オウム以前なら、日本でこれほどテロを題材に取り上げた小説が読まれることはなかっただろう。不本意なことかもしれないが、あの事件は日本人のそうした面への意識を抜本的に改革したと言っていい。9.11になぞらえるのはどうかとも思うが、アメリカ人にとってのその数字と同様、我々にとってもあの事件の名は一つの標(しるし)となったのだ。
昨今の小説市場を見渡せば、必ずといっていいくらいテロをテーマに取り上げたものが目に入る。それも、やはりアメリカで書かれたものが多い。アメリカの作家がそうしたテーマのものを次々に発表し、それが日本へ入ってきているのだろうが、実は9.11以前から、アメリカではテロものが多い。それだけ、テロに対する認識や現状が日本とはかけ離れているのだろう。そして、その意識の違いがもとで、これまで紹介されることのなかった作品もかなりの数に上るに違いない。
ヒュー・ペンティコーストは、これまで雑誌EQMMを通して短編を紹介されることが多かったため、日本では短編作家としての顔のほうが有名だという。しかし個人的には、『狂気の影』、『過去、現在、そして殺人』などスリリングな、勢いのある作風の長編のほうが印象に強い。サスペンスだが、古典的な”誰が?”を到達点として上り詰めていくスタイルを持つという特徴もある。今作に文章を寄せている評論家の横井氏によると、ペンティコーストにはこの作品で取り上げられたシリーズをはじめ、時事ネタを扱った一種ジャーナリスティックな作品も多いという。上記の二作はそれほど強く当時の時代背景を意識したものではないと思うが、この『灼熱のテロリズム』はまさしくといったところ。といっても、現代を背景にしたものではない。ここには1960年代の、歴史の暗い側面があるのだ。
主人公のピーター・スタイルスはフリーのコラムニスト。父親を暴漢に殺され、自らも片足を失うという悲劇に遭って以来、理由なき暴力、いわゆる”ミーニングレス・バイオレンス”を誌上で糾弾してきた。その彼のもとに、夜更け、殺人を見たという少年が駆け込む。一人の黒人の男が数人の白人によってリンチに遭い、殺されたというのだ。すぐさま通報したピーターのもとへ、友人でもある検事長、マーシャルが訪れ、市長や陸軍中将をはじめ、そうそうたる顔ぶれに引き合わせる。彼らが言うには、ある事情により、今夜の事件を内密にしたいというのだ。その事情とは、ニューヨーク市を相手取った”ブラックパワー”なる相手から脅迫状が届いているというものだった。それによると、ブラックパワーは黒人組織で、期日までに金を払わなければグランドセントラル駅を爆破するというのだ――
秒刻みで事態が進行するなか、被害者の白人の妻が行方不明になったり、昔恋心を抱いていた女性が現れたりと、忙しくストーリーが進行する。しかし何より注目すべきは、あくまでも冷静、かつ客観的に描かれた白人対黒人の対立意識だ。もちろん、あらゆる偏見を排除した客観的視点などを持ちうる人間はいない。だが、ペンティコーストには世間の偏見と同様に己の偏見をも見据えようとする、真に公平さを心がけた”現実”を見る目があるように思う。言うまでもないことかもしれないけれど、小説の中の”現実”と”リアリティ”は別個のものだ。”リアリティ”とは要するに現実らしさであって、必ずしも現実である必要はない。それどころか、一般にリアリティ溢れると言われる小説はどれも、客観的とみせかけて実はたっぷりと主観的なものの見方がふりかけられているものだ。むしろそこが、小説の愉しさの一つとも言える。
それに対して、この作品では、時折作家の「えいっ」という声が聞こえるような気がすることがある。――まったくの個人的感想に過ぎないけれど―― 気合の声が聞こえるように思えることがあるのだ。この気合とはおそらく、”根性を出して書こう”という意味合いで放たれたものだろう。何をほざいているのかと思われるかもしれないが、要するに、辛い現実を前にしてペンを構えた記者が、自分を奮い立たせるために放つ気合―― 新聞記事の行間などから時折読み取れるそれと似ているような気がするのだ。実際に、主人公が時事ネタを扱うコラムニストであることを考え合わせると、それは気のせいではないようにも思える。
もともと、ペンティコーストという人は現実を完全に娯楽として書いたり、暴力を格好良く書いたりすることが苦手なのかもしれない。それゆえこの作品では特に、現実的な問題をここまで誠実に取り上げたり、暴力を美化しない描き方をしたりしているのだろう。だが、無論、堅苦しい読み物に仕上がっているわけではない。ともかく、同じ現実的な作風の作家群の中でも、ペンティコーストは一種独特だ。その姿勢には、半ば記者魂といってもいい厳しさがあるのだ。
読み終えた感想としては、スリルとスピード感に手に汗握る反面、お話に深みが足りないな、とも思うのだが、そこが却って重いテーマを軽くしているのかもしれない。スタイルスの人物像も魅力的で、シリーズのほかの作品がどんなか知りたくなる。ぜひ続編の翻訳を期待したい。