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続折々の記 ⑥
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【 07 】7/05
       いのち   臓器提供 家族の葛藤 移植待つ娘はドナーになった
       いのちは愛   「いのち=愛」

2021/07/05 2021年6月22日の記事
臓器提供 家族の葛藤 移植待つ娘はドナーになった
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脳死状態になったとき、臓器提供を行うには、かつては本人の意思が必要でした。それが、11年前に改正された臓器移植法が施行されて以降、家族の承諾があれば可能になっています。
家族はどのような思いで脳死からの臓器提供を決断しているのか。日本臓器移植ネットワークが臓器提供者の家族を対象に初めて行い、ことし公表された※アンケート調査では、本人の意思が分からない中で提供を決めた家族がおよそ半数に上ります。
重い心臓病で臓器移植を待っていた4歳の娘が脳死状態になり、臓器を提供するという決断をした家族が私たちに語ってくれました。

※アンケート結果は記事の最後に掲載

突然、娘を襲った難病

取材に応じてくれたのは、数年前、娘の臓器提供を行った白木大輔さんと希佳さん夫婦です。
娘の優希(ゆうき)ちゃんは当時4歳。体を動かすのが大好きで、妹の面倒をよく見る優しい子だったという優希ちゃんに突然、異変が起きました。
だるそうにしておう吐を繰り返し、かぜのような症状も。そして顔がむくんでいきました。
大輔さん
「むくみがひどくて、顔が本当にパンパンになった。ちょっとただごとじゃないなと感じました」
告げられた病名は「拡張型心筋症」。血液を送り出す心臓の力が低下する難病で、すぐに入院し、心臓の負担を減らす薬の治療を始めました。
希佳さん
「病名を聞いても全く知らない病気だったので、ピンとこなかった。大変な病気なんだなというくらいな感じでした」

病状が悪化、唯一の手段は心臓移植

入院から2か月後、優希ちゃんは心臓の働きを助ける補助人工心臓なしでは命をつなげない状態に陥り、医師からは「心臓移植を受けるしか道はない」と告げられました。
希佳さん
「それしか生きる道はない。どうやったら助かるかを考えたときに、他人様の臓器を頂かないと命をつなげられないということになるならば、その方法しかないのかと」

移植を待つ日々

臓器移植の必要性を告げられた直後、大輔さんはカメラを購入し、優希ちゃんの写真を撮影、SNSに記録し始めました。
<フェイスブック 12月9日>
「初めてのカメラ撮影。きょうはいろいろシビアで長い1日でした。だからこそ初カメラで撮りました」
大輔さん
「結構当時は、本当毎日くらい泣いてたんですけれど、自分が泣いてても娘の写真を撮るしかないなと思いました。瞬間をもう切り取っていくしかないと思いました」
<フェイスブック 12月16日>
「補助人工心臓の挿入部の出血を止める手術、胸を開くのはこれで3回目。自分の子ながら本当に頑張っている」。
<フェイスブック 12月17日>
「途中、目を覚ましてくれた。『治ったら焼き肉いくよ』と声をかけると『うん』とうなづいてくれた」
家族は懸命に生きようとしていると感じていました。
大輔さん
「暗闇の中、綱渡りで何か光りが差すかわからない状態を目指して、渡るような感じがありました。僕らは臓器が喉から手が出るぐらいにほしかったんですよね」

国内で子どもの臓器移植はほとんどない現実

国内で脳死からの臓器移植が行われるようになったのは法律が施行された1997年。
法律が改正され、2010年からは▽本人の意思が不明であっても家族の同意があれば脳死後の臓器提供が可能となり▽15歳未満の子どもも臓器提供ができるようになりました。
しかし、日本で子どもの心臓移植の件数は少なく、大輔さんと希佳さんは、海外で移植を受ける準備を進めることにしました。
〈フェイスブック 12月27日〉
「12月27日。(海外の)受け入れ先より正式に受け入れることが決まる。まずは一歩前進した。もう1か月も(優希ちゃんの)声を聞いてないから声が聞きたい」

移植を待つ側から提供する側に…

ところが、治療を続けて100日がたったころ、優希ちゃんの容体は急変しました。補助人工心臓の中で血栓ができ、脳の血管が詰まる脳梗塞となったのです。
医師からは、脳の機能の4分の3ほどが失われ、これ以上治療を続けられない、「脳死の状態」だと告げられました。
<フェイスブック 1月10日>
「先生からは脳幹の圧迫もあり脳自体はもうほとんど機能していない。ここからは良くする治療はできないというお話だった。とめどなく涙があふれた。たくさんの思い出が、楽しかった思い出が後押しするように泣いた。こんなに泣いたことはないくらい泣いた」
懸命に生きようとした娘を救いたいと願ってきた自分たちに何ができるのか。娘のことを考え続けてきた大輔さんと希佳さんは重い決断を下します。
優希ちゃんの臓器を移植を待つ人たちに提供することを決めたのです。
<フェイスブック 1月10日>
「少し落ち着いてから先生に優希の臓器を優希のように臓器を待っている子どもたちのために使ってもらえないかとお願いした」
希佳さん
「臓器がほしいということばかり最初は思っていたんですが、命についてしっかりと考えた時間があったから、うちの子がそうなったときにすぐに提供しないとという考えがすっと浮かびました」

「笑顔で送り出したい」最期の家族の時間

臓器を提供する直前、家族は、最期の時間を一緒に病室で過ごし、優希ちゃんの生きた証を残そうと、手形や足形をとりました。
治療中はだっこができませんでしたが、抱きしめました。
〈フェイスブック 1月12日〉
「家族はあたたかい。家族はこの世で一番尊いもの。人は当たり前の毎日にいつも分かったふりをして過ごしてしまう。優希は沢山のことをお父さんに教えてくれた」

娘が気づかせてくれたこと

優希ちゃんの肺と腎臓、肝臓は、病気で苦しむ人たちに移植されました。
白木さんの元には、臓器提供を受けた家族から元気に過ごしているという知らせが届けられています。
大輔さん
「子どもの死は悲しくて乗り越えがたいものですけど、臓器提供を選択することは、その周りの家族の方にも光を灯すことだなと気づかせてくれた」
希佳さん
「亡くなる側も(臓器を)いただく側も、もう平等というか同じ人でお互い様なんだよってことを教えてくれたのかなと。命の大切さ、相手への思いやりの心、自分も相手も同じ命の重さだという、人として一番大切なことを教えてくれたと思います」
(社会番組部・北條泰成、科学文化部・山下由起子、水野雄太)

臓器提供の意思(円グラフ)
  知っていた(本人から聞いて意志カードなど見てなど) 44%
  全く知らなかった 42%
  まだ意志表示できる年齢ではなかった 7%
  そのほか 7%

いのちは愛
   臓器提供の家族と少女に感涙

愛といのちの根源それをじかに言葉で教えられました。 いのちとは愛、そしてそれは something great 、そしてそれは不滅の神。 親の心を思いやり子供の心を思いやり涙があふれて仕方なかった。 「いのち=愛」、それは和やかな心温まる生活、生物が一番大事にしてきたそのものだと確信できます

昨日記事にした「米国凋落の歴史と欧州・極東の未来図」(URL)に出てくる青山繁晴という人、この人は自民党の現政治家ですがそのブログを見ていていると、なるほどと感心することはあるのですが、その心の根底に戦争を否定し平和を目指す考えがないとしたら、如何なることを主張したとしても間違っています。

どんな人であれ「いのち=愛」を目標としていない考えの場合、死の恐怖が訪れるのです。 例えば、競争企業社会とか能力主義とか、国民生活の向上のためとかいろいろと考えられています。 けれども「いのち=愛」を目標にないとしたら、そうした考えの後々の姿には、人の区別という不平等の思いがだんだん高まって、その悩みにさいなまれて「いのち=愛」の生活が崩壊し始めてしまうのです。

社会生活が能力主義とか競走モットーとか強弱に拘泥する考えには、もろくて崩れやすい結果が生まれやすいのです。 私のこうした断定的な言い方は聞きにくいものでしょう。 喜怒哀楽の世界を目にし耳にしてきてみると、生きていく基の考えを正しくすることがどれほど大事か、とおもうのです。

今朝しばらくぶりに馬鈴薯の整理を終えました。 長屋の周りに作った溝の鉄板の蓋(フタ)もきれいにしました。 この鉄板は私の昔の友達が作ってくれたものです。 彼はいっしょに予科練へ行き、帰ってきてからもたびたび語り合った仲でした。早くに脳溢血で亡くなりました。
思えばすべてのものは、人に頼んで作ってもらったもので、長屋にしても塾にしても人が心を込めて作ってくれたものでした。 人が一番大事なものは「いのち=愛」であり、生活するものはすべて人様の世話になっていました。 あたり前なことです。 人との関係で、生活を崩す方向だけはしてはなりません。 人にウソを言ってはいけないし、人を死に追い詰めてはいけません。 これもあたり前のことなんです。

でも、金銭の執着から殺人の武器を作りそれを売るようなことに加担してはならないのです。 国家間の争いから人を殺すようなことは絶対にあってはならないのです。 「いのち=愛」の深い考えから外れてはならないのです。 これは老婆心からの言葉です。

モーゼは言っています。 親を敬え、と。

でもシッタルタは出家した。 どうしてなのか? いのちとは何かを求めたいためと思う。 それでどうなったか? すべてを悟ったのです。 絶対矛盾の自己同一であり、諸行無常だ、と。
モーゼは言っています。 汝、殺す勿れ、と。
シッタルタは悟った。 一即多であり、我、雀であり花なり、と。
曰く、多言は愚なり。
以上。

お釈迦さまについて、今まで思っていたことをあれこれと記事にしていた。

これでいいのかと思い、「シッタルタは何故出家したのか」検索してみると 358,000 件の検索結果が出ていた。 これには吃驚した。

最初のページの中に「シッダルタ太子はなぜ城を出られたのか - 親鸞に学ぶ幸福論」(URL)というのがあった。 親鸞はどう理解していたのかと思って、開いてみた。

記事は ニックネーム 菊谷隆太 という人の説明が載せられていました。

自己紹介と経歴は次の通り。
一行紹介  無料メルマガ:親鸞に学ぶ『生きる意味』に現在は全力傾倒中です。
自己紹介  いつになってもどこへ行っても幸せになれない、こんな毎日の繰り返しにどんな意味があるんだろう、というむなしさは親鸞の教えで一変することができます。どれだけ環境を変えても幸せになれない原因はただ一つ、無明の闇という心にあるんだよ、と説かれたのが親鸞という人です。その内容を初めての人にもわかりやすく、学問的にしっかり根拠を挙げて解説していきます。
【菊谷隆太経歴】
1990年 早稲田大学で心理学を専攻していたとき、仏教の教えに感動し、
     仏教講の道を決意し、大学を中退する
1992年に浄土真宗親鸞会にて浄土真宗講師の資格を取得。
1994年~1996年 北海道、九州、広島、島根など、ほぼ全国各地で公開講座を開く
1997年にロサンゼルス日系コミュニティの方の招請を受け、
    アメリカ西海岸で講演活動。
    UCLA(カリフォルニア州立大学)で公開講座を開く
1999年 東京、鎌倉等を中心に講演活動。
    生涯学習講座などで年間100回以上の講義に立つ
2009年 今まで話してきた内容を元にブログ、メルマガを配信を始める。
    ○メルマガ読者3600人
    ○ブログ1日3500アクセス、
    ○ツイッター16000アクセス

お釈迦様についての一筋な探求は、読んでみると味わいが深い。 メルマガ愛読者、ブログとツイッターのアクセス数を見ると、流石なことと感心する。
どれだけ環境を変えても幸せになれない原因はただ一つ、無明の闇という心にあるんだよ、と説かれたのが親鸞という人です
幸せに生きていくためには、誰でも自分の願いに添って自由に存分生き抜くことだろう、私はそう思う。 「自分の願いに添う」という中味はいろいろあるに違いはないのです。

研究者が極めたことは何だったのだろうか?

犬も山羊も雀も烏も、小豆も玉ねぎもお米や麦も、柿も梅も松やポプラさえも、みんな生きている。 いのちの限り

こうした立場から言えそうな考え方で共通なことは何だろうか?

鮭の一生は見事にそれを教えてくれた。 それはいのちの願いそのものと私は思う

お釈迦さまの教えを求めたひとは、お釈迦さまの願いを明らかにしてくれるのだろう。

  諸行無常 ショギョウムジョウ (諸行は無常なり)
       色は匂へど 散りぬるを
  是生滅法 ゼショウメッポウ (是れ生滅の法なり)
       我が世誰ぞ 常ならむ
  生滅滅已 ショウメツメツイ (生滅(生老病死の苦)を滅しつきる)
       有為の奥山 今日越えて
  寂滅為楽 ジャクメツイラク (寂滅をもって楽と為す)
       浅き夢見じ 酔いもせず

これが無常喝(ムジョウゲ)だが、この実行なのだろうか?
今日のとこ以上です。

2021/07/09
寂 滅 為 楽
   いのちは細胞に支えられている
   細胞の死はいのちの終焉

いろいろと調べてみていた。 そしたら出てきました。 自分では忘れていた。 見ていると、中村元先生の著書を主とした解説でした。

中村元といえば仏教学者の大御所である。 次のエピソードは昔なにかで読んで記憶に残っていた。 https://www.bing.com/images/blob?bcid=S6OaisNLxPUCnQ
エピソード
中村が20年かけ1人で執筆していた『佛教語大辞典』が完成間近になった時、ある出版社が原稿を紛失してしまった。中村は「怒ったら原稿が見付かるわけでもないでしょう」と怒りもせず、翌日から再び最初から書き直して8年かけて完結させ、別の出版社(東京書籍)から全3巻で刊行[7]。完成版は4万5000項目の大辞典であり、改訂版である『広説佛教語大辞典』では更に8000項目が追加され、没後全4巻が刊行がされた。校正や索引作成に協力した者がいるとは言え、基本的に1人で執筆した文献としては膨大なものである。
検索で 中村元 を開いて見ると “これって、ほんと?” と思うほど物凄い学者だった。 前にふれた西江孝之さんを知ってから余計中村元に関心をもっていたように思う。 「学び」がどれほど大事なことか痛切に感じる。

私が今日「寂滅為楽」の喝(ゲ)と 「いのちは細胞に支えられている」「細胞の死はいのちの終焉」の二つの句を掲げたのは、生きていく目的として「明るく元気で和やかな子孫を伝える」と決めているからです。

何で生きるのかとか、なんで学問をするのかとか、なんで働くのかとか、なんで動いているのかと言えば、答えの目標はただ一つ「明るく元気で和やかな子孫を伝える」ことにしているのです。 親鸞の導きに反するでしょうか?


それでは、私のデータから 村の図書館(資料集)を復習してみます。

調べる場所をたどってください。
0歳教育 > 折々の記 > 知恵のリンク集 > 思想・哲学・宗教 > 村の広場 > 村の図書館(資料集) > 宗教・仏教

仏教 (Buddhism)
http://www.ne.jp/asahi/village/good/buddhism.htm

原 始 仏 教

ブッダ(Buddha=「目覚めた人」)の本名は、ゴータマ・シッダルタ(シッダッタ)、生まれは、シャカ(釈迦)族の王子である。
ブッダは29歳のとき、妻子を捨てて、修行の旅に出かけた。5/6年のあいだ、有名な先生の許を訪ねたり、苦行に耐えたりしたが、
ついにはそれらを捨てて、菩提樹の下で瞑想に入り、悟り(=菩提)を開いた。 「四(聖)諦」はブッダが最初に説いたと言われる教えの一つ(「諦」は「真理」の意味)。

仏陀の教説
四諦 1)苦―この世は苦しみに満ちている
         (四苦=生病老死、八苦=怨憎会苦・愛別離苦・求不得苦・五蘊盛苦)
    2)集―苦しみには原因がある(→縁起)
    3)滅―苦しみをなくす事ができる(→解脱/ニルヴァーナ(涅槃))
    4)道―そのための方法がある
         (中道、八正道=正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)
無我説
 では、ブッダの説いた、全ての苦しみの原因とは何か。
 それは、一言で言えば、「愛」である。自分のものではないのに、欲しがる邪な欲望を「渇愛」という。
 言い換えれば、全ての苦しみは、「自分の思い通りにならない」ことから生じる。
 そこには、「自分(のもの)」に関する根本的な誤解、根源的無知(=「無明」という)が横たわっている。
 そもそも、「私(=自分)」というものは存在しないのである。(資料1/2を参照)

ブッダの最期の言葉
「この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。」
「わたしはいまお前たちに告げよう、――もろもろの事象は過ぎ去るものである(諸行無常)。怠けることなく修行を完成なさい。」
(中村元『原始仏教』 ちくま学術文庫)
(「法」はインド語「ダルマ/ダンマ」の訳。「法律」の意味ではない。元来は「自分を保つもの」という意味だと言われるが、ギリシャ語の「ロゴス」のように、「法則」「真理」「言葉」「存在者」といった広い意味を併せ持つ。ここでは、「私(ブッダ)の語った真理(の言葉)」という意味にも解せるが、もっと一般的に「この世界の法則=真理」と理解する方が、「あれがあるから、これがある」(縁起)というブッダの最初の説教の言葉に繋がって、よいように思う。
「島」は「洲」でもよい。海や大河の中の拠り所を意味する。また「灯り」という解釈も可能。漢訳は「自灯明」。)
ブッダは、「29歳で善を求めて出家」し、「人生の旅路を通り過ぎ」、「齢80となった」後、最後の旅に出て、
「この世界は美しい」、「精進せよ」と弟子たちに言い残して亡くなった。
(『ブッダ最後の旅』中村元訳 岩波文庫)

仏教の倫理
「うず高い花を集めて多くの華鬘(はなかざり)をつくるように、人として生まれまた死ぬべきであるならば、多くの善いことをなせ。」
(『ダンマパダ』―引用は、中村元『原始仏教』から)
仏教の教えは、単純だ。曰く、
「善いことをせよ、悪いことをするな」(「諸悪莫作、衆善奉行」)
悪い行為は、無意識のうちに、深いところで、その人の考え方を歪め、さらに悪い結果を生み出す。
例えば、君が試験でカンニングをしたとする。次に君は「みんな、やってる」とか「誰にも迷惑かけてない」とか呟いて
自分の行為を自分に納得させようとするだろう。
真面目にやってる人に、「いい子ぶりやがって」と毒づくかもしれない。
それは自分がやった悪い行為がいちばん君の魂を傷つけるからだ。
「生まれによって<バラモン>となるのではない。行為によって<バラモン>なのである。
行為によって盗賊ともなり、行為によって武士ともなるのである。」
アリストテレスと同じように、ブッダも行動主義的立場で考えている。
「次に在家の者の行うつとめを汝らに語ろう。
1)生きものを殺してはならぬ。
2)与えられないものを取ってはならぬ。
3)淫行を回避せよ。
4)他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
5)酒を飲んではならぬ。」
(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳)

大 乗 仏 教
仏陀は紀元前5/6世紀に活動した実在の人物であるが、
紀元前一世紀頃から、様々な思想家によってその思想が発展させられると、
自分が苦しみから逃れるだけでなく(いわゆる「小乗仏教」)、他の人も苦しみから救い出すことが仏教(=大乗仏教)の目標となり、
真理を悟った者は全て仏陀だと言われ、さらに宇宙を支配する法則そのものが仏陀だと言われるようになる。
(「あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況(いわ)んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。
交わりをしたならば愛情が生じる。愛情にしたがってこの苦しみが起こる。愛情から禍の生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。」(『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳)
この言葉が示すように、ブッダは世間を捨て一人で修行する生き方を理想とした。しかし、それは誰にでもできることではない。
と言うか、世間から離れないと自由になれないというのであれば、それはまだ世間に囚われており、本当の意味での自由ではないとも言える。
「衆生病むゆえに、我病む」という『維摩経』における維摩の言葉は、自分が救われるためには、世間の人が救われる必要があるという新しい仏教の考え方を示している。)

大乗仏教の展開
A (初期=理論)
  空観(竜樹=ナーガールジュナ)―全ては「空」であろ、つまり他との関係の中で一時的に存在している、実体性のないものである。
   →「空」の思想を説いた、代表的な仏典が「般若心経」(資料3を参照)   唯識(世親=ヴァスバンドゥ)―全ては心の働きである、無意識(マナ識・アラヤ識)を含めた「心」の分析
B (中期=形而上学)
  如来蔵―全てのものは清浄である
    (清浄である→汚れていない→自分中心の見方を離れている→それ自体において悟りを含んでいる)
  天台(『法華経』)―全てのものは、それ自体、真理=仏陀であるという本質を具えている(仏性)
  華厳(『華厳経』)―個と全体(一と多)はお互いを反映し調和している
    (一塵のなかに全宇宙が含まれている)
C (後期=実践)
  密教(空海)―マトリックス界とダイヤモンド界の統合、身意口(身体と心と言葉)における「入我・我入」(宇宙との合一)の方法、即身成仏
  浄土宗(法然・親鸞)―救済原理の出現(阿弥陀仏)、人間の弱さの自覚と悪人正機の思想、念仏という方法
  禅宗(道元)―私=宇宙のなかに存在する真理を現わし出すための、主体性と座禅という方法の徹底

資料1 原始仏典より
見よ、神々並びに世人は、非我なるものを我と思いなし、<名称と形態>に執着している。「これこそ真理である」と考えている。
或るものを、ああだろう、こうだろう、と考えても、そのものはそれとは異なったものとなる。なんとなれば、その(愚者の)考えは虚妄なのである[から]。過ぎ去るものは虚妄なるものであるから。
有るものと言われる限りの、<色かたち、音声、味わい、香り、触れられるもの、考えられるもの>であって、好ましく愛すべく意(こころ)に適うもの、―それらは実に、神々並びに世人には「安楽」であると一般には認められている。またそれらが滅びる場合には、彼らはそれを「苦しみ」であると等しく認めている。
他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。
生存の貪欲にとらわれ、生存の流れにおし流され、悪魔の領土に入っている人々には、この真理は実に覚りがたい。
(『ブッダのことば(スッタニパータ)』中村元訳 岩波文庫)

人々は「わがものである」と執着したもののために苦しむ。(自己の)所有しているものは常住ではないからである。この世のものはただ変滅するものである、と見て、在家にとどまっていてはならない。
(同上)

どんな苦しみが生ずるのでも、すべて無明に縁(よ)って起こるのである。しかしながら無明が残りなく離れ消滅するならば、苦しみの生ずることがない。
(同上)

ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人に付き従う。―車をひく(牛の)足跡に車輪がついて行くように。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人に付き従う。―影がその体から離れないように。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われに打ち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだく人には、怨みはついに息(や)むことがない。
「かれは、われを罵った。かれは、われを害した。かれは、われに打ち勝った。かれは、われから強奪した。」という思いをいだかない人には、ついに怨みが息(や)む。
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みの息(や)むことがない。怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である。
(『真理のことば(ダンマパダ)』中村元訳 岩波文庫)

資料2 「空」の意味―『ミリンダ王の問い』より
「大王よ、…いったいあなたは、歩いてやってきたのですか、それとも乗り物でですか?」
「尊者よ、わたしは歩いてやってきたのではありません。わたしは車でやってきたのです」
「大王よ、もしあなたが車でやってきたのであるなら、<何が>車であるかをわたくしに告げてください。大王よ、轅(ながえ)が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「軸が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「輪が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「車体が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「しからば大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛(くびき)・輻(ふく)・鞭<の合したもの>が車なのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「しからば大王よ、轅・軸・輪・車体・車棒・軛・輻・鞭の外に車があるのですか?」
「尊者よ、そうではありません」
「大王よ、わたくしはあなたに幾度も問うてみましたが、車を見出し得ませんでした。大王よ、車とはことばにすぎないのでしょうか? しからば、そこに存在する車は何ものなのですか?」
(『ミリンダ王の問い 1』 中村元・早島鏡正訳 東洋文庫)
(この対話は、直前の、ミリンダ王によるナーガセーナへの問いで始まる。
「あなたは誰か」という問いに、尊者ナーガセーナは、
「ナーガセーナ」という名で呼ばれているが、それは名前に過ぎず、そこに「人格的個体」は認められない、と答える。
それに対して、ミリンダ王は、誰がナーガセーナなのか、何がナーガセーナなのか、
髪の毛がナーガセーナなのか、心臓がナーガセーナなのか、脳がナーガセーナなのか、と
上のような仕方で問い詰める。
それに対するナーガセーナの反論が、上の対話である。
その結論は、
「轅に縁(よ)って、軸に縁って、輪に縁って、車体に縁って…、『車』という名称・呼称・仮名・通称・名前が起こるのです。」
つまり、縁起(=関係性)によって存在するのであって、実体は存在しない、というのである。)

資料3 大乗仏典(『般若心経』(大本)資料3 大乗仏典(『般若心経』(大本)
   中村元・紀野一義訳 岩波文庫)
このように私は聞いた。あるとき世尊は、多くの修行僧、多くの求道者とともに、ラージャグリハ(王舎城)のグリドゥフラクータ山(霊鷲山)に在した。そのときに世尊は、深遠な知恵のさとりと名づけられている瞑想に入られた。そのときすぐれた人、求道者アヴァローキテーシュヴァラは、深遠な知恵の完成を実践しつつあったときに、見きわめた、―存在するものには五つの構成要素がある―と。しかも、彼は、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見ぬいたのであった。そのとき、シャーリプトラ長老は、仏の力を承(う)けて、求道者アヴァローキテーシュヴァラにこのように言った。「もしも誰かある立派な若者が深遠な知恵の完成を実践したいと願ったときには、どのように学んだらよいであろうか」と。こう言われたときに、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラは長老シャーリプトラに次のように言った。
「シャーリプトラよ、もしも立派な若者や立派な娘が、深遠な知恵の完成を実践したいと願ったときには、次のように見きわめるべきである―《存在するものには五つの構成要素がある》と。そこで彼は、これらの構成要素が、その本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。
物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。(このようにして、)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないということである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
シャーリプトラよ。この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、滅したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたものでもなく、減るということもなく、増すということもない。
それゆえに、シャーリプトラよ。実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、知識もない。目もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。目の領域から意識の領域に至るまでことごとくないのである。
(覚りもなければ)迷いもなく、(覚りがなくなることもなければ)迷いがなくなることもない。かくて、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。
それゆえに、シャーリプトラや、得るということがないから、求道者の知恵の完成に安んじて、人は心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
過去、現在、未来の三世にいます目覚めた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目覚めを覚り得られた。
それゆえに人は知るべきである。知恵の完成の大いなる真言、大いなる覚りの真言、無上の真言、無比の真言は、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。
その真言は、知恵の完成において次のように説かれた。
 ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディ スヴァーハー  (往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ。)
シャーリプトラよ、深遠な知恵の完成を実践するときには、求道者はこのように学ぶべきである―と。
そのとき、世尊は、かの瞑想より起きて、求道者・アヴァローキテーシュヴァラに賛意を表された。「その通りだ、その通りだ、立派な若者よ、まさにその通りだ、立派な若者よ。深い知恵の完成を実践するときには、そのように行われなければならないのだ。あなたによって説かれたその通りに目覚めた人々や、尊敬さるべき人々は喜び受け入れるであろう。」と。世尊は喜びに満ちた心でこのように言われた。長老シャーリプトラ、求道者・聖アヴァローキテーシュヴァラ、一切の会衆、および神々や人間やアスラやガンダルヴァたちを含む世界のものたちは、世尊の言葉に歓喜したのであった。
ここに、知恵の完成の心という経典を終わる。
(黒字の中間部分が、通常の般若心経
シャーリプトラ(=舎利子はブッダの一番弟子みたいな人)と
「求道者(菩薩=「悟りを求める人」)アヴァローキテーシュヴァラ(観音=「世の中の声を聴く人」)の対話部分を取り出したもの



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2021/00/00



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