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【 05 】04/10~
日本・ユダヤ封印の古代史(1)
04 10 (火) 祖先を訪ねて(1) 日本・ユダヤ封印の古代史(1)
★ユダヤ教宣教師トケイヤー「日本人研究」30年間の集大成
初版 1999/1/31 徳間書店 \1800+税
ラビ・マーヴィン・トケイヤー 表紙カバー裏内側
1936年、ニューヨークに生まれたユダヤ人。 イェシヴァ大学を卒業後、1968年に来日、日本ユダヤ教団のラビ(宣教師)となる。 滞日10年、現在ニューヨーク州グレートネッグに住む。 古代日本と古代イスラエルの関りについて論じた前著「ユダヤと日本・謎の古代史」(産能大学出版部刊、初版初版1975年)は様々な本の中で引用され、古代史に興味ある者の間では必読書になった。
そのほか、「ユダヤ5000年の知恵」(講談社)「ユダヤ5000年のユ―モア」など、ユダヤ思想、教育論、日本人論等に関する著書がある。
★古へブル文字とカタカナの類似 11p
上表中の x はカタカナでの適当印字はない。多少異なるから本を見るほかない。
子韻字表記 ―kー ーkー ーqー ーthー ーnー ーfー ーlー ーwー ーhー ーsー 古へブル文字 コ x x ト ノ x レ x x x カタカナ文字 コ ケ カ ト ノ フ レ ワ ハ サ 発音表記 ko ke ka to no fu re wa ha sa
※ ヨセフ・アイデルバーグの著書「大和民族はユダヤ人だった」「日本書紀と日本語のユダヤ起源」「大和民族」「鰻と蛇―大和民族はユダヤ人だったか」「大和民族はユダヤ人だった―出エジプトから日本への道」
※ アイザック・モゼソン 言語学者
検索<https://www.google.com/search?hl=ja&ei=PuGQXpDaMoS0mAXDiK2QCA&q=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%BC%E3%82%BD%E3%83%B3&oq=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%82%BC%E3%82%BD%E3%83%B3&gs_lcp=CgZwc3ktYWIQAzoCCAA6BggAEAUQHjoOCAAQ6gIQtAIQmgEQ5QI6BwgAEIMBEAQ6BQgAEIMBOgQIABAEOgQIABBDOgkIABAEEEYQ-QE6BAgAEA06BggAEAQQHkorCBcSJzIwMGcxMDZnMTEyZzEwNWcxMDBnMTMwZzEwMGc5OGc5MGc4OGc5NkoaCBgSFjFnMWcxZzJnMWcxZzJnMmc0ZzE4ZzZQsUZY8dkIYPLuCGgBcAB4AIABtQGIAcQbkgEEMzYuM5gBAKABAaoBB2d3cy13aXqwAQY&sclient=psy-ab&ved=0ahUKEwiQ8eOH497oAhUEGqYKHUNEC4IQ4dUDCAs&uact=5#spf=1586554138097>
【下平】この検索を開いてみていると興味が尽きない。 必要なものはコピーにする。
「言語の起源~ 最初の人類アダムとイブはヘブル語を話していたのか?」
https://true-ark.com/bible-faq-origin-language-hebrew/
★明治神宮の宮司と古代ユダヤの風習 12p
赤ちゃんの産土神(うぶすながみ)お参りの風習と神官のお払いの所作や服装
事の起こりは、昔は医療が今のほど発達していなかったこともあり、新生児の生存率がとても低かったため、赤ちゃんが無事に生まれて母親からの抗体(免疫力)が赤ちゃんの体内に残っている期間がおおよそ生後30日前後とされています。「子供が無事に生まれたことへの感謝」の気持ちをこめて神様に御礼の報告し、氏子(うじこ)の一員として認めてもらい、祝い着(掛け着)が着られるくらい大きくなるまで成長できるよう守ってもらうことをお願いすることがお宮参りのもともとの風習です。男児は生後30日から32日目、女児は生後31日から33日目に行うのが通例となっていますが、地方によっては30日目から100日目までと様々です。
初めてのお宮参りのマナー・しきたりまとめ
https://vasara-h.co.jp/tips/detail.html?id=367
母親は抱かなくて、祖母が抱く。 神官の袖の房は「昔からの伝統による」という。 聖書時代のイスラエルの風習が、今ではユダヤでは見られない古いイスラエルの風刺夕なのである。 (申命記 22.12)には「身にまとう着物……に、房を作らなければならない」と記されている。
★日本の山伏の兜巾 (黒い箱) 14p
世界広しといえどもこの風習は日本人とユダヤ人の間にしかない。
日本の「教育ママ」と「ジュ―イッシュ・ママ」(ユダヤの教育ママのこと)
私は、日本人とユダヤ人は、生活様式や考え方、また民族のルーツという点で共通のものを持っていると思っている。 日本の文化、歴史、宗教、家族、考え方、さらには古代の神話に関しても、また生活のあらゆる面が、私には親近感を感じさせるものであった。
★国技館の相撲取りの塩、神主の祭壇の塩、お湯に入る前の体の清め、これらすべて、ユダヤ人と同様に非常に清潔好きである。 毎日風呂に入る人も多く、衣服を清潔にし、手もよく洗う。 16p
★日本の神社は、イスラエルの神殿が西暦70年に破壊されて以来、いまだに再建されていないのに、なんと日本の神宮で今も同じように執り行われているとは、驚愕のほかはない。 イスラエルの首席神官が日本に来た時、國學院大學の講義に出席し、警備の仕方や、交代の仕方は、かつて古代イスラエル神殿でなされていたものと、全く一緒だったからでした、という。 18p
そのほにも数多くの事柄に触れて、日本にはイスラエル起源と思われるような数々の風習があることに、私は気づかされるようになった。
以来、頭の中を一つの大きな疑問がかけ巡るようになった。 それは、
という思いであった。
「あの古代イスラエルの失われた十部族が、かつてこの日本にやって来たのだろうか」 「ユダヤ人と日本人は、古代世界においてシルクロードのどこかで出会ったのだろうか」 「日本の非常に古い時代に、多くのユダヤ人がやってきて、日本の文化形成に影響を与えたのだろうか」 「この問題について、今まで誰かが書いた書物があるだろうか」
☆第一章 サンバチオン川のかなたへ消えたイスラエルの十部族 22p
★イスラエル人とは何か イスラエル人とはそもそも何なのか。 22p
紀元前1900年頃、イスラエル人の父祖でヤコブという人がいた。 ヤコブは後に自分の名をイスラエルと改めた。 彼の子孫がイスラエル民族と呼ばれる。
イスラエルには十二人の息子がいた。
ルベン、シメオン、レビ、ユダ、ゼブルン、イッサカル、
ダン、ガド、アシュル、ナフタリ、ヨセフ、ベニヤミン であり
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡I イスラエルの12種族 地図をクリック1回➡右側に目的の画面が出る
この12人の子孫がそれぞれ「イスラエルの12部族」をつくり、この人たちがイスラエル人と呼ばれる人々である。
やがてイスラエル民族は、紀元前10世紀になってソロモン王のもとに繁栄の絶頂期を迎えた。 しかしソロモン王の死後分裂し「北王国イスラエル」と「南王国ユダ」になった。 いわゆる「ユダヤ人」は、基本的には、この南王国ユダの人々とその子孫をさす。 ただし「ユダヤ人」を、「イスラエル人」と同義に使う場合もある。
★イスラエルの十部族はアッシリヤヘ補修となった 25p
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡A アッシリヤ帝国 地図をクリック1回➡右側に目的の画面が出る
北王国イスラエルは紀元前722年、アッシリア帝国の軍隊に征服され、アッシリアの北東部へ捕囚として連れ去った。 以来イスラエル十部族は、歴史の舞台から消え去った。
★イスラエルの十部族について、旧約聖書の記録とヨセフスの記録 27p
旧約聖書にはこう書いてある。
「アッシリアの王は、イスラエル人をアッシリヤにとらえて移し、彼らをハラフと、ハボル、すなわちゴザンの川のほとり、メディヤの町々に連れていった」(Ⅱ列王記 18・11)
紀元前後に生きていた信頼できる歴史家ヨセフスの著書の中に、
「イスラエルの十部族は、今でもユーフラティスのかなたにおり、数えきれないほど膨大な民衆となっている」(ユダヤ古代史 11・2)
★離散したユダヤ人たちによる、イスラエルの失われた十部族発見! 28p
というのは、西暦紀元70年ローマ帝国によるエルサレム陥落以来、世界中に離散したユダヤ人たちは、行く先々でイスラエルの十部族の子孫と思しき人々と出会うようになったからである。
中国、日本、インド、イギリス・スコットランド、エチオピア、スーダン、またアメリカ・インデアン、景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)からも、そしてアルメニア人、チベット人、またヨーロッパとアジアの境にいるコーカサス人などからも情報を寄せられるようになった。
★十部族に出会ったエルダド・ハダニ 30p
九世紀に、バビロニアや、北アフリカ、またスペインの間を行き来しているユダヤ商人で、エルダド・ハダニという男がいた。 彼は一冊の旅行記を残している。
彼は自分は商人であるだけでなく、学者でもあり、東アフリカ地域にあったあるユダヤ人コミュニティの出身であると述べている。
「イスラエルの失われた十部族」に属するアルシェル族、ガド族、ナフタリ族、またダン族出身の者が、その東アフリカのユダヤ人コミュニティに多くいたと、彼は述べており、ハダニ自身、自分はダン族の出身だと述べている。 彼の名ハダニは、ヘブル語で「ダン族」の意味である。 ハダニは、東アフリカのクシュ……今のエチオピアに、ダン族をはじめとするイスラエル十部族の子孫が数多く住んでいると述べている。 このほかこの項にはいろいろと史実が書いてあります。
★☆★ 日本・ユダヤの祖先(関係書籍&URLなど) <特別飛び入り項目>
ギルガメシュ叙事詩 月本昭男(訳)
―― すべての物語はここから生まれた ――
ギルガメシュ叙事詩(ウィキペディア)
ギルガメシュ叙事詩(世界史の窓)
https://www.y-history.net/appendix/wh0101-009_1.html
シュメール文化・人の都市国家(1章1節/1章2節/2章1節/2章3節)
ギルガメシュ叙事詩(松岡正剛の千夜千冊)
ノアの大洪水(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%96%B9%E8%88%9F
ノアの大洪水(創造論=科学的創造論 創造科学) これは凄い必読の伝承です。記憶法です
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/yomemasu.htm
ノアの大洪水
聖書ガイドMOOK リアル聖書入門 第二部 76-77頁より
空っぽの地中海を満たした超巨大洪水、新たな証拠か
https://www.goo.ne.jp/green/column/natgeo-00009wZx.html
失われたムー大陸 チャーチワード
―― 太平洋に沈んだ幻の大帝国 ――
ムー大陸沈没 木村政昭
―― 沖縄海底遺跡はムー文明の遺産か? ――
口語旧約聖書
検索語の最初の資料
内容目次あり
創世記(口語訳)
検索語の最初の資料
内容目次(1~50章)
出エジプト記(口語訳)
検索語の最初の資料
目次(1~40章)総頁 77p
日本とユダヤのハーモニー
http://www.historyjp.com/
―― 古代史を散策して楽しみながら紐解く! ――
No.1 総頁 133
No.2 総頁 141
No.3 総頁 182
No.4 総頁 169
No.5 総頁 162
No.6 総頁 132
日本・ユダヤ封印の古代史 トケイヤー
ユダヤ製国家日本 トケイヤー
失われた十部族の足跡 シャハン
―― イスラエルの地から日本まで ――
サンバティヨン川と闇の山々に消えた十部族 シャハン
四大文明の神は聖書の神 (この本はすごい) 杣浩二
―― 宗教のルーツ ――
日本古来の神仏は「イスラエルの神」 (この本はすごい) 杣浩二
―― 世界にある古代イスラエル人の足跡 ――
古代ユダヤ人は日本に来ていた 杣浩二
―― 実証的証明 ――
日本の中のユダヤ 川守田英二
―― イスラエル南朝二族の日本移住 ――
日本民族秘史 川瀬勇
―― マオリとユダヤの血は日本人に流れている ――
失われたミカドの秘紋 加治将一
天皇家とイスラエル十支族の真実 高橋 良典
秦氏の謎とユダヤ人渡来伝説 坂東誠
舞い降りた天皇(上) 加治将一
舞い降りた天皇(下) 加治将一
―― 初代天皇「X」は、どこから来たのか ――
「古事記」「日本書紀」の謎 別冊歴史読本
古代日本ユダヤ人渡来伝説 坂東誠
ユダヤ人渡来伝説地図 坂東誠
日本人になった祖先たち 篠田謙一
サピエンス日本上陸 海部陽介
―― 3万年前の大航海 ――
日本人のルーツはユダヤ人だ 小谷部全一郎
ユダヤ人の起源 サンド
―― 歴史はどのように創作されたのか ――
ユダヤ起源 アイデルバーグ
―― 日本書紀と日本語の ――
鰻と蛇 アイデルバーグ
大和民族 アイデルバーグ
―― ユダヤ人説の謎を追う ――
大和民族はユダヤ人だった アイデルバーグ
大和民族はユダヤ人だった アイデルバーグ
ユダヤの救世主が日本に現れる 中矢伸一
イヴの七人の娘たち サイクス
ユダヤ式家庭教育(上) レヴィ
ユダヤ式家庭教育(下) レヴィ
ユダヤ人大富豪の教え 本田健
ユダヤ式「天才」教育のレシピ サター夫妻
ユダヤの勉強法 青木偉作
[超図解]日本固有文明の謎はユダヤで解ける マクレオド
謎の神代文字 佐治芳彦
―― 消された超古代の日本 ――
聖書の暗号は本当か 久保有政
―― バイブルコード検索ソフトによる徹底検証 ――
聖徳太子の大予言
―― 未来記と未然紀 ――
聖徳太子秘文「未来記」開封 飛鳥昭雄・山上智
聖徳太子の「日本が沈む日」 友常貴仁
―― 秘書「未来記」の真相 ――
ユダヤ人の頭日本人の頭 ハルペン
―― 放浪民族と孤立民族の発想と論理 ――
ミトコンドリアの謎 河野重行
ミトコンドリアはどこからきたか 黒岩常祥
―― 生命40億年を遡る ――
ミトコンドリア・ミステリー 林純一
―― 驚くべき細胞小器官の働き ――
ミトコンドリアのちから 瀬名秀明・太田成男
ニッポン西遊記 鶴田真由
―― 古事記編 ――
「物部氏」の謎 飛鳥昭雄・三神たける
―― 失われた徐福のユダヤ人 ――
ユダヤの格言 市川裕・竹中充生
―― 知られざる経典「タルムード」の教え ――
神社めぐりをしていたらエルサレムに立っていた 鶴田真由
ユダヤ人に見る人間の知恵 シモン中村
渡来民族の謎 加藤謙吉
日本人はるかな旅 NHKスペシャル「日本人」プロジェクト編
1 マンモスハンター、シベリアからの旅立ち
2 巨大噴火に消えた黒潮の民
3 海が育てた森の王国
4 イネ、知られざる1万年の旅
5 そして"日本人"が生まれた
―― ――
★ハダニの旅行記は、十部族に関する関心を呼び覚ました。 32p
★十部族に出会ったベンジャミン 33p
12世紀なってねスペインの旅行家ベンジャミンは世界中を旅してまわった。 ペルシャに住んでいると報告している。
「彼らはペルシャのニシャプールの町々に住み、そこにはイスラエルの四部族――ダン族、アシェル族、ゼプルン族、ナフタリ族、の人々が住んでいる。 彼らはアッシリア王によって捕囚の民となった最初の人々である。」
また、南インド、セイロンに数千人のイスラエル人がすんでいる、とも書いている。
「彼らユダヤ人は黒人で、良いゆだやじんである。律法を守り、モーセと予言者たちの教えに聞きしたがっている。」
もしかすると、これはコチン・ユダヤ人(南インドに起源前の時代から移り住んでいたユダヤ人――後述)のことかも知れない。 ベンジャミンはまた、イスラエルの十部族はさらに東方のどこかに今も生きているとも聞いた、と述べている。
★十部族に関していろいろと話が出ている 34~44p
☆第二章 アフガニスタンに来たイスラエル十部族 47~66p
★アッシリヤの軍隊 48p
紀元前722年。 北イスラエル王国の首都サマリヤ。
突如として残忍、狂暴として知られるアッシリヤの軍隊が襲いかかった。
こうして北イスラエル王国はアッシリヤの属国となり、生き残ったイスラエル人を捕囚としてアッシリヤヘ連れ去った。
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡I イスラエル、パタン人をクリック1回➡右側に目的の画面が出る
失われた十部族として歴史の足跡は途絶えた。 この章ではアッシリヤ帝国の北西部に連れ去られたのでその拡散していったことにふれ、いろいろの様子がわかります。
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡I イスラエル十部族の足跡をクリック1回➡右側に目的の画面が出る
この足跡地図はトケイヤーにより解説されてきたものである。
☆第三章 カシミール、インド、ミャンマーに来たイスラエル十部族 67~86p
★カシミール
* 多くのイスラエル地名がある。 15世紀祭司モンストラトはこう述べている。「カシミールに古代から住んでいる人々の起源は、古代イスラエル人にまでさかのぼることができる。彼らの容貌、肉体的特徴、衣服、商いの仕方、生活風習、すべいが古代イスラエル人のものと同じであることを示している」
* 奇妙な伝説がある。
1 キリストはここで亡くなり、墓もある。
2 青森県の戸来村 (現・三戸郡新郷村)にはキリストは日本に来て、亡くなった。 キリストの墓もある。
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡N 日本のキリストの墓をクリック1回➡右側に目的の画面が出る
73pの「十來塚の四角柱の上部にはイスラエル紋章
3 日本には「モーゼの墓」(石川県能登の宝達山 )がある。 四国の剣山には「ソロモンの秘宝が眠っている」という伝説がある。
カシミール
世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh1703-065_1.html
カシミール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB
ムガル帝国
世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0804-004.html
ムガル帝国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%AC%E3%83%AB%E5%B8%9D%E5%9B%BD
★インドとミャンマーに来た十部族(メナシュ族=マナセ族) 74p
* 紀元前231年に中国の開封あたりまで来た。 中国人は彼らに冷酷で奴隷にした。 彼らは山岳帯に逃げ込み、さらにミャンマーのマンダレーあたりまで来た。 さらにチン山脈をこえ、さらに18世紀になると、一部はインド北部の町マニプールとミゾラムに移住した。 こうして、彼らはインドとミャンマーの国境付近の地域に定住することになった。
* 彼らは今は中国語を話す。 しかし、自分たちを中国人とは思っていない。 メナシュ族の人々は、自分たちを中国語で「ルシ」と呼んでいる。 これは「十部族」の意味である。(「ル」は部族、「シ」は十)
★メナシュ族(=マナセ族)に伝わる十部族の風習 76p
* 割礼の風習
* ある人が子のないまま妻と死別した場合、彼の兄弟は彼女を娶って子孫を残す。
* 以下の詩はメナシュ族の人々が、その放浪の歴史の中で持ち続けてきたものである。
「我らは過越のまつりをまもらねばならない。
我らは渇いた紅海の底を渡ったからだ。
夜は火の柱に導かれ、昼は雲の柱に導かれてそこを渡った。
戦車に乗った敵が我らに追い迫ったが、紅海の水が彼らを飲み込んだ。
彼らは魚の餌になった。
また、荒野で我らの喉が渇いたとき、我らは岩から出る水を飲んだ」
彼らの先祖が書いたこの詩には、出エジプトのときの紅海渡渉のことも、うたわれている。
* また、神を「ヤァ」と呼んでいる。 これは聖書の神の御名(ヤァ、ヤァウェ)と同じである。
* このほかにも多くの記事が出ている。
★インドのコチン・ユダヤ人 81p
* インド南西部ボンベイから30kmケララ州には、当時の世界的貿易港サン・ソパラ港があった。
「(ソロモン)王は海に、ヒラムの船団のほか、タルシシュの船団を持っており、三年に一度タルシシュの船団が金、銀、象牙、さる、クジャクを運んできた」(Ⅰ列王記 10.22)この聖書の言葉のうち象牙、さる、クジャクはインドのサンスクリット語から来たものであるという。 ソロモン王は紀元前10世紀の人である。 当時大きなユダヤ人コミュニティがあり彼らはここを根城にしていたと思われる。 だからこそ今でもこの地方には「カナン人」「ナザレ人」と呼ばれている人々がいる。
★ボンベイのベネ・イスラエル 84p
* インドにはまた「ボンベイのベネ・イスラエル」と呼ばれるユダヤ人たちがいる。 彼らの先祖は今から約2200年前に、イスラエルから船でボンベイにわたってきた。 しかしボンベイの陸地に近づいたとき、嵐貸せ彼らを襲い、彼らは船を失い、多くの者たちが命を落とした。 生き残った人たちは陸地へ上がり、内陸へ行った。 いご1900年間にわたって彼らの消息は聞かれなかった。 けれどもある日、その地域を通ったコチン・ユダヤ人が、自分たちと同じ風習を持つ人々がいるということを耳にした。 こうして彼らは相知ることとなったという。
☆ 第四章 中国に来たイスラエル十部族
★中国のチアン族は西方のかなたからやって来た 88p
* 中国にチアン族(チアン・ミン族)と呼ばれる人々がいる。
彼らは25万人ほどで、四川省のミン川(岷江)付近に住んでいる。 チベットとの国境も近い。
彼らは自分たちの言葉を忘れ、古代文書も失ってしまった。
* 漢の時代(紀元前三世紀~後三世紀)の中国の歴史地図を見ると、チャン族は中国の北西部に広がっていた。 彼らの言い伝えによると、彼らの先祖は西方のかなたの国から、三年三か月の長旅を経てこの地域にやって来たという。
* 中国人は彼らを野蛮人だと呼んだ。
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡I チアン族の女性たち(中国とチベットの国境付近)をクリック1回➡右側に目的の画面が出る
* チアン族は、中国において約2300年間にわたって、イスラエルの伝統の中を生き続けてきた。 自分たちの言葉を忘れ古代文書も失ったけれども、イスラエルの律法を守る風習があり、人々は誠実で、隣人愛と相互愛に富み、寛大で、謙虚であり、羞恥心、頑固さ、感謝の心などを持ち合わせている。
* チアン族の人々は、自分たちの信ずる唯一神を「アバチ」と呼んでいる。 これは「天の父」の意味である。 あるいは神を「天の霊」を意味する「マビチュー」もしくは「天」を意味する「チアン」という言葉で呼んでいる。
【下平記】 秘められた真実
日本では「天寿を全うする」とか「敬天愛語」や「則天去私」、「天神様」「天網恢恢疎にして漏らさず」調べてみると、ほかにもたくさん使われていることがわかります。
一番大事なものとは : いのち であり
命とは何か : ち である
モーゼの十戒と旧約聖書をよく見ていくと、上記の表現は間違ってはいないと思います。
以下 Yoshihisa Shimodaira の解釈 血とは何か : 神 であり
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神とは細胞で あり、
細胞とは現代分子生物学の表現では something great
という不可思議な能力をもつもの である。
もっと わかりやすく言えばモーゼの十戒の第五 である。
“母こそは命の泉” そう言っても間違いではない。
細胞だからこそモーゼに伝えた言葉の大事な基本は神であり、具体的には父母を敬うこととした、私はそう理解する。
チアン族が神を「天の霊」としたのも、日本に伝わる「赤ちゃんが授かった」という言い方や考え方は間違いありません。
命の伝承は心身の歓喜の極致において厳粛に人知れず行われるのです。
これは命に本来備わった生命 の伝承という摂理なのです。
ただこのことは一般に表現しないし、口にしてはならないことなのです。 モーゼの伝言の始めに 「主」 は神であると規定し、偶像化しないということと、みだりに口にしないという 「二つの禁句」 として伝えたのは当然といえば当然のことだったと私は理解しているのです。
モーゼの十戒は次のようでした。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1. 主が唯一の神であること
2. 偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3. 神の名をみだりに唱えてはならないこと
4. 安息日を守ること
5. 父母を敬うこと
6. 殺人をしてはいけないこと(汝、殺す勿れ)
7. 姦淫をしてはいけないこと
8. 盗んではいけないこと(汝、盗む勿れ)
9. 隣人について偽証してはいけないこと
10. 隣人の財産をむさぼってはいけないこと
1から4までは神と人との関係であり、5から10までは人と人に関する項目
(同時に刑法の根幹)である。
★チアン族に伝わる動物犠牲の風習 91p
* 彼らの間では偶像崇拝や異教神礼拝は厳しく禁じられている。 もし異教の神に犠牲の供え物(いれにえ)を行うならば、その者は死刑に処せられる。
* 供え物(いれにえ)の儀式は祭司によって執り行われる。 祭司職は世襲制であり父から子へと伝えられてきたものである。
* これは古代イスラエルの風習である。 清らかな白い服着用している。 これも古代イスラエルの風習である(Iサレム記 15・27)。
* 1937年(私が小学校三年の時)中国へ来ていたキリスト宣教師トーマス・トランスは「中国に来た最初の宣教師たち」という本を出版した。 副題は「古代イスラエル人」であった。
チアン族の本隊がさらに日本へ向かったのではないかと、トケイヤーは考察している。
* このほかいろいろと解説している。
★イスラエル十部族はシルクロードを東へ向かった 96p
【挿入】 無題-メモ帳➡ファイル⇒開く➡ファイル名のテキスト文書をすべてのファイルにする➡I イスラエル十部族の足跡をクリック1回➡右側に目的の画面が出る(65pの再掲)
* イスラエルの失われた十部族学術調査隊はDNA遺伝子を用いた調査も開始されている。 ユダヤ人はイスラエル十部族の調査に対し、並々ならぬ関心を持っているのである。
* イスラエル共和国元大統領であったイツハク・ベン・ツビも、その調査に熱心な一人であった。 彼は、失われた十部族を含む世界に離散したユダヤ人の調査に、人生の多くの時間と労力をつぎ込んだ。
「離散と回復」という有名な本を、元大統領は書いている。
★漢字は聖書でできている 98p
★古代中国にはユダヤ人居住地があった 101p
* 中国の古くからのユダヤ人の居住地として有名なのは、開封である。 かつて中国の首都だったところに、ユダヤ人コミュニティが存在していた。開封にある石碑によると、紀元前231年にはすでに開封に来ている。
* 西暦70年のエルサレム陥落によるユダヤ人離散よりもずっと前から、中国には多くのユダヤ人(またはイスラエル人)が住んでいた。
* 西暦825年にアラブ人商人スラメインは、当時の中国の主要都市20には、すでに非常な大規模なユダヤ人集団があり、各地にシナゴーグがあったと報告している。
* 西暦1275年、マルコ・ポーロが蒙古の皇帝フビライ・ハン(世祖)に面会したとき、この宮廷にはユダヤ人の政治顧問がいたと、彼の 「東方見聞録」 の中に記されている。 アラビア人旅行者スラメインも、イサクという名のユダヤ人大使が中国にいた、と述べている。
アフガニスタン、パキスタン、インド、カシミール、ミャンマー等では、ユダヤ人は片隅に追いやられていた感がある。 しかし、蒙古や中国では、あるユダヤ人は国家の中枢まで入って活躍していた。 もしユダヤ人が古代の日本にも来ていたとすれば、彼らの中に指導的立場につく者が少なくなかったとしても決して不思議ではない。
☆ 第五章 イスラエル十部族は日本にやって来たか 105p
★「エズラ第四書」 のいう 「果ての地」 106p
* 西暦1世紀の終わりころ書かれたと思われる作者不明の書で 「エズラ第四書」 と呼ばれるものがある。 これは聖書ではなく、古代へブル文書の一つに過ぎないが、そこに次のような興味深いことが書かれている。
「幻に現れたその群衆は、アッシリヤ王が、川を越えて他の国へ連れて行った十部族であった。 彼らは異教徒の群れから離れ、人類がいまだかつて住んだことのない土地へ行き、自国では守ることができなかった規則をせめて守るようにとの計画を、お互いに持ち合って、さらに遠い国へ進んだ。 そして彼らがユーフラテスのほとりの細道に来たとき、神は彼らに驚くべきことをなされ、彼らが渡りすぎるまで川の源を止めた。 その国を通過してから、一年半という長い道のりが待っていた。 そこは アルザレト という地方であった。 彼らはそこで最後まで住み、そして彼らが帰ろうとするとき、神は彼らが渡れるように、再び川の源を止めるだろう」* この記述は 「幻」 という形をとっており、その内容をたたちに歴史的事実ととることはできない。 しかし、このような記述がなされている背景には、何らかの歴史的事実があったと考えられなくもない。
(エズラ第四書 13.39~50)
* 十部族はユーフラテス川から東へ旅を続け、一年半の旅程の遠い国に行って定着したという、ある種のへブル伝承が当時あったのかもしれない。 それにしても、十部族が行ったというこの 「アルザレト」 とはどこか。 世界地図を探しても、これと同じ地名は見当たらない。
* シラー・スジネッシ博士は、アルザレト(ARZARET)とは地名ではなく、むしろヘブル語のエレツ・アヘレト(ARZ AHRT)、すなわち 「もう一つの土地」 の意味であろうと解釈している。
* あるいは、これをヘブル語の 「エレツ・アヘリト」(ARZ AHRIT) と解釈する者もいる。 するとそれは 「果ての地」 もしくは 「最も遠い地」 の意味である。
* 今まで少なからぬ人々が、その地は日本なのではないか、と考えてきた。
【下平記】
「エズラ第四書」とは何かを調べて、ヘブライ文字の索引語には、次のような解説が載っている。
・方形ヘブライ文字の展開
「……… ハスモン朝が成立する紀元前2世紀から紀元前1世紀に制作がはじまったと考えられるクムラン出土の死海文書などを見る限り、紀元前後のユダヤ人の文字は聖典、俗文書を問わずほぼアラム文字系である方形ヘブライ文字に移行したようであるが、死海文書中では神名である「YHWH」など若干の単語を古ヘブライ文字で書き分けている例が見られる[3]。また後代のラビたちも古ヘブライ文字を「ヘブライ字(ketāb 'ibrī)」と称しているため、バビロニア捕囚後も一部古ヘブライ文字は生き続け、この時期には現行の「方形ヘブライ文字」と「古ヘブライ文字」との峻別・併用・使用上の差異が存在したとみて間違いないだろう。
いっぽう北イスラエル王国領であったサマリア地域では古ヘブライ文字が生き続け、紀元前3世紀頃には古ヘブライ文字に装飾的な要素を加えた独自のサマリア文字の祖形が出来上がったようである。中世のサマリア文字は死海文書中の古ヘブライ文字と近似している」
以上