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書斎

『死者との誓い』

The Devil Knows You're Dead : Lawrence Block : 1993

二見書房,ローレンス・ブロック


スカダーのもとを、金目当てで通りすがりの人間を殺したとされる浮浪者の弟が訪れ、事件が本当に兄のしわざか調べてほしいと告げる。殺された男はスカダーの知人で、何度か話をした程度の仲だった。調査を開始したスカダーだが、そこへ昔の恋人ジャンから会いたいという電話が入る。話を聞くと、彼女は癌で余命数ヶ月と医者から宣告されたという。そして、スカダーに自殺するための銃を手に入れてほしいと頼んできたのだ。一方、事件の調査のほうでも奇妙な事実に突き当たっていた。殺された男は出どころの分からない大金を自宅に保管していたのだ・・・

スカダー・シリーズもいくつかの変節を経た。ギャングの大物ミックという友人を得、アル中時代に終わりを告げ、流浪の生活から、より長い関係を予想させるエレインと出会った。シリーズとしても、評価の高かった“絶対悪”三部作を通じて、人間の犯しうる極致的な犯罪を描いた。その三部作の続編となるのが、今作だ。 被害者は新婚のホワイトカラーの男、容疑者は戦争帰りの神経症気味の不就労者。どこにでもありそうな、ごくありふれた事件。猟奇事件を扱ったシリーズのあとだけに、その地味さが際立って思える。登場人物もさほど派手に描かれてはいない。エレインにはいつもの元気がないように思えるし、強烈な個性を持つミックやBJも今回は出番が控えめだ。ほかに、容疑者の弟、被害者の妻、警官、たれこみ屋、容疑者の元同僚などが登場するが、いずれも特に目立ったところのない普通の人達という印象。今回も多くの人が描かれている。

その中で印象が強い人物を強いてあげるとするなら、ジャンだろうか。そう、癌で余命いくばくもないジャンだ。生命の灯火が消えかけている彼女のほうが、この先も生きながらえていく人物達より印象的というのは、少し変かもしれない。実をいうと、今作では死者の数はそれほど多くない。終わりまで読んでもせいぜい2、3人というところだろう。前三作の死者の数と比べ物にならないのは言うまでもない。それどころか、シリーズ全体を通じてもかなり少ないほうではないだろうか。しかしそれでも、ジャンの影が落とした影響だろうか、この作品には色濃い死が漂っている。 暴力には人の業へのあくなき悲しみがつきまとうが、純粋な死への悲しみはそれとは別のところにあるのかもしれない。暴力とは無縁の、ありふれた出来事の中にこそ、死への悲しみは存在するのかもしれない。

とにかく、前三部作が暴力への深い憤りと悲しみを描いたものだとすれば、この作品が描き出しているのはそれとはまったく別のものだろう。なぜなら、ここでは暴力が極力排除されているように思えるからだ。ありふれた路上の殺人。ジャンの命を奪おうとするものも暴力ではなく病気だ。そこには、暴力への達観、そして“ありふれた死”への回帰、があるようにも思える。

“ありふれた死”というテーマの前に、登場人物達はいくぶん元気さ、精彩を失って見える。三部作ではあれほど力強く活躍していたスカダーが、ひどく弱々しく思えるのも印象深い。暴力や悪には敢然と立ち向かえるスカダーも、ありふれた、しかし理不尽に人の命を奪っていく死には立ち向かえないのだろう。

スカダー・シリーズの原点ともいえる不条理感がここにはある。だが、いくつもの変節を経た今、それに対するスカダーの思いも、また読者である我々の思いも以前とは変わっていることだろう。これこそがシリーズものの妙趣と言えるのかもしれない。


最終更新日: 2006.09.30