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折々の記 2016 ⑦
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】08/25~     【 02 】08/30~     【 03 】09/20~
【 04 】09/23~     【 05 】10/16~     【 06 】10/17~
【 07 】11/08~     【 08 】11/09~     【 09 】11/12~

【 03 】09/20

  09 20 米寿を祝ってくださった方々に送る
       許してくれ、並木君        1945/06/10 あとに心は残れども
       ユネスコ憲章の中核思想        温故知新の原則を外れるな
       中学生の自殺増加        社会生活の変化
       日記と随筆 5        若いときの足跡
       日記と随筆 6        若いときの足跡

 09 20 (火) 米寿を祝ってくださった方々に送る        

「折々の記」関係の中から次の記事を選び、現在の自分の考え方の基盤になった戦争体験(生の執着と死の悲嘆)から始まった歴史学習の感銘(学びの願い温故知新)とユネスコの倫理観(平和の原点としての臍の緒)、この二つの願いにかかわった経緯をお伝えしたいと思いました。

記事のつながりは直接お話しいたします。 記録のためにまとめておきます。



2015年
 08 23 (日) あとに心は残れども     許してくれ、並木君

あとに心は残れども ……… (戦友 06番)、‘折々の記 2015⑥【06】07/23’無性にこの『戦友』を歌いたくなったのは、戦争の惨(ムゴ)さが大脳の奥からよみがえったのだろうと思う。 戦争のむごさは人の肺腑をえぐって永く精神の中枢にミイラのようになって幽閉されるのです。

そして、思い出すといつまでも許しを請わなければならないのです。 負傷者を置き去りにした、それは今でも目に焼きついているのです。

戦争はむごい。 むごいという漢字は「惨い」という文字です。 悲しい惨さは悲惨と書きますが、戦争は悲しい惨たらしさが心に残るのです。 戦争で戦友の死に直面した人は誰でも悲しさの限りない残酷さが心に閉じ込められているのです。



安倍総理のアメリカの言うとおりに政策の舵を切っていく人達には、戦争の惨さの体験はありません。 そしてまた戦争によってご子息(いとしご)を亡くした親の気持をまったく知らない人達です。 平和の根源は親子兄弟が仲良く暮らしている姿のことです。

積極的平和主義とは、どんな親子関係を想定してのことでしょうか?  戦争によって、相手を死亡させたときの相手の親子兄弟の平和をどうするつもりなのでしょうか?

相手に対しての個人的な恨みもなく、時の国の政策によって相手を殺すことは、積極的平和主義のどの部分の主張から答えが出てくるのでしょうか?  一つの国の国民の生命財産を守り、領土を守るためなら、相手を殺してもいいというのは何処からその理由が出てくるのでしょうか?

戦争の実態は国の政策によって、相手を殺すか相手に殺されるか、相手のすべてのものを破壊するか相手にすべてのものを破壊されるか、にほかなりません。 平和のときの個人間に通用する国の法律は、戦争の時には自分の国も相手の国も、個人の生存権も自由権も完全に無視されるのです。 こんな積極的平和主義はまったくのまやかし理論に基づくものです。 国のため………、国民のため………、 というのは武力を使う戦争行為の何の説明にもなりません。

それよりも、積極的平和主義というなら、安倍総理は何をしようとしているのでしょうか?  温かい手をさしのべる政策をとっているのでしょうか?

20世紀という戦争時代を卒業する課題は何であるのか、その対策を国民に示す考えはあるのでしょうか?  戦争をしない方法を考えているのでしょうか?  軍需産業<死の商人>をやめて、金融の安定化を図る対策を考えているのでしょうか?

ピケティのいう今のままでの経済動向は格差社会を増大してしまうというが、なにかいい対策はあるのでしょうか?  信用紙幣の乱発が市場価値の不安定をきたしているのに、金融市場の安定化の対策は何かあるのでしょうか?

金融市場の不安定は、武器使用による戦争時代のあとに、姿を現した金融戦争と言えましょう。 米国に追従する日本と昔からの友人として米国に同調してしまう西欧諸国、それに対応している社会主義本流のロシヤと中国、これは第三次世界大戦の様相と見たほうがいい。

人間の欲望によっての争いは、烏合の衆と化している。 それも地球規模の大きな、大きな、烏合の衆である。

安倍総理はこうした予見もしているだろうに、どうしてアメリカ追従に姿を装っていくのでしょうか?

積極的平和主義というのならば、むしろこうしたいろいろな対策や考え方を国民に提示することをやってもらいたい。

私達は、 “さすが日本の総理という人は、世界平和へすすむために、論理的な面からも道義的な面からも経済的な面からも素晴らしい考え方をもっている” と世界の人達からも思われることをしてほしいのです。



許してくれ、並木君
あとに心は残れども
     1945/06/10 土浦海軍航空隊 予科練兵舎爆撃
     負傷兵・戦友を置き去りにした悔恨


06/10 その日は日曜日でした。 朝食にイカの料理が出ていた。 イカの料理が出ると「敵機襲来、総員退避!」になる、というのが誰いうとなく言われていた。 果たしてこの日も拡声器から「敵機襲来、総員退避!」の指令が出たのである。

普段であれば20分くらい駆け足をして、トンネル状になっている防空壕へ避難していた。 だがその日は土浦警衛隊だったので、第一練兵場の南正面司令防空壕に近くの防空壕まで走っただけの避難行動でした。

しばらくしてから、サワサワ~、~~というかすかな音が聞こえると同時に「あれは爆弾の音だ」と東京出身の戦友が言った。 すぐ目と耳をふさぐやいなや爆発音が続いた。

これは凄かった。 後でわかったが出てみると20数棟ある兵舎のあちらこちらから火の手が上がっていた。 火の海である。

第一練兵場の中央正面に航空隊の司令部棟があった。 松林の前に士官専用の防空壕があり、それが直撃されたという、その救援指示によって練兵場を横切って走った。 すでに何人も救援に当たっていてので、格納庫へ向かうよう指示され、霞ヶ浦湖岸にある格納庫へまた走っていった。

そこの救援活動まえに、更に「敵機が引き返してくるから直ちに避難せよ」の指示が出されたのである。 走るのは得てていたから、練兵場南端の防空壕へ必死になって駆け出した。

後になって考えてみると、そこにいたみんなは何処へ向かって逃げたのかまとめた話はする隙もなく、月日は経っていった。 逃げ足の速い私は防空壕の一つへ走りこんだ途端です。 ものすごい爆音と共に幾つもの爆弾が破裂したのです。

逃げ込んだ途端でしたから、しゃがむ隙(スキ)もなく 「なむ八幡! これが終わりか?」 の一念が頭をかすめた。

目を開けたら防空壕の入り口の前の板が顔のまえに倒れかかり、入り口前の口塞ぎの堆土と逃げ込んだ通路は、この防空後の後ろで爆発したその爆圧で完全に埋まっていた。

二番手に逃げ込んだ戦友は肩口まで埋まっていた。 堆土の向こう側にも爆弾が破裂したため、すり鉢状になっていた。 地下水が高いのでドロドロになっていた。

めったにない突然の状況は、70年経った今も鮮明に網膜に影を落としているのです。 土に埋まった吉田は助かった。

だが、防空壕の左へ出ると戦友並木君(彼の名前は知っていたが、何分隊の何班かはわからなかった)が「やられた!」といって右手で左手の手首をささえて出てきた。 彼はどういう状況でやられたのか、私にはまったく見当はつかない。

左手の手首の上部を止血すればいいと思って固く縛ってやり、営門横にある病棟に目をやってみれば、病棟はメラメラと火炎に包まれている。 それでも営門を出て彼を救わねばならない。

左腕を押さえ抱きかかえるようにして営門へ向かった。 彼の息遣いはだんだん大きくなり歩みがおぼつかなくなってきた。

おかしいなと思って足元に目をやると、左の尻の下の肉がベラッと剥がれてたれているではないか! ‘やっ! これはひどい!’口にはできない。

折りしも司令の防空壕の上で、「総員、第二練兵場へ非難せよ!」が繰り返されはじめた。

‘どうしよう?……’、一瞬ためらったのだが、指令に従わなければと考え「後に来るから、ここにいてくれ」といい、防毒マスク(袋入)をはずして枕とし、戦友を寝かせてその場を去ったのである。

どうしてこんな考えをしたのか、悔やんでも悔やみきれないことでした。

畑のようになった第一練兵場を駆け抜けて第二練兵場へ逃げたのだが、敵機は来なかった。

その後は班長の指示に従って別行動に移ってしまったのです。

われわれの兵舎のそばにあった防空壕が直撃弾をうけ、白川義夫があとかたなく亡くなってしまった。 みんなで探したのだが手がかりになったものは、ズボンの左内側の名札「第42分隊 第6班 白川義夫」唯一つだけでした。

この壕にいたのは 41分隊 42分隊 から各班1名の編成だったのかもしれない。 どのように白川が選ばれたのかわからない。

この日は奈良空から特攻隊で出撃する先輩がきており、家族の面会日でした。 彼らはいつもわれわれが避難する北の道20分ほどの防空壕へ避難していた。 だが、上官もいただろうけれど真面目に壕の中には入っていなかった人もいたようで、爆撃によっての死傷者が多かったようでした。

この日の一撃で土空は完全に破壊され訓練機能を失ってしまった。 死傷者は数百名といわれていた。 霞空は丘の上にあったが、その丘へ上がったところで三つの穴を掘って死者は荼毘に付されました。

一週間ほどして、同じ千葉県の茂原飛行場へ移動しました。 そこでも艦載機による空襲や爆撃をうけました。 爆弾の破片の威力は10cmの立木を切断してしまいました。 衣服をいれた衣嚢(イノウ)も小さい破片によって上から下へ貫通してしまいます。

P51という米軍の艦載機はスマートな機体で、操縦席の軍人は日本の飛行兵のようにマフラーをし眼鏡のついた飛行帽をかぶっています。 戦後になってから、あの飛行兵は日本人を憎んで機銃掃射をしていたのか? 対空陣地の戦友はアメリカ人を憎んで対空機関銃や対空砲の引鉄を引いていたのか? 国の方針によって人を殺し、殺され、鉛の兵隊と同じように言うがままの行動をとっていたのではないのか………?

歳端もいかない満16才の少年が、‘ああ紅の血は燃ゆる’を歌い、七つボタンの服装に身を固め、月月火水木金金の集団訓練をうけ、国益と国益という相克の集団本能を利用されて鉛の兵隊になって、やがて散っていく。

そこには積極的平和主義のカケラも見当たりません。

70年前、私は負傷兵を置き去りにした男なんです。 こんな悲しい感情はありません。

大脳の奥からときどき悲しい惨たらしい思いがよみがえるのです。 『戦友』の歌の中に “ 行燈のかげで親達の読まるる心おもいやり思わずおとす一雫 ” とあります。

この歌の、生き残った兵隊はもちろん「悲しい惨たらしい思い」ですが、死んでしまった戦友、さらにわが子を失った父母の悲しみは、たとえようがありません。

… これが戦争の実態なのです  敵も味方もおなじなのです …

… それなのに、戦争をさせた人はいつも平気で生きています …

「戦争時代を卒業する手立て」それが積極的平和主義の本命課題です


ここからは2016年
 08 21 (日) ユネスコ憲章の中核思想     温故知新の原則を外れるな

21世紀になっても、世界の政治指導者の間では言葉の上では「恒久平和」と言いながら、「戦争時代」を卒業できないでいる。 そのため、矛盾に満ちた諸々の問題にたいして、売買が横行している武器弾薬を使用した殺戮と破壊の手法がとられるようになってしまった。

第一次世界大戦後、その悲惨な結果をもたらす戦争をやめようとして「不戦条約」ができましたが、「死の商人」の凡欲を抑えることができなかった。

そして再び悲惨な第二次世界大戦をむかえました。

戦争根絶のために「無知と偏見」が戦争を引き起こすとして「ユネスコ憲章」の手法を採用しました。 不戦条約と同じように目指す目的をはずれた表現の不備を取り上げて、「戦争時代」を卒業できないままて現状をむかえました。

フランスのピケティは現状では所得格差は広がっていくことを、長いスパンの検証によって警告を発しました。 この手法は歴史を学ぶ目的の「温故知新」をみんなに知らしめてくれたことです。

さて、こんな風に考えを進めてみると、「恒久平和」の心の中核に据えていいものは何かを合理的な説明ができる根拠を定めなくてはなりません。 「戦争卒業」ということになると生死にかかわる一大事に相違ありません。

   「戦争卒業」から「恒久平和」=「家族の和=きずな(生綱=ヘソノヲ)」の確立 【平和原理】

「温故知新」の原則から導かれる道理として『平和原理』と位置づけようと思う。

問題はユネスコ憲章の理解如何にかかわる。


ユネスコ憲章の冒頭

Since Wars began in the minds of men.  It is in the minds from men that the defences of Peace must be constructed. (UNESCO CONSTITUTION)

戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなくてはならない。



国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章) 前文

この憲章の当事国政府は、その国民に代って次のとおり宣言する。

戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

相互の風習と生活を知らないことは、人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑(suspicion)と不信(mistrust)をおこした共通の原因であり、この疑惑と不信のために、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった。

   <下平註>suspicion 疑い、疑惑   mistrust  不信、疑惑

 ここに終りを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義の原理を否認し、これらの原理の代りに、無知(ignorance)と偏見(prejudice)を通じて人間と人種の不平等という教義をひろめることによって可能にされた戦争であった。

   <下平註>ignorance 無知、知らないこと   prejudice 偏見、先入観

 文化の広い普及と正義・自由・平和のための人類の教育とは、人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務である。

 政府の政治的及び経済的取極のみに基く平和は、世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和ではない。よって平和は、失われないためには、人類の知的及び精神的連帯の上に築かなければならない。

 これらの理由によって、この憲章の当事国は、すべての人に教育の充分で平等な機会が与えられ、客観的真理が拘束を受けずに探究され、且つ、思想と知識が自由に交換されるべきことを信じて、その国民の間における伝達の方法を発展させ及び増加させること並びに相互に理解し及び相互の生活を一層真実に一層完全に知るためにこの伝達の方法を用いることに一致し及び決意している。

 その結果、当事国は、世界の諸人民の教育、科学及び文化上の関係を通じて、国際連合の設立の目的であり、且つその憲章が宣言している国際平和と人類の共通の福祉という目的を促進するために、ここに国際連合教育科学文化機関を創設する。

 以下 【 第1条  目的及び任務 ~ 第15条  効力の発生 】 省略



何回かくりかえし読んだ内容を、また読みかえしてみると、    ここにいたって、生死の理解と感覚を深めたり、自分と自分と等しい他の人の理解と感覚を深め学ばなくてはならないことに気づくのです。

ユネスコの条文そのものよりも、リオ五輪のニュースを見て集団帰属の本能と皮膚の色の相違や言葉が分からないことや人の喜びと悲しみを知ることにより、「戦争という殺人行為」は20世紀の遺産として卒業しなければならないことに気づいたはずです。

手を取り合って喜ぶことは、家庭の中でも国際競技の中でも人種をこえ言葉をこえて心の中から手を取り合う喜びと悲しみを体験できました。

困った人に手を差し伸べた姿や他人の喜ぶ姿に拍手する姿は、幼い人も年寄りも国をこえて感動をあたえてくれました。 和の原点は愛の心情から生まれるものであり、その源は親の愛であり親の愛に報いる自分の持っている愛に違いはありません。 その愛の原点は絆とよばれており「へそのを」に違いないのです。

政治家や企業人はこの現状をどのように仕事の上で活かしていったらいいのか、「死の商人」によるプロパンダの手法から縁をきって悲惨な戦争をこの世から追い払っていただきたい。 凡人として最大の応援をしてまいります。

ユネスコによれば、戦争は無知と偏見による疑惑と不信に端を発していると表現しています。 それは一人ひとりの心の中に、相手に対して無知と偏見による疑惑と不信に端を発しているということであります。

その無知偏見、疑惑と不信の心の隙間に、金儲けの魂胆をもった「死の商人」の巧妙な言葉の誘導にのせられ、本来もっている集団帰属本能をも操作されて、有史以来の相手を倒す歴史を繰り返してきたのです。 私たちはもう、相手を殺戮し相手の生活を破滅に追いやる戦争を拒否して「戦争時代」を卒業しなければならないのです。

この心がけは、「不戦条約」や「ユネスコ憲章」の心をないがしろにして、今もまたとんでもない自分たちの望んでいない戦争をしなければならない風潮にさらさら続けているのです。

悲しいことに、戦争はなぜいけないのかについての検証が今でも行われていないことです。 時の総理大臣がその風潮をおしすすめています。 そして、その実体に私たちはさらされ続けているのです。 この実情に目覚め「戦争を心の奥深くで拒否」し、くい止めなければなりません。 相手を殺したくはありませんし、自分も死にたくありません。 孫子に、あいてを殺させたくありませんし、孫子を殺されたくもありません。

戦争によって利益を得るのはだれなのか、戦争によって被害を受けるのはだれなのか、この検証が一度も果たされていません。

この検証なくして平和を標榜していても、戦争という前車の轍を踏むだけであり、平和への新しい扉は開かれません。 戦争による利害の徹底的検証なくして、平和の道は開かれません。

この明らかな論理は温故知新の原則であり、この原則に添わないことは歴史を学ぶ責任を放棄するに等しいものなのです。


 08 30 (火) 中学生の自殺増加       社会生活の変化

新聞によれば、中学生の自殺が増えているという。 私は長い体験をしてきたからそうした人たちは誰でも、何とかしたいと思っているに違いない。。 現代の家庭生活環境は昔とだいぶ変わってきたからだろうと思う。 気の毒なことだ。

貧乏でも昔は親子関係や友達関係はよかった。 今は衣食住はとても良くなった。 生活用品は格段に良くなっている。

だが、人と人との生活環境は変わってきており、人との安定が崩れやすくなってきた。 一人の人間としてみると、友好関係が崩れて、孤立化が進みやすくなっている。 人がもつ価値観も変化してきている。 金銭経済が進み、その多寡による優越感(自己満足)と閉塞感(自信喪失)の混在が、理性を乱すようになってきている。

別の言い方をすれば、物質文化と精神文化の相克が顕著になってきている。 目に見えるものや持ち物、いわゆる物質の豊かさと、目には見えない人に接する心ばえや豊かな感性が、遊離してきている。

子どもたちには、こうした表現することの難しい状況に、どのように対応しどう表現したらいいか戸惑っていると思う。 これらの心情がどうしようもなくなった時、この嫌な思から解放されたい方法の一つとして自殺が浮かび上がるのだろう。

誰だって、死にたくはないのです。 大人だって死にたくないのです。 いっぱい夢も描いたであろうに、死を選ばなくてはならない子供の心に、私たちは思いを寄せたい。 子どもの悲しい心に手を差し出すようにしたい。

それではどう対処したらいいのだろうか。

まず第一に、親となるまでに「自己世界の構築」の学びや体験、分別などをわきまえなくてはなりません。 親自身が、戦前の子どもが体験し身につけたような環境がまるで変わってきてしまい、その中で成長してきているからです。 親の愛情が中核にあっても、生活を取りまく物質文化に押し流されてきてしまったからです。

子どもが自分で心の世界をどう築いたらいいのか、それを育てなければならないのです。 ほっておいていい筈がありません。

私は叔母から、「‘人をかまっちゃいけないよ、その子にも親がいるんだから’と親からよく言われたんだよ」と聞いたことがありました。 親の愛があってこそ子どもは安心して遊んだり勉強なりできたのだと、心の奥深くきざみこまれた言葉でした。

「自由と規律」池田潔著など、教育の中でよく考えてみなくてはと私は思います。 この本からもそれらは心のなかに位置づくと思います。

また、テレビで見た「什の掟」は、次のようになっています。

   一、 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
   一、 年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
   一、 虚言をいふ事はなりませぬ
   一、 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
   一、 弱い者をいぢめてはなりませぬ
   一、 戸外で物を食べてはなりませぬ
   一、 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
   ならぬことはならぬものです

「什の掟」とは、6歳~9歳の子供たち10人前後集まって構成される集団の指導の規矩だと思います。 これは昔の藩士の子弟だから最後の一項をはずしてみても、今の世の中にはこの六項目の教育を実践している集団はないと思います。 そして、この「什の掟」という徳育の基本は、この広い世界においても冠たるものといえましょう。

子どもの悲しい自殺は、こうした先人のいろいろなおしえを私たち親がとりいれて実状にあうよう訓導していくことが求められている。 では、どのようなことをしていけばいいのか。

教育制度を手直しするだけでは軌道修正などできません。 子どもを育てる両親が何を身につけなければならないか、そのことずばりの課題を考え直さなければならないのです。

「三人よれば文殊の智慧」の古俚をとりいれ、皆で意見を出し合い討議し検討し、いくつも提案していくことが求められます。 ここでも温故知新を大事にしなければならないのです。

また「Child Reseach Net (http://www.blog.crn.or.jp/report/09/)の論文・レポート>子育て応援団」や「Child Reseach Net (http://www.blog.crn.or.jp/report/01/01/)の論文・レポート>脳と教育団」、「Child Reseach Net (http://www.blog.crn.or.jp/report/04/01/index.html)の論文・レポート>普段着の小児科医 >子育ての脳科学」などの子育て関係データを利用されることをお勧めします。

少年期の自殺原因は心の深層部分にかかわっており、対処法に関する主張の大部分は心の深層部分よりも枝葉末節と思われるような部分にこだわったものは拒否していきましょう。

枝葉末節ではなく、主幹の基礎になる地下の目に見えない根っこの部分こそ親は注目しなければならないのです。

ここから青年時代の古い日記
日記と随筆 5   若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…

   〔 1 はじめに 〕
   〔 2 目 次 〕
   〔 3 〇 〕
   〔 4 読書について 〕
   〔 5 波動なき生活 〕
   〔 6 最上を求める者 〕
   〔 7 「葦折れぬ」を読みて 〕
   〔 8 人を叱る勿れ 〕
   〔 9 詩 〕


1 はじめに

 青年時代の古い日記を、パソコンにインプットしながら、過ぎし日の一人の若者が理屈をこねまわし右往左往している姿をみることができました。これが私だったのだろうかと思いながらも、その言葉づかいの稚拙さというか傲慢無礼さというかそうした恥ずかしさを感ずるとともに、若いもの特有な若さやエネルギーを想いだしました。

 ここに取りあげたものは、昭和23年3月から、29年8月までですから、今流にいえば満19歳から25歳のころで、私が貧乏な家に似合わず長野の青年師範学校に出させてもらった青年師範の2学年の3学期から、千代中学校4年(昭和24~27)、神稲中学校2年目8月(昭和28~29)までのものであります。

 今にして思えば、教育は人格の反映にあり、などと生意気な言葉をつかって教育のことを考えておりましたが、その後福沢諭吉の言葉、教育は後姿にある、という言葉で考え、更に四十八歳頃では教育の親子関係を重くみるようになり、「親に似ぬ子は鬼子」という言葉を大事な言葉として考えるようになりました。

 人格の反映も、後姿も、鬼子はいないという言葉も、実は単純なことをそれぞれ難しい言葉や易しい言葉で言い表したものであるということが今では解りました。

 教育ということばは何かむずかしいことをするように感違いしていたもので、そんなことばを使わずに、子供が大きくなるにはどうしたら良いのか、ということばに置き換えてみれば、気分的にも楽であり、実はそう考えて一向にかまわないことが解りました。

 子供が大きくなる、子供はどのようにして大きくなるかと言えば、

 そのすべてが真似ることにあるのです。

 見てまね、聞いてまね、読んでまねて大きくなるのです。

 よい教育をしようとするならば、

 大人自身・親自身が、見られてもよい、聞いてもらってもよい、読んでもらってもよい、というものを自らすることだったのです。

 教育の原則は、子供に真似てもらえるような大人の在り方、にあるということが理解してもらえたと思いますが、今度は知的内容の豊かさとか、言行の論理的裏づけだとか、人生観、世界観など、については素直に考えていく必要はあります。

 日記と随筆、この前と同じように私の過ぎてきた足跡として見て頂き、好上という人はこんなことを考えていたのかと、理解してもらえば嬉しいです。

  昭和62年10月1日                         下 平 好 上

3 〇      (23・3月末日記す・家にて)

 ・・・・・(前略)・・・。約束の破棄、言論の不均衡、人間性の無視、これら総て良心的統一を破るものは、統一せる人格を主張するものの行動ではないのである。しかし、この例外に価するものは、一人として無しと言ってもよいのではないだろうか。されば、これらを主張するものにとっての骨子となるべき点は何処に存するのか?

 正義を主張し、これを真摯な態度を持して精進する人において可能である。これを肯定し、精進するからである。我々が人を評するとき、真の姿においてのみ許されなければならない。名誉を主張する何物でもなく、財貨においても、学歴においても、人はみな真の姿において、その真価を認めうるものであるのが、神の掟である。大自然の掟である。

 しかし、社会は生きた大きな力のあるもので、人を基礎にして成立していることを、念頭に置かねばならない。即ち、人間の特性を肯定せねばならぬのである。人はその天性において、利己的である。これは神の御前においても許され得る筈である。誇張心において然り。栄誉心において然り。善良な社会人は許されなければならない。われらは、これら諸条件のもとで考え得る。

 人は、その心の中の精神の王国に住まねばならない。安住の地は、他において許されない。真の幾人かと交わり、良書に囲まれたる王国は、こよなき春の花園である。

4 読書について      青師3年4月26日

 長い長い夢は去った。おれの生活は夢だった。貴重な時間は、人には何も相談なく過ぎ去った。すべて夢のようだ。

 人生は実に苦闘そのもので、甘えたことは言っていられぬ。自らの信条を破る輩はおれのみだ。総て自惚だった。おれは自惚のために、この一文を草するのかもしれない。しかしそれでよいのだ。自由には責任がある、権利とともに義務がある筈だ。日常生活において、各人の義務とは何であろうか? 総て統一的知識が必要とされる気がするので、おれはここに書くのだ。人間の真の姿を選ぶのに、おれは今まで苦しんだ気がする。人間の真の姿、それは永遠に未知の世界だ。何が至上か、誰しも考える問であるが、誰しも答えることができないと思われる問題だ。人間は何を目的として進むべきか、おれは更に判らぬ。すべて混沌としている。経済的な生活、精神的な生活、それらに対してどう進み、如何なる手段が必要か、それらの疑問が起きるのは、一に帰して、おれは正しく進むには、どう進んでいくのがよいか、という、実に大きい問にある。学校制度や学生の態度、これらみな同一の疑問の一面にすぎない。

 帆立理一郎氏の書中に次のことが指摘してあった。青年の悩みは、あまりにも遥かな無茶な理想を、現実に当てはめようとしているからだと。おれは、この一言で、はっきりと驚いたのだ。これらすべての動揺と疑問は、人生の統一的解釈、即ち、理論的裏付けを望むからである。実に良い傾向なのであるが、この考えは、現実に対して無批判的な、反対的傾向を併発しやすいことが、多分に含まれることに、おれは気をつけなければならないのだ。

 現実に立脚せねばならない。社会を改良していかねばならない。社会改良主義だ。しかし、この言葉の中には、人間への解釈が含まれていないので、おれは寂しい気がする。大いなる自己に対する不安は、何によって癒やされ得るのか。おれは、かかる不安と苦闘を重ねてきた。先輩の教示を受ける以外に方法がないと思う。即ち、おれはまだ未熟だからだ。著しく勉強が不足している。世界の偉人、賢聖を如何にしておれは学び得るか、その著書による以外に道はない。

 だから、読書しかない。読書だ。もっと知識が必要だ。本を読むのだ。何なりともこの結果として、世の人に良い影響を与え得ることがてきるなら、おれの喜びはこれ以上にない筈である。自らの体系は、読書によって生まれるであろう。新発足をせねばならない。

5 波動なき生活       23・6・30

 へーゲルの意味する理性に感動し、長さんの史観にも衝撃をうけた。大類さんの歴史がまだ来ないのが腹だたしい。中学校の西洋史と、師範の日本史が少々おもしろい。人は誰にあっても寂しい。小木曽君といた時は、心が休まった。多くの人は、何で下らないことをつべこべ話すのだろうか。殊更愛想をこぼすが如き言にいたっては、捨てがたき人生の馬鹿々々しさを痛感する。なんで生きていくのか、誰も知らない。ただ生きているのみなのだ。

 破船を読んでみたが、何も良い点はない。文士くさい文体は読む気がしない。書くならもっと短編なりとも、軽快に書くべきだ。波乱は、人間生活における欠点の結果だ。つべこべ書きたがる文士の程がしれない。人生の一つの解剖として、一つの理解を与えるけれども、人間を高める要素は、殆ど認め得ないといってよいであろう。

 私は、ある機会から一段と自分が異なった方向を目指して、異なった考えで進んでいるようだ。苦悩の結果である。超人的な態度、寛容が必要だ。物事はすべて流転の一瞬間にあるきりなんだ。決定した心なんてない。私は人生の一傍観者に過ぎない。そこに生じたことを観るだけである。別にかくあらねばならぬと主張したくない。無限だからだ。すべて無限の連続なんだ。何をなすのもよいのである。私はよく観ていればよい。私は、世界の変転、人間の変転極まりない姿と共に生きているので、何についても何等の重要性も感じないようにおもう。生産者としてのみ、その存在が認められるであろう。もはや、青春の嵐の時期は凪ぎはじめている。それに反して、世の寂莫さを感ずる。

6 最上を求める者       23・7・20

 我等は、あくまで探究の徒であらねばならない。すべての混沌は、人間が処理すべき権利であり、その探究は義務であらねばならない。日々進展の途上にある世界の中の一人として、我等は人間の歴史の一頁を背負っている。しかし、あらゆるものに対する解釈は、主観に偏せざるを得ない。また、偏しても許さざるを得まい。我等は、絶対的個人主義に基盤を有する。またその意味で、利己的であることも許容しなければならない。我等は、苦しい人生の一日において、その真意の把握に懸命たるべきである。何となれば、人生に処する態度は、今や漸次固まる時期に達っしているからである。この得らるベく奮闘する態度は、我等の人生を決っせずにはおかない。多く人は、多言の者は楽天的に、寡言の者は厭世的に傾くのが本来見られがちである。我等は、寡言なることがよく、それがよろしい状態であろう。この際、一切の外形にとらわれてはならぬ。徹底的に絶対個人主義、絶対自由主義の立場より、人間の真の姿を凝視し、それをとらえなければならない。またこの際、周囲の事情に注意することが必要である。多くの時間をただ一人静かなところに居ることがよく、また、読むべき書籍に注意すべきであろう。この如何なる本を読むべきかは、多くその人を左右する見えざる原動力となり得る。また、我等は学生生活を通じて何を得るかと考うるにいたるなら、一般的なものを除いて非常に不明である。多くの場合、教師の人格による個々人の陶冶であろう。それは、人格への接触から得る唯一の宝物である。しかるに、学校において之を求めるなら多く失望するであろう。

 しかし、我等はここに、偉大なる小原先生をもっている。この殺伐たる・・・世の中に、一条の光を与えてくれる先生。これほど感化を受けたのは他に例がない。おそらく私にとっては小杉先生に倍する。

 しかし、我等は人を評することを慎まねばならぬ。それは余りこの際効果あるものではなく、逆効をもたらすことが常であるからだ。我等は余りにも多くの先哲偉人を有する。これらの中より、人間の全歴史を通じて高潔なる人を選ぶことは、当を得ている。我らは先人の訓えを読むとき、常に自分の考えと比較類推していくことが大切である。青年期にありては、これら先哲の著書の読破が必要である。時間は思わぬうちに経過するものである。小原先生が夏季休業に対して、一つの話をしてくれたことを忘れない。「学問は時間が解決してくれるものではない」何と謙譲の心、敬虚なる態度で我等に談じただろうか! これが、教壇にある姿の最後であるかと思うと、ただ涙が出てしかたがなかったのである。我等は無口を愛する。要は直進である。何も完全な状態を欲っするものではないが、これに精進するのがより真面目な態度であろう。その基盤は、将に現在構成さるべき時にある。私は、わが敬する偉大なる人格者小原先生の言葉を忘るまい。

7 「葦折れぬ」を読みて      23・8

 真実をひたすら追求し、人生にひたすら立ち向かった諏訪の一女性の手記に、ほとほと頭の下がる真摯さを感ずる。私はこの本を読んで実に驚き、また自分の愚かさを非常に悲しんだ。それは、彼女が若くして既に立派な頭をもって進んでいたことだ。両親は小学校の先生だったと思うが、かく年をとりてよりこれを見れば、彼女の筆跡、思想、情緒等すべてに嫉妬すら感ずる。環境の力の恐ろしさよ! 日米戦など、当時の私は見る眼を全く持っていなかった。実に寂しさを感ずるものである。彼女は死に依ってその名をより高くした。我等はこれら一切の外的条件に左右されることなく、そこに現れてくる人生の糧たるべきものに触れねばならない。もっともよく感ずるのは、彼女の一貫した確かな人生観である。私は彼女の真実の言葉に対して、理性という言葉の憧れに満ちている。すべて社会的一切の事象は虚偽である。ただし個人的には否定できない。社会現象はすべて我等の接触より生ずるもので、考うべきはここの問題である。

 即処世論!あくまで人間は不完全なものである。欠点を有するものである。これは肯定さるべき根本原理である。この上にたって、我等は考究を進めたい。彼女は理知を強く主張した。だが私は徳義を主張する。それは民衆の力強い動きを意昧するものだ。フニャフニャ論法・・・時によりけりは実によき考察なりと思う。現代は過去になりつつある未来なのだ。かくも歴史の動きは、寸刻の時の滞まりを許さない。場所によりけり、環境によりけりで、実にフニャフニャ論法は妙を得ている。

 現在のあらゆる人間は二十世紀に属している。この二十世紀は帝国主義時代と呼ばれ、前半期は最早1945年をもって終了した。新しい歴史、二十世紀後半は今動きつつある。世界における米・ソの二大勢力、この反目は実に吾人の注目に価する力である。この二つの力により歴史は動くからだ。近き将来に、運よくば世界政府の樹立をみるかもしれない。資本主義は去った。後半は社会主義国家の力となるのだ。我等が二十世紀の最後まで命を有することは可能である。短き年月の間だ。意義ある人生を送る素地はここ2~3年間で固まるのだ。私は、紙片へ自分の考えを書き付けることを余り好まない。それは自己満足が大部分を占有するからだ。もし私に完全な世界は、と問うならば、無言の国なりと言うであろう。それは一面を意昧するのみだが。千野敏子さんは一見明朗な気質の持ち主だ。しかし私は無言でいこう。それはいつまでの主義だか不明ではあるが。彼女の本の中にはどうも女学生の呼吸がある。歴史家は酷寒の空を憧憬する。冷たいのだ。透徹せる名鑑は南洋ではぼけるのだ。「真実ノート」それは確かに我等に迫力をブリングする。

8 人を叱る勿れ         23・8・8

 七夕の色紙へ書いた言葉

    全ての人よ立腹すな

 立腹は無人格の表現であるとは、今更深く私は了解し理解を深めた。確かにそうで、若しAがBを叱るとき、普通の場合よく考えてみれば、両者に相当の理由があり、主観の相違により何か叱られるとき、Bは当然叱られる全てを肯定することはない。もし欠点がその中にあったとしても、Bは自分の立場をつよく支持しているから、たとえ頭を下げたにせよ、心から謝ることはすくない。その場における低頭は、一般社会における習慣であり多く真意はないものである。かような場合は、Bは一般慣習に従って低頭したにしても、自己の考えを保持するものである。さらに、Bの悪の意識以上にAからの叱責があった場合は、内心Aを恨むのが普通である。その場では何の反抗は見せずとも、必ずそうなるものだ。そして我々が絶対的人格主義を奉ずるならば、この場合BはAを無人格者と見做すのである。この場合の叱責とは、相手方の感情を明らかに害するものと思われる場合を意味する。

 かかる主観の相違によりAとBの意見が対立したときは、この対立とはBの失行から生ずるAの反感を意味するものだが、AはBにどのように振る舞うべきだろうか。この場合、AはあくまでBの立場への洞察や思いやりを忘れてはならない。無理解は往々にして反目を生ずるからである。従って、Bへの思いやりをもってBの過ちなり行動の仕方なり言葉すくなく述べ、その場合の正しい在り方を静かにあっさり述べることがよい。くどくどしい述べ方は、Bの反発を買う以外には何の得もないのである。だから、人格主義を大事にするものにとっては、人の行動批正や考えの批正については、人格の反映に依らなければならないことを基本としてわきまえ、静かにさりげなく述べるにとどめたいものである。

9 詩           24・2・15

 女王クリスティナは、かつて恋した男を去った。それでも男は、なお女王を愛してこういった。

   われ斯くの如し いまわれ秘奥を得たり
   君われを失い われ君を得たるなり
   君の魂はわがもの かくて全きものとなりて
   われは余生を送らん
                 ブラウニング作

   Such am I : the secret's mine now !
   She has lost me , I have gained her ;
   Her soul's mine :and thus , grown perfect ,
   I shall pass my life's remainder !  
                 by Brouning.


日記と随筆 6   若いときの足跡…No.1~4<29~47歳>の随想 : No.5~13<19~29歳>の日記です…

   〔 1 悲劇 〕
   〔 2 寂即美 〕
   〔 3 卒業を前に 〕
   〔 4 性格を論ず 〕
   〔 5 病床にて徒然なる侭に 〕


1 悲劇

〇 それは君が心に感じて、魂から湧いて出て、凡ての聞く者の心を根強い興味で強いるのでなくては、世間を手に入れることは出来ないだろう。   ファウスト

〇 正直にして成功し給え、決して鈴を鳴らす莫迦者にはなり給うな。理解力と言う正しい考えがあれば、演説などは技巧を弄さんでもひとりでに出来るものだ。何か真面目に言うことがあるならば、言葉を詮索する必要があるものか。どうも君の演説といったものはぴかぴか輝いているが、その内容は人生の紙屑をまるめた様なもので、秋になると枯れた木の葉を吹き騒がす、湿り風のように気持ちの悪いものだからね。   ファウスト

〇 羊皮紙本がなんて、一口飲んでそれで渇を永くとめてくれる、神聖なものであるものか。その泉が君自身の霊の中から湧いて来ないでは、心をさっばりすることはとても不可能だ。   ファウスト

〇 フン、天の星まで進歩して行くだろうて。だが君、過去の時代というものは、我々にとって七つの封印をした書物だ。君達がその時代の精神というものは、元来が先生方自身の精神で、その中に影が映っているに過ぎない。    ファウスト

〇 然し、この世界というものですね、人間の心と精神というものですね、これについて誰でも何か知りたいと思っております。   ワァグネル

〇 さあその知るという意味だ。正しい名前で子供を呼ぶものはあるまい。少数の人は何か心得ていたが、それを莫迦なことに胸一ぱいに蔵っておかずに、自分の感じた所、観た所を、世間の俗人に明らかにしてしまって、結局磔にされたり、火に焼かれたりしたものだ。だが君、もう夜も更けた様だから、お願いだ、この辺で切り上げよう。   ファウスト

2 寂即美        24・2・25下宿

 私は一人で暮らそう。一人で、独りで。心よ聞け! 独りで生きるのだ。独りという字は独立の独の字だ。人間は終極は独りだ。ゲーテを見よ、ニーチェを見よ、ボードレールを見よ。彼等は如何に生きたか私はしらない。一人の人間の世界を必ずしも賞めてはいないが、人が生まれて、止むに止まれぬ憧憬・欲求・悩み、それらは皆対象物の獲得により各々終止すべき性質のものではないのだということを言わんとしているのではあるまいか。永遠の何物かを追求し、憧れ、夢みていく旅の鳥だ。シェレーはその詩にうたった。空高く鳴き尽くす彼の雲雀を見て、その心事を察して歌ったではないか。そしてまた、 T・E・ヒユームは言ったではないか。まだ忘れでもよいことだ。

 「すべて灰燼、築きあげられた部分。それで問題は、どの程度築きあげられ、どの程度われわれに与えられているかだ。世界の柔軟度の問題だ」

 更に続けて言う。

 「しかし劇場で考え、聴衆を眺める。ここに現実がある。ここに人間的な動物がいる。壮大な台詞に耳を傾け、それから、拍手喝采する人のその群をみよ」

 現実は一切まとまりのない灰の山であり、泥濘である。築きあげられた観念だけが美しげな衣をみせ、壮大な言葉となり、夜のロンドンのようにきらびやかに輝いているに過ぎない。くりかえして言えば、ヒュームの眼の前にあったものは、現実の統一のない灰色の灰燼の世界であった。そしてその闇の世界のあちこちに夜の燈火のようにきらめく人間の築いた観念の世界をみたのである。

 何と気持ちよい言葉であろうか。探究に探究を重ね、果てしなき人の世界は灰燼と映じたヒユームの心境はいかばかりだろうか。私は独りで寂しく美しく生きよう。すべてにがい試練であり、血と汗を払って得ることのできる経験である。それは埋ずもれる金剛石のように、光らずともよいではないか。桜花の満開せるを楽しむは一面から見れば佳境であるが、散りゆく花の道理をつかみそれを眺むる心がけも、一面から見れば、得難き味わいをわが人生に与えるものと信ずる。

3 卒業を前に    (満20歳) 24・3・1

 歳月めぐりてはやここに・・・・・・・・、ハーモニカのリズムは哀調を帯びつつ、私のこころを寂莫へさそった。でも二回吹いた。

 「Reading , writing and arithmetic do'nt constitute in themselves.」

 読み書きソロバンそれ自身が、教育を構成するものではない。世に教育があるならば、教育は人格の反映でなくてはならない。これが、私の、教育についての一番近い考え方の表現である。内容に曖昧な点をもっているが、自分で作ったこの言葉は、現実の混迷と闘いつつ困窮に耐えながらも、理想的なものに一歩でも近づかんとするなら、教育の面において、私はこの言葉を作らざるを得なかった。

 更に生きる道としては、雄々しく逞しく然も明朗にして永遠の憧憬を象徴するUNESCO( United Nations of Educational,Scientific and Cultural Organization )国際連合教育科学文化機構を私は支持する。

 「ユネスコ憲章の解説」という毎日新聞社で出版されたこの本を手に人れたとき、私は、その前文の見事さと内容の気高さ確かさに魅了された。それもその筈である。ユネスコ憲章の前文は、近来の国際条約文献中の名文とされている。それは、我々の生涯中に再度まで名状すべからざる悲哀をもたらした戦争の惨禍から、次代を救おうとする人々の、つきつめた戦争原因の反省と、恒久平和確立への理想が、高い見識と強い決心によって貫かれているからである。文章は美しいというよりも、実感的なものであるが、これを読む者に大きな感銘を与えるところのものは、長い世代にわたって、多くの識者によって考えつがれ、実際にはかえりみられなかった偉大な事業が、いよいよ開始されることになったからである。そして、その内容から、理性の真剣な喜びと希望が、しみじみと感じられるからである。これは決して、ありきたりの美辞麗句の羅列ではない。民衆の深い気持ちと真面目な声が、指導者の情熱によって格調高く書きつづられたものである。

 憲章の内容に、人間の歴史を通じての偉大な反省に、非常な重点を置いているのは、従来私が考えている考えをよく現わしていて、気持ちよいのである。わたしの考えはこうである。「現在の自己は、あらゆる過去の経験を主観の篩にかけたところの集積である」という主張である。ユネスコに生命をかけよう。広大なる視野のもとに、絶大なる希望と体現に憧れ、あらゆる行動の基盤にしたい。それが今感じていることである。

 卒業を前にして、教師としての心構えと、自己の生活目標を誌るす。

4 性格を論ず       25年(千代中)

 第一次世界大戦が終って後、米大統領ウイルソンは国際連盟を提唱したのですが、それ以前に種々の何々連盟何々協会などの宣伝団体や、諸種の論争が渦をなしていたようです。この際に、H・G・ウエルズ氏はこの渦中にまきこまれ、かかる種々の何会彼会の論議をへて、その回顧している中に、次のような言葉を使っています。

 「如何なる政治的・公的活動においても、その人の『過去』なるものに対する解釈の仕方・観念の仕方が何よりも根本第一義のものである。何故ならば結局、ある一人の政治上の活動とは、要するに過去なるものに対するその人が持ちあわせる観念なり思想なりが、行動として発現したものに外ならぬではないか」

 何故わざわざこの文例を挙げたかといいますと、農学校を終え、更に師範を終えてみて、常に教育とは何辺に在りやを、心の疑問符として抱き、他日論文とした考え方「現在の自己は、あらゆる過去の経験を主観の篩にかけたところの集積である」と火花を散らして触れあった感じがしたからであります。

 我々は今、変転極まりない歴史の爼のうえに在って、如何なる意義を付せられ、如何なる形骸を横たえるか知れざる恐ろしい大手術をうけている状態にあると言ってもよいと判断するのであります。しかし、我々は自分の位置を認識せねばなりません。

 私としましては、日時の過ぐるに従いまして所謂「主観の篩」が非常に大きな問題となってきましたので、早速過去のあらゆる経験を受け人れるべき関門・主観の篩について究明したいと考えておりましたところ、最近ある暗示にヒントをえて、一応自分でそれに対する考えをまとめてみました。

 それは、現代西欧の知識人は性格の秘密を嗅ぎつけているということであります。ローレンスが1914年6月5日にエドワード・ガーネットに当てた手紙に次のような言葉があるのです。

 「私の小説に性格という古臭い安定したエゴを求めてはなりません。そこには別のエゴがあります。その活動によって個人は見分け難いものとなり、いわば同質異体の状態を通過します。この状態を見出すためには、我々は普通以上に深い感覚を必要とします。それは根本的に不遍な同一元素の状態なのです。ちょうど、ダイヤモンドも石炭も、炭素という純粋の同一元素なのと同じようなものです。普通の小説は、ダイヤモンドの歴史をたどるのです。でも私はこういいます。「なにダイヤモンドだって? これは炭素じやないか」私のダイヤモンドも、石炭か煤かもしれません。しかも私の主題は炭素なのです」

 私たちの感覚にとらえられる机とか椅子とか水とかは、私たちの常識の世界を構成しているのですが、科学はこれを分析して炭素とか水素とか酸素とかいった元素にしてしまいました。いやそればかりではなく、最近の科学は分析を重ねていって、結局、電子とか陽子とか、まるで常識の世界では想像もつかないまで分析してしまったのです。私の眼の前にいる美しい女性も、傍らにある洗面器と変わりのない電気を帯びた粒子という同質のものから出来ているわけになります。ところが帯電粒子が諸々に結合して、ご覧のとうりの別の物質と肉体とがここに現れるわけです。ローレンスは、これと同じようなことを人間心理にまで立ち入ってやったわけであります。

 ところで、常識の世界には所謂「性格」を持った人間がいるわけですが、これを分解して非常識の世界にまで到ると、結局のところ「心理的原子」の集合があるだけになります。このように常識を越えて探究をすすめることが、現代の科学や思想界(殊に精神生活を素材にする文学上)の動向となっていると考えることができます。科学の発達は、精神科学を駆使して、かくまで人間心理を掘りだして我々の眼の前にさらけだしてくれました。個性を否定し、性格を否定し去ったあとには、ただ心理的原子が現れてくるのみと思います。極端にいえば「個性は我々の個人的所有物ではない」とも言いうるのであります。そこで、帯電粒子の電子であり陽子でもある心理的原子は如何なる構成により人間を形成していくのでしょうか。また個性とか性格とかは、人間形成と如何なる関係があるのでしょうか。原子は生まれおちる以前、否、陽と陰の結合せるやいなや、その活動は始まるものと考えられます。しかし、人間という一つの存在は、独立して生活しうるようになると、急速にところ嫌わずいろいろの原子を吸収してしまうと思います。そして吸着し成長してきますと、新しい意味での個性ができるとも言えます。それは削除をうけず選択のされていない、別の言葉でいえば、世界観とか人生観とかいった何か特別の排水溝に流しこまれていない、全人の個性というものであります。そこで、無意識や潜在意識の一切を含む人間の意識の流れを考えて、個性とは、人間のあらゆる体験によって絶えず流動変化するものですが、そこに内面的な判断の作用があって、自らひとつの統一をなしているものと言えましょう。そして、この流動変化する個性にたいして、何らかの規範、主義、原則により抑制を加えて変化をいくつかのジャンルに凝結せしめた結果として「性格」が現れてくるものと考えてよいと私は思います。しかしここでは、年齢の上で問題になる点は課題としておきたいと思い、控えておきます。

 批評家を迷路に立たせ、一体如何なる性格を有せるものかと論議され、何も結果を見出しえずにいるハムレットなどは、あの英国の文豪シェクスピアの知恵の実のなかに、人間の性格の本質がきらめいていたのではあるまいか。文学上の問題に、恋愛問題をはじめ、身分、財産のごたごた問題が多くその素材にとられているのは何故であろうか。人間心理の、利害に基ずくエゴの微妙な変化が、その描かれる人間の中に、影のごとくつき纒っているからだと思います。なぜ道徳的品性を固持しつつも、しかも醜い想念を捨てさり得ないのか。原子的心理は、ある個性とか性格とかが許さざるところまで、人の内面に吸着されているのであって、個性とか性格に、厚い壁があると仮定する人のほうが、むしろおかしいと言えましょう。野心あるものが偉くなり、転ずれば悪人となるのも、またこれに帰一するでしょう。現今の我々は、個性とか性格への解剖のメスを許されているのであると思います。

 主観の篩が、性格及びその他(このことについては、又いろいろと探究すべき課題が私には課せられている)により構成され、形を保持していると考えられるので、その一面である性格が朧げながら明らかになってきても、決して主観の篩の意昧内容が解明されたとは言えません。

 二重人格、経験派、観念派、楽天家、厭世家、喜怒哀楽等々は、もはや人生のべールとして見えるのみで、本体はメスにより明らかにされ得るのです。我々は、世界の科学の進展に盲目でなく、この精神科学を進展せねばならないと思います。

    〇

 参考として、教育者の立場を薮医かもしれないが、経験は発展の基盤なりの仮定により、直断してみようと思います。

 分析総合による発展は学問のたとえ、然らば、ロボットに非らざる人間教育にたちむかう態度いかん、となると、斯くすれば斯くなるとの、如何に厳密なる検討議論の関門を経た方法上の態度を堅持してたちむかっても、一人の子どもでないかぎり、一〇人一〇色の子どもを相手にしては、ロボットの毎き一律でないかぎり予期した方向に教育できないと考えます。教育者の対象は、異彩を放つ生ける人間が対象だからです。一人の人間における性格、個性の心理的原子の吸着は、方法論による方向では、その意図する方向には必ずしも伸長はしません。教育者にしても、人であるかぎり絶対に客観的にはなり得ないからこそ、そう考えざるを得ないのです。流動変化する成長期にある生徒にたいし、せめて教育者の今日までの全見識と、生きる望みにたいする全エネルギーとをぶちまけて、赤裸々な自己の全人格で接し、己を材料とし生徒に成長してもらう以外、道はないだろうと思います。人は、他の人を劇的シーンの存在と考え、その中から汲むベきものは汲みとり食すべきものは食して成長する以外の何ものでもないと言いうるのであります。いわゆるこれが、原子の吸着なのであります。

 教育は、読み書きソロバンに非らずして人格の反映にあり、という考えは、自分の人格が立派だとか、生徒の人格よりまだ磨いてあるとか、そういった自惚た意味ではなく自分のすべてを投げだして生徒の心にぶちあたり、よりよき方向へ進もうとする赤裸々な姿で、生徒に立ち向かうことにあると思います。そうした姿の中から、生徒が汲むベきところを汲みとり、捨てるべきところは捨てさり、一人ひとりが成長するところに、人格の反映の意味があるのです。一律教育は、生徒の心を踏みにじる要素がつよく、個々の個性や性格の形成の上から言っても、唾棄すべきものと言ってよいでしょう。

5 病床にて徒然なる侭に   25・5・19

 人の世は全く混沌としていて判然としない。世界をみると、米ソ共に平和なる美名をもって二つにわかれている。現在おおくの日本人は、アメリカ寄りを期待していると思うが、思想傾向は社会改革の方向へかたむくことと思う。アメリカよりソ連に近づく傾向はまったくないとは言われまい。何故か考えてみるに、例えば米なら米が独善的に物を処していく様子があるのが一つで、また日本自体の傾向が気味悪いほどアメリカ風を奉じているからである。

 例を挙げて考えよう。手近な点からは・・・ラジオ放送を主としての判断だから真か否かは判らない・・・先ずアメリカ人、イールズ博士の講演問題がある。前に東北大学で学生による博士講演の妨害事件があり、今度は北海道大学では、懇談会云々問題が大きく取りあげられた。さて、問題は事件に対するイールズ博士の見解と大学教授陣の態度である。博士はいう、共産主義の教授はその資格がないとまで極言し、更に学問のために共産主義の教授を招くことはいけないという。私などは、その内容はどうか何もしらないが、日本の大学をまわり歩きつつ、自己の見解を固持して語り歩く外人の態度が余りに気に喰わぬ。学生が学問の自由を束縛する云々といったのも、心からのことばと思われる。日本の、いわば最高学府への侮辱ではなかろうか。然しながら、これに対する教授陣は、一体何ということだ。仙台では扇動した学生が悪いというので逮捕するといい、北大では某教授が、わたしが懇談会の責任者だからその責任を負うといっている。大学教授が、学問の指導者としての明らかな態度を国民にすこしも示していないのである。何たる弱いことよ。時流に逆らわぬとか長いものには云々の態度ではないか。また、文部大臣は何たることか。問題を追求する責は別として、これほどの教育問題なんだから一応の所信を表明してよい筈であった。総じて、アメリカ主義が公然と大学の空気を染めようとしている、という点が本問題の焦点だと思う。

 第二として、先日新聞紙上で問題になった徳田要請の問題がある。本問題も些事については少しも知らぬ。ただ私の感想は、要請の真否如何よりも公判法廷の証人と検事との態度である。そうじて検事の態度が一般的のものと考えているから、これもその一例としてよいと思う。これは一事件の例である。

 菅証人が徳田要請を期待と翻訳したということが主であった。菅証人は哲学徒として真摯な態度で生きてきたと思われる。その様子は法廷の証言で明らかに見とることができた。菅に対する質問は、いわゆるデリケートであり、またしつこかった。この前の無人電車の事件の様子をみても同様、残酷と言わねばならない。リーダーズダイジェストに出た共産党問題の法廷で、某氏を拷問した様子が出ていたが、肉体的圧迫はすこしもないようであるが、精神上の拷問は菅証人を自殺させるほどであったことがうかがえる。ねちねちした拷問のようすは、検事としてあたりまえかもしれない。がしかし、徳田事件は急を要する思想問題であったので殊のほかアメリカやソ連の波は荒くなるのが自然のなりゆきであった。日本の検事が、如何にして又曲解してまでアメリカ主義を強く押し進めているか、ということが余りにも反映していた。思想的に訓練されず自己を磨かぬ文官人は、齢をとりすぎて自己保持のためか、今までの日本を反省できていない様子である。こんな人が、平和立国するとつとめる日本の司法をあずかる人かと思うと、日本の存立自体を、あるいは世の人の心について、すこしでも真面目に考えようとすることが馬鹿らしくもなってくる。

 イールズ事件はアメリカ人がひきおこし、若き学生が反駁し、徳田事件はアメリカ人にたいする反対人がひきおこした問題で反駁者はいないが、検事の悪しざまな態度が露呈された。

 第三に、これは前の二つの問題とは関係ないが、参議院選挙の演説をとり挙げる。苦しんでいる日本の立法府の一翼を担う参議院議員の候補者の態度や程度がまた、非常にいぶかしいのであって、国民は全くこころもとない。ラジオの放送は毎日二回ずつあり、それを聞いていると可笑しくて可笑しくて、と言っても笑えない苦しみを感ずる。某氏は文学博士として立候補した全国区ただ一人の私なりと、いくども猿でもあるまいにくどくど言い、自分の抱負何一つ言わず、只文学博士を宝であるごとく鼻にかけ、終止一貫していた。参議院議員候補にこれほど大馬鹿もいるかと思えば心細い。また某氏は、時には議員として僧侶が出たから神主も出てもよいかと思って出たなど平気でいう。更に早苗と称する氏は、その名が農民と深い関係があるし、とにかく早苗を思い出して投票してくれと頼んでいる。また某氏いわく、全国の野球ファン諸君、健康な国を建てるのがまず急務なり、私は野球をもって国を建て楽しんでいきたい等と、何時でも野球する時間場所があり自分の思う通りといった口ぶりであった。如何せん放送を聞いているとこの程度のものが議員に立候補しており、まったく笑えなくて恥ずかしくなる。これらは特別でしょうが、わが名を振りかざすさまは、自分の名を書き始めた小学校一年生が、自分の所持物すべてに名を書きこむのと同一である。あれで、紳士として候補者として国民の代表者として、立候補するのかと思うと、日本の参議院の腰の弱さ、人物の無さに呆れる。呆れるは愚、衆議院も同一であろうから、日本たるものがアメリカに助けてもらわなくてはやっていけないのは、当然だろうとまで悪たれ口をたたきたくなってくる。国の最高議決機関の議員さんが斯様ならば、その国おして知るべし・・・・と迄はいかぬとよいが、兎も角、参議院議員候補者の言葉に対して聞く耳を持ちたくない。