06 04(木) いよいよ六月 |
現在位置:asahi.com>ニュース>国際>アジア>記事 天安門事件から20年 遺族は外出禁止、追悼抑え込む 2009年6月5日0時33分 【北京=坂尻顕吾】天安門事件から20年を迎えた4日、中国当局は民主活動家や犠牲者遺族に外出禁止を命じ、追悼活動を抑え込んだ。遺族でつくる「天安門の母」発起人の一人、丁子霖さん(72)も外出を阻まれ、当時17歳だった高校生の息子を死亡現場で悼むことができなかった。 丁さんは07年から、命日である6月3日深夜に現場で追悼式を挙げることが許されるようになった。だが、今年は姿を見せなかった。丁さんと親しい民主活動家(60)は「3日から公安当局の監視と圧力が厳しくなり、外にごみを出すことさえできない」と語った。 丁さんの息子、蒋捷連さんは当時、連日のようにデモに参加。3日深夜、天安門広場の西約5キロで、戒厳部隊に撃たれて死亡した。29年の共産党員歴のあった丁さんは当初、「これは党内の一部がやったこと。過ちを認めるはず」。だが事件の見直しはなく、期待は裏切られた。 90年代初めから独自の「殉難者名簿」づくりに乗り出す。勤務先の中国人民大学は夫の蒋培坤さん(75)とともに追われ、公安当局の監視下に置かれた。生活必需品は指定された商店で買うことを求められ、自由な外出も許されない。 当局の姿勢はかたくなだ。中国外務省の秦剛副報道局長は4日の定例会見で「前世紀の80年代末に中国で発生した『政治風波』とそれに関連する問題は、すでに党と政府が明確な結論を出している」と語った。 |
06 06(土) 再び太宰春台 |
2 太宰春台(1680−1747) 太宰春台について小生は、荒町の太宰楼という料理屋が屋敷跡であり、太宰松という曲がりくねった大木(大火で消失)があったこと、我が家にある「太宰春台」という本の主人公がそれに関わっている程度の認識しかなかった。大学で丸山真男先生に習い、「日本政治思想史研究」を読んで、初めて春台が荻生徂徠の弟子と知った。 春台は江戸中期の儒学で覇をなした荻生徂徠一門の儒者で、徂徠の儒学の「経世済民」面を受け継ぎ、「詩文」を受け継いだ服部南郭と双璧をなした。徂徠の儒学は、幕府主流の朱子学ではなく、それを批判する古学派の伊藤仁斎に連なる古文辭学と称する一派であったが、古典の正しい読み方を主張し,新しい政治のあり方を提唱して広く受け入れられた。 立ち入って考察するとまことに興味津々であるが、詳しくは別稿で論ずることとし、ここでは春台の家系と経歴に焦点を絞って略述する。経歴は主として武部善人、「太宰春台」による。 @ 父は飯田藩の重臣だったが、春台8歳のとき浪人となった。 太宰春台の父は、言辰(ノブトキ)といった。若き織田信長の守役で、治まらぬ素行を死をもって諌めた平手政秀の後裔(子孫=外様)であるが、母方の縁で同じ外様の飯田藩200石の重臣太宰謙翁の娘梅(後游と改名)と結婚し養子となった。梅は20歳下であった。長男重光が生まれたのが1672年で、言辰の飯田赴任は1679年とされている。1672年は堀藩の飯田転封の年であるから、縁組はその前ということになる。 元禄元年、春台8歳の時飯田藩を離れた。飯田在住は足掛け10年であった。原因は同僚との争いともいわれるが、鈴川氏は、将軍綱吉に小姓として仕えた3代藩主親常の藩政改革の犠牲ではないかという。綱吉は徳川一門や譜代大名に遠慮なく改易の斧を振るったが、親常もそれにならって高禄の重臣にリストラを強制し、家臣団を再編成したのではないか。だからこの頃、堀家の重臣が相次いで改易・降格・減禄されているという。 太宰言辰は飯田藩退去の時、槍を掲げ列を組んで堂々と歩み去ったという。豪気な人だったのだろう。春台は礼にこだわる厳格謹直な人だったらしいが、死去の時、遺言して葬列に槍を掲げさせたのはこの故事を踏んでいると思われる。 父親の浪人に伴ない、春台も飯田を離れた。しかし春台は飯田を懐かしみ、また平手政秀を誇りとし、署名に「信陽」を加えたり、「東都処士本姓平手氏中務大輔政秀五世孫」と名乗ったりした。 A 父の浪人で貧乏生活 言辰52歳での浪人生活であったが、既に元禄平和謳歌の時代、商品経済の浸透で各藩ともに財政難。出費切り詰めで武術で再就職の道はなく、家計はわずかの蓄えと主婦のやりくり内職に依存せざるを得なかった。春台の8歳上の兄重光は病弱で(後仏門に入る),期待は春台の肩にかかり春台はそれによくこたえた。春台は父から素読を学び豪気を受け継ぎ、母の薫陶を受けた。母の影響か和歌を学んで12−3歳までに3−4千首詠んだが、和歌では公卿に対抗できないと焼き捨て、漢詩に転じたという。面目がうかがえる。 B 出石藩6年出仕後、放浪生活10年 貧窮のなか15歳で但馬出石藩松平忠徳の小姓となる。17歳朱子学者中野ヒ謙の門に入る。21歳母死去45歳。6年出仕した出石藩の退職で藩主の怒りを買い10年間禁錮=他藩に出仕できなくなる。その10年間、25歳京都に行き伊藤仁斎の講義を聞いたり、各地を放浪したり、大阪で30歳結婚したり、医術で貧乏生活を支えたり、しかし舞の免状を取ったり笛の名手となったり、勉学以外に余裕がないわけではなかったようである。 C 江戸に戻って徂徠門に入り、紫芝園を開く 32歳江戸に戻って中野門で親しくなった安藤東野の仲介で荻生徂徠に対面。禁錮が解け、寺社奉行生実藩主森川重令より5斗の扶持を受ける。35歳妻死去。再婚する。36歳生実藩を4年で辞め、小石川牛込天神あたりに私塾紫芝園を開き、研究・執筆・教育活動を始める。徂徠門で頭角をあらわす。42歳火災にあい、芝浦に一時仮寓、この頃「紫芝園前稿」刊行、春台の名声次第に上がる。44歳父死去88歳。幾つかの大名から扶持米が贈られるが、後に断る。潔癖で作法にうるさいのである。紫芝園に俊才が集まり、厳格で礼儀正しい教育が注目される。49歳荻生徂徠死去63歳。50歳主著「経済録」刊行。吉宗が見たいというのを断る。将軍にもへつらわない。53歳「上書」を建白。「聖学問答」ほぼ成る。刊行は57歳。63歳定保を養子に迎える。68歳死去。結局嗣子は家名を残せなかったらしい。 春台の儒教史上の位置付け 詳しくは別項を見ていただきたいが、簡単にいうと、江戸幕府は、京都朝廷に対し自らを合理的に位置付ける教学として、儒教の朱子学を採用し林羅山がそれにあたった。朱子が重んじた「大学」に、正意・誠心・修身・斎家・治国・平天下とあるように、修養によって国を修めることを要求する哲学であり、忠・孝・義といった身分に基づく規範の遵守も要請していた。しかしそのうちに、朱子学の煩瑣な規範主義は、孔子が説いたことと違うのではないか、聖人の真意は孔子・孟子の直接の精読に依るべしという日本独特の「古学」思想が伊藤仁斎によって唱えられ、徂徠はこの系統の大学者として「弁道」「弁名」を著し、柳沢吉保に仕えて綱吉将軍に関わり、吉宗将軍にも「政談」「太平策」などの政策論を献じ、多くの弟子を養成した。徂徠の学問は多岐にわたったが、弟子は、自由な文学生活を享有しようとする派と、時代の問題を直視し経世済民を志す派との二派に分れた。前者を代表するのが服部南郭であり、生真面目な太宰春台は経世済民派であった。 E 明治政府の徂徠処遇 維新後の新政府は華族制度や位階勲等制度を設けて、暦史上国家に貢献した人にも追贈することにした。江戸時代の主要な学者は殆ど贈位された。国学四大人は揃って従三位、儒学では闇斎・山陽が従三位、仁斎・蕃山・白石は正四位、しかし徂徠は、大正天皇即位での大量贈位でも外された。徂徠が生前「朝廷を押さえ幕府を持ち上げ将軍を皇上と称したこと、日本夷人物茂卿とへりくだり孔子・中国尊崇をしたこと」が天皇制国家主義体制下で問題となったらしい。従って弟子である春台も外された。贈位がなかっただけでなく学界で敬遠された徂徠を、きちんと儒学思想史に世界共通の用語で位置付ける仕事は、1941‐2年=戦時中の丸山真男まで待たねばならなかった。春台もそのあおりを食った形跡なしとしないであろう。 春台が日本にのみ伝わった古写本によって、徂徠死後に刊行した漢の孔安国「古文孝経孔子伝」は、中国=清朝に輸出され、訓詁が盛んであった現地学界で評判となり,覆刻された。春台の学問水準を知るべきであろう。 F 日本思想史上の儒教 日本の哲学思想には古来、インド・中国に由来する仏教、中国の儒教・道教、日本固有の神道という三つの流れがあり、近世になって西欧の近代思想・キリスト教が加わった。明治維新は徳川幕府こそ倒したが、成立した政権は万世一系の天皇絶対主義イデオロギーであった。その思想は主として江戸時代の国学が提起した「神話」に過ぎなかったが、歴史学も思想史学もその思想に呪縛され、自由な研究は戦後まで抑圧された。 さらに維新後欧米に追いつくために導入された諸科学には、ギリシャ・ローマに発する哲学はあったが、仏教や儒教を含む東洋思想の分野は未開拓であり、それにはイデオロギーの制約があった。日本固有の神道思想を加えた日本の思想史はまだこれからであろう。 別項に、日本の儒教の受容について小論を載せた。仏教が中国を経て日本に伝わり,独自の仏教となったように、儒教も日本で本家の中国とも,隣りの韓国とも異なる独自の受けとめられ方をした。そこに維新後の日本と中国・韓国の近代化の差が生じた。興味しんしんたるところである。そこにわが太宰春台がどのような位置を占めるのか。 |
藩主 | 在任 | 石高(万石) | 特記 |
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京極高知 | 文禄2.10〜慶長5.11 1593〜1600 | 10.0 | 丹後宮津へ |
小笠原秀政 | 慶長6.?〜慶長18.10 1601〜1613 | 5.0 | 下総古河より信濃松本へ |
脇坂安元 | 元和3.?〜承応2.12 1617〜1653 | 5.5 | 伊予大洲より |
脇坂安政 | 承応3.3〜寛文12.5 1654〜1672 | 5.5 | 播磨龍野へ |
@堀親昌 | 寛文12.閏6〜延宝元.7 1672〜1673 | 2.0 | 下野烏山より |
A堀親貞 | 延宝元.9〜貞享2.11 1673〜1685 | 2.0 | |
B堀親常 | 貞享3.3〜元禄10.3 1686〜1697 | 2.0 | |
C堀親賢 | 元禄10.5〜正徳5.11 1697〜1715 | 2.0 | |
D堀親庸 | 正徳5.12〜享保13.7 1715〜1728 | 2.0 | |
E堀親蔵 | 享保13.9〜延享3.2 1728〜1746 | 2.0 | |
F堀親長 | 延享3.4〜安永8.4 1746〜1779 | 2.0 | |
G堀親忠 | 安永8.4〜天明4.6 1779〜1784 | 2.0 | |
H堀親民 | 天明4.9〜寛政8.4 1784〜1796 | 2.0 | |
I堀親? | 寛政8.5〜弘化2.9 1796〜1845 | 2.7 | |
J堀親義 | 弘化2.9〜慶応4.3 1845〜1868 | 1.7 | |
K堀親広 | 慶応4.3〜 1868〜 | 1.5 |
06 08(月) モナコ宣言とは何か |
………26ヶ国からの150人以上の導く海洋の科学者は政策担当者によって即座の行動をはっきりと海洋の酸性化からの海洋の生態系への広まった、厳しい損傷を避けるために二酸化炭素排出を減らすために求めている。 科学者はモナコの宣言、高二酸化炭素の世界の海洋のこの前の10月2日国際シンポジウムで関係者の結論に基づいて声明のこの警告を今日出した。……… |
二酸化炭素の放出は海洋生物を脅して、海洋を酸性にすることによる人間の食糧補給は、科学者の国際的なグループ言う。 「海洋酸性化加速して、厳しい損傷はモナコの宣言、26ヶ国からの155人の海洋の科学者によって署名入公文書および出された最後の金曜日に従って差し迫っている」、は。 それは釣を脅すために珊瑚礁を破壊してもよい、二酸化炭素のレベルを抑制するために政策当局者が働かなかったら観光産業は何百万の人々の食糧補給に影響を与えるために宣言言い。 大気の二酸化炭素のレベルは化石燃料の焼却のような人的活動による前世紀にわたって、主としてはっきりと上った。 ガスは大気の助力トラップ熱を気候変動に導いている科学者が責任にする主要な「温室効果ガス」の1つである。 それは損傷の珊瑚礁をそれ自体より暖かい温度が珊瑚の病気の広がりをもたらすので、責任にされた。 しかし海洋はまた炭素酸を形作る大気の二酸化炭素の約四分の一を吸収する。 酸は珊瑚、貝を分解する 増加それをもっと簡單にする海水の酸味こと水が珊瑚および貝の炭酸カルシウムの貝を分解することができるように。 測定は産業化が18世紀に始まってから海洋の表面の酸味が30%、宣言言った増加したことを示す。 科学者は何も行われなければ、世界の海洋のほとんどは今世紀の中間によって珊瑚礁に不親切であることができることを予測した。 礁は現在重要な魚の生息地を提供し、氾濫から沿岸地域を保護する。 上昇の酸味はまたそれをさらに困難にすることができ、海洋が付加的な二酸化炭素を吸収することができるように多くを大気自体に残し、気候変動を悪化させる。 宣言は10月のモナコで握られた国際シンポジウムからの結論に基づいていた。 |
知らなかったモナコ宣言 NHKの「地球LIVE」を観た。 二酸化炭素濃度の上昇は、温暖化だけでなく、海洋酸性化をもたらすことを知った。 アルカリ性である海が、二酸化炭素濃度の上昇によって酸性化するというのだ。 二酸化炭素を吸収してくれる海が、その能力を失うことは生態系にとって致命傷であり、2020年までに二酸化炭素の排出量を完全に押さえ込まなければ、海洋酸性化が深刻な事態を引き起こすと宣言したのが「モナコ宣言(2005年1月)」でした。 モナコとは南フランス地中海沿岸にある世界二番目の小さな都市国家でした。 モナコ宣言という言葉は知らなかった。 番組の中で、この生態系を維持するために地球は、奇跡とも言える微妙なバランスのシステムを持っていることを紹介していた。 そのシステムで地球は、長い長い年月生態系を維持してきたのに、人間はその奇跡のシステムをたった100年、200年で破壊しようとしているのだ。 多くの専門家たちが、地球の危機を救うため、様々な研究に汗を流しメカニズムを解明すると共に警告を発している。 なのに、私を含めその他のほとんどの人間は、「自分第一主義」に徹し目先の利益を優先し耳をふさぎ、地球を守るどころか破壊に手を貸していると思った。 一部の専門家たちに任せているだけで良いのだろうか? そんな状況ではないことを痛感した。 地球にとって人間は脅威なのかも知れない。 きっと、地球にとって人間が第一ではない。 だから脅威を排除するために、新たなウィルスを創り出したりしてんじゃないのか・・・なんて考えざるを得ない。 こういう番組は、NHKだけじゃなくて民放も目先の利益を度外視して、ゴールデンタイムにするべきだ。 みんなが気づけば、最悪は回避できると思うし、地球生態系の一員にちゃんと戻れると思う。 子や孫に、自分たちが生きてこれたのと同じ地球を残せると思う。 そのためにも、人任せじゃなくてできることを始めねば。 トラックバック コメント ▼僕は、エイズ然り、SARS然り、新型インフルエンザ然り、地球にとって危険な、 横暴をふるう勝手な人間たちを自然淘汰させるために神が作り上げた、 地球防衛のための武器と昔から考えております。 かく言う僕も、クラシックカーを乗り回し、二酸化炭素をまき散らしているパイオツでした…(汗)。 ▼私も、その番組を見てました。 そして、パイオツ・カイデーさんと同じでガイア論の支持者です。 人類は地球にとっては癌細胞なんだろうなと・・・。 ま、ただ、ガイア論の解釈は、単純にパイオツ・カイデーさんや 私のように単純に解釈してはいけないようですが・・・。 私達も、その道ではプロとしてお給料を貰っています。 そして、その道のプロとして警鐘を鳴らし呼びかけを行っています。 でも、なかなか結果に結びつかない・・・。 環境問題も同じだと思うんです。 専門家だけが頑張ってもダメなんです。 私達、地球人の一人一人が気をつけないとダメなんです。 ただ、私も古い大排気量車を走らせ、山を走り海を走り 自然を傷つけています。 でも、出来るところで節電したりゴミを拾ったりしています。 そんな個人レベルの「自分の出来ること」で良いんじゃないかと 思っています。 独りよがりかもしれませんけどね。 |