には刻印されている。それを失わないために今、私たちが賢慮を取り戻さなければならない。



 06 10 (水) 米軍撤退「日本が望まず」   戦後70年・第4部 (沖縄:下)

現沖縄県知事翁長さんはアメリカへ行って「辺野古基地移設を拒否する」と、県民の意思を伝えた。 ただならぬ思いからである。

こんな結果になったのはどこかで間違っていたはず。 今になってみるといろいろと検証された事実が伝えられ、庶民は事の真相と本来あるべき平和への道の進み方を学ぶことができる。

折りしも、今日は土浦の海軍飛行予科練習生の建物がほぼ全部空爆によって破壊炎上した日でした。 ‘地球の運命を握る者たち・ついに世界はアメリカを包囲しはじめた、の副題のついた「一本の鎖」広瀬隆著’と‘税金を私物化した金融集団・日本経済にいま何が起こっているか、の副題のついた「私物国家」広瀬隆著’ きのうこの二冊が着本した。



2015年6月9日12時44分 (朝日新聞・戦後70年)
米軍撤退「日本が望まず」
     ミネアポリス=真鍋弘樹 谷田邦一、真鍋弘樹、松下秀雄

     http://digital.asahi.com/articles/ASH6564PHH65ULZU00K.html

写真・図版
ワシントンと東京で同時に行われた沖縄返還協定調印式。中央は調印する愛知揆一外相(右側)とマイヤー駐日米大使、右端に佐藤栄作首相と閣僚たち=1971年6月17日、東京・永田町

■沖縄〈下〉

 1971年6月17日夜。沖縄返還協定調印式が首相官邸の大広間で行われた。

   特集・戦後70年 【⇒ここをクリック】

   特集・戦後70年の内容

朝日新聞のトピックスの中に「戦後70年」がある。 ここを開くと、

   1 トップの中には「ビジュアル年表」(=写真と映像でふりかえる戦後70年)があり、クリック
     すると1~6章に分かれて写真と映像、解説など見ることができる。
   2 年表を開くと、「日本の戦争と戦後の歩み・年表」(=1931~2014の主要な年表記事)が
     出ている。
   3 解説ページは簡単ながら「満州事変以前」~「沖縄と米軍基地」の解説が載っている。
   4 次には「時代のしるし」として‘文化の動き’‘世界の出来事’が、1945~2014の年表式
     に出て続いて‘時代のしるし一覧’として"(戦後70年)……"の形式でURLが7つ開ける
     ようになっている。
   5 (戦後70年)の「連載記事一覧」が紹介されている。【ここをクリック】
      (戦後70年)米軍撤退「日本が望まず」(2015/06/09)
      (戦後70年)悲劇に代えて「青い海」(2015/06/08)
      (戦後70年)基地の傷痕、私の町も(2015/06/07)
      (戦後70年)米に「敵国 日本」の記憶(2015/04/20)
      (戦後70年)ナチスの禁書、出版巡り論争 恥か教訓か(2015/04/18)
      (戦後70年)弔うため、私は生きた(2015/03/14)
      (戦後70年)罪の意識 胸にしまった(2015/03/13)
      (戦後70年)家族失い、自分責めた(2015/03/12)
      (戦後70年)空襲の日々、心がまひした(2015/03/11)
      (戦後70年)名古屋城炎上、継承いま 専門学校講師らが映画(2015/03/10)
      (戦後70年)空襲、街ごと標的 火の海に(2015/03/10)
      (戦後70年)考えさせる歴史教育を 近藤孝弘・早大教授(歴史教育学)(2015/03/03)
      (戦後70年)愛国教育への意識、変化も 中国(2015/03/03)
      (戦後70年)「価値」押しつけに警戒感 イギリス(2015/03/03)
      (戦後70年)「加害」と向き合う途上 ポーランド(2015/03/03)
      (戦後70年)入植と先住民、論争半世紀 オーストラリア(2015/03/03)
      (戦後70年)教科書と違う見方も紹介 コソボ(2015/03/03)
      (戦後70年)空襲、木が「生き証人」(2015/02/28)
      (戦後70年)戦争、頑張る恐怖(2015/02/27)
      (戦後70年)壕の闇、遠ざかる(2015/02/26)
      (戦後70年)抑留の地、友情刻み眠る(2015/02/25)
      (戦後70年)紛争と日常、薄い壁(2015/02/20)
      (戦後70年)ひめゆり 語り部の引退(2015/02/19)
      (戦後70年)近づく 靖国と自衛官(2015/02/18)
      (戦後70年)想像の玉砕画に賛美(2015/02/17)
      (戦後70年)「戦地派遣」、過酷な現実(2015/02/16)
      (戦後70年)風船爆弾の記憶、後世に 名古屋・椙山女学園高(2015/02/12)
      (戦後70年)日中韓つなぐ100冊の輪(2015/01/08)
      (戦後70年)抗日映画に浮かぶ断層 戦争の記憶めぐり(2015/01/07)
      (戦後70年)償いから始まったODA 変わる支援の形(2015/01/06)
      (戦後70年)明太子、韓国に里帰り 味が国境を溶かす(2015/01/05)
      (戦後70年)隣人のぬくもり感じた(2015/01/04)
      (戦後70年)日系人、収容の歴史経て向き合う(2015/01/02)
      (戦後70年)日系人、米国で咲かせた「多様性」(2015/01/02)
      (戦後70年)世界からのメッセージ(2015/01/01)
      (戦後70年)平和だからこそ 認められた和服地ドレス(2015/01/01)
      (戦後70年)個の力紡ぎ、世界へ挑む(2015/01/01)
      (戦後70年へ)歴史と向き合う、世界は(2014/12/08)
      (戦後70年へ)特攻、美談にしないで 体験を自費出版(2014/10/27)
      (戦後70年へ)生かされた 自分が言わねば(2014/10/26)
      (戦後70年へ)「志願しない」はありえない(2014/10/26)
      (戦後70年へ)日系教師の思い継ぐ 延岡空襲で犠牲(2014/10/24)
      (戦後70年へ)2度の不時着、残った後ろめたさ(2014/10/24)
      (戦後70年へ)「あと3時間で神に」 母の顔浮かんだ(2014/10/22)
      (戦後70年へ)特攻、戦局悪化の末に(2014/10/22)
      (戦後70年へ)海に眠る子に祈り続ける(2014/08/26)
      (戦後70年へ)裏道へ、遺族にあわす顔ない(2014/08/25)
      (戦後70年へ)父「生き残ったと人前で言うな」(2014/08/23)
      (戦後70年へ)教え子13人引率、全員犠牲に(2014/08/22)
      (戦後70年へ)海に消えた1485人 対馬丸撃沈(2014/08/22)
      (戦後70年へ)生き残った私の罪(2014/08/22)
      (戦後70年へ)アーサー・ストックウィンさんに聞く(2014/08/21)
      (戦後70年へ)戦場の現実、描く使命(2014/08/16)
      (戦後70年へ)非核、原爆も原発も(2014/08/16)
      (戦後70年へ)追悼のかたち、歴史映す 米国・ドイツ・韓国・イタリア(2014/08/15)
      (戦後70年へ)人間性、捨てさせる(2014/08/15)
      (戦後70年へ)孫たちの靖国と戦争(2014/08/15)
      (戦後70年へ)独りだけ生還、悩み続けた(2014/08/14)
      (戦後70年へ)不買運動、そして消費者が王様になった(2014/08/14)
      (戦後70年へ)醜さ露呈するのが戦場(2014/08/12)
      (戦後70年へ)紛争の海、歴史観の「断層」あらわに(2014/08/12)
      (戦後70年へ)友の死、今こそ語る(2014/08/12)
      (戦後70年へ)「あの戦争」を知りたくて(2014/08/12)
      (戦後70年へ)日本の歩み、世界史に問う(2014/08/12)
      (戦後70年へ)敵対関係を超えて 共有進む虐殺の記憶(2014/08/11)
   6 ニュース一覧 「連載記事一覧」が紹介されている。【ここをクリック】
      アンネの義姉「重荷だった」 日記に書かれなかった苦難(2015/06/11)
      両陛下、戦没船員の追悼式に出席 花束たむけ拝礼(2015/06/10)
      失った家族、森で聞いた銃声…沖縄戦の痛み、今も抱えて(2015/06/10)
      首相に戦後談話の継承要求 村山元首相と河野氏が会見(2015/06/10)
      「繁栄が脅威に」フィリピン大統領、国会で中国批判(2015/06/04)
      天皇陛下、比大統領を歓迎 宮中晩餐会でのおことば全文(2015/06/04)
      朴大統領に早期の日韓首脳会談促す 両国の元首相ら(2015/06/03)
      「政策実現には政治の力がないと」 経団連会長就任1年(2015/06/03)
      「ポツダム宣言・東京裁判受け入れた」 首相が明言(2015/06/01)
      名護市長「沖縄の現状は植民地」 米で市民団体に説明(2015/05/31)
      かつての激戦地、和解の場に インパールで戦没者慰霊祭(2015/05/30)
      歴史問題で日中韓に異例の苦言 シンガポール首相(2015/05/30)
      中国で日本語学ぶ学生、7割が「親しみ」 民間団体調査(2015/05/26)
      両陛下、東京大空襲の犠牲者を慰霊 戦後70年の節目に(2015/05/26)
      官房長官「日中関係よい結果になる」 習主席演説を歓迎(2015/05/25)
      自民・二階氏、戦後70年談話「仲良くいくように期待」(2015/05/24)
      島サミット、福島で開幕 日本、中国意識し支援アピール(2015/05/23)
      70年越し、亡き兄に会えた 頼りは写真、疎開先探す(2015/05/22)
      鈴木京香さん朗読の旅、最後は広島 折り鶴千羽手向ける(2015/05/22)
      安倍昭恵夫人が靖国神社参拝 フェイスブックで紹介(2015/05/21)
      首相「ポツダム宣言つまびらかに読んでない」 党首討論(2015/05/20)
      鈴木京香さん、平和願って朗読 各地の小学校を巡回(2015/05/20)
      北方領土「日本に権利ない」 ロシア外相、地元紙に(2015/05/20)
      「温暖化で沈む国」のいま 水没にらみ全島移住も(2015/05/17)
      「国際平和支援法案」など安保11法案、閣議決定(2015/05/14)
      戦没者遺骨、DNA鑑定対象を拡大へ DB化も(2015/05/14)
      沖縄、15日で復帰43年 本土との溝深く(2015/05/14)
      無念の思いに心寄せ 各地の戦跡訪ねた写真家が図鑑(2015/05/14)
      戦後70年談話「関係国の共感得るものに」 福田元首相(2015/05/09)
      安倍首相の式典不参加「判断を尊重」 ロシア駐日大使(2015/05/08)
      日本の歴史家を支持する声明(全文)(2015/05/07)
      歴史「偏見なき清算を」 米の日本研究者ら187人声明(2015/05/07)
      米、韓国大統領の批判に同調せず 安倍首相の米議会演説(2015/05/06)
      高村氏「AIIB参加検討も」 中国共産党3位と会談(2015/05/05)
      菅原文太さんとは「同志的連帯」 妻が語る辺野古問題(2015/05/04)
      戦後70年、揺れる憲法 国会論議控え、各地で集会(2015/05/03)
      独首相「歴史に終止符ない」 戦後70年前に呼びかけ(2015/05/03)
      自民若手、党の現状に危機感 「保守中道」勉強会発足へ(2015/05/02)
 外交史上初の衛星を通じた同時調印式である。東京側にいた国務省法律顧問、チャールズ・シュミッツ(77)はテレビの向こうとの空気の違いに気づいた。

 日本は格式張っており、首相の佐藤栄作の音頭で乾杯をした。一方、早朝のワシントンでは、米国務長官ロジャーズらがコーヒーとドーナツを手にしていた。

 さらに対照的だったのが会場の内と外だった。琉球政府主席の屋良朝苗は出席を断り、那覇市内では米軍基地が残されたことに「新たな差別と屈辱を押しつけるもの」と声が響いた。都内でもデモ隊が車を炎上させたが、シュミッツの胸には大きな安堵(あんど)があった。

 沖縄返還は「ルイジアナ購入」以来の最良の取引だったと後年、彼は語る。19世紀初頭、広大な土地をフランスから安価に買った史実を引き、返還がいかに得だったかを示す発言だ。

 「なぜなら、必要なものはすべて手にしたから」。シュミッツはワシントン近郊の自宅でそう話した。

 返還交渉で米側が目指したのは、基地を維持して自由に使用すること。沖縄に使った資金を日本から回収し、統治コストを負わせること。復帰後の沖縄を運命づける原点が、ここにある。

 資金回収するための日本あての「請求書」を書くのがシュミッツの仕事の一つだった。要求したのは3億2千万ドル(当時の1152億円)。「返還後5年は日本が基地を追い出さない」と仮定して算出した額だという。

 「基地が永遠に居続けるとは思わなかった。控えめに見積もって5年か、と」

 70年前後、安保条約と返還交渉に反対する運動が激化していた。その後40年以上も沖縄に米軍基地がとどまるとは、担当者ですら想像できなかった。

 なぜ動かなかったのか。ヒントになる証言がある。

 「『彼ら』は我々を沖縄から追い出したくなかった」。沖縄少女暴行事件があった95年に駐日大使を務めていたウォルター・モンデールが離任後、国務省の聞き取り調査に語った言葉だ。

 現在、米中西部ミネアポリスにいる87歳のモンデールを訪ねた。任期中に最も心を痛めたのはあの事件だった、と彼は口を開いた。

 「彼ら」とは誰ですか。

 「日本の指導者から聞いた。改善はして欲しいが撤退は望まない、と。誰かは覚えていない」

 調査には、「事件直後、米軍が沖縄から撤退するか、少なくとも駐留を大幅に減らすべきかという話にまで及んだ」と証言していたが、取材には多くを語らなかった。

 「これは日本で決めるべき、日本の問題なんだよ」

 事件から20年。ミシシッピ川を望む部屋で、モンデールは窓に目を向けた。(ミネアポリス=真鍋弘樹)

■米「望まれない駐留しない」

 駐日大使のモンデールが、日本側と大詰めの交渉を重ねていた1996年春、防衛庁(当時)の防衛審議官だった守屋武昌(70)は、米側から耳を疑う言葉を聞いた。

 「沖縄の反発がそんなに激しいのなら、沖縄にはこだわらない。米軍は望まれないところに駐留しない」。発言したのは、交渉の実務を仕切っていた米国防次官補代理のカート・キャンベルだった。

 これを受けて守屋は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移転先として、極秘裏に北海道と高知県に候補地を探し始めた。沖縄には、米陸海空軍と海兵隊の4軍すべてが基地を構えるが、普天間飛行場は最大兵力の海兵隊の基地だ。

 しかし、その年の3月、台湾総統選挙を前に、中国が台湾近海にミサイルを撃ち込んだ。北朝鮮の核・ミサイル開発も東アジアの緊張を高めた。情勢が緊迫するなかで、県外移転案はおのずと立ち消えになった。

 日本政府中枢は、一貫して米軍の存在を重視していた。防衛庁防衛局長の秋山昌廣(75)は「海兵隊を日本から引かせることは周辺国に誤ったサインを与える。絶対に避けるべきだ」と主張していた。沖縄以外で引き受けるところがなければ、他に選択肢はない。

 日米両政府は96年4月、普天間飛行場の返還や砲撃演習の本土移転などに合意したが、県内に代替施設を求めることになり、大幅な兵力削減はなくなった。

■「基地は抑止力」日本期待

 そもそも日米両国にとって、沖縄はどんな存在なのだろうか。

 ここで時計を巻き戻す。沖縄の返還直後、両国間でこんなやりとりがあった。

 73年1月。首相の座を去って間もない佐藤栄作が、ワシントンを訪問した。民主党の実力者、上院院内総務のマイク・マンスフィールドとの会談でのことだ。

 マンスフィールド「防衛面でも、一方的依存はだんだんなくなるのではないか。遠からず、沖縄を含め米軍基地が全面返還される時が来るのではないか」

 佐藤「そのような事態が早急に到来するのは好ましいことではない」

 当時、外務省の沖縄班長として返還交渉にも関わり、長く安保を担当した元国連大使の佐藤行雄(75)は「在日米軍の存在は、米国の抑止力の鍵である。それを攻撃すれば自動的に米国を巻き込むことになる」と考えていたという。

 そしていま、「沖縄にとって不幸なことに、東シナ海や南シナ海での中国の動きは、日本全体の安全保障にとっての沖縄の重要性を、かつてないほど高めている」と指摘する。

■海兵隊の必要 疑う声も

 一方、沖縄はどうとらえてきたのか。少女暴行事件があった95年に知事だった大田昌秀は「日米安保が必要ならば、全国民で負担すべきではないか」と主張した。

 2009年発足の民主党政権下では、首相の鳩山由紀夫がいったん打ち出した普天間飛行場の県外移設案が迷走し、結局撤回に追い込まれた。これを機に、沖縄の海兵隊は抑止力になるのかという声が強まる。

 米国では、冷戦終結時に駐日大使だったマイケル・アマコスト(78)がその懐疑を共有する。

 「(極東最大の)空軍嘉手納基地は同盟にとって死活的に重要だが、海兵隊基地の重要性について納得できる説明を聞いたことがない。政治的なコストは非常に高いにもかかわらずだ」

 日米同盟を最重要視するからこそ、沖縄の基地を減らすべきだと主張する。

 「普天間でもし事故が起きたら、日米関係に壊滅的な影響をもたらすからだ。19年間も動いていない移設計画は実効性が疑わしい」

 だが現時点で、辺野古移設をひっくりかえす風は吹いていない。日本政府も「沖縄に基地が存在することで抑止機能を果たす」という見解を譲らない。

 現地時間4日に終わった沖縄県知事の翁長雄志の訪米で、移設反対を伝える知事に対して、米側は「辺野古が唯一の解決策」という既定路線を繰り返した。

 中央政府の力が地方を押し込むのか。それとも知事が言うように「ものごとが前に進んで挫折することは安保体制に大きなリスクを伴う」ことになるのか。事態は膠着(こうちゃく)したまま、沖縄と本土の溝は、いっそう深まっている。=敬称略(谷田邦一、真鍋弘樹、松下秀雄)(谷田邦一、真鍋弘樹、松下秀雄)

 ◆「戦後70年」第4部はこれで終わります。今後は広島・長崎と核、戦争責任と追悼、東アジアと戦後などのテーマを予定しています。企画へのご意見、ご感想をsengo@asahi.comメールするにお寄せください。

■取材後記

 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。訪米中の翁長知事に日米両政府と対峙(たいじ)する思いを問うと、彼はぽつりと言った。真意は定かではないが、顔のしわは前より深くなっていた。安全保障上、沖縄は地理的に重要な場所にあるという理屈が仮に正しかったとしても、戦後70年にわたり基地の存在意義がみじんも変わらぬことはあり得ない。それでも基地があり続けるのは、なぜか。この問いは沖縄の人々にだけ、突きつけられてきた。小さな島に負担を負わせているのは米国か、日本政府か。それとも、日本本土の私たちか。(真鍋弘樹)

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▼まなべ・ひろき  1965年生まれ。論説委員などを経てニューヨーク支局長
▼たにだ・くにいち 59年生まれ。  編集委員などを経て社会部専門記者(防衛担当)
▼まつした・ひでお 64年生まれ。  論説委員などを経て政治担当編集委員