真冬のニューヨークで、雪に覆われた若い女性の死体が発見された。見たところ外傷はなく、関係者一同を驚かせたことに死後何時間も路上に放置されていたと思われるのに遺体は高熱を保っていた。しかも、遺体を調べた検視官はこう述べたのだ。「これは熱射病の症状だ」と!
マクロイのデビュー作にして、のちに主なシリーズキャラクターになる心理学者ベイジル・ウィリングスの初登場作となるのがこの作品。インパクトのある導入から、謎の遺体にそっくりな娘の出現、虚飾に満ちた上流階級の人間関係、と物語は流れるようにミステリアスな方向に進んでいく。後年のよりサスペンス性の高い作品に比べれば、物語の流れはスムーズさに欠けるが、あの気味の悪いほど滑らかに読者を独自の世界へいざなっていくマクロイの筆の動きは既に顕著。
この作品では、ベイジルが自らの提唱する心理学的証拠なるものを掲げて、当時の物的証拠中心の警察捜査に挑戦する、という非常に意欲的なもので、今では珍しくなくなった心理学を犯罪捜査に応用する手段が取られている。もっとも、現在のプロファイリングほど犯罪捜査向けに研究し尽くされたものではなく、容疑者の心理テストや行動分析などといった原始的なものに過ぎないが、それでもマクロイの着眼が斬新で現実に即したものだったことに変わりはない。
しかし、この作品を心理捜査をテーマにした新時代のミステリと呼ぶかわりに、別の見方をすることもできる。それは、ミステリを閉ざされた世界から、心理学、科学、世界情勢などの渦巻く混沌とした現代へ導いた作品、ということだ。現在、犯罪捜査には様々な分野のエキスパートが参加することが増えていっている。心理学にとどまらず、指紋、銃、血痕、DNA、どの分野にも大抵その専門家がいる。国によって違いはあれど、捜査というものが心理面も含めて複雑化しつつあることは確かだと思う。犯罪捜査はかつて警察内部だけで行われる”閉ざされた”ものだったかもしれないが、現在それはより”開かれた”ものになりつつあるのだ。
ある意味では、ミステリも同じ道を辿っている。かつて、ミステリとは閉鎖された状況や、階級、場所を舞台としたものだった。それは、当時の犯罪や捜査への概念がそうしたものだったからではないだろうか。けれど、時代は変わり、犯罪の舞台はおどろおどろしい屋敷から都会へと、犯罪の動機なども現代の世相を映したものへと変わっていった。犯罪が社会から隔離されていた時代は終わり、それはもっと当たり前なもの、あるいは現実的なものへと移り変わっていったのだ。この作品を読むと、そこにはそんな”現代”が透けて見える、そんな気がする。
1930年代にこの作品を書いたマクロイにそこまでの先見の明があったかどうかは分からない。ただ、SFも書いたくらいだから、科学的な目を持っていたことは確かだろう。そしてマクロイにとって、犯罪における心理捜査は科学の大いなる裾野の一分野だったのかもしれない。ひょっとすると、近年を通じて、マクロイほど”科学的”冷徹な目を持ったミステリ作家はいないのではないか、とわたしには思えるのだ。