海外ミステリ紹介本の名著、瀬戸川猛資の『夜明けの睡魔』を読んで、『キングとジョーカー』という本について知った、という方は少なくないのではないか。わたしもそんな一人だ。
当時は、今ほど希少ミステリ本を再発掘しようという出版社の意気込みがなく、希少本はとにかく希少だった。『キングとジョーカー』もかなり入手が難しく、今回再出版されることになったと聞いて、やはり感慨を覚えた。
もちろん、希少本の中身がかならずしもいいというわけではない。だから、内容と無関係な思い入れについては、このくらいにしておこう。
記憶によると、瀬戸川氏はこの本を、「なぜこういう設定にしたのか理解に苦しむ、極めつけに風変わりだが、興味深い作品」といったふうに紹介しておられたと思う。実際読んでみるとそのとおりで、お話の背景は、イギリス王朝が今とは違った流れをたどった、イギリス王家の顔ぶれ以外はすべて現実の世界と同じ、”亜現実”とでも呼ぶべき世界ということになっている。といって、いわゆるSFとミステリ、ファンタジーとミステリを融合した実験的作品、というのとは違う。どうやら、作者はイギリス王室の人々を小説の登場人物にしたいあまり、”もう一つのイギリス”を作り上げてしまったようなのだ。
現英国王の娘、ルイーズは、ようやく大人になりかけたばかりの少女。彼女は幼い頃から王女としての立場を理解し、二つの人格を使い分けるように公的な自分と私的な自分を使い分けてきた。ある朝、ルイーズは突然、家族が抱える秘密に気づく。ロイヤル・ファミリーは、王と王妃の結婚以来、ある複雑な事情を守ってきたのだ。そしてそれは、惨たらしい事件の幕開きでもあった。
王室は以前から、”ジョーカー”と呼ばれる謎の人物による悪戯に悩まされていた。王女が秘密を知ると同時に、その悪戯も悪質なものへと変わりはじめたのだ。ロイヤル・ファミリーを嘲笑うかのように次々と起きる奇妙な出来事。やがて、”ジョーカー”の行為は王室の秘密をも暴くものに。そして、なんとかすると王が宣言した直後、殺人事件が起きた……
この本の特徴は、なんといってもその奇異さだ。それも、先ほど述べたような実験的作品や、持論の主張のために大胆な設定に挑んだ作品とは明らかに異なる。大体、歴史を捻じ曲げてまで王室の話を書いた意図がさっぱり分からないのだ。まるで、とにかく何が何でも王室の話が書きたかったようだ。読者としては、作者の意図が分からない以上、そう解釈するしかない気がする。ディキンスンは、無類の王室好きで、その妄執をなんとかして作品にしたかったのかもしれない。とはいえ、王室ゴシップ好きで知られるイギリスの人々も、この作品には首を傾げざるをえなかったのではないだろうか。
という具合で、ジャンルとしてはミステリ以外の何でもないのだが、肝心のミステリ以外の部分が凄すぎて、読み終わってみるとほとんど印象にない。とにかく、シュールというか風変わりというか、そういうところばかりがやけに目立つのだ。繰り返すが、この話は実験的小説の類いではない。わたしはやはり、英国王室への尋常ならざる執着の結晶だと思う。
それにしても、なぜ”亜現実”なのか。なぜ、わざわざ歴史を捻じ曲げねばならなかったのか。”もう一つの現実”に固執した理由は。
現代の王室を小説の題材にするのがまずいなら、歴史小説にする、という手もあったはずだ。実際、昔の王族を書いた小説ならいくらでも存在する。なぜ、あえて現代を舞台にしたのか。
ディキンスンが描こうとしたのは、現代の”不思議の国のアリス”だったのかもしれない。王室の人間として”よそゆき”と”ほんとう”の世界を行き来する王女は、ディキンスンが作り出したアリスだったのかもしれない。あるいは、主人公の少女は作者自身の不安定な心を表しているのかもしれない。アリスや王女と同じく、ディキンスンもまた己の紡ぎだした”幻想”と”現実”の間で揺れていたのではないだろうか。