作家志望のハリー・フォルコンは、妻ケイトの容態がよくなった、という知らせを聞き、精神病院へ赴く。しかし、それは自宅療養を望むケイトの意を汲んだ医師のはからいだった。浮き沈みの激しいケイトとの生活に逆戻りし、絶望するハリー。そこへ、通りがかりの女性の暴行未遂事件、次いで、ほかならぬケイトを見舞う強姦事件が起きる……
文体は陰湿だが、文章はとてもうまい。底なしの犯罪社会へと突き進んでいた70年代のアメリカの不安を鋭く描き出している、と言えると思う。また、主要なテーマである病んだ心の描写を裏打ちする、精神医学も深く、真面目に掘り下げられている。それに、感情に押し流されず、登場人物の一人一人が冷徹に整理され陳列されている、という印象を受ける。全体的な感想を述べると、こういう粘着質で分析的なタイプの作家は当時のアメリカでは珍しかったかもしれない、と思う。
最初のうちは、感情的で長ったらしい文章を書く人か、と思ったが、読み進んでいくうちにそうではないと分かった。ミステリ好きの直感で、無数の伏線が張り巡らされていることに徐々に気づかされていくのだ。大きく広がった網の目が次第にすぼまっていくように、それらの伏線が互いに交錯し、がんじがらめにしていく終盤は、見もの。最高潮のクライマックスに達するとさえ言える。
問題はどういう種類の面白さかということだが、これは説明しないほうがいいだろう。ただ、序盤が退屈だと感じても、だまされたと思って(退屈以上に、訳がヒドイと感じるかも)読み進んでほしい。何かが待ってるはずだから。
翻訳についてもう少し愚痴るなら、”記者が江戸っ子だったこと”かな。あれはひどい。
解説によると、ニーリイはMWA賞を何度も逃した実力派で、この作品も最優秀長編賞にノミネートされたそうだが、読後の感想を正直に述べると、MWA賞を獲っても不思議はない作品だとまでは思わない。確かに面白いし、技術もあると思うが、これほどまでに人物を切り刻む話は、個人的には絶賛できない。
とはいえ、『殺人交差点』あたりが好きな人にはたまらない逸品かもしれない。(に限らず、フランスものが好きな人にはおすすめかも)ぜひ一読してもらいたい。