インデックス

書斎

『大鴉の啼く冬』

Raven Black : Ann Cleeves : 2006

東京創元社,アン・クリーヴス


舞台のシェトランドは実在の場所。イングランド本島とノルウェーの中間あたりにある島だ。詳しくは知らないが、小説中の人口や祭りについてなどの描写は事実のままということだろう。人が住むには厳しい、極寒の、観光と羊の飼育で生きながらえている土地だ。

イギリス北部の島はその昔、北方から襲来するヴァイキングの足がかりとなったため、シェトランドにはそのころの名残を思わせる容貌の人物や祭りが登場する。また、イングランドを制覇したローマ軍が進軍してきたのも北部からだった。そのため、イギリス北部には侵略の爪あとが数多く残されている、と聞いたことがある。

と同時に、そのことがイギリス人に自国であって自国でないような感覚をもたらしているのだろう。乱暴な言い方をすれば日本における沖縄のようなものかもしれないが、とにかくこの小説では当たり前のように”イギリス本土”という言葉が使われている。何の説明もなく使われているのでその意味を見過ごしてしまいそうになるが、それが沖縄の人々が言うところの”本土”という言葉と近いものだということは想像しえるかもしれない。

こういう特殊な閉鎖的地域を舞台に、この作品は書かれているのだ。解説によると四部作の第一作目だそうだから、あと三作、同じ場所を舞台にした作品があるということだろう。上記のような難しい歴史的背景を持つ土地を、現代のミステリに馴染ませているのだから、作者のアン・クリーヴスの技量は大したものだと言える。とはいえ、歴史的な小話は意外にもまったく描かれていない。描かれているのはあくまで現代のシェトランドであって、過去ではないのだ。

ロンドンからシェトランドへ移り住んできたシングル・マザーの画家、フラン・ハンターは、野原で無残な死体と化したキャサリン・ロスを発見する。彼女は絞殺され、打ち捨てられていた。近隣のフェア島出身の刑事ペレスと、本土から派遣されてきた刑事テイラーは、共同で捜査にあたり、キャサリンの通っていた高校の生徒、教師、富豪の息子とその仲間などを調べていくが、島の人々は口を揃えて”マグナスが犯人だ”と言う。8年前、幼い少女カトリオナが行方不明になったとき、容疑者として浮かび上がったのがマグナス老人だったのだ。結局、事件は未解決に終わり、少女は見つからずじまいだった。
 やがて、キャサリンがシェトランドの人々を題材に制作していた映画が消えていることが分かったが、その謎の解明を待たずマグナスが逮捕された――

あらすじは上のような感じで、このあと、ストーリーはキャサリンが作ろうとしていた映画の内容に集中していく。作品もシェトランドをテーマにしたものなら、その中で作られた映画、つまり作中作もまた、シェトランドをテーマにしているのだ。そういうところに重苦しさを感じるが、作品自体はやっぱりよくできている。まるでシェトランドにじかに触れられそうなほどの描写力だ。描写力というよりも、執着、執念と言ったほうが当たっているかもしれない。これはまさに背景を描くための小説であって、しかも四部作にもなるという壮大さを思うと、謎解きなどというな細かいことをうんぬんするのはちょっと気が引けるのだが、一応述べておく。謎解き、ミステリの部分はどうなのかというと、想像はつくだろうがそういったものをメインにした作品のような面白さはない。むしろ、ありふれた、地味な事件の部類だ。もっとも、あまり派手でもテーマと衝突するだろうから、作者としては仕方なかったのだろう。なぜミステリである必要があるのか、という疑問がないでもないが、たぶん作中でも名前が挙がっているサラ・ウォーターズなどの流れだろう。また、クリスティなど主にイギリスの女流作家が営々と築いてきた”コミュニティの殺人事件”――小さな集落で起きた殺人事件、というテーマの流れの上に書かれた作品でもあるのだろう。

重厚で、歴史の重みを感じる、ちょっと嫌になるくらいよく書かれた、現代ミステリ、だった。


最終更新日: 2007.10.23