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折々の記 2016 ⑦
【心に浮かぶよしなしごと】

【 01 】08/25~     【 02 】08/30~     【 03 】09/20~
【 04 】10/06~     【 05 】10/16~     【 06 】10/17~
【 07 】11/08~     【 08 】11/09~     【 09 】11/12~

【 05 】10/16

  10 16 隠れ蓑の人々   回り舞台裏の力
       NO.01 ロスチャイルド家
       01-03 【総資産1京円】ロスチャイルド家の富豪レベルが違いすぎる!

 10 16 (日) 隠れ蓑の人々     舞台裏の力

戦後世界のいろいろの動きを舞台変化ととらえて見るとき、舞台下のヨイトマケはだれのどんな考えによるものだろうか。 過ぎ去った歴史の中から推察していってみると、ビルダーバーグ・グループがその担い手であると考えて間違いないだろうと私は考えている。

更にその動きの中核にあるものはなにかと考えてみると、それはハプスブルク家の繁栄の基盤になった箴言(シンゲン)

    『戦争(イクサ)は他家(ヨソ)に任せておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ』

に基ずく戦争拒否と経済繁栄の考えではなかったかと思います。

「ロックフェラー家」は、wikipedia によれば、ドイツ南部のプロテスタントの一派としての起源を持ったアメリカ合衆国の名門一族と言われています。 第一次大戦に続き第二次大戦による殺伐とした歴史の教訓から名門一族にふさわしい平和と経済発展を願っていたに相違ないと思うのです。

ロックフェラーは先祖代々のヨーロッパの平和を願ったに相違ないのです。(これは私の思い込みなのです)

なぜそのように考えるのかというと、ビルダーバーグ・グループの経費はロックフェラーだというからです。



ビルダーバーグ・グループの陰のヨイトマケは誰なのか。

いろいろ調べてみていると、判ってきた。 それは、ロスチャイルド家、ロックフェラー家、モルガン家など世界の大富豪の人達である。

これには呆然とせざるを得なかった。

内容を見ていくと、将に人間失格の人達であった。

ちょっとしたコソドロどころではない。

できるだけ調べたいだけ調べたら、 「飛ばない鳥たちの国」の中の「国際金融資本家」には次の記事がでている。

(1)ユダヤ国際資本

世の中には、学校では教えてくれないが、とても大事な情報があります。また、意図的に一般には知らされていない重要な情報もあります。その一つが、私はロスチャイルドのことではないかと思っています。私たちは、普通国家というものが、組織の一番トップにくると考えがちですが、国家の上にくる組織があります。それは、「企業」です。企業の中で、絶対的な強さを持っているものは、国家を思い通りに動かす力を持っているのです。

イギリスのロスチャイルド家(赤楯家と書かせてください。)は、イギリス国家よりもエリザベス女王よりも強い権力を持っています。ロンドンのシティには、世界を動かせる全ての組織が集約されていて、イギリス女王でさえ、自由に立ち入ることはできません。

赤楯家、ロックフェラーモルガンなどの資本家をユダヤ金融などと言いますが、厳密には、彼らは白人であり、いわゆる古代ユダヤ人とは違います。このことは、日本のルーツが古代ユダヤであることを考慮するときに、知っておいたほうがいいことです。安部芳裕さんの「国際銀行家たちの地球支配/管理のしくみ」によると次のことは、これらの金融資本家が、意図的に造りあげたものです。リーマン・ブラザースから始まった金融危機。これは、赤楯家傘下のゴールドマン・サックスHSBCが組んでしかけたことで、世界中の銀行がつぶれたときに、これらの銀行は大儲けをしています鳥・豚インフルエンザのパンデミック。これは、人工的に造られた菌で、豚インフルエンザが流行った年、発生地のメキシコで豚インフルエンザにかかった豚は1頭もいませんでした。代わりにタミフルの製造会社の大株主であるラムズフェルドは、大儲けをしています。地球温暖化。地球温暖化がCO2を原因としている根拠は何もありません。原子力産業を一手に握っている赤楯家に都合がいいだけです。ちなみに、国際原子力機関であるIAEAも赤楯家の傘下です。赤楯家は、通信産業(つまりマスコミ)、原子力産業、兵器産業、お茶・薬・麻薬産業、食品産業、石油産業などほとんどの産業をほぼ独占しています。また、イギリスの中央銀行やアメリカのFRBは、赤楯家の個人企業ですので、赤楯家は、ポンドやドルを自由に印刷して使うことができるのです。

(2)赤楯家

ロスチャイルドは、1774年、フランクフルト郊外にあるゲットー(ユダヤ人集落)に生まれたマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドから始まったと考えていいと思います。ドイツ語でロートシルト(英語読みするとロスチャイルド)は、家紋である赤い楯のことです。古銭業・両替商を始めたマイヤーの5人の息子たちは、その後、イギリスやフランスに渡り金融業を広げ、イギリスにわたったネイサン・ロスチャイルドが、ナポレオンのワーテルローの戦いで、情報戦を制して大儲けをした話は有名です。その後は、通信・郵便事業を独占し、情報を早期に得ることで富を手にしていきます。手紙の封印を外す技術を開発し、重要人物の手紙の中味を見ることもできたのです。

戦争は、赤楯家の収益源です。日本が日露戦争に勝つことができたのも、赤楯家の右腕であったシフが、岩崎弥太郎を通してお金を融通したからですが、第1次世界大戦、第2次世界大戦も赤楯家がしかけています。戦争は、戦う両方の国にお金と情報を差し出して、戦わせるとうのが、赤楯家の常とう手段です。ちなみにヒットラーもユダヤ人です。

(3)9.11に見るシークレットガバメント、300人委員会

今、You Tubeを見れば、例のアメリカで起こった9.11のテロは、アメリカ政府がしかけた自作自演であることは明白です。飛行機がビルに突っ込む映像もCGです。飛行機が当りもしない第7ビルが、崩壊し、WTCツインタワービルと第7ビルに巨額のテロ保険をかけて大儲けをした人間がいたり、ペンタゴンに突っ込んだと言われている飛行機の残骸は1かけらも残されていないなど、誰の目にも明らかなことが、未だに葬られています。

なぜ、このようなことができるのでしょうか。それは、赤楯家やイルミナティなどの組織とFBIやCIAなどの組織がグルになってやっているからです。それは、シークレット・ガバメントや300人委員会などと呼ばれ、実質的にアメリカという国を動かしている組織です。

イルミナティ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/イルミナティ
イルミナティ(英: Illuminati)は、現実の歴史、およびフィクションに登場する秘密結社の名称。
【下平註】

いやはや、ロスチャイルド、ロックフェアー、モルガンなどの大資本家ばかりでなく、秘密結社、FBI、CIAの組織などグルになってヨイトマケをすすめている。 ビルダーバーグ・クラブが黒幕と考え、その下で金融、大企業などが蠢(ウゴメ)いているのかと思っていたがそうではなかった。 USのシークレット・ガバメントや300人委員会が本命のヨイトマケの計画、実行者であった。

「隠れ蓑の人々」の実体がはっきりしてきたので、この項のまとめとして、順次Noをつけてその概要をまとめることとした。

これらの情報としては、次の書籍は手元にあった。 それなのに全体的な総括解釈までに到らずにいた。


  1097 「ロックフェラー帝国の陰謀 PART.1」 ゲイリー・アレン著
  1097 「私物国家 日本の黒幕の系図」 広瀬 隆著
  1994 「小沢一郎 覇者の履歴書」 奥野修司著
  1996 「資本主義の未来」 レスター・C・サロー著
  2002 「日本が自滅する日 「官制経済体制」が国民のお金を食い尽くす!」 石井紘基著
  2003 「裏支配 今明かされる田中角栄の真実」 田中良紹著
  2004 「一本の鎖 地球の運命を握る者たち」 広瀬 隆著
  2006 「ビルダーバーグ倶楽部 世界を支配する陰のグローバル政府」 ダニエル・エスチューリン著
  2006 「タヴィストック洗脳研究所 情報操作・世論誘導・心理をあやつる見えない政府」 ジョン・コールマン著
  2007 「超・格差社会・アメリカの真実」 小林由美著
  2008 「新版 300人委員会(上) 支配される世界」 ジョン・コールマン著
  2008 「新版 300人委員会(下) 陰謀中枢の正体」 ジョン・コールマン著
  2008 「ロスチャイルドの密謀」 ジョン・コールマン著
  2008 「コールマン博士は知っていた」 ジョン・コールマン著
  2008 「CIA秘録(上) その誕生から今日まで」 ティム・ワイナー著
  2008 「CIA秘録(下) その誕生から今日まで」 ティム・ワイナー著
  2009 「知られざる真実 ―勾留地にて―」 植草一秀著
  2009 「売国者たちの末路(対談) 私たちは国家の暴力と闘う」 副島隆彦、植草一秀著
  2009 「世界がドルを棄てた日 歴史的大転換が始まった」 田中宇著
  2009 「メディアが出さないほんとうの話 テロを黙認するアメリカ」 田中宇著
  2009 「日本が「対米従属」を脱する日 多極化する新世界秩序の中で」 田中宇著
  2010 「日本の独立 主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘」 植草一秀著
  2010 「ハクスブルク帝国」新人物往来社編
  2011 「脱アメリカ時代のプリンシプル いよいよ破産へと向かうアメリカ」 原田武夫著
  2009 「メディアが出さない世界経済ほんとうの話 テロを黙認するアメリカ」 田中宇著
  2009 「赤い楯 ロスチャイルドの謎Ⅰ」 広瀬隆著
  2009 「赤い楯 ロスチャイルドの謎Ⅱ」 広瀬隆著
  2009 「赤い楯 ロスチャイルドの謎Ⅲ」 広瀬隆著
  2009 「赤い楯 ロスチャイルドの謎Ⅳ」 広瀬隆著
  2012 「日本人が知らない 恐るべき真実」 安部芳裕著
  2012 「国家の罪と罰」 佐藤優著
  2012 「最高裁の罠 三つの答えのない疑問」 志岐武彦、山崎行太郎著
  2012 「検察の罠 小沢一郎抹殺計画の真相」 森ゆうこ著
  2012 「アメリカに潰された政治家たち」 孫崎亨著
  2012 「戦後史の正体 1945‐2012」 孫崎亨著
  2013 「TPP参加は亡国への道だ 月刊日本④」 亀井静香著
  2015 「金融世界大戦 リーマン危機をはるかに凌ぐクラッシュの予兆」 田中宇著
  2016 「ユダヤの陰謀」 並木伸一郎著

」 著



これからの編集として、次のように No をつけてあらましを見ておく。

  No.01 ロスチャイルド家
  No.02 ロックフェラー家
  No.03 モルガン家
  No.04 世界の大富豪の人達
  No.05 FBI
  No.06 CIA
  No.07 シークレット・ガバメント
  No.08 300人委員会
  No.09 
  No.10 
  No.11 
  No.12 
  No.13 

 NO.01 ロスチャイルド家 

想像をはるかに超える世界一の財閥、この森は入っていくのには暗くて深い。 迷ってしまうかもしれない。 一族の財閥への執着心は我唯知足などはほど遠い。

先ずは、GOOGLE の検索を調べてその全体像を見てみよう。


   検索語「ロスチャイルド家」の結果
         「ロスチャイルド家」URL
         約 496,000 件 (0.53 秒)


01 ロスチャイルド家  次載
ロスチャイルド家(Rothschild、「ロスチャイルド」は英語読み。ドイツ語読みは「ロートシルト」。フランス語読みは「ロチルド」。)は、ヨーロッパの財閥、貴族。門閥として名高い。ロマノフ家とはHubert de Monbrison (15 August 1892 – 14 April 1981) の三度 ...

02 世紀の大富豪、ロスチャイルド家の禍々しいオカルトパーティーの様子 ...
2014/12/26 - 現代における最も成功した人と言えばやはりロスチャイルド家のマイアー・アムシェル・ロートシルトだろう。ロスチャイルド家は、18世紀後半にフランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)出身のマイアー・アムシェル・ロートシルトが銀行家 ...

03 【総資産1京円】ロスチャイルド家の富豪レベルが違いすぎる!  次載
ロスチャイルド家とは ヨーロッパの財閥、貴族 http://ja.wikipedia.org/wiki/ロスチャイルド家 18世紀後半にフランクフルトのゲットー出身のマイアー・アムシェル・ロスチャイルドが銀行家として成功したことに始まり。 http://ja.wikipedia.

04 ロスチャイルド家 の画像検索結果画像を報告
05 ロスチャイルド家の陰謀
... はほとんど出ることもなく大統領をアゴでつかい世界中の富を手にしているロスチャイルド一族とは何者なのか?!その全貌に迫ってみよう。 ロスチャイルド財閥となるまで今や、世界一の大富豪ファミリーであるロスチャイルド家だが元は、『ド庶民以下』として虐.

06 ロスチャイルド家 (講談社現代新書)
アマゾン公式サイトでロスチャイルド家 (講談社現代新書)を購入すると、Amazon.co.jpが発送する商品は、配送料無料でお届け。Amazonポイント還元本も多数。本をお探しなら豊富な品ぞろえのAmazon.co.jp.

07 ロスチャイルド→ロックフェラー→フリーメイソン→陰謀
2016/08/01 - ロスチャイルド 家(ロートシルト家)の紋章。この紋章は1822年にオーストリア政府(ハプスブルク家)より、男爵の称号とともに授けられた。盾の中には5本の矢を持った手が描かれ、創始者の5人の息子が築いた5.

08 ロスチャイルド一族の子孫 まとめ
2014/03/19 - ロスチャイルド一族の子孫をまとめてみました。 更新日: ... 生年月日:1773年6月12日ドイツ系ユダヤ人の銀行家で、ロスチャイルド家の一員。 ... 経歴英国ロスチャイルド家の嫡流であるが、銀行業には関心を持たず、動物学研究に傾倒した。

09 栄華を極める世界最大最強のロスチャイルド財閥
無国籍性を特徴とする国際資本家集団のドンはロスチャイルド家である。日本人の中にはロスチャイルド家の存在すら知らない人が多くいることに驚くが、ちゃんと現実に存在しているファミリーであり、現在、世界最大最強の巨大財閥を誇っている。 欧米の上層 ...

10 RAPT | 「平家」とはロスチャイルド家だった。または明治維新にロス ...
昨日は「天照大神」と「スサノオ」がそれぞれ「アシュタロト」と「バアル」という名前の悪魔であると解き明かしました。 ○「天照大神」と「スサノオ」の正体。またはルシファーの正体。彼らこそが悪魔の三位一体です。 「バアル」と「アシュタロト」は、聖書の中では「異教 ...

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01 ロスチャイルド家

      https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E5%AE%B6

ロスチャイルド家(Rothschild、「ロスチャイルド」は英語読み。ドイツ語読みは「ロートシルト」。フランス語読みは「ロチルド」)は、ヨーロッパの財閥、貴族。門閥として名高い。ロマノフ家とはHubert de Monbrison (15 August 1892 – 14 April 1981) の三度にわたる結婚を介して家族関係にある。また、ベアリング家ともギネス家を介してやはり家族関係である。モルガン家ゴールドシュミット・ファミリーとも親密であり、広範なビジネスコネクションをもつ。

概要

18世紀後半にフランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)出身のマイアー・アムシェル・ロートシルトが銀行家として成功し宮廷ユダヤ人となった。彼の五人の息子がフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(二男ザロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(五男ジェームス)の五か所に分かれて銀行業を拡大させた。二男と五男は鉄道事業へ出資をして創設に関わった。この他、一家はスペインのMZA鉄道(マドリード・サラゴサ・アリカンテ鉄道)と上部イタリア鉄道 Società per le Ferrovie dell'Alta Italia もファイナンスした。近代化しつつあった郵便事業にも関わっていた。記事にはロスチャイルド家所有の建築物が多数掲示されている。その大部分は大不況 (1873年-1896年) のときに建造・再建・取得されている。

やがて、フランクフルト家、ウィーン家、ナポリ家は絶家した。フランクフルト家の銀行は1901年にディスコント・ゲゼルシャフトに吸収された。オーストリアのクレディト・アンシュタルトは世界恐慌の火付け役となった。

ロンドン家とパリ家は現在まで残っている。両家は日露戦争のころ日本政府へ巨額を貸し付けた歴史をもつが、それでさえ普仏戦争の賠償シンジケートに比べると彼らの仕事では小さい方である。とはいえ、ロンドン家のシンジケートは関東大震災後の復興融資を通して日本経済に深く浸透した。また、両家はそれぞれイングランド銀行とフランス銀行に対して一定の影響力をもった。加えて、ロンドン家はベンジャミン・ディズレーリ内閣のときにスエズ運河買収のため400万ポンドを年利3.5%満期36年で貸しつけたり、国家事業であるケーブル・アンド・ワイヤレスの経営に助言したりした。パリ家は総合水道会社(現ヴィヴェンディ、ヴェオリア・エンバイロメント)を設立し5千株を引受けて大株主となったり、ソシエテ・ジェネラルをつくって横須賀造船所と露清銀行へ資金を提供したり、地中海クラブを所有したりして、1961-62年にフランス国内全民間資産の6%を保有するに至った。

現在はN・M・ロスチャイルド&サンズが、M&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を受託するプライベート・バンキングを行っている。一方、リオ・ティントやイメリーズという大規模な工業事業も支配した。イメリーズは2008年現在グループ・ブリュッセル・ランバートの筆頭株主である。鉱産資源は19世紀末ごろから本格的に開発している。

歴史

1 マイアー登場以前

ロートシルト家は、神聖ローマ帝国帝国自由都市フランクフルトのユダヤ人居住区(ゲットー)で暮らすユダヤ人の家系である。

フランクフルト・ユダヤ人は1462年以来ゲットーに押し込められてきた。また法律・社会的に様々な制約を受け、職業は制限されていた。ロートシルト家も代々商売していた家柄だが、マイアーの代までは小規模に過ぎず、生活も貧しかった。

ファミリーネームはもともと「バウアー」もしくは「ハーン」と呼ばれていたが、「ロートシルト(赤い表札)」[注釈 1]の付いた家で暮らすようになってからロートシルトと呼ばれるようになった。そこから引っ越した後もそのファミリーネームで呼ばれ続けた。しかしフランクフルト・ユダヤ人が法的にファミリーネームを得たのはフランス占領下の1807年のことであり、それ以前のものはあくまで通称である。

2 ヘッセン・カッセル方伯の御用商

ロスチャイルド家を勃興させたのはマイアー・ロートシルト(1744-1812年)である。彼は1760年代からフランクフルトで古銭商を始め、やがてフランクフルト近くのハーナウの宮殿の主であるヘッセン=カッセル方伯家嫡男ヴィルヘルムを顧客に獲得し、1769年にはその宮廷御用商に任じられた。

ヴィルヘルムは領内の若者を傭兵として鍛え上げ、植民地戦争の兵員を求めるイギリスに貸し出す傭兵業を営んでおり、その傭兵業の儲けでヨーロッパ随一の金持ちになっていた。小規模ながら両替商を兼業するようになっていたマイアーもヴィルヘルムの傭兵業に関わらせてもらい、イギリスで振り出された為替手形の一部を割引(現金化)する仕事を任されるようになった。とはいえマイアーの担当額はわずかであった。ヴィルヘルムとしては交換比率が下がらないようなるべく多くの業者に自分の外国為替手形を扱わせたがっており、その一人がマイアーだったということに過ぎない。マイアーは基本的に1780年代末まで注目されるような人物ではなく、ヴィルヘルムにとってはもちろん、フランクフルト・ゲットーの中においてさえそれほど有名人ではなかった。しかも1785年にはヴィルヘルムがヘッセン・カッセル方伯位を継承してヴィルヘルム9世となり、フランクフルトから離れたカッセルのヴィルヘルムスヘーエ城(ドイツ語版)に移ってしまったため、一時マイアーとヴィルヘルム9世の関係が疎遠になるという危機も起こった。

一方、物品商の仕事の方はフランクフルトがイギリスの植民地産品や工業製品を集める一大集散地になっていたこともあって順調に推移し、1780年代にはマイアーはかなりの成功を収めていた。

やがてマイアーの息子たちが成長して父の仕事を手伝うようになり、長男アムシェルと二男ザロモンがヴィルヘルムスヘーエ城に頻繁に出入りするようになった。彼らはヴィルヘルム9世の宮廷の正規の金融機関であるベートマン家(ドイツ語版)(アムロ銀行#概要を参照されたい)やリュッペル・ウント・ハルニエル(Rüppell und Harnier)などの大銀行を回って、彼らと気難しいヴィルヘルム9世の間の使者の役割を演じ、ヴィルヘルム9世から気に入られるようになった。そして1789年にはロスチャイルド家もヘッセン・カッセル方伯家の正式な金融機関の一つに指名されるに至り、その対外借款の仕事に携われるようになった。1795年頃からヴィルヘルム9世の大きな投資事業にも参加できる立場になる。

こうしてロスチャイルド家は1790年代に急速に躍進した[31]。その頃にはロートシルト家の収入は信用供与と貸付が主となっており、商人というより銀行家に転じていた。その活動範囲もドイツに留まらず、ヨーロッパ中へと広がっていった。

3 ナポレオン戦争

1789年にフランスで発生したフランス革命を恐れたヨーロッパ諸国の君主たちはフランスに宣戦布告し、1792年から1815年までフランス革命戦争・ナポレオン戦争が勃発した。だが自由主義をスローガンに掲げるフランス軍は征服地でユダヤ人解放政策を実施したため、ドイツ・ユダヤ人にとっては封建主義的束縛から解放されるチャンスとなった。ロスチャイルド家にとってもヘッセン・カッセル方伯の寵愛だけに依存した不安定な状態から脱却するきっかけになった。

戦争の混乱の中、ドイツでは綿製品が不足して価格が高騰した。これに目を付けたマイアーの三男ネイサンは1799年からイギリス・マンチェスターに常駐し、産業革命で大量生産されていた綿製品を安く買い付けてドイツに送って莫大な利益を上げるようになった。その金を元手にネイサンは1804年からロンドンの金融街シティに移り、N・M・ロスチャイルド&サンズを創設して金融業を開始した。

1800年代にはヴィルヘルム9世への影響力も飛躍的に増大し、1803年にロスチャイルド家は宮中代理人の称号を得ている。

1806年にナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がプロイセン侵攻のついでにヘッセンにも侵攻してきた。ヘッセン選帝侯ヴィルヘルム1世(ヘッセン・カッセル方伯ヴィルヘルム9世。1803年にヘッセン選帝侯に叙された)は国外亡命を余儀なくされたが、この際に選帝侯の巨額の財産の管理権・事業権はロスチャイルド家に委託された。以降ロスチャイルド家はフランス当局の監視を巧みにかわしつつ、大陸中を駆け回って選帝侯の代わりに選帝侯の債権の回収にあたり、回収した金は選帝侯の許しを得て投資事業に転用し、莫大な利益を上げるようになった。

またフランス当局やフランス傀儡国家ライン同盟盟主カール・テオドール・フォン・ダールベルク大公、フランクフルトの郵便制度を独占しているカール・アレクサンダー・フォン・トゥルン・ウント・タクシス(ドイツ語版、英語版)侯などと親密な関係を深めていき、独自の通商路を確保し、また情報面で優位に立ち、大きな成功に繋げていった。

ナポレオンは1806年に大陸封鎖令を出して支配下の国々に敵国イギリスとの貿易を禁じたが、これがロスチャイルド家にとっては更なるチャンスとなった。大陸封鎖令により大陸諸国ではコーヒー、砂糖、煙草、綿製品などイギリスやその植民地からの輸入に頼っていた商品の価格が高騰した。また逆にイギリスではこれらの商品の価格が市場の喪失により暴落した。そこでロンドンのネイサンはイギリスでこれらの商品を安く買って大陸へ密輸し、それを父や兄弟たちが大陸内で確立している通商ルートを使って大陸各国で売りさばくようになった。これによってロスチャイルド家は莫大な利益を上げられた上、物資不足にあえいでいた現地民からも大変に感謝された。

この独自の密輸ルートはイギリス政府からも頼りにされ、イギリス政府は反フランス同盟国に送る軍資金の輸送をネイサンに任せていた。パリに派遣された末弟ジェームズと連携して、イギリスの金塊を公然とフランス経由でイベリア半島で戦うイギリス軍司令官ウェリントン公爵のもとに送り届けたこともあった。

この時期にロスチャイルド家はフランクフルト・ユダヤ人の解放を推進する役割も果たした。「あらゆる人民の法の前での平等と宗教的信仰の自由な実践」を謳ったナポレオン法典を一般市民法としてフランクフルトに導入する際にフランクフルト大公ダールベルクはフランクフルト・ユダヤ人団体に44万グルデンを要求したが、そのほとんどをロスチャイルド家が建て替えて実現に漕ぎつけたのである(ナポレオン敗退後に自由都市の地位を取り戻したフランクフルト市によって取り消されてしまうが)。

4 マイアーの死去と五家の創設

1812年にマイアーは死去した。彼は遺言の中で5つの訓令を残した。1つはロートシルト銀行の重役は一族で占めること、1つは事業への参加は男子相続人のみにすること、1つは一族に過半数の反対がない限り宗家も分家も長男が継ぐこと、1つは婚姻はロートシルト一族内で行うこと、1つは事業内容の秘密厳守であった。

マイアーは何よりも一族の団結を望んでいた。ロートシルト家の家紋に刻まれた「協調(concordia)」もマイアーの遺訓であり、その精神は彼の5人の息子たち、長男アムシェル(1773-1855)、二男ザロモン(1774-1855)、三男ネイサン(1777-1836)、四男カール(1788-1855)、五男ジェームズ(1792-1868)にも受け継がれた。

父の遺訓に従ってフランクフルトの事業は長男アムシェルが全て継承し、他の4兄弟はそれぞれ別の国々で事業を開始することになった。ウィーンには二男ザロモンが1820年に移住した。ロンドンはすでに三男ネイサンが移住していた。ナポリは四男カールが1821年に移住した。パリは五男ジェームズがすでに移住していた。

五家は相互連絡を迅速に行えるよう情報伝達体制の強化に努めた。独自の駅伝網を確保し、伝書鳩も飼育して緊急時にはこれを活用した。またその手紙は機密保持のためヘブライ語を織り交ぜていた。こうした素早い情報収集が可能となる体制作りがロスチャイルド家が他の銀行や商人に対して優位に立つことを可能としたといえる。ワーテルローの戦いの際にもロンドン家当主ネイサンはいち早くナポレオンの敗戦を知ったが、自分たちの情報収集の早さが他の投資家にも知られており、その動向が注目されていることを利用して、逆にイギリス公債を売って公債を暴落させた後、買いに転じてイギリス勝利のニュースがイギリス本国に伝わるとともに巨額の利益を上げることができた。

5 ウィーン体制下

ナポレオン敗退後、フランス革命以前の旧体制が復古し、フランスに領地を奪われた君主や貴族たちが領地を回復させた(ウィーン体制)。銀行業でも旧勢力が復古し、1815年11月のパリ条約に定められたフランスの賠償金の調達からロスチャイルド家は弾き出された。

ついで1818年10月の同盟軍のフランス撤兵と賠償金分配を話し合うアーヘン会議でもロスチャイルド家は弾き出されそうだったが、この時にジェームスがフランス公債を大量に買って一気に売り払うという圧力をかけたことが功を奏し、オーストリア帝国宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒから会議に招かれ、ザーロモンとカルマンが名声を高めた。以降メッテルニヒとの関係が強まり、1822年にはロスチャイルド一族全員がハプスブルク家より男爵位を与えられ、また五兄弟の団結を象徴する五本の矢を握るデザインの紋章も与えられた。以降ロスチャイルド家はその名前に貴族を示す「von(フォン)」や「de(ド)」を入れることになった。権威は実を伴った。1825年の恐慌でイングランド銀行の救済に貢献し、後に公認の鋳造所を持つほどに同行との関わりを深める。

この時期、ロスチャイルド家は鉄道分野には熱心な投資を行っている。ウィーン家のザロモンは1835年に皇帝の認可を得て鉄道会社を創設し、中欧の鉄道網整備に尽くした。フランクフルト家のアムシェルも中部ドイツ鉄道、バイエルン東鉄道、ライン川鉄道等の整備に尽くした。パリ家のジェームズもフランスや独立したばかりのベルギーの鉄道敷設に尽力したが、同じユダヤ系財閥のペレール兄弟(フランス語版)と競争になった。

6 総合水道会社

1841年から1854年まで、パリの庶民に届く水は一日4リットル程度であった。

パリ家は1853年にオートバンクぐるみで総合水道会社ジェネラル・デゾー(英語版、フランス語版)を設立し5千株を引受けて大株主となった。会社は資本金2千万フラン8万株でスタート。1860年9月、パリ市への営業譲渡に合意したが、五つの骨子からなる内容はジェネラル・デゾーに有利であった。具体的には以下のとおりである。
・総合水道会社が、セーヌ県の市町村と交わした給水契約の全てをパリ市は承継する。あわせ同社が所有する全水利施設をパリ市に譲渡する。
・パリ市が給水管理権を有する。総合水道会社が個人契約者に給水するに足るだけの水量をパリ市は確保しなければならない。総合水道会社は水の配分と販売、枝管の建設、契約金の徴収、商業的給水泉の管理義務を負い、その収入を毎週パリ市の金庫に振り込まなくてはならない。
・損害賠償として、1860年12月の時点で、総合水道会社の年間利益に相当する116万フランの年賦金を総合水道会社は受け取る。
・管理費として、総合水道会社は年間35万フランを受け取る。また、総額360万フランを超えた収入分については、総合水道会社が超過分の1/4を受け取る。
・契約期間は50年間。このあいだ、総合水道会社はセーヌ県の市町村と新たな給水事業契約を交わすことができない。それはパリ市が担う。
会社は毎年40万フランの割合で収入を増やした。1880年代の大不況期に市議などは会社の事業買戻しを主張した。これは損害賠償の金額算定で争い疲れたことや、水道利用契約義務化政策を円滑に進めたいという思惑が働き、総合会社の天引きは続いた。なお、買戻された場合の埋め合わせは近郊の水道事業にたくさん用意されていた。

7 帝政ロシアとの闘争とバクー油田

ロスチャイルド家はユダヤ人迫害を推進するロシア帝国とは敵対的立場を取った。 1854年のクリミア戦争ではロシアと敵対するイギリス・フランス・トルコ陣営を金銭面から支援した。英仏軍の軍事費を調達し、トルコにも巨額の借款を与えた。

一方、鉱産資源の開発も進めた。1880年にはセシル・ローズに融資、ダイヤモンド寡占企業のデビアスを設立させた。1895年10月にはロンドン・パリの両家がアナコンダ銅鉱山会社の株1/4を750万ドルで買収。このころ世界銅供給の4割以上を支配した。

1904年の日露戦争でも軍事費を提供した。初代ロスチャイルド男爵ナサニエル・ロスチャイルドが、ユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフから「日本の勝利がユダヤ人同胞を迫害するツァーリ体制打倒のきっかけとなる」との誘いを受けた。そこで日本政府が戦時国債を発行する便宜を図り、3回目と4回目の起債はロンドンとパリの両家がそろって引き受けに参加した。

パリ家当主アルフォンスは1883年に財政困窮に陥ったロシア政府の公債発行に協力しており、その見返りとしてバクー油田の中でも最大級のバニト油田をロシア政府より与えられた。アルフォンスはバクー油田の開発にあたっていた科学者・企業家アルフレッド・ノーベルと協力して開発を進めた。また1914年にはロイヤル・ダッチ・シェル石油に油田を売却し、同社の大株主に転じた。自らの油田を売ってでもヨーロッパ石油産業の再編を進めることでロックフェラーのスタンダード石油がヨーロッパに進出してくるのを阻止する狙いがあった。1917年にロシア革命が起こってツァーリ体制が崩壊し、ボルシェヴィキ政権が外国資産を全て接収したが、ロスチャイルド家はこの時に売却しておいたおかげでロシア革命による打撃を受けずにすんだ。

8 衰退

19世紀後半の相次ぐ戦争と各国での国家主義の高揚により、衰退が始まった。この段階でもロンドン家とパリ家は繁栄していたが、フランクフルトの本家は発祥の地フランクフルトに固執して新しい金融の中心地ベルリンに移ろうとしなかったために衰退し、ウィーン家もハプスブルク家の没落とともに没落していった。ナポリ家に至っては危機的状況に陥っていた。初代マイヤーは「兄弟力を合わせるように」という遺訓を残しており、子孫たちもこれまでその遺訓を守って、5家協力してやってきたが、国家主義の高揚はその協力の維持を難しくしていた。1901年にフランクフルトの本家が断絶するとロスチャイルド家の協力関係はいよいよ希薄となっていった。

1914年に勃発した第一次世界大戦でロスチャイルド家は敵味方に引き裂かれてしまった。兵役年齢の者はそれぞれの祖国の軍隊に入隊して祖国のために戦った。ロンドン家はエヴェリン・アシル・ド・ロスチャイルドをパレスチナ戦線で失った。ロスチャイルド家の中で最も栄えていたロンドン家は、第一次世界大戦中の税制変更期に初代ロスチャイルド男爵ナサニエルとその弟二人が相次いで死去する不幸があったことで、その財産に莫大な相続税をかけられて衰退しはじめた。ロスチャイルド家の銀行は株式形態ではなく個人所有だったため相続税増税の直撃を被ったのである。19世紀に手に入れた豪邸を次々と手放すことを余儀なくされた。またロスチャイルド銀行の業務の大きな部分を占める公債発行が戦争のせいで危険な投資になってしまったこともロスチャイルド家にとっては厳しかった。第一次世界大戦後のロスチャイルド家はこれまで投資した事業を守るだけで精一杯という状況にまで陥っていった。

9 ナチスによる弾圧

19世紀に栄華を誇ったロスチャイルド家も20世紀には衰退の一途をたどり、実際の財力より名前の威光ばかりが先行するイメージの存在と化していた。しかし「国際ユダヤ資本」を陰謀の元凶とするユダヤ陰謀論に影響されたナチス・ドイツにとってはそのイメージは反ユダヤ主義プロパガンダの格好の材料であり、ロスチャイルド家は陰謀の黒幕扱いにされた。『ワーテルローの勝者 ロスチャイルド家(Rothschilds Aktien auf Waterloo)』(1936年)や『ロスチャイルド家』(1940年)といったロスチャイルド家を「世界支配を狙う陰謀を企てる者」として描く反ユダヤ主義映画がドイツで公開された。

ドイツ国内のロスチャイルド家に由来する記念碑や名称もナチス政権誕生とともに取り払われていった。ロスチャイルド並木通りはカロリング王朝並木通りに変えられた。ドイツ国内にあったロスチャイルド家所有の財団法人や慈善施設も経済や銀行業のアーリア化により財産放棄か二束三文で買い取られていった。フランクフルト家の最後の当主ヴィルヘルム(ドイツ語版)の娘婿だったマクシミリアン・フォン・ゴールドシュミット=ロートシルト(ドイツ語版)の財産も政府に没収された。

1938年にオーストリアがドイツに併合された際には、ウィーン家の者はほとんどがイギリスへ亡命していたが、当主であるルイ・ナタニエル・フォン・ロートシルト男爵(ドイツ語版)のみがウィーンに残っており、併合とともにゲシュタポに連行された。戦前期にはまだ絶滅政策は行われておらず、財産没収と国外追放がナチスのユダヤ人政策だったので、ルイも全財産没収と外国へ出ていくことに同意するのを条件に釈放され、アメリカへ亡命した。第二次世界大戦後もウィーンには戻らず、子孫もなかったためウィーン家はこれをもって絶家した(戦後オーストリア政府はナチスが没収したルイの財産をルイに返還しているが、ルイはその全額を寄付しているので財産上も残らなかった)。

1940年のナチス・ドイツのフランス侵攻でパリが陥落すると、パリ家の銀行や邸宅もナチスに接収された。またパリ家は美術品の収集で知られており、陥落直前に美術品の外国移送に励んだが、移送できなかったものは陥落後に押収された。パリ家の人々の多くはアメリカへ亡命し、ロチルド家御曹司ギーはアメリカからイギリスにわたってド・ゴールの自由フランス軍に入隊した。自由フランス軍の財政は少なからずロスチャイルド家によって支えられていた。

ロンドン家は直接の被害を免れたが、1940年から1941年のイギリス本土空襲時には子供たちはワドスドン城ヘ疎開した。ドイツやオーストリアから逃れてきていた孤児たちも預かり、この城に一緒に収容している。戦時中大陸にいて逃げ遅れ、ナチスの手にかかったロスチャイルド家の者が2人出た。フランス家のフィリップの妻エリザベート(英語版)とロンドン家の第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターの叔母にあたるアランカだった。前者はラーフェンスブリュック強制収容所、後者はブーヘンヴァルト強制収容所で落命している。

第二次世界大戦が終わった時、残ったロスチャイルド家はロンドン家とパリ家の二つだけとなった。大戦の影響でロスチャイルド家の衰退は更に進んだ。ロンドン家もパリ家も収入が大きく落ち、出費は増える一方で更に多くの豪邸を売り払うことを余儀なくされた。

10 戦後復興

ロンドン家の戦後復興はロンドン家分家のアンソニー・グスタフ・ド・ロスチャイルドを中心にして行われた。ロンドン家本家の第3代ロスチャイルド男爵ヴィクター・ロスチャイルドとはN・M・ロスチャイルド&サンズの株を6:2という割合で配分しているため、分家のアンソニーが経営を主導する形になった。第3代ロスチャイルド男爵ヴィクターの息子である第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブはアンソニーの息子であるエヴェリンと経営方針が合わず、1980年にN・M・ロスチャイルド&サンズを退社してRIT・キャピタル・パートナーズ(英語版)を立ち上げている。

パリ家の戦後復興は1949年に正式に当主となったギー・ド・ロチルドを中心にして行われた。ド・ゴール将軍やジョルジュ・ポンピドゥーの協力を得てパリ・ロチルド家の再興に成功している。1981年に社会党党首フランソワ・ミッテランが大統領になった際に一時ロチルド銀行が国有化されたが、ミッテランの社会主義政策の失敗後、ギーの息子ダヴィド・ド・ロチルドの指導の下に再建され、今日にいたっている。

2003年にはロンドン家とパリ家の両銀行が統合されたロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングスが創設され、フランス家のダヴィドがその頭取に就任した。

現在

現在、ロスチャイルド家が営む主な金融グループは3つある

一つ目はEdmond de Rothschild Groupである。Edmond de Rothschild Groupはスイスに本拠を置く金融グループであり、傘下に、スイスを中心に世界中で富裕層の資産運用(プライベート・バンキング)を行うBanque privée Edmond de Rothschildや、フランスを中心に世界中でワイナリーを営むCompagnie Vinicole Baron Edmond de Rothschildなどがある。グループの傘下企業の一つBanque privée Edmond de Rothschildはスイス証券取引所に上場しており、2011年においてその総資産は140.2億スイスフランである。

二つ目はThe Rothschild Groupである。The Rothschild Groupはフランスのパリに本拠を置くParis Orléansを金融持ち株会社とし、その傘下にフランスの投資銀行Rothschild & Cie Banqueやイギリスの投資銀行N・M・ロスチャイルド&サンズやスイスを中心に活動するプライベートバンクRothschild Bankなどをもつ。ヨーロッパを中心に45カ国にオフィスを持ち、事業はM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベート・バンキングが中心である。特にM&Aでは取り扱い件数がヨーロッパで一番多い。The Rothschild Groupの金融持ち株会社であるParis Orléansはパリ証券取引所に上場しており、2012年においてその総資産は89.2億ユーロである。なお、パリ家の歴史的事業であったロチルド・フレールは国有化を経てバークレイズに買収されている。

三つ目はRIT Capital Partnersである。RIT Capital Patnersは1980年に設立された、ロンドンのスペンサーハウスに本拠を置くInvestment Trustであり、アメリカやイギリスを中心として世界中の会社に投資を行っている。RIT Capital Partnersはイギリスで最大規模のInvestment Trustであり、イギリスのトップ5の一つに数えられている。また、Rockefeller Financial Services社と資産運用事業で提携していることでも知られている。RIT Capital Patnersはロンドン証券取引所に上場しており、2012年において総資産は22.1億ポンドである。(Investment Trustはクローズド・エンド型の投資信託の種類の一つである。ETFと同様に株式市場で資金を集め、その資金をその投資会社の方針により、ヘッジファンドやプライベート・エクイティ・ファンドなど様々な商品に投資する。世界の中でも特にイギリスで発展している。)

なお、3つの金融グループはそれぞれの分野で傑出した業績を誇るが、それぞれの国においてより規模の大きな競合企業が存在する。

現在のロスチャイルド家を代表する人物として、Edmond de Rothschild Groupを統括するバンジャマン(フランス語版)、The Rothschild Groupを統括するダヴィド、RIT Capital Patnersを統括する第4代ロスチャイルド男爵ジェイコブ・ロスチャイルドらがいる。ロスチャイルド家の7代目の後継者は、ダヴィドの息子、アレクサンドル・ド・ロチルドとなる予定である。

ロスチャイルド家とワイン

ボルドーの赤ワイン生産者として、最高の格付けを得ている「5大シャトー」と呼ばれるブドウ園のうち2つが、ロスチャイルド家の所有となっている。そのうちシャトー・ムートン・ロートシルトは、ネイサン・ロスチャイルドの三男ナサニエルが1853年に購入したものであり、シャトー・ラフィット・ロートシルトはマイヤー・ロスチャイルドの五男ジェームスが1868年に購入したものである。1855年の格付けではラフィットが1級の評価を得たものの、ムートンは2級に甘んじた。だが、ナサニエルの曾孫のフィリップの努力により、1973年、異例の格付け見直しによりムートンも1級の地位を獲得する。

その後もフィリップとその一族は、カリフォルニアの「オーパス・ワン」、チリの「アルマヴィーヴァ」などのワインを手がけ、いずれも高い評価を獲得している。

フィリップはシャトー・ムートンを最高級のワイン・ブランドとして確立させる一方、1930年代には庶民にも手軽に飲める高品質のワインブランド「ムートン・カデ」を創り出した。シャトー・ムートンの技術と経験で造られた新作ワインが手頃な値段で楽しめるとあって、ムートン・カデの需要は徐々に高まっていった。今日ではムートン・カデはフランスで最もよく飲まれているワインとなっている[93]。

世界中の人に愛されているブランドでもあり、2004年には世界で1500万本販売された[94]。日本ではワイン専門店のみならずスーパーなどでも販売されており、日本人にとっても手軽に飲めるワインとなっている。

ロスチャイルド家系図



   家祖と「五本の矢」
   フランクフルト家(1901年閉鎖)
   ウィーン家(1938年閉鎖)
   ロンドン家
   ナポリ家(1901年閉鎖)
   パリ家
   アメリカン・ロスチャイルド

その他
   以下省略します
ロスチャイルドに関する著作
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
   歴史
   金融
ワイン

邸宅や庭園
財団

03 【総資産1京円】ロスチャイルド家の富豪レベルが違いすぎる!

      http://mnky.jp/155

ロスチャイルド家とは

【01】 ヨーロッパの財閥、貴族

【02】 18世紀後半にフランクフルトのゲットー出身のマイアー・アムシェル・ロスチャイルドが銀行家として成功したことに始まり

【03】 彼の五人の息子がフランクフルトの五か所に分かれて銀行業を拡大させた

下平コメント

ここを開くと 「ロスチャイルド家」 の中に 「ロスチャイルド家系図」 があり、五人の息子が出ております。 更にそれぞれの家系を開いて出てくる個人名にアクセスすると、こと細かく 経歴、人物、家族などの解説があります。

こうしたデータを見ていると、歴史の流れは、実は一人ひとり  「てんでに生まれ、そしててんでに生きて、てんでに死んでいく」  という基本通りにほかならないことが解るのです

このことは、何々家という先入観を持たずにそれぞれの人を見て思考を深めなくてはいけない、と気づかせてくれたのです。 守銭奴のような人も、そうでない人もいるのです。 お金持ちの人は、お金持ちゆえの凡欲にとらわれるのです。

金貸しの人は、金儲けの利得にワクワクしその凡欲にとらわれるのです。 武器商人と言われる人は、金儲けが大きいゆえに金の凡欲にとらわれるのです。

現在の世界は、大財閥の人々の凡欲が大手を振って世界中を闊歩しているのです。 少しずつでもいいから、人間味のある考え方に近づけていくことを心掛けなければならないのです

一人ずつでいいから、親の恩愛を深く理解してそれに報いる知と行に励まなくてはならないのです。 一人ずつでいいから、自分の心の中のアイデンティティー
 ( identity = 自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性。) を堅持しなくてはならないのです

平和の招来はてんでに一人でいいから、 人に喜んでもらえる生活 を組み立てなくてはなりません
なぜなら、人は誰でも人様にたいへんお世話様になったからです


【04】 現在、ロスチャイルド家が営む事業は主にM&Aのアドバイスを中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用を行うプライベートバンキングが中心

ロスチャイルド財閥

ロスチャイルド財閥

【01】 現在、世界最大最強の巨大財閥を誇っている

栄華を極める世界最大最強の ロスチャイルド財閥

●資本主義の世界的発展とともに、当然の成り行きとして「国際資本家集団」という“国家”という枠組みにとらわれない新勢力(多国籍企業群)が台頭した。それまでの世界史において“世界戦略”と言う場合、「国家による領土獲得」という意味を強く持っていた。

しかし20世紀半ばに入ると、国家と国家による領土争いというよりは、「無国籍性を帯びたビジネス集団たちによる利権争い」によって世界が大きく動くようになった。国の利益よりも自分たちの利益を最優先する“国際資本家集団”たちの水面下での暗躍は、“国家”という存在を非常に分かりにくくしてしまったといえよう。

●無国籍性を特徴とする国際資本家集団のドンはロスチャイルド家である。日本人の中にはロスチャイルド家の存在すら知らない人が多くいることに驚くが、ちゃんと現実に存在しているファミリーであり、現在、世界最大最強の巨大財閥を誇っている。

欧米の上層階級で、ロスチャイルドの名を知らぬ者は皆無と言われているが、彼らはロスチャイルドの異常な世界的利権支配を大衆に知られることを妙に嫌っている。そのため、一般人の間でロスチャイルドを問題にすることはタブーとされる風潮にある。

●私も、本当はこのロスチャイルド家の事柄にはあまり触れたくないのであるが、ユダヤ問題を総合的に取り扱うとき、どうしても避けられない存在なので、大ざっぱに触れておきたい。中途半端な説明をするとかえって大きな誤解を生じさせてしまう可能性があるので、彼らの想像を絶する世界的ネットワークを詳細に知りたい方は、『地球のゆくえ』『赤い楯』(ともに集英社)に血のコネクション&資本のコネクションが系図とともに克明に描かれているので、それを参考にするといいと思う。

特に同じユダヤ商人の血を持つ日本人(私の独断だが)は、彼らと対等に付き合うためにも知っておいて損はないと思う。

ロスチャイルド家の紋章  省略

●ロスチャイルド家の公式な歴史は、1744年にドイツのフランクフルトで生まれた、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド1世)の活動とともに始まっている。

彼は少年時代にユダヤ教のラビとして教育され、商人であった父親からは商売を仕込まれた。彼は最初、ハノーバーの「オッペンハイム銀行」に見習いで入ったが、やがて独立して両替屋である「フランクフルト・ロスチャイルド商会」を営んだ。

26歳の時に、フランクフルトの領主であるヘッセン侯爵家のウィリアム皇太子(のちのウィリアム9世)に金貨を売ったことがきっかけで“御用商人”に登録され、そのうちにヘッセン侯爵家の財政や国際的な資金調達の仕事に深くかかわるようになり、「宮廷のユダヤ人(ホフ・ユーデン)」の一人となった。

    ロスチャイルド財閥の創始者 マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(画像)
      (ロスチャイルド1世/1744~1812年)

●ロスチャイルド1世は非常にラッキーマンであった。1785年にヘッセン侯爵が亡くなると、その子ウィリアム9世は4000万ドルもの財産を相続した。これは当時のヨーロッパで最大の私有財産と言われている。更にウィリアム9世は、自国の国民を全ヨーロッパの君主に「傭兵」として貸し付け、莫大な富に莫大な利益を加算させていった。

1801年、ロスチャイルド1世はヘッセン侯爵家の「銀行事務弁理人」に任命され、当時のヨーロッパ最大の資本国の金庫の管理を任されたのである! 更に、1806年にナポレオン1世のヨーロッパ遠征が始まると、フランクフルトのウィリアム9世は領土を放棄しなければならなくなったのだが、その時に、その巨万の財産を安全に保管するようロスチャイルド1世は命じられて、彼はそれを安全地帯であるロンドンに送って息子に管理させることとなった。このヘッセン侯爵家の財産こそロスチャイルド家の巨万の富の出発点となったのである。

●ロスチャイルド1世には5人の息子がいたのだが、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して次々と支店を開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となった。

三男ネイサン(ロスチャイルド2世)は1804年にロンドンに派遣され、そこで支店「ロンドン・ロスチャイルド商会」を出した。次男サロモンはウィーンに、五男ジェームズはパリに、四男カールはナポリに支店を開業し、長男アムシェルはフランクフルト本店に残った。

彼ら5人の息子はそれぞれの国の政府と癒着して“貴族”の称号を得て、政治的にも活躍し、今日の“ロスチャイルド金権王朝”の基礎を作ったのである。

   5人の息子 (画像)
   ロスチャイルド1世には5人の息子がいたのだが、それぞれをヨーロッパ列強の首都に派遣して
   次々と支店を開業させ、それぞれがロスチャイルドの支家となった。
   上の写真は左から、長男アムシェル(フランクフルト本店)、次男サロモン(ウィーン支店)、
   三男ネイサン(ロンドン支店)、四男カール(ナポリ支店)、五男ジェームズ(パリ支店)
●パリの五男とウィーンの次男は協力して、ヨーロッパ全体をカバーする通信と馬車輸送のネットワークを作り上げた。そしてそこから誰よりも早く得られる情報を利用して、ロンドンの三男が金や通貨の投機をして大儲けするという兄弟ならではの連携プレーをし、今日の“多国籍金融ビジネス”の原型を作り上げた。

また、1810年にロンドン証券取引所の支配者フランシス・ベアリングが亡くなると、ロンドン支店の三男が新しい支配者となり、「世界一の金融王」として台頭した。

●知っている人も多いと思うが、三男(ロスチャイルド2世)には有名なエピソードがある。彼は1815年に自慢の通信網を駆使し、ナポレオンのワーテルローでの敗北をネタにして「ナポレオン勝利」のニセ情報をイギリスにタレ流し、大暴落した株を買いまくった。証券取引所が午後に閉まった時、彼は取引所に上場されている全株の62%を所有していたという。

そして後に「ナポレオン敗北」という真情報が公になり株が急騰したとき、彼は300万ドルの自己資産を75億ドル、すなわち2500倍に増やしてしまったのであった! ちなみにこの日、イギリスの名門の多くが破産したという。

この三男の死後、五男のジェームズ(パリ支店)が当主をついでロスチャイルド3世となった。

●ロックフェラー家は石油業がきっかけで成長したが、ロスチャイルド家は銀行業がきっかけであった。ロンドン支店はあくまでも金融中心に発展を遂げていった。それに対してロスチャイルド3世のパリ支店は金融だけではなく、やがて新しい交通手段として登場した鉄道の将来性に着目して鉄道事業に進出(1835年)し、「ヨーロッパの鉄道王」としてそれを支配した。

また南アフリカのダイヤモンド・金鉱山に投資し、更にはロシアのバクー油田の利権を握って「ロイヤル・ダッチ・シェル」をメジャーに育て上げるなど、情報・交通・エネルギー・貴金属を中心とした実業中心の膨張を遂げていくこととなった。

●1814年に東インド会社のインド貿易独占権が廃止されると、ロスチャイルド家が利権支配するようになった。1862年には、ロスチャイルド家を訪問したナポレオン3世と金融提携をし、1870年にはバチカン融資を開始し、ロスチャイルド家がカトリック教を金融支配するという事態になった。

1875年にはロスチャイルド資本の融資によってイギリス政府がスエズ運河会社最大の株主となり、ロスチャイルド家はイギリス政府&ヨーロッパ王室との癒着を更に深めていった。



●以上のようにロスチャイルド家の華々しい活動の一端を見てみるだけで、19世紀末にはロスチャイルド家が既に「世界最大の財閥」にのし上がっていたことが分かる。とりわけ、その時期の非鉄金属を中心とする資源の分野への進出ぶりは目覚ましいものがあった。

1880年には世界三大ニッケル資本の1つである「ル・ニッケル(現イメルタ)」を創設し、1881年には亜鉛・鉛・石炭の発掘会社「ペナローヤ」を創設し、スペインからフランス、イタリア、ギリシア、ユーゴスラビア、北アフリカ、南アフリカまで事業を拡大している。また、1888年にはロスチャイルド資本によって世界最大のダイヤモンド・シンジケートである「デ・ビアス社」を創設し、更には南アフリカ最大の資源開発コングロマリットである「アングロ・アメリカン」=オッペンハイマー財閥と提携した。

今さら言う事でもないが、つい最近まで南アフリカを騒がしていたアパルトヘイトの真犯人はロスチャイルド家の代理人たちであった。

●20世紀は重化学工業の世紀であり、そこでは非鉄金属や石油を含む地下資源を押さえたものが世界を制するという大戦略が国家規模で発動され、ロスチャイルドのビジネス戦略と密接に連動して動いた時代でもあった。

20世紀末期を迎えている今、ロスチャイルド財閥はもはや単なる一財閥ではなくなった。現在、パリ分家とロンドン分家を双頭とするロスチャイルド財閥は、金融と情報という21世紀の主要メディアを支配し、また、そのあり余る力をアフリカ大陸をはじめ、全世界の金やダイヤモンドやウランをはじめとする地下資源の確保に注ぎ込む、巨大な先端企業連合体でもある。

●ところで、ロスチャイルドはアシュケナジー系ではなく、スファラディ系ユダヤ人であるとの噂があるが、イエス時代のパリサイ派ユダヤ人までの血統図を家宝として自慢しているという噂もある。もし、それらの噂が本当なら由々しき問題である。

パリサイ派ユダヤ人といえば、イエス登場の時に、イエス派ユダヤ人と真っ向から激しく対立した集団である。パリサイ派のユダヤ商人は当時のソロモン第二神殿をマーケット広場として利用し、のさばっていた。そのため、ソロモン神殿に入城したイエスに激しく罵られたことでも知られている。

イエスはパリサイ派ユダヤ人に対して「マムシの子らよ」とか「偽善者なるパリサイ人」とか常々語っていた。そして極めつけは以下のような言葉であった。

「あなたたちは悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しである」(「ヨハネ伝」8章)



●ロスチャイルド家の活動を批判的な目だけで受け取ってしまうと、具合が悪くなるので、彼らの言い分を載せるとしたら、次のような言葉が適切であろうか。

「我々は純粋に“ビジネス”を追求しているのであり、“国際ルール”を侵していない。先見性に優れた大胆かつ站密なビジネス戦略の積み重ねが、今日のような確固たる“資本主義的地位”を築いたのである。我々のことを悪く言う人がいるが、我々は現代文明のあらゆる分野に多大な“恩恵”をもたらし、人類全体に計り知れない貢献をし続けているのであることを忘れないでくれたまえ。」

●関係者によると、ロスチャイルドは自分たちが現代文明をリードしてきたという強い自負を持っているとのこと。確かにその通りだと思う。彼らの文化的事業は非常に国際的でアクティブである。映画産業界、ファッション業界は言うに及ばず、各種国際研究所、ノーベル財団などなどという学術面においても、全く輝かしい業績を挙げている。

●それにしても、ビジネスマンが国境を越えて、人類の向上のためにビジネスを追求することは一向にかまわないが、彼らのビジネスが国際政府機関&各国の王室&国際報道機関&国際諜報機関などと密接に結び付いてくると話は違ってくるだろう。ましてや、彼らが“軍需企業”と癒着(利権支配)するとあっては、なおさらである。

世界中にのさばっている“死の商人(兵器商人)”の多くは、ロスチャイルド財閥と何かしらの関係を持つ者たちであることは事実である。戦争あるところにロスチャイルドの姿ありと言われている。戦争を“ビジネス”として淡々と扱うところに、何かただならぬ怖いものを感じる。どこまで“ビジネス”が“ビジネス”として許されるかが、問題であるように思えるが。



●さて、ハプスブルク時代に金融力によって宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーデン)となり、本来ならユダヤ人が絶対にもらえない「男爵位」を得たロスチャイルドは、ユダヤ金融資本のシンボルとなり、世界に散らばったユダヤ人の力が全てロスチャイルドに糾合されたわけだが、このファミリーは無数に婚姻しており、当然ユダヤ教以外の人物も多数含まれる。また、他の貧しいユダヤ人たちは絶対にこの中には入れない。

しかし、いずれにせよシェークスピアにも悪く書かれた“ユダヤ商人”たちは、現在、ロスチャイルドのネットワークの中にほとんど全て取り込まれているといっても過言ではない。彼らにとってみれば、国境はないに等しい。まさしく世界をまたにかけた商売をしているのである。よってもし現在、“本物の反ユダヤ主義”勢力が台頭してくるとすれば、それはターゲットをロスチャイルドに絞った“反ロスチャイルド”を掲げる集団となろうか。

●1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている。彼らの富は創業以来230年にわたって確実に増殖している。彼らの勢力範囲は、まずヨーロッパ、ついでアメリカ、アジア、そしてアフリカ、オーストラリアに広がり、戦争と革命、そして経済恐慌、あらゆる動乱のたびごとに膨張して現在に至っているわけだ。

●ロスチャイルド家は近代・現代ビジネス史上、最も成功したファミリーであることは誰も否定しようがないと思う。ほとんど世界中に張り巡らされていると言っても全く過言ではない“ロスチャイルド金権王朝”の実態を知れば知るほど、こちらは尻込みしそうだ。しかし、私は彼らの異常資本蓄積状態 & 異常政略結婚がそんなに長く続かないと思っている。異論があると思うが。

いずれにせよ、ロスチャイルド家の存在を無視しては、20世紀も21世紀も、そして地球の戦争も平和も語ることができないということだけは確かなようである。


【02】 ロスチャイルド家の存在を無視しては、20世紀も21世紀も、そして地球の戦争も平和も語ることができないということだけは確か

【03】 1940年当時のロスチャイルド一族は約5000億ドル、アメリカの全資産の2倍、全世界の富の50%を支配していたと推定されている

マイアー・アムシェル・ロスチャイルド (ロスチャイルド財閥の創始者)映像

ちなみに・・・

【01】 日本人の資産総額は、2004年末のデータで、なんと!『2460兆円』もある

ロスチャイルド家の事業

【01】 【通信】タイムズ ザ・サン(新聞)ロイター APABC NBC CBS(米三大ネットワーク放送)

【02】 【石油】ブリティシュ・ベトロリアム ロイヤル・ダッチシェル

【03】 【兵器】ビッカース ダッソー アームストロング シュットーデル ロッキード・マーチィン

【04】 【金属】ミノルコ モンド・ニッケル モンド社(アルカリ)

【05】 【その他】フィリップ・モリス(米タバコ) ローヌ・ブーラン(仏最大の総合科学・製薬メーカー) デビアス(鉱物会社=ダイヤモンドを独占) リオ・チント・ジンク(鉱物会社=金・ウランをほぼ独占)コカコーラ モサド*イスラエルの諜報部、チョット筋が違う?デビアスを買収した、アングロアメリカンが抜けている

【06】 【食品】ネッスル(コーヒー) ユニリーバ(食品) ブルックボンド(紅茶)

【07】 【銀行・保険】フランス銀行 イングランド銀行 パリ国立銀行 スエズ金融 香港上海銀行*現在は,HSBC、 ウェストミンスター銀行 ルイ・ドレフェス商会 ソロモン・ブラザーズ ラザール・フレールゴールドマン・サックス カナダロイヤル銀行 アラブ投資銀行 モントリオール銀行ジェネラル銀行 ブリュッセル・ランベール ウェストバンク カーネギー デュポン、ヴァンダービルト アスリー JPモルガン ハリマン メリルリンチ 米国民主党 FRB株主