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続折々の記 2020⑤
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【 07 】08/15~
ノモンハンの足跡
     朝日新聞の証

続・記憶のメカニズム
     こうすれば記憶力は高まる!


 08 15 (土) ノモンハンの足跡      朝日新聞の証

今日は終戦記念の日である。 全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれ、310万の人々の死を悼みました。 天皇陛下のおことばと首相の式辞がありました。

それにしても朝日新聞社の第1面には、ノモンハンのドローン撮影による戦跡写真を思い切って載せてある。 1面と2面をつかって戦後75年を経て戦争時代と戦火の無い時代の人々の覚悟を迫ったのだと思う。 平和といって酔いしれている現代への警鐘を狙ったものとお察しする。 敬意と感謝を感ずる。

それにしても、仮想敵国として北朝鮮の軍事基地を直接攻撃しようという与党内部の国民を度外視した政治に対して、与党内部からの反感がまるでないのはどうしたことだろうか。

国会を度外視した考え方に対しても、ほとんど反発が無いというのは、どうしたことだろうか。 年寄りの意見は忖度もないし、若者を鼓舞する壮年の気性も感じられないだろう。 だが、冷静な論理は百代の宝と考えなくては、思想の土台が揺らいでしまう


戦没者の追悼式で、年寄りの生き残りの老人が口重い口調で、二度と戦争をしてはならないといった迫力は、千金の重さを感ずる言葉であった。

アーノルド・トインビーが冷徹な思考を重ねた想いを、私たちは歴史家の予言という言葉をつけ大事にしているのです。

朝日の編集者集団の進む方向へ拍手を送りたい。 戦争を卒業する過程を大事に進んでほしいと願います。

今日の飯伊地域の熱気は、家の温度計では36.5度 お盆の陽気でこんな暑さに出合ったことはない。 畑の散水はまだまだつづく。

1面記事 2020年8月15日 5時00分

草原、連なる世界戦の足跡

   ノモンハン 大戦の起点と終止符
   https://digital.asahi.com/articles/DA3S14587633.html

写真・図版 【写真】ソ連軍が総攻撃の拠点とした一帯に並ぶ直径10メートルほどの壕の跡。周辺も含めて1400基以上がその姿を残していた=2019年5月26日、モンゴル東部、ドローンで撮影

写真・図版 【図版】ノモンハン概略地図

 ■プレミアムA

 幾重にも連なるくぼみが、草原一面に広がる。モンゴルの首都ウランバートルから東へ約1200キロ。悪路の中、車で3日間かけてたどり着いた。「鳥の視点」で見て初めて、くぼみだらけのこの場所が持つ意味が理解できる。

 ■直径10メートルの壕

 ここで1939年に起きた国境侵犯をめぐる紛争は、その地名から「ノモンハン事件」と呼ばれる。眼前に広がるのは、その跡だ。

 日本と、その傀儡(かいらい)国家の旧満州国の連合軍が旧ソ連・モンゴル連合軍と衝突し、日本側が大打撃を受けた。くぼみと思っていたのは、ソ連側が物資の貯蔵に使ったとみられる直径10メートルほどの円形壕(ごう)だった。碁盤の目状に200基近くが並ぶ。中国との国境に接した一帯は、航空機の接近は今も禁じられている。昨年5月、朝日新聞が同行取材したノモンハン事件日蒙共同調査団によるドローン撮影で、その異容が明らかになった。

 すぐ西を流れるハルハ河東岸の南北約7キロの区間に、測地衛星の画像では先ほどの200基を含めた約1430基の円形壕が確認できた。多くは段丘の斜面に、日本軍が布陣する東方から見えないように掘られていた。壕の列の南側には、オオカミの足跡のように、一回り大きな4~5基一組の壕が並ぶ。

 「ソ連軍が重砲を据えた跡ではないか」

 モンゴル側の関係部局と協力し、2009年から一帯の戦争遺構を調べている調査団長の岡崎久弥氏(57)は、こう推測する。岡崎氏らの継続的な調査により、通常は規制される国境付近で自由な調査・撮影が認められた。

 ■残る鉄かぶと

 そこから数十メートル離れた場所に、ソ連軍のM36と呼ばれる鉄かぶとが転がっていた。銃弾によるものか、穴が開いている。歳月を物語るかのように、さびて朽ち果てていた。

 39年8月、圧倒的な物量を誇るソ連軍の前に、日本軍は壊滅。両軍合わせた戦死者は1万6千人を超えた。この戦いを、近年歴史家の一部はこう捉える。ノモンハン事件こそが、第2次世界大戦の「起点」だったのだと。(編集委員・永井靖二)

 ◇よりすぐりのニュースやルポルタージュを、紙面とデジタルを駆使して伝える「プレミアムA」。14日に公開した「ノモンハン 大戦の起点と終止符」デジタル版第2章では、生身で戦車と戦わざるを得なかった最前線の日本軍兵士らを描きます。

 (2面に続く)


大陸の東端、欧州の行方決めた衝突


写真・図版 【写真】ノモンハン事件を経て太平洋戦争開戦に至るまでの各国の動き/1939年8月24~25日ごろのノモンハン一帯の戦況

 (1面から続く)

 ■プレミアムA

 「『第2次大戦の起源』という複雑なジグソーパズルで、ノモンハン事件は小さくはあるが、大切なピース。そのピースをはめると、全体の図柄が非常にわかりやすく見えてくるという役割を持っている」

 米国の歴史研究者で「ノモンハン 1939」の著者、スチュアート・ゴールドマン氏はこう評した。

 1939年5月11日、中国東北部(関東地方)にあった満州国のあいまいだった境界をめぐり同国軍警備隊とモンゴル騎兵部隊が起こした小競り合いが、そもそもの端緒だった。モンゴルの背後には戦車を中心としたソ連の機械化部隊がいたが、満州に駐留していた日本陸軍の関東軍作戦参謀だった辻政信らは相手を侮り、東京・参謀本部の制止を振り切って戦闘を拡大させた。

 交戦が始まって3カ月余の同8月20日午前5時45分。ひそかに南北約70キロにわたり兵力を展開していたソ連軍は総攻撃を開始。一斉に東へと進撃して日本軍を包囲し、圧倒的な物量差のもとほぼ2日で形勢を決した。

 周到に用意された奇襲。ソ連軍の司令官はゲオルギー・ジューコフ。後年、独ソ戦の行方を決したモスクワやスターリングラード(現ボルゴグラード)の攻防戦で名をはせた将軍が、最初に指揮した大規模戦闘がノモンハン事件だった。

 ハルハ河東岸の約1430基の円形壕(ごう)が密集する一帯から南へ約15キロ。緩やかな丘陵に、ジューコフの司令部跡がある。周辺約5キロ四方に、衛星画像で別の3970基もの円形壕(ごう)が確認できた。物資の貯蔵用とみられる。ジューコフの回想録によれば、総攻撃の際に集積した弾薬や燃料は総量5万5千トンにのぼった。

 その物量差の中、日本軍が抗戦した陣地跡が南北70キロに及ぶ戦域の北端部、「フイ高地」にある。

 「牛肉」の文字が残るさび付いた空き缶、日本製、ソ連製双方の手榴弾(しゅりゅうだん)、そして日本軍が火炎瓶攻撃に使ったサイダー瓶……。

 「弾薬も尽き、敵戦車には火炎瓶で対抗するしかなかった」。水も食料もない中、4日間にわたる激戦の末に陥落したフイ高地から生還した元兵士は、過去の取材にこう語っていた。

 ■英仏かドイツか、ソ連の選択

 この時期、ドイツへの対応をめぐって欧州各国は一触即発の状況だった。

 旧チェコスロバキアのズデーテン地方を領有したヒトラーは39年3月に残り全域を保護領とし、続いてポーランドにダンツィヒ(現グダニスク)の割譲を要求していた。同5月22日、ドイツとムソリーニ率いるイタリアは軍事同盟を締結。ファシズム陣営側と英仏などとの対立が先鋭化するなか、両陣営はソ連を引き入れようと外交戦を繰り広げていた。

 英仏かドイツか、スターリンは選べる立場にいた。

 「英仏と同盟を結べば、ドイツと戦わねばならない。そうすれば、ドイツと防共協定を結んでいる日本は背後で攻勢を強めるだろう。一方、ヒトラーと何らかの合意ができれば、英仏がドイツと戦い、さらに日本を孤立させられる」(ゴールドマン氏)

 スターリンは、ドイツとの不可侵条約にかじを切る一方、背後の敵である日本が当面攻めてこないよう、打撃を与えようと決断した。ノモンハンでの総攻撃開始から3日後の同年8月23日には独ソ不可侵条約を締結するなど、その思惑と動きは呼応している。

 そして9月1日。英仏とソ連からの挟み撃ち、とりわけ対ソ戦に当面備える必要がなくなったヒトラーは、ポーランドへ侵攻。第2次世界大戦が始まった。

 ■人類史最大の戦禍へ

 極東アジアの内陸部で起きたノモンハン事件と、欧州で始まった第2次大戦。両者を結びつける考え方が近年、欧米の識者の間で力を持ち始めている。近著「第二次世界大戦 1939―45」の第1章を、ノモンハン事件から書き始めた英国の歴史作家アントニー・ビーヴァー氏は、取材にこう語る。

 「ノモンハン事件は、規模としては主要な戦いとは言えない。しかしその影響は絶大だった。日本の大本営にシベリア方面を攻撃する『北進政策』をあきらめさせ、主に海軍が主張する石油の供給を狙った『南進政策』へとかじを切らせる主要因となることで、欧州戦線の分岐点となった独ソ戦の行方も左右した」

 日本の南進を察知したスターリンは41年10月、日本を警戒してシベリアに張りつけていた師団の約半分を西進させ、ジューコフが指揮するモスクワ攻防戦に投入。独ソ戦で反転攻勢につなげた。仮に、日本が北進してシベリアへ進攻していたら、「『第二次世界大戦』の趨勢(すうせい)は、かなり違ったものになっていた可能性が高い」。ビーヴァー氏は同書でこう記している。

 同書に登場する最後の戦闘は、大戦末期の45年8月、モンゴル東部から進撃したソ連軍主力による満州の攻略。大戦の始まりと終わりにモンゴル東部が登場した。

 「皮肉か単なる偶然か、第2次大戦は似通った場所で勃発し、終焉(しゅうえん)した。だがそのことに特別な重要性はない。第2次大戦は、あらゆることが混じり合っていた。英米などは欧州西側を解放したと考えるかもしれないが、欧州東側はスターリンのもと、新たな独裁主義体制に置かれた。とても複雑な戦争だった」(ビーヴァー氏)

       ◇

 現地に残る何千もの壕は、奪い合った土地が、その後ほとんど使われなかったことを物語る。ここで起きた100人規模の小競り合いが当事者の思惑を超え、一説に8千万とされる人命を奪った人類史上最大の戦禍にまで拡大していった。ドローンの導入により初めて明らかになった戦跡の様子は、あの戦争への新しい観点を私たちに示している。

 (水野義則、天野みすず、編集委員・永井靖二)

【下平記】

歴史の底流を流れているものは何か?  どろどろとした汚れた自分勝手な欲望である、こう理解するほかはない。

事実を明らかにしたとき、国家繁栄の欲望が戦争の底流になっていることが明らかになっている。 それとともに、個人繁栄の欲望は守銭奴への煩悩が底流になっていることが明らかになっている。

真摯な真実の追及を願う心から、戦争がなぜ起きているのか明らかにされてきたし、とんでもない所得格差がぜ起きているのか明らかにされてきた。

問題の中核は何か?

人の心の願いがすべての源になっていたといえます。 一人ひとりの総ての人が、生きる方向を決めていることが真実の姿といえます。

この動きが、処世観なり倫理観なり主義主張なり角度を変えた見方によって人の心の世界が現われている。

画家も音楽家も技術者も政治家も文学者もお百姓さんも、すべての人の祈りの中核になっているはずである。

祈りは、自分のいのちの方向をつくりだす源になっていることからもわかる。

 祈りとは自分の意思を自分へ確認することなのであり

 神への祈りと言ってもいいのであり

 実態は、自分の細胞と自分との確認のことなのです

 分子生物学者は細胞の活動能力を somthing great と言い
 それは神の能力を暗示するものでした

祈りの内容はいろいろあっていいのです。 そこから個性も生活も人間関係すら現われてくるのです。



今日の新聞だ一面の写真は、朝日新聞社の編集方針によって永井靖二他、調査団長の岡崎久弥によるものであり、編集者は米国の歴史研究者ゴールドマンの著書「ノモンハン 1939」や、英国の歴史作家ビーヴァーの著書「第二次世界大戦 1939―45」等を調べて記事にしている。

この事実を読み取り、真実によって歴史がすべてを明らかにしていることを理解しておかなくてはいけない。

昔から「古典とは昔作られ風雨にさらされてもなお良いと言われている作品」と言われるように、本当のことは、よく調べ吟味しないと本当だとは言えない。

第二次世界大戦に関してはあちこちからいろいろの意見が出ている。 一人の人によって全体とか一部とかグループとか、複数の真実はその構成によりすぐには結論を導けない。

次のデータも併せて理解したい。

「裏切られた自由」
フーバー大統領が語る第二次世界大戦の隠された歴史とその後遺症 (上・下)

本書は、第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)が第二次世界大戦の過程を詳細に検証した回顧録です。第二次世界大戦とは何だったのか――。従来の見方とは真っ向から対立する歴史観をもつ本書は長い間、公にされませんでしたが、2011年に米国フーバー研究所から刊行され話題を呼んでいます。さまざまな情報にアクセスできたアメリカの政治指導者が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の史料です。

◇『裏切られた自由』より引用◇

《本書では1941年以前の対日関係を詳しく記すことを目的としていない。しかし、我が国が戦争に突入することになった直接の原因に日本がなっている以上、真珠湾攻撃に至るまでの経緯を書かないわけにはいかない。アメリカ政府は(対日交渉の経緯を)国民に隠していた。そしてその後の教育でも、何があったかの歴史の真実を教えていない。だからこそ、対日交渉の経緯はしっかりと書いておかなくてはならない。》

《ナチス理解に役立ったのは、ヒトラーの右腕である元帥ヘルマン・ゲーリングとの会見である。……ゲーリングは私にチェコスロバキアの地図を示して、この形が何かに似ていないかと尋ねた。何も思い浮かばないでいるとゲーリングは、「ドイツに突きつけられた矢尻だ。我がドイツの体に突き刺さっている」と説明した。》

《いま(開戦時)二人の独裁者――ヒトラーとスターリンが死闘を繰り広げている。二人はイデオロギーに凝り固まった夢想家であり、兄弟のようなものである。……我が国(アメリカ)は防衛力をしっかりと整備し、両者の消耗を待つべきである。……我が国の掲げる理想にもかかわらずスターリンと組むことは、ヒトラーと同盟を組むことと同じであって、アメリカ的理念への叛逆である。》

《国民も議会も我が国(アメリカ)の参戦に強く反対であった。したがって、大勢をひっくり返して参戦を可能にするのは、ドイツあるいは日本による我が国への明白な反米行為だけであった。ワシントンの政権上層部にも同じように考える者がいた。彼らは事態をその方向に進めようとした。つまり我が国を攻撃させるように仕向けることを狙ったのである。》

《ハルは自身の回顧録の中で、ここ(本書)で記した日本政府との交渉の模様をほとんど書いていない。そして交渉についてはただ否定的に書いている。……その文章には真実がほとんど書かれていない。》

《近衛(首相)の失脚は二十世紀最大の悲劇の一つとなった。彼が日本の軍国主義者の動きを何とか牽制しようとしていたことは称賛に値する。彼は何とか和平を実現したいと願い、そのためには自身の命を犠牲にすることも厭わなかったのである。》

《ルーズベルト氏は「非帝国化構想」を持っていた。彼の標的はドイツ、イタリア、日本だけではなかった。彼はイギリス、フランス、オランダの非帝国化を目論んでいた。そうでありながら、彼の構想には一か国だけ例外があった。巨大できわめて攻撃的な帝国ソビエトであった。》

《あの(第一次世界大戦・戦後の)経験を踏まえればわかるように、アメリカには26もの民族がいるヨーロッパにも、それ以外の地域にも、自由や理想を力で押しつけることはできない。(そうしたことができると思うのは)狐火を見るようなものだ。そんな怪しい理想の実現のために再び若者の命を犠牲にしてはならない。》

《私は、日本との戦いは狂人[ルーズベルト]が望んだものだと言うと、彼[マッカーサー]はそれに同意した。》

《日本に対して原爆を使用した事実は、アメリカの理性を混乱させている。……原爆使用を正当化しようとする試みは何度もなされた。しかし、軍事関係者も政治家も、戦争を終結させるのに原爆を使用する必要はなかったと述べている。》

《本書執筆にあたって役立ったのは、収集した多くの資料である。第一次世界大戦が勃発した頃、フーバー研究所図書館(スタンフォード大学内)を発足させた。現在は250万点以上の貴重な文書、講演録、書籍、日記、パンフレット、会見記録、各国語による条約文書を所蔵している。……本書の準備に20年以上を費やしたが、各国語で書かれた文書を入念にチェックする必要があった。》


 08 16 (日) 続・記憶のメカニズム      NHK驚きの放送

海馬の訓練と記憶法 その二

   こうすれば記憶力は高まる! ~脳の仕組みから考える学習法
      http://s-park.wao.ne.jp/archives/1962

   東京大学薬学部 教授 池谷 裕二

1970年静岡県生まれ。98年東京大学大学院薬学系研究科で薬学博士号取得。同年、東大助手に就任。コロンビア大学客員研究員、東大准教授を経て、2014年より教授を務める。『進化しすぎた脳』『記憶力を強くする』は20万部を超えるベストセラーに(糸井重里氏との共著『海馬』は30万部を超える)。その他、単著、共著、翻訳・監修など多数。

反復すれば記憶として定着する

記憶については、まだまだ謎が多い。たとえば、どれだけ記憶できるのかや、一度つくられた記憶をどのようにして取り出しているのかなども詳しくはわかっていない。東京大学の池谷先生は、脳の研究からそれらの難問に挑む。記憶にかかわる脳の部位・海馬や扁桃体の研究など、世界に先駆けたものも数多く手がけている。今回は、そんな“記憶の専門化”に、記憶力の高め方をレクチャーしてもらった。科学的知見に基づいた学習法とは果たして……。

 私たち生物は本当に謎だらけで、「なぜ、そんなことが起こるのか」「どうしてそうなっているのか」、まだまだ解明されていないものがたくさんあります。私が研究している脳、そして記憶などは、その最たるものですが、それでも近年の脳科学の進歩によっていろいろなことがわかってきました。たとえば、上に書かれている「一度つくられた記憶を、私たちはどのようにして取り出しているのか」という問題。私自身これにかかわる研究成果を先日発表しました(2014年3月)。

 特殊な方法で、どのニューロン(神経細胞)が記憶にかかわっているかを明らかにし、記憶にかかわるニューロンが抑制性シグナルに打ち勝つほど大きな興奮性シグナルを受け取って記憶を再生させることを証明しました。記憶の“痕跡”を見つけたと同時に、この研究で興奮性シグナルと抑制性シグナルが均衡しているという従来の説は覆ったのです。また同時期に、マウスを使った実験で、わずかなトレーニングによって特定のシナプス(神経細胞同士の接続部分)で起きる発火作用(神経伝達物質の移動)を操作できることも明らかにしました。前者は、認知症など記憶の障害に関係する病気の解明に、後者はうつ状態ではうまく発火作用を操作できないため、神経活動の異状を特徴とする病気の治療に応用できる、と期待されています。

 いかがでしょう、少し専門的なので、中高生のみなさんには難しかったかもしれませんね。いずれにしろ、記憶のメカニズムを明らかにし、それを病気の治療などに役立ててもらおうと、日々、研究に取り組んでいるところです。

 さて、こうした脳の仕組みや、記憶のメカニズムを知ることで私たちは効率よくものごとを記憶できるようになります。ルールを理解してから練習に励めば早く上達する――スポーツの練習と同じですね。ここからは、みなさんに脳科学で考える「効率的な学習法」をご紹介しようと思います。

 ただし、注意しておいて欲しいことがあります。それは、これからお話する内容は、あくまでも現在の科学的な知見に基づいているという点です。いまの知見が“絶対の真理”ではありません。5年先10年先の新たな研究成果によって、それらが覆される可能性があることは十分理解しておいてください。そして、これからお話する内容は、記憶を専門に研究する池谷裕二という人間からの「自分ならこう勉強する」という提案である――そのようにとらえてもらいたいと思います。

 では、さっそく本論に移りましょう。

 記憶について考えるとき、キーとなるのが海馬(かいば)です。海馬は太さ約1cm、長さ約5cmの「脳の一部位」で、耳の奥にあります。私たちの脳はすべての情報を記憶しているわけではありません。海馬が必要と判断した情報だけが、脳の中の大脳皮質と呼ばれる場所に送られ、長期間保存されます。では、海馬は何を基準に判断を下しているのでしょうか? なんと、それは生きていくために不可欠かどうかなんですね。人間も動物、生き残ることが最も重要なのは容易に理解できるでしょう。ですから、食べ物や危険に関係する情報が、何よりも優先されます。

 しかし、生き死ににかかわらない情報でも、何度も繰り返し脳に送り続けると、海馬は「これは生きるのに必要な情報に違いない」と勘違いしてくれます。そう、海馬をダマすわけです。繰り返すことで海馬に重要な情報と思わせる。これがポイントです。

 もしも、勉強したことを忘れても落ち込む必要はありません。そもそも、脳は「覚える」ことより「覚えない」ことを得意としているので、忘れたらまた覚えなおせばいい。へこたれずに繰り返せば、脳は知識を記憶にとどめてくれます。「勉強は反復」――反復すれば、情報は記憶として定着するということを覚えておきましょう

(赤い部分が海馬=Wikipediaより)

(赤い部分が海馬=Wikipediaより) 参考書や問題集は何冊も買わない!

みんなも英単語や数学の公式などは、教科書を読み、ノートに書いたりして覚えるはずだ。それらを何度も繰り返して、1つの単語や公式を覚えようと努力していることだろう。それだけに、「勉強は反復、そんなの当たり前じゃない」と思った人も多いのではないだろうか。しかし、同じ反復学習でも、 “脳の原理”を理解し、それに沿ったやり方をすれば、より効率よく覚えることができるようになる。池谷先生が考える「脳の原理に沿った正しい勉強法」とは、いったいどのようなものか。

 いまから100年以上も前に、ドイツの心理学者・エビングハウスが行った有名な実験があります。それは、まったく無意味な10個の単語を覚えてもらい、それらをどれくらい長く覚えているか調べてみるというものなのですが、驚くことに単語を忘れる速度は人によってほとんど違いがないのです。一般には、下のような曲線を描きます(これを「忘却曲線」と呼びます)。見ていただくとわかるように、直線ではありません。初めの4時間で半分くらい忘れてしまい、そして、そのあとは平らに近いカーブを描きます。

(新潮文庫『受験脳の作り方』P49より)

(新潮文庫『受験脳の作り方』P49より)  さて、ここで重要になるのが、時間が経って忘れてしまった単語も脳からなくなってしまったわけではない、という点です。たとえば、完全に思い出せなくなったあと、もう一度、同じ単語を覚えなおし同じテストを行うと、最初に比べて2回目のほうが確実に記憶がよくなります。3度目になると、さらに覚えている単語の数が増える。このことから「復習の大切さ」がわかるでしょう。復習すれば忘れる速さが遅くなるわけです

 ただし、闇雲に復習すればいいというわけではありません。潜在的な記憶の保存期間は1か月と考えられているので、その間に復習することが大切です(海馬は1か月かけて情報を整理整頓していると考えられています)。具体的には、学習した翌日に1回目、その1週間後に2回目、2回目の復習から2週間後に3回目、さらに3回目の復習から1か月後に4回目――このように少しずつ間隔をあけ、2か月かけて復習すればいいでしょう。また、同じ情報でも海馬により多くの情報を送ったほうが勘違いしてくれる可能性は高まるので、目で追うだけでなく、「ノートに書き写す」「声に出して読む」など、いろいろな形で刺激を増やすと効果的です

(新潮文庫『受験脳の作り方』P70より)

(新潮文庫『受験脳の作り方』P70より)  復習の内容についても、同じことを繰り返すようにしましょう。先ほどの単語の実験でも、まったく異なるもの10個を追加すると覚えている割合がぐんと下がります(これを「記憶の干渉」といいます)。みなさんのなかには何冊も参考書や問題集を買って試している人がいるでしょうが、それらに大きな差があるわけではありません。脳の原理に沿うならば、どれかに絞って何度も復習するほうが効率はいい、賢い時間の使い方といえるでしょうね。

 そして、もうひとつ「脳は出力を重要視する」ということも覚えておいてください。これは有名なスワヒリ語の実験で明らかにされたものですが、暗記してもらい確認テストを行ったあと、被験者を次の4つのグループに分けました。   ①すべての単語を暗記しなおし、すべての単語を再テストする

  ②間違えた単語のみ暗記しなおし、すべての単語を再テストする

  ③すべての単語を暗記しなおし、間違えた単語のみ再テストする

  ④間違えた単語のみ暗記しなおし、間違えた単語のみ再テストする

 この4つのグループに1週間後に再テストすると、①②の2グループと③④の2グループでは2倍以上の差がつきました。違いは、「すべての単語を再テストした」かどうか、です。

 脳にはいろいろな情報が入ってきます。しかし、そのすべてを覚えておくことはできません。当然、取捨選択しなくてはいけないわけですが、このとき、入力の回数だけでなく出力の回数(使用頻度)でも判断しています。むしろ、脳は出力のほうにより依存している。ですから、教科書や参考書よりも問題集を何度も解く復習のほうが効率的だ、といえます

興味と感情が記憶を促してくれる

数ある池谷先生の研究のなかで代表的なものに、扁桃体(へんとうたい)が活動するとLTP(長期増強)が起きやすくなる、というものがある。扁桃体とは海馬のすぐ隣にある小さな脳の部位だ。一方、LTPは神経細胞同士の結びつきが強くなる現象で、LTPがよく起こるようにした動物では記憶力が高まり、逆にそれを奪われた動物は記憶ができなくなる。LTPは海馬とも密接に関係している。扁桃体、海馬、LTP……ここから見えてくるものは。

 ここまでを振り返ってみましょう。

 脳に入ってきた情報は海馬が必要性を判断し、必要と判断されたものが長期保存される。その判断断の基準は生存にかかわるかどうか。しかし、繰り返し入ってきた情報は、生存に必要なものだと勘違いしてくれる。また、繰り返すことで忘れるスピードを遅くすることができる。とにもかくにも、反復することが重要で、その際、同じ内容を、入力ではなく出力に力点を置いて学習しよう。そうすることで、効率よく記憶できるようになる――。

 LTPに話を移します。LTPは、神経細胞を繰り返し刺激することで生じます。そう、また「繰り返し」。しかし、この繰り返しを減らす“秘策”があります。ポイントは「シータ波」(脳波の一種)です。シータ波が出ている海馬では、少ない回数の刺激でLTPが起こること、また、うまくやれば10分の1の刺激数ですむことがわかっています。シータ波は好奇心の象徴ともいえるもので、ワクワク、ドキドキ、好きなことをしているとき出ている。要するに、興味のあるものは簡単に覚えられる、というわけですね。これは、みなさんにも実感できるでしょう。「AKB48が好きなので、簡単にメンバーの名前を覚えられる」という人いませんか(笑)。

 もちろん、興味や好奇心は生み出そうと思って生み出せるものではありません。それでも、「つまらない」などと口にしながら勉強するのではなく、その勉強の中に何でもいいから面白さ、興味を引くところを見つけるようにすればシータ波は出てくれます。覚えられるから楽しい、といった好循環も生まれるでしょう

 さらにもうひとつ、扁桃体も活動させましょう。扁桃体は感情を生み出す働きをしているのですが、それが活動するとLTPが起きやすくなることを、私が明らかにしました。

 この効果は強烈です。利用しない手はありません。たとえば、歴史の知識も単に丸暗記するのではなく、「悔しかっただろうな」「楽しいだろうな」など感情を交えて覚えてみましょう。脳は、この知識を自然と記憶しようとするはずです。このとき、その歴史上の人物に興味を抱いて、シータ波まで出るようになれば完璧!

 紙幅が尽きてきました、最後にもうひとつ、LTPに関するお話しで終えたいと思います。みなさんは、学校から帰宅してから寝るまでの間、どの時間に勉強時間していますか? 帰ってからはゆっくり過ごし、ごはんを食べたあと机に向かう人が多いと思います。ところが、お腹のすいているときのほうが記憶力は高まる。これは科学的に証明されています。専門的な話をすると、空腹時にはグレリンというホルモンが胃から放出され、それが血管を通って海馬に届き、LTPを起こりやすくさせるのです

 「興味」に「感情」そして「食事」。うまくLTPを活用して、効率よく記憶を高めてください。

《文=WAOサイエンスパーク編集長 松本正行。なお、ここに書かれているもの以外の「効率的学習法」を知りたい方は池谷先生の著書『受験脳の作り方』(新潮文庫)をご一読ください。》

【下平記】 記憶の方法、誰にもわかりやすく書かれていました。 とても参考になります。