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続折々の記 ②
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東日本大震災6周年が近い
「花は咲く」
今でも 3.11 午後地震発生から見ていたTVの映像は脳裏に焼きついている
天変地異そのものを記憶から拭い去ることはできない。 老生のホームページでは 『花は咲く』 を特設した。 現象は一言半句も書いてはない。 今年は6年目になる。
今年の11日は従兄弟にあたる市瀬彦夫の葬儀になっている。
今また「花は咲く」の歌詞に寄せてその解釈感想を残したいと思う
花は花は花は咲く いつか生まれる君に
花は花は花は咲く わたしは何を残しただろう……
何回もうたう 「花は… 花は… 花は咲く」 とは、何を意味するのだろうか
『花は咲く』の中で「東日本大災害の跡地でさえ 泥土の中から草が伸びてくる姿」と書いたが、作詞者が描いた世界では、これはただ目の前の事象だけの意味ではなく、生きとし生きるものの本然の姿を表現したかったに違いない。
花は生命のバトンタッチの序曲に相違ない。 そして花の特質が違うにしても美しい限りを尽くしている。 バトンタッチの願いは果てしない明るく楽しい世界をのぞむもの……それは命のねがいに違いありません。
真っ白な雪道に 春風香る
わたしはなつかしい あの街を思い出す
叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
今はただなつかしい あの人を思い出す
誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
花は花は花は咲く いつか生まれる君に
花は花は花は咲く わたしは何を残しただろう
夜空の向こうの 朝の気配に
わたしはなつかしい あの日々を思い出す
傷ついて傷つけて 報われず泣いたりして
今はただ愛おしい あの人を思い出す
誰かの想いが見える 誰かと結ばれてる
誰かの未来が見える 悲しみの向こう側に
花は花は花は咲く いつか生まれる君に
花は花は花は咲く わたしは何を残しただろう
花は花は花は咲く いつか生まれる君に
花は花は花は咲く わたしは何を残しただろう……
花は花は花は咲く いつか生まれる君に
花は花は花は咲く いつか恋する君のために
『花は咲く』の中でこのように歌っているのは、人としての一生の姿を表現していると理解したい。
どの花の生涯も、いろいろの条件の下で芽生えて育ち、生命をはぐくみ、そしてその一代の終末を迎えている。 花が共生して生きて他を攻撃することもなく、おごり高ぶることもなく、みずから美しく咲き誇る姿は、人の鑑 となりましょう。
東日本大震災で見られた助け合いの心、奉仕の心、もてなしの心、私たちが本来持っている心が悲しみの中でも美しく見られたことは、一人ひとりの心の奥深く感動を伝えてくれました。
ドナルド・キーンさんの日本への帰化は、こうした人の心の感動を人の尊いものとしての決断だったようです。 キーンさんの心の内をお聞きできたらと思っております。
人はパンのみで生きているものではない、という訓 えの実践でしょう。 花の心を失ってはならないのです。
これらが今また3.11を迎える老生の思いです。
ドナルド・キーンさんの紹介
<http://www.donaldkeenecenter.jp/profile01.html>より
ドナルド・キーン(雅号 鬼怒鳴門)
1922年ニューヨーク生まれ。日本文学研究者、文芸評論家。コロンビア大学名誉教授。
1940年(18歳)、アーサー・ウエーリ訳『源氏物語』に感動。以来、日本文学や日本文化の研究を志し、第二次世界大戦後、コロンビア大学大学院、ケンブリッジ大学を経て1953年に京都大学大学院に留学。アメリカ帰国後、コロンビア大学で日本文学を教えながら日本に足繁く通い、川端康成、谷崎潤一郎、三島由紀夫など名だたる作家と交流を深めながら古典から現代文学にいたるまで広く研究し、海外に紹介。日本文学の国際的評価を高めるのに貢献。
1962年に菊池寛賞、1983年に山片蟠桃賞、国際交流基金賞を受賞。また日本人の日記を研究した『百代の過客』で読売文学賞、日本文学大賞(1985年)を受賞。
1986年、コロンビア大学にドナルド・キーン日本文化センターを設立。2002年には文化功労者、2008年には文化勲章を受章。
2011年3月の東日本大震災後、被災地の懸命に生きる人々の姿に「いまこそ私は日本人になりたい」と日本永住・日本国籍取得の決意を表明。2012年3月、帰化申請が受理され日本人となる。日本国籍取得後の正式名はキーン ドナルド。雅号「鬼怒鳴門」を使うこともある。現在、30数年住み慣れた東京北区アンバサダーをつとめる。名誉都民。 《 (アンバサダー(Ambassador)の意味は一般的に「大使」と翻訳され、日本では著名人や芸能人などがブランド大使として任命される時に使われることが多いようです 》
主な著書として『日本文学の歴史』18巻、『明治天皇』など。また、古典の『徒然草』や芭蕉の『奥の細道』、近松門左衛門、現代作家の三島由紀夫、安部公房などの著作の英訳書も多数。
【 年 譜 】
1922年〜1940年 :青少年時代 初めての日本文学『源氏物語』との出会い
1941年〜1945年 :海軍情報士官として従軍した太平洋戦争
1946年〜1948年 :コロンビア大学院時代 角田柳作先生に学んだ日本文学
1948年秋〜1953年春 :ケンブリッジ大学時代 日本文学研究に訪れた危機
1953年夏〜1955年夏 :憧れの日本留学 親友となる永井道雄との出会い
1955年秋〜1964年 :コロンビア大学教授時代(1)新しい日本文学史を書こうと決心
1965年〜1997年 :コロンビア大学教授時代(2)『日本文学の歴史』全18巻完結
1998年〜2010年 :コロンビア大学教授時代(3)文化勲章受章
2011年〜 :日本人となる
青少年時代 初めての日本文学『源氏物語』との出会い
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省略
日本人となる
2011年(89歳) 3月11日、東日本大震災発生
4月、日本国籍取得を表明
4月26日、コロンビア大学にて最終講義(能について)
8月末、日本永住のため、ニューヨークの自宅を引き払う
9月11日、平泉、中尊寺を訪ねる
9月13日、平泉、毛越寺にて作家、平野啓一郎氏と対談。(BSーTBSドキュメンタリー番組用収録)
9月24日、松山で講演。「正岡子規論」
10月12日、瀬戸内寂聴さんと平泉、中尊寺で対談。「日本人の強さ、日本の美」
11月1日、C・W・ニコル氏、養老猛氏との鼎談(黒姫)
11月26日、東洋大学にて記念講演。「源氏物語」
12月10日、上野文化センターにて講演。「私の好きなオペラ」日本ベルデイー協会。
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省略