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『悪魔はすぐそこに』

Devil at Your Elbow: D.M.Devine : 1966

東京創元社,D・M・ディヴァイン


大学講師のピーター・ブリームは、ある日、チェス仲間のハクストン講師から悩みを打ち明けられた。長年、お荷物とみなされてきた教授を、ついに大学が追い出しにかかったというのだ。あちらがああ出るなら、こちらにも打つ手はある…… 教授のその言い草は、まるで学内の誰かの弱みを握っていると言わんばかりだった。そして、ついに大学側が決断を下したその日、ハクストンは自宅で死体になって発見された。自宅のドアには鍵がかかり、窓も内側から施錠されていた。死因はガス中毒。誰もが自殺と信じ疑わなかった。そこへ一石を投じたのが、ミリガン教授にけしかけられたグレアム・ラウドン。ラウドン、ピーター、ピーターの婚約者ルシール、ルシールのルームメイト、カレンらは、それぞれの思惑を胸に事件を追い始める。

なんというか、脱帽。正直言って、これまで読んだディヴァインの作品の中ではこれが一番よかった。

もちろん、ひととおりの作品は読んできたつもりだ。クリスティが認めた〜とやらいう現代教養文庫側のいちおしコメントに惹かれて、代表作の一つである『五番目のコード』、『兄の殺人者』、『ロイストン事件』と、面白さに夢中になって次々に読んだのだ。クリスティが本当にディヴァインを認めたのかどうかは知らないが、クリスティ・ファン、または古典ファンにとってはたまらない“伏線”の妙だ。古典作品以外ではなかなかお目にかかれないその巧緻な作風に狂喜して、思わず読破してしまったのだ。

しかし、ディヴァインの特徴はそれだけではない。どの話の主人公も、“やればできる才能の持ち主なのに、心が折れて”しまっているのだ。心が折れた原因はさまざまで、一概には言えないが、どうもこの挫折感、空虚感がディヴァインの描く主人公には共通しているように思える。

それほど共通項のある主人公を描き続けるということは、言うまでもなくこれらの主人公はディヴァイン自身なのだろう。ミステリは他のジャンルの小説に比べると客観的な視点の作品が多いような気がするが、その中でディヴァインは極端に私小説的なミステリを書いている、と言えるのかもしれない。

それも含めてディヴァインの魅力だ、と感じられる人はいいが、ちょっとうっとうしいな、と思う人もきっといるだろう。わたしも、その点があるから、いまいちディヴァインを絶賛しきれない者の一人だ。そう、“惜しい作家”、それがディヴァインなのだ。

しかし、そんなわたしも、この『悪魔はすぐそばに』は絶賛してもいいと思う。いや、誉めちぎろう。

というのも、この作品には上に描いたような内省的な暗さがほとんどないからだ。まったくない、とは言わないが、その程度なら普通の小説にも見られる範囲だろう。この本で、ディヴァインは主人公までをもわざわざ名指しして容疑者の列に入れ、徹底した“客観姿勢”に挑戦している。

もともとクリスティを唸らせるほどの(実際に唸ったかどうかはさておき)伏線、読者をミスリードするテクニック、叙述の技法にたけたディヴァインのこと、客観性に徹すればこれほど強い武器はない。これはまさしくフーダニットに徹しきったクリスティのお家芸に迫る作品、と言えるはずだ。

これまでの、いい作品なんだけど、ちょっと暗いなあ、と思って他人におすすめできなかったものとは違い(『ロイストン事件』などは内省的でもかなりよく描けてるけど)、これは自信を持っておすすめできる。とにかく読んでみてください。


最終更新日: 2008.1.04