大事故のあとで目覚めた「わたし」は、怪我によって以前の顔を失い、記憶の一部もなくしていた。アメリカ政府のために働いていたはずの「わたし」は、壁のこちら側の西ドイツで一体何をしていたのか? 自分を取り巻くもつれた謎を、男は解きはじめる……
読み終えて第一の感想は、やっぱりバリンジャーの作品だなあ、というものだった。読み終えた後の発声が、「ああ、本格だなあ」「ハードボイルドだなあ」というのは、それほど珍しくない。プロパー(生粋の)なミステリ作家で、なおかつ第一人者(第一人者が多すぎるのかもしれないが)と呼ばれる人の作品ほど、そのジャンルの特質が際立つ。それは、純度の高いミステリを追求する上では素晴らしいことなのだが、読み手の側の正直な感想としては、どこかに「寄らば大樹の」的な安易さがあるのではないか、と勘ぐってしまうこともある。実際、我が道を開拓することに比べたら、大樹に寄り添うことは途方もなく楽だろう、という意地悪な見方もできなくはない。いや、ここはあえてそういう見方をしてみてもいいだろう。本格もハードボイルドも、あまりにも多くの作家を庇護してきた大きな大きな樹なのだから。
B・S・バリンジャーは1912年に生まれ、小説家であったばかりでなく、もともとは当時の人気テレビドラマ「ヒッチコック劇場」「001ナポレオン・ソロ」などの脚本家でもあった。背景となる時代は本格ミステリの衰退期で、スパイもの全盛期に差しかかっていた。バリンジャーは脚本を書く一方で、その経験を生かしてか映画的な手法を用いた叙述ミステリという斬新なジャンルを切り拓いている。カット・バックと呼ばれるこの手法や、結末の意外さが話題を呼び、結末部分を袋綴じにする”返金保証”などという試みも生まれた。特に翻訳の少ない日本では、技巧派の叙述作家としての呼び声が高い。しかし、それと同時にバリンジャーは、この「歪められた男」のようなスパイ小説や、ハードボイルドの味のある小説にも挑んでいる。彼ほどジャンルにとらわれない、プロパーとは程遠い作家もいないだろう。己が道をゆくことを恐れず、一本の樹にも寄り添わなかった作家、それがバリンジャーだといえる。
この「歪められた男」の主人公は、もともとはアメリカ政府のもとで諜報活動をしていたのだが、やがて各国の思惑が渦巻くベルリンの壁崩壊前のドイツで、いくつもの名と人格を使い分けて二重スパイとしての道を歩んでいく。いくつもの顔を持つ孤独なスパイと、いくつもの作家の顔を持つバリンジャー。考えすぎと言われるかもしれないが、一瞬、二つの人物像が頭の中で重なリ合った。