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続折々の記 2020⑤
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【 01 】06/18~
イージス艦問題  日米安保
四島返還でソ連に迫った田中角栄 極秘議事録
     貴重なデータである


 06 17 (水) イージス艦問題      日米安保

その① 朝日2020年6月16日 5時00分

陸上イージス、急転直下の転換 政権幹部「殿のご乱心」

     https://digital.asahi.com/articles/ASN6H761NN6HUTFK01F.html

写真・図版 【写真・図版】河野太郎防衛相

※ 「見通しが甘かったと言われれば…」

 河野太郎防衛相が陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の配備プロセスを停止すると表明した。北朝鮮のミサイル開発という脅威のなか、米国による武器購入圧力もあって、安倍政権が「導入ありき」で進めていた。しかし、配備する地元の反発や費用の高騰などから停止に追い込まれた。

陸上イージス、システム改修に2千億円 防衛相が見通し

 「見通しが甘かったと言われればそうかもしれない」。河野防衛相は15日、記者団にこう強調した。配備計画を停止する理由に挙げたのは迎撃ミサイルを打ち上げた際に切り離す推進装置「ブースター」の落下。当初から危険性は地元でも指摘されていた。

 河野氏は会見で「山口県にはむつみ演習場内にブースターを確実に落下させると説明してきた」と強調。その上で「ハードウェアを改修しなければ、確実に落とせると言えなくなった」「約束は当然のこと。守っていかなければならない」と述べた。

写真・図版 【写真・図版】イージス・アショアのブースター落下の仕組み

 イージス・アショアの配備をめぐっては地元との調整が難航していた。防衛省は昨年5月、秋田市にある新屋演習場と山口県のむつみ演習場を「適地」とする報告書をまとめたが、その翌月になって秋田県に提出した報告書に誤りが発覚。住民説明会で防衛省職員が居眠りする失態も重なり、地元の理解を得る見通しは立っていなかった。

【特集】イージスアショア、課題山積の配備計画

 とはいえ、急転直下の方針転換に政府内でも驚きが広がった。河野氏は15日、記者団に「安倍首相には説明し、了解をいただいた」と語ったが、外務省幹部は「びっくりした」と漏らした。米国側からの抗議などはないとされるものの、外務省幹部は記者団に日米関係への影響を深刻にとらえていないのか問われ、「現時点では」と述べるにとどめた。

 一方、行政改革担当相も務めた河野氏にとってみれば、「無駄撲滅」という狙いもあったとみられる。

 複数の防衛省関係者によると、河野氏は今年に入り、有償軍事援助(FMS)によって米国から購入する防衛装備品の見直しに言及するようになった。

 イージス・アショアをはじめ、無人偵察機グローバルホークなど、導入決定時よりも価格が高騰した装備品などを対象に、事務方トップの事務次官ら幹部に対し、見直した場合の選択肢を検討するよう指示したという。ある幹部によると、その見直しの項目は30を超えたという。河野氏は周囲に「限られた防衛予算で、どう優先順位をつけるかだ」と漏らしていた。

 こうした中、イージス・アショアについて、ブースターを演習場内に落とすという能力のためだけに、相当なコストと期間が必要になることが判明した。河野氏は防衛省幹部に「投資としても合理性がない。別のミサイル防衛のやり方を考えないと、国防を担う責任を果たしていない。潔くやめよう」と停止に踏み切ったという。河野氏は今月4、12日と2回にわたり安倍晋三首相とも面会。「合理性がない」と理解を求めたという。

 ただ、こうした動きに政府内では懸念の声が上がっていた。政権幹部は「殿のご乱心だ」と冷ややかだった。河野氏のパフォーマンスに過ぎず、日米同盟を重視する関係から実行できないという懐疑的な見方も根強くある。

 イージス・アショアへの今後の対応は、国家安全保障会議(NSC)で話し合われる。米国からの反発などを受ければ、配備計画の停止という決断の見直しを迫られる可能性もある。(相原亮)

写真・図版 【写真・図版】秋田市の新屋演習場付近=2020年5月15日午前11時39分、朝日新聞社機から、迫和義撮影

※ ブースター落下 問題を直視せず

 費用対効果はどれほどあるのか。迎撃ミサイルを発射した際に切り離す推進装置「ブースター」が落下し、危険はないのか――。こうした問題を直視せず、安倍政権は17年12月に配備を閣議決定した。

 配備決定の背景には北朝鮮があった。16年から17年にかけ、3度の核実験、40発の弾道ミサイル発射を強行し、緊張感が高まった。

 ただ、防衛装備を導入する際は通常、自衛隊から要求があり、地元との水面下の調整なども踏まえ、防衛省で配備の方向性を定め、首相官邸で最終決定する。

 だが、イージス・アショアは違った。北朝鮮の核・ミサイル開発に加え、米国による武器購入圧力が相まって、政治主導のトップダウンで決められていった。

 実際、17年12月に配備を閣議決定した前月の日米首脳会談では、トランプ米大統領が「非常に重要なのは、首相が(米国から)膨大な量の兵器を買うことだ」と要求。安倍首相も「米国からさらに購入していく」と応じていた。

 トップダウンの決定に、防衛省内からも戸惑いの声が上がっていた。「アショアの性能もリスクも知らされず、急きょ上から地元説明に行けと言われた」「迎撃時にミサイルの破片が地元住民に降り注ぐリスクはゼロではない」。こうした声はかき消され、導入ありきで進んでいった。河野防衛相は15日、「ブースター落下」を理由に停止を発表したが、防衛省内や地元では当初から懸念。グーグルアースの誤用問題もこうしたなかで起きた。

 イージス・アショアをめぐっては、「費用対効果」も問題視されてきた。

 イージス艦配備の迎撃ミサイルSM3と、地対空誘導弾パトリオット3(PAC3)の「2層防衛」では不十分だとして、配備を決めたが、中国や北朝鮮はすでに高速で軌道を変化させながら飛来する新型ミサイルを開発。日米の専門家は「イージス・アショアを配備しても、日米のミサイル防衛網を突破される恐れがある」と指摘していた。

 配備には、導入費や30年間の維持運用経費も含め、最低でも4500億円かかる。導入しても新たな脅威に十分に対応できず、陸上自衛隊幹部も「配備の費用対効果が悪い」と漏らしていた。

 米側はアショア配備が米国防衛にも役立つと歓迎。「太平洋の盾:巨大なイージス艦としての日本」(米シンクタンクの報告書)と位置づけていただけに、今後は米側に計画停止をどう説明するのか。中国や北朝鮮の新型ミサイルに対抗して、巡航ミサイルなどの新たな装備導入を検討するのか。「停止」は河野氏主導の一時的な措置で、政府としてはなお「導入」を模索するのかなどが焦点となる。(編集委員・佐藤武嗣)

写真・図版 【写真・図版】河野太郎防衛相(左)に申し入れをする佐竹敬久・秋田県知事(中)=2020年1月、東京都新宿区の防衛省、神野勇人撮影

※ イージス・アショア配備をめぐる経緯

2016~17年 北朝鮮が40発の弾道ミサイルを発射

17年8月 日米外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)で日本側が米側にイージス・アショア導入方針を伝達

  12月 政府が2基導入を閣議決定

19年5月 防衛省が秋田市の陸上自衛隊新屋演習場と山口県萩市の陸自むつみ演習場を適地とする調査結果を地元に伝達

  6月 調査結果データに誤りが発覚し、防衛省が訂正。秋田市の住民説明会で防衛省職員が居眠り

  7月 参院選秋田選挙区で配備反対を掲げる野党系候補が当選

  10月 防衛省が東北3県での再調査を開始

20年1月 秋田県の佐竹敬久知事が河野太郎防衛相と会談し、新屋配備の拒否を伝達

  4月 新型コロナウイルス感染拡大を理由に再調査の期限を4月末から5月末に延期

  5月 再調査の期限を7月10日へさらに延期

  6月 河野氏が配備計画停止を発表

※ 河野太郎防衛相 発言要旨

 山口県と秋田県に配備することで進めてきたイージス・アショアについて、コストと時期に鑑みて配備のプロセスを停止する。

 山口県の地元には、イージス・アショアのブースターを確実に陸上自衛隊むつみ演習場の中に落下させると説明してきた。米側と協議を行ってきたが、今般、ソフトウェアの改修だけでは、確実に演習場内にブースターを落下させるということが言えない、と。ハードウェアの改修も必要だということが明確になった。

 開発の費用や期間を考えれば、残念ながら配備は合理的でないと言わざるを得ないと判断した。

 イージス・アショアを配備するプロセスを停止し、国家安全保障会議に報告したうえで、議論をいただいて、その後の対応を考えていきたい。

 北朝鮮がミサイルを頻繁に発射していた。現実にノドン、テポドンといったミサイルを相当数、持っている。イージス・アショアを導入する決定は間違っていたとは思わない。

 しかし、むつみの演習場内に確実にブースターを落とすということは、周辺に万が一の際にも被害を及ぼさないということ。この約束は当然のことだ。

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     「四島」ソ連に迫った田中角栄 首脳会談の極秘議事録
          思わぬ貴重なデータに出会った。
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朝日新聞デジタル > 連載 > 角栄と「四島」 > 記事

「四島」ソ連に迫った田中角栄 首脳会談の極秘議事録

     独自
     第1回「四島」ソ連に迫った田中角栄 首脳会談の極秘議事録
     編集委員・藤田直央、デザイン・田中和
     2020年6月10日 10時00分  1945年6月10日奇しくも土浦空爆の日時でもある
     https://digital.asahi.com/articles/ASN692T3VN3QUTFK00G.html

【写真・図版】角栄と「四島」
     【写真・図版】このサイトの 写真・図版 は貴重なデータであり、転載したかったが、止めた。
        URLを実際に見てほしい。 自分ではコピーしていく予定。


 今も多くの人の記憶に残る庶民宰相・田中角栄。外交成果としては日中国交正常化が知られるが、ロシアの前身であるソ連とも北方領土問題で息詰まるやりとりを演じていた。1973年秋の訪ソ時の首脳会談の極秘会談録が見つかり、その様子が詳細に判明した。

 会談録は、73年10月に外務省のソ連担当課がまとめた「田中総理訪ソ会談記録」。当時副総理だった三木武夫(後の首相)が保管していて、没後に出身の明治大学に寄贈されていた。

 会談録からは、日本との領土問題は存在しないと態度を硬化させていたソ連の最高指導者・ブレジネフと向き合った田中が執拗(しつよう)に「四島」交渉を迫った様子が読み取れる。米ソが対立した冷戦期に日ソ両首脳が北方領土問題で激しい交渉を行った、唯一と言っていい本格的な首脳会談。3日間で4回あった「角栄流外交」の詳細を再現するとともに、全8回にわたって角栄訪ソの意味を振り返る。(敬称略)(編集委員・藤田直央、デザイン・田中和)

【写真・図版】1973年10月の田中角栄首相訪ソ

 ◆第1回首脳会談 1973年10月8日午前11時半~午後1時40分 クレムリン宮殿・エカテリーナの間

 ソ連共産党の牙城(がじょう)・モスクワのクレムリン宮殿を、日本の首相・田中角栄が訪れた。迎えたのは、ソ連書記長ブレジネフ。56年の国交回復以来、米ソ冷戦下で長らく途絶えていた日ソ首脳会談だ。

 田中は1年余り前に首相に就任。「今太閤」と呼ばれ、72年9月、日中国交正常化を実現していた。

 ソ連が首脳会談に応じた背景には、日米が中国と接近したことへの焦りがある――。日本外務省はそう分析していた。これを機に、北方領土をめぐる交渉を動かそうとする田中。だが、ブレジネフは固かった。

 会談は冒頭から、張り詰めたやり取りとなった。

 新潟出身の田中が「シベリアおろしの雪の中で育った。海の向こうに素晴らしい国があると夢を抱いていた」と切り出す。「ソ連の国土は日本の60倍もある」と述べたところで、ブレジネフはいきなり「私たちの責任ではない」と混ぜ返した。

【写真・図版】1973年の日ソ首脳会談第1回の冒頭、立って向き合う田中角栄首相とブレジネフ書記長。田中首相の左に大平正芳外相(1人目)、新井弘一・外務省東欧1課長(3人目)=同年10月8日、クレムリン・エカテリーナの間。新井氏提供

 ブレジネフは自身の冒頭発言でも、「今般の会談の重要な対象は将来のことでなければならない」「日ソは隣国であり、戦争等過去の不愉快なことにこだわっていてはよい結果をもたらさない」と強調した。ソ連が終戦時に占領した北方領土の問題を持ち出そうと機会をうかがう田中への、明らかな牽制(けんせい)だった。

 「平和の利益のための努力が必要だ」とブレジネフが語ると、やりとりはさらに機微に触れる展開になっていった。ソ連から見れば、冷戦下で厳しく対立する米国の側に日本がいる、という問題だ。

 田中が「日本は専守防衛であり……」としゃべり始めると、ブレジネフは再び「誰から守るのか」と、混ぜ返した。田中は「日本は外国と体制のいかんを問わず友好親善を強化する」と続け、日ソ貿易拡大への期待感に話を転じた。

 随所に警戒感をにじませるブレジネフを前に、田中は日米関係も引き合いに出し、日ソ関係の可能性について説いた。

 「日ソは、日米間にある太平洋の何分の一の日本海を挟んだ隣国だ。日米の密接な関係は戦後に培われたが、日ソ交流の歴史ははるかに長い。今回の会談で合意できる分野も多いだろう」

 そして初めて、北方領土問題を持ち出した。

【写真・図版】田中・ブレジネフ第1回首脳会談の会談録の一部=丸善雄松堂「オンライン版 三木武夫関係資料」から

 「本当の日ソ友好には平和条約締結が望ましい。その前提には四つの島の問題がある。日本人は私の訪ソに非常に注目している」

 四島とは、北方領土の歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)、国後(くなしり)、択捉(えとろふ)。日ソは56年の国交回復の際の共同宣言で国後、択捉について決着がつかず、「平和条約締結後にソ連が歯舞、色丹を引き渡す」と記すにとどめた経緯がある。

 田中は訪ソ中の3日間、4回にわたる首脳会談で「四島」にこだわり続けた。ただ、この日の1回目の会談では、散漫な打ち出しに終わった。

 ブレジネフは領土問題にコメントせず、「もっと他にお考えをお持ちだと思う」と水を向けた。すると、田中はソ連が日本に期待するシベリア開発について、延々と述べ始めた。木材輸入については日本の実業家の名を出し、その人物と「決めればよい」と語るなど、どんどん細かい内容に入っていった。

 田中は促されるままに話す格好になり、豪快な言動で主導権を握る「角栄節」は影を潜めた。唐突に、「今回の訪ソの際にでも平和条約の締結を」とも発言。60年の日米安保条約改定でむしろ深まっていた領土問題をめぐる溝を考えれば、いかにも上滑りだった。

 クレムリンでは、歓迎昼食会が控えていた。ブレジネフは「日本側の希望する問題はすべて出たと思う。昼食後にソ連の立場を表明したい」と締め、1回目の会談は終わった。

「総理は非常に緊張していたね」同席した元ソ連担当課長

 1973年の田中角栄首相訪ソにあたり、外務省でソ連担当課長だった新井弘一・元東独大使(90)は対処方針を練り、一連の会談に臨んだ。ただ、最初の会談では、田中首相にキレはなかったという。

     ◇

 訪ソ前年の72年末、ソ連のブレジネフ書記長が演説で「来年は重要な日ソ交渉がある。目的は第2次大戦時から残された諸問題の解決だ」と述べました。日米が中国と近づき、孤立感を深めたソ連が示したこの表現に食らいつき、「残された諸問題」とは北方領土以外ないという解釈に追い込むのが、田中首相がソ連に足を運んだ狙いでした。

【写真・図版】田中・ブレジネフ会談に外務省ソ連担当課長として臨んだ新井弘一氏。朝日新聞が入手した極秘会談録を見る=2020年3月、東京都内

 ただ、事前の事務レベル協議でソ連は経済協力に重点を置き、領土問題解決が前提となる平和条約締結交渉への関心は低かった。総理とは訪ソ前、領土問題が解決しない限り平和条約も経済協力協定も結ばないと確認していました。訪ソ前日に「決裂も辞さない姿勢で」と申し上げたら、ブランデーを飲みながら「腹は決まっている」とおっしゃっていた。

 それでも、第1回の会談はできが悪かった。総理は非常に緊張していたね。私が作った発言要領のポイントは押さえていたが散漫で、領土問題と平和条約の関係もロジカル(論理的)じゃなかった。

 ブレジネフ書記長も「ソ連ではお客様からご発言を」と言いながら総理の言葉を混ぜ返したり、領土問題に触れると隣のコスイギン首相と話を始めたり、露骨なんですよ。中東戦争の勃発にちょうど重なり、ソ連側には関連と思われるメモもしばしば入った。

 前夜から、宿泊は総理とともにクレムリン。外国首脳が泊まるのはまれで注目されるから、ソ連側は会談を成功させようとしているんだと期待したが、夜に窓から庭を見ると、月に照らされた護衛兵の影が映っていて怖かった。総理はとにかくこの1回目の会談では低調で、日本での活気に満ちた様子とは違いました。

      ◇

 この日の夜、2回目の首脳会談が開かれます。最初の会談で持ち味を出せなかった田中角栄首相は、どのような姿勢で臨んだのでしょうか。次回に続きます。 

【写真・図版】北方領土をめぐる動き

 全8回  連 載  角栄と「四島」
1973年秋の田中角栄首相(当時)とソ連の最高指導者・ブレジネフの首脳会談の極秘会議録が見つかった。冷戦期に北方領土問題で激しい交渉を行った、本格的な日ソの首脳会談。「角栄流外交」の詳細を再現する。
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