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書斎

『判事とペテン師』

The Painswick Line : Henry Cecil : 1951

論創社,ヘンリー・セシル


法廷では、今まさに前代未聞の裁判がおこなわれようとしていた。すなわち、被告席に牧師の娘、証人席に牧師本人を配した詐欺裁判。検察は牧師の娘が不正に情報を入手し馬券を買ったと主張し、牧師は勝ち馬を当てたのは自分だと言い張る。両者一歩も譲らぬせめぎ合いに、判事が採った方法とは…… 万人が見守るなか、牧師に今週の勝ち馬を当てさせようというものだった!

メッソン=スミス牧師は、イギリス国教会の教区の、昔ながらの牧師館に住む、敬虔で朴訥な、金銭への執着とは無縁の人で、そういう人物がデータと研究だけを頼りに競馬の勝ち馬を次々と当てていく。裁判をきっかけに彼の特技を知った国中の人々は、我先にと牧師の歓心を買いに町を訪れる。騒動はそれだけでは収まらず、あれやこれやと問題が持ち上がる。

これがお話の本筋なのだが、こう書くとまるで競馬好きの書いたたわごとみたいだ。しかし、侮ってはならない。ヘンリー・セシルがユーモアと風刺を含んで書き上げたこの話は、優れたコンゲームであり、また同時に裁判小説でもあるのだ。

主要な登場人物としては、メッソン=スミス牧師とその娘ルーシーのほかに、ペインズウィック判事、そして判事の放蕩者の息子マーティンが出てくる。牧師が競馬、判事が裁判、放蕩息子がコンゲーム、つまり詐欺と、それぞれがお話の別の面を担当するわけだ。セシルはあれもこれもと要素を詰め込もうとして、結局、この三人を並列に扱うことにしたのだろう。そのため、話のまとまりが悪く、散漫な仕上がりになっている。ただし、競馬好きが読んでも、裁判好きが読んでも、コンゲーム好きが読んでも楽しめる内容なのは間違いない。

ほかに特筆したいのは、セシルがこれらの人々を等しく人間的に扱っている、ということだ。判事、その息子、そして牧師さえ、同じ愚かさを持つ人間として彼は描いている。これには実際に判事を務めた経験もあるという著者の実感が大いに影響しているのだろうけれど、何より、セシル本人のあたたかな眼差しに、読み手はぐっと心を掴まれるのだ。

コンゲームの定義にもよるかもしれないが、これほどミステリから程遠いと感じられるミステリも少ないだろう。それでいて、ミステリ的な要素をこれほどふんだんに散りばめた小説もあまりない。さらには、それらの要素をこれほど明るく、楽しく、ときには悲哀も込めて書いた小説もないように思える。


最終更新日: 2007.11.2